昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの?at HISTORY2
昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの? - 暇つぶし2ch267:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 06:21:51.02 EEEdlwRf0
もうこの議論は100年かかっても結論出そうにない

268:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 15:18:00.33 TbqxEY6e0
開戦の詔勅はまごうことなき昭和天皇の命令だってことで結論が出たな

269:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 18:29:51.23 D2jVMILR0
>一体、何の根拠を示せと言ってるのか、傍から見ていてサッパリわからん。
>「根拠は全ての法令」と言えば納得ですか?
いつまでトボケてんだよ ボケ爺w

>そういう解釈でOKだと思う。
そういう解釈が正しい?とする、その根拠となる資料を具体的に示せって
言ってんだよ。 オマエがどう考えるのか、解釈するのかどうか、なんてどうでもいいんだよボケ爺w


>>219>>220>>221なんて常識の部類だろうに。
>「赤信号を渡ってはいけない」
詭弁晒すな。バーカw 今は信号の話してるんじゃねーし。
常識なんて個人によって異なることがあるのは、当たり前だろ?
そんなこともわからないバカなのか? オマエはw 


>そういう言い草は、ちょっと幼児的過ぎるよ。
>わざわざ好き好んで、自分の低レベル振りをさらけ出すことも無いでしょうに。
オマエのようなカス爺wには、こんなんで十分。カスにはカスで対応、これがおれのやり方。

>これについては、例えば山本七平の著作に分かりやすく記されているので
山本七平じゃしようがないだろw  だからオマエはカス爺wなんだよ。それとな、手記の類
なんて、この場合、根拠とはならない。公式文書を資料として示せ、と。わかったか? カス爺w

大事なことだから、もう一度書くぞ。
生産性の欠如した爺は、社会にとってはただのゴミ以下、迷惑なだけの存在。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
死ぬことが無能爺にも可能な唯一の社会貢献。さっさと死ねよ。市ねじゃなく「死ね」な。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

270:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 18:55:18.23 D2jVMILR0
>これも「根拠は全ての法令」だわ。
オマエのような、暇 持て余しゴミ以下爺(社会的には完全に不要品。生きてるだけで皆に迷惑かけてる爺)
の相手してやってんだから、「何々という文書の**ページから引用」
そういう形で示せ、これは指示だ。分かったか?  カス爺
示せないのなら 引っ込んでろ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

271:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 19:23:33.43 d+Un0G8X0
それは命令ですかw

272:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 21:51:43.88 BeEXxLvt0
>>262
通用しねえよ。
例えば企業犯罪について稟議書作成が通例であるのに、社長が直接担当者に違法行為を命令したのは
「希望」であるから社長には民事刑事上の責任がないとか強弁するのと同様の詭弁。

>>267
結論はとっくに出てる。史料も山ほどある。
その史料を曲解し何とかして天皇は政治的無能力者であったように強弁しようとしてるのが1人いるだけ。

天皇は自分の気に食わない内奏がなされると、同意を与えず、書類を留め置くことがあった(岡田啓介回顧録ほか)
この場合、天皇の意向を反映させるように再検討が行われる(山澄貞次郎)
企画院総裁の鈴木貞一も「戦争を止め得たのは天皇だけ」と断言してるし、
近衛も「お前の思うほど心配することはない」と言って日ごとに開戦論に傾いていくと嘆いている(富田健治)

「天皇の側近には内大臣はおらず、侍従長はおらず、真に陛下お一人の裁断によって全て事が運ぶ」
(木戸幸一、226事件後に語る)
そして226事件以降は天皇の権限の飛躍的強化に関連して、内大臣の政治的比重が増大する

ほかにも史料はまだまだあるから投下してやろうか?嘘つきさんよ

273:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 22:00:58.00 BeEXxLvt0
>>258
おいおい、立憲君主制を徹底させるなら
(まあ帝国憲法下では天皇の補佐にあたる人間相互の上下関係が明確じゃないけど)
お前の理屈だと天皇は輔弼担当者の意思に拘束されるはずだぜ?

実際は輔弼に拘束力があるかどうかも明確じゃなかった

お前こそ「輔弼」の主体を「国務各大臣」じゃなく「関係各機関」なんて不正確なこと書いてるけど、
大権事項でも統帥権については憲法上、輔弼の規定がないことを知ってるのかよ?
ちなみになぜ「内閣」の輔弼でなく「国務各大臣」の輔弼になってるのかは分かるよな?

274:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 22:15:51.41 MSpSc6xd0
>>273
国務は各大臣、統帥は両総長、宮務は宮内大臣と内大臣
だから関係各機関
文句あっか?

憲法だけ見ても仕方ないぞ
憲法を細くする各種法令も併せてな。

275:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 22:16:21.12 MSpSc6xd0
補足な

276:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 22:26:09.19 BeEXxLvt0
>>274
憲法以外の実態まで見たら、統帥事項について天皇の容喙が非常に多く、
とうてい立憲君主制と同視出来ないことは知ってるよな?
ちなみに、なぜ主体が「内閣」でなく「各大臣」になっている?

お前が任官大権をやけに気にしてるからついでに聞いておこうか

277:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 22:44:39.53 BeEXxLvt0
「建前として天皇は国務大臣の輔弼によって国政をなさるのではあるが、
時には強い強いご意見を述べられることもある」
「天皇がご納得されない場合は、概ねの場合問題はそのままサスペンドされて、
決定が延ばされるか、内閣のほうが考え直すのを常とした」
(木戸幸一)

これが「輔弼」にあたった内大臣の証言する偽らざる憲法運用の実態だよ
ここでは「輔弼を受ける」ほうが「建前」とされているのに要注意。

天皇は226以降、内閣総理大臣はこの中から選べ、こいつはダメと指示するまでになってる
人事権と言う意味でも天皇は非常に深く関与していた

278:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 23:23:30.63 MSpSc6xd0
>>276
単独輔弼がどうかしたのか?

279:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 23:31:12.91 MSpSc6xd0
>>277
だから、さんざん言ってるじゃないか
もう1回、書こうか?

天皇にも意思があり「発言」はする。
それによって現実政治が動くこともある。
「因果関係はある」と書いたし「影響力は相当強い」とも書いた。

280:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/09 23:58:01.92 MSpSc6xd0
最初に法学厨と呼ばれていた人と入れ替わっちまったな
ところでBeEXxLvt0は、もちろんD2jVMILR0とは別人だよな?
両者ともこっが1人に見えているらしいがw

281:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/10 01:58:37.03 GTBhiqcY0
>>272
>通用しねえよ。
する/しないかの段階はもう通り過ぎている。
その強弁詭弁が通用“している”のが戦後70年の現実。

282:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/10 22:48:07.49 fx5nCeLM0
昨日のBeEXxLvt0はまだ?
単独輔弼がどうしたというのか、話を進めてくれよ。
待ってるんだけど・・・

283:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/11 21:51:26.54 HGJlrvEZP
昭和天皇は開戦に反対だったけど、立憲君主制だから開戦を拒否する事ができなかったの?
ではどうして近衛上奏文は拒否できたの?そして拒否した理由とは?

Wikipediaの「昭和天皇の戦争責任論」の「戦争責任を肯定する立場の主張」を読んで気になったんだけどよくわからない
誰か教えて

284:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/12 19:45:47.13 FTXiGqDn0
>>283
近衛は単なる重臣で上奏文には何の拘束力も決定性もない。

無視した理由は大きく二つだと推測。
一つは戦局の帰趨に期待していたこと。
沖縄戦敗北まで天皇は米軍に大打撃を与える可能性があると考えていた。
もう一つは陸海軍の統制問題。
あの時点では陸海軍は首脳も含めて降伏を受け入れる可能性は低かった。
それを強引に終戦に持っていく自信がなかった。

285:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/14 05:20:07.03 vsN6tmbM0
>>278
何だまだいたのか。じゃあ話を進めてやる。
もっとも意味が分かってないようだからヒントをやるよ
単独輔弼の意味するところは?その効力は?日本国憲法との最大の違いは?

>>279
いいや答えていない。木戸内大臣の証言にどう反駁する?
天皇の不同意にあっては裁可の手続もままならず、
結果、内閣のほうが考え直すのを常とするほどの強い因果関係、それを命令と言うんだ。

>>283
昭和天皇は開戦に「反対」ではないよ。
立憲君主制だから開戦を拒否できなかったわけでもない。
相次ぐテロや内乱で、当時の日本はすでに立憲君主制の運用とは程遠い事態だった
鈴木貞一は天皇だけが開戦を止め得たと考えていたし、
実際に鈴木の所に避戦派から、内奏により天皇から「聖断」を下す形で日米開戦を避止する密案が来ている
だから天皇が主張する「開戦時に聖断は無理だった」と言うのは相当破綻している。

近衛上奏に対する態度は、戦局の帰趨に天皇が未練を捨てきれなったからだが、
陸海軍や重臣が降伏を受け入れる可能性が低かったとは、必ずしも言えない
なぜなら近衛グループは和平派を結集したかなり強力なグループだったから。
ちなみに降伏の決断の遅れには天皇の迷いが確実に反映されている。

286:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/14 05:27:00.92 vsN6tmbM0
>>281
昭和天皇崩御直後(1989年2月)の時事通信の世論調査
昭和天皇に戦争責任は
・全面的にある 7.5
・幾分ある 44.9
・ない 28.9
・わからない 14.0

史料の公開や研究が今ほど進んでおらず、崩御直後と言うタイミングだった当時でも
天皇の戦争責任を多少なりとも肯定する人間が過半数に達している。
戦後45年の現実はこうだ。崩御直後から天皇に関する批判的研究がなされるようになったから、
今ではもっとタブーは薄れているだろう
かなり有名なデータだと思うが、知らないのか?

287:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/15 03:54:29.17 7y43U4w60
>>285
だから話を進めろってw
お前のクイズに付きあわせるなよ、恥ずかしい

288:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/15 04:11:35.58 7y43U4w60
>>285
念のために言っておくが、もう、そのクイズ形式はやめろよ。
言いたいことがあるなら書け。
こっちは>>258をかなりスルーされて待ってるんだからさ。


289:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/15 05:02:57.73 7y43U4w60
>>285
>木戸内大臣の証言にどう反駁する
これにも答えろってか?
考え直すなら、それは輔弼する側の責任。

290:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/15 16:22:22.50 B4c/WYhJ0
「同意なんか得られずとも裁可してしまえば良い。天皇に裁可させない権限なんか無い、だから責任も無い」
それで済むんだから楽な商売だよね。
完全にヤクザの理論。

291:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/15 20:27:14.31 7y43U4w60
>>290
重大な勘違いをしてないか?
(天皇の)同意なんか得られずとも(臣下が)裁可してしまえば良い
と言ってるんだろ?

292:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/15 22:09:47.94 0G2VRRbN0
>>288
どこでスルーしてる?
奉勅命令だけが命令だと言う組織法に見られる詭弁にはすでに反論済みだが。
何より本人である昭和天皇が「とくに命じたのである」と自分の功績を強調しているし、
白川は大本営からの指示を無視しても事後、冷遇された形跡はない。
天皇は明らかに規定外のルートで「命令」を出す権限を持ってたんだよ。
石原に直接、兵力の派遣を督促したり、軍の細かい人事にも容喙してるのは独白録を読めば自明だよな。

それと大臣単独輔弼には天皇大権への拘束力が認められず、
さらに総理大臣は同輩中の首席に過ぎず任免権が憲法上規定されていない
だから陸海軍大臣や松岡問題でいちいち内閣が総辞職しなければならなかったわけだ
これ1つ取っても現代我々が想像するような立憲君主制なんて言えないんだよ。実態は。

お前、それも分からないのかよ。帝国憲法の特徴の1つとして公務員の問題にも出てくるし、
そこらの憲法の教科書にも書いてあるわな。一体どこの学部を出たんだよ?
法学部じゃないのは確実だわな。

293:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/15 22:11:23.04 0G2VRRbN0
>>289
反論の意味が不明。
時事の調査も知らないような無知だから期待はしないが、
まともな弁解を考えてみろ。

294:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/15 22:18:10.65 0G2VRRbN0
ちなみに近衛上奏は前述のように近衛の単独判断ではなく、
吉田・殖田ら外務人脈、さらに岡田・米内と言う海軍重臣が加わっている。
上奏者7重臣(岡田を含む)の中で最も有力な提案だったのは間違いない。

昭和天皇はそれを拒否してるんだわ。しかも当時、近衛が政治的失脚者などではなかったのは、
東条内閣崩壊工作の時のフィクサーぶりで分かる。

295:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 00:27:46.28 7UxkCU670
どんなに天皇が駄々こねても天皇には拒否する法的権限は無いから、
「ハイハイ、ワロスワロス」で無視して決めちゃえばよかった。
そうしなかった政治家が悪い、天皇悪くない。

そう言ってるんだよ。

296:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 01:25:05.75 dZQLKi220
>>292
>大臣単独輔弼には天皇大権への拘束力が認められず
は?
天皇の国務に関する行為は最終的に文書で行われる。
大臣の副署が必要。
それが輔弼じゃないか。
「天皇が口で何を言っても近代国家は動かんぞ」ということを言ってきたんだが・・・

>単独輔弼、同輩中の首席、軍部大臣現役武官制
これらは、そういう仕様なんだよ。
いろいろ議論はあると思うが「だから立憲君主制ではない」ってどういう結論付けよ?
逆に言うと、連帯責任で、首相に任免権があり、軍部大臣が文官なら立憲君主制だと言うわけ?
つか公式令って知ってる?

スルーされたのは以下の点
荒木・真崎の思惑に従うのが正しい立憲君主と言いたいわけ?
「非常時には天皇が直接、表に出て大権を行使し、同調する首脳部を一喝できる権限」って?
「天皇はいつでも副署を拒んだ大臣の首を斬れる」とは?
これらは唐突なクイズを出しているのではなく、君が>>236に書いたことだからな。

それと>>257の「怒鳴り散らしていたら、それは立派な命令」って、まさか話し方を問題にしているのか?
俺は「侍従武官長がどういうポストか」ってことを言ってるんだが。

さらに付け加えると
イギリス国王が発言したらも「ほーら命令だ」とやる?

297:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 01:49:32.76 dZQLKi220
>>293
ずっと同じことを言ってきたが・・・

天皇にも意思があり「発言」はする。
それによって現実政治が動くこともある。
>>224には「因果関係はある」と書いたし「影響力は相当強い」とも書いた。
ただし「大御心に沿うも沿わないも臣下次第」 (同じく>>224
つまり「考え直すなら、それは輔弼する側の責任」(>>289
「君主として公式な行為は凡て文書で行うものであり、それには副署が必要」(>>224
最終的には輔弼担当者がサインして責任を負う。

298:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 01:55:45.47 dZQLKi220
ループしないように付け加えておくが
国務なら各大臣、統帥は両総長、宮務は宮内大臣と内大臣>輔弼

299:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 04:11:43.13 RJ/55rKg0
戦争をやめるには、ヤマト世界政府を作り上げようとする強硬派を粛清し
絶対君主制にすること
でもそれは無理
なぜならはじめからお飾りだから

300:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 05:35:24.39 nUaUlxWC0
>>297は誰もが知ってる形式論しか話ができないわけだな、結局

社会を知らないヒキなんだろうな

301:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 15:38:11.16 WItqXE3f0
天皇は神主なんだから関係ない

302:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 19:48:35.96 nC9PrwjU0
>>297
つまりは法的に責任が問われないシステムになってるってことか?

303:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 22:36:56.65 qG96vv6p0
そう、皇室皇族は何をやってもやらなくても責任が発生しないシステム。
皇太子一家が公務をしなくても祭祀をしなくても静養疲れで静養しても、
法的には何の問題もないと責任を取られられ無いのもその延長線上にある。

304:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 22:40:22.87 HVGHQCtf0
ID変えて絶賛自演中?

305:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/17 01:07:17.87 1K+O02/c0
「天皇無問責」は、
天皇は国政にかかわるあらゆる権利、それこそ私的な意見を述べる権利、すら無い上で、
責任が発生しないのかと思ってたが、
言いたいことを言い、やりたい事をやり、影響力をフルに使っても「影響される政治家や官僚の責任」
と言うことなんだな。
法的責任所か道義的責任すら発生しない。
なんと言う特権。

306:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/17 07:35:31.63 Dgw3Raj70
>>304
おれは >>302   >>303は別人だよ

307:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/17 22:00:27.08 AnRlbJ2f0
>>305
とんだ勘違いをしてたんでつね
私的な意見を述べる権利は当然ある

308:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/17 23:37:41.89 yG9IrGTq0
権利に対しては責任が発生するわな、
公人の発言には責任が発生する、例え命令系統上に無くてもだ。

309:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/18 20:43:31.04 ZCwANlp70
私的な意見を述べられるが責任は無い。
責任が無いから私的な意見を述べられる。
プロ市民とあんまり変わらんな。

310:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/18 20:58:01.36 0iTBieQF0
でもプロ市民が勝手なこと言ってても基地外がなんか騒いでるわで皆スルーできるけど、天皇はそうはならないっしょ。

311:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/18 21:03:16.66 ZCwANlp70
でもスルー出来ないのはスルー出来なかった政府や役人の責任。
とほっかむりしてシレッとしてられるわけですよ。
プロ市民より性質悪いね。

312:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 17:46:37.95 YiSRwUXU0
自分の立場をわきまえず、責任が無いのを良い事に私的に意見を述べる権利を自制せず存分に使うとか、有害通り越して邪悪の域だな。

313:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 20:38:49.40 PjVGfhkjO
いやいや今空襲に向かったが…

314:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 15:27:41.46 MMJZl7ARP
>>296
降伏の「ご聖断」は文書化された形で示されたの?  それともご意見、ご感想の類だったの?

315:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 15:54:25.63 MMJZl7ARP
>「天皇無問責」は、
>言いたいことを言い、やりたい事をやり、影響力をフルに使っても「影響される政治家や官僚の責任」
>と言うことなんだな。
>法的責任所か道義的責任すら発生しない。
>なんと言う特権。
この中で、法的責任すら発生しないというが、それは解釈の問題にしかすぎないって前のほうに
書いてあった。つまりは明確な規定がないから解釈の問題になるってことだな? であれば、
その解釈が妥当かどうかはどのような形で保証されるのか? 教えて エロい人

316:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 16:41:17.77 56yQMR3J0
法的責任は発生しないよ。その為の補弼だから。
道義的責任は別。


317:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 18:35:26.84 MMJZl7ARP
輔弼の内容を定義した、当時の資料を見たい。どこで読める?

318:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 19:24:35.34 56yQMR3J0
>>317
美濃部達吉「天皇機関説」


319:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 19:27:28.44 56yQMR3J0
訂正

美濃部達吉「憲法講話」


320:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 19:51:05.19 MMJZl7ARP
>> ID:56yQMR3J0
サンクス


321:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 20:10:35.69 9wnz+tc00
つまり何をくっちゃべろうと自由。
法的責任は最初から発生しないし国民は洗脳済みだから道義的責任も取らされない。
恐ろしい話です。

322:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/21 18:58:18.37 faqwHC3Z0
昭和天皇に責任があるとか初めて聞いたな
単なる飾りでしょ当時も今もさ

323:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/21 21:18:12.17 Tai9HtoB0
>>322
明治憲法下の天皇と現行憲法下の天皇を同列にするなんて、アンタのおつむの程度が知れます。

324:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/21 21:29:21.96 4ceb3lA00
「昭和天皇に責任がある」と言うと長崎市長みたいに殺されるからな、
そりゃあんまり聞かなくてもしょうがない。

325:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/21 21:56:06.71 Yh49g4AYP
もう一度書くぞ    答えヨロ
  ↓
>>296
降伏の「ご聖断」は文書化された形で示されたの?  それともご意見、ご感想の類だったの?

326:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 00:49:23.27 YoZnk7/u0
>>325
「ご聖断」は発言だから意見の類。

降伏という国家の行為は文書。
内閣が詔書を作成。
天皇が署名・捺印。
全閣僚が副署。
公布。
相手がある話なので連合国にも打電。

ちなみに陸相が副署を拒んだり、辞表を提出したら降伏の手続は出来ない。

327:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 04:38:55.86 46RFwoZS0

2・26事件のチョウリャクを最後に、兄派の良子さん達が日本の権力を
握っている。
反米政権が日本の権力を握っている。

太平洋戦争は、捏造歴史にて日本への経済封鎖が原因。
太平洋戦争は、天皇家の戦争責任を問わないこと。
天皇家の命の保障と引き換えに、戦勝国の負うべき戦争犯罪を日本がかぶり。
捏造された歴史を日本が受け入れること。

くずれやすい捏造歴史を守りつづける為に、戦後日本の権力者は捏造歴史
肯定派で運営されることだよ。

昭和天皇は、嫁の良子さん達の操り人形だよ。

328:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 08:55:25.61 JdItCfB70
>>326
>「ご聖断」は発言だから意見の類。
政府の意見がまとまらず、天皇に結論を委ねたのだから「意見」というのは間違いだ。
天皇が求められ政治判断したというのが正しい。

本人の自覚は別として天皇は大権を行使して決定を下した。だから、一部でよく言われる
「憲法に定められた立憲君主の立場を超えたもの」というのは間違いで、
外形的憲法であった明治憲法の構造からすれば、天皇は立憲君主的に振る舞うことも、
また、逆に親政君主として振る舞うことも可能であった。

昭和天皇は「独白録」において君主の権限を逸脱した事例として2.26事件と聖断を挙げているが、
それは立憲君主的に振る舞おうとした彼の心情の問題であり、明治憲法自体は立憲君主制の要件を
満たしていない。仮に天皇が立憲君主制というものを正しく理解していれば、第二次上海事変の際に
派兵命令は出せなかったはずだ。


329:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 13:30:15.85 r2cydH3R0
責任が全くないというのは本当に腹が立つ

330:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 14:04:40.41 AKuX93bg0
福島第1原発の事故現場で日本側に助言を与えたロシアの核物理研究施設
「クルチャトフ研究所」のアスモロフ副所長は21日付のロシア紙イズベスチヤとのインタビューで、
意思決定に時間がかかりすぎる日本型の官僚主義が事故の処理を遅らせたと指摘、日本政府の対応に苦言を呈した。

旧ソ連で1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の現場で長年事故処理に当たってきた
副所長は、福島第1原発の一部の原子炉に外部電源を回復するのに事故発生から10日近くかかったことに
「ロシア人だったら地上に電線を引いて非常用発電機を設置するだけだっただろう」と指摘。

「5分で済むような問題を、日本人は委員会をつくって延々と議論する。責任者を見つけるのは
困難で、副大臣以下と話しても意味がない」と述べた。

URLリンク(sankei.jp.msn.com)

331:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 14:20:57.89 H9vv4Ts2P
>仮に天皇が立憲君主制というものを正しく理解していれば
この部分は、この前読んだ「歴史群像シリーズ 太平洋戦争」のなかに同様の記述があったよ。
昭和天皇でなく明治天皇の場合は、どうだったのだろうか? 正しく理解してたのかな?


332:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 15:34:38.26 1GjhGUoh0

太平洋戦争は、国体の護持と引き換えに戦勝国の負うべき戦争犯罪を日本が
かぶり。
捏造された歴史を日本が受け入れ、極東の絶対悪になる事で終っている。

その後、戦勝国は日本軍捕虜などに強要して、捏造歴史の写真・フイルム・
軍の行動記録・兵士の供述書などを作り。
それにて裁判、処刑。文句を言えば死人にくちなし。

クソの様な歴史資料をもとに過去を紐解いた所で、クソのような結果しか
出てこないよ。


333:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 20:57:52.98 YoZnk7/u0
>>328
>天皇が求められ政治判断したというのが正しい
まあ、そうかもしれんな。
ただし、天皇がいかに強い命令口調で「降伏」と発言したところで、それがそのまま国家の意思決定にならないのも事実。
「耐え難き耐え」の詔書に全閣僚が副署しなければ「ご聖断」など何の効力もない。
阿南が副署するまではヒヤヒヤもんだぜ。

だから
>天皇は大権を行使して決定を下した
というのは言いすぎで、体裁としては、あくまで大臣輔弼により大権を行使している。

>親政君主として振る舞うことも可能であった
これも言いすぎ。
御名御璽だけでは発効しないのだから。

そもそも立憲君主制には、かなり幅がある。
「ここからが立憲君主制」という明確なラインがあるわけでもない。
あまり多様すべき言葉ではないと思っている。

334:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 20:59:26.67 YoZnk7/u0
多様→多用

335:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 21:32:46.01 Gp0wNTE90
同じことばっかり言ってしつこい

336:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 22:11:36.41 H9vv4Ts2P
まぁ、あれだな。>>333の内容は、そういう言い分もあるという一例なんでは?
このあたりの学術的研究を行っている研究者で、同様の考え方をしてる人は誰?
また、そういう研究業界での位置付けは?

337:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 22:25:25.23 YoZnk7/u0
学説ってほど大袈裟な話か?
「大権施行は詔書で」って公式令の第一条に書いてある常識レベルだと思っているが・・・
>>333の前二段に何か間違いでもありますかね?

親政とか立憲君主制とかいうのは学術というよりもアジテーションの側面が強いと思っている。
俺は自分から「立憲君主制だ」とは書いてない。
「親政だ」という言い分に対して「それは言いすぎだ」と言ってるだけ。

338:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 07:41:47.55 lz1hNyIi0
>>333
>まあ、そうかもしれんな。
「そうかも」ではなく、史実として「そうだった」。天皇の判断を仰いだ結論が「聖断」だったのだから、
天皇の判断した結論が強い、弱い、命令口調、懇願口調だったかどうかという話ではない。

>それがそのまま国家の意思決定にならないのも事実。
史実としてそれが国家の最終判断とされたから「御聖断」と呼ばれている。
「ならない」という架空の出来事を言い立てても事実に変わりはない。

>阿南が副署するまではヒヤヒヤもんだぜ。
阿南は天皇の聖断で籠絡された。木戸と鈴木はぬかりなく外堀を埋めたということ。
彼らのシナリオ通りことが進んだ。

>というのは言いすぎで、体裁としては、あくまで大臣輔弼により大権を行使している。
本末転倒とはこのことだ。補弼とは天皇が大権を行使する為に「助ける助言する」という意味。

>これも言いすぎ。
現実に国体明徴宣言によって機関説が排斥され、親政こそ正しいと判断された。

>そもそも立憲君主制には、かなり幅がある。
立憲君主制とは憲法によって「王権も法に縛られる」という君主権限を法規範によって抑止する制度。
明治憲法では「天皇の支配は、憲法をはじめとする国法によって完全に規制され尽くしうるものではなかった」
「憲法をはじめとする国法によって完全に規制され尽くしうるものではなかった」(憲法学者高橋和之)とされ、
立憲君主制の要件を満たしていない。また、明治憲法では、天皇は天皇大権中心の統治体系であり、
万世一系の天皇による支配するという構造となっていた。

339:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 07:45:16.52 xk04iSSH0
ってかあの時代に君主が神を自認してた国なんて他にないだろ
所詮は国家神道カルトの国

340:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 08:10:37.01 lz1hNyIi0
>>337
>学説ってほど大袈裟な話か?
学説すら示せず「大げさ」と感じる君は何を根拠に語ってる?
天皇大権とは「憲法上、統治権を総覧する地位にあり(四条)、帝国議会の協賛の下に立法を行い(五条)、
国務大臣の輔弼を受けて行政権を行使するものとされた(五五条)。司法権もまた、天皇の名において
裁判所がこれを行うものとされた(五七条)」と憲法学者の高橋和之が教科書で書いている権限のこと。

明治憲法では上述の三権の他、軍事大権や祭祀大権も有しており「広大な憲法の領域外の部分」をも有していた
(憲法学者横田耕一)。行政権は天皇の専権とされ、憲法にも規定が無く元老、内大臣・重臣会議などの
憲法外制度と慣行によって国務大臣の任免が行われていた。

>「大権施行は詔書で」って公式令の第一条に書いてある常識レベルだと思っているが・・・
天皇は意に沿わない国務大臣候補の上奏に対して、苦言や無視などの意思表示によって度々反対して候補を変える
などしている。内奏という「憲法の領域外」の制度によって事前に摺り合わせを行うため、詔勅(勅書を含む)は
形式的なものであり、国務大臣が副署に署名する段階でそれを拒否する権限は国務大臣にはなかった。

>親政とか立憲君主制とかいうのは学術というよりもアジテーションの側面が強いと思っている。
君個人の感想などどうでもいい。親政も立憲制も法学上・歴史上の学術的な研究がなされており、
保積の学説から上杉と美濃部の学術論争という時期を経た後、国体明徴宣言による揺り戻しがあったというのが、
明治憲法の史実。そうした史実は、現代なら小関素明による研究があるし、林尚之なども論文を書いている。


341:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 09:52:57.88 lz1hNyIi0
>>339
それを学術的呼称として「神権天皇制」という。明治憲法上の天皇は「国体や歴史的存在」を前提としており、
憲法はそれを確認的に記述された。明治憲法上、天皇は最高決定権者(主権者)の地位にあり、神勅によって
基礎付けられた天皇に対して臣民(国民)は一切の口出しができない存在。臣民(国民)の権利というのも、
天皇が恩寵として授けるという形式を採っていた。

立憲君主制の場合、王権と市民(或いは議会)との対立軸から君主を立憲制により恣意的な行政運用や立法を許さない
ということが前提となるため、明治憲法の様な憲法は外形的立憲主義憲法(憲法学者杉原泰雄「人権の歴史」)と
言われている。これを分かりやすくいうのなら、「仏作って魂入れず」とでも言うべきもので、憲法という形式には
なっているが立憲主義を前提としていなかったということ。

明治憲法は法学でよく言われる憲法の役割、「統治の制限規範性」が不徹底だったため、美濃部のような学説運用で
立憲主義を高めようとする動きが現れ、大正デモクラシーの動向と共に通説となっていく。しかし、元々の憲法が
法の支配という前提に基づいていなかったため、機関説排斥運動などで揺さぶられ、保積~上杉らの主張していた
天皇主権説を上回る「天皇親政」とする主張が政府によって宣言される(国体明徴宣言)に至る。


342:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 13:39:13.94 oyMpPODCP
お すげ  いよいよ学術レベルの講和が読めるようになったか・・・  
2ちゃんで これは格段にありがたいこと。コピペして保存します。
ID:lz1hNyIi0氏に多謝。

343:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 14:59:53.60 lz1hNyIi0
国務大臣の補弼と副署について間違った認識があるようなので少し解説しておこう。

先にも触れたとおり「補弼」とは君主を臣下の大臣が「君主を助け助言する」ことを言う。
明治憲法の場合、天皇が主権者であり統治権を有しているが、君主無答責を前提としているため(第五十五条)、
行政行為上は天皇を助ける(輔弼する)国務大臣がその責任を負うという仕組みで成り立っていた。

当然、天皇の最終判断の責任は輔弼した国務大臣が負うこととなるため、責任の所在の明確化の必要性から
大臣の副署は不可欠だった。副署は国務大臣が行使できる権利ではなく、天皇に変わって責任を取る為の
義務であったから、現実に副署に署名しない行為というのは、責任を取ることを拒む行為と同義である。

明治憲法には国務大臣の任免権について条項はないが、これは天皇の統治大権から演繹させて、
立憲当初は元勲らの推薦によって行われやがて内大臣や重臣会議によって推薦が行われる様になった。
それは内奏を経て任命されるという慣行によって行われた。つまり、明治憲法では国務大臣は国会に対して
責任を負うのではなく、天皇に対して責任を負う存在であり、現在の議院内閣制ではなかった。

時折、補弼と副署について国務大臣の権利であるかの様な勘違いをした文書を見ることがあるが、
勘違いしてはならないのは、天皇の判断を助けるための義務であったという事実を踏まえる必要がある。

344:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 18:54:20.98 oyMpPODCP
>>343
分かりやすい解説、ありがとう。質問があるのですが、回答いただければ幸いです。

>現実に副署に署名しない行為というのは、責任を取ることを拒む行為と同義である。
この、署名を拒む事態が実際に発生したことはあったのでしょうか。 

>明治憲法には国務大臣の任免権について条項はない
条項自体が存在しないというのは、意外な感じなのですが、お手本とした外国の憲法にならった
結果だったのでしょうか。それとも、あえて設けなかったのか・・・  

345:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 19:58:34.18 lz1hNyIi0
>>344
>この、署名を拒む事態が実際に発生したことはあったのでしょうか。
私の知る限りそういう事態が起きたことは無かったと思う。

>条項自体が存在しないというのは、意外な感じなのですが、お手本とした外国の憲法にならった
>結果だったのでしょうか。それとも、あえて設けなかったのか・・・ 
周知のように明治憲法はプロイセンの欽定憲法に範を求めたもの。
プロイセン自体が欽定憲法として立憲主義による憲法を採用しておらず、君主が授けた憲法という
外形的憲法であった。その為、国務大臣は議会に対する責任を取る英国型の議院内閣制ではなく、
君主に対して責任を取る制度を用いていた。


346:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 20:21:21.06 A4j53zMe0
ID:lz1hNyIi0の話を踏まえ>>166を考えるに、
昭和天皇は言いたい放題好き放題勝手気ままに振舞ってその責任は家臣に丸投げしたクソ野郎、
って事で良いのだな?

347:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 20:24:43.67 lz1hNyIi0
>>344
失礼。
質問の意味は「国務大臣の任免権について条項」が手本としたプロイセン憲法にもあったのかどうかだね。
それに関してはプロイセン憲法第四十五条「国王は大臣を任免す」と定められていた。
明治憲法の場合は、第十条に文官・武官の任免についての条項はあるが、国務大臣について記した
第五十五条と第五十六条には天皇の任免権についての条項はない。しかし、第十条については
行政権は天皇大権の専権事項であるとして運用されていたため(憲法義解にもそう記されている)、
国務大臣も天皇大権の下にあると解されていた。


348:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 20:30:35.99 lz1hNyIi0
>>346
いや、そういう意味ではない。>>328でも述べたとおり、天皇は立憲君主的に振る舞うことも可能だったし、
事実その様に振る舞った事の方が多い。しかし、それは天皇個人の自制的行為に過ぎず、田中首相に退陣を
求めたり、直接兵の派遣を命令するなど天皇の意志によっては度々立憲君主的な振る舞いを逸脱している。


349:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 20:32:05.92 A4j53zMe0
>>348
立憲君主的な振る舞いを逸脱したのは2・26と聖断だけだと自己申告してますが、
やっぱり奴は嘘吐きだったんですね。

350:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 20:33:18.81 kntmxrrM0
日本政治外交史が専門の伊藤之雄京大教授が、昭和天皇に戦争責任について講演でこういうことを言っている。

「話の結論としては、昭和天皇は、後から見れば、特に明治天皇と比べると、多くのミスを犯した。
行動に流行って失敗し、威信をなくしコントロールを不能にしてきた。(中略)知的できまじめな人柄
だが、大日本帝国の、しかも昭和恐慌以降の難しい時代の君主になる資質としては十分ではなく、
いろいろなミスをした。
 しかし、それが戦争責任と言えるだろうか、A級戦犯の基準でいえば、例えば広田弘毅はA級戦犯になっているから、
その基準を機械的に当てはめると昭和天皇にも戦争責任があるということになる。
 しかし、戦争責任とはほんとうは何だろうか。やはり意図的に戦争に向けて引っ張っていく、あるいは、戦争責任
そのものではないが、講和時期を意図的に引き延ばし、多くの犠牲をお互いの国に与えたということだろう。
そう考えていくと、昭和天皇は、常に戦争にも、戦争の拡大にも否定的だった。君主として立派な行動をとったわけでは
ないが、戦争責任があるのかないのかという意味では、ない。やむを得なかった、という結論だ。」
 (「講演要旨 昭和天皇と戦争責任--明治天皇の受けた教育・リーダーシップ・資質との比較の観点から」『調研クオータリー』22号、2006年)

351:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 20:38:55.86 lz1hNyIi0
>>349
昭和天皇の「独白録」は近代史学者の豊下楢彦も書いているとおり、
戦中・戦前の天皇の戦争責任がなかったとする所謂自己宣伝本だから。


352:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 21:16:57.95 c785dj2j0
>>338
「かも」に過剰反応し過ぎ。
もともと>>325の彼が「ご聖断は文書か意見か?」と聞くから「意見」と答えたわけ。
「政治判断」だと言うなら「それでもいいよ」という意味の「そうかもしれんな」
それと俺は最初から強い、弱い、命令口調、懇願口調を問題にしてない人。

>史実としてそれが国家の最終判断とされたから「御聖断」と呼ばれている。
俺は国家として必要な「手続」を言ってるの。
阿南に辞職されたらアウトじゃん。
「証書」が仕上がらなければ「ご聖断」だけではどうにもならないのが事実だろ。

>阿南は天皇の聖断で籠絡された。
阿南の真意は謎。
ソースを重視するわりに、ここはルーズなんすね。
実際、ヒヤヒヤしない?

>本末転倒とはこのことだ。
目立つように「体裁としては」と書いたのに。

>現実に国体明徴宣言によって機関説が排斥され、親政こそ正しいと判断された
国体明徴声明を出されちゃ、もう何も言えんわw
だから俺は最初から親政とか立憲君主制とかいう話はしたくない。
実際、天皇機関説論争なんて学術じゃなくてアジテーションだと思わないか?

353:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 22:15:27.53 c785dj2j0
>>340
>学説すら示せず「大げさ」と感じる君は何を根拠に語ってる?
公式令の第一条を根拠に語っている

354:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 22:38:41.11 c785dj2j0
>>353は途中で投稿してしまったorz

「耐え難きを耐え」の詔書の話をしているのだから>>340みたいに話を広げられても困る。
確かに「無視」については思うところがあるが、今は関係ない。

詔書という重要な「手続」の根拠が公式令の第一条だと言っている。
もちろん、それ以前に憲法があるが、今更、憲法はどうでもいいだろ。

355:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 22:56:38.76 c785dj2j0
それとlz1hNyIi0氏は独白録マニアの彼とは別人みたいね。
同一人物だという前提で書いてる部分があったわ。
書き直せるものなら書き直したい箇所もある。

356:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/24 00:17:49.13 z60flgl00
>>350
つまり、昭和天皇個人の責任ではなく、
能力とか性格とかに一切なんの試験も篩いも無く勝手に高い地位に付く君主制そのものの問題、
ってことですね。

357:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/24 07:15:42.25 35ZynnNmP
ID:c785dj2j0
   ↑
どうでも良いチマチマした言い訳は、もういいよ。ひっこんでろ。 

358:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/25 07:42:38.66 FTUUHbZ+O

マスコミと国民と軍部があまりに乗り気だったからな!

( ̄∀ ̄)



359:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/25 07:53:59.55 UCdmx1Vq0
まあ、昭和天皇が対米戦回避したかったのは確かだと思うよ。
だって勝てるわけないし、天皇からしたらリスクはあってもメリットがない。

昭和天皇は伝統の中で生きてたんだから、思考そのものは保守的だっただろう。

もちろん法制度的には拒否権を発動できたが、政治状況的にできなかった。
したら内乱起こってただろうし。

「非常に難しい時期だった」と言うのは天皇の本音だろう。

360:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/25 09:28:39.63 4927pe0N0
>>352
>「かも」に過剰反応し過ぎ。
過剰反応ではなく間違いをしてきた。史実について語るのに、個人の感想や印象に置き換えることは出来ない。
君が間違えている国務大臣による副署についての関係は>>343で説明しているのでそちらを読む様に。

>「政治判断」だと言うなら「それでもいいよ」という意味の「そうかもしれんな」
それでもいいのではなく事実としてそうだったのだと言っている。君の印象や感想を求めているわけではない。

>それと俺は最初から強い、弱い、命令口調、懇願口調を問題にしてない人。
君は「天皇がいかに強い命令口調で「降伏」と発言したところで、それがそのまま国家の意思決定にならない」と
言っているから、天皇の聖断という意志決定が国家の意思決定に結びつかないかの様な発言をしている。
私が問題視しているのはそのことだ。要するに君は、天皇の聖断は国家の意思決定として機能していない、或いは
機能性として非常に弱いという印象操作を行っている。それが間違いだし問題だと言っている。

>俺は国家として必要な「手続」を言ってるの。
>阿南に辞職されたらアウトじゃん。
そうならないために木戸と鈴木が聖断を仰いだということは説明した。

>「証書」が仕上がらなければ「ご聖断」だけではどうにもならないのが事実だろ。
聖断があったから阿南はポツダム宣言受諾を受け容れた。

>ソースを重視するわりに、ここはルーズなんすね。
ソースは「木戸幸一日記」。御前会議のやり取りやそこに至る経緯が記されている。


361:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/25 09:45:52.27 4927pe0N0
>>352
>目立つように「体裁としては」と書いたのに。
真意を伝えたければレトリックではなくロジックを組み立てるべきだったな。
君の真意が必ず相手に伝わるという保障はない。

>国体明徴声明を出されちゃ、もう何も言えんわw
ならば言わなければいい。憲法や法学の学説というのは現実に運用されてこそ意味を持つ。
学問上正しいとしても現実がそれを押しつぶす事例はこれまでの歴史上幾らでもあった。
国体明徴宣言というのはそうした実例として記憶されている。

>だから俺は最初から親政とか立憲君主制とかいう話はしたくない。
立憲君主制について誤った認識を語り出したのは君の方だよ。私はその間違いを指摘した。
明治憲法が立憲君主制の要件を満たしてない理由は既に説明した。>>340>>341

>実際、天皇機関説論争なんて学術じゃなくてアジテーションだと思わないか?
上述したとおり、憲法や法学の学説というのは現実に運用されてこそ意味を持つ。
機関説排斥運動を経て政府が公式に天皇の親政を表明した以上、機関説は通説の座を追われ
以降の日本は終戦まで国家のあらゆる機関で天皇の親政を基礎付ける動きを見せた。
その理論武装として当時の文部省は「皇国史観」という呼称を生み出し、「国体の本義」という
ガイドを発表して臣民(国民)に対して徹底した皇民化政策を行った。これはアジテーションではなく
国家としての政策であり意思として機能した。


362:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/25 09:55:37.19 4927pe0N0
>>353
>公式令の第一条を根拠に語っている
その構造は>>343で説明している。問題は公式令による様式ではなく天皇大権の意味と構造にある。
公式令それ自体は、天皇の行為や意志決定をどの様な様式に基づいて行うかという形式に過ぎない。


363:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/25 18:40:52.52 uDnHlQK40
>>361
はて?天皇親政なんて政策として存在してないでしょ
してたら内閣制度がまず手をつけられなければならない。
内閣がある限り「親政」なんてあり得ないのだから。

皇国史観や国体と天皇「親政」を結びつけるのは非常に無理があるな
何より政治という物が、様々な勢力の綱引きの結果であると言うことを無視して
なにもかも天皇親政の下地だったというのは陰謀論にしか見えない。

364:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/25 19:56:28.44 V3935nm60
>>350
伊藤はかなり不正確なことを言ってるな。
>昭和天皇は、常に戦争にも、戦争の拡大にも否定的だった

まずこの部分が疑義があるね

365:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/25 20:14:55.97 V3935nm60
>>363
内閣制度が存在しないんだよ。帝国憲法上は。
内閣制度はあったけれども、総理大臣に任免権はなかった。


366:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/25 20:30:27.08 uDnHlQK40
>>365
>第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
>2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス

これを読めば親政がありえないのが一目瞭然なわけだが


367:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/26 23:21:31.27 /WLQoA3d0
ただ、内閣総理大臣に閣僚の任免権がなく、だから国務各大臣が輔弼の主体になってるでしょ?
内閣と言う行政体が憲法上は存在せず、天皇を介してしか結びつかないシステムになっている。
輔弼と副署の意義の関係は>>343がほぼ正確に記述しているからそちらを見るといい。
また、輔弼の拘束力の有無についても争いがある。

親政をどう定義するかにもよるが、国体明徴声明を出してしまった以上はそういわれても仕方ないでしょ。
現実の運用では少なくとも立憲君主制ではないのは明らか。

368:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/27 14:52:33.78 wxeF5k3AP
なるほど。自分的イメーシで語ると、君主と国民、内閣、議会なんぞの関係っていうと
イギリスのそれと帝国憲法時代の日本とを比較したくなり、またそういう引き合いの
出し方をみかけるけど、これは根本的に間違いって感じですね。

369:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/27 16:57:02.34 /OKVEjtM0
ここ極左多すぎだろ
昭和天皇に責任?何言ってんのお前は、昭和天皇に失礼だよ
工作活動お疲れ様だな

370:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/27 18:04:49.81 NuwL7vI+0
>>368
うん、間違ってるね。英国では議会制民主主義を採っており、内閣は国王ではなく議会に責任を負う
議院内閣制だが、明治憲法の場合は内閣が責任を負うのは天皇に対して。この違いは日本がプロイセン憲法を
下敷きにしたからに他ならない。明治憲法が制定されるまで、英国やベルギーの憲法体系を研究した結果、
君主の権限が強いプロイセン憲法を真似たというのは中学の歴史で学ぶレベルだと思うが。


371:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/27 18:19:33.27 NuwL7vI+0
>>363
既に>>367がフォローしてくれているので余り付け加えることもないんだが、
君はこちらのレスをきちんと読んだ上でレスを返してないのではないか?

現実に行われた「国体明徴に関する政府声明」によって、「天皇は統治権の主体」であり、
それを受けて編纂された「国体の本義」によっても天皇の親政こそ本義なのだとされた。
こうした動向は天皇の名によって行われる行為にある種のフリーハンドを与え、
軍部の行為は統帥権独立を根拠として政治統制の前提を失った。こうした結果を招いた原因として
明治憲法が立憲君主制の要件を満たしてない理由があることは既に説明した。>>340>>341


372:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/27 18:23:25.10 NuwL7vI+0
>>369
学問的な議論が出来ないのなら、ここは君が来るべき場所ではない。
君にお似合いの板に行ってウヨ・サヨを喚いてくればいい。


373:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/27 18:47:28.18 /OKVEjtM0
学問的?学問的とは恐れ入るな
日本にとってマイナスにしかならないことを学問的で済ませるの?
ハッキリ言ってもいい。昭和天皇に対する責任論は日本にとって何の利益があるの?って話。
どんな利潤を生むの?国民国家統合の象徴を晒すことに何のプラスがあるわけ?
本当に知りたいわその辺


374:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/27 19:15:13.28 wxeF5k3AP
>>373
はいはい 釣り乙

>中学の歴史で学ぶレベルだと思うが。
ああ おれ歴史嫌いだったから

>君主の権限が強い
これは早くに、また強力に国力強化を推進するため?

375:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/27 19:20:24.39 NuwL7vI+0
>>374
>これは早くに、また強力に国力強化を推進するため?
当時の元勲らの意図としてはそういう理由だったんだろうと思う。
一度ベルギーの憲法を下敷きにした立憲君主制の草案を没にしてから
プロイセン憲法を下敷きにする草案を採用しているから。


376:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/27 22:13:46.88 wxeF5k3AP
>>371
俗説として、明治時代にシステムがうまいこと動いていた?のは、天皇を取り巻く
元勲の人たちが優秀でバランス感覚にも優れ、天皇との関係でも、しゃっちょこばった
ものではなかったから。そして、時が経ち元勲たちが引退するころになると、
周辺の人たちの資質、天皇との関係がそれ以前と変わってしまったから。という見方が
あるようですが、この点については、どのように考えていらっしゃいますか?

377:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/28 07:29:48.16 GVy2GGM/0
>>376
それは所謂「司馬史観」のこと?
申し訳ないけど私は史観というものには興味がない。確かに小説を書くためには伊藤をリベラルな人物に
描いたり、乃木をアナクロなタイプに見立てたりする方が、物語として面白いのかも知れないが、
例えば統帥権干犯問題というのは、伊藤と山縣の対立から連なる根の深い問題が昭和に入ってから
溢れ出るようにして起きたことであるし(軍人勅諭と明治憲法の関係から読み解くと面白い)、
武官と文官との根強い対立構造や陸海軍の対立構造なども明治から続いた一種の伝統とすら言える。
史観というのはそういった構造的なシステム上の問題を削ぎ落として、ある特定の方向から光を当てる
という方法論であるため、どうしても史学として必要な多角的検証をしなくなる。

より分かりやすい事例が「つくる会」あたりが推進している史観(私は自慰史観と呼んでいる)だろう。
彼らは終戦までの日本の行為を全て「正しい」という立脚点にたち、史実を都合の良い部分のみで
構成しようとする。その為には都合が悪い史実は、削ぎ落とすか特定の解釈を加えて事実とは違ったものとして
ねじ曲げる。例えば米艦隊の世界周航を「白船事件」として日本に対する示威行為としているが、
実際には米艦隊にはその様な意図はなく単なる国際的なデモンストレーションだった。
と言うようなケースなどは顕著なものと言えよう。史観はこの様に史実に特定の考えを盛り込んで、
実際に起きた事実の印象操作をする。



378:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/28 16:03:17.34 sO17h64HP
>>377
司馬史観というのは、名称としては聞いたことはあるけど、その内容は全く知らないので
逆に、>>376みたいなのが司馬史観だと教えてもらいました。ありがとう。

379:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/28 21:15:20.26 PZYu36jE0
>>371
明治憲法上の「空白」を考える上で、元老という機構は外して考えられない。
それこそ>>340であなたがいってるように実質的な首相指名機関でありながら
憲法上の規定や掣肘があるわけではない。

天皇と元老どちらが実質的な統治の主体だったかといえば元老こそが主体で
あったわけで、明治憲法上の「空白」とは、国家運営に置いて法的根拠の
ない元老が天皇を通じて権力を行使するために作られたものと考えるべきなんじゃないかな?

それが大正になって元老(≒藩閥)は内閣に対する力を一部手放して政党内閣が一般的になり、
昭和になって軍に対する影響力も失った(昭和陸軍の派閥抗争は、当初打倒藩閥を旗印にしていた)
むしろ昭和の混乱は、かつて明治憲法上の「空白」を利用して政府・軍を統制していた元老・藩閥の
消滅し、「空白」の主が不在となって暴走をはじめたのが原因だろう

380:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/28 22:10:35.07 sO17h64HP
すげぇハイレベルのやりとり。勉強になるわ。

381:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/29 00:28:31.00 zBAg3dLa0
>>379
>元老という機構は外して考えられない。
その問題点については>>340で既に私が指摘している。
>行政権は天皇の専権とされ、憲法にも規定が無く元老、内大臣・重臣会議などの
>憲法外制度と慣行によって国務大臣の任免が行われていた。
元老や重臣会議は国務大臣の任免だけでなく、重要な国家方針の決定に深く関与しており、
元勲らが中心となっていた明治の時期には元老として天皇を補佐し、元老の多くが逝去した後は
西園寺ら一部の元老だけでは心許ないという理由もあり、重臣会議にシフトする様になった。

いずれの場合も憲法によって統制する立憲主義の条件は不充分であり、到底立憲君主制とは言えず、
憲法外の制度や慣行が国家統治の意志決定を行ってきたことに変わりはない。司馬史観では
君の言うように元勲らによって統制されていたという立脚点から、昭和の暴走があたかも彼らの不在によって
引き起こされていたかの様な印象を与えているが(司馬のエッセイ「この国のかたち」に詳しい)、
国体という抽象概念を最高規範として掲げ、憲法を法規範のひとつとして扱っていたことに起因する
問題として捉えた場合、既に元勲らによって恣意的に運用された経緯からして、昭和に起きた分裂は
ある意味で予定されていた破綻でもあったと言える。


382:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/29 01:23:08.19 eKdbSQmG0
>>381
むしろ西園寺自身が元老という制度を静かな死へもっていこうとしていたのだろう

西園寺は政党政治(これも憲法外の「慣行」にすぎない)によって首相指名機関
としての元老の役割を移行するのが望ましいと考えていたように見える。

ところが、昭和になって政党政治が崩壊し、再び政軍両面に影響力をもつ総理
が必要となった。だからこそ元老に代わる重臣会議が作られなければならなくなった。

不幸だったのは、かつてのような政軍両面に影響力をもつ政治家というのが、もはや
存在しなかった事。「伝統的」な軍人→政治家のルートを進んでいたのは宇垣一成
だっただろうが、陸軍中堅若手層にとっては宇垣こそが藩閥的支配の象徴であり、
彼らにしてみればこれを打倒することが、「軍の民主化」だったのだろう。

帝国憲法制定の段階では議会制自体が懐疑の対象であり、いつでも元老が
天皇をつかってオーバーライドできるようにつくっており、それは政府・軍どちらも
同様の機構となっていた。
本来であれば、それは議会制の成熟と共に改変していくべきものであったし、
実際そうなりつつあったが、藩閥が権力の源泉としてきた軍の後始末に失敗
したことがすべての崩壊に繋がった。
その意味では、大正時代の政治の民主化が早すぎであり、軍の民主化が
済んでからやるべきだったのかもしれない。


383:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/29 16:09:12.20 GK7IICnBP
いやぁ  現実の力学は、ずいぶんと複雑だったんですね。歴史は因果の連鎖であり
特定個所だけとりあげて、あれこれ評価するのは誤りとされるようだけど。
昭和の前、大正、明治時代の勉強が先のよう。
このあたり、zBAg3dLa0さん、eKdbSQmG0さん、お薦めの図書はありますか?
学術的な態度で記述されていて、かつ、当時の首脳部にあたる人たちに光を
あてた内容の一般向け解説本がいいな。そんなの、ないかな?

384:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/29 22:19:51.02 I8ZRyGWW0
天皇は宇垣を露骨に嫌ってるからね…
昭和天皇は基本的に自分を飛び越えて行動する軍人が嫌いなんだよ
宇垣みたいに政治的野心を持ってると判断されてもアウト、皇道派もアウト
親独派は自らチェックし最後は総理の候補も自分で決めるようになってしまった
東条みたいに欠かさず報告に来るのがお気に入りじゃどうしようもない

政党政治の進展と前後して軍の民主化の必要性も一応指摘されるようになってはいる。
海軍よりは陸軍のほうが民主化を意識したんじゃないだろうか

385:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/30 03:56:51.48 zFIyAnLR0
>>384
結局昭和天皇って、自分が差配するから、その指示に忠実に従うイエスマン大好き神様ってことじゃん
よく、こんなのを名君とか持ち上げるよなw

386:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/30 07:55:21.34 4YYxD0sm0
いや名君でしょ。歴代天皇の中ではトップクラスじゃないか?
戦時中に後醍醐天皇や大正天皇だったら終わってたな

387:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/30 10:37:49.50 Awse90yC0
>>382
私は>>381で「元老の多くが逝去した後」と書いたとおり、西園寺は数少ない元勲の生き残りであり、
早晩元勲によって統制できる時代ではなくなってきていることを彼は知っていたということ。
彼が政党政治を推進したかった理由としては充分すぎると言える。また元勲らの減少に伴って
代替制度として昭和初期段階から重臣会議が「国務大臣の任免だけでなく、重要な国家方針の決定」した
事実も指摘した。

まあ、それはともかく私は君のレスに対して違和感を感じているのだが、それは君がこちらのレスと
ずれた反応を示しているからだ。元老と重臣会議の関係は既に私が述べているが、君はことさら元老の話題を
持ち出してくる。私のレスは明治~昭和の制度を概観して発言しているが、君はその部分だけを取り上げて
全体像を俯瞰せず、概観しないでレスを返してくる。また、こちらはシステム論として語っているのに、
君は人為的問題にすり替えてくる。そもそもシステム構築が人為の恣意性をを抑止するのであり、
君が言うような人材に依存しなければ国家運営に支障をきたすのであれば、その根底的問題はやはり
システムに起因する問題であるということだ。私が違和感がありずれていると感じているのはその為だ。

>かつてのような政軍両面に影響力をもつ政治家
かつてもその様な政治家は存在しなかった。伊藤が文官を代表し山縣が武官を代表していたことは、
既に私の方で指摘している。君はそのことを完全にスルーしてこの様な発言をしているわけだ。
明治憲法が軍の独立性を規定したのは、こうした明治の体制に起因しいている。天皇を頂点として
政治と軍事を明瞭に分けたため、政治が軍を統制するシビリアン・コントロールが機能せず、
軍も天皇に責任を負う仕組みとなっていたから政治と対立し始めると歯止めが効かなくなってくる。
この仕組みで歯止めをする役割を果たせるのは天皇以外にない。

388:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/30 11:06:46.63 Awse90yC0
>>382
>帝国憲法制定の段階では議会制自体が懐疑の対象であり、いつでも元老が天皇をつかって
>オーバーライドできるようにつくっており、それは政府・軍どちらも同様の機構となっていた。
伊藤がまとめた「憲法義解」では帝政上の前提は元老が天皇を使うのではなく、天皇の決定の
重要な面を元老が「言挙げ」するという仕組みとなっていた。天皇があやまった決定を下さぬよう
元老の補弼は間違いの無いよう慎重を期するという意味だ。使うのは元老ではなく天皇の方。

>本来であれば、それは議会制の成熟と共に改変していくべきものであったし、
>実際そうなりつつあったが、藩閥が権力の源泉としてきた軍の後始末に失敗
>したことがすべての崩壊に繋がった。
元々、軍組織は設立当初から独立した組織として運営されていたため、天皇直属の皇軍であった。
軍の指導的立場の者が藩閥の中心として一定以上の発言権を持つ元勲であったため、山縣は天皇による
統制を考えて「軍人勅諭」を想起した。こうした経緯からいっても軍閥に手を出すのはおおよそ不可能。

>その意味では、大正時代の政治の民主化が早すぎであり、軍の民主化が
>済んでからやるべきだったのかもしれない。
大正時代に行われたのは(大正デモクラシーと呼ばれてはいるが)吉野作造がいうところの「民本主義」であり、
民主化とはいっても限界があった。また、大正期の民主化運動の隆盛は、その反面で既得権を持つ元勲や
保守傾向の強い勢力からは危険思想とみなされ、様々な駆け引きが行われていた。その理論的中心となったのが
東大の憲法学者であった上杉慎吉が主張した天皇主権説である。この主張は上杉・美濃部論争によって
学問的には葬り去られたが、民主化を敵視する勢力にとっては力強い論客となった。

また、明治憲法制定には大正デモクラシーに連なる在野の民主化運動が大きく影響しており、
民主化による人権に一定の理解を示しながら、それを天皇の恩寵であると規定することでガス抜きを図り
天皇の臣民として労働者運動や民主化運動を牽制する理由も見過ごせないことは付け加えておこう。


389:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/30 13:20:04.97 Awse90yC0
>>383
私はzBAg3dLa0だが、ここでの発言の裏付けとして用いている主な近代・現代史の文献は

歴史分野では
「概説日本史」吉川弘文館編
「国民の天皇-戦後日本の民主主義と天皇制」ケネス・ルオフ著
「シリーズ日本近現代史」加藤陽子・吉田裕・雨宮昭一他著
「占領秘録」住本利男著
「東京裁判」戸谷由麻著
「昭和天皇・マッカーサー会見」豊下楢彦著
「昭和史」半藤一利
「日本国憲法を生んだ密室の九日間」鈴木昭典著
「失敗の本質」戸部良一他著

政治・法学分野では
「明治国家の基本構造」大塚桂著
「憲法」芦部信喜著
「憲法概説」佐藤功
「憲法論」カール・シュミット著
「法哲学入門」長尾龍一著
「岩波講座憲法シリーズ」長谷部恭男・土井真一・井上達夫他著

この他に
「菊と刀」ルース・ベネティクト著
「天皇制の文化人類学」山口昌男著
「天皇と東大」立花隆著

他にも幾つかあるが主だった文献としてはこんなもの。

390:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/30 13:32:51.19 Awse90yC0
>>383は「学術的な態度で記述されていて、かつ、当時の首脳部にあたる人たちに光をあてた内容の一般向け」を
望んでいるということだから、概観的な観点で選ぶなら「シリーズ日本近現代史」は良いかも知れない。

私はこのシリーズで、黒船来襲にまつわる通説的な概念「幕府が弱腰で対応したため、日米通商条約は不平等な
片務的な条約となった」というのは史実としては正しくなく、実は様々な駆け引きを用いて幕閣が粘り強く交渉し、
一定の合意形成までこぎ着けた事実に光を当てているし、GHQによる占領期以降戦後体制が始まったというのは
実は間違いで、岸信介らとは一線を画する官僚や議員、在野の知識人らが終戦前から戦後の日本をどうするかを考え、
具体的な方針を取りまとめたり、憲法や政治を考えていたことを教えてくれた。


391:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/30 15:48:23.28 ML3zZBeyP
>>ID:Awse90yC0さん
タイトルを見ただけで背筋がピン伸びるような本達のようですが、チャレンジしてみようと思います。
ありがとう。 m(_ _)m

392:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/30 17:23:44.75 LBlYfnpM0

米国や中共軍&国民党軍&ソ連軍事顧問団のやった戦争犯罪を日本にかぶせ、
捏造された歴史にて、日本への経済封鎖をやれば。

戦争となるよ。

393:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/30 20:02:15.73 z7MGyXm10
>>387
>こちらはシステム論として語っているのに、
>君は人為的問題にすり替えてくる。そもそもシステム構築が人為の恣意性をを抑止するのであり、
>君が言うような人材に依存しなければ国家運営に支障をきたすのであれば、その根底的問題はやはり
>システムに起因する問題であるということだ。

これは簡単な話で、システムは人為によってつくられる。あなたの言う人為の恣意性とはシステム制作者
の意図に反するが故に恣意なのだと言うこと。
そして、システムの完全性は現実の政治力学によって製作段階、そして制定後にも絶えず揺さぶられ続ける。
こうした政治力学を無視してシステム自体の完全性を論じたところで、システム上可能だったかどうかは言えても
現実に実現可能だったかどうかを判定することはできない。
昭和の例で言うなら、システム上は天皇が強力なリーダーシップを持って親政し、政軍の分裂を修復することが
可能だったとしても、現実にはその役割は首相に求められ、そして失敗し続け破局を迎えた。

>天皇を頂点として政治と軍事を明瞭に分けたため、政治が軍を統制するシビリアン・コントロールが機能せず

軍の独立性は元々民権派の議会に対して設定された面も大きい。そして「軍人勅諭」は竹橋事件の発生
によって、軍を天皇(≒国家)の軍としてきちんと定義する必要が生じたから産まれた物だ。
そして、実は元々首相は軍に関与する職権を持っている。

 内閣職権6条 各省大臣ハ其主任ノ事務ニ付時?状況ヲ内閣總理大臣ニ報告スヘシ
          但事ノ軍機ニ係リ參謀本部長ヨリ直ニ上奏スルモノト雖モ陸軍大臣ハ
          其事件ヲ内閣總理大臣ニ報告スヘシ

軍が政治勢力化したのは大正時代に政党内閣となって、陸海軍大臣が入閣の際、
軍事力整備の交渉を、あたかも連立政権に参加するが如くやりはじめてからではないかと
個人的には思う。そしてこの問題は、八八艦隊計画・ワシントン条約・宇垣軍縮とその後
の軍の内部抗争に大きな影響を与えてる。

394:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/30 20:02:56.75 z7MGyXm10
>>388
>伊藤がまとめた「憲法義解」では帝政上の前提は元老が天皇を使うのではなく、天皇の決定の
>重要な面を元老が「言挙げ」するという仕組みとなっていた
「憲法義解」に直接の該当箇所が見つけられなかったので、「言挙げ」という言葉がどのような
文脈で使用されたかは不明だが、「言挙げ」とは本来、言葉で表現されない神意を言葉で定義し
表現する事を言う。つまり、天皇は語らず、元老が心意を慮り代わって発言すると言うことにな
ると考えれば、これは結局の所、天皇の権威を借りて元老が権限を行使すると言っているに等しい。

藩閥が、自身の権力を憲法上で正当に定義することができず、天皇という権威に伺候するという
形でしか存続できなかった(これが憲法制定時における”政治力学”)が故に、後の民権派との
党争には軍の勢力と天皇の権威を高めるという手段でしか対抗できなくなったということ。
政治の世界においては学説の争いは自己を正当化するための道具の一つでしかない。上杉・美濃部論争
もその一つでしょ。

明治憲法の最大のセキュリティホールは天皇・軍と言うよりも元老・藩閥であったのではないかな?


395:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/31 09:39:45.98 3NbcRDz40
>>398
>これは簡単な話で、システムは人為によってつくられる。
そういうことではなく、人為的な恣意性による運用の余地が多かったシステムであったことが問題だと言っている。
作られた制度がどう運用されるかであって、制度の策定が人為的行為であるのは当たり前のこと。

前レスで説明したとおり、明治憲法体制は行政府と軍を天皇直属の組織として規定し、立憲主義による
法の支配の外側に置いたため、君の言い方を借りるならば「政治力学」によって「揺さぶられ続け」た
脆弱なシステム設計であったということ。

>現実にはその役割は首相に求められ
当時の首相は現在の内閣のような組織ではないから、天皇の役割を首相が担うなどということは不可能。
君が言う「政治力学」によって「揺さぶられ続け」たのは、首相の権限に限界があったから。
それは取りも直さずシステム上の問題に他ならない。当時の首相は組閣するにも天皇、重臣会議、
陸海軍を説得しなければならず、リーダーシップなど持ちようがなかった。

>軍の独立性は
君は契機となった現象面にばかり囚われていて、どうしてそういった事象がトリガーとなったのかを
考えていない。また、その契機を経てどの様に用いられていたかの視点も不在となっている。
私が君に対して「歴史を概観し、俯瞰で現象を見ることが出来ない」と言っているのは、君が
狭いレンジでしか理解しようとしかしないからだ。「軍人勅諭」は軍組織の不安定な状況を打開するため
(その契機が「竹橋事件」や「四将上奏事件」など)、天皇が発する直喩という形式に仮託して
組織の安定化を図ったもの。このことによって軍は政治との関係から遮断され、後の明治憲法でも
統帥権の独立(天皇統帥大権)に大きく影響を与えた。

マハンやクラウゼヴィッツらの言説を見るまでもなく、戦争(軍事行為)は政治の延長であるから
両者の関係の遮断は決して好ましいとは言い難い。敢えてそれをしたということは、天皇を扇の要の様に考え、
天皇に一元する仕組みを想定していたからだ。当然の如く天皇にその役割が収斂される。

396:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/31 09:59:33.79 3NbcRDz40
>>393
>軍が政治勢力化したのは
元々、明治の軍は政治の役割と同等であることを志向してたため、政治的発言力を常に有していた。
軍人勅諭と明治憲法制定以降は政治の中心となっていた文官と対抗・対立するという形で
一定の政治勢力であり続けた。だから政治の場で軍組織が不利になる様な事態になると、
退役軍人組織(例えば菊池武夫など)在野の圧力団体組織を動員して世論形成を図るなど、
政治に対して主張をし続けていたし、軍の首領として山縣が君臨し続けた。

>>394
>「憲法義解」に直接の該当箇所が見つけられなかった
私が書いたのは概念的なものだから、「憲法義解」だけから探しても見つからないよ。
それは君が言う「元老が天皇をつかって」という間違いを指摘することが目的で、
神権天皇制であった明治憲法の構造を理解していないと意味を掴むのは難しいかも知れない。



397:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/31 10:03:39.88 TD9ZNLD00
>>386
名君と言うのが、国家の利益を最大化する政治家を指すのなら、
昭和天皇はその範疇に当てはまらない。
ただし国益を犠牲にしても自己利益を最大化する政治家を指すのなら、
昭和天皇は稀有な名君と言える。保阪正康は天皇を「マキャベリスト」と呼んでいる

398:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/31 19:39:42.18 MrDtZKRd0
>>395
より硬直的なシステムならば、それに外れた運用は起きないとあなたが言うなら、一つ例を挙げてみようか?

日本国憲法は明治憲法より遙かに硬直的な憲法だ。9条を読めば明確に軍隊の保持を禁じており、
憲法は自衛権を放棄していないという法理論も、前文に「諸国民の公正と信義に信頼して、われら
の安全と生存を保持」とあるように、日本国の自衛は「諸国民の公正と信義」によって守られるのであり
9条の「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
と併せて、自己で軍事力を保持して守るとしていないのは明白だ。
しかし、現実には自衛隊という「戦力」を保持しこれを敵国の侵略という「国際紛争を解決する手段」として
いる「憲法に反する」運用を60年近く行っているわけだ。
こうした行政府・立法府の「恣意的」運用を掣肘すべき権限を、憲法により与えられた裁判所は多くの場合
憲法判断を避け、甚だしい場合は高度な政治性を有する場合は司法判断を行うべきではないという統治
行為論(当然憲法にはそんなシステムは規定されていない)によってその権限を放棄している。
つまり、裁判所自身が高度な政治判断は法システムによる判断より上位に属することがあり得るとしている
ことになる。

つまり、いかにより硬直し、堅牢なシステムを作ろうと、政治によって恣意的な運用は起こりうる。
戦前という世界を理解するのに、憲法というシステムを論議するのは方法の一つではあっても、その背後に存在
する政治という現実を常に意識していないと、頓珍漢な解釈にたどりつくことになるだろう。

>時の首相は組閣するにも天皇、重臣会議、
>陸海軍を説得しなければならず、リーダーシップなど持ちようがなかった。

当の重臣会議が、総理大臣選定に当たって「~なら軍を押さえられる」などといった事を重要な要件にしていた
のを忘れて貰っては困る。即ち重臣会議自体が、総理大臣は軍を制御し、国家運営を行うべき存在と認識していた
事に他ならない。

399:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/31 19:39:58.31 MrDtZKRd0
>>395
>君は契機となった現象面にばかり囚われていて、どうしてそういった事象がトリガーとなったのかを
>考えていない。また、その契機を経てどの様に用いられていたかの視点も不在となっている。

こちらにしてみれば当時の事情と背景を無視して、後世起こった事象を、あたかも当初からそれが意図されて
いたとして、無理矢理陰謀論に落とし込んでいるように見える訳だが。
「軍人勅諭」が後世恣意的な活用をされたからといって、当初からそれが意図されていたとするのは戦後だいぶ
使い古された見方であるが、それを再考されるべきではないかとして出てきたのが「竹橋事件」に代表される
「軍人勅諭」成立に関する研究成果なのではないかな?

あなたの視点で欠けているのは、明治憲法が、藩閥勢力と民権派との闘争の中で産まれた物だと言うこと。
そして、憲法における天皇という存在が、実は藩閥の隠れ蓑なのだという視点に立てば、対立していたのは
武官文官なのではなく、天皇という権威に依って立つ内閣・軍と、民権という権威に依って立つ議会の対立
が想定して作られていることがわかる。
だからこそ憲法においては議会についての権限は細かく規定されており、軍と内閣についての記述はほとんど
ないのだ。
内閣については憲法に記述がないから脆弱なのだと言い、軍については憲法に記述がないからやりたい放題な
のだと言う。実はこれは全く同質の存在であり、憲法に「無い」ということは権限が無いあるいは無限にある
のどちらにもなり得る。そして、どちらになるかはその時の政治力学に依る。
私が言う元老のオーバーライド可能な構造とは、議会に対してもし必要な場合には内閣・最悪の場合は軍による
「白紙」を元老が使えることを指して言っている。
そして、議会に対してもそれに対抗する予算承認権という権力をちゃんと規定していることを付記しておく。

最後に「言挙げ」についてだが、元の言葉に対する理解が足りず、自分の思い込みで把握しようとするから
そういう頓珍漢な比喩表現に使う。神道的オカルティズムの雰囲気が欲しくて使用したのかもしれないが
是非引用元で使われた文脈を再度確認することをお奨めする。


400:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/01 08:18:35.44 vGMJd6ea0
このスレ観てると、昭和は遠くになりにけりというのが痛いほど分かるなぁ

401:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/02 03:44:21.18 x5Nzlh+8O
>>399
憲法成立までの明治政府の状況も考えると国内外での軍事行動に柔軟性を持たせたかったのと、政府中枢にいたのが薩長出身者でその半数近くが政治家であり軍人だったのが大きいよな。
国家の意思決定をする人々は20、30年来の同志でそこでできた強固な繋がりがなければ西南戦争までの内乱やこれから起こるだろう大国清との戦争を乗りきれない。

憲法では天皇によってこの同志達の立場を守りつつ議会との対決に対応できる何かを持たせる必要があった。
それが元老というシステムだったろうと思う。

402:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/02 19:28:34.79 ijZkuXzL0
何を言われたって信じてくれへんかっても構わへん


みんなに見て貰って気付いて欲しい、、


お願いします 広げてくれ、、。


MC SHO - 東北地方太平洋沖地震 A.K.A. 最後の希望

URLリンク(www.youtube.com)

403:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/02 23:40:41.70 JgzUp1s20
>>401
結局の所、自分たちが苦労して作り上げた維新政府が、議会政治という
まだ海の物とも山の物ともしれない物に、台無しにされるのを恐れたんじゃないかなって気がします。
苦労の末に議会政治は政党政治という形に結実したのですが、このシステムは確固たる信頼を
得られないまま簡単に崩壊してしまったのを見ると、こういう危惧は的外れでもなかったかなと。

大正の政党政治は、ある意味元老という名の保護者付きでようやく成り立っていたのではないかと
感じる次第です。


404:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 23:15:55.78 u4zLIhpd0
戦争したかったから、



405:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/14 07:18:15.04 jc6VDAjo0
A級戦犯=昭和天皇

406:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/18 15:08:24.51 96UV/R+c0
>>399
軍人勅諭が発せられた直接的契機は四将軍上奏事件だったはずですが?
勿論、竹橋事件とは無関係ではありませんが。


407:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 19:30:55.15 GEWojEc50
A級戦犯=ルーズベルト

408:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/22 21:55:50.08 8QSS2A3z0
東条英機じゃないと陸軍が押さえられないので、仕方なく首相にしたが、なし崩しに戦況は悪化していく
でも、温室育ちの昭和天皇では止めることもできず、ズルズルと行っただけ。

409:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 02:27:34.34 7D5aCaldO
俺達みたいに意志が弱いから始めたんだよ。

410:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 12:55:58.50 ywERajW00
昭和天皇「理性の君主」の孤独 古川隆久 著
URLリンク(www.chuko.co.jp)

411:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 23:47:23.84 ly9ejiIg0
外交交渉といっても、支那からの撤兵は絶対受け入れない
という前提つきだから、行き詰まるのは誰にもわかる。

412:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 07:37:45.16 4EaZdVnQO

今から思うと、アメリカ相手に戦争するて、日本て根性あったんやな。

凄い国だったんだ!感心します。



413:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 09:26:05.72 cqDrRThX0
根性で勝てるほど戦争は生易しいものじゃないよ。日本軍の兵士は数多くが餓死や風土病で死に、
飢餓から死んだ同僚の兵士の屍肉を喰らうという悲惨な状況にあった。凄い国というよりアホな国。
悲しいくらいに。


414:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 17:22:47.22 S6eVg3pW0
秦郁彦が言うように
ハルノートの中国撤兵に満州を含むか含まないかを問い合わせてるうちに米国が対独戦突入
→禁輸を解かないと蘭領カリマンタンに侵攻するとちらつかせる

これで引き延ばしてるうちにフリーハンドなんて握れたんだろうか?

415:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 02:04:57.12 2qk8/uDAO
>>414
無理だろうな。

ハルノートそのものが交渉のためのものじゃなかったからな。
日本にアメリカはまだ交渉するつもりがあるという体裁を示して開戦時期をアメリカに有利になるように引き延ばすためのものだから。

満州に関する交渉でアメリカと上手くやれるとするとやはりハリマン協定でアメリカ資本を受け入れてないと。
アメリカが日本との戦争を決意したのは中国市場を日本が独占しようとしたからだもの。

416:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 16:35:26.91 nhruug5O0
妄想スレになったのかw

417:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 21:52:30.94 jjuvDbAg0
9/11事件を起こした奴をも感心したれよ。

418:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 21:56:41.81 jjuvDbAg0
朝鮮も満州も手出しして失敗、とんでもない出超。
台湾に集中投資すべきだった。

419:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 22:26:39.38 nf/hXjMd0
ハルノートは交渉を引き伸ばす為のものではありません。
引き伸ばす為ならもっと譲歩を匂わす案にしていたでしょう。

420:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 04:02:58.13 lHUvMt6CO
満洲国なんてやらずに国民党を支援して市場開拓すればよかったのに
赤字の朝鮮も売却してさ

421:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 20:33:53.75 FZJRqSDb0
>>413
今でも変わらんな。
原発作業員は政府から兵糧攻めに遭っている。

422:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/28 08:51:45.78 WqaTK1d40
カラフトとカムチャッカ取ってしまうべきだった。
朝鮮も満州もいらん。
台湾は要る。


423:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 02:33:38.95 ipDbsouiO
キレまくったらどうなっただろう?

424:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 08:00:02.44 P+G6LUqq0
今日が祝日というのは、ドイツでいうとヒトラーの誕生日を祝日にしたようなもの

425:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 09:11:42.87 gkq0mBLI0
今日が祝日なのは日本が主権回復した日だからだよ。


426:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 09:13:16.12 i+Pn1RAI0
中国で言うと毛沢東の誕生日だな

427:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 13:57:01.67 pCFA9tBG0
>>425
サンフランシスコ講和条約の発効は4月28日だ、この馬鹿ネトウヨ

428:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 14:11:32.78 gkq0mBLI0
ヒント
時差


429:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 14:57:46.12 pCFA9tBG0
>>428
日本外交文書 サンフランシスコ平和条約 調印・発効(外務省外交史料館HP)
URLリンク(www.mofa.go.jp)
トルーマン米国大統領は1952年4月15日に批准書に署名しました。そして4月28日、米国の批
准書寄託が完了することによって発効条件が満たされ、同日、平和条約は日米安全保障条約
とともに発効しました。


ネトウヨが愛して止まない自民党

自民有志、「4月28日」主権回復記念日議連を設立 サンフランシスコ平和条約発効
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
 自民党有志の「4月28日を主権回復記念日にする議員連盟」(会長・野田毅元自治
相)が25日、発足した。サンフランシスコ平和条約が発効した4月28日を主権回復記念日
と定め、独立国としてのあるべき姿を国を挙げて考える機会とするのがねらい。

430:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/09 03:19:08.60 mAUXcIGLO

明治の軍人は薩摩長州派閥!勤皇

昭和の軍人は東北人ばかり!東條、山本、板垣、石原みな東北人。
根っこはアンチ勤皇。
幕末で負けたから、大平洋戦争でカッコイいところをみせようとして転けた。
日本を大事にする気持ちは皆無だった。



431:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/09 04:52:37.37 u7/TFl9j0
>>430
A級戦犯絞首刑の7人の出身地内訳

板垣征四郎→岩手県

木村兵太郎→東京
土肥原賢二→岡山県
東條英機→東京で出生(本籍岩手県)
武藤章→熊本県
松井石根→愛知県
広田弘毅→福岡県

432:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/10 08:29:20.41 gZ1L/7lO0
石原は日中戦争不拡大派で反東条
226で殺害された重臣斎藤実は岩手県士族、天皇の信任厚い鈴木貫太郎も非薩長系
一方で決起将校の磯部浅一、文民では外相・松岡洋右、開戦時の商工相・岸信介は山口県

鈴木貞、大島、嶋田、梅津、佐藤賢、南など軍出身者のA級戦犯を見ても、
奥羽越列藩の末裔は東条・板垣(南部)、畑俊六(会津)の3人くらい
ちなみに昭和天皇は畑、阿部(金沢)、東条あたりがお気に入りだったのは有名w

433:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/12 02:01:17.00 w9vKRWkl0
1941 nen 11 gt 26 nt no Hull noot no an wo nomu seizika wa ita no ka, inakatta no ka?

434:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/17 04:38:29.15 NlZKXK0o0
Tin no zaitei no daizin wa tin ga gyoosei kakubu no bun-bukan tosite ninmen site ita.
Kokoni bunkan ga seizi ni irikomu konkyo ga atta wake dearu. Sosite gunkoku-syugi
gunbu-dokusai he to nagarere itta.
Meizi kenpoo dewa bukan ga senkyo de nasi ni daizin ni nareta noga wazawai no moto.

435:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/17 08:47:45.50 J3KEQWSK0
そういえば昔ここで威勢よかった法学君って、

>勅語とは、原則として天皇が口頭により発する公務上の意思表示であり、詔勅の一種である。
>勅語を書面に写したものを勅語書という。勅語書に天皇の親署や国務大臣の副署はない。

のこと、何で無視してたの?

436:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/17 08:56:08.81 AIvZDsau0
威勢よかった法学君ってどのレスの人?


437:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/19 04:18:10.61 pw+ZTt470
日暮ってどうしても事後法とか成文法とか、日本の国内法の考え方が抜けないみたいだな
ぱらぱら読んだが、何となく英米法や国際法の素人っぽいが、大丈夫か?

戸田・吉田あたりは「戦争はとっくに違法化が始まってる」から論じてるんだが

438:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/20 23:28:40.87 WfnaqAgS0
日米交渉はB案で合意寸前だった。
で、ルーズベルトの中国担当補佐官ロークリン・カリーが
「やっべー、戦争回避されちまう!」と焦って、
ルーズベルトの個人顧問オーエン・ラティモアに連絡。
で、ラティモアが蒋介石をけしかけた。
蒋介石は「参戦しなかったら中国人はアメリカを許さんからな」という意味の電報を
急遽ルーズベルトに送った。わかってるだけで24、25日の2通。
カリーもラティモアもソ連シンパ。

そして11月26日、ハルノートを突きつける。
ハルノート作者のハリー・ホワイトはコテコテの共産スパイ。
両親はリトアニア系ユダヤ人。
彼はナチス打倒のため、どうしてもアメリカを参戦させたかった。
正直、日本はどうでも良かった。

日本も戦争はしたくなかった。ところが戦争回避したい近衛内閣のブレーンには
ご存知、尾崎秀実なんかが居て、ずるずる戦争に巻き込んでいった。
日本vsアメリカ、日本vs中国国民党
これで1番得をするのは共産党。

439:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 00:11:05.07 cvHzt9O80
・天皇は英米との戦争に猛反対していた
・日本陸軍の敵は一貫してソ連。中国との全面戦争は避けたかった
・日本海軍はアメリカと戦争しても勝てないのは百も承知

・アメリカは国民の8割以上が戦争反対
・大統領も戦争しない宣言

・ドイツはアメリカの挑発に耐えて、アメリカとの戦争突入を警戒

・蒋介石も日本との全面戦争は避けていた


440:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 06:00:48.27 4q4+71QY0
・11月26日に空母機動部隊が出港、南方でも船舶の移動が確認され、米側は日本の偽装交渉を警戒していた
・ハル・ノートは交渉の上での重要性は小さい。東郷茂徳が勝手に最後通牒だと言い張ってるだけ。
・天皇は、9月の御前会議以降、対英米戦やむなしとの決意を固め、だからこそ11月の国策決定に至った
・南進を推進した武藤章・鈴木貞一はともに陸軍だから一概には言えない
・山本五十六の発言に見られるように、海軍の対米認識も甘かった。真珠湾直後には海軍OBの重臣も浮かれている
・中国共産党黒幕論は学界では一笑に付される俗説。なぜならこの時期の共産党は微弱で陰謀を起こせる力はない
・ドイツは対ソ、対英戦争の実行中。米国は41年6月の開戦後からソ連に対独戦の援助を開始している
・40年9月、Selective Training and Service Act of 1940が成立。ルーズヴェルトは有事に備えて三選出馬決意
・40年大統領選は対仏戦の進行で対英積極援助論を提唱して指名されたウィルキーが共和党の指名獲得

441:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 10:50:46.11 GHfCrGvJ0
>>439
> ・天皇は英米との戦争に猛反対していた
猛反対というほど反対はしてない。ただ、昭和天皇は大局的に見て合理性を見いだせないと思っていただけ。
彼にとっては一層不利になってまで戦争をする意義を見いだせないということだ。

> ・日本陸軍の敵は一貫してソ連。中国との全面戦争は避けたかった
でも日中戦争の泥沼にはまった。中国を甘く見ていたからだ。

> ・日本海軍はアメリカと戦争しても勝てないのは百も承知
奇襲を掛けて早期講和する以外に方法がないと考えていた。


> ・アメリカは国民の8割以上が戦争反対
> ・大統領も戦争しない宣言
当時はモンロー主義が主流で孤立主義が国益と考えられていた。

> ・蒋介石も日本との全面戦争は避けていた
蒋介石は関東軍より遙かに狡猾で戦略的だった。一筋縄ではない。彼に語することが出来るほどの人物は
日本外交や軍にはいなかった。

442:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 15:45:35.19 4q4+71QY0
>>437
日暮吉延は裁判に関する事象の表面しかなぞってない気がする。
だからダイジェストとしては分かるが、深く理解するのには他の本が必要かな
それと決めつけ的な記述が結構多い。「東条の反論に日本国民は喝采を送った」→ソースは?
みたいな。

443:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 18:24:36.10 kKCjGsyh0


444:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 15:14:22.30 Baj8kbl00
>>443
日本国民が喝采を送った=世論の支持があったかどうか、どうやって判断するの?
日暮は最初から東京裁判は事後法で裁判枠組じたい違法と言う前提で論じてるんだよ

しかし国際法は国際慣習と法的確信があればよいので、事後法の概念は厳密に当てはまらない
コモンローでも同じ。罪刑法定主義を形式的に当てはめたら、ユーゴ国際戦犯法廷も成立しなくなる。
ドゥーリトル裁判も軍律を事後制定してるだろ。

445:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 13:37:31.68 ryeagOyZO

今の政権見たいなもんだったんだよ!
管内閣と鳩山・小沢陸軍の足の引っ張りあいに、野党の思惑が絡みあい、マスコミも開戦ムードを国民に流しまくる。



446:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 19:41:11.17 pybqVPBFP
明治憲法には天皇の大権が規定されていた。しかしこれを行使したことはなかったし、
現実に行使しようとしても不可能だった。だいたい昭和天皇の配偶者さえ政府が
決めたもので天皇はそれをだまって受け入れるしかなかった。

天皇の大権というのは政府の権力者がその権威を借りて政策を実行するのに
都合がよかっただけ、ただし天皇のメンツを保つため本筋に関係ない部分で
天皇の意見を取り入れたことはある。

447:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/09 21:05:48.72 FxtLujb50
>>446
君はまずこのスレの3月くらいの議論くらい読んでからレスしような、議論が振り出しに戻って迷惑だから

448:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/14 14:51:00.33 UWT2tOBj0
昭和天皇は20そこそこ
周りの意見次第でしょ

449:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/16 23:36:29.43 5glSso7g0
終戦後の日本に対してマッカーサーの演説
「国民が希望を持って努力をすれば、日本は必ず再建する」
アメリカさんいい人じゃん
自分から真珠湾に喧嘩売ってボロ負けして原爆ガー被爆国ガーって言っても何の説得力も感じなくなってきた

450:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/22 08:52:52.78 UJ1WCZb90
昭和天皇、25歳で即位だもんね。大本営には口出しできる立場
ではなかった。旧・日本軍にとっては、ただのマスコット。
しかし、講和の交渉は幾度もやってんだぞ。大本営はそれをガン
無視して、大空襲と原爆投下2度受けて戦争に負けた。それだけ。

451:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/22 22:58:03.06 JACj1ytOP
戦争はすべて軍部が行ったこと、昭和天皇は戦争正当化のため利用された。

452:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/26 19:11:12.90 5oEsURLt0
戦争は全て政府が決めたことでしょ?
天皇は別になにも利用されとりゃせんが

453:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/26 19:59:19.18 bkIzyiFh0
>452

軍の内部では「上官の命令は朕の命令と思え」ってさんざん言われてたし、
その軍が政府の決定に対して「陛下の意志に逆らうのか」って理屈で
それに反する行為を延々とやり続けていたんだから、その理屈は通るまい。

454:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/26 20:54:29.79 5oEsURLt0
>>453
軍隊内では命令系統を超越した命令は御法度
だから実際には、基地の門衛に、例え天皇陛下が入れろといっても、
上官の許可無がなければ通すなと教育されてた。

だいたい軍の殺し文句は「戦死した兵に申し訳が立たない」
天皇の意志を盾にとったことはない

455:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/26 21:03:07.05 bkIzyiFh0
兵の戦死は作戦立案者と部隊指揮官の無能のせいだろ。
なんだって軍の責任者が免罪されてるんだ?

456:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/26 21:52:20.91 5oEsURLt0
兵の戦死は戦争である以上当然発生する物
軍の屁理屈としては、その犠牲をはらって何も成果がなければ、無意味な犬死になるということ

結果を見れば、それ以前とは比べものにならない犠牲を出す事になるわけだが
当時としてはそれに反論するには未来の仮定を持ち出すしかないからね
逆に犬死論が内乱に繋がるのは、日比谷焼き討ち事件という実例が日露戦争で起きたから
具体性が出てきてしまった。
当時の国民は今ほど従順じゃないからね。戦争の判断には内乱の危惧がかなり影響してるよ。
まぁ「戦争で国が滅んでも、内戦で国は滅ばない」と叫んだ御仁もいたけどね

457:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/26 23:54:48.91 esSNRa9mP
満州事変以後の戦争はすべて軍部が天皇の意思にかかわらず行ったこと。
米英との開戦なども事前に軍部により決定され御前会議はそれを天皇の意思と
するためのセレモニーだった。

終戦の決定が聖断によってなされたというのも神話、軍部の一部にあった
戦争継続派を抑えるためそういう形式をとったに過ぎない。

458:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/27 03:40:04.30 bPKma1O8O

★日清日露・薩長派閥
勝つわな!
★大平洋戦争・東北人
負けるわな!


459:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/27 20:15:55.71 gN1Bqa3p0
軍部=官僚組織には変わりないが、あの頃の時代背景をしっかり勉強した方がいい
陸士海兵は庶民の憧れで、庶民から非常に人気があった
それに対して、旧制高校→帝国大学は金持ちが行く進路で庶民にはあまり人気がなかった
庶民は金持ちのボンボンが気に入らなかったんですよ
陸士海兵は庶民であっても学力さえあれば進学できた

陸士海兵出は帝大出に対して異常なほどの嫉妬を持っており、それが軍部の暴走に繋がったと考えられている

460:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/28 22:26:08.88 afsWFWHo0
学校で意図的に天皇が機関に過ぎなかった点は教えないからね。
明治憲法だけ教えて、さも天皇が独裁者であるかのように含ませる。
そもそも明治政府の成り立ち見れば、誰が権力者かは一目瞭然。
天皇は数多くいる権力者の一人にすぎず、中では少数派。
戦争阻止なんかできるわけもない。

461:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/29 07:11:34.79 Vonf/jd90
>>460 明治の元勲たちは天皇を「ぎょく」と呼んでたくらいだからね。

実権はなくても天皇を名前を使わないと終戦出来なかった。

462:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/01 04:07:05.15 vl86nciH0
>>285
遅スレすまん。
>木戸内大臣の証言
ここのところ詳しく。


463:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/01 06:45:14.11 tgvNejYVO
ハブられるから。

464:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/06 18:07:30.30 hNZJE3pGO

◇明治天皇は、何故徳川幕府を倒して、明治維新を成功させたのか!?

と同じ次元の板!



465:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/07 05:28:40.59 +BD6oLEU0
>>460
>学校で意図的に天皇が機関に過ぎなかった点は教えないからね。

機関説は戦前から禁止されタブーになったし。
思想や学問の自由を阻害する戦前社会は、二度と繰り返してはならない。

466:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/08 00:12:50.94 Ir+cbAL/0
>>465
タブーというか一部の連中が騒いだだけでしょ
戦後社会でも憲法問題、安全保障や核問題など、思想や学問の自由を阻害してきた連中が居るのだが
そういう意味では同次元で何も変わっていない


467:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/08 01:07:57.95 YbAQaSjh0
みんなこれ読め、
URLリンク(www.chuko.co.jp)

468:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/10 15:08:51.80 gTO/68bY0
もうすぐ出るこの本も出たらすぐ読むべし。
昭和天皇伝 伊藤之雄著
国民と共に歩まれた昭和天皇の実像

日本の命運を一身に背負った君主は、何を決断したのか。昭和天皇の苦悩と試行錯誤、
そして円熟の日々。決定版の伝記が、ここに出現した

若き君主として、日本の運命を一身に背負い、激動、戦争、敗戦、平和、繁栄の日本を、国民とともに歩まれた昭和天皇。
戦後のあの穏やかな笑顔になるまでには、長い歴史がありました。昭和史そのものともいえる、その88年の生涯を、
公生活と私生活双方を視野に入れ、喜怒哀楽といった心のひだにまで筆を費やして描いたのが本書です。名著との評価が高い
『明治天皇紀』にも匹敵する面白さ、正確さを兼ね備えた、決定版伝記の誕生です。
URLリンク(www.bunshun.co.jp)

469:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/12 08:35:48.71 VifV0356O
天皇が愚かなのは
統制派の社会主義者どもに工作されて
自らを本気で護ってくれる皇道派将校を抹殺してしまったことにある
海軍は陸軍への対抗意識から
「我らこそ、真の帝の親衛」と言って東京湾に展開していたんだから
天皇が皇道派決起を肯定して統制派と構えることになれば
直ちに陸軍参謀本部には長門主砲弾が撃ち込まれ陸戦隊が上陸
宮城の陛下や決起将校と合流し
統制派を制して新しい時代を築くことができたであろう
つうか海軍は陸戦隊を上陸させて戒厳軍と決起軍の間に割って入り
双方に対し戦闘を辞さないというぐらいの態度をとるべきだっただろう


470:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/13 00:21:19.42 OL4Xt32h0
確かに昭和天皇が皇道派を嫌っていたのは悲劇の一因だったと思う
基本的に皇道派は中国やアメリカとの戦争にも反対だったし
そして精神主義ばかりが取り沙汰されるがその実優秀な軍人がかなりいた

一部の人たちからやたらと評判の悪い真崎だが彼は対米戦には最初から反対の立場で
その理由も日本の国力では補給が続かないからという至極まっとうな理由から
少なくとも東條なんかよりははるかに優秀な軍人だったと思う
また荒木真崎に続く皇道派の重鎮だった小畑は米軍は通商破壊戦で日本を窮地に追いつめると予見した
さらに彼は某筋から入手した大本営による船舶喪失予想量を見て認識が甘すぎると看破
しかしその意見は無視され物資はもとより多数の兵員が海の藻屑となり日本は破滅することになる

471:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/13 10:02:27.00 myGeO+FY0
>>470 昭和天皇自体が立憲君主で法治主義だから天皇御新政を迫られても
いやがると思う。いずれ戦争が避けられなかったとしたら皇道派政権下の敗戦では
当事者としてフセインみたいに死刑になっているぞ。

472:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/14 01:28:09.73 YafblEr9O
皇道派政権ならそもそも戦争自体起こらないでしょ
あってもソ連との戦争ぐらいかな?
間違ってもアメリカ相手の無謀な戦争が起こる可能性はないと思う

473:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/14 07:20:16.76 w+KOeSfe0
皇道派政権なら、統制派による五一五事件ないし二二六事件が起きたんじゃないか?

474:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/15 01:08:58.15 pSiflBHk0
まあ確かに永田(統制派のボス)が計画したクーデター未遂事件(三月事件)とかあったから可能性はゼロじゃないと思う
蛇足だが三月事件を潰したのがのちに皇道派の重鎮となる真崎と山岡

475:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/15 10:28:12.14 LUeYhM7t0
知らないが皇道派って語感としてはカルト集団じゃなかったのか?

476:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/15 16:28:49.26 BEs6+Msg0
何に対するカルト?少なくとも荒木や真崎はそこまで狂信的ではないのでは。

477:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/15 18:51:09.14 bcxUAwrs0
統制派も皇道派も単なる派閥の名称と考えたほうがいいと思う。
東條や武藤が軍の統制を遵守してたとは絶対言えないし。
皇道派と言われる軍人もWW2の将官クラスは単に反統制派人脈に繋がるだけだったり。

478:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/15 19:37:13.52 CRds4AP20

天皇など皇室は当時、戦争やむなしだよ。
兄派の良子さんが、権力を握っていたがね。

太平洋戦争の原因は、日本軍が南京大虐殺意をやったなど、捏造歴史にて
日本への経済封鎖が原因だよ。
日本が米国のライバル、ソ連とドイツの戦争工作に反対したから、ハシゴを
はずされたと言う事。

日本軍による南京大虐殺については、1994年から1996年にかけて。
ロシアが中心となって戦勝国は公式文書で、東京軍事裁判の結審結果とその
歴史史観を全面的に否定。

日本国は、塩梅悪いと言う事で外交機密文書として揉み消している。

公式文書の公開によって、捏造歴史を守ることを条件に、皇位継承権のない
ことも確認されて、現在の地位についた今上天皇や常陸宮とバレるからだ。

その方々に、捏造歴史を守りつづける事を条件にコテコテの日本人にして
もらい。
朝鮮系戸籍原本捏造組の国会議員やメデアで活躍している人びとバレるからだ。

その方々は、日本人づらして、皇室をないがしろにして軍部の暴走と言って
いる。
現人神に逆らう軍人なんて、みたことない。




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