高杉晋作at HISTORY2
高杉晋作 - 暇つぶし2ch829:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:48:03.30 ltSI0+H50
>>619
嘘をつきなさい。町方村方の徴募は基本的に願い出と言う形式になる。
この徴募方法はどこの藩でも変わらない。
それでも足りずに藩が員数を定めて賦役を命じた「仰せ付け」
が文久年間にあったことは明らか。これも諸藩と変わらない。
さらに維新団は志願とは言い条、隊則を見ると茶筅隊のような自主性の強い隊とは全く異なり
黒ずくめの服装を強制されたり、身分を弁えることを隊則で強調されている。
そもそも元治内戦の際に被差別民諸隊の設立は藩命によってなされている。
正義党政権はそれを引き継いだだけ。
控え目に見てもとちゃんと断ってあるが、お前は読めんのか?

>>620
違う。償金の支払と、その性格の規定は全て下関協約第5条でなされている。
もし長州藩が償金支払約束をしていないなら、当然、幕府においても支払義務は発生しない。
だいたい償金支払を拒絶したなら
誰がどこで「長州藩が償金支払約束を拒絶した」と言っている?
さっきから聞いているが全く答えがないじゃないか。近現代史の人間に聞かせたらみなびっくりするぞ。

お前の主張が真実なら、長州藩は一切賠償金支払約束をしていないにも関わらず、
なぜか己の砲撃の違法性を認め、下関を焼き尽くされる所を焼き尽くさなかったので償金は支払うべきですね
などと勝手な性格付けを与えた上で約束を拒絶したことになり、
江戸幕府は長州藩が償金支払を拒絶したにも関わらず願い出て支払った意味不明な政府と言うことになるが、
そんなことを唱えている学者は全国でどこにもいない。

つーかこのキチガイ長州おたく、一体どこで幕末史習ったのよ。ほんと不思議だわ。
百歩譲って幕府の無策無能とか言ってた1970年代以前のおじいちゃんが火病って書いてるんだとしても、
田中彰や遠山茂樹の古典的名著くらい読んでるだろうになあ。

奇兵隊が「上からの軍隊」に収れんしていった過程や、維新団と茶筅隊の隊則に見る諸隊の性格、
さらに大坂南御堂の事件に見る隊内での理不尽な処刑、袖印の存在、私称の禁止
これ全部40年くらい前には指摘されてることだが

830:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:56:04.08 ltSI0+H50
サルさんが出てきて書き込めんからこっちに書いておいた。
お前の言うことが本当なら小中学校の教科書は書き換えなくちゃならんね

831:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/03 10:24:46.16 6hMvRdLC0

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832:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/03 16:59:00.03 VR3BKWbV0
>>829
なんでアンカーが>>619>>620なん? 一種の敗北宣言?wwwww

封建社会(身分差別社会)の現状維持を望んでいた俗論派政権が勝手にやったことを
「四民平等」を推進した正義派政権が推進したかのようにねじ曲げて物事を言うのは明らかに間違っている。

833:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 00:51:58.76 PA2C8Hmr0
長州の部落オタがうざいんでこっちに反論しておくよ。

言っておくが田中・布引・前田・北川らの著作は満遍なく見ているし、
最近の研究も一応見てるよ。
お前は布引と言えば長州藩維新団しか知らないようなので驚いたが、
あれは基本的に布引が30年前に書いたやつをちょっと変えて引っ張ってるだけだぞ。

そもそも一坂の引っ張ってる例は井上(勝)が10年以上前に指摘してる例だし、
井上以前に確認されてるから井上の功績でもない。
だいたい紀要と言うものがあるのに海道の本なんて連想する時点でお前は部落オタだよ。

それとな、北川の論文なり書評なり読んでみろよ。
ほとんど他の研究者に対する罵倒のオンパレードで胸が悪くなるぜ。
他の研究者は北川にそれなりに敬意を払ってるし、研究成果を取り入れて改説したりもしてるけど、
北川系のやつは一貫して「北川が正しい、被差別部落民は差別じゃなくて区別、
だから身分解放の期待なんてあり得ない」と創価顔負けの凄まじい折伏をするんだぞ。
で、北川が長州藩マンセーになると言うのは結果的にそうなっちゃうわけ。
被差別部落民が自由意思で結成され、褒賞についても自由意思だと言うことになれば、
藩権力と被差別部落民との軋轢、ましてや良民との軋轢を想定できない。
となれば長州藩の指導者に対しては無批判的になるのは当然。

と言うわけで残念ながらお前のは完全な当て推量。
大学の図書館の使い方も知らない人?

834:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 00:54:21.56 PA2C8Hmr0
キチンと研究者の指導を受けてれば、お前みたいな極端説には走らないはずなんだよな~。
だって論文読んだ方がはるかにピンポイントだもん。

独学の悲しさが出てるよね。

835:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 01:06:08.51 PA2C8Hmr0
と言うかおじさん何歳なのって言いたくなるな。誰それが解同だとか、
石井、田中、北川とか、自分らは名前と文字しか知らない大御所クラスの名前を出してるところとかw


836:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 01:23:55.96 KGdym4WR0
>>833
> 田中・布引・前田・北川らの著作

申し訳ありませんが、姓だけでなく下の名もおながいします

837:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 01:44:55.62 R2zh7vig0
つーかいい加減スレ違いなんだが

838:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 01:55:47.53 ljb7qthx0
長州マンセーの部落ヲタが暴れてたんだろ

839:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 03:13:33.66 d3dZDmUL0
あの部落ヲタはキューパーが保障占領構想やら萩攻撃やらについて
「自分の責任外のことで女王陛下の文官の使臣から命令を受ける気持は毛頭なかったので
自分の使用できる兵力では長州藩のいかなる土地をも永久に占領することは不可能であると判断し、
砲台を破壊し、下関海峡の自由通航を実現すれば、それで自分の任務は終わったと考えていた」
ことも知らない。

さらに第3回会談の翌日、本国海軍省に「現在使用し得る兵力をもって、
海峡近傍の島嶼、あるいは本州の一部を占領するのは得策ではないと言う確信を強めた」
と報告していることも知らない。

さらに伊藤博文の回想でも、キューパーは租借と言う条件にあまり固執しなかった
とされていることも意図的に隠蔽している。

さらに言えば、償金の金額を江戸で決定すると言う条項に関して、
長州藩が修好使節を派遣して償金の減免を図ろうとし、
そのために井原主計、伊藤、杉、宍戸環の4名が選ばれ、旧暦8月18日に広沢真臣が
同乗を依頼しにサトウの乗っている船を訪れたことも知らないんだわ。
この長州藩使節を乗せた船は遅れて8月20日に出航している。

しかも下関の開港について尋ねられたら、朝廷と幕府の承諾があれば異存はない、
と返答するように藩庁から指示を与えらえていたことも知らない。
※「彼らは、将軍の許可を得ることなしには、貿易のために下関を開港することには同意しないであろう」

部落問題には恐ろしく詳しいくせに、どんだけ無知なんだと言いたくなる。
そのくせ屠勇取立令についての吉田稔麿の書簡とか、呼称問題とか全然知らないし。

840:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 03:25:02.83 d3dZDmUL0
そもそも、賠償金を支払うための保障占領(担保に取るようなもの)と、
オールコックが考えていた萩の攻撃と、租借はまったく性格が違うものなんだけどな。
伊藤が保障占領を租借と間違えたんじゃないの。
その保障占領すらキューパーは文官の指図は受けない、我々の軍事力で長く占領するのは困難、
として最初から拒絶してるんだが。
保障占領の場合、当然、賠償金が支払われれば担保物件は返還される。

また、長州が賠償義務を認めていないのなら、
なぜ賠償金の軽減のために修好使節を差し向けたのか全く意味不明なことになる。
下関の講和の段階では、長州藩側の違法行為と賠償義務は確定していた。
ところが四ヵ国公使は長州藩に命令を下したのは幕府であるとして連帯責任を追及し、
最終的に幕府が支払を引き受けたことで、長州藩は幕府と言う連帯債務者に全額押し付けられたわけで。

長州は間違いなく賠償義務を負ってるんだよ。ただし幕府が代位弁済してくれた。
その幕府の支払は英国側によれば、開港と秤にかけて「自主的に支払ったもの」であり、
長州藩の約した賠償金とは性格が違うものであることが幕府側、英国側双方の史料から裏付けられる。

841:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 03:32:58.17 d3dZDmUL0
伊藤の回想は明治42年(1909年)、実に45年後の出来事であり信憑性に著しい疑問符が付くわけだが、
仮に伊藤の回想を全面的に信ずるとしても、
キューパーは賠償金の金額が第3回会談で大激論になったため、公使連中が選択肢の1つと考えていた保障占領を提案し、
反対されたのであっさり引っ込めたと解するほかない。
あくまでも伊藤の回想を信ずればの話であるが。

もともと英国艦隊側には、賠償金より強い抵抗が予想される保障占領にこだわる筋合いがなかった。
なぜならこの段階で長州藩は今回の攘夷が幕命によるものだとエクスキューズしており、
英国は幕府に請求し得る根拠を文書化して入手しているから。

もっと言えばオールコックは賠償金にはさほど関心がなく、下関の開港を望んでいた。
賠償金を吹っ掛けて下関の開港に持っていく作戦だったことはサトウが記す通り。

842:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 04:34:10.27 +MXFu1Sm0
推理ドラマならその富蔵は確実に真っ黒だなw

843:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 05:46:39.87 u8KwpXNN0
何の行動も起こすことをせず、瑣事を巡っての
不毛な論争で、日がなコンピューターの前で勝った負けたと
一喜一憂している現代人たちを見たら、
東行先生はどう思われるであろうか?
「しっかりせい」と癇癪球を破裂させるのでは
なかろうか?



844:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 05:55:27.08 QEApsRRQ0
晋作が挙兵した時、藩政府が動かせる兵力は二千あったという。それに八十で抗するのだ。
まず物理的に冷静に見たら、成算などあろうはずがない。
しかも晋作が、例えば事前に豪農たちを訪ね、根回ししたといった形跡は無い。
諸隊の陣営に乗り込んだものの、挙兵に反対されたため、激情に任せて怒鳴り散らしたという史実があるくらいだ。
さらに晋作が下関を制圧した時、藩の役所の蔵は空だったという。
保守派も用心して、武器も金も食糧も萩に引き上げていたのだ。そんな下調べも出来ていなかったのである。

別の用件で下関に滞在中だった晋作の旧友で筑前藩士の月形洗蔵が、見兼ねて公金百両を貸したという逸話が残る(『高杉晋作入筑始末』)。
または、入江和作など下関商人たちから、当座の軍資金を借用したという記録もある。
晋作が山口矢原の大庄屋吉富藤兵衛に手紙を発し、経済的援助を乞うのは十二月二十七日である。
これは挙兵から十二日も経っている。しかも吉富が応じなければ即座に斬るよう、晋作は使者に命じていたというから、
かなり強引な交渉をするつもりだったに違いない。結局、吉富は軍資金を提供し、
ここで初めて豪農の支持を得るのである。

あるいは、傍観を続けていた奇兵隊および諸隊が、保守派の陣営を奇襲し、
晋作たちに呼応するのは慶応元年(一八六五)一月七日未明というから、実に挙兵から三週間も後のことなのである。

いずれにせよ「天才革命家」の行動とするなら準備不足で、お粗末極まりない。

845:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 09:21:58.89 KS3btdOq0
620 自分:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 06:39:11.02 ID:wS2ZvWqW0 (PC)
(・◎・)わいは いけめんのおおむらさんやで

829 返信:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 23:48:03.30 ID:ltSI0+H50 [3/4] (PC)

>>620
違う。

831 自分:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/11/03(木) 10:24:46.16 ID:6hMvRdLC0 (PC)
          /\   /\
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      /  ●        ● ::::::::\ 
      |     / ̄\     ::::::::::::::::|   いけめんを ひていするやつは おしおきやで


なんじゃこのやりとりw

846:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 19:49:57.03 xBf+qMnG0
>>844
誰も成算ありと見る挙兵なら、初めから挙兵する必要ないし天才でもなんでもないわ。
窮地の情勢を挙兵で覆したから天才なんで、しかも何度も際どい機略を成功させてる。
高杉は当時の情勢を承知してるから、挙兵という行動をした。
九州に行って、長州没落と共に全国尊攘派が弾圧される情勢を見てる。
結局天下は長州中心に動いて、待っても情勢が旋回せず、自力で動かすしかないと知った。
成功失敗以前に博打で挙兵するしかない動かせない情勢と高杉は判断。
事前に根回しなんてできる情勢でない、機を逃し筒漏れになるだけ。

847:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 22:29:15.20 EWPORAtA0
はーん、その理屈はおかしいでちゅね。
だったら12日に既に決起計画から離脱している諸隊の前で酒食らって決起を促す理由がない
高杉の遊撃隊説得が漏れてたから赤根・時山の交渉団が止めたんだけど

848:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 22:33:11.79 EWPORAtA0
12日に決起を促すとか言っても、実態は決起に応じてくれなくて泥酔した男が
勝手なこと喚き散らしてどっか行っちゃったと言うだけの話なんだけどねw

849:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 23:19:20.49 WmIAKztc0
>>846
おい富蔵 お前、富蔵の親戚だろw

850:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 03:31:39.09 sJ2p8SQd0
金とか富蔵とか言ってたあいつか。
長州ヲタもあそこまで行くと贔屓の引き倒しで迷惑だは。

851:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 04:23:48.76 IGKRSZH70
>>844
強盗やってたのかよ・・・

852:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 05:23:02.67 hNWvFWDa0
押し借りは長州藩が京・大坂で世論の支持を得るために組織的に使ってた手段だからね。
高杉もそれまで何度も使ってるだろう

外国との取引で利益を上げてる豪商を調べ出して「値段を下げろ」と要求。
援助を約束すれば放免する。拒否したら、斬奸と称して加徳丸事件のようなことをやる。

853:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:15:09.16 74ZB99qx0
>>848
そこが動いた高杉と、動かなかった諸隊の歴史的評価の違いなんでちゅよ?
高杉の挙兵成功を見て、諸隊が高杉の挙兵に加わろうと騒ぎ出し、その後長州の農民が参加し、藩政府軍を破りクーデター成功、幕府をはね返し、全国の尊攘派が息を吹き返した。
禁門の変以降、どの藩も自藩の尊皇攘夷派を処罰し最悪の状況。
月形も処分され死んでる。
高杉が挙兵しなければ、俗論党が政権を握ったままでどっち道諸隊は終わり。
尊王攘夷派は全部死亡、薩長同盟も大政奉還も無く、明治維新も無い。

854:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:16:43.45 +79zcoG20
何を今さら

高杉と白石正一郎も高杉が本藩に取立を依頼すると言う打算で結びついた関係だが

855:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:17:59.66 +79zcoG20
>>853
その高杉君が決起計画を堂々とお漏らししていたことはどう弁解するのよ

856:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:25:09.66 me2Xuqbi0
>>853
諸隊が動いたからこそ高杉の挙兵は成功したんだぜ。
太田絵堂でも高杉の進撃論に山県が反対してそっちの意見のが通ってる
高杉の意見なんて山県はじめ諸隊幹部が反対すれば無視されるような状況
内乱勝利後、高杉は干城隊によって諸隊の勢力をそごうとしている


857:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:26:14.21 me2Xuqbi0
つーかお前が例の富蔵?!

858:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 09:15:50.63 74ZB99qx0
高杉は挙兵すると少数の決死隊で三田尻の軍艦3隻を奪取。
挙兵の報が広まると井上、品川、山田らが呼応し、義勇兵を集結。
勢力を増すと日和見してた諸隊も高杉に協力した。
この情勢を作り上げたのが天才の高杉の偉大さ。

859:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 23:59:07.05 ji9ffMk10
それは山県の偉大さを証明するものにしかならないな。

860:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 00:10:05.76 Uw0QQqSu0
高杉の挙兵で藩政府との交渉がぶっ壊れても諸隊は3週間も参戦せず
諸隊が参戦してからは高杉の意見は通らず

>>844
×諸隊の陣営に乗り込んだものの、挙兵に反対されたため、激情に任せて怒鳴り散らしたという史実があるくらいだ。
○既に挙兵反対を決めていた諸隊の陣営に乗り込んで怒鳴り散らしたものの、相手にされず脱走したと言う史実があるくらいだ。

861:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 12:20:02.59 b82k+EvN0
裏山かづらとか言って山県の機嫌を取るのに必死だったしな

862:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 17:58:28.81 hb3bIfO+0
>>839
キューパーや東行先生遺文の中原の伝聞を引っ張るまでもなく
従軍していたアルフレッド・ルサンが1866年に刊行した回想録で
フランス艦隊のジョーレス提督が賠償金取立のための保障占領に反対していたこと、
と言うよりもフランス海軍にそのための兵力がなかったこと、
公使間の覚書に保障占領は四ヵ国間の協議で行われなくてはいけないことが定められていること
を証言しているから、フランスが反対している以上、公式協議で提案なんか出来ないよ
ジョーライスだけでなくキューパーも反対なんだから、雑談に出た程度しか考えにくい

だいいち、伊藤博文伝の伊藤も中原の談話も租借の件をそれほど重大に取り扱ってるわけではない

「日本の開港場にせよ、また他の地点にせよ、領土の割譲ないしは排他的利権を
要求も受理もしないことに一致した。…占拠することが有益又は必要に見えても、
かかる占拠はその地を確保した国家に何ら排他的権利を付与しない」…当該条項

また、ルサンやキューパーが言及する保障占領は関門海峡の安全航行を確保するためのもので、
賠償金支払とはあまり関係ない。下関の高台を挙げていることから主に安全面の保障だったことが分かる
つまり長州藩が砲台を撤去し新設を止め、寄港を認めると言う講和条件で目的は充分達せられる
サトウが「要求が完全に満たされた」と言ったのはそのため。

863:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 18:05:51.79 hb3bIfO+0
長州はこの講和交渉の初っ端で信任状を忘れてくるほどのうっかり八兵衛。
当事者の伊藤や高杉が混乱してるから租借や保障占領についても間違えたんだろう
と言うか高杉自身は租借について一言も触れていない

864:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 07:29:31.88 os+FTzgp0
山県、この戦争で何か疚しい所があったぽいな

865:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 19:13:18.63 OVEtZOTa0
>>862
パチパチパチオパチパチ  パチパチパチオパチパチ  パチパチパチオパチパチ

     パチパチパチオパチパチ   パチパチパチオパチパチ

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     パチパチパチオパチパチ   パチパチパチオパチパチ

パチパチパチオパチパチ  パチパチパチオパチパチ  パチパチパチオパチパチ

                (拍手万雷)

866:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 19:14:09.12 gVCn7dE00
侵略の野心ある英国の狙いを看破し租借を断固拒否!
わずか数十名の功山寺挙兵で勤王攘夷を再び復活させ、15万の幕軍を天才的奇略で華麗に打ち破る
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。 これ我が東行高杉君に非ずや…」

867:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 19:21:31.05 gVCn7dE00
高杉は、狂ったのだ。
と、たれしもが晋作の脳髄の正常さをうたがい、山県狂介以下奇兵隊の壮士のすべてが、晋作に対して冷淡であった。
傷負い猪が荒れくるっているとしか見なかった。
奇妙なものであった。結果からいえば、「高杉晋作の挙兵」として維新史を大旋回させることになるこのクーデターも、伊藤俊輔をのぞくほか、かつての同志のすべてが賛同しなかった。
歴史は天才の出現によって旋回するとすれば、この場合の晋作はまさにそうであった。
かれの両眼だけが、未来の風景を見ていた。いま進行中の政治情況という山河も、晋作の眼光を通してみれば、山県狂介らの目でみる平凡な風景とはまるでちがっていた。
晋作は、この風景の弱点を見ぬき、河を渡ればかならず敵陣がくずれるとみていた。
が、かれは自分の頭脳の映写幕に映っている彼だけの特殊な風景を、凡庸な情況感受能力しかもっていない山県狂介以下の頭脳群に口頭で説明することができなかった。
(行動で示すあるのみ)と、晋作がおもったことは、悲痛であった。なぜならば、行動とは伊藤俊輔がひきいる力士隊三十人だけで挙兵することであり、三十人で全藩と戦うことであった。
その前途は死あるのみであった。が、劣弱な風景想像能力しかもたない同志たちに、
政治風景というのは、こう押せばこう変わるのだ」ということを示すには、実物をもって示すほかなかった。

868:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 23:41:32.93 gcUkEPxE0
大阪府島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も
壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
 僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ
へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。



869:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 23:47:42.54 Z4vAOrlZ0
>>867
司馬遼太郎は売国奴なんじゃなかったの?w

870:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 23:50:17.04 Z4vAOrlZ0
>が、かれは自分の頭脳の映写幕に映っている彼だけの特殊な風景を、
>凡庸な情況感受能力しかもっていない山県狂介以下の頭脳群に口頭で説明することができなかった。

凡庸な情況感受能力しか持ってない奴が洞春公の銅像担ぎ出してでも戦えなんて言うもんか。
てか司馬のポエムに引っかかる馬鹿大杉

871:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 06:03:03.67 6YWJDVgS0
山県は最近、再評価の機運があるな
成功したとは言い難いけど
高杉は・・・

872:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 19:15:24.21 /CFtPxOg0
夜になって、山県がこっそり二階へあがってきた。
「藩の天地は、俗論が満ちている」と、晋作は言い、いきなり、「やるかね」と、言った。
人を説得するにしても、晋作という男は鳥の声ほどの短さでしか言わない。
あとは相手の目をじっと見、その精神から立ちのぼる気のうごきを見るだけである。
この時期、奇兵隊士は二百人ほどであった。山県は、わずか二百人で、全藩士を向うにまわしてのクーデター戦争が出来るとはおもっていなかった。
山県は、そのことを言った。
「なるほど」晋作は、さからわなかった。かれはその生涯で一度といえども他人を説得したことがない。
相手に気がなければそれでしまいさ、とつねにあっさり割り切っている。それに、藩論が佐幕に傾いた以上、いまさら二百人で決起したところでひとびとはついてくるまい、とも思っている。
その点、山県と同意見なのである。ただ山県が、死物狂いでやってみましょう。
と気を動かせれば、その気をひっさらって雲をよび、雷電を鳴動させてみるつもりはあった。が、あきらめた。

伊藤は、馬で夜道を奔った。伊藤はたてがみにしがみついた。馬にくらいつきながら、馬関での大仕事をおもった。伊藤は、
(おれはもう死んでいるのだ。死霊が駆けているのだ)
そう思え、と自分に言いきかせた。政敵の赤根武人は伊藤を「才子」とあざけったが、たしかにこの若者は多少の軽薄さをもった才子であった。
かれがもし、この時期、長府・下関のあいだを死霊になった気で奔ったという意外な一面がなかったならば、かれは生涯単に才子として終わったかもしれない。

873:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 23:47:34.35 IEXt6eM40
奇兵隊って事実上前田を見捨てて逃げてるよな。

前田の住民が怒ってる。

874:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/10 00:58:15.24 YDk4fzUN0
>人を説得するにしても、晋作という男は鳥の声ほどの短さでしか言わない。

12月12日の挙兵の呼びかけでは泥酔して
大演説したあげく無視されてますが?

875:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/10 04:54:27.61 D+m8vpqu0
高杉はむしろベラベラしゃべるほうだよ

876:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/10 04:58:51.37 D+m8vpqu0
と言うか高杉は功山寺のちょっと前に御楯隊から挙兵計画持ちかけられて拒絶してるけどね。

877:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/10 07:24:51.49 jx3mBfdT0
ここで言い争いをしている人達はいくら高杉について知ろうとも
(たとえ本人以上に知ろうとも)、高杉のようには
なれないであろう。
何故なら、彼らは本質的に高杉とはまるで異なる人種の人達だからだ。

878:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/10 08:00:36.29 bKdfV8Mn0
>>877
イミフ

キミは、今後、チラシの裏に思う存分カキコしてて

879:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/17 20:44:54.46 RiPcK8hc0
>>876
最初に決起を促した冷泉から見たら「だから言わぬことじゃないか」という心境だっただろうな
彼は12日に泥酔して現れた高杉に相当反発した記述をしている
>>873
ほぼ総崩れだよ。元奇兵隊士が証言してるが、まず銃撃戦で頭を上げられない。
で撤退命令来て逃げる。逃げた先で物音がしたら飛び起きて仲間内で切りあうような状態
薩摩はこんな醜態を晒してない。

880:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/23 23:49:10.22 XKcbxQiZ0
もともと高杉って60年代のやくざ映画の世代のおっさんや、
学園紛争の左翼学生のアイドルだからな。馬鹿ほど高杉が好き

881:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/24 00:09:01.58 OIj2rJ470
経営者や政治家に好きな奴が多いイメージがあるが

882:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/24 00:39:24.87 +aUgc0Ka0
>>881
功山寺決起の過大評価でね
学園紛争の左翼馬鹿学生が高杉好きだったのは有名だよ
それが今の団塊のオヤジ

883:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/27 04:46:11.12 Tel3AKMBO
>>861
焼け山でそ

884:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/29 08:08:36.46 NJH11qEz0
長州出身者でまず関心の対象になるのは伊藤。続いて山県。続いて木戸、大村あたり
高杉の重要性はこの3人に比べて圧倒的に低い。同時代人なら久坂にも劣る

885:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/30 08:12:41.50 Z0kB8e7B0
最後の名前は谷潜蔵。
妻と長男も後に高杉に再改姓
しなければならなかった。

886:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/30 15:47:36.00 hSAgTbA20
木戸は久坂、高杉が先に死んでくれたおかげで長州閥のトップに立てたんだ。
そして大久保に押されっぱなし。高杉なら大久保、西郷と互角で渡り合えた。


887:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/30 18:05:59.48 K2MM+/E7O
いや、高杉の生前から木戸や周布が長州を仕切ってると思うんだが


888:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/01 04:57:40.27 yQ4Tj8aLO
大久保の苦手なものが木戸

889:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/01 15:27:24.65 wmyyFgiQ0
むしろ馬関問題の顛末とか見るに、高杉本人も自分が政治に向いてるとは
思ってなかっただろうw
維新後生き残ってても軍務畑でないかな

890:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/01 16:12:48.28 TrRRFp1P0
渡欧して何を学ぶ気だったんだろう
この頃の留学といえば軍事系だったらしいからやはりそっち系か
まあもし実現しても途中で気が変わった可能性もあるが

891:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/03 09:13:06.18 +1oxi3KU0
馬関義挙が維新への路を切り開いたんだ。高杉の功績は木戸よりも大きい。

892:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/07 18:39:31.40 Hr0FW16T0
功山寺決起なければ木戸は長州に戻れず死んでるしな
小倉戦争も奇襲仕掛けたり、退却したり巧みな戦い
作戦命令もいちいち格好良い

いよいよ実に彼を誘い出し
箸を一本ずつ折るがごとく彼が力を割き
枝葉よりついに根元に至らん

893:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/10 00:18:48.21 ucBI5i2g0
高杉の小倉口上陸作戦はノルマンディー上陸作戦に相当するビッグイベントといえないだろうか。
事前に艦砲射撃を行い、下関からロケット弾らしき物まで飛ばし、海岸へ敵前上陸。

    民主主義を信奉する若い兵の連合軍がナチスのベテラン・ドイツ兵を破る

    奇兵隊(市民軍)がプロの侍・幕府軍を破る


   

894:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/10 02:20:29.79 IWZ/Sn0Q0
>>893
敵陣を焼き払ってすぐに撤退したのも評価が高い
普通はあそこで拠点確保しようとしてしまう


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