孝明天皇が長生きしてたら… 2at HISTORY2
孝明天皇が長生きしてたら… 2 - 暇つぶし2ch2:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/29 21:17:29 43P5oZGR0
外国人嫌い、鎖国しろ
こんな天皇では国が滅ぶだけw

3:名無しさん@お腹いっぱい。
10/09/29 23:38:01 fmvP4Su/O
ネタキャラとしては偉大な天皇

4:34
10/10/01 11:54:56 jYr/U+aH0
この天皇は、政治欲とか全然無い人だったんだよね
なのに、討幕を狙ってる勢力が、天皇を操り人形にしようとして巻き込んだんだ
「討幕の気運が日本全土で起こってた」っていうんなら、何も天皇の権威をカサに着る必要ないのに

5:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/01 13:42:03 lgWWh1M2O
最初に政治利用して壮絶に自爆したのは幕府だけどなw
ケーキちゃんも神戸開港問題で凄く苦労してたw

6:34
10/10/01 15:42:50 jYr/U+aH0
>>5
捏造するな
天皇を政治利用したのは、長州じゃん
幕府が慌てて外国と通商条約を結んだ事を突ついて、幕府を追い落とすために天皇を利用したくせに

ホントに薩長信者って、どこにでも出てきて自分達に都合よく情報操作するのな

7:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/01 16:36:00 hl1Pu9GW0
当時、
A黒船来航→老中阿部による朝廷・諸侯・一般大衆への対処意見伺い→阿部急死・井伊直弼大老就任
→井伊直弼独断で条約を決定、以後意見採取はしないと宣言→井伊暗殺

B将軍継嗣問題→南紀派と一橋派の対立→阿部急死・井伊直弼大老就任
→南紀派勝利、一橋派は条約問題を持ち出し井伊を詰問するも却って粛清される→井伊暗殺

という政局の2つのテーマがあって、井伊直弼が朝廷の意見を聞かなかったことが暗殺に足る悪事とされたので、
以後の幕府は重要な決定の際は必ず朝廷の許可を得、許可があるから正しいと主張するようになった。


要するに天皇の政治利用は、将軍継嗣問題における当時の一橋慶喜を筆頭とした一橋派が起こし、
井伊直弼暗殺以降は、幕府の必要且つ常套の手段として幕末を特徴付けた事象なんだ。

幕府があまりにも「天皇の意向を聞かないと条約は結べません」と触れ回ったため、
天皇を動かせば政局が左右できることになってしまった。その為尊王攘夷運動で天皇に近づく人間が増加していった。


天皇の政治利用は幕府内から始まっているんだよ。

8:34
10/10/01 17:54:06 jYr/U+aH0
>>7
>井伊直弼が朝廷の意見を聞かなかったことが暗殺に足る悪事とされた

まず最初に反幕府派が、朝廷・天皇の権威をカサに着てこういう主張を始めたのがきっかけで、朝廷・天皇が政争に巻き込まれたって事じゃん

9:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/01 18:03:38 hl1Pu9GW0
この時期は幕府内の権力争いで、一橋慶喜らが天皇の権威を持ち出したんですよ。
それが井伊暗殺によって通ったので、以後は天皇の許可なしに物事が進まなくなった。

幕府内部、それも後の徳川慶喜から始まったことです。

10:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/01 18:15:54 jYr/U+aH0
>>9
>この時期は幕府内の権力争いで、一橋慶喜らが天皇の権威を持ち出したんですよ。

この時、慶喜をかついだのは徳川斉昭(長州とかの尊攘主義者達のカリスマ)とかの反幕府勢力じゃん


11:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/01 18:27:04 hl1Pu9GW0
>徳川斉昭(長州とかの尊攘主義者達のカリスマ)とかの反幕府勢力
文章に根拠がありません。あなたは歴史を知っているのか、疑問です。

繰り返しますが、この時期は幕府内の権力争いであり、
一橋も水戸も幕府内で権力争いをしていました。

ちなみに、長州藩が攘夷に転じたのは安政の大獄の一番最後、吉田松陰刑死以降のことで、
松下村塾塾生の反幕府意識から発生しました。将軍継嗣問題には全く関係しません。

12:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/01 19:13:43 lgWWh1M2O
>>6
捏造www

開国するとき、諸大名抑える為に必要もない勅許貰いに行ったのは老中堀田じゃんw
そして勝手に大失敗したのが幕府。
その頃の長州なんざ空気もいいとこ。航海遠略策すら出てない。
んで薩摩は開国派の島津斉彬。

何が捏造なんですか?w

>>10
徳川斉昭が反幕てw

13:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/02 07:20:43 gBGEe+dC0
>>4
>この天皇は、政治欲とか全然無い人だったんだよね

 めちゃめちゃ有ったよ政治欲。
黒船が来た頃は、篤姫を徳川に送り工作する程の薩摩藩は幕府権力回復派。
長州藩は長井の航海遠略策を反論とし、開国貿易開始賛成派。
孝明天皇が「鎖国継続」を唱えて、徳川御三家の水戸藩と組み、幕府の開国に反対し出したんだぜ。
政治欲無いわけないじゃん。


14:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/02 22:03:23 n5ZIi2Rl0
>>12

>開国するとき、諸大名抑える為に必要もない勅許貰いに行ったのは老中堀田じゃんw
堀田が勅許を貰いに行く前年、ペリーが初来航してきた時に、老中の阿部正弘が国の方針について諸大名や幕臣から広く意見を
意見を聞いてたんだから、幕府に諸大名を抑えつける気は無かったって事じゃん
堀田が、天皇に勅許を求めたのは、天皇への礼儀

>徳川斉昭が反幕てw
司馬遼太郎の『最後の将軍』(文春文庫・新装版)
p.24「「代々、ご謀反のお家筋である」と、徳川旗本はばく然と水戸をそうみている。」

>>13
>孝明天皇が「鎖国継続」を唱えて、徳川御三家の水戸藩と組み、幕府の開国に反対し出したんだぜ。
>政治欲無いわけないじゃん。
孝明天皇が「鎖国継続」とか主張してたのは、外国勢力に対する純粋な恐怖心から出た発言で、政治欲とは違うじゃん


15:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/02 22:10:26 vqTKfUH60
>>11には反論できないんだね、ID:jYr/U+aH0=ID:n5ZIi2Rl0は

16:14
10/10/02 23:02:25 n5ZIi2Rl0
>>15

>>11
10→ >徳川斉昭(長州とかの尊攘主義者達のカリスマ)とかの反幕府勢力
11→ >文章に根拠がありません。あなたは歴史を知っているのか、疑問です。

司馬遼太郎の『最後の将軍』(文春文庫・新装版)
p.8「(慶喜の)父は、烈候斉昭である。
  「水戸のご隠居」
  と、その後半生のころは天下の志士たちから敬慕された。志士たちは、「水戸のご隠居さえ世に立てば夷狄のわざわいは去り、
  日本は救われる」と信じ、ほとんど神格化した。
   むろん、時勢の異常さがうんだ幻覚のひとつである。」

 ”天下の志士たち”には、当然長州の志士達も含まれるだろう



17:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/03 01:17:07 XnWZx2Bp0
また小説を真実視するか、この嘘つき

18:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/03 09:18:13 oZCkG5uP0
>>14
>孝明天皇が「鎖国継続」とか主張してたのは、外国勢力に対する純粋な恐怖心から出た発言で、政治欲とは違うじゃん

思っているだけなら君の言う通りだが、それを幕府に実行要求した時点で政治的要求。つまり政治欲じゃん。
政治欲と権力欲は違うので混同しないようになw。

19:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/03 16:17:10 kmEggSM40
>>14
>堀田が、天皇に勅許を求めたのは、天皇への礼儀

日米和親条約の時は勝手に締結して事後承諾だったのに、突然『政治的な決断を天皇家に負わせるのは礼儀』ってw
孝明帝のお墨付き貰いに行って失敗しただけじゃん。

あと司馬の小説を根拠にするなよwww
徳川斉昭本人が、反幕的な行動をとったことが一度でもあったか?

20:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/14 22:13:43 XkX3kRu60
ほしゅ

21:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 16:10:01 vX5gfLEV0
ID:jYr/U+aH0=ID:n5ZIi2Rl0

ちょwww 

小説が版元、ページ数付で史料としてマジ引用されてるのはさすがにはじめてみた
書籍板や大河ドラマ板なら猛烈な勢いで釣り堀状態になるところ、
史板の過疎スレだと薄笑いしか返ってこないのか…w

22:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 22:00:30 t1kt35JK0
>>19
煽りとか抜きにして真面目な話しをすると……

松平春嶽が『逸事史補』で「徳川斉昭は幕府を乗っ取るつもりで、14代将軍継嗣問題で慶喜を応援していた。俺は騙されたんだ」と言っているw。
継嗣問題当時は、斉昭に勧められずとも自ら進んで一橋派の盟主となっていたはずだがw。
ちなみに、斉昭が幕府を乗っ取るうんぬんは、斉昭が「大奥なんかイラネ!潰せ」発言で、大奥の女たちが対抗しバラまいた噂話です。

23:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 22:22:14 S/cJ2VQe0
将軍継嗣問題は、幕府内の権力争いですな。
なぜ、司馬遼太郎引用者が、一橋派を「反幕府勢力」だと言い張ったのかが、未だに良く分からない。
構成員といえば一橋慶喜・徳川慶勝・松平春嶽・島津斉彬・山内容堂・伊達宗城

一橋慶喜は後の徳川慶喜、
徳川慶勝は朝廷に招聘されたが固辞し、代わりに行ったのが松平容保と松平定敬
松平春嶽はそのまま京都で活動
島津斉彬は急死して島津久光が活動
山内容堂はそのまま京都で活動
伊達宗城はそのまま京都で活動

幕末に京都で活動していた諸侯は、幕府に近いものも反対派もどれも将軍継嗣問題における一橋派ばかり。
しかもこの大部分が、年が経つに連れて反徳川慶喜で結束してゆく。

24:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/22 23:15:11 KJ1eLsMRO
幕末維新史の政策論キーワードといえば
尊王、攘夷、積極開国、公武合体、富国強兵
大陸進出、公議世論、人材登用、議会政治
みんな一橋派の改革案かその敷衍ばっか。

一橋派は幕末のオールスターズ


25:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 00:14:01 GrICqxHU0
幕末のスターは藩士や下士、脱藩浪士
一橋派はスターの露払い大名ズ

26:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 00:30:04 Ubh9M6Di0
一橋派は明確な「幕政改革派」なので反幕ではないですねw。
幕政が改革される=幕権強化な訳だし

井伊直弼をやった水戸の尊攘派浪士の犯行声明にも「幕府に逆らう気は無い」と明記され、
むしろ幕府に道を誤らせた井伊に罪があるとしています。

27:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 11:14:45 6tvnixh2O
毒殺は俗説だけどいい具合に死んでくれたね

28:名無しさん@お腹いっぱい。
10/10/23 11:55:34 90KggIOs0
結果的には、幕府・反幕どちらにも丁度良いときに死んじゃったな。

>>23
春嶽と容堂はよく頑張ったと思う。鳥羽伏見さえ無ければ……

29:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/19 14:12:38 SelY/wU20
伊藤博文が自ら餡殺
した。明治天皇も皇室と関係ない
別人をしたてた。一流のフリーメイソン
さすがですね。


30:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/20 20:01:08 gZQNzmHb0
会津の小説引用者は、嘘をついたことを恥じずに、暫く経つと戻ってくる

31:nl
11/01/07 20:13:26 OjYshSBA0
>>27>>29
zokusetu dewa nai. tennoo wo nansatu sita nodewa naku dokusatu sita zinbutu wa tare datta ka tukitomeru koto.

32:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/07 20:26:16 P8Jixymb0
研究者の意見では、まず天然痘による自然死しか考えられないが、
もし毒殺の場合は、当時周辺にいた松平容保が兵庫開港問題で攘夷論から転換するために犯行を命令した、とのこと。

小説フリークが大好きな新政府説は、当時彼らは天皇周辺に近づけないので無理、とのこと。
暗殺説大好きの会津さん、あなたが応援しているお殿様が犯人ですって。

33:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/08 09:01:17 1DeqkWLz0
キチンとした学術論文があるからね。
毒殺なんて考えられないよ。まずその論文読む事だね。
大きな書店に行けば売られているし。


34:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/08 15:00:35 sIibKZI10
kane mo hima mo nai kara sure siteru noda, kimi kantan ni kakikome yo.>>33

35:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/08 15:05:01 sIibKZI10
meizi umare no hito wa dokusatu setu da.

36:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/09 17:12:45 pOPkpYKP0
孝明ちゃんの遺骨を調査できたらいいのに


37:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/12 14:53:10 Z6JM7GmQP
>>33
日本文化は四千年
中華人民共和国は40年
文化・文明は必ずしも所を移さず存続・発展し続けるものとは限らないんだよ
年表の暗記ばっかり得意でも歴史の本質は全然わかってないみたいだね

38:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/14 11:00:28 7NTvl/rZ0
ちょっと何を言いたいのか分からない

39:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/14 19:27:23 dgnX8hYs0
>>1
Rekisi niwa IF wa nai ahoo.

40:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/14 23:34:18 ykry0k820
(  ̄液 ̄

41:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/23 22:29:30 gI0NR2/Y0
>>1
慶喜ちゃんが困った

42:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/21 06:45:47.02 mIkHNdJV0
ネタキャラとしても偉大

43:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/21 06:45:51.69 mIkHNdJV0
ネタキャラとしても偉大

44:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 19:57:57.15 3w0u/AB30
ほすほす

45:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/18 00:05:45.64 kQfjb1fD0
孝明天皇は、売国公家の岩倉具視と三条実美を側近に置いたことが一生の不覚だったろうな。
結局、毒を盛られて死んじゃったよ。

岩倉ってやつは本当にずるがしこい奴だ。

46:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/18 03:53:10.59 845MCjSiO
俺も何となく岩倉嫌い
毒殺はしてないらしいけど、毒殺でもいいやって思ってしまう

47: 株価【E】 u
11/04/23 22:38:33.32 gEkJtybI0
岩倉は孝明天皇を毒殺しただけじゃないんだぜ。

戊辰戦争時に、仙台藩と米沢藩が上洛して会いに来た時に、奥羽支持の嘘をついたことがある。
とんでもねえ野郎だ。

48:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 00:30:21.70 BCvi5bMj0
暗殺説に根拠がありませんし、
反乱を起こせと命令したわけでもないのに責任を押し付けられる岩倉は、そんなに重要人物でしたっけ?

49: 株価【E】 u
11/04/24 12:00:06.98 glWn/uMI0
孝明天皇、急死の謎
URLリンク(shisly.cocolog-nifty.com)

幕末維新史を専門とする国立大学系の学者の方には、孝明天皇毒殺説はとるにたらぬ俗説であるとされる人が多い。佐々木克は「岩倉具視」(吉川弘文館)において、
「古くからの俗説に、孝明天皇の死因は毒殺で、それを計画したのが岩倉だという説がある。岩倉犯人説は、岩倉が王政復古を構想し、
その実現のためには幕府との協力体制を維持しようとする孝明天皇が邪魔であったからという、あまりにも単純・短絡的な考えに基づいた理由付けによるものである。
岩倉にとって孝明天皇は欠くことのできない存在であったことは、いま述べた通りである。そして死因が悪性の天然痘であったことは、
病理学的に検討した結果明白になった。毒殺説は岩倉の構想を深く検討しない上に、当時の朝廷内外の政治状況を正確に把握しないでなされた、まったくの妄説である。」(本書99頁)

そして、佐々木克は原口清の文献をあげている。「孝明天皇は毒殺されたのか」(日本近代史の虚像と実像1巻 
大月書店 1990年、「孝明天皇と岩倉具視」(名城商学39巻別冊、名城大学商学会、1990年)

佐々木克は、大久保利謙の弟子にあたる学者で、岩倉関係の史料を全て渉猟したうえでの見解であり、傾聴すべきであろう。
ただ、岩倉が天皇毒殺という謀事を日記や書簡に得意げに書き残すことはしないであろう。孝明天皇の死を知った岩倉は、
翌日の坂本静衛に宛てた手紙で「仰天恐愕…千世万代の遺憾」と嘆いていた。これほどまで落胆したのは、この手紙で
「いささか方向を弁じ、少しく胸算を立て、追々投身尽力と存じ候処、悉皆画餅となり」として、岩倉を弁護しているが、
犯人と思われないように知人に証拠として残る手紙を書くという工作は誰しもやるこではないだろうか。

孝明天皇毒殺説は、俗説として一笑に付す事柄ではなく、かなり真面目な日本史通史にも必ず記述されている歴史的事件である。
昭和40年代からのシリーズ物「日本の歴史」において孝明天皇の急死をどのように記述しているか列挙する。

50: 【東電 74.3 %】
11/04/24 12:00:38.22 glWn/uMI0
中央公論社「日本の歴史、第19巻、開国と攘夷」(昭和41年)小西四郎(東京大学教授)著

こうして見ると、毒殺説はどうも風説にすぎないように思われる。東京大学史料編纂所の吉田常吉氏は、
この問題について論じている中で、「天皇も疱瘡にかかられる可能性がある」との見解を示し、「当時天皇の御周囲で、
疱瘡をわずらっていた者が全然なかったとはいいきれない」と、例えば天皇の側近に奉仕した公卿の子女で疱瘡にかかった者があるとか、
あるいは同じころ関白二条斉敬の二人の男の子が痘瘡で死亡したことなどをあげている。さらに孝明天皇毒殺事件については、それが
「白か、黒か、読者諸君に正面きって切り込まれると、筆者は困る。推論に推論を重ねたうえでの筆者の論旨なのだから、
そこは諸君の良識にまつ以外にない。ただ筆者の見解を述べるならば、毒殺事件そのものは、確乎たる史料がない限り、
従来の定説を覆すわけにまいらぬ。云々」と。わたしもこれと同意見である。

51: 【東電 74.3 %】
11/04/24 12:01:13.65 glWn/uMI0
文英堂「国民の歴史、第18巻、開国」(昭和45年)高橋?一著

慶応2年12月25日に、孝明天皇が36歳で急死したのも、謀略のにおいがする。痘瘡わわずらっていたとはいえ、
だいぶ容態もよくなっていたのが急変し、「御九穴から御出血」という異常な死を迎えたのである。徹底した攘夷論者ではあったが、
幕府打倒などは毛頭考えていなかった天皇は、討幕派にはやっかいな存在となっていたことはじゅうぶん考えられるのである。

「日本の歴史23 開国」芝原拓自(名古屋市立大学)昭和50年

天皇のこのふしぎな死が、毒殺説を流布させる一根拠ともなった。その風評や憶測はたちまちひろがり、犯人をさしむけたのは岩倉具視だとさえ、
まことしやかにささやかれた。その噂は、死去から一週間後には、長州の一豪商の日記にさえ登場し、通訳官サトウの記録のなからもでてくる。しかし、
王政復古から戦前をつうじて不敬の毒殺説はタブーとなり、宮内庁編「孝明天皇紀」などは、もちろん病死として史料を配列している。けれども、
かんじんの24日夜のことについては、なぜか典医たちの医学的な記録はなく、真相はいまだに不明である。戦後になってねづまさし(禰津正志)氏などは、
この病状急変と死のようすこそ、古くから中国や日本でみられた砒素による毒死に特有であることなどを根拠にして、毒殺説にかたむいている。他方、
吉田常吉氏などは毒殺説に確証なしとし、病死であったろうと推定している。ところが、昭和50年4月4日付の「サンケイ新聞」の記事によれば、
近江八幡市の開業医伊良子光孝氏宅の蔵から孝明天皇の典医をつとめていた同氏祖先光順の日記形式のカルテ「拝診日記」が発見され、
そのカルテの天皇死去当日の描写は暗に薬物中毒症状をにおわせるものである、と紹介されている。

52: 【東電 74.3 %】
11/04/24 12:01:45.24 glWn/uMI0
奈良本辰也(立命館大学教授)著「明治天皇即位の舞台裏、孝明天皇崩御と討幕工作」(歴史読本、昭和52年12月)

日本医学史学会の佐伯理一郎氏などは、これらの日記を検討した結果、
「天皇が痘瘡にかかられた機会をとらえて、岩倉具視が女官に出ている姪をして天皇に一服盛らせたのである」(日本医事新報)と大胆な断定を下している。

* * * * *

新人物往来社など一般歴史雑誌の読物などは孝明天皇毒殺説を支持する記事が多い。国立系の学者は、とるにたらぬ俗説として斥けるであろう。
しかし孝明天皇毒殺説をとると、聡明な明治天皇は毒殺犯をさがして必ずや復讐すると考えられるので、鹿島昇の明治天皇すりかえ説がセットになって浮上する。
ただし、大室近祐の証言、あるいは存在そのものが実在性があるのか一読する限りでは確証できない。
いまだ孝明天皇急死には事件性が認められ、幕末・明治の宮中には謎が多い。

53:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 17:30:09.06 63zu2+nR0
力説している所悪いんだけど。
孝明天皇毒殺説は原口清(名城大学名誉教授)の論文で完全に否定されています。
だから学会で暗殺説を支持する先生は一人もいません。
この論文は、原口清論文集『王政復古への道(岩田書院発行)』にまとめられ、一般書籍として売られています。
学会はもとより、すでに一般普及段階に入っておりますので、暗殺説を信じている事自体恥ずべき事ですよ。


54:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 00:19:27.60 hU1VxEfsO
孝明天皇と岩倉の仲は悪くなかったの?

55:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 05:18:43.59 UeHYNYVN0
孝明天皇と岩倉具視との関係
・異人排斥と天皇の権威確立に没頭する孝明天皇と、公家源氏再興のために藤原五摂家の摂関政打破を誓う岩倉具視

1.最初は良好
・孝明天皇が天皇の権威を示す形で、公武合体路線を岩倉具視は推進(和宮の徳川家茂への輿入)
・島津久光による幕政干渉を、孝明天皇・岩倉具視は朝廷の意向を幕府に承認させる場として利用

2.険悪化
・公武合体を害悪と看做した尊王攘夷派によって岩倉具視への排斥運動が起こり、孝明天皇は岩倉具視を退任させる
・孝明天皇の信任の厚かった摂政関白を罷免させるために岩倉具視は暗躍し、孝明天皇の怒りを買い蟄居参内不可となる

3.孝明天皇の死以後
・明治天皇による恩赦で岩倉具視は復権、以後は薩摩同様公武合体を捨て討幕路線を推進
・王政復古により摂関政を正式に廃棄させることに成功

56:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 00:57:27.29 KxahlHHh0
>>55に補足

4.王政復古前後
・摂関政を廃止すると同時に幕府体制(武家政治)も廃止し、天皇親政を目指す。
・薩長への対抗勢力として福井藩土佐藩尾張藩と連携。最終的に徳川宗家の温存と新政府参議参加を目論む。

5.鳥羽伏見の戦い
・旧幕府軍の暴発により戦争へ。第1日目は薩長へ錦旗を渡す事を渋り、土佐尾張福井三藩へ戦争回避を依頼。
・二日目に薩長勝利が確実のものとなり、錦旗を薩長へ渡す。

6.鳥羽伏見から江戸開城
・薩長が東征軍を出発させた頃、福井藩を通じて徳川宗家へ「恭順をすれば、徳川の社稷は岩倉の命を賭けてでも守る」と明言。
・しかし、徳川家の地位は下落した為に、薩長の対抗勢力として残すという計画はご破算。

57:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 01:53:32.82 ipDbsouiO
ひ素ひ素話

58:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 20:11:32.10 0dUpPhqT0
>>53
奈良本辰也(立命館大学教授)著「明治天皇即位の舞台裏、孝明天皇崩御と討幕工作」(歴史読本、昭和52年12月)

日本医学史学会の佐伯理一郎氏などは、これらの日記を検討した結果、
「天皇が痘瘡にかかられた機会をとらえて、岩倉具視が女官に出ている姪をして天皇に一服盛らせたのである」(日本医事新報)と大胆な断定を下している

59:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 23:17:32.44 BWUItWpv0
その文章の続きでは、やはり暗殺説には疑念があると記しているのだが、
会津人は引用のやり方が邪悪だね。

60:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 09:46:40.03 L6Qo13r40
そもそも毒殺説の根拠は天皇の病状が”一旦回復に向かったのに急変して死亡した”という経過が不自然だという点。
ところが、原口清教授はその論文の中で「天皇と仲が良かった公家の日記では、発病から一方的に病状は悪化の一途を辿り死に至った」という経過が記されている。
公家の私的日記と朝廷公式記録に大きな相違がある点を指摘し、時は長州征伐や開港問題など天皇の裁可を得なければならない問題が多数有り、
この時期に天皇が病気により政治に関与できない=政治問題が解決不能となる事態は断固避けねばならない朝廷が、天皇は回復に向かっていると外向けに嘘の見解を述べたのだとしている。
よって、回復に向かった事自体が嘘であり、天皇は一方的に悪化の一途をたどって死に至った。
つまり、毒殺ではない。


61:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 22:15:35.74 y1sSIUPYO
孝明天皇崩御

岩倉「よっしゃああぁ!!!」

何度も歓喜の雄叫びをあげガッツポーズをする岩倉であった

62:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 13:20:45.40 375Ksp2q0
孝明天皇が死ぬと岩倉の蟄居を解ける人物も一時的に居なくなる為、岩倉自身が困る訳だが?
結果的には特赦で朝廷復帰できたが、特赦をやるかどうかの決定権は朝廷にあり、その朝廷は当時一橋・会津・桑名が握っていた。

63:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 13:23:58.50 eaGwCalz0
明治維新の真実は、強権によって抹殺されてしまい、”勤皇の志士”なる呼称
は討幕派の専売特許となってしまった。
 そこに大きな嘘がある。孝明天皇を瞞して、偽勅を出したのは誰か、天皇の怒りに触れて京都を追い出されたのが、その”勤皇の志士”たちだった事実。京都御所に大砲を打ちこみ、幼かった後の明治天皇を失神させた者たちが、その”勤皇の志士”を標榜していたのだ。

 真実の”勤皇の志士”は誰か。それは孝明天皇の御宸翰と御製が証明しているのだが、天下をとった薩長は、必死になってその証拠を抹殺しようとした。


64:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 23:24:45.86 PXlQyVq00
会津の場合、明治天皇に逆らって軍事対決をしている時点で、
先帝の昔の書状を掲げられても行為は正当化出来ないわけです。

65:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 15:35:17.04 Rkgxgy8g0
孝明天皇は会津藩を頼りにしてた!

容保公は孝明天皇に忠誠を誓った悲劇の藩主!

66:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 17:28:50.71 YGF1QnsT0
孝明天皇の目標だった異人排斥を、死の直後にあっさり捨てた会津藩の言える台詞ではありません。
バカみたい

67:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 19:59:26.20 LMIqDSNp0
孝明天皇は会津の味方でした

68:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 21:07:29.06 5QUZXiR60
そのような孝明天皇の遺志を裏切った会津藩

69:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 22:15:43.88 LMIqDSNp0
孝明天皇の発掘調査が認められて真実が発見されたら大変な事に
孝明天皇の子供は明治天皇で間違いなし?

70:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/04 06:36:36.22 ALGLBnQ20
>>69
>>60読め
発掘調査なんぞせんでも、すでに答は出ている。

71:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/04 17:33:51.10 aa49fS2f0
そもそも岩倉は公武合体派として尊攘派のテロで失脚したのに
818の政変以降も復権がならなかったのは何故?

72:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/04 18:16:44.43 S2A320cy0
宮内庁が孝明天皇の発掘調査を認めたら明治維新は、、、、、、、、、

73:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 19:09:19.64 ZR5O9FhH0
>>72
>>60読め
発掘調査なんぞせんでも、すでに答は出ている。

74:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 19:42:28.07 gb6qKUSm0
日記より

遺体解剖して真実を明らかにすべき!

75:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 20:55:05.08 ZR5O9FhH0
>>74
>>60読め
発掘調査なんぞせんでも、すでに答は出ている。

76:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 06:45:43.30 qqeZa42S0
何で岩倉って人気ないの?


77:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 08:50:54.54 53YHRwRg0
岩倉は陰謀で久邇宮朝彦親王を広島に幽閉させた悪

78:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 10:37:30.01 54fDpid+0
>>77
毒殺主張はもういいのか?

79:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 12:08:01.04 53YHRwRg0
明治維新から太平洋戦争が終結するまでの約八十年間、孝明天皇研究は禁断の研究でした。
 なぜならば、もし明治政府が孝明天皇を高く評価すれば、政府の正当性を自ら否定することになってしまうからです。

80:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 12:10:04.94 53YHRwRg0
孝明天皇の嫌う討幕の結果成立したのが明治政府なので、明治政府としては孝明天皇についてどのように記録し、後世に伝えていくかということが、非常に難しい問題になっていたと思われます。
そのようなわけで、孝明天皇研究は一種のタブーになっていたのです。孝明天皇は、いわば「封印された天皇」ということになります。

ところが、そのような政治的緊張は、時間の経過と共に緩まりました。昭和42年(1967)に孝明天皇の公式記録『孝明天皇紀』が初めて公刊され、現在は、孝明天皇研究はタブーではなくなりました。この研究が進めば、明治維新史が大きく塗り替えられるかもしれません。

孝明天皇が実際に暗殺されたかどうかはともかく、当時から現在まで暗殺説が囁かれているということは、それだけで、孝明天皇が幕末期に政治的な鍵を握っていたことを意味することなのです。
 

81:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 13:51:05.75 54fDpid+0
>>79-80
「天皇暗殺説」を主張するのをやめたのかw

82:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 14:01:25.42 53YHRwRg0
昭和50年(1975年)から同52年(1977年)にかけ、前述の伊良子光順の拝診日記が、滋賀県で開業医を営む親族の伊良子光孝によって『滋賀県医師会報』に連載された。
この日記の内容そのものはほとんどが客観的な記述で構成され、天皇の死因を特定できるような内容が記されているわけでもなく、光順自身が天皇の死因について私見を述べているようなものでもない。
だがこれを発表した伊良子光孝は、断定こそ避けているものの、ねずと同じくヒ素中毒死を推察させるコメントを解説文の中に残した

83:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 20:06:24.57 ZOHFaJpX0
>>74
>>60読め
そもそも「毒殺説」を主張する研究者や人々が”根拠としている朝廷正式発表の病状記録が嘘”なので、
どんなに「毒殺説」を力説しても無駄。

84:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 21:51:37.06 53YHRwRg0
 サトウは、事柄の性質上、孝明天皇の「毒殺」を教えてくれた「ある日本人」の名前を記録していないし、
サトウがそれを聞いたのは、天皇崩御の「当時」ではなく、「数年後」、即ち倒幕勢力が政権を獲得したあとである、明治年間の事である。因みに、サトウの日記は、この「毒殺」云々について、一言もふれていない。

85:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 21:57:24.10 ZOHFaJpX0
>>84
>>60読め
サトウは「宮廷内の毒殺の噂(主に女官の間で囁かれたもの。いつの時代でも女は有りもしない妄想と噂話スキャンダルが好きである)」を間に受けただけ。
信憑性も糞もない話しを現代人が真に受けている事自体が滑稽。

86:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 22:35:26.90 53YHRwRg0
孝明天皇の崩御をめぐっては、『孝明天皇紀』にも肝心の死因についての記載がなく、毒殺説をはじめ多くの疑問がある。

幕末、朝廷・公家、幕府・諸藩・志士たちを含めた開国派と攘夷派の対立は激化。攘夷の意思が強く、公武合体により、あくまでも幕府の力による鎖国維持を望む孝明天皇の考えに批判的な人々からは、天皇に対する批判が噴出ようになった。

こうした人たちの勢力が天皇を追い込み、毒殺を謀ったのか?天然痘が原因なのか。その死因は謎だ。

87:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/07 07:32:57.21 0yE7aju/0
>>86
>>60読め
謎でも何でもない。すでに答は出ている。学会の先生方で毒殺説を主張する者は皆無。

88:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/08 00:55:28.95 C/s9bP4gO
堀河紀子と九条夙子は子供を産んでいたと思う
当然新しい女官の出産もある
しかし今城重子は出産の可能性は少ない
中山慶子はもう枕をしていないようなので妊娠するはずがない

89:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/08 22:57:30.63 LaE22aQb0
明治天皇の親は孝明天皇で間違いないの?

90:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/09 09:00:51.64 I8Fo7RVb0
>>89
間違い無い。
孝明天皇は暗殺されていないのだから。
天皇入れ替え設を唱えているのは、”私が本当の天皇だ”と叫ぶ大室家子孫だけ。
その子孫の口車に乗った歴史小説作家がおもしろがって書き立てているだけで、学会では相手にもしていない。

91:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/09 09:02:24.54 /LQJZso20
学会?

92:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/09 15:54:06.83 RJAMQ1pZ0
今は孝明天皇が、攘夷至上主義者だってのも、
神戸開港に絶対反対だったってのも否定されてるから、
暗殺の有無が否定されているだけじゃなくて、
暗殺の原因とされていたことも否定されている。

93:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/11 15:19:17.75 82gAdTAG0
孝明天皇は毒殺された。

94:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/13 20:52:10.65 NLdJf25QO
うむ このスレを読むかぎり答えは毒殺だな

95:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/13 21:56:47.11 usz+o89W0
ソースは2ちゃんねる(笑)

96:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/13 22:15:30.90 u9GMY8XD0
孝明天皇は長州に毒殺された。

明治天皇は長州に利用された。

97:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 14:37:05.03 aREdLPgc0
孝明天皇は本物?

98:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/17 09:26:00.93 tjg66zuX0
本物です。

99:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 10:41:52.67 bY+L0cvZ0
>>87 じゃ、なんで安重根の裁判を非公開にしたのかな?

100:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 12:03:43.47 OjdTUYEO0
>>99
第2次日韓協約を行い朝鮮を属国化した伊藤を、それに反対して朝鮮人安重根が狙撃暗殺した。
孝明天皇といったい何の関係があるのかサッパリ解りませんが?
君、頭大丈夫か?

101:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/24 00:27:10.96 H1uAJPMP0

被災地の文化財を失わないために ーー saveMLAK

博物館・美術館、図書館、文書館、公民館の被災・救援情報

URLリンク(wwwsoc.nii.ac.jp)

URLリンク(savemlak.jp)
URLリンク(twitter.com)


102:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/26 00:34:55.90 gatiFOy30
孝明天皇ほど面白い帝も珍しい。曹操に似ているような気がする。
幕府を差し置いて浪士組に攘夷の勅許を渡したりと、凄い天皇だった。

こりゃ暗殺されても仕方無いわな。

103:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 00:50:42.19 EBCJixEKO
ここまでキャラが立つ天皇も珍しいから俺は結構好きだな

104:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/29 19:46:49.69 0LmpKcje0
S  ダル
A+ 杉内 岩隈 和田 田中 涌井 浅尾 藤川
A  岸 成瀬 吉見 チェン 館山 前田
B+ 内海 東野 能見 金子千 帆足 石川 武田勝 攝津 由規 久保 ネルソン 岩瀬 イム 武田久 山口


105:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/01 19:34:38.64 gzG5Y+jH0
フリーメーソンとシオニストから国を守ろうとした最後の英雄である。
生物兵器天然痘によって殺された。

106:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/01 23:31:05.12 jKrbUYOp0
福島の悲劇は私に戊辰戦争の会津の悲劇を想い起こさせる。会津を含む東北の悲劇と言ってもいい。
 現首相の菅直人は自らを長州人としている。高杉晋作が好きというのも同郷だからという要素が大きい。
小泉純一郎は父親が薩摩の出身であり、やはり長州人を自負する安倍晋三を加えれば、
薩長がいまだにこの国の政治を動かしているとも言える。
 福島を含む東北は「白河以北一山百文」として、その政治から切り捨てられてきたのである。
「薩長軍は官軍にあらず、官賊だ」とする会津の人たちがいまも薩長に怨みを深くしているのは、
彼らが戦いで死んだ者の埋葬を許さなかったからである。
 賊軍すなわち犯罪者という理由で、官軍は会津藩士の遺体の埋葬を禁じた。そのため、
放置された遺体は狐や狸や野犬に食いちぎられ、烏につつかれたりして惨憺たる有様となった。
一部は白骨化し、一帯は死臭ただよう地獄と化したという。そこを通る者は鼻をふさがなければ歩けなかったといわれる。
 かの白虎隊士の遺体も同じだった。
 ある村の肝煎があまりにかわいそうだと哀れんで、ひそかに埋葬したが、密告によって肝煎は捕えられただけでなく、
遺体は掘り起こされて、ふたたび放置されてしまった。
 一方、官軍という名の薩長軍は会津城下の寺に墓地を設けて埋葬している。
 あるいは、こじつけと言われるかもしれないが、震災に対する復興援助の遅れや、
原発に対する信じ難い無為無策を見ていると、第二の東北処分ではないかとさえ思われる。
東北出身の私としては、てめぇら、本気で助ける気があるのかと怒鳴りつけたくさえなるのである。
(佐高 信)
URLリンク(www.kinyobi.co.jp)

107:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 00:29:23.14 vy6na+nP0
「死体埋葬を禁止した」は大嘘だった訳だが?

108:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/27 19:26:40.60 EfbyS4FD0
明治天皇入れ替え説

109:孝明天皇
11/07/05 20:33:07.48 kWykOoRnO
余は熟慮に熟慮を重ねた結果、このスケジュールでSEXしたいでごじゃる

月曜 北川景子
火曜 島袋寛子
水曜 高橋みなみ
木曜 相武紗季
金曜 夏帆
土曜 綾瀬はるか
日曜 石原さとみ

二週目
月曜 今井絵理子
火曜 安室奈美恵
水曜 上原多香子
木曜 KARAの5人と6Pの乱交
金曜 瀧本美織
土曜 松下奈緒
日曜 新垣結衣

110:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/06 18:15:11.86 Wafnp1/c0
>>108
それ、日本史板ではいまだにスレが続いてるんだから感心するw

111:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/20 20:39:59.61 xvAlLApX0
陰謀論との相性がかなりいいからな。

112:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/21 14:39:37.30 hNqyhmg+0
孝明帝は長州によって暗殺されたんだろ。
いつの世もそうだ
天皇陛下は利用されるだけされていらなくなったら殺される

113:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/29 09:39:08.50 +fj4aCbG0
ハードル高すぎだろw
当時の京は、長州藩士と見れば狩り出されて殺される情勢だぞ。
それを突破し更に厳重な禁裏に忍び込んで……とか無茶振りにも程がある。

114:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/29 17:52:37.29 7Ju5/m1Q0
長州の天皇征伐という本にそういう風に書いてあったんだが、あれは嘘か?

115:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 13:11:26.98 OYGxc9Hx0
まず、その著者がどういう人物かは調べた方がいいぞw

116:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 13:54:35.39 1anfZZcp0
年号の「慶應」が20世紀まで続く
多数の団体名や事象に「慶應」が冠される
・慶應乳業 ・慶應安田生命 ・慶應神宮 ・慶應座
・博物館慶應村 ・慶應ブルガリアヨーグルト ・慶應製菓
・慶應一代女 ・慶應維新 ・慶應記念館

117:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 02:41:13.41 KF2GFHZ2O
>>109
何かイマイチ~。
淫乱さにかける。

118:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/19 01:08:33.61 36O2hM9c0
明治天皇が孝明天皇の子であるという確定的な資料はあるのかな?
思想から風貌から何から何まで変わりすぎだと思うのだが。

まさか、薩摩あたりの郷士ではあるまいな?

119:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/19 02:03:20.22 ail5RHlK0
いや、操りやすい幼君摩り替えても、リスクが巨大な割りにこれといったメリットないからw

120:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/31 21:14:48.06 YBEsbGr40
>>118
血縁か否かを判断するのに、君は「思想(物事の考え方)」や「風貌(服装など)」を見るのか?
思想は孝明天皇は御所という狭い世界で世間知らずなのに対し、明治天皇は遷都を経て日本各地を巡幸し、しまいに外を出歩いて狩りまでして見聞を広めた。
英才教育で国際社会の事を学んでいるし、外国人にも会っている。思想は違って当然。
風貌は、しきたりで和装しかない孝明天皇に対し、文明開化の象徴として洋服を着た明治天皇。ちょんまげを切って髪型も洋風で髭も洋風。そりゃ風貌は違って見えて当然w。


121:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/08 13:23:06.00 LsHI7NvX0
岩倉具視は犯罪者。


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