高杉晋作at HISTORY2
高杉晋作 - 暇つぶし2ch700:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 22:41:49.04 qqWkTNq2O
一年ごとに世代が変わるとでも言うのか
つか訳のわからん主張をする前に松陰が誰と思想が同じか位統一しとけ

701:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 07:02:23.76 rFEzsyMt0
結果的に幕末の混乱の中で天下の期待と衆望を集めて英雄になったのは西郷のみだったからね
長州でそういうタイプは居ない
松蔭も高杉も久坂も自分はやはり書生で、高杉も自分は少しそういう面はあるが100万の心をつかめる英雄でないと認識してた様だし
まあ西郷は維新後反政府の期待も一身に背負って反乱者になってしまったが
それまでの多くの功績は否定できない

702:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 08:57:33.01 1hy+d6om0
史実として、薩摩以外でもそこまで西郷が英雄視されたのか?
どの藩の人間からも一目も二目もおかれていたのは事実だし
西南戦争が始まってから判官贔屓で庶民の人気が盛り上がったのは知ってるが
…っていうか、そもそも長州に西郷がいたからってみんな黙ってついてくとは思えないし
そう考えると松陰の英雄待望論はないものねだりだった気もw

結局明治維新は英雄が起こしたものではないと自分は思っている
英雄はいないからこそ、つい英雄はいないの?って探しちゃうときに、
もっとも英雄イメージを仮託しやすいキャラが西郷なだけ
幕末の西郷には凄味がある でも薩摩の藩としての凄味のほうが上回るし
そのことが西郷の英雄イメージを実際より大きく見せている
まあ凄味で勝負しない(できないともいうが)長州が自分は好きだけどな

703:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 17:31:41.46 o7RXFT170
そもそも長州の人らって人に畏怖された系のエピソードないよね。
薩摩は西郷はもちろん大久保だって桐野がびびったってエピソードあるのに。



704:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 19:19:42.35 MPAF4bghO
黒田は木戸の名前を聞いただけでびびって逃げ出しておりますが
近藤が桂は剣を構えただけでこえーって言っていたという逸話もあるな

705:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 19:20:32.94 jWWeq9TD0
黒田は酔っ払って木戸に絡んだ男でしょ。

706:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 21:37:49.94 JcYKRQvx0
当時天下から生ける英雄として認識されてたのは西郷のみ
木戸や大久保すら単なる派閥の長程度の認識だし
薩摩人を馬鹿扱いしてた江藤さえ西郷を英雄と呼び藩閥解体ために力を利用しようとした
西郷を特別支持してない反政府層や野心家からも西郷さえ立てばと期待を一身に集めた
そういう幻想も含め抱かせられる大いなる求心力こそ英雄
西南戦争までに政府は着々と力をつけたが
それ以前は西郷の方が軍事面でも明治政府より上回ってただろう

707:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 22:04:43.52 jWWeq9TD0
けど西郷って軍事的にすぐれた事ってやってないでしょ。

708:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 00:31:24.19 hOsWtuS40
>>702
> 史実として、薩摩以外でもそこまで西郷が英雄視されたのか?

旧庄内藩士が有名。
不敗のまま降服したけどお咎め無し。
それが西郷の主導だと分かったので。
「南洲翁遺訓」を最初に出版したのは山形県人。

wikipediaにすら書いてある有名な話。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

709:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 00:32:25.87 hOsWtuS40
>>707
内戦で相手蹴散らしても褒められたことじゃない。

710:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 07:21:53.64 xk/pChkd0
そういうこと言い出したら、大久保だって神社建ってるじゃん。
木戸は地元に建ったから勘定に入れないが。
そんなことが、西郷が松陰らが求めた英雄だという証明にはまったくなりません。
はいもうスレチはおしまい。

711:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 14:57:19.44 /4l9KjeV0
現に英雄の役割を果たしたのは西郷だからね
王政復古から江戸城無血開城~戊辰戦争~廃藩置県~西南戦争まで
明治政府が正しい視点は現在の視点に過ぎないし
西南戦争までの重さからすれば西郷>明治政府と言っても良いでしょ
だから政府は西郷を恐れたし反政府側は政府を覆せるのは西郷と期待した

712:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 15:16:31.18 AZETQ79bO
西郷が何かしらの英雄的要素を持っていたことは否定しないが
ここは高杉スレなので。
お後、西郷スレでどうぞ。

713:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 16:17:23.65 4PwKN8MWO
英雄の役割果たしたのは普通に明治天皇だろ。
そういう風に利用したのが岩倉や西郷大久保木戸な訳で。

714:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 16:31:04.16 dCM4AOay0
明治天皇が神格化されたのは明治になってからでしょう。
最後もなんか体調悪いのに山県とかに無理させられたぐらいだから。
元老クラスは下に見てたんじゃないかな。

715:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 17:34:33.70 065W7V6N0
近代国家に英雄など不要

716:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/06 22:44:55.31 zoTIlqEq0
>>713
そのとき明治天皇は幼児じゃん
知らないの?

717:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/07 00:46:32.21 xdwcLJ7s0
だからもうスレチだってば
しかし何歳まで「幼児」なんだよw 天皇とっくにミドルティーンだよ
もしかして「幼沖の天子を云々」って話から幼児っていってんのかw

718:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/10 14:23:16.11 i8ZLVgU+0
前田通れば 目蓋に浮かぶ 男晋作 晴れ姿
って聞いたのですが
これの出典はどこでしょうか?

719:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/10 18:46:15.04 q+fZfKkM0
作者不詳の都々逸のはず。

720:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/11 02:14:37.34 ch1AAmXP0
この人は俺からみると過大評価されすぎ
確かに事に及んでの士気を鼓舞する能力は凄いが
普段やってる事は余りにも出鱈目

721:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/11 02:25:49.93 qGBhJKZ80
むしろ過小評価されすぎ
ここ一番で一番凄いから明治維新起こせた

722:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/11 10:32:33.62 fH/7e9IBO
松陰に
「防長年少第一流の人物にして、固より亦天下の英才なり」
と言わしめた久坂玄瑞と、
徳川将軍を乗せた参勤交代の列に罵声を浴びせる奇才高杉晋作

あなた方一比羅夫が彼らの評価を語るのは非常に滑稽


723:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/11 20:47:48.68 pbDnLkLE0
独力でドラゴンレーダーを作ってしまうピラフ大王って何気に天才だよな

724:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/13 00:20:39.35 1zHWZDjZO
高杉は彦島租借を古事記でけむにまいたってのは嘘なのホントなの

725:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/13 01:24:37.07 hIPqvBZo0
こないだループしてたばっかの話持ち出したら嵐認定されるだけ

726:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/13 17:19:37.54 QuRJdhxIO
>>724
まあ伊藤博文の作り話だろうな。
有名な話だから取り上げるけど研究者だって本当に信じてはいないだろうよ。

727:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/17 02:52:57.33 Jd20qm4p0
>>724
それ俺もききたい
花神でみた
面白いよなあのシーン

728:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/17 04:37:00.36 ISQWkNIO0
友達に、高杉晋作って何やった人?って聞かれて、例の彦島の件だけ教えて終わっちゃった

729:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/17 17:31:44.07 iBoNs60LO
いや、あれは高杉じゃなくて宍戸刑馬だからw

730:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/02 20:51:11.63 9xXP51/OO
面白いのう…

731:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/06 22:26:50.14 SMt7rq9t0
伊藤が最後のほうで高杉君呼ばわりしてるけど、
あの時代君づけで亡くなった先輩を呼ぶのは失礼じゃなかったの?

732:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/06 23:05:10.25 G5tEVYyh0
木戸の跡継いだ甥っ子が木戸のことを「松菊君」って書いてたから失礼じゃないんじゃね?

733:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/07 19:36:44.78 ZmBANUa8O
>>728
高杉晋作伊藤博文

734:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/09 21:18:36.76 2nOK+Mqa0
軍艦に乗り込む時に「俺は扇子で十分」って言って武装しなかったってのは
史実?それとも司馬の創作?

735:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/10 08:01:08.09 5RMU21PwO
田中光顕の創作じゃないかな?

736:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/13 20:23:21.10 a0WwyLv3O
高杉と木戸旧家行ってきた
彦島出身なんだけど
萩には行ったことなかった
あまり人いなかった

737:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/21 07:10:44.66 PQOmJ+qt0
萩と高知に
半年位住みたい

738:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 09:03:57.09 YAsEYiUuO
おうのさん結構長生きしたんだね

739:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 13:20:02.24 kOq8GFpf0
初心者な質問で申し訳ないんだけど・・・
「高杉晋作資料 東行先生遺文 山口新聞社ほか/昭46発行/」
「高杉晋作全集 堀哲三郎編、新人物往来社 /昭49発行」
これに収容されてる内容とか違いなどをざっくりでもいいので教えていただきたい。
いずれは両方入手し勉強したいのだが、どなたかひとつよろしく。

740:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 13:43:35.05 S+It01kK0
動けば雷電の如く、発っすれば風雨の如し・・であってるかな?

741:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 17:33:25.37 wAckmXtZ0
高杉は運で生きてきた奴。実力は皆無。

742:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 22:52:37.37 ywUH+FQI0
運すらない奴にとやかく言われる筋合いないけどな。

743:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/25 10:11:03.93 /XWIp3WIO
>>740
合ってるよ

744:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/27 07:18:30.83 /V7Pf0Sd0
真面目な性格だったのか。狂った性格だったのかどっちだろ。
インテリなんでしょ。

745:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/27 23:50:49.34 KtP/2hr30
松陰の弟子3虎の性質比較評価。
高杉晋作

「高杉の識見と気魂は他人が及ばない。頑固で、人の言うことに耳を傾けないように見えるが、取るべきところは取る。必ず大成する。」

久坂玄瑞

「久坂は潔烈な志操と縦横の才を兼備してる。清潔、激烈であるが縦横無碍の才あり、しかも人に愛せられる。」

吉田稔麿

「稔麿の識見は高杉に匹敵する。いささかの才がある。これが気魄を害す。気魄衰えれば識見また昏む、気をつけるべき」



746:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/29 01:00:20.95 6rKTw5KW0
識見ってのは知識って事だよね。

当時の知識っていうと
国学。歴史。政治。地理
とかそんなもんかね。西洋の事とかも知ってたんだろうか。高杉

747:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/29 07:03:45.31 by1iOHKC0
>>746
ageたんかな?
識見を辞書で引いてみてね

748:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/29 17:12:09.04 MFWRdbXV0
高杉は上海でアメリカ史を買おうとして、
中国人に外国人に売ると法に触れると断られている。そう日記に書いてる。
各国の今の状況だけでなく、植民地化、独立の歴史の知識があった。


749:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/29 17:48:22.93 FJNwaggb0
ageたん本読めよ
高杉なら現代語の日記でてんだろ
I坂だけど

750:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 21:43:10.58 nX1ijFSg0
>>749
本屋で売ってるの?

751:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 23:52:57.47 6VUtv+xdO
アマゾンで買うたらええがな。
しかし一坂って毎度お騒がせな奴だね。

752:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/01 00:07:03.03 5a6RAmN70
なんでageたんはぐぐろうともしないのかね


753:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/01 00:20:37.27 6Tlol+4a0
識見調べた? 識見と知識はイコールじゃないよ

754:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/02 23:43:11.50 mzPWgoUwO
晋作終焉の地から東行庵まで遠すぎてビックリした
昔の人って50~60kmの距離を遺体担いで歩いたのか

755:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/03 01:16:54.62 fq9CrOMU0
>>754
海路(水路)で移動できる。小月から吉田川を登れば吉田までたどり着く

756:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/03 09:21:01.22 xzOo1/GCO
>>755
それでも小月までけっこう距離あるー…

現代っ子感覚じゃ計り知れないわ
こっちは震災の時、都内から千葉船橋までも歩けなかったっつーのに!
台車とかにのっけたのかな?www
…なんかアホっぽくてゴメンね

757:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 11:12:21.05 y4CbebmM0
馬じゃないの?

758:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 11:23:57.58 xXMocrGc0
>>756
新地は海が近いので小月へも陸沿いに船でいける。
小船ならそのまま木屋川を登っていけるし吉田へは簡単に到着する。
当時は埋立地がないので現在の日清食品のあたりまで海だったはずなので
それほど遠回りにもならない。

759:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/12 22:25:14.01 Teqo3EbI0
■■■■■■■■■■■■■■■■
日本人は『必ず』見て下さい。
『あなたの将来』に関する事です。
■■■■■■■■■■■■■■■■

これはテレビでは流されない『現実』です。
あなたの家族・恋人・友人達そして『日本人の未来』に関係する重要な事です。

マンガ、人権救済法案
URLリンク(image01.wiki.livedoor.jp)
URLリンク(image02.wiki.livedoor.jp)
危険!外国人参政権
URLリンク(livedoor.2.blogimg.jp)
日本人を滅ぼす人権侵害救済法案に反対!
URLリンク(www.youtube.com)
マスコミの偏向報道に抗議する人々
URLリンク(www.youtube.com)
着実に進む「人権侵害救済機関 設置法案」
URLリンク(www.youtube.com)
シミュレーション「もしも外国人地方参政権が成立したら?」
URLリンク(www.youtube.com)
『朝鮮人制連行論説』の実態
URLリンク(www.youtube.com)
人権擁護法案(人権侵害救済法)は外国人参政権とも関連している
【民主党】人権救済機関は権限強い「3条委員会」に 人権擁護委員の要件は「地方参政権を有する者」と将来的に外国人も
スレリンク(newsplus板)
【正論】 日本大学教授・百地章 震災のかげで「悪法」を通 すのか
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
あなたは気付きましたか?
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

760:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/15 01:13:51.47 9xy0yH9s0
上海で外人と会談してるけど
高杉は英語できたの?
筆談くらいでも

761:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/15 05:47:53.30 AvRIQII+0
だから革命日記嫁 外国語できるオトモダチがいっしょだ

762:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/15 07:32:48.56 6BYMrsRI0
ヒャッハーとイギリス大使館焼き討ちにしたり
オッス!征夷大将軍と言う高杉△

763:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/15 12:12:54.10 6YIe83eMO
つかI坂って嫌われてるの?
書籍わかりやすくて好きなんだが

764:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/18 09:16:08.09 neCyASovO
カニが好きなのか

765:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/18 19:06:09.31 67B+mxQ60
i坂は下関や萩の自称郷土歴史家のおっさんたちに嫌われてんだよ
県外出身なのにどんどん業績上げてるから。
山口県てのは本当の田舎だから、部外者は徹底的にいびる。(観光客には優しい)
それが嫌ならオラが村の権力者(古川や知事)に媚びれば良いのだが
都会っこのi坂は田舎の慣習であるそれをしなかったので叩かれるようになった
それだけの話。
郷土歴史家達が古文書読めればそれで終わる話だが、彼らはそういう知識は無いので
i坂が解読した物を横からかっさらおうとする。実際泥棒のようにかっさらう。
散々そういう目にあってきたからi坂はきつい性格になったんだろう。

766:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/18 19:18:13.86 Ba+ambGk0
今年の春、久しぶりに東行庵に行ったのだけど、
記念館自体はもう書簡や遺品など直接高杉本人に関わるものの展示は皆無。
高杉の小さな像があるくらいで後は東行庵と記念館自体の歴史みたいなものが僅かに展示してあるだけ。
あれじゃ中で売ってる限定書籍を買うためだけに入場料払ってるようなもの。
その販売書籍類もたいしたものでもないし。
建物も老朽化が進んでいるし、遺品たちが萩に移ったのもやむなしという感じだね。
本人の墓所だし、ちょっと寂しい話だけど。

767:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/18 19:42:20.63 neCyASovO
>>765
高杉子孫から預かった物を返す返さないとかで揉めたのってi坂(萩市?)じゃなかったっけ?
どっかのサイトでそんな記事見た気がする

768:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/19 00:39:32.86 ukmyd9oj0
>>767
765じゃないけど
それ未だに裁判続いてて東行庵側がもうしっちゃかめっちゃかな言い分
すでに県内に住んでいない高杉さんちまで凸を繰り返し
その心労もたたって高杉さんは先日お亡くなりになってしまった
裁判官もどん引きの、地元では有名なムカつく話
因みにI坂さんはとっくに東行側に勝訴しているよー

769:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/19 00:51:07.61 ukmyd9oj0
スレ違いだったらごめんね

簡単に言うと、高杉家のものを東行庵がずっと預かっていたが、ほったらかしになっていた。
状態が悪くなってしまうと高杉家は心配していた。
そんな中、ヤングI坂がやってきて研究を開始。成果を次々に上げる。
憎たらしく思った東行庵(を牛耳ってる人々)が「ここは研究の場ではなく墓場。出て行け」と命令
それならばと、しっかり研究してくれそうな自治体に高杉家が遺品の研究と保存を依頼。
すると東行庵逆切れ、「この史料は東行庵の物、高杉家の物ではない」と高杉家を告訴。
その裁判が今でも続いている訳だ。つまりI坂は実は余り関係なく、高杉家vs東行庵のかたち。
当然だが晋作の遺品は高杉家の物だ。しかし東行庵側は「昔くれるって言いましたー」と引かない
本当に裁判官も弁護士も地元民も皆呆れている

770:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/19 03:42:07.11 oByhq3dR0
>>769
今山口県に残ってる長州人は、嫉妬甚だしい長州俗論派の低脳国賊の血筋ばっかりだからなwwwww

長州正義派の家系はみんな京や東京に移動しちゃってるからw

771:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/21 09:29:31.94 IXUVVHNeO
東行庵主三代目までは養子縁組みといえ谷家
だから祖先である高杉をきちんと大切に守っていた

今の四代目は…運営&東行庵拡大にしか興味ない感じ


772:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/21 12:43:30.52 SdlC+BeK0
あれじゃ人は来ないよね。
平日とはいえ記念館の中も、東行庵、庭園内も自分一人っきりだった。
おかげでゆっくり貸し切り状態でお墓参りはできたけど。
辺鄙な場所でもしっかり遺品の研究、保存、展示を行ってくれてたらまた行きたいと思うんだけどね。
遠方から行くとなると今だったら断然、萩の方が見るべきもの多いから。







773:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/30 23:20:07.77 Xr+HyY/s0
手紙本を買ったけど、これ原文に解説っていうスタイルなんだね
日記みたいに現代語訳かと思ってたから、orzってなった
高杉が手紙を保管しないのは有名だけど
聞多宛のが木戸に渡した2通しかないってことは聞多も保管しないタイプだったのかね

774:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/30 23:48:15.03 sN3lRieY0
時代違うけど乃木希典と玉木なんとかが先祖にあてた何でもない手紙なら実家にあるなあ。
先祖が長府藩の士族だったもんで・・・

775:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/31 18:58:04.47 7KD5QfuR0
玉木文之進では?
それ何でもない手紙と言ってもお宝ですよ

776:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/06 14:02:46.21 4os6p4ML0
松陰の叔父でもあるしね

777:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/07 23:33:49.02 LXPJYE9n0
しかし一坂も思い込み激しいのかヘンな事書いて
他の研究者によく突っ込まれてるよね
山口無関係の所からも

778:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/08 00:02:27.94 KKitac2C0
手紙本に興味あるけど、どんな感じなんだろ

779:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/08 18:04:28.94 cju01XlCO
一坂が厳選した文書の原文の後に解説文
現代語訳はついてない

780:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 08:03:36.36 YsaHM2++0
西南戦争、高杉晋作がもし生きていたら西郷隆盛と一緒に戦っていたのではないか。


781:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 09:37:07.15 ftm1AL/Y0
>>779
ありがとう
原文と現代語訳、両方載ってるとベストなんだけどなぁ

782:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 12:04:35.53 hhj9amrtO
>>780
西郷のこと大嫌いなのに?
むしろこのチャンスにとばかりに討伐するんじゃね?

783:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 23:52:00.21 aXprXTN3O
>>780
高杉は薩摩は嫌いだろうし西郷タイプの人間は更に嫌いそう
西郷も、井上を馬鹿にしてたから高杉も同様だろう

薩摩なら五代とか中井と気が合いそう、つか高杉は生きてたら築地梁山泊メンバーにいそう
若手急進派でガチャガチャやってて木戸を困らせつつたまに援護

784:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/10 18:10:58.64 BE2nimbh0
実際、五代とは上海行きで意気投合してたよな


785:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/13 06:42:57.04 gaq/i1KB0
高杉は薩長同盟進めたし木戸と違いあっさりしてるから
高杉が生きてれば井上以上の貪官汚吏として奇行の人として名をはせただろう

786:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/13 12:57:19.14 3yXrfHs4O
いやああ見えて根は真面目だよ、根は
ただちょっとそれを出す機会が少ないだけなんだ

お金のフォローは無理だが

787:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/14 11:34:01.17 ndDrxnp80
公金と私金の違いがついていたようには見えないけどw

788:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/14 22:19:58.80 6WIvNod10
あと政治家は無理だと思うw

789:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/14 22:22:49.76 yXttQibB0
山県みたいに参議になりたいなどと言い出さずに軍部の掌握に専念するかもな
まあ何よりまずは留学だろうから、形だけでも政府に席は置くと思う

790:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 19:38:31.90 1n/bE0Yk0
例の裁判、判決でたね
URLリンク(www.minato-yamaguchi.co.jp)

東行庵を牛耳ってる奴らはこの騒動で亡くなった高杉さんの墓前で土下座しろよ

791:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 20:19:20.96 TG+rLJ280
おぉ。
でもそらそうよな。
フツーに考えて本人の遺言や贈与証書がないなら遺品は高杉家のもんだろ。

それにどう見ても今の東行記念館の設備では遺品のまともな保存行為は無理だろうよ。

792:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 11:11:35.78 zqVqlGge0
良かったね。
つか東行庵の設備費って、先代達が基金作って潤沢にあったはずなんだけど
なんでそれを使って史料を保存出来る環境を整えようとしなかったのかな。
ま、まさか使い込み…?もしそうなら根は深いよね…((((;゚Д゚))))

793:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 18:35:35.83 iLtv3gww0
ピカピカの萩博物館の高杉コーナーを観た後だと
東行記念館のボロ具合が際立って見えるわ。
周囲の菖蒲園の手入れとかにはそれなりにお金かけてそうだけど
記念館の中は蛍光灯も薄暗くて、なんだか昭和の古びた田舎の役場みたいな感じだったもん。

794:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 07:59:17.73 5+udcHwQ0
こんなラディカルな人は死ぬ運命だよね

795:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 21:41:13.83 iZwefJal0
何も成さずのほほんと生きながらえるよりは魅力的だけどね

796:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 22:33:29.04 rCfjJjxU0
というかラディカルでなきゃ日本が植民地にされたからな
非常の難をおさめるには、常道を以って対処してはならない
非常の行動をする者は、常眼以て見てはならない
>>789
高杉は奇兵隊作ってもあっさり他に譲って、それ使って権勢拡大とかしないからなぁ
クーデターした後も政権トップから逃げたし

797:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 23:27:33.00 AnnmcMxC0
高杉、井上、木戸、山田
このあたりは中士でそれなりの家格の跡取りのためか
(井上は養子先から離縁したけど)
良くも悪くも権力への執着が薄いよなあ

798:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 00:48:11.07 T0umLTZ30
嫌になったらすぐにやめて別の所に行っちゃう人たちだね

799:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 21:20:56.83 0j8BkOC40
ラディカルでなきゃ日本が植民地にされたと言う認識は完全に誤り
列強は当時、清のほうが圧倒的に関心事で日本はオマケ
しかも先行組のロシア、アメリカがクリミア戦争、南北戦争で離脱してしまう
プロイセン、イタリアはまだ国家形成過程。

民間船無差別発砲と言う暴挙を行った長州にすら報復攻撃がせいぜいで、
保障占領も出来ないくらいの能力しかなかった

800:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 11:04:16.05 Ckr/oBKa0
植民地にしなくても、不平等条約をもっと不平等にして甘い汁を吸えるだけ吸おうと、虎視眈々と狙っていた。

801:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 19:08:44.73 +7bErSC4O

極めて狡猾な思考じゃ!サイコパス的な発想じゃのぅ!『ケトウ』『ロスケ』と揶揄されるのはそんなヤリクチにあるんぞな!
よう覚えちょけー!サイコパス【反社会性人格障害】は日本人より西洋人に多いそうなんじゃ!
アホな独裁者の屁理屈には我々の祖先は実に骨をおらされたのぅ!

ちなみにケトウとロスケの漢字を誰か教えてくれんかのー!



802:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 20:23:31.74 SkDuD46X0
>>799
明治維新を出来なかった国は
ほぼ全て他の植民地にされてるのが現実だが?

803:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 22:25:52.33 8ygpFky+0
生き残ったのはタイくらいじゃね?

804:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 05:56:58.01 JjRhFwdy0
「この日終日暇座す。よりて、つらつら上海の形勢を見るに、
支那人はことごとく外国人の使役となれり。
英仏の人、街市を歩行すれば、清人皆避けて傍らに道を譲る。
実に上海の地は支那に属すといえども、英仏の属地というもまた可なり」

805:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 19:40:39.74 SGNHUlA80
>>802
じゃ何で好き好んで300万ドルの借金を皇国に背負わせて講和なんてするの
あくまで拒絶して戦えばいいじゃん

806:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 20:04:57.23 3TqPOIYA0
>>805
いい加減、氏ねば?

軍艦を全て破壊され、砲台占拠されてしまったら、さすがに戦いようがない。

孝明朝廷・征夷大将軍・江戸幕府の命令に従って、
長州藩だけが孝明朝廷・征夷大将軍・江戸幕府の名代の役割を果敢に果たし、
馬関攘夷決行・馬関攘夷戦争になったわけだから、
その結果について責任を取るべきは、当然、
その命令を下していた孝明朝廷・征夷大将軍・江戸幕府。
中でも征夷大将軍を抱える江戸幕府。

その当時の長州人・英米仏蘭の当時者が揃ってラクに理解できたことを
いまだに理解できないでいるような低脳国賊は、もうさっさと氏んだほうがいいねp

807:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 20:57:58.88 88ve4Qix0
>>805
全国士民が一致して戦うのが攘夷なんで
長州藩はその為に朝廷や幕府の了解取り付け攘夷したんで
政変が起きて国内一致できず長州単独では攘夷は不可能だからだよ

808:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 03:15:08.72 5vlTrL1X0
>>806
条約の中で償金の支払を認め、砲台を撤去し、さらに下関を事実上自由港化すると言うのは
当然、「攘夷」実行の完全撤回を意味するものだろ。
こんな屈辱的な講和条件があるか。
天皇の勅を直接受けて攘夷なら、天皇の勅がないのに勝手に諸外国と講和する権限はない。
>>807
長州単独での攘夷が不可能なら、なぜ幕府や諸藩の実行を待って行わなかった。

「さすがに戦いようがない」なんて理屈は事前に言え。
いったん勅を奉じたからには、新たな勅がない限り勝手に講和する権限は諸侯にはない
政局に対外戦争を使うからこんなざまになる

809:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 03:36:58.95 5vlTrL1X0
>>806
お前むちゃくちゃなことを言ってるね。
勅を奉じた幕府の命令に従っただけと言う言い分が成り立つなら、
その幕府の命令もないのに勝手に講和したのはなぜだと言う反論も成り立つ
いわゆる終戦の聖断問題だな。宣戦と講和はコインの裏表だから。
砲台撤去、開港、償金を認めるのは攘夷実行の非を認めたも同然

禁門の変の直後に必ずしも進撃に熱心でなかった幕府が出兵せざるを得なかったのは、
長州の下関開港条件によっては、それが爾後の国内の開港条件の前例になるから
事実オールコックは償金を取るより、下関開港の既成事実化のほうを優先していた
幕府はその後、列強間の対立を利用して「償金」を損害賠償ではなく「損失補償」とすることに成功し、
(但書できちんと償金の性格を規定している)、オールコックの思惑を外している。
つまり違法な攻撃の懲罰としての償金と言う体裁を拒絶した上に、長州への懲罰権についても
「大君政府の職務」として勝手な報復や開港の強要を禁じている。

ここまでやってもらって、さすがに長州藩側の言い分は擁護できないなあ。

810:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 19:11:40.45 W5NwjSpw0
グレて無差別殺人を犯した息子のために親が賠償金を支払ったら
そんな育て方をした親が悪いと言ってぶっ殺したも同然 
2ちゃんではドラ息子に共感するんだろうな

811:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 22:13:46.35 18q9HsAe0
>>809
毛利家は毛利家。長州藩は長州藩。決して徳川宗家でも江戸幕府でもない。

その当時の長州人・英米仏蘭の当時者が揃ってラクに理解できたことを
いまだに理解できないでいるような低脳国賊どもは、もうさっさと氏んだほうがいいねp

812:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 00:24:06.49 ycjpzbPC0
>>808
日本全土を攘夷にもってく為に長州が先鋒として攘夷実行したんだろ
長州藩は国家の政策として攘夷したんであって勝手にやるんなら朝廷の許可も必要ないんだよ
その為に朝廷や幕府を動かし国内をまとめ了解取り付けてやってるんだよ
天皇の攘夷親征や攘夷に協力しない小倉藩への処罰要求や天誅組の挙兵は一環の動き
ところが政変でやっぱ攘夷取りやめで長州追放と変わり、しかもこれを覆そうとして禁門の変が起き
幕府の長州征伐になったんだから講和するのは至極当然

813:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 03:27:05.48 jCUZ9YkH0
>>811
だったらてめえの尻はてめえで拭うんだな。
>>812
それ基本的に政治過程を説明してるだけで、弁解の域を全く出ていない
幕命を奉じたなら幕命に従って行動する。勅命を直接奉じたなら勅命が追って出されない限り講和は許されない。
日本全土を攘夷に持っていくために長州が先鋒として=勝手に攘夷を実行したなら、
当然、その償金はてめえが払う。当たり前のことだ。
独断で講和した上に下関を事実上自由港化して日本の外交政策にとんでもない前例を作り、
償金の性格を丸投げしたことへの言い訳が一切出てこない
現実にこの腰砕けに呆れた諸藩士に、長州藩の行動は論理矛盾だ、と責められてる

814:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 03:33:31.09 jCUZ9YkH0
同じ対外戦争を戦った薩摩藩は、償金の性格をきちんと幕府や仲介藩に預けた上で講和している。
だから幕府は最初からそれを前提としての仲介が可能になっている。
薩摩藩の責任感に比べたら、長州の場合、発端である民間船無差別砲撃と言う違法性の高さ、
さらに交渉における相手側の解釈の自由度の異常な高さは明らかに事後の交渉を困難にしている。

815:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 06:45:39.06 29L72zvJ0
>>814
薩英戦争の原因である生麦事件なんぞ、江戸幕府はやれとは全然命令していないが、
被害者である英国は、大名行列を横切った者に対する無礼討ちをも
統治責任者である江戸幕府の責任と英国が認識してくれるわけだから、
攘夷の勅命・幕命に唯一果敢に従っただけの長州藩が英米仏蘭に誠実で勇気ある無実の藩と見なされ、
諸藩に攘夷を指図していた統治責任者の江戸幕府を条約違反の赦されない加害者として責任を取らせるのは極めて当然。

>>813
> てめえの尻はてめえで拭うんだな。
それ、江戸幕府や会津藩や新撰組に未来永劫言い続けろよ。
江戸幕府や会津藩や新撰組は安政の大獄や不平等条約の責任を何ら取らず無理強いしたままコソコソ逃げ出しただけだが、
薩長政府は破約攘夷(条約改正)まで完全にやり遂げてちゃんと責任を果たしてるんだからさ。
江戸幕府が支払うべきであった賠償金も、結局、薩長政府が完済してるんだからさ。

816:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 08:19:39.20 2H62kQSD0
どっかの一橋や会津や新選組は失火で京都を焼き払ったくせに
長州に責任転嫁しているしなあ

それで「京都を守る新選組」とは笑わせてくれる。

817:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 18:40:13.48 gs9uEDmk0
>>815
お前ばか?生麦事件は日本の慣習を知らずに乗馬で諸侯の行列を突っ切り
さらに藩父の駕籠のすぐ近くまで乗り入れてきた英国人に第一の非がある
薩摩藩の奈良原以下がこれを切り捨てたのは自救行為に限りなく近い行為
その上に薩摩藩士はいきなり切り捨てたのではなく、何度も下馬を促している
(日本語を解さないのに日本法が適用される地域をうろついてたのは英国人の過失)

ある程度順序を踏んだ上で斬ってるんだよ。長州藩のような無差別無警告発砲じゃない
また生麦事件の場合は久光は既に大名行列妨害を禁ずるよう幕府に苦情を申し入れているが、
幕府としても久光の請願を却下する理由がなく、自重を求めたに過ぎない
事前に幕府と薩摩はある程度意思疎通を経た上で、あの事件が起きてるんだよ
これは確かに幕府が仲裁する責任がある(事後に薩摩が非協力的だったのは確かだが)

ニール代理公使と幕府の交渉では英国人の過失を前提として
「幕府の英国人居留民への通知義務違反」が問題となり、これに賠償金を支払っている
つまり薩摩藩は手続を一応踏んでいるから、何が過失なのかと言う幕英間の交渉がスムーズだったわけ

さらに言えば、幕府は勅使の通行を通達しており、
事前に各国居留民は万一を慮って慎重な態度を取った。米国のヴァンリードが下馬しておりこれに薩摩藩は危害を加えていない
だからリチャードソン以下の行動についてはサトウらも「双方の」不幸な過失としか記していない

大名行列に突入した英国人と異なり、当時の慣習でも明らかに違法である民間船への無差別無警告発砲と言う暴挙に出た長州と、
薩摩では事前事後の行動でまったく責任感が異なる。

818:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 18:50:42.07 gs9uEDmk0
>>815
薩英戦争の始末に関しても、薩摩は馬関戦争の講和条件のように償金の性格を曖昧にしたり、
鹿児島への寄港を容認したり、
砲台撤去などと言う一地域の武装解除に等しい条件には一切応じていない
(一方、高杉の講和交渉ではこれらをあっさり認めてしまったため、
オールコックは「償金は賠償金である」として多額の請求を吹っ掛け、下関の自由港化を迫ることになった)

とんでもない講和条件に幕閣は長州に激怒したが、ここで幕府が目を付けたのが四カ国の英国以外の3か国。
蘭仏米は問題に深入りするのを避けたがっており、海峡の安全と戦費の保証で充分と言う立場だった
幕府はここを執拗に突くことでオールコックの要求に対する他国の不同意を引出し、
「懲罰権は大君政府にある=列強が長州に勝手に報復を行うことを禁ずる」
「償金の性格は友好のために支払うもの=損害賠償的性格を否定=支払延滞の場合のペナルティ義務化が明文化されず」
と言う恐ろしく有利な条件で纏めてる。実際、幕府は1回支払を延期したが何もクレームがついていない

長州と幕府の外交能力はこの一事を取っても歴然としている。

819:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 19:07:30.95 gs9uEDmk0
だから薩英戦争に関しては英国本国でもキューパーを非難する論調が多かったが、
(しかも結果的に英国艦隊は戦闘では引き分け~敗北に近い状態に陥った)
長州への報復攻撃に関してはこれを非難する声は列強のメディアや人士でもほとんどない

>江戸幕府や会津藩や新撰組は安政の大獄や不平等条約の責任を何ら取らず無理強いしたままコソコソ逃げ出しただけだが、
>薩長政府は破約攘夷(条約改正)まで完全にやり遂げてちゃんと責任を果たしてるんだからさ。
>江戸幕府が支払うべきであった賠償金も、結局、薩長政府が完済してるんだからさ。

アメリカは1回受領した後で78万ドル返してくれてるけどね>明治政府
それと江戸幕府が纏めた協定では「四半期ごとに50万ドル、6回の分割支払」なので、
慶応元年7月から支払が始まり、遅れがちではあったが第4回の支払を明治2年とすることで合意が出来ていた
つまり幕府は第3回までに半額を支払っている計算になる。その前に幕府が崩壊したんだから、明治政府が引き継ぐのは当然
では明治政府の支払のペースはと言えば、幕府よりはるかに遅い。
明治7年完済だから、わずか8か月で半額を返済した幕府の10倍近く遅い計算になる
それと江戸幕府が支払う約束をしたのは「賠償金」ではなく「友好関係を維持するための補償」と言う性格だから、
米国が償金を返還する時も返す名目が立った。

820:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 19:30:20.11 gs9uEDmk0
あと条約改正に関して言えば日英通商航海条約が明治27年。
関税自主権回復に関しては日露戦争後の明治39年の日露間の同条約で、
完全回復は明治44年の小村条約以下。
さんざん失敗した交渉が成功したのは、英国の極東政策をめぐる政治的思惑があったのは周知の事実
ちなみに日英条約の時の第2次伊藤内閣の経済通商関連の主要閣僚を見ると
外相は陸奥、渡辺財相は信州高島藩出身、農商務相は榎本武揚と「非薩長」で占められている。
陸相は大山、海相は西郷、担当相の法相は芳川(非藩閥、徳島藩)、文相は直前まで井上毅(熊本藩)
逓信相は黒田で、長州出身者がポストを抑えていたのは総理の伊藤、内務の井上のみ。
既にこの段階では「薩長政府」ではない。
もともと新政府は実務レベルを見たら「薩長政府」なんて言える実態は存在していないんだけどね
既に議会開設後であり「閥末」と言われた時期の撤廃。

ちなみに第2次伊藤内閣には最終的に政党人の板垣が内相と言う枢要ポストで入閣している。

821:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 19:46:52.62 gs9uEDmk0
また長州はこの時、砲台の撤去を受け入れてしまったため、長州戦争で大変なことになった。
第2次征長戦の前年の閏5月に桂が下関でパークスと会談し、
馬関条約で砲台への重砲設置が禁じられていることを持ち出して砲台撤去の緩和を求めているが、
イギリス側に却下されている。


822:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:02:02.09 29L72zvJ0
>>817
> 薩摩藩の奈良原以下がこれを切り捨てたのは自救行為に限りなく近い行為

( ゚Д゚)ハァ?
素直に、見事な攘夷討ち でいいじゃないか。その当時の多くの人がそう感じたように。
みっともない自己正当化p

> その上に薩摩藩士はいきなり切り捨てたのではなく、何度も下馬を促している
まるで奈良原が英語をしゃべってたみたいな、イミフな話だなp
その当時、薩摩藩が攘夷討ちじゃなかったんだとみっともない自己正当化をしたいのであれば、
薩摩藩は無能で臆病な江戸幕府ではなく英国大使にこそ無礼を直談判すべきだったな。

これと、英国が、
大名行列に対して外国人が取るべき作法を統治責任者の江戸幕府が事前に教えてくれてなかった責任は当然、江戸幕府にある!
としたこととは全く別次元の話だからp

823:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:22:19.12 29L72zvJ0
>>818
まず、真人間になれよ。意味の分かる文を書けるようになれよw

> 薩英戦争の始末に関しても、薩摩は馬関戦争の講和条件のように償金の性格を曖昧にしたり、
> 鹿児島への寄港を容認したり、
> 砲台撤去などと言う一地域の武装解除に等しい条件には一切応じていない

英国との友好という観点からは長州人と比較すると薩摩人は甚だアフォないし臆病というだけp

> 一方、高杉の講和交渉ではこれらをあっさり認めてしまったため、
> オールコックは「償金は賠償金である」として多額の請求を吹っ掛け、下関の自由港化を迫ることになった

武士らしく、潔く負けを認めたことを悪く言いたがるって、藻前、人間性がとてつもなく腐り果ててるよp

しかも潔く負けを認めつつも、賠償金は一切支払わず幕府に支払わせるという交渉術、
しかも英米仏蘭と友好を結ぼうと下関港の自由化交渉を幕府とさせるという交渉術、
これらはもはや天晴れ!としか言い様がないレベルであることは極めて明らか。

馬関攘夷戦争で、長州藩は潔く負けを認めてるんだから、
しかも既に馬関海峡の砲台はすべて破壊されるか奪われるかしてるんだから、
長州藩は砲台撤去も全くしていない。
下関を開港しようとしてるのに新たに砲台を並べるっていうのも明らかにあり得ない話。

但し、長州藩は、君が言うような「武装解除」なんて全然してないよ。
その後、長幕戦争(小倉戦争)を戦って勝利していることからも明らかなように。

824:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:38:01.93 29L72zvJ0
>>820
京都河原町の長州藩邸には、諸藩の志士たちがウヨウヨ居候してたぐらいで、
薩長出身者でなくても薩長の同志はみんな薩長なんだよ。
実際、薩長の人脈というバックを薩長の人間と同様に背負うことになるわけだし。

有名な坂本龍馬や中岡慎太郎だって、薩長同盟以前から
長州藩からは長州藩士以上の長州藩士なみに扱われ、
薩摩藩からは薩摩藩士以上に薩摩藩士なみに扱われている。
そして、陸奥宗光は、海援隊では坂本龍馬の子分、陸援隊では中岡慎太郎の子分だった人。
よって、陸奥宗光は、紀州藩出身ではあっても、元々、薩長関係者なわけだ。
小村寿太郎も、同様に薩長閥からの引き立てがなければ外相になれていない。

薩長政府は当初から薩長土肥以外の人間も登用しようとしているし、登用している。
その薩長政府を攻撃するときだけ十把一絡げに薩長打倒!と喚いて、
薩長政府の功績は薩長政府のものではないと言いたがるのは余りにも虫がよ過ぎる。矛盾甚だしい。
全く正当な根拠のない、逆恨みによる地域差別主義に過ぎない。

825:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:57:55.61 29L72zvJ0
国賊司馬遼太郎がはびこらせた、>>820ののような地域差別主義・私怨・逆恨みは、
それそのものの存在自体が非常にみっともない。

826:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 23:15:00.78 tgpzSxq60
慶応元年に中岡が情勢分析と見通しを書いてる。

抑も吾人熟々時勢を見聞仕候に、国勢の衰うる其の来る事遠しと雖、外夷の起りしより天下優々、
困難此秋より甚しきはなく、且夫れ封建の勢たるや利害相反す。
抑抑国家苟安三百年士気頗る惰弱、上下事を忘る。加うるに封建の勢を以てして、各藩趨向を異にし、一旦強敗、大敵率然として我れに迫る。

於茲大命攘夷の必戦に出づ。而して天下是を挙行すること能はず、議論百端、各異人の国体、於茲や不立、是れ則ち封建の害ある所也。
而して其論の岐るゝ処、或は攘夷の論となり、又開国論となり、武備充実の論となる。
開国の論なるものは、略ぼ、海外諸国の情実を知るとは乍申、大旨苟安偸愉生の徒、所謂坐上の空論にして頗る人情に害あり、固より取るに足らず。

武備充実の論に至っては或は固陋の見にして事態に暗きあり、又は実の卓論上より出る英断あり、然るに其の見、或は異なりと雖、
皆以て義を重んじ、死を軽んじ、利害を以て其の節を動さゞる輩にして、天下をして慷慨義烈の風を生ぜしむるに足る。
而して其の固陋に出づる者に至っては気を負い、敵を侮り、若し一敗する時は或は惑う事あり、其の大卓識の者に至っては、機に臨みて勢に達し、百敗不挫と雖、敢えて不惑、
何ぞ一二の破敗を以て其の有為の志を屈せんや且、夫れ国に兵権有て然る後可和、可戦、可開、可鎖、皆権は我に在りて而して其兵権なるものは武備に在り。
其の気は士気にあり、故に卓見者の言に曰く、富国強兵と云うものは、戦の一字にあり、是れ実に大卓見にして千載の高議、確乎として不可抜、
則も知能の事に処する者、且和し、且戦い、終始変化無窮極る者なり。

中岡は封建体制で国内が一致できない欠陥を指摘し、薩長の攘夷戦を高く評価してる。
攘夷を行った薩長が天下を主導し、将来外夷を防ぐのは薩長になると予言、薩長同盟に動いてる。
そして封建制の欠陥を正す為にも尊皇攘夷の確立を説いてる。

全く戦争の功にして、卓見家の事業如此、自今以後天下を興さん者は必ず薩長両藩なる可し、
吾思うに天下近日の内に二藩の令に従うこと鏡に掛けて見るが如し、他日国体を立て外夷の軽侮を絶つも亦此の二藩に基くなる可し、
是又封建の天下に功ある処なり。
又士気は武備と如何程盛に相成候共、国体立たざれば敵国外患を待つ所以にあらず、且国の大体は何を本とするや、吾曰く内には名分大義を明にし、
祭政一致と共に皆朝廷に帰し、天下の大基本を立つるを以て急務とす、今日の如きは天下の大機会にして上下勉強し候は、禍を転じて福とし、
今日の敵国外患、他日より見候得へば天下の名灸と相成り候へば、実に天下の大功、之に過ぎ不申と奉存候。

827:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:59:04.91 ltSI0+H50
>俺がいつそんな事いった、俺は最初から長州藩は尊皇攘夷を叩き込まれているから、
>士気が高いといっている。
>志願兵だから士気が高いといっている。
>四民平等だから士気が高いなどといった覚えはない。勝手に発言を捏造するな。
>脳内で作り上げた妄想にレスしてどうするんだよ。

他の諸藩とさほど違った徴募方式じゃないと何度言えば分かるのかねこの男は。
現に被差別部落には1つの集落から○名までと言う定数制限がついてそれ以外の取立は禁じられてたし、
もともと被差別部落諸隊の本格的結成は俗論派の藩命により開始されてそれを正義派が引き継いでいる。
慶応改革の結果、佐分利隊のような既存の諸隊にすら藩命で解散の勧告が出ている

それはともかく、ここで
「長州諸隊は士庶平等ではなく、あくまで身分差別を前提とした藩秩序の中の諸隊だった」
との自白が成立しましたw

828:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:36:46.45 ltSI0+H50
つーかこのキチガイ長州おたく、一体どこで幕末史習ったのよ。ほんと不思議だわ。
百歩譲って幕府の無策無能とか言ってた1970年代以前のおじいちゃんが火病って書いてるんだとしても、
田中彰や遠山茂樹の古典的名著くらい読んでるだろうになあ。

奇兵隊が「上からの軍隊」に収れんしていった過程や、維新団と茶筅隊の隊則に見る諸隊の性格、
さらに大坂南御堂の事件に見る隊内での理不尽な処刑、袖印の存在、私称の禁止
これ全部40年くらい前には指摘されてることだが

829:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:48:03.30 ltSI0+H50
>>619
嘘をつきなさい。町方村方の徴募は基本的に願い出と言う形式になる。
この徴募方法はどこの藩でも変わらない。
それでも足りずに藩が員数を定めて賦役を命じた「仰せ付け」
が文久年間にあったことは明らか。これも諸藩と変わらない。
さらに維新団は志願とは言い条、隊則を見ると茶筅隊のような自主性の強い隊とは全く異なり
黒ずくめの服装を強制されたり、身分を弁えることを隊則で強調されている。
そもそも元治内戦の際に被差別民諸隊の設立は藩命によってなされている。
正義党政権はそれを引き継いだだけ。
控え目に見てもとちゃんと断ってあるが、お前は読めんのか?

>>620
違う。償金の支払と、その性格の規定は全て下関協約第5条でなされている。
もし長州藩が償金支払約束をしていないなら、当然、幕府においても支払義務は発生しない。
だいたい償金支払を拒絶したなら
誰がどこで「長州藩が償金支払約束を拒絶した」と言っている?
さっきから聞いているが全く答えがないじゃないか。近現代史の人間に聞かせたらみなびっくりするぞ。

お前の主張が真実なら、長州藩は一切賠償金支払約束をしていないにも関わらず、
なぜか己の砲撃の違法性を認め、下関を焼き尽くされる所を焼き尽くさなかったので償金は支払うべきですね
などと勝手な性格付けを与えた上で約束を拒絶したことになり、
江戸幕府は長州藩が償金支払を拒絶したにも関わらず願い出て支払った意味不明な政府と言うことになるが、
そんなことを唱えている学者は全国でどこにもいない。

つーかこのキチガイ長州おたく、一体どこで幕末史習ったのよ。ほんと不思議だわ。
百歩譲って幕府の無策無能とか言ってた1970年代以前のおじいちゃんが火病って書いてるんだとしても、
田中彰や遠山茂樹の古典的名著くらい読んでるだろうになあ。

奇兵隊が「上からの軍隊」に収れんしていった過程や、維新団と茶筅隊の隊則に見る諸隊の性格、
さらに大坂南御堂の事件に見る隊内での理不尽な処刑、袖印の存在、私称の禁止
これ全部40年くらい前には指摘されてることだが

830:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:56:04.08 ltSI0+H50
サルさんが出てきて書き込めんからこっちに書いておいた。
お前の言うことが本当なら小中学校の教科書は書き換えなくちゃならんね

831:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/03 10:24:46.16 6hMvRdLC0

          /\   /\
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      |     / ̄\     ::::::::::::::::|   いけめんを ひていするやつは おしおきやで
      |     (>>829)   ::::::::::::|
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           U  .U

832:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/03 16:59:00.03 VR3BKWbV0
>>829
なんでアンカーが>>619>>620なん? 一種の敗北宣言?wwwww

封建社会(身分差別社会)の現状維持を望んでいた俗論派政権が勝手にやったことを
「四民平等」を推進した正義派政権が推進したかのようにねじ曲げて物事を言うのは明らかに間違っている。

833:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 00:51:58.76 PA2C8Hmr0
長州の部落オタがうざいんでこっちに反論しておくよ。

言っておくが田中・布引・前田・北川らの著作は満遍なく見ているし、
最近の研究も一応見てるよ。
お前は布引と言えば長州藩維新団しか知らないようなので驚いたが、
あれは基本的に布引が30年前に書いたやつをちょっと変えて引っ張ってるだけだぞ。

そもそも一坂の引っ張ってる例は井上(勝)が10年以上前に指摘してる例だし、
井上以前に確認されてるから井上の功績でもない。
だいたい紀要と言うものがあるのに海道の本なんて連想する時点でお前は部落オタだよ。

それとな、北川の論文なり書評なり読んでみろよ。
ほとんど他の研究者に対する罵倒のオンパレードで胸が悪くなるぜ。
他の研究者は北川にそれなりに敬意を払ってるし、研究成果を取り入れて改説したりもしてるけど、
北川系のやつは一貫して「北川が正しい、被差別部落民は差別じゃなくて区別、
だから身分解放の期待なんてあり得ない」と創価顔負けの凄まじい折伏をするんだぞ。
で、北川が長州藩マンセーになると言うのは結果的にそうなっちゃうわけ。
被差別部落民が自由意思で結成され、褒賞についても自由意思だと言うことになれば、
藩権力と被差別部落民との軋轢、ましてや良民との軋轢を想定できない。
となれば長州藩の指導者に対しては無批判的になるのは当然。

と言うわけで残念ながらお前のは完全な当て推量。
大学の図書館の使い方も知らない人?

834:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 00:54:21.56 PA2C8Hmr0
キチンと研究者の指導を受けてれば、お前みたいな極端説には走らないはずなんだよな~。
だって論文読んだ方がはるかにピンポイントだもん。

独学の悲しさが出てるよね。

835:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 01:06:08.51 PA2C8Hmr0
と言うかおじさん何歳なのって言いたくなるな。誰それが解同だとか、
石井、田中、北川とか、自分らは名前と文字しか知らない大御所クラスの名前を出してるところとかw


836:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 01:23:55.96 KGdym4WR0
>>833
> 田中・布引・前田・北川らの著作

申し訳ありませんが、姓だけでなく下の名もおながいします

837:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 01:44:55.62 R2zh7vig0
つーかいい加減スレ違いなんだが

838:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 01:55:47.53 ljb7qthx0
長州マンセーの部落ヲタが暴れてたんだろ

839:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 03:13:33.66 d3dZDmUL0
あの部落ヲタはキューパーが保障占領構想やら萩攻撃やらについて
「自分の責任外のことで女王陛下の文官の使臣から命令を受ける気持は毛頭なかったので
自分の使用できる兵力では長州藩のいかなる土地をも永久に占領することは不可能であると判断し、
砲台を破壊し、下関海峡の自由通航を実現すれば、それで自分の任務は終わったと考えていた」
ことも知らない。

さらに第3回会談の翌日、本国海軍省に「現在使用し得る兵力をもって、
海峡近傍の島嶼、あるいは本州の一部を占領するのは得策ではないと言う確信を強めた」
と報告していることも知らない。

さらに伊藤博文の回想でも、キューパーは租借と言う条件にあまり固執しなかった
とされていることも意図的に隠蔽している。

さらに言えば、償金の金額を江戸で決定すると言う条項に関して、
長州藩が修好使節を派遣して償金の減免を図ろうとし、
そのために井原主計、伊藤、杉、宍戸環の4名が選ばれ、旧暦8月18日に広沢真臣が
同乗を依頼しにサトウの乗っている船を訪れたことも知らないんだわ。
この長州藩使節を乗せた船は遅れて8月20日に出航している。

しかも下関の開港について尋ねられたら、朝廷と幕府の承諾があれば異存はない、
と返答するように藩庁から指示を与えらえていたことも知らない。
※「彼らは、将軍の許可を得ることなしには、貿易のために下関を開港することには同意しないであろう」

部落問題には恐ろしく詳しいくせに、どんだけ無知なんだと言いたくなる。
そのくせ屠勇取立令についての吉田稔麿の書簡とか、呼称問題とか全然知らないし。

840:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 03:25:02.83 d3dZDmUL0
そもそも、賠償金を支払うための保障占領(担保に取るようなもの)と、
オールコックが考えていた萩の攻撃と、租借はまったく性格が違うものなんだけどな。
伊藤が保障占領を租借と間違えたんじゃないの。
その保障占領すらキューパーは文官の指図は受けない、我々の軍事力で長く占領するのは困難、
として最初から拒絶してるんだが。
保障占領の場合、当然、賠償金が支払われれば担保物件は返還される。

また、長州が賠償義務を認めていないのなら、
なぜ賠償金の軽減のために修好使節を差し向けたのか全く意味不明なことになる。
下関の講和の段階では、長州藩側の違法行為と賠償義務は確定していた。
ところが四ヵ国公使は長州藩に命令を下したのは幕府であるとして連帯責任を追及し、
最終的に幕府が支払を引き受けたことで、長州藩は幕府と言う連帯債務者に全額押し付けられたわけで。

長州は間違いなく賠償義務を負ってるんだよ。ただし幕府が代位弁済してくれた。
その幕府の支払は英国側によれば、開港と秤にかけて「自主的に支払ったもの」であり、
長州藩の約した賠償金とは性格が違うものであることが幕府側、英国側双方の史料から裏付けられる。

841:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 03:32:58.17 d3dZDmUL0
伊藤の回想は明治42年(1909年)、実に45年後の出来事であり信憑性に著しい疑問符が付くわけだが、
仮に伊藤の回想を全面的に信ずるとしても、
キューパーは賠償金の金額が第3回会談で大激論になったため、公使連中が選択肢の1つと考えていた保障占領を提案し、
反対されたのであっさり引っ込めたと解するほかない。
あくまでも伊藤の回想を信ずればの話であるが。

もともと英国艦隊側には、賠償金より強い抵抗が予想される保障占領にこだわる筋合いがなかった。
なぜならこの段階で長州藩は今回の攘夷が幕命によるものだとエクスキューズしており、
英国は幕府に請求し得る根拠を文書化して入手しているから。

もっと言えばオールコックは賠償金にはさほど関心がなく、下関の開港を望んでいた。
賠償金を吹っ掛けて下関の開港に持っていく作戦だったことはサトウが記す通り。

842:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 04:34:10.27 +MXFu1Sm0
推理ドラマならその富蔵は確実に真っ黒だなw

843:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 05:46:39.87 u8KwpXNN0
何の行動も起こすことをせず、瑣事を巡っての
不毛な論争で、日がなコンピューターの前で勝った負けたと
一喜一憂している現代人たちを見たら、
東行先生はどう思われるであろうか?
「しっかりせい」と癇癪球を破裂させるのでは
なかろうか?



844:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 05:55:27.08 QEApsRRQ0
晋作が挙兵した時、藩政府が動かせる兵力は二千あったという。それに八十で抗するのだ。
まず物理的に冷静に見たら、成算などあろうはずがない。
しかも晋作が、例えば事前に豪農たちを訪ね、根回ししたといった形跡は無い。
諸隊の陣営に乗り込んだものの、挙兵に反対されたため、激情に任せて怒鳴り散らしたという史実があるくらいだ。
さらに晋作が下関を制圧した時、藩の役所の蔵は空だったという。
保守派も用心して、武器も金も食糧も萩に引き上げていたのだ。そんな下調べも出来ていなかったのである。

別の用件で下関に滞在中だった晋作の旧友で筑前藩士の月形洗蔵が、見兼ねて公金百両を貸したという逸話が残る(『高杉晋作入筑始末』)。
または、入江和作など下関商人たちから、当座の軍資金を借用したという記録もある。
晋作が山口矢原の大庄屋吉富藤兵衛に手紙を発し、経済的援助を乞うのは十二月二十七日である。
これは挙兵から十二日も経っている。しかも吉富が応じなければ即座に斬るよう、晋作は使者に命じていたというから、
かなり強引な交渉をするつもりだったに違いない。結局、吉富は軍資金を提供し、
ここで初めて豪農の支持を得るのである。

あるいは、傍観を続けていた奇兵隊および諸隊が、保守派の陣営を奇襲し、
晋作たちに呼応するのは慶応元年(一八六五)一月七日未明というから、実に挙兵から三週間も後のことなのである。

いずれにせよ「天才革命家」の行動とするなら準備不足で、お粗末極まりない。

845:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 09:21:58.89 KS3btdOq0
620 自分:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 06:39:11.02 ID:wS2ZvWqW0 (PC)
(・◎・)わいは いけめんのおおむらさんやで

829 返信:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 23:48:03.30 ID:ltSI0+H50 [3/4] (PC)

>>620
違う。

831 自分:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/11/03(木) 10:24:46.16 ID:6hMvRdLC0 (PC)
          /\   /\
         /   \/   :::\
       /            :::::\
      /  ●        ● ::::::::\ 
      |     / ̄\     ::::::::::::::::|   いけめんを ひていするやつは おしおきやで


なんじゃこのやりとりw

846:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 19:49:57.03 xBf+qMnG0
>>844
誰も成算ありと見る挙兵なら、初めから挙兵する必要ないし天才でもなんでもないわ。
窮地の情勢を挙兵で覆したから天才なんで、しかも何度も際どい機略を成功させてる。
高杉は当時の情勢を承知してるから、挙兵という行動をした。
九州に行って、長州没落と共に全国尊攘派が弾圧される情勢を見てる。
結局天下は長州中心に動いて、待っても情勢が旋回せず、自力で動かすしかないと知った。
成功失敗以前に博打で挙兵するしかない動かせない情勢と高杉は判断。
事前に根回しなんてできる情勢でない、機を逃し筒漏れになるだけ。

847:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 22:29:15.20 EWPORAtA0
はーん、その理屈はおかしいでちゅね。
だったら12日に既に決起計画から離脱している諸隊の前で酒食らって決起を促す理由がない
高杉の遊撃隊説得が漏れてたから赤根・時山の交渉団が止めたんだけど

848:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 22:33:11.79 EWPORAtA0
12日に決起を促すとか言っても、実態は決起に応じてくれなくて泥酔した男が
勝手なこと喚き散らしてどっか行っちゃったと言うだけの話なんだけどねw

849:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 23:19:20.49 WmIAKztc0
>>846
おい富蔵 お前、富蔵の親戚だろw

850:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 03:31:39.09 sJ2p8SQd0
金とか富蔵とか言ってたあいつか。
長州ヲタもあそこまで行くと贔屓の引き倒しで迷惑だは。

851:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 04:23:48.76 IGKRSZH70
>>844
強盗やってたのかよ・・・

852:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 05:23:02.67 hNWvFWDa0
押し借りは長州藩が京・大坂で世論の支持を得るために組織的に使ってた手段だからね。
高杉もそれまで何度も使ってるだろう

外国との取引で利益を上げてる豪商を調べ出して「値段を下げろ」と要求。
援助を約束すれば放免する。拒否したら、斬奸と称して加徳丸事件のようなことをやる。

853:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:15:09.16 74ZB99qx0
>>848
そこが動いた高杉と、動かなかった諸隊の歴史的評価の違いなんでちゅよ?
高杉の挙兵成功を見て、諸隊が高杉の挙兵に加わろうと騒ぎ出し、その後長州の農民が参加し、藩政府軍を破りクーデター成功、幕府をはね返し、全国の尊攘派が息を吹き返した。
禁門の変以降、どの藩も自藩の尊皇攘夷派を処罰し最悪の状況。
月形も処分され死んでる。
高杉が挙兵しなければ、俗論党が政権を握ったままでどっち道諸隊は終わり。
尊王攘夷派は全部死亡、薩長同盟も大政奉還も無く、明治維新も無い。

854:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:16:43.45 +79zcoG20
何を今さら

高杉と白石正一郎も高杉が本藩に取立を依頼すると言う打算で結びついた関係だが

855:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:17:59.66 +79zcoG20
>>853
その高杉君が決起計画を堂々とお漏らししていたことはどう弁解するのよ

856:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:25:09.66 me2Xuqbi0
>>853
諸隊が動いたからこそ高杉の挙兵は成功したんだぜ。
太田絵堂でも高杉の進撃論に山県が反対してそっちの意見のが通ってる
高杉の意見なんて山県はじめ諸隊幹部が反対すれば無視されるような状況
内乱勝利後、高杉は干城隊によって諸隊の勢力をそごうとしている


857:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:26:14.21 me2Xuqbi0
つーかお前が例の富蔵?!

858:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 09:15:50.63 74ZB99qx0
高杉は挙兵すると少数の決死隊で三田尻の軍艦3隻を奪取。
挙兵の報が広まると井上、品川、山田らが呼応し、義勇兵を集結。
勢力を増すと日和見してた諸隊も高杉に協力した。
この情勢を作り上げたのが天才の高杉の偉大さ。

859:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 23:59:07.05 ji9ffMk10
それは山県の偉大さを証明するものにしかならないな。

860:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 00:10:05.76 Uw0QQqSu0
高杉の挙兵で藩政府との交渉がぶっ壊れても諸隊は3週間も参戦せず
諸隊が参戦してからは高杉の意見は通らず

>>844
×諸隊の陣営に乗り込んだものの、挙兵に反対されたため、激情に任せて怒鳴り散らしたという史実があるくらいだ。
○既に挙兵反対を決めていた諸隊の陣営に乗り込んで怒鳴り散らしたものの、相手にされず脱走したと言う史実があるくらいだ。

861:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 12:20:02.59 b82k+EvN0
裏山かづらとか言って山県の機嫌を取るのに必死だったしな

862:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 17:58:28.81 hb3bIfO+0
>>839
キューパーや東行先生遺文の中原の伝聞を引っ張るまでもなく
従軍していたアルフレッド・ルサンが1866年に刊行した回想録で
フランス艦隊のジョーレス提督が賠償金取立のための保障占領に反対していたこと、
と言うよりもフランス海軍にそのための兵力がなかったこと、
公使間の覚書に保障占領は四ヵ国間の協議で行われなくてはいけないことが定められていること
を証言しているから、フランスが反対している以上、公式協議で提案なんか出来ないよ
ジョーライスだけでなくキューパーも反対なんだから、雑談に出た程度しか考えにくい

だいいち、伊藤博文伝の伊藤も中原の談話も租借の件をそれほど重大に取り扱ってるわけではない

「日本の開港場にせよ、また他の地点にせよ、領土の割譲ないしは排他的利権を
要求も受理もしないことに一致した。…占拠することが有益又は必要に見えても、
かかる占拠はその地を確保した国家に何ら排他的権利を付与しない」…当該条項

また、ルサンやキューパーが言及する保障占領は関門海峡の安全航行を確保するためのもので、
賠償金支払とはあまり関係ない。下関の高台を挙げていることから主に安全面の保障だったことが分かる
つまり長州藩が砲台を撤去し新設を止め、寄港を認めると言う講和条件で目的は充分達せられる
サトウが「要求が完全に満たされた」と言ったのはそのため。

863:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 18:05:51.79 hb3bIfO+0
長州はこの講和交渉の初っ端で信任状を忘れてくるほどのうっかり八兵衛。
当事者の伊藤や高杉が混乱してるから租借や保障占領についても間違えたんだろう
と言うか高杉自身は租借について一言も触れていない

864:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 07:29:31.88 os+FTzgp0
山県、この戦争で何か疚しい所があったぽいな

865:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 19:13:18.63 OVEtZOTa0
>>862
パチパチパチオパチパチ  パチパチパチオパチパチ  パチパチパチオパチパチ

     パチパチパチオパチパチ   パチパチパチオパチパチ

パチパチパチオパチパチ  パチパチパチオパチパチ  パチパチパチオパチパチ

     パチパチパチオパチパチ   パチパチパチオパチパチ

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     パチパチパチオパチパチ   パチパチパチオパチパチ

パチパチパチオパチパチ  パチパチパチオパチパチ  パチパチパチオパチパチ

     パチパチパチオパチパチ   パチパチパチオパチパチ

パチパチパチオパチパチ  パチパチパチオパチパチ  パチパチパチオパチパチ

                (拍手万雷)

866:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 19:14:09.12 gVCn7dE00
侵略の野心ある英国の狙いを看破し租借を断固拒否!
わずか数十名の功山寺挙兵で勤王攘夷を再び復活させ、15万の幕軍を天才的奇略で華麗に打ち破る
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。 これ我が東行高杉君に非ずや…」

867:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 19:21:31.05 gVCn7dE00
高杉は、狂ったのだ。
と、たれしもが晋作の脳髄の正常さをうたがい、山県狂介以下奇兵隊の壮士のすべてが、晋作に対して冷淡であった。
傷負い猪が荒れくるっているとしか見なかった。
奇妙なものであった。結果からいえば、「高杉晋作の挙兵」として維新史を大旋回させることになるこのクーデターも、伊藤俊輔をのぞくほか、かつての同志のすべてが賛同しなかった。
歴史は天才の出現によって旋回するとすれば、この場合の晋作はまさにそうであった。
かれの両眼だけが、未来の風景を見ていた。いま進行中の政治情況という山河も、晋作の眼光を通してみれば、山県狂介らの目でみる平凡な風景とはまるでちがっていた。
晋作は、この風景の弱点を見ぬき、河を渡ればかならず敵陣がくずれるとみていた。
が、かれは自分の頭脳の映写幕に映っている彼だけの特殊な風景を、凡庸な情況感受能力しかもっていない山県狂介以下の頭脳群に口頭で説明することができなかった。
(行動で示すあるのみ)と、晋作がおもったことは、悲痛であった。なぜならば、行動とは伊藤俊輔がひきいる力士隊三十人だけで挙兵することであり、三十人で全藩と戦うことであった。
その前途は死あるのみであった。が、劣弱な風景想像能力しかもたない同志たちに、
政治風景というのは、こう押せばこう変わるのだ」ということを示すには、実物をもって示すほかなかった。

868:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 23:41:32.93 gcUkEPxE0
大阪府島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も
壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
 僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ
へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。



869:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 23:47:42.54 Z4vAOrlZ0
>>867
司馬遼太郎は売国奴なんじゃなかったの?w

870:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 23:50:17.04 Z4vAOrlZ0
>が、かれは自分の頭脳の映写幕に映っている彼だけの特殊な風景を、
>凡庸な情況感受能力しかもっていない山県狂介以下の頭脳群に口頭で説明することができなかった。

凡庸な情況感受能力しか持ってない奴が洞春公の銅像担ぎ出してでも戦えなんて言うもんか。
てか司馬のポエムに引っかかる馬鹿大杉

871:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 06:03:03.67 6YWJDVgS0
山県は最近、再評価の機運があるな
成功したとは言い難いけど
高杉は・・・

872:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 19:15:24.21 /CFtPxOg0
夜になって、山県がこっそり二階へあがってきた。
「藩の天地は、俗論が満ちている」と、晋作は言い、いきなり、「やるかね」と、言った。
人を説得するにしても、晋作という男は鳥の声ほどの短さでしか言わない。
あとは相手の目をじっと見、その精神から立ちのぼる気のうごきを見るだけである。
この時期、奇兵隊士は二百人ほどであった。山県は、わずか二百人で、全藩士を向うにまわしてのクーデター戦争が出来るとはおもっていなかった。
山県は、そのことを言った。
「なるほど」晋作は、さからわなかった。かれはその生涯で一度といえども他人を説得したことがない。
相手に気がなければそれでしまいさ、とつねにあっさり割り切っている。それに、藩論が佐幕に傾いた以上、いまさら二百人で決起したところでひとびとはついてくるまい、とも思っている。
その点、山県と同意見なのである。ただ山県が、死物狂いでやってみましょう。
と気を動かせれば、その気をひっさらって雲をよび、雷電を鳴動させてみるつもりはあった。が、あきらめた。

伊藤は、馬で夜道を奔った。伊藤はたてがみにしがみついた。馬にくらいつきながら、馬関での大仕事をおもった。伊藤は、
(おれはもう死んでいるのだ。死霊が駆けているのだ)
そう思え、と自分に言いきかせた。政敵の赤根武人は伊藤を「才子」とあざけったが、たしかにこの若者は多少の軽薄さをもった才子であった。
かれがもし、この時期、長府・下関のあいだを死霊になった気で奔ったという意外な一面がなかったならば、かれは生涯単に才子として終わったかもしれない。

873:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 23:47:34.35 IEXt6eM40
奇兵隊って事実上前田を見捨てて逃げてるよな。

前田の住民が怒ってる。

874:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/10 00:58:15.24 YDk4fzUN0
>人を説得するにしても、晋作という男は鳥の声ほどの短さでしか言わない。

12月12日の挙兵の呼びかけでは泥酔して
大演説したあげく無視されてますが?

875:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/10 04:54:27.61 D+m8vpqu0
高杉はむしろベラベラしゃべるほうだよ

876:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/10 04:58:51.37 D+m8vpqu0
と言うか高杉は功山寺のちょっと前に御楯隊から挙兵計画持ちかけられて拒絶してるけどね。

877:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/10 07:24:51.49 jx3mBfdT0
ここで言い争いをしている人達はいくら高杉について知ろうとも
(たとえ本人以上に知ろうとも)、高杉のようには
なれないであろう。
何故なら、彼らは本質的に高杉とはまるで異なる人種の人達だからだ。

878:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/10 08:00:36.29 bKdfV8Mn0
>>877
イミフ

キミは、今後、チラシの裏に思う存分カキコしてて

879:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/17 20:44:54.46 RiPcK8hc0
>>876
最初に決起を促した冷泉から見たら「だから言わぬことじゃないか」という心境だっただろうな
彼は12日に泥酔して現れた高杉に相当反発した記述をしている
>>873
ほぼ総崩れだよ。元奇兵隊士が証言してるが、まず銃撃戦で頭を上げられない。
で撤退命令来て逃げる。逃げた先で物音がしたら飛び起きて仲間内で切りあうような状態
薩摩はこんな醜態を晒してない。

880:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/23 23:49:10.22 XKcbxQiZ0
もともと高杉って60年代のやくざ映画の世代のおっさんや、
学園紛争の左翼学生のアイドルだからな。馬鹿ほど高杉が好き

881:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/24 00:09:01.58 OIj2rJ470
経営者や政治家に好きな奴が多いイメージがあるが

882:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/24 00:39:24.87 +aUgc0Ka0
>>881
功山寺決起の過大評価でね
学園紛争の左翼馬鹿学生が高杉好きだったのは有名だよ
それが今の団塊のオヤジ

883:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/27 04:46:11.12 Tel3AKMBO
>>861
焼け山でそ

884:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/29 08:08:36.46 NJH11qEz0
長州出身者でまず関心の対象になるのは伊藤。続いて山県。続いて木戸、大村あたり
高杉の重要性はこの3人に比べて圧倒的に低い。同時代人なら久坂にも劣る

885:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/30 08:12:41.50 Z0kB8e7B0
最後の名前は谷潜蔵。
妻と長男も後に高杉に再改姓
しなければならなかった。

886:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/30 15:47:36.00 hSAgTbA20
木戸は久坂、高杉が先に死んでくれたおかげで長州閥のトップに立てたんだ。
そして大久保に押されっぱなし。高杉なら大久保、西郷と互角で渡り合えた。


887:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/30 18:05:59.48 K2MM+/E7O
いや、高杉の生前から木戸や周布が長州を仕切ってると思うんだが


888:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/01 04:57:40.27 yQ4Tj8aLO
大久保の苦手なものが木戸

889:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/01 15:27:24.65 wmyyFgiQ0
むしろ馬関問題の顛末とか見るに、高杉本人も自分が政治に向いてるとは
思ってなかっただろうw
維新後生き残ってても軍務畑でないかな

890:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/01 16:12:48.28 TrRRFp1P0
渡欧して何を学ぶ気だったんだろう
この頃の留学といえば軍事系だったらしいからやはりそっち系か
まあもし実現しても途中で気が変わった可能性もあるが

891:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/03 09:13:06.18 +1oxi3KU0
馬関義挙が維新への路を切り開いたんだ。高杉の功績は木戸よりも大きい。

892:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/07 18:39:31.40 Hr0FW16T0
功山寺決起なければ木戸は長州に戻れず死んでるしな
小倉戦争も奇襲仕掛けたり、退却したり巧みな戦い
作戦命令もいちいち格好良い

いよいよ実に彼を誘い出し
箸を一本ずつ折るがごとく彼が力を割き
枝葉よりついに根元に至らん

893:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/10 00:18:48.21 ucBI5i2g0
高杉の小倉口上陸作戦はノルマンディー上陸作戦に相当するビッグイベントといえないだろうか。
事前に艦砲射撃を行い、下関からロケット弾らしき物まで飛ばし、海岸へ敵前上陸。

    民主主義を信奉する若い兵の連合軍がナチスのベテラン・ドイツ兵を破る

    奇兵隊(市民軍)がプロの侍・幕府軍を破る


   

894:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/10 02:20:29.79 IWZ/Sn0Q0
>>893
敵陣を焼き払ってすぐに撤退したのも評価が高い
普通はあそこで拠点確保しようとしてしまう


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