11/10/31 03:36:58.95 5vlTrL1X0
>>806
お前むちゃくちゃなことを言ってるね。
勅を奉じた幕府の命令に従っただけと言う言い分が成り立つなら、
その幕府の命令もないのに勝手に講和したのはなぜだと言う反論も成り立つ
いわゆる終戦の聖断問題だな。宣戦と講和はコインの裏表だから。
砲台撤去、開港、償金を認めるのは攘夷実行の非を認めたも同然
禁門の変の直後に必ずしも進撃に熱心でなかった幕府が出兵せざるを得なかったのは、
長州の下関開港条件によっては、それが爾後の国内の開港条件の前例になるから
事実オールコックは償金を取るより、下関開港の既成事実化のほうを優先していた
幕府はその後、列強間の対立を利用して「償金」を損害賠償ではなく「損失補償」とすることに成功し、
(但書できちんと償金の性格を規定している)、オールコックの思惑を外している。
つまり違法な攻撃の懲罰としての償金と言う体裁を拒絶した上に、長州への懲罰権についても
「大君政府の職務」として勝手な報復や開港の強要を禁じている。
ここまでやってもらって、さすがに長州藩側の言い分は擁護できないなあ。