高杉晋作at HISTORY2
高杉晋作 - 暇つぶし2ch585:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 03:42:38.08 3QHb+88H0
>>580
伊藤のは後年の回想
サトウは当時の日記

伊藤は通訳を兼ねた長州藩の実質代表
サトウはキャリアの通訳

彦島については伊藤の回顧談しかソースがない
どう見ても無理があるぜ伊藤ソースだけで彦島話を真実と認定するのは…
学術書でもみな注がついてる

586:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 04:04:57.20 3QHb+88H0
あと高杉の公使館焼き討ちについては、文久2年における長州と薩摩の立場を考える必要がある。
文久2年は1月に坂下門外の変が起き、安藤・久世政権が崩壊。
さらに島津久光の上京と、勅使大原重徳を伴っての江戸下向、さらに帰路の生麦事件によって、
薩摩藩への評価は一気に上昇し、長井雅楽の航海遠略路線の失墜が決定的になった。
長井が6月に失脚すると、長州藩は藩論を大転換させるがいかにせん出遅れている。
焦った高杉らは公使襲撃によって長州藩の浮揚を狙い、失敗すると公使館焼き討ちに目標を切り替えた

一方で、幕府も大原勅使から、御殿山への公使館建設につき孝明天皇の反対意思を伝えられ、
英米に建設中止を申し入れたが拒絶され窮地に立ったため、直後に起きた焼き討ちをこれ幸いと傍観を決め込んだ
そのため犯人の目星はある程度ついていたのにも関わらず、長州は売名に成功したわけだな

587:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 07:17:57.44 tv5saXuZ0
天皇も内心は開国に傾いていたから、
即今攘夷の勅命はやめて、公使館建設に懸念で済ませといたのになw
朝廷はこの後の長州藩志士のテロリストぶりにびっくりして、
薩摩に泣きつこうとしたことさえある。
ところが薩摩京都藩邸の一味が藩論とは離れた尊攘主義者だったので…

588:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 09:39:19.55 PIdadsLG0
あの焼き討ちって結局意味あったのかな?

589:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 10:16:02.15 3QHb+88H0
長州藩的には藩論転換のアピールになったし、
英国はテロを恐れて建設を中止したし、
幕府も面目を施したから意味あったんじゃないのw
司馬本とか読むと、幕府は無能だから犯人を捕まえる気力もなかったとか書いてあるけど、
幕府が恐れていたのは盗人を捉えてみればわが子(幕臣)かなと言う事態だったので

あと孝明天皇の意思ははっきりしないんだよね、尊攘激派の蠢動は孝明天皇の迷いもあると思う
条約勅許問題では頑として応じなかったんだが、
一方で「自分のような不徳の者がこんな難局に判断を求められても」と泣き言を言ったりしてる
異国を中に入れることに抵抗を感じつつも、どうしたらいいか分からないから幕府よ何とかしてくれ
と言うあたりだろうw

590:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 17:30:03.16 tv5saXuZ0
まあもともと朝廷は合議制ですから。
合議制だからこそ時々独裁者が出てくるわけで。
それから中川宮等によく相談してますよ。
天誅がなかったらもうちょっと早く意思表明できていたかもね。

591:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 22:03:23.94 c6oJynDs0
>>587
攘夷の勅命出したから薩英戦争や下関戦争起きてるんだが?
取り消しもしてない
朝廷が困ってたのは孝明天皇自体は公武合体で幕府と仲良くやるべきと言う意見だったのに
京で佐幕派が斬られまくり暗殺が横行し治安が悪くなったから

592:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 02:41:30.77 u08aBqaCO
>>591
攘夷の勅命ださせたのは長州ら攘夷勢力
それが馬関戦争の講和談判で攘夷は朝廷と幕府の命令で長州の責任じゃないって言うんだから

593:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 07:19:24.21 4vDefKRM0
当時の朝廷は公武合体で攘夷でしょ
内政問題の佐幕、公武、勤王の対立と、外交問題である開国と攘夷をわざとごっちゃにしてるね

公武合体・開国だった長井は江戸では幕府の支持もあり成功したが、
攘夷の高まりある京では失敗し(久坂らの反対工作もあるけど)、毛利家まで危険になり敬親は家臣を朝廷に謝罪させ、敬親自身も入京し藩論を転換してる
しかも薩摩の生麦で攘夷をやった為に長州は人気も地に落ちて長井は切腹
西郷隆盛も長井を天下の奸物として暗殺も是認してる位だからね

594:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 07:32:11.71 4vDefKRM0
>>585
サトウの日記全て正しいと信じるのが遥かに無理ある
サトウは後年公使にもなってるイギリスの利益代表者
自国の利益のためにアヘン戦争まで起こす国の代表者の日記で、いわば自国にとって不名誉な非公式の申し込みをわざわざ書くと思えないしね
伊藤が後年で単純な記憶違いしたならともかく、明らかに虚言の創作話した事は考えにくいからね

595:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 11:07:40.06 6hMTwPkE0
>>591>>593
天皇は長井雅楽の航海遠略案を内諾してたんだよ。
けど攘夷の勅命出した後だったから、
朝廷は内部の攘夷派対策を含めて、
どうやって軟着陸させるかに頭を悩ませた。

朝廷が幕府に対して優位になってきているのは、
勤王の思想だけではなくて、攘夷の勅命を幕府がなかなか実行できない
という事実に支えられる所が大きかったため。

「攘夷」の中でも、高杉のいうような租借の問題だけではなく、
攘夷親征のような無謀な考えまでなかなかなくならなかったのは、
朝廷、志士の対幕府の思惑に支えられる所が大きい。
「幕府は一体何をしているんだ」って言い続けられるから。
その証拠に倒幕が終わったら、ほとんど皆、開国に転じた。
「攘夷」の中には、租借問題のように重要なものもあるが、
倒幕の方便に過ぎないものも多くある。

596:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 19:59:59.09 KxrdUJdg0
航海遠略は文久元年の策、攘夷の勅命は文久3年。
当時の攘夷論の主流は、井伊直弼が朝廷の許可無く勝手に結んだ日米修好通商条約の破約攘夷論。
不平等条約の破棄の為に、戦も辞すべきではないという考え。
幕府総裁の松平春樂らも一時期この考えだった。
慶喜の反対で、国内破約攘夷派を騙す事になった。

攘夷が不可能だったのは、挙国攘夷が出来なかった為。
攘夷の勅命が降りても、実際に戦ったのは長州藩だけ。
攘夷戦で敗れたと言われるが、戦ったのは長州一藩に対し相手は四カ国の連合艦隊で最初から戦力差がかけ離れて敗れるのは当たり前。
薩英戦争ですら薩摩藩と英国艦隊一国の戦いでしかない。(しかし薩摩一藩で英国と互角に戦ってる)

破約攘夷を捨てたのではなく、各藩の利害が複雑にある封建体制では挙国攘夷が不可能な為、まず幕藩封建体制を打破し国民国家統一国家樹立を先決と考えたに過ぎない。
破約攘夷は新政府出発からの目標で幾たびも改正交渉を行ってる、結局中岡などが幕末に説いたよう内治の改正や外交交渉だけでの破約攘夷は不可能で、日清、日露戦争と戦を経て最終的に不平等条約を改正し破約攘夷を達成してる。


597:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 20:24:46.52 zRR4HB0g0
サトウって人がインディアン並みに評価され過ぎてるのもおかしいと思う
サトウ ウソツカナイ




598:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/17 09:26:20.01 w6jn5U2eO
>>593
攘夷の勅命を出させたのは長州らの働きかけじゃないの?
自分で勅命ださせておいて敗戦したら
命令されました責任ありませんて

599:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/17 09:28:24.51 w6jn5U2eO
>>596
薩摩は攘夷じゃないし
薩英戦争は攘夷戦争じゃないような

600:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/17 20:52:24.57 wIgrop1g0
>>599
( ゚Д゚)ハァ?

薩摩は、長州と同様、開国攘夷だし、薩英戦争は英国から強いられた攘夷戦争。

601:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/17 22:19:27.53 w6jn5U2eO
>>600
薩英戦争は英国による生麦事件の報復戦争じゃないの
そして生麦事件は攘夷ではないと思うが

602:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/18 18:55:19.41 XnG6H/vqO
古事記でけむに巻いた事実はあるの?
司馬とくいの捏造?

603:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/18 23:23:45.20 5nEKuTP10
 ↑ 
この人ボケ老人か?確か数日前にこの話してたよな  

604:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/19 07:09:06.38 7ZmDtseWO
>>603
このスレをずっと見てる人ばかりだと思ってるの
みんなはそんなに暇じゃない


605:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/19 09:53:03.74 qmTgdOsMO
どんだけログ読んでないんだとしか

606:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/19 15:22:40.59 SfeTWl6uO
>>600 いやいや薩摩や会津は公武派だから

607:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/19 23:41:24.59 F9gfQe/I0
>>604

暇じゃないなら書き込みするなよ。
別に数ヶ月も前を遡れって言ってるわけじゃない。
たった2~3日前の内容だから603は言ってるんだろうが。
さすがに何回も同じ話をするほどはみんなも暇じゃないと思うんだが。
首突っ込むなら空気は読むべきよな。


608:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/20 00:44:03.66 y98VZVP1O
>>607
同じはなしの繰り返しかは以前から継続して読んでないとわからない

609:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/20 01:25:14.96 u7mfJiij0
ならみんななんて一括りにするなよ

610:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/20 13:25:53.48 y98VZVP1O
>>607
結論うやむやじゃ

611:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/20 13:56:11.97 2gK6mNjs0
>>608

だから全部を読めなんて言ってないだろうよ。
たった数日前にしたばかりの話をまた1から振り出しに戻されると迷惑だって言ってるだけだろうが。
それすらできないほど暇じゃない、忙しいと言うならここに来るなよ、ボケ。

612:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/20 14:05:08.76 2gK6mNjs0
>>610

うやむやと思ってるのはアンタだけ。
首突っ込むなら数日前からの流れくらい読むのはマナー。
ずっと読んでる人間や書き込みしてる人間に迷惑かけるな。
それが結論だよ。




そろそろこういうくだらん輩はスルーだな。



613:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/20 16:05:35.14 Od8qxfXk0
>>606
会津は幕権派だけど薩摩は諸藩連合派

614:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 01:10:55.96 k1OpCHLGO
>>612
別に誰も迷惑してない

お前が神経質で小さい人間なだけ

ちなみに結論はでてない

でてるというならそのレスは何番か言ってごらん



615:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 02:32:08.30 jWUrzPTW0
そういう書き込み迷惑してますけど!??

616:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 02:41:09.84 jWUrzPTW0
自分がピント外れな質問をしたとは思わないんですか!??ビックリ!!!


617:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 02:59:51.95 2x4bftir0
ウザイ奴w

618:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 03:43:00.30 nUWUPcnpO
マジで614イタ過ぎる‥

619:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 04:53:51.81 qsmYq8Q30
>>606
公武合体派って括り方は低脳丸出しな曲学阿世の輩のやることだと思うんだよね。

倒幕派の長州藩が最も強力な公武合体派だったからこそ同じ公武合体派で幕政改革派の薩摩と主導権争いとなって
818クーデターになったわけだからね。

620:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 06:39:11.02 wS2ZvWqW0
(・◎・)わいは いけめんのおおむらさんやで

621:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 08:01:14.43 4q4+71QY0
>>594
いやいや、その理屈なら伊藤の証言のほうがはるかに無理があるでしょ。
サトウはリアルタイムの記録者で、記録はほぼ正確。
しかも当時は通訳。キャリアを積んでる最中。
伊藤の回顧の当時はすでに日本政界を代表する政治家。
どっちが過去の体験をデフォルメする必然性が高いかは一目瞭然

サトウの批判者は、同じ立場にありサトウと盟友関係だった伊藤の回顧談は信用するんだよね
だから批判にならないんだよ

622:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 08:08:48.96 4q4+71QY0
生麦事件と砲撃事件の最大の違いは、組織的に起こした事件か否かにある
生麦の薩摩藩の報復戦争はいわれのない攻撃に対する正当な防衛行為だが、
長州の場合、藩ぐるみで決定して民間商船まで無警告・無差別に砲撃したのは正当とは言い難い。
同じことを当時の日本が、たとえば朝鮮や清にやられたらどう思うかと
当然報復攻撃しないでは済まなかっただろう。
現に条約が締結されている以上、安全確保のための報復は仕方ないと言わざるを得ない

623:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 08:28:13.76 I3xtnPGI0
将軍にむかって「よっ征夷大将軍」って言ったってのも司馬の創作?

624:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 08:39:31.08 qsmYq8Q30
>>622
馬関攘夷戦争は朝命かつ幕命によるものなんだが。

「砲撃事件」って言い方自体が卑怯そのもの。国賊用語だね。

長州藩の勇気こそ讃えられるべき。
結果的にも、英国から尊敬や友情を獲得したし、日本国の独立を維持し得たわけだし。

625:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 09:31:31.61 4q4+71QY0
いや、民間船砲撃はさすがに非難を浴びてるよ。
しかも薩摩と違って砲撃を政争と藩内の民衆動員の手段に使ったのが明らかだから
だいたい歴史板で国賊用語もくそもないだろw

626:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 14:42:25.58 2x4bftir0
>>624
攘夷も幕府に計画等の判断を猶予を与えて迫っている段階。
長州のは明らかに暴走。

627:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 17:27:58.20 A7ZnLkwh0
暴走モードで勝てる相手ならいいんだけど、後先ほとんど考えずに攻撃を仕掛けるのがね・・・
まあ幕末の対外戦争は長州も薩摩の場合も、列強を知らないだけに戦うことで互いを知った感がある。
なので、薩長首脳部は武力に差がありすぎること、これ以上の戦争行為は国を滅ぼすと感じ、挨拶程度の戦闘で講和を結んでいる。

この暴走体質が昭和になると、規模も桁違いながら、歯止めがきかないほど狂暴化してしまった。
そしてついに、大日本帝国は滅びてしまった。

628:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 17:54:01.02 7gV+zU940
長州はいつから強くなったのかね。薩摩は外国と戦っても互角にわたりあったけど
長州はボロ負けだよね。禁門の変も負けてるし。
この時期はさほど強くない印象。

629:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 21:37:51.32 2x4bftir0
長州が強かった時期なんてあるの?
闘う意思が希薄な幕府を蹴散らしただけじゃ?
長州をディスってんじゃないよ。
諸隊が当時は近代的だったのははっきりしているし。

630:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 23:05:03.18 +XAmbILO0
薩摩が強かったのは事実だろうが、薩英戦争と長州と四カ国艦隊との戦いと安易に比べられないよ
特に海対陸の戦いは地理的条件や気象条件でも違うし、艦の数も違うし、攻める側の目的も違う
長州は当時京都と下関に分散していたり、藩の意思統一がいまいちだったりもする
薩英戦争については、『遠い崖』読むとイギリス側の不完全燃焼感が笑えるw
イギリス側が、あとから薩摩的には勝ち戦と思ってると気づいて納得いかない…って感じもw

631:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 03:25:04.04 LiNX3FcwO
>>612
サトウが正しい、いや伊藤が正しいで論争してるな

結論はでてなかったみたいだね

ほんの少し前のスレなんだから自分で見ないといけないよ

632:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 05:37:18.41 Os/txkq20
長州藩的には、一応合理性があるんだよ
列強艦隊は上陸後の長期継戦は不可能だろうから、むしろ藩論を固めるのに攘夷は使える
攘夷実行への反撃を座視したら非難が起きて幕府が仲介に入ると

確かにその通りだったんだが(最初消極的だった幕府はそういう非難も恐れて長州に出兵した)、
禁門の政変の最中に再度、懲罰攻撃されるとは思ってなかったのが痛かったな

633:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 17:55:00.30 JRQ6KimI0
1864年7月24日(陰暦)、4カ国連合軍は下関遠征に関する覚書を作成しているが、その2項に賠償金を受け取るまでの間、海峡沿岸地域を保障占領するという項目がある。
期限のある保障占領で租借ではない。
そもそもこの話は、『伊藤博文伝』での伊藤の約45年後の回想ででてくる話であり、イギリスの外交記録やサトウの日記、回想録には一言も登場しない。
実は、4カ国連合軍の指揮者イギリスのキューパー提督は、あたえられた兵力では占領は不可能として、この2項を実行しないと決めていた。
しかし、交渉の中の取引材料としてそのようなこと持ち出していたのかも知れない、だからすぐにそれを引っ込めたのであろう。
高杉が拒否したかどうかは不明だが、彼は賠償金の支払いは幕府のすることだと一番強硬な意見をいっているから、彼が反対したのかも知れない。
伊藤とすれば、自分たちは外国のいいなりになっただけではないと言いたくて話を大きくしたのではなかろうか。


634:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 21:51:10.43 RMpa3FMKO
まあサトウ日記では高杉は最初は魔王みたいに尊大な態度だったけど
最後は大人しくこっちの言い分全部聞いたよってオチだから
伊藤的には話を大きくして反論したい部分はあったかもしれない

635:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 22:34:02.42 GAKxHPJa0
伊藤の話は既に歴史として話してるから信用できる
サトウはイギリス側の利益代表者として当時の日記に書かなかっただけだろうな
日記を書くと言う事は当然他も見ることを意識して欠いてるから
日記を全て鵜呑みにするなんてナンセンス

>>627
なんだその司馬小説みたいのわ
薩英戦争じゃイギリスは戦艦3艦破壊され大打撃を食らってるし
その理屈なら暴走したのはイギリスの方
そもそも当時内乱せずに攘夷戦に絞ってれば勝ったと思うし
講和結んだのは利益になら無いからなだけ

636:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 23:34:13.69 62a5UV6n0
時間たってからの記憶に基づく回想を疑うのが定法です。

637:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/23 03:52:05.31 igcUsgMs0
>実は、4カ国連合軍の指揮者イギリスのキューパー提督は、
>あたえられた兵力では占領は不可能として、この2項を実行しないと決めていた。

これは「遠い崖」にあった?自分もソース探してるんだけど出典が知りたい

638:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/23 17:42:03.75 VCY7g/E7O
すでにでていたらすみませんがもし長州が負けかけたら、薩摩は援軍をだしたでしょうか?

639:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/23 22:16:35.29 fZFMXCJx0
>>631

( ゚Д゚)ハァ?
みんなお前が空気読まん質問する以前からの続きやっとるだけやで

すでにかなりの議論をやりとりしてから
>>602
>古事記でけむに巻いた事実はあるの?
 司馬とくいの捏造?

なーんて間抜けな質問しとるから嫌がられとるねん
お前が質問する前に同じような質問やりとりがすでにあったんや
しかもお前の質問はレベル低い質問
もっと勉強してもうちょいレベルの高い質問せえや
ええ加減 気付けや 粘着野郎




みなそのままスルーで話続けてや




640:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/23 22:59:04.90 OqLDPPyFO
>>639
もうやめたら

彦島租借の話しに戻ってるじゃないの

一人で馬鹿みたい

641:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/23 23:30:51.58 47Msc4ooO
>>640

しつこい。
いい加減ウザイ。



642:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/23 23:43:45.28 47Msc4ooO
>>640

すまん、>>631がしつこいと言いたかった。
もう放置でいいだろ。


643:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/24 22:32:35.75 G0U6yhcYO
>>639
皆が議論してるんだから彦島租借の件は結論がでてなかったということ
結論がでてるという君の主張は間違いでした

>>642
自分からイチャモンつけておいてイチャモンに対する反論をしつこいとはw
どちらが正しいかは誰の目にも明らか
スルーすべきは君のレスのほうだな
次の君のレスはスルーしてあげる

644:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/24 23:41:57.38 SQBbgW+60
失笑

645:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/25 00:06:06.94 fIbWgEA70
彦島租借の件は結論が出たとは誰も言ってないと思いますよ
もういいでしょう、そろそろやめましょうよ

646:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/25 01:03:46.82 Mei5IUNz0
もうやめろ
スレの流れは彦島租借はあったのか高杉の逸話は本当か結論はでてないだ
イチャモンをつけたのがどっちかは見れば誰でもわかる
こだわったらお前もバカ
スルーしろ

647:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/25 10:28:43.32 SYJopCxj0
まぁ新資料が欲しい所だな。

>>598
長州藩が航海遠略策を放棄したときの勅がうたってたのは、和親条約も破棄って内容。
当時は一番過激な久坂ですら、既に勅許が下りてた和親条約の破棄までは考えてない。
あくまで、勅許が下りてない通称修好条約に反対するってのが大義だったから。
んだからその内容の確認のために、桂とかが京の公家周りを走り回ることになった。

>>629
薩摩の誰かからは案外強くないとか言われたこともあるらしいが、薩摩だからなぁw
つか、戦意が怪しくても規模はアホみたいにデカイ幕府軍を、長州以外ではどこの藩なら退け得たか考えれば
答えは自ずから明らかだと思うが。強さってのは相対的なもんなんだから。
とりあえず薩摩はやれそうw

648:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/26 07:59:54.10 G5NDGThJ0
高杉の辞世の句って高杉のかどうか分からないって本当?
あの「おもしろきこともなきよをおもしろく」の奴。

649:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/26 11:17:20.06 mBkvKC8hO
それは普通に高杉作
ソースがわからないのは三千世界
高杉作と紹介した(今のところ)最古の文献が思いっきり引用間違いしているという

650:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/26 16:31:25.18 VI2ox77j0
長人、怜悧なり

651:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/26 17:15:38.04 1oKUKBRI0
三千世界の~は、高杉説、桂説、久坂説があるんだっけか
イメージ的には高杉が如何にもって感じだがw

652:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/26 18:01:45.49 mBkvKC8hO
高杉説は下手したら一番根拠が怪しいけど、一番イメージ合うよね
個人的には合作ってことにして欲しいw

653:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/26 20:50:05.08 G5NDGThJ0
イメージに合うというか。この歌詞とか辞世の句から
小説家たちがキャラクターイメージしただけでしょ。

654:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 01:21:07.28 54qBWc6w0
ごもっともw
直筆遺ってないのが残念だよなぁ<辞世

655:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 11:03:53.34 sY2xxoZX0
>>572
中国で米国通史を買おうとして、断られて(外国員への販売は法律違反)、
ひと悶着起こしてるもんね、高杉は。

656:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 17:41:59.83 m61BrWyBO
桂太郎がパロディのような都々逸(三千世界の烏をさとし、そして朝寝をしてみたい)を書いていたから、
作者は不確かながら、長州藩士の間では有名だったんだろうな
あと、おもしろきこともなき世に~は、確か死ぬ4ヶ月前の12月ころに作ったから
厳密には辞世の句とは言えるかどうか…

657:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 21:06:43.60 L4w0Sq6S0
木戸が長州閥のトップになれたのは高杉が先に死んだからだよね。

658:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 21:31:37.58 TxTLYlQt0
高杉さんが政府に収まるタイプかどうかは…

659:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 22:24:10.95 kRlYBDKUO
木戸は高杉が死ぬ前から実質長州のトップだったし…

660:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 23:29:10.12 Vgr3Spz80
クーデター成功後、「桂さんなんとかして~!」と探してたからね高杉自身が。
高杉は最後まで桂を兄貴分と見ているだろ。いろいろ相談もしてるし。
てか高杉の桂あて書簡は相当あまったれてるよなw
山県あたり相手だとかっこつけた手紙書いてるくせにw

661:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 07:28:21.46 I4HEXZ5Y0
高杉が死んだ事で松下村塾派閥が弱まり木戸がちゃんとTOPに
建てたってのはあるね。

662:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 08:42:22.50 4xh3qWen0
だからどんな派閥だよ、それw
藩政府に全然食い込めてないし、力を発揮した場面が全然無いじゃん

663:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 08:45:22.15 DW3Bbul6O
ないです
あんたがどんな歪んだイメージを持ってるか知りませんが
そもそも村塾閥ってなんなの

664:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 08:46:44.29 DW3Bbul6O
あ、ごめん
>>663>>661

665:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 08:53:36.36 7t0rc0+h0
久坂あたりが先導して村塾出身者ががんばって活動したってのはあるが、
それだって松陰の弟子たちに周布や桂が目をかけてやってたから活動できたんだが
高杉を中心とした村塾派閥ってのは珍説ともいえないぐらいの幻想だし
高杉の死で木戸がトップに立ちやすくなったってのは笑うしかないほど見当違い

666:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 10:58:40.16 uHchZMjhO
高杉が死んだから木戸がトップになったんじゃなくて、
高杉がいるからこそ木戸がトップになったんだろ。時系列考えろ。
広沢じゃあ高杉ら暴走する村塾生を制御できないからな

667:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 11:55:26.94 aghWAfOh0
そういや木戸帰藩前に、広沢が藩要路に宛てた書簡
「諸隊今解散させたら暴走するからやめたほうがいい」ってのが残ってるんじゃなかったっけ

668:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 15:40:24.22 W7txP2Tm0
むしろうまく制御してる。

669:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 18:14:58.62 QiSaAtk20
>>668 KWSK

670:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/29 20:41:21.35 jNvK9RGZ0
高杉が居た時代の木戸はトップではないと思うんだよね。
高杉が作った革命政権に雇われた感じ。

671:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/29 21:14:43.95 VjXyp5QI0
思うんだよね
感じ

この人いつになったら妄想じゃなくて根拠のある話ができるようになるんだろ?
ていうかいい加減ここで寝言喚き散らすのやめて欲しいんだが

672:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/29 22:34:46.25 jNvK9RGZ0
ていうか木戸は革命に参加してないんだからトップに立てないでしょ。
奇兵隊とか革命の主力が納得しない。

673:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/29 22:47:56.60 jcn1r9pM0
木戸が政権トップについたのは高杉が尻まくって逃亡している間なんで、
高杉革命政権とかありえませんがw
正確には、革新中道保守の連立政権首座に木戸が迎えられたってことだよな
路線としては革新なんだが

674:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/29 22:50:08.04 VjXyp5QI0
「ていうか」がどこにかかるのかがわからんわ

675:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 02:56:54.93 5G6u1kpG0
「ていうか」は諸隊並みに独立していて
どこにもかからず、どこからの命令も受けません。

676:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 05:38:02.11 5kpR9bYE0
高杉の藩内革命がなければ木戸は帰藩すらかなわなかったわけで、
このときに高杉と木戸の事実上の序列は逆転た。

677:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 06:46:31.89 R++WUhri0
いや、高杉のほうが木戸を立ててるわけで。
しかも藩内の政権を構成してたのは鎮静会が中心だろ。
高杉では藩内の中道保守層を動かせたとは思えない。
支藩といざこざ起こして萩政権にかばってもらえず逃亡する羽目になったぐらいなわけで

678:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 10:07:05.68 YuI3DJ4P0
>>676
その高杉は馬関の件で、桂が帰ってくるまで大坂の方に脱出してるんだが。
つか、それ以前に長崎から海外に渡航しようとしてるしなw
色眼鏡無しで見れば、高杉のクーデターで桂が帰って来れる様になり、
桂が高杉の失敗を収拾して帰って来れる様にしてるじゃん。

大体この二人が対立してたなら、その桂に、愛人と暮らしてたら妻とオカンが乗り込んできちゃうよ…
金も無いし…内心泣きそうなんて手紙送ってる高杉は一体なんだったんだよw

679:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 11:23:05.30 UpmMJ/EWO
高杉も桂もお互いにお互いの足りない所を補いあっているというか
相手がいるから自分が苦手な分野をやらずに済んでいるというか

680:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 13:08:33.34 JJ5lRGsG0
長州は朝敵になるし、外国との戦争には負けるし、
藩内で争ってる場合じゃないのがうまく働いた。
不幸にも藩内の争いが先行してしまった土佐と好対称。
東洋暗殺大失敗。


681:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 19:37:08.27 LopPrV+k0
内乱までしてるのに何を言うのか
そうせい候のおかげだろ

682:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 20:18:38.35 2X7BnuNT0
高杉は奇兵隊を作っただけで上手く扱えてもなかったしな。
奇兵隊の奴らって結局何がしたかったんだろう?

683:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 20:35:52.42 OV9fojV50
>>681

確かにそうせい候がそうせい候じゃなかったら
長州の運命はまったく違うものになってた可能性はあるよな

684:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/31 09:54:19.93 GxekY3WN0
>>682
志願兵でしかも藩に頼らずとも活動が可能だったから、隊士の総意のが強かったんだよ。
だから赤根武人も、結局隊士が俗論派との融和に反発したから脱隊せざるを得なかったし。

士官学校制が正常に運用される前は、多かれ少なかれそんな感じ。
大村益次郎の軍制改革の中にも、「編制や教育を統一し、幹部の人事異動を可能にさせる」
ってのがある。
例えばナポレオン戦争中のフランス軍なんかは、兵と下士官の互選選挙だった。

685:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/31 13:17:40.97 VmzqrcyO0
そもそも下の意見を無視するトップダウンの世の中でいいなら、
志士なんて生まれないしね。
将軍のいうこと聞いていればいいなら志士は必要ない。
諸隊の隊長もしかり。


686:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/31 22:35:29.76 nUzINh490
西郷とかなら下の奴も文句言わずについてきてたのかな。

687:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/31 23:08:28.20 brRefX0q0
諸隊のトップは西郷には無理じゃね?

688:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/01 12:31:50.73 bM+Wo2dG0
薩摩では、けっきょく諸隊みたいな農民兵を含む軍って
西南戦争に到るまで出なかったんじゃないの
西郷にとって農民は、統治したり庇護したりする対象ではあっても
率いてともに戦う兵士とは考えられないだろう
高杉らは士族以外の兵たちのやる気と根性に期待したし
訓練すりゃ使えると思っていたわけだが
西郷はそういう一種の信頼を農民兵に示し得ただろうか?

以上から「西郷なら諸隊の兵をまとめられた」という命題は
成立しないと自分は考えている
西郷が長州出身だったら? という話も成立しないな
長州には斉彬侯はいないからな

689:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/01 20:50:04.21 ZDqLUvjx0
あの司馬が良く使う薩摩型の大将ってのはどこまで本当なのかね。
無能を装って部下に任すのがいい大将で長州にはそういうのはいなかった。

みたいに言ってたけど。乃木と東郷が似たような性格だから言ってる事
矛盾してるじゃん。って坂の上の雲読んでたとき思ったけど。

690:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/02 00:05:48.99 aYJDcaj20
県民性が違うよ、九州は徹底的に体育会系だから
西郷は今でいったら親衛隊抱えたヤクザの親分、高杉は民主主義に目覚めた近代人だよ

691:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/02 02:23:28.07 P/vGQdO9O
>>689
そうせい候こそあるい意味そういう大将かもしらんね

692:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 06:54:07.43 0OCaUFiw0
結局松蔭、久坂、高杉が望んだ天下に大本を大義を打ち建てられる英雄とは
西郷だったのは薩摩嫌いの長州に対する歴史の皮肉だなあ

693:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 08:03:11.91 nm3HXYPC0
松陰は別に薩摩嫌いではないでしょう。久坂も西郷と会ってるし。


694:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 15:20:38.90 qqWkTNq2O
それ以前に西郷のどこが長州の望んだ英雄なのかと

695:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 17:53:25.36 eAyioHZ40
武士階級の象徴として反乱起こすような人はちょっと・・・

696:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 19:29:44.55 ceqBn/2o0
西郷と松陰は同い年だから似たような思想っぽいけどね。

697:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 20:11:07.01 /s+QoW+7O
西郷は松陰の2才上
大久保と松陰が同い年で生まれも数日違いだが思想は全く似てない

つーか松陰らが望んだ英雄に伊藤や山県がなった訳なので、
別に皮肉でもなんでもない、順当な結果ですね。

698:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 20:36:44.39 qqWkTNq2O
同い年だから似たような思想って何

699:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 20:58:01.87 ceqBn/2o0
>>698
なんかあの時代って歳によって考え方に違いがあるような気がするんだよね。
今だって団塊の世代とかと世代ごとにまとまってるんだし。
松陰の世代 木戸の世代 伊藤の世代とやっぱ違うんだよね。

700:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 22:41:49.04 qqWkTNq2O
一年ごとに世代が変わるとでも言うのか
つか訳のわからん主張をする前に松陰が誰と思想が同じか位統一しとけ

701:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 07:02:23.76 rFEzsyMt0
結果的に幕末の混乱の中で天下の期待と衆望を集めて英雄になったのは西郷のみだったからね
長州でそういうタイプは居ない
松蔭も高杉も久坂も自分はやはり書生で、高杉も自分は少しそういう面はあるが100万の心をつかめる英雄でないと認識してた様だし
まあ西郷は維新後反政府の期待も一身に背負って反乱者になってしまったが
それまでの多くの功績は否定できない

702:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 08:57:33.01 1hy+d6om0
史実として、薩摩以外でもそこまで西郷が英雄視されたのか?
どの藩の人間からも一目も二目もおかれていたのは事実だし
西南戦争が始まってから判官贔屓で庶民の人気が盛り上がったのは知ってるが
…っていうか、そもそも長州に西郷がいたからってみんな黙ってついてくとは思えないし
そう考えると松陰の英雄待望論はないものねだりだった気もw

結局明治維新は英雄が起こしたものではないと自分は思っている
英雄はいないからこそ、つい英雄はいないの?って探しちゃうときに、
もっとも英雄イメージを仮託しやすいキャラが西郷なだけ
幕末の西郷には凄味がある でも薩摩の藩としての凄味のほうが上回るし
そのことが西郷の英雄イメージを実際より大きく見せている
まあ凄味で勝負しない(できないともいうが)長州が自分は好きだけどな

703:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 17:31:41.46 o7RXFT170
そもそも長州の人らって人に畏怖された系のエピソードないよね。
薩摩は西郷はもちろん大久保だって桐野がびびったってエピソードあるのに。



704:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 19:19:42.35 MPAF4bghO
黒田は木戸の名前を聞いただけでびびって逃げ出しておりますが
近藤が桂は剣を構えただけでこえーって言っていたという逸話もあるな

705:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 19:20:32.94 jWWeq9TD0
黒田は酔っ払って木戸に絡んだ男でしょ。

706:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 21:37:49.94 JcYKRQvx0
当時天下から生ける英雄として認識されてたのは西郷のみ
木戸や大久保すら単なる派閥の長程度の認識だし
薩摩人を馬鹿扱いしてた江藤さえ西郷を英雄と呼び藩閥解体ために力を利用しようとした
西郷を特別支持してない反政府層や野心家からも西郷さえ立てばと期待を一身に集めた
そういう幻想も含め抱かせられる大いなる求心力こそ英雄
西南戦争までに政府は着々と力をつけたが
それ以前は西郷の方が軍事面でも明治政府より上回ってただろう

707:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 22:04:43.52 jWWeq9TD0
けど西郷って軍事的にすぐれた事ってやってないでしょ。

708:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 00:31:24.19 hOsWtuS40
>>702
> 史実として、薩摩以外でもそこまで西郷が英雄視されたのか?

旧庄内藩士が有名。
不敗のまま降服したけどお咎め無し。
それが西郷の主導だと分かったので。
「南洲翁遺訓」を最初に出版したのは山形県人。

wikipediaにすら書いてある有名な話。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

709:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 00:32:25.87 hOsWtuS40
>>707
内戦で相手蹴散らしても褒められたことじゃない。

710:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 07:21:53.64 xk/pChkd0
そういうこと言い出したら、大久保だって神社建ってるじゃん。
木戸は地元に建ったから勘定に入れないが。
そんなことが、西郷が松陰らが求めた英雄だという証明にはまったくなりません。
はいもうスレチはおしまい。

711:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 14:57:19.44 /4l9KjeV0
現に英雄の役割を果たしたのは西郷だからね
王政復古から江戸城無血開城~戊辰戦争~廃藩置県~西南戦争まで
明治政府が正しい視点は現在の視点に過ぎないし
西南戦争までの重さからすれば西郷>明治政府と言っても良いでしょ
だから政府は西郷を恐れたし反政府側は政府を覆せるのは西郷と期待した

712:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 15:16:31.18 AZETQ79bO
西郷が何かしらの英雄的要素を持っていたことは否定しないが
ここは高杉スレなので。
お後、西郷スレでどうぞ。

713:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 16:17:23.65 4PwKN8MWO
英雄の役割果たしたのは普通に明治天皇だろ。
そういう風に利用したのが岩倉や西郷大久保木戸な訳で。

714:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 16:31:04.16 dCM4AOay0
明治天皇が神格化されたのは明治になってからでしょう。
最後もなんか体調悪いのに山県とかに無理させられたぐらいだから。
元老クラスは下に見てたんじゃないかな。

715:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 17:34:33.70 065W7V6N0
近代国家に英雄など不要

716:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/06 22:44:55.31 zoTIlqEq0
>>713
そのとき明治天皇は幼児じゃん
知らないの?

717:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/07 00:46:32.21 xdwcLJ7s0
だからもうスレチだってば
しかし何歳まで「幼児」なんだよw 天皇とっくにミドルティーンだよ
もしかして「幼沖の天子を云々」って話から幼児っていってんのかw

718:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/10 14:23:16.11 i8ZLVgU+0
前田通れば 目蓋に浮かぶ 男晋作 晴れ姿
って聞いたのですが
これの出典はどこでしょうか?

719:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/10 18:46:15.04 q+fZfKkM0
作者不詳の都々逸のはず。

720:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/11 02:14:37.34 ch1AAmXP0
この人は俺からみると過大評価されすぎ
確かに事に及んでの士気を鼓舞する能力は凄いが
普段やってる事は余りにも出鱈目

721:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/11 02:25:49.93 qGBhJKZ80
むしろ過小評価されすぎ
ここ一番で一番凄いから明治維新起こせた

722:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/11 10:32:33.62 fH/7e9IBO
松陰に
「防長年少第一流の人物にして、固より亦天下の英才なり」
と言わしめた久坂玄瑞と、
徳川将軍を乗せた参勤交代の列に罵声を浴びせる奇才高杉晋作

あなた方一比羅夫が彼らの評価を語るのは非常に滑稽


723:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/11 20:47:48.68 pbDnLkLE0
独力でドラゴンレーダーを作ってしまうピラフ大王って何気に天才だよな

724:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/13 00:20:39.35 1zHWZDjZO
高杉は彦島租借を古事記でけむにまいたってのは嘘なのホントなの

725:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/13 01:24:37.07 hIPqvBZo0
こないだループしてたばっかの話持ち出したら嵐認定されるだけ

726:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/13 17:19:37.54 QuRJdhxIO
>>724
まあ伊藤博文の作り話だろうな。
有名な話だから取り上げるけど研究者だって本当に信じてはいないだろうよ。

727:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/17 02:52:57.33 Jd20qm4p0
>>724
それ俺もききたい
花神でみた
面白いよなあのシーン

728:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/17 04:37:00.36 ISQWkNIO0
友達に、高杉晋作って何やった人?って聞かれて、例の彦島の件だけ教えて終わっちゃった

729:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/17 17:31:44.07 iBoNs60LO
いや、あれは高杉じゃなくて宍戸刑馬だからw

730:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/02 20:51:11.63 9xXP51/OO
面白いのう…

731:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/06 22:26:50.14 SMt7rq9t0
伊藤が最後のほうで高杉君呼ばわりしてるけど、
あの時代君づけで亡くなった先輩を呼ぶのは失礼じゃなかったの?

732:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/06 23:05:10.25 G5tEVYyh0
木戸の跡継いだ甥っ子が木戸のことを「松菊君」って書いてたから失礼じゃないんじゃね?

733:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/07 19:36:44.78 ZmBANUa8O
>>728
高杉晋作伊藤博文

734:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/09 21:18:36.76 2nOK+Mqa0
軍艦に乗り込む時に「俺は扇子で十分」って言って武装しなかったってのは
史実?それとも司馬の創作?

735:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/10 08:01:08.09 5RMU21PwO
田中光顕の創作じゃないかな?

736:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/13 20:23:21.10 a0WwyLv3O
高杉と木戸旧家行ってきた
彦島出身なんだけど
萩には行ったことなかった
あまり人いなかった

737:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/21 07:10:44.66 PQOmJ+qt0
萩と高知に
半年位住みたい

738:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 09:03:57.09 YAsEYiUuO
おうのさん結構長生きしたんだね

739:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 13:20:02.24 kOq8GFpf0
初心者な質問で申し訳ないんだけど・・・
「高杉晋作資料 東行先生遺文 山口新聞社ほか/昭46発行/」
「高杉晋作全集 堀哲三郎編、新人物往来社 /昭49発行」
これに収容されてる内容とか違いなどをざっくりでもいいので教えていただきたい。
いずれは両方入手し勉強したいのだが、どなたかひとつよろしく。

740:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 13:43:35.05 S+It01kK0
動けば雷電の如く、発っすれば風雨の如し・・であってるかな?

741:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 17:33:25.37 wAckmXtZ0
高杉は運で生きてきた奴。実力は皆無。

742:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/24 22:52:37.37 ywUH+FQI0
運すらない奴にとやかく言われる筋合いないけどな。

743:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/25 10:11:03.93 /XWIp3WIO
>>740
合ってるよ

744:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/27 07:18:30.83 /V7Pf0Sd0
真面目な性格だったのか。狂った性格だったのかどっちだろ。
インテリなんでしょ。

745:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/27 23:50:49.34 KtP/2hr30
松陰の弟子3虎の性質比較評価。
高杉晋作

「高杉の識見と気魂は他人が及ばない。頑固で、人の言うことに耳を傾けないように見えるが、取るべきところは取る。必ず大成する。」

久坂玄瑞

「久坂は潔烈な志操と縦横の才を兼備してる。清潔、激烈であるが縦横無碍の才あり、しかも人に愛せられる。」

吉田稔麿

「稔麿の識見は高杉に匹敵する。いささかの才がある。これが気魄を害す。気魄衰えれば識見また昏む、気をつけるべき」



746:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/29 01:00:20.95 6rKTw5KW0
識見ってのは知識って事だよね。

当時の知識っていうと
国学。歴史。政治。地理
とかそんなもんかね。西洋の事とかも知ってたんだろうか。高杉

747:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/29 07:03:45.31 by1iOHKC0
>>746
ageたんかな?
識見を辞書で引いてみてね

748:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/29 17:12:09.04 MFWRdbXV0
高杉は上海でアメリカ史を買おうとして、
中国人に外国人に売ると法に触れると断られている。そう日記に書いてる。
各国の今の状況だけでなく、植民地化、独立の歴史の知識があった。


749:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/29 17:48:22.93 FJNwaggb0
ageたん本読めよ
高杉なら現代語の日記でてんだろ
I坂だけど

750:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 21:43:10.58 nX1ijFSg0
>>749
本屋で売ってるの?

751:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/31 23:52:57.47 6VUtv+xdO
アマゾンで買うたらええがな。
しかし一坂って毎度お騒がせな奴だね。

752:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/01 00:07:03.03 5a6RAmN70
なんでageたんはぐぐろうともしないのかね


753:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/01 00:20:37.27 6Tlol+4a0
識見調べた? 識見と知識はイコールじゃないよ

754:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/02 23:43:11.50 mzPWgoUwO
晋作終焉の地から東行庵まで遠すぎてビックリした
昔の人って50~60kmの距離を遺体担いで歩いたのか

755:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/03 01:16:54.62 fq9CrOMU0
>>754
海路(水路)で移動できる。小月から吉田川を登れば吉田までたどり着く

756:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/03 09:21:01.22 xzOo1/GCO
>>755
それでも小月までけっこう距離あるー…

現代っ子感覚じゃ計り知れないわ
こっちは震災の時、都内から千葉船橋までも歩けなかったっつーのに!
台車とかにのっけたのかな?www
…なんかアホっぽくてゴメンね

757:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 11:12:21.05 y4CbebmM0
馬じゃないの?

758:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/07 11:23:57.58 xXMocrGc0
>>756
新地は海が近いので小月へも陸沿いに船でいける。
小船ならそのまま木屋川を登っていけるし吉田へは簡単に到着する。
当時は埋立地がないので現在の日清食品のあたりまで海だったはずなので
それほど遠回りにもならない。

759:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/12 22:25:14.01 Teqo3EbI0
■■■■■■■■■■■■■■■■
日本人は『必ず』見て下さい。
『あなたの将来』に関する事です。
■■■■■■■■■■■■■■■■

これはテレビでは流されない『現実』です。
あなたの家族・恋人・友人達そして『日本人の未来』に関係する重要な事です。

マンガ、人権救済法案
URLリンク(image01.wiki.livedoor.jp)
URLリンク(image02.wiki.livedoor.jp)
危険!外国人参政権
URLリンク(livedoor.2.blogimg.jp)
日本人を滅ぼす人権侵害救済法案に反対!
URLリンク(www.youtube.com)
マスコミの偏向報道に抗議する人々
URLリンク(www.youtube.com)
着実に進む「人権侵害救済機関 設置法案」
URLリンク(www.youtube.com)
シミュレーション「もしも外国人地方参政権が成立したら?」
URLリンク(www.youtube.com)
『朝鮮人制連行論説』の実態
URLリンク(www.youtube.com)
人権擁護法案(人権侵害救済法)は外国人参政権とも関連している
【民主党】人権救済機関は権限強い「3条委員会」に 人権擁護委員の要件は「地方参政権を有する者」と将来的に外国人も
スレリンク(newsplus板)
【正論】 日本大学教授・百地章 震災のかげで「悪法」を通 すのか
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
あなたは気付きましたか?
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

760:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/15 01:13:51.47 9xy0yH9s0
上海で外人と会談してるけど
高杉は英語できたの?
筆談くらいでも

761:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/15 05:47:53.30 AvRIQII+0
だから革命日記嫁 外国語できるオトモダチがいっしょだ

762:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/15 07:32:48.56 6BYMrsRI0
ヒャッハーとイギリス大使館焼き討ちにしたり
オッス!征夷大将軍と言う高杉△

763:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/15 12:12:54.10 6YIe83eMO
つかI坂って嫌われてるの?
書籍わかりやすくて好きなんだが

764:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/18 09:16:08.09 neCyASovO
カニが好きなのか

765:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/18 19:06:09.31 67B+mxQ60
i坂は下関や萩の自称郷土歴史家のおっさんたちに嫌われてんだよ
県外出身なのにどんどん業績上げてるから。
山口県てのは本当の田舎だから、部外者は徹底的にいびる。(観光客には優しい)
それが嫌ならオラが村の権力者(古川や知事)に媚びれば良いのだが
都会っこのi坂は田舎の慣習であるそれをしなかったので叩かれるようになった
それだけの話。
郷土歴史家達が古文書読めればそれで終わる話だが、彼らはそういう知識は無いので
i坂が解読した物を横からかっさらおうとする。実際泥棒のようにかっさらう。
散々そういう目にあってきたからi坂はきつい性格になったんだろう。

766:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/18 19:18:13.86 Ba+ambGk0
今年の春、久しぶりに東行庵に行ったのだけど、
記念館自体はもう書簡や遺品など直接高杉本人に関わるものの展示は皆無。
高杉の小さな像があるくらいで後は東行庵と記念館自体の歴史みたいなものが僅かに展示してあるだけ。
あれじゃ中で売ってる限定書籍を買うためだけに入場料払ってるようなもの。
その販売書籍類もたいしたものでもないし。
建物も老朽化が進んでいるし、遺品たちが萩に移ったのもやむなしという感じだね。
本人の墓所だし、ちょっと寂しい話だけど。

767:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/18 19:42:20.63 neCyASovO
>>765
高杉子孫から預かった物を返す返さないとかで揉めたのってi坂(萩市?)じゃなかったっけ?
どっかのサイトでそんな記事見た気がする

768:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/19 00:39:32.86 ukmyd9oj0
>>767
765じゃないけど
それ未だに裁判続いてて東行庵側がもうしっちゃかめっちゃかな言い分
すでに県内に住んでいない高杉さんちまで凸を繰り返し
その心労もたたって高杉さんは先日お亡くなりになってしまった
裁判官もどん引きの、地元では有名なムカつく話
因みにI坂さんはとっくに東行側に勝訴しているよー

769:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/19 00:51:07.61 ukmyd9oj0
スレ違いだったらごめんね

簡単に言うと、高杉家のものを東行庵がずっと預かっていたが、ほったらかしになっていた。
状態が悪くなってしまうと高杉家は心配していた。
そんな中、ヤングI坂がやってきて研究を開始。成果を次々に上げる。
憎たらしく思った東行庵(を牛耳ってる人々)が「ここは研究の場ではなく墓場。出て行け」と命令
それならばと、しっかり研究してくれそうな自治体に高杉家が遺品の研究と保存を依頼。
すると東行庵逆切れ、「この史料は東行庵の物、高杉家の物ではない」と高杉家を告訴。
その裁判が今でも続いている訳だ。つまりI坂は実は余り関係なく、高杉家vs東行庵のかたち。
当然だが晋作の遺品は高杉家の物だ。しかし東行庵側は「昔くれるって言いましたー」と引かない
本当に裁判官も弁護士も地元民も皆呆れている

770:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/19 03:42:07.11 oByhq3dR0
>>769
今山口県に残ってる長州人は、嫉妬甚だしい長州俗論派の低脳国賊の血筋ばっかりだからなwwwww

長州正義派の家系はみんな京や東京に移動しちゃってるからw

771:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/21 09:29:31.94 IXUVVHNeO
東行庵主三代目までは養子縁組みといえ谷家
だから祖先である高杉をきちんと大切に守っていた

今の四代目は…運営&東行庵拡大にしか興味ない感じ


772:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/21 12:43:30.52 SdlC+BeK0
あれじゃ人は来ないよね。
平日とはいえ記念館の中も、東行庵、庭園内も自分一人っきりだった。
おかげでゆっくり貸し切り状態でお墓参りはできたけど。
辺鄙な場所でもしっかり遺品の研究、保存、展示を行ってくれてたらまた行きたいと思うんだけどね。
遠方から行くとなると今だったら断然、萩の方が見るべきもの多いから。







773:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/30 23:20:07.77 Xr+HyY/s0
手紙本を買ったけど、これ原文に解説っていうスタイルなんだね
日記みたいに現代語訳かと思ってたから、orzってなった
高杉が手紙を保管しないのは有名だけど
聞多宛のが木戸に渡した2通しかないってことは聞多も保管しないタイプだったのかね

774:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/30 23:48:15.03 sN3lRieY0
時代違うけど乃木希典と玉木なんとかが先祖にあてた何でもない手紙なら実家にあるなあ。
先祖が長府藩の士族だったもんで・・・

775:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/31 18:58:04.47 7KD5QfuR0
玉木文之進では?
それ何でもない手紙と言ってもお宝ですよ

776:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/06 14:02:46.21 4os6p4ML0
松陰の叔父でもあるしね

777:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/07 23:33:49.02 LXPJYE9n0
しかし一坂も思い込み激しいのかヘンな事書いて
他の研究者によく突っ込まれてるよね
山口無関係の所からも

778:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/08 00:02:27.94 KKitac2C0
手紙本に興味あるけど、どんな感じなんだろ

779:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/08 18:04:28.94 cju01XlCO
一坂が厳選した文書の原文の後に解説文
現代語訳はついてない

780:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 08:03:36.36 YsaHM2++0
西南戦争、高杉晋作がもし生きていたら西郷隆盛と一緒に戦っていたのではないか。


781:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 09:37:07.15 ftm1AL/Y0
>>779
ありがとう
原文と現代語訳、両方載ってるとベストなんだけどなぁ

782:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 12:04:35.53 hhj9amrtO
>>780
西郷のこと大嫌いなのに?
むしろこのチャンスにとばかりに討伐するんじゃね?

783:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/09 23:52:00.21 aXprXTN3O
>>780
高杉は薩摩は嫌いだろうし西郷タイプの人間は更に嫌いそう
西郷も、井上を馬鹿にしてたから高杉も同様だろう

薩摩なら五代とか中井と気が合いそう、つか高杉は生きてたら築地梁山泊メンバーにいそう
若手急進派でガチャガチャやってて木戸を困らせつつたまに援護

784:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/10 18:10:58.64 BE2nimbh0
実際、五代とは上海行きで意気投合してたよな


785:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/13 06:42:57.04 gaq/i1KB0
高杉は薩長同盟進めたし木戸と違いあっさりしてるから
高杉が生きてれば井上以上の貪官汚吏として奇行の人として名をはせただろう

786:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/13 12:57:19.14 3yXrfHs4O
いやああ見えて根は真面目だよ、根は
ただちょっとそれを出す機会が少ないだけなんだ

お金のフォローは無理だが

787:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/14 11:34:01.17 ndDrxnp80
公金と私金の違いがついていたようには見えないけどw

788:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/14 22:19:58.80 6WIvNod10
あと政治家は無理だと思うw

789:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/14 22:22:49.76 yXttQibB0
山県みたいに参議になりたいなどと言い出さずに軍部の掌握に専念するかもな
まあ何よりまずは留学だろうから、形だけでも政府に席は置くと思う

790:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 19:38:31.90 1n/bE0Yk0
例の裁判、判決でたね
URLリンク(www.minato-yamaguchi.co.jp)

東行庵を牛耳ってる奴らはこの騒動で亡くなった高杉さんの墓前で土下座しろよ

791:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 20:19:20.96 TG+rLJ280
おぉ。
でもそらそうよな。
フツーに考えて本人の遺言や贈与証書がないなら遺品は高杉家のもんだろ。

それにどう見ても今の東行記念館の設備では遺品のまともな保存行為は無理だろうよ。

792:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 11:11:35.78 zqVqlGge0
良かったね。
つか東行庵の設備費って、先代達が基金作って潤沢にあったはずなんだけど
なんでそれを使って史料を保存出来る環境を整えようとしなかったのかな。
ま、まさか使い込み…?もしそうなら根は深いよね…((((;゚Д゚))))

793:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 18:35:35.83 iLtv3gww0
ピカピカの萩博物館の高杉コーナーを観た後だと
東行記念館のボロ具合が際立って見えるわ。
周囲の菖蒲園の手入れとかにはそれなりにお金かけてそうだけど
記念館の中は蛍光灯も薄暗くて、なんだか昭和の古びた田舎の役場みたいな感じだったもん。

794:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 07:59:17.73 5+udcHwQ0
こんなラディカルな人は死ぬ運命だよね

795:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 21:41:13.83 iZwefJal0
何も成さずのほほんと生きながらえるよりは魅力的だけどね

796:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 22:33:29.04 rCfjJjxU0
というかラディカルでなきゃ日本が植民地にされたからな
非常の難をおさめるには、常道を以って対処してはならない
非常の行動をする者は、常眼以て見てはならない
>>789
高杉は奇兵隊作ってもあっさり他に譲って、それ使って権勢拡大とかしないからなぁ
クーデターした後も政権トップから逃げたし

797:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 23:27:33.00 AnnmcMxC0
高杉、井上、木戸、山田
このあたりは中士でそれなりの家格の跡取りのためか
(井上は養子先から離縁したけど)
良くも悪くも権力への執着が薄いよなあ

798:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 00:48:11.07 T0umLTZ30
嫌になったらすぐにやめて別の所に行っちゃう人たちだね

799:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/24 21:20:56.83 0j8BkOC40
ラディカルでなきゃ日本が植民地にされたと言う認識は完全に誤り
列強は当時、清のほうが圧倒的に関心事で日本はオマケ
しかも先行組のロシア、アメリカがクリミア戦争、南北戦争で離脱してしまう
プロイセン、イタリアはまだ国家形成過程。

民間船無差別発砲と言う暴挙を行った長州にすら報復攻撃がせいぜいで、
保障占領も出来ないくらいの能力しかなかった

800:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 11:04:16.05 Ckr/oBKa0
植民地にしなくても、不平等条約をもっと不平等にして甘い汁を吸えるだけ吸おうと、虎視眈々と狙っていた。

801:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 19:08:44.73 +7bErSC4O

極めて狡猾な思考じゃ!サイコパス的な発想じゃのぅ!『ケトウ』『ロスケ』と揶揄されるのはそんなヤリクチにあるんぞな!
よう覚えちょけー!サイコパス【反社会性人格障害】は日本人より西洋人に多いそうなんじゃ!
アホな独裁者の屁理屈には我々の祖先は実に骨をおらされたのぅ!

ちなみにケトウとロスケの漢字を誰か教えてくれんかのー!



802:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 20:23:31.74 SkDuD46X0
>>799
明治維新を出来なかった国は
ほぼ全て他の植民地にされてるのが現実だが?

803:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/26 22:25:52.33 8ygpFky+0
生き残ったのはタイくらいじゃね?

804:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 05:56:58.01 JjRhFwdy0
「この日終日暇座す。よりて、つらつら上海の形勢を見るに、
支那人はことごとく外国人の使役となれり。
英仏の人、街市を歩行すれば、清人皆避けて傍らに道を譲る。
実に上海の地は支那に属すといえども、英仏の属地というもまた可なり」

805:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 19:40:39.74 SGNHUlA80
>>802
じゃ何で好き好んで300万ドルの借金を皇国に背負わせて講和なんてするの
あくまで拒絶して戦えばいいじゃん

806:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 20:04:57.23 3TqPOIYA0
>>805
いい加減、氏ねば?

軍艦を全て破壊され、砲台占拠されてしまったら、さすがに戦いようがない。

孝明朝廷・征夷大将軍・江戸幕府の命令に従って、
長州藩だけが孝明朝廷・征夷大将軍・江戸幕府の名代の役割を果敢に果たし、
馬関攘夷決行・馬関攘夷戦争になったわけだから、
その結果について責任を取るべきは、当然、
その命令を下していた孝明朝廷・征夷大将軍・江戸幕府。
中でも征夷大将軍を抱える江戸幕府。

その当時の長州人・英米仏蘭の当時者が揃ってラクに理解できたことを
いまだに理解できないでいるような低脳国賊は、もうさっさと氏んだほうがいいねp

807:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 20:57:58.88 88ve4Qix0
>>805
全国士民が一致して戦うのが攘夷なんで
長州藩はその為に朝廷や幕府の了解取り付け攘夷したんで
政変が起きて国内一致できず長州単独では攘夷は不可能だからだよ

808:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 03:15:08.72 5vlTrL1X0
>>806
条約の中で償金の支払を認め、砲台を撤去し、さらに下関を事実上自由港化すると言うのは
当然、「攘夷」実行の完全撤回を意味するものだろ。
こんな屈辱的な講和条件があるか。
天皇の勅を直接受けて攘夷なら、天皇の勅がないのに勝手に諸外国と講和する権限はない。
>>807
長州単独での攘夷が不可能なら、なぜ幕府や諸藩の実行を待って行わなかった。

「さすがに戦いようがない」なんて理屈は事前に言え。
いったん勅を奉じたからには、新たな勅がない限り勝手に講和する権限は諸侯にはない
政局に対外戦争を使うからこんなざまになる

809:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 03:36:58.95 5vlTrL1X0
>>806
お前むちゃくちゃなことを言ってるね。
勅を奉じた幕府の命令に従っただけと言う言い分が成り立つなら、
その幕府の命令もないのに勝手に講和したのはなぜだと言う反論も成り立つ
いわゆる終戦の聖断問題だな。宣戦と講和はコインの裏表だから。
砲台撤去、開港、償金を認めるのは攘夷実行の非を認めたも同然

禁門の変の直後に必ずしも進撃に熱心でなかった幕府が出兵せざるを得なかったのは、
長州の下関開港条件によっては、それが爾後の国内の開港条件の前例になるから
事実オールコックは償金を取るより、下関開港の既成事実化のほうを優先していた
幕府はその後、列強間の対立を利用して「償金」を損害賠償ではなく「損失補償」とすることに成功し、
(但書できちんと償金の性格を規定している)、オールコックの思惑を外している。
つまり違法な攻撃の懲罰としての償金と言う体裁を拒絶した上に、長州への懲罰権についても
「大君政府の職務」として勝手な報復や開港の強要を禁じている。

ここまでやってもらって、さすがに長州藩側の言い分は擁護できないなあ。

810:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 19:11:40.45 W5NwjSpw0
グレて無差別殺人を犯した息子のために親が賠償金を支払ったら
そんな育て方をした親が悪いと言ってぶっ殺したも同然 
2ちゃんではドラ息子に共感するんだろうな

811:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 22:13:46.35 18q9HsAe0
>>809
毛利家は毛利家。長州藩は長州藩。決して徳川宗家でも江戸幕府でもない。

その当時の長州人・英米仏蘭の当時者が揃ってラクに理解できたことを
いまだに理解できないでいるような低脳国賊どもは、もうさっさと氏んだほうがいいねp

812:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 00:24:06.49 ycjpzbPC0
>>808
日本全土を攘夷にもってく為に長州が先鋒として攘夷実行したんだろ
長州藩は国家の政策として攘夷したんであって勝手にやるんなら朝廷の許可も必要ないんだよ
その為に朝廷や幕府を動かし国内をまとめ了解取り付けてやってるんだよ
天皇の攘夷親征や攘夷に協力しない小倉藩への処罰要求や天誅組の挙兵は一環の動き
ところが政変でやっぱ攘夷取りやめで長州追放と変わり、しかもこれを覆そうとして禁門の変が起き
幕府の長州征伐になったんだから講和するのは至極当然

813:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 03:27:05.48 jCUZ9YkH0
>>811
だったらてめえの尻はてめえで拭うんだな。
>>812
それ基本的に政治過程を説明してるだけで、弁解の域を全く出ていない
幕命を奉じたなら幕命に従って行動する。勅命を直接奉じたなら勅命が追って出されない限り講和は許されない。
日本全土を攘夷に持っていくために長州が先鋒として=勝手に攘夷を実行したなら、
当然、その償金はてめえが払う。当たり前のことだ。
独断で講和した上に下関を事実上自由港化して日本の外交政策にとんでもない前例を作り、
償金の性格を丸投げしたことへの言い訳が一切出てこない
現実にこの腰砕けに呆れた諸藩士に、長州藩の行動は論理矛盾だ、と責められてる

814:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 03:33:31.09 jCUZ9YkH0
同じ対外戦争を戦った薩摩藩は、償金の性格をきちんと幕府や仲介藩に預けた上で講和している。
だから幕府は最初からそれを前提としての仲介が可能になっている。
薩摩藩の責任感に比べたら、長州の場合、発端である民間船無差別砲撃と言う違法性の高さ、
さらに交渉における相手側の解釈の自由度の異常な高さは明らかに事後の交渉を困難にしている。

815:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 06:45:39.06 29L72zvJ0
>>814
薩英戦争の原因である生麦事件なんぞ、江戸幕府はやれとは全然命令していないが、
被害者である英国は、大名行列を横切った者に対する無礼討ちをも
統治責任者である江戸幕府の責任と英国が認識してくれるわけだから、
攘夷の勅命・幕命に唯一果敢に従っただけの長州藩が英米仏蘭に誠実で勇気ある無実の藩と見なされ、
諸藩に攘夷を指図していた統治責任者の江戸幕府を条約違反の赦されない加害者として責任を取らせるのは極めて当然。

>>813
> てめえの尻はてめえで拭うんだな。
それ、江戸幕府や会津藩や新撰組に未来永劫言い続けろよ。
江戸幕府や会津藩や新撰組は安政の大獄や不平等条約の責任を何ら取らず無理強いしたままコソコソ逃げ出しただけだが、
薩長政府は破約攘夷(条約改正)まで完全にやり遂げてちゃんと責任を果たしてるんだからさ。
江戸幕府が支払うべきであった賠償金も、結局、薩長政府が完済してるんだからさ。

816:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 08:19:39.20 2H62kQSD0
どっかの一橋や会津や新選組は失火で京都を焼き払ったくせに
長州に責任転嫁しているしなあ

それで「京都を守る新選組」とは笑わせてくれる。

817:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 18:40:13.48 gs9uEDmk0
>>815
お前ばか?生麦事件は日本の慣習を知らずに乗馬で諸侯の行列を突っ切り
さらに藩父の駕籠のすぐ近くまで乗り入れてきた英国人に第一の非がある
薩摩藩の奈良原以下がこれを切り捨てたのは自救行為に限りなく近い行為
その上に薩摩藩士はいきなり切り捨てたのではなく、何度も下馬を促している
(日本語を解さないのに日本法が適用される地域をうろついてたのは英国人の過失)

ある程度順序を踏んだ上で斬ってるんだよ。長州藩のような無差別無警告発砲じゃない
また生麦事件の場合は久光は既に大名行列妨害を禁ずるよう幕府に苦情を申し入れているが、
幕府としても久光の請願を却下する理由がなく、自重を求めたに過ぎない
事前に幕府と薩摩はある程度意思疎通を経た上で、あの事件が起きてるんだよ
これは確かに幕府が仲裁する責任がある(事後に薩摩が非協力的だったのは確かだが)

ニール代理公使と幕府の交渉では英国人の過失を前提として
「幕府の英国人居留民への通知義務違反」が問題となり、これに賠償金を支払っている
つまり薩摩藩は手続を一応踏んでいるから、何が過失なのかと言う幕英間の交渉がスムーズだったわけ

さらに言えば、幕府は勅使の通行を通達しており、
事前に各国居留民は万一を慮って慎重な態度を取った。米国のヴァンリードが下馬しておりこれに薩摩藩は危害を加えていない
だからリチャードソン以下の行動についてはサトウらも「双方の」不幸な過失としか記していない

大名行列に突入した英国人と異なり、当時の慣習でも明らかに違法である民間船への無差別無警告発砲と言う暴挙に出た長州と、
薩摩では事前事後の行動でまったく責任感が異なる。

818:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 18:50:42.07 gs9uEDmk0
>>815
薩英戦争の始末に関しても、薩摩は馬関戦争の講和条件のように償金の性格を曖昧にしたり、
鹿児島への寄港を容認したり、
砲台撤去などと言う一地域の武装解除に等しい条件には一切応じていない
(一方、高杉の講和交渉ではこれらをあっさり認めてしまったため、
オールコックは「償金は賠償金である」として多額の請求を吹っ掛け、下関の自由港化を迫ることになった)

とんでもない講和条件に幕閣は長州に激怒したが、ここで幕府が目を付けたのが四カ国の英国以外の3か国。
蘭仏米は問題に深入りするのを避けたがっており、海峡の安全と戦費の保証で充分と言う立場だった
幕府はここを執拗に突くことでオールコックの要求に対する他国の不同意を引出し、
「懲罰権は大君政府にある=列強が長州に勝手に報復を行うことを禁ずる」
「償金の性格は友好のために支払うもの=損害賠償的性格を否定=支払延滞の場合のペナルティ義務化が明文化されず」
と言う恐ろしく有利な条件で纏めてる。実際、幕府は1回支払を延期したが何もクレームがついていない

長州と幕府の外交能力はこの一事を取っても歴然としている。

819:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 19:07:30.95 gs9uEDmk0
だから薩英戦争に関しては英国本国でもキューパーを非難する論調が多かったが、
(しかも結果的に英国艦隊は戦闘では引き分け~敗北に近い状態に陥った)
長州への報復攻撃に関してはこれを非難する声は列強のメディアや人士でもほとんどない

>江戸幕府や会津藩や新撰組は安政の大獄や不平等条約の責任を何ら取らず無理強いしたままコソコソ逃げ出しただけだが、
>薩長政府は破約攘夷(条約改正)まで完全にやり遂げてちゃんと責任を果たしてるんだからさ。
>江戸幕府が支払うべきであった賠償金も、結局、薩長政府が完済してるんだからさ。

アメリカは1回受領した後で78万ドル返してくれてるけどね>明治政府
それと江戸幕府が纏めた協定では「四半期ごとに50万ドル、6回の分割支払」なので、
慶応元年7月から支払が始まり、遅れがちではあったが第4回の支払を明治2年とすることで合意が出来ていた
つまり幕府は第3回までに半額を支払っている計算になる。その前に幕府が崩壊したんだから、明治政府が引き継ぐのは当然
では明治政府の支払のペースはと言えば、幕府よりはるかに遅い。
明治7年完済だから、わずか8か月で半額を返済した幕府の10倍近く遅い計算になる
それと江戸幕府が支払う約束をしたのは「賠償金」ではなく「友好関係を維持するための補償」と言う性格だから、
米国が償金を返還する時も返す名目が立った。

820:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 19:30:20.11 gs9uEDmk0
あと条約改正に関して言えば日英通商航海条約が明治27年。
関税自主権回復に関しては日露戦争後の明治39年の日露間の同条約で、
完全回復は明治44年の小村条約以下。
さんざん失敗した交渉が成功したのは、英国の極東政策をめぐる政治的思惑があったのは周知の事実
ちなみに日英条約の時の第2次伊藤内閣の経済通商関連の主要閣僚を見ると
外相は陸奥、渡辺財相は信州高島藩出身、農商務相は榎本武揚と「非薩長」で占められている。
陸相は大山、海相は西郷、担当相の法相は芳川(非藩閥、徳島藩)、文相は直前まで井上毅(熊本藩)
逓信相は黒田で、長州出身者がポストを抑えていたのは総理の伊藤、内務の井上のみ。
既にこの段階では「薩長政府」ではない。
もともと新政府は実務レベルを見たら「薩長政府」なんて言える実態は存在していないんだけどね
既に議会開設後であり「閥末」と言われた時期の撤廃。

ちなみに第2次伊藤内閣には最終的に政党人の板垣が内相と言う枢要ポストで入閣している。

821:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 19:46:52.62 gs9uEDmk0
また長州はこの時、砲台の撤去を受け入れてしまったため、長州戦争で大変なことになった。
第2次征長戦の前年の閏5月に桂が下関でパークスと会談し、
馬関条約で砲台への重砲設置が禁じられていることを持ち出して砲台撤去の緩和を求めているが、
イギリス側に却下されている。


822:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:02:02.09 29L72zvJ0
>>817
> 薩摩藩の奈良原以下がこれを切り捨てたのは自救行為に限りなく近い行為

( ゚Д゚)ハァ?
素直に、見事な攘夷討ち でいいじゃないか。その当時の多くの人がそう感じたように。
みっともない自己正当化p

> その上に薩摩藩士はいきなり切り捨てたのではなく、何度も下馬を促している
まるで奈良原が英語をしゃべってたみたいな、イミフな話だなp
その当時、薩摩藩が攘夷討ちじゃなかったんだとみっともない自己正当化をしたいのであれば、
薩摩藩は無能で臆病な江戸幕府ではなく英国大使にこそ無礼を直談判すべきだったな。

これと、英国が、
大名行列に対して外国人が取るべき作法を統治責任者の江戸幕府が事前に教えてくれてなかった責任は当然、江戸幕府にある!
としたこととは全く別次元の話だからp

823:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:22:19.12 29L72zvJ0
>>818
まず、真人間になれよ。意味の分かる文を書けるようになれよw

> 薩英戦争の始末に関しても、薩摩は馬関戦争の講和条件のように償金の性格を曖昧にしたり、
> 鹿児島への寄港を容認したり、
> 砲台撤去などと言う一地域の武装解除に等しい条件には一切応じていない

英国との友好という観点からは長州人と比較すると薩摩人は甚だアフォないし臆病というだけp

> 一方、高杉の講和交渉ではこれらをあっさり認めてしまったため、
> オールコックは「償金は賠償金である」として多額の請求を吹っ掛け、下関の自由港化を迫ることになった

武士らしく、潔く負けを認めたことを悪く言いたがるって、藻前、人間性がとてつもなく腐り果ててるよp

しかも潔く負けを認めつつも、賠償金は一切支払わず幕府に支払わせるという交渉術、
しかも英米仏蘭と友好を結ぼうと下関港の自由化交渉を幕府とさせるという交渉術、
これらはもはや天晴れ!としか言い様がないレベルであることは極めて明らか。

馬関攘夷戦争で、長州藩は潔く負けを認めてるんだから、
しかも既に馬関海峡の砲台はすべて破壊されるか奪われるかしてるんだから、
長州藩は砲台撤去も全くしていない。
下関を開港しようとしてるのに新たに砲台を並べるっていうのも明らかにあり得ない話。

但し、長州藩は、君が言うような「武装解除」なんて全然してないよ。
その後、長幕戦争(小倉戦争)を戦って勝利していることからも明らかなように。

824:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:38:01.93 29L72zvJ0
>>820
京都河原町の長州藩邸には、諸藩の志士たちがウヨウヨ居候してたぐらいで、
薩長出身者でなくても薩長の同志はみんな薩長なんだよ。
実際、薩長の人脈というバックを薩長の人間と同様に背負うことになるわけだし。

有名な坂本龍馬や中岡慎太郎だって、薩長同盟以前から
長州藩からは長州藩士以上の長州藩士なみに扱われ、
薩摩藩からは薩摩藩士以上に薩摩藩士なみに扱われている。
そして、陸奥宗光は、海援隊では坂本龍馬の子分、陸援隊では中岡慎太郎の子分だった人。
よって、陸奥宗光は、紀州藩出身ではあっても、元々、薩長関係者なわけだ。
小村寿太郎も、同様に薩長閥からの引き立てがなければ外相になれていない。

薩長政府は当初から薩長土肥以外の人間も登用しようとしているし、登用している。
その薩長政府を攻撃するときだけ十把一絡げに薩長打倒!と喚いて、
薩長政府の功績は薩長政府のものではないと言いたがるのは余りにも虫がよ過ぎる。矛盾甚だしい。
全く正当な根拠のない、逆恨みによる地域差別主義に過ぎない。

825:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:57:55.61 29L72zvJ0
国賊司馬遼太郎がはびこらせた、>>820ののような地域差別主義・私怨・逆恨みは、
それそのものの存在自体が非常にみっともない。

826:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 23:15:00.78 tgpzSxq60
慶応元年に中岡が情勢分析と見通しを書いてる。

抑も吾人熟々時勢を見聞仕候に、国勢の衰うる其の来る事遠しと雖、外夷の起りしより天下優々、
困難此秋より甚しきはなく、且夫れ封建の勢たるや利害相反す。
抑抑国家苟安三百年士気頗る惰弱、上下事を忘る。加うるに封建の勢を以てして、各藩趨向を異にし、一旦強敗、大敵率然として我れに迫る。

於茲大命攘夷の必戦に出づ。而して天下是を挙行すること能はず、議論百端、各異人の国体、於茲や不立、是れ則ち封建の害ある所也。
而して其論の岐るゝ処、或は攘夷の論となり、又開国論となり、武備充実の論となる。
開国の論なるものは、略ぼ、海外諸国の情実を知るとは乍申、大旨苟安偸愉生の徒、所謂坐上の空論にして頗る人情に害あり、固より取るに足らず。

武備充実の論に至っては或は固陋の見にして事態に暗きあり、又は実の卓論上より出る英断あり、然るに其の見、或は異なりと雖、
皆以て義を重んじ、死を軽んじ、利害を以て其の節を動さゞる輩にして、天下をして慷慨義烈の風を生ぜしむるに足る。
而して其の固陋に出づる者に至っては気を負い、敵を侮り、若し一敗する時は或は惑う事あり、其の大卓識の者に至っては、機に臨みて勢に達し、百敗不挫と雖、敢えて不惑、
何ぞ一二の破敗を以て其の有為の志を屈せんや且、夫れ国に兵権有て然る後可和、可戦、可開、可鎖、皆権は我に在りて而して其兵権なるものは武備に在り。
其の気は士気にあり、故に卓見者の言に曰く、富国強兵と云うものは、戦の一字にあり、是れ実に大卓見にして千載の高議、確乎として不可抜、
則も知能の事に処する者、且和し、且戦い、終始変化無窮極る者なり。

中岡は封建体制で国内が一致できない欠陥を指摘し、薩長の攘夷戦を高く評価してる。
攘夷を行った薩長が天下を主導し、将来外夷を防ぐのは薩長になると予言、薩長同盟に動いてる。
そして封建制の欠陥を正す為にも尊皇攘夷の確立を説いてる。

全く戦争の功にして、卓見家の事業如此、自今以後天下を興さん者は必ず薩長両藩なる可し、
吾思うに天下近日の内に二藩の令に従うこと鏡に掛けて見るが如し、他日国体を立て外夷の軽侮を絶つも亦此の二藩に基くなる可し、
是又封建の天下に功ある処なり。
又士気は武備と如何程盛に相成候共、国体立たざれば敵国外患を待つ所以にあらず、且国の大体は何を本とするや、吾曰く内には名分大義を明にし、
祭政一致と共に皆朝廷に帰し、天下の大基本を立つるを以て急務とす、今日の如きは天下の大機会にして上下勉強し候は、禍を転じて福とし、
今日の敵国外患、他日より見候得へば天下の名灸と相成り候へば、実に天下の大功、之に過ぎ不申と奉存候。

827:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:59:04.91 ltSI0+H50
>俺がいつそんな事いった、俺は最初から長州藩は尊皇攘夷を叩き込まれているから、
>士気が高いといっている。
>志願兵だから士気が高いといっている。
>四民平等だから士気が高いなどといった覚えはない。勝手に発言を捏造するな。
>脳内で作り上げた妄想にレスしてどうするんだよ。

他の諸藩とさほど違った徴募方式じゃないと何度言えば分かるのかねこの男は。
現に被差別部落には1つの集落から○名までと言う定数制限がついてそれ以外の取立は禁じられてたし、
もともと被差別部落諸隊の本格的結成は俗論派の藩命により開始されてそれを正義派が引き継いでいる。
慶応改革の結果、佐分利隊のような既存の諸隊にすら藩命で解散の勧告が出ている

それはともかく、ここで
「長州諸隊は士庶平等ではなく、あくまで身分差別を前提とした藩秩序の中の諸隊だった」
との自白が成立しましたw

828:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:36:46.45 ltSI0+H50
つーかこのキチガイ長州おたく、一体どこで幕末史習ったのよ。ほんと不思議だわ。
百歩譲って幕府の無策無能とか言ってた1970年代以前のおじいちゃんが火病って書いてるんだとしても、
田中彰や遠山茂樹の古典的名著くらい読んでるだろうになあ。

奇兵隊が「上からの軍隊」に収れんしていった過程や、維新団と茶筅隊の隊則に見る諸隊の性格、
さらに大坂南御堂の事件に見る隊内での理不尽な処刑、袖印の存在、私称の禁止
これ全部40年くらい前には指摘されてることだが

829:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:48:03.30 ltSI0+H50
>>619
嘘をつきなさい。町方村方の徴募は基本的に願い出と言う形式になる。
この徴募方法はどこの藩でも変わらない。
それでも足りずに藩が員数を定めて賦役を命じた「仰せ付け」
が文久年間にあったことは明らか。これも諸藩と変わらない。
さらに維新団は志願とは言い条、隊則を見ると茶筅隊のような自主性の強い隊とは全く異なり
黒ずくめの服装を強制されたり、身分を弁えることを隊則で強調されている。
そもそも元治内戦の際に被差別民諸隊の設立は藩命によってなされている。
正義党政権はそれを引き継いだだけ。
控え目に見てもとちゃんと断ってあるが、お前は読めんのか?

>>620
違う。償金の支払と、その性格の規定は全て下関協約第5条でなされている。
もし長州藩が償金支払約束をしていないなら、当然、幕府においても支払義務は発生しない。
だいたい償金支払を拒絶したなら
誰がどこで「長州藩が償金支払約束を拒絶した」と言っている?
さっきから聞いているが全く答えがないじゃないか。近現代史の人間に聞かせたらみなびっくりするぞ。

お前の主張が真実なら、長州藩は一切賠償金支払約束をしていないにも関わらず、
なぜか己の砲撃の違法性を認め、下関を焼き尽くされる所を焼き尽くさなかったので償金は支払うべきですね
などと勝手な性格付けを与えた上で約束を拒絶したことになり、
江戸幕府は長州藩が償金支払を拒絶したにも関わらず願い出て支払った意味不明な政府と言うことになるが、
そんなことを唱えている学者は全国でどこにもいない。

つーかこのキチガイ長州おたく、一体どこで幕末史習ったのよ。ほんと不思議だわ。
百歩譲って幕府の無策無能とか言ってた1970年代以前のおじいちゃんが火病って書いてるんだとしても、
田中彰や遠山茂樹の古典的名著くらい読んでるだろうになあ。

奇兵隊が「上からの軍隊」に収れんしていった過程や、維新団と茶筅隊の隊則に見る諸隊の性格、
さらに大坂南御堂の事件に見る隊内での理不尽な処刑、袖印の存在、私称の禁止
これ全部40年くらい前には指摘されてることだが

830:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:56:04.08 ltSI0+H50
サルさんが出てきて書き込めんからこっちに書いておいた。
お前の言うことが本当なら小中学校の教科書は書き換えなくちゃならんね

831:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/03 10:24:46.16 6hMvRdLC0

          /\   /\
         /   \/   :::\
       /            :::::\
      /  ●        ● ::::::::\ 
      |     / ̄\     ::::::::::::::::|   いけめんを ひていするやつは おしおきやで
      |     (>>829)   ::::::::::::|
      \    |  u/  ::::::::::::::::::/
        \   | /| | ::::::::::::::::::/
             // | |
           U  .U

832:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/03 16:59:00.03 VR3BKWbV0
>>829
なんでアンカーが>>619>>620なん? 一種の敗北宣言?wwwww

封建社会(身分差別社会)の現状維持を望んでいた俗論派政権が勝手にやったことを
「四民平等」を推進した正義派政権が推進したかのようにねじ曲げて物事を言うのは明らかに間違っている。

833:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 00:51:58.76 PA2C8Hmr0
長州の部落オタがうざいんでこっちに反論しておくよ。

言っておくが田中・布引・前田・北川らの著作は満遍なく見ているし、
最近の研究も一応見てるよ。
お前は布引と言えば長州藩維新団しか知らないようなので驚いたが、
あれは基本的に布引が30年前に書いたやつをちょっと変えて引っ張ってるだけだぞ。

そもそも一坂の引っ張ってる例は井上(勝)が10年以上前に指摘してる例だし、
井上以前に確認されてるから井上の功績でもない。
だいたい紀要と言うものがあるのに海道の本なんて連想する時点でお前は部落オタだよ。

それとな、北川の論文なり書評なり読んでみろよ。
ほとんど他の研究者に対する罵倒のオンパレードで胸が悪くなるぜ。
他の研究者は北川にそれなりに敬意を払ってるし、研究成果を取り入れて改説したりもしてるけど、
北川系のやつは一貫して「北川が正しい、被差別部落民は差別じゃなくて区別、
だから身分解放の期待なんてあり得ない」と創価顔負けの凄まじい折伏をするんだぞ。
で、北川が長州藩マンセーになると言うのは結果的にそうなっちゃうわけ。
被差別部落民が自由意思で結成され、褒賞についても自由意思だと言うことになれば、
藩権力と被差別部落民との軋轢、ましてや良民との軋轢を想定できない。
となれば長州藩の指導者に対しては無批判的になるのは当然。

と言うわけで残念ながらお前のは完全な当て推量。
大学の図書館の使い方も知らない人?

834:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 00:54:21.56 PA2C8Hmr0
キチンと研究者の指導を受けてれば、お前みたいな極端説には走らないはずなんだよな~。
だって論文読んだ方がはるかにピンポイントだもん。

独学の悲しさが出てるよね。

835:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 01:06:08.51 PA2C8Hmr0
と言うかおじさん何歳なのって言いたくなるな。誰それが解同だとか、
石井、田中、北川とか、自分らは名前と文字しか知らない大御所クラスの名前を出してるところとかw


836:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 01:23:55.96 KGdym4WR0
>>833
> 田中・布引・前田・北川らの著作

申し訳ありませんが、姓だけでなく下の名もおながいします

837:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 01:44:55.62 R2zh7vig0
つーかいい加減スレ違いなんだが

838:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 01:55:47.53 ljb7qthx0
長州マンセーの部落ヲタが暴れてたんだろ

839:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 03:13:33.66 d3dZDmUL0
あの部落ヲタはキューパーが保障占領構想やら萩攻撃やらについて
「自分の責任外のことで女王陛下の文官の使臣から命令を受ける気持は毛頭なかったので
自分の使用できる兵力では長州藩のいかなる土地をも永久に占領することは不可能であると判断し、
砲台を破壊し、下関海峡の自由通航を実現すれば、それで自分の任務は終わったと考えていた」
ことも知らない。

さらに第3回会談の翌日、本国海軍省に「現在使用し得る兵力をもって、
海峡近傍の島嶼、あるいは本州の一部を占領するのは得策ではないと言う確信を強めた」
と報告していることも知らない。

さらに伊藤博文の回想でも、キューパーは租借と言う条件にあまり固執しなかった
とされていることも意図的に隠蔽している。

さらに言えば、償金の金額を江戸で決定すると言う条項に関して、
長州藩が修好使節を派遣して償金の減免を図ろうとし、
そのために井原主計、伊藤、杉、宍戸環の4名が選ばれ、旧暦8月18日に広沢真臣が
同乗を依頼しにサトウの乗っている船を訪れたことも知らないんだわ。
この長州藩使節を乗せた船は遅れて8月20日に出航している。

しかも下関の開港について尋ねられたら、朝廷と幕府の承諾があれば異存はない、
と返答するように藩庁から指示を与えらえていたことも知らない。
※「彼らは、将軍の許可を得ることなしには、貿易のために下関を開港することには同意しないであろう」

部落問題には恐ろしく詳しいくせに、どんだけ無知なんだと言いたくなる。
そのくせ屠勇取立令についての吉田稔麿の書簡とか、呼称問題とか全然知らないし。

840:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 03:25:02.83 d3dZDmUL0
そもそも、賠償金を支払うための保障占領(担保に取るようなもの)と、
オールコックが考えていた萩の攻撃と、租借はまったく性格が違うものなんだけどな。
伊藤が保障占領を租借と間違えたんじゃないの。
その保障占領すらキューパーは文官の指図は受けない、我々の軍事力で長く占領するのは困難、
として最初から拒絶してるんだが。
保障占領の場合、当然、賠償金が支払われれば担保物件は返還される。

また、長州が賠償義務を認めていないのなら、
なぜ賠償金の軽減のために修好使節を差し向けたのか全く意味不明なことになる。
下関の講和の段階では、長州藩側の違法行為と賠償義務は確定していた。
ところが四ヵ国公使は長州藩に命令を下したのは幕府であるとして連帯責任を追及し、
最終的に幕府が支払を引き受けたことで、長州藩は幕府と言う連帯債務者に全額押し付けられたわけで。

長州は間違いなく賠償義務を負ってるんだよ。ただし幕府が代位弁済してくれた。
その幕府の支払は英国側によれば、開港と秤にかけて「自主的に支払ったもの」であり、
長州藩の約した賠償金とは性格が違うものであることが幕府側、英国側双方の史料から裏付けられる。

841:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 03:32:58.17 d3dZDmUL0
伊藤の回想は明治42年(1909年)、実に45年後の出来事であり信憑性に著しい疑問符が付くわけだが、
仮に伊藤の回想を全面的に信ずるとしても、
キューパーは賠償金の金額が第3回会談で大激論になったため、公使連中が選択肢の1つと考えていた保障占領を提案し、
反対されたのであっさり引っ込めたと解するほかない。
あくまでも伊藤の回想を信ずればの話であるが。

もともと英国艦隊側には、賠償金より強い抵抗が予想される保障占領にこだわる筋合いがなかった。
なぜならこの段階で長州藩は今回の攘夷が幕命によるものだとエクスキューズしており、
英国は幕府に請求し得る根拠を文書化して入手しているから。

もっと言えばオールコックは賠償金にはさほど関心がなく、下関の開港を望んでいた。
賠償金を吹っ掛けて下関の開港に持っていく作戦だったことはサトウが記す通り。

842:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 04:34:10.27 +MXFu1Sm0
推理ドラマならその富蔵は確実に真っ黒だなw

843:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 05:46:39.87 u8KwpXNN0
何の行動も起こすことをせず、瑣事を巡っての
不毛な論争で、日がなコンピューターの前で勝った負けたと
一喜一憂している現代人たちを見たら、
東行先生はどう思われるであろうか?
「しっかりせい」と癇癪球を破裂させるのでは
なかろうか?



844:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 05:55:27.08 QEApsRRQ0
晋作が挙兵した時、藩政府が動かせる兵力は二千あったという。それに八十で抗するのだ。
まず物理的に冷静に見たら、成算などあろうはずがない。
しかも晋作が、例えば事前に豪農たちを訪ね、根回ししたといった形跡は無い。
諸隊の陣営に乗り込んだものの、挙兵に反対されたため、激情に任せて怒鳴り散らしたという史実があるくらいだ。
さらに晋作が下関を制圧した時、藩の役所の蔵は空だったという。
保守派も用心して、武器も金も食糧も萩に引き上げていたのだ。そんな下調べも出来ていなかったのである。

別の用件で下関に滞在中だった晋作の旧友で筑前藩士の月形洗蔵が、見兼ねて公金百両を貸したという逸話が残る(『高杉晋作入筑始末』)。
または、入江和作など下関商人たちから、当座の軍資金を借用したという記録もある。
晋作が山口矢原の大庄屋吉富藤兵衛に手紙を発し、経済的援助を乞うのは十二月二十七日である。
これは挙兵から十二日も経っている。しかも吉富が応じなければ即座に斬るよう、晋作は使者に命じていたというから、
かなり強引な交渉をするつもりだったに違いない。結局、吉富は軍資金を提供し、
ここで初めて豪農の支持を得るのである。

あるいは、傍観を続けていた奇兵隊および諸隊が、保守派の陣営を奇襲し、
晋作たちに呼応するのは慶応元年(一八六五)一月七日未明というから、実に挙兵から三週間も後のことなのである。

いずれにせよ「天才革命家」の行動とするなら準備不足で、お粗末極まりない。

845:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 09:21:58.89 KS3btdOq0
620 自分:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 06:39:11.02 ID:wS2ZvWqW0 (PC)
(・◎・)わいは いけめんのおおむらさんやで

829 返信:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 23:48:03.30 ID:ltSI0+H50 [3/4] (PC)

>>620
違う。

831 自分:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/11/03(木) 10:24:46.16 ID:6hMvRdLC0 (PC)
          /\   /\
         /   \/   :::\
       /            :::::\
      /  ●        ● ::::::::\ 
      |     / ̄\     ::::::::::::::::|   いけめんを ひていするやつは おしおきやで


なんじゃこのやりとりw

846:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 19:49:57.03 xBf+qMnG0
>>844
誰も成算ありと見る挙兵なら、初めから挙兵する必要ないし天才でもなんでもないわ。
窮地の情勢を挙兵で覆したから天才なんで、しかも何度も際どい機略を成功させてる。
高杉は当時の情勢を承知してるから、挙兵という行動をした。
九州に行って、長州没落と共に全国尊攘派が弾圧される情勢を見てる。
結局天下は長州中心に動いて、待っても情勢が旋回せず、自力で動かすしかないと知った。
成功失敗以前に博打で挙兵するしかない動かせない情勢と高杉は判断。
事前に根回しなんてできる情勢でない、機を逃し筒漏れになるだけ。

847:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 22:29:15.20 EWPORAtA0
はーん、その理屈はおかしいでちゅね。
だったら12日に既に決起計画から離脱している諸隊の前で酒食らって決起を促す理由がない
高杉の遊撃隊説得が漏れてたから赤根・時山の交渉団が止めたんだけど

848:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 22:33:11.79 EWPORAtA0
12日に決起を促すとか言っても、実態は決起に応じてくれなくて泥酔した男が
勝手なこと喚き散らしてどっか行っちゃったと言うだけの話なんだけどねw

849:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/05 23:19:20.49 WmIAKztc0
>>846
おい富蔵 お前、富蔵の親戚だろw

850:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 03:31:39.09 sJ2p8SQd0
金とか富蔵とか言ってたあいつか。
長州ヲタもあそこまで行くと贔屓の引き倒しで迷惑だは。

851:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 04:23:48.76 IGKRSZH70
>>844
強盗やってたのかよ・・・

852:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 05:23:02.67 hNWvFWDa0
押し借りは長州藩が京・大坂で世論の支持を得るために組織的に使ってた手段だからね。
高杉もそれまで何度も使ってるだろう

外国との取引で利益を上げてる豪商を調べ出して「値段を下げろ」と要求。
援助を約束すれば放免する。拒否したら、斬奸と称して加徳丸事件のようなことをやる。

853:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:15:09.16 74ZB99qx0
>>848
そこが動いた高杉と、動かなかった諸隊の歴史的評価の違いなんでちゅよ?
高杉の挙兵成功を見て、諸隊が高杉の挙兵に加わろうと騒ぎ出し、その後長州の農民が参加し、藩政府軍を破りクーデター成功、幕府をはね返し、全国の尊攘派が息を吹き返した。
禁門の変以降、どの藩も自藩の尊皇攘夷派を処罰し最悪の状況。
月形も処分され死んでる。
高杉が挙兵しなければ、俗論党が政権を握ったままでどっち道諸隊は終わり。
尊王攘夷派は全部死亡、薩長同盟も大政奉還も無く、明治維新も無い。

854:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:16:43.45 +79zcoG20
何を今さら

高杉と白石正一郎も高杉が本藩に取立を依頼すると言う打算で結びついた関係だが

855:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:17:59.66 +79zcoG20
>>853
その高杉君が決起計画を堂々とお漏らししていたことはどう弁解するのよ

856:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:25:09.66 me2Xuqbi0
>>853
諸隊が動いたからこそ高杉の挙兵は成功したんだぜ。
太田絵堂でも高杉の進撃論に山県が反対してそっちの意見のが通ってる
高杉の意見なんて山県はじめ諸隊幹部が反対すれば無視されるような状況
内乱勝利後、高杉は干城隊によって諸隊の勢力をそごうとしている


857:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 08:26:14.21 me2Xuqbi0
つーかお前が例の富蔵?!

858:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 09:15:50.63 74ZB99qx0
高杉は挙兵すると少数の決死隊で三田尻の軍艦3隻を奪取。
挙兵の報が広まると井上、品川、山田らが呼応し、義勇兵を集結。
勢力を増すと日和見してた諸隊も高杉に協力した。
この情勢を作り上げたのが天才の高杉の偉大さ。

859:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 23:59:07.05 ji9ffMk10
それは山県の偉大さを証明するものにしかならないな。

860:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 00:10:05.76 Uw0QQqSu0
高杉の挙兵で藩政府との交渉がぶっ壊れても諸隊は3週間も参戦せず
諸隊が参戦してからは高杉の意見は通らず

>>844
×諸隊の陣営に乗り込んだものの、挙兵に反対されたため、激情に任せて怒鳴り散らしたという史実があるくらいだ。
○既に挙兵反対を決めていた諸隊の陣営に乗り込んで怒鳴り散らしたものの、相手にされず脱走したと言う史実があるくらいだ。

861:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 12:20:02.59 b82k+EvN0
裏山かづらとか言って山県の機嫌を取るのに必死だったしな

862:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 17:58:28.81 hb3bIfO+0
>>839
キューパーや東行先生遺文の中原の伝聞を引っ張るまでもなく
従軍していたアルフレッド・ルサンが1866年に刊行した回想録で
フランス艦隊のジョーレス提督が賠償金取立のための保障占領に反対していたこと、
と言うよりもフランス海軍にそのための兵力がなかったこと、
公使間の覚書に保障占領は四ヵ国間の協議で行われなくてはいけないことが定められていること
を証言しているから、フランスが反対している以上、公式協議で提案なんか出来ないよ
ジョーライスだけでなくキューパーも反対なんだから、雑談に出た程度しか考えにくい

だいいち、伊藤博文伝の伊藤も中原の談話も租借の件をそれほど重大に取り扱ってるわけではない

「日本の開港場にせよ、また他の地点にせよ、領土の割譲ないしは排他的利権を
要求も受理もしないことに一致した。…占拠することが有益又は必要に見えても、
かかる占拠はその地を確保した国家に何ら排他的権利を付与しない」…当該条項

また、ルサンやキューパーが言及する保障占領は関門海峡の安全航行を確保するためのもので、
賠償金支払とはあまり関係ない。下関の高台を挙げていることから主に安全面の保障だったことが分かる
つまり長州藩が砲台を撤去し新設を止め、寄港を認めると言う講和条件で目的は充分達せられる
サトウが「要求が完全に満たされた」と言ったのはそのため。

863:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 18:05:51.79 hb3bIfO+0
長州はこの講和交渉の初っ端で信任状を忘れてくるほどのうっかり八兵衛。
当事者の伊藤や高杉が混乱してるから租借や保障占領についても間違えたんだろう
と言うか高杉自身は租借について一言も触れていない

864:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 07:29:31.88 os+FTzgp0
山県、この戦争で何か疚しい所があったぽいな

865:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 19:13:18.63 OVEtZOTa0
>>862
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                (拍手万雷)

866:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 19:14:09.12 gVCn7dE00
侵略の野心ある英国の狙いを看破し租借を断固拒否!
わずか数十名の功山寺挙兵で勤王攘夷を再び復活させ、15万の幕軍を天才的奇略で華麗に打ち破る
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。 これ我が東行高杉君に非ずや…」

867:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 19:21:31.05 gVCn7dE00
高杉は、狂ったのだ。
と、たれしもが晋作の脳髄の正常さをうたがい、山県狂介以下奇兵隊の壮士のすべてが、晋作に対して冷淡であった。
傷負い猪が荒れくるっているとしか見なかった。
奇妙なものであった。結果からいえば、「高杉晋作の挙兵」として維新史を大旋回させることになるこのクーデターも、伊藤俊輔をのぞくほか、かつての同志のすべてが賛同しなかった。
歴史は天才の出現によって旋回するとすれば、この場合の晋作はまさにそうであった。
かれの両眼だけが、未来の風景を見ていた。いま進行中の政治情況という山河も、晋作の眼光を通してみれば、山県狂介らの目でみる平凡な風景とはまるでちがっていた。
晋作は、この風景の弱点を見ぬき、河を渡ればかならず敵陣がくずれるとみていた。
が、かれは自分の頭脳の映写幕に映っている彼だけの特殊な風景を、凡庸な情況感受能力しかもっていない山県狂介以下の頭脳群に口頭で説明することができなかった。
(行動で示すあるのみ)と、晋作がおもったことは、悲痛であった。なぜならば、行動とは伊藤俊輔がひきいる力士隊三十人だけで挙兵することであり、三十人で全藩と戦うことであった。
その前途は死あるのみであった。が、劣弱な風景想像能力しかもたない同志たちに、
政治風景というのは、こう押せばこう変わるのだ」ということを示すには、実物をもって示すほかなかった。

868:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 23:41:32.93 gcUkEPxE0
大阪府島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も
壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
 僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ
へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。



869:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 23:47:42.54 Z4vAOrlZ0
>>867
司馬遼太郎は売国奴なんじゃなかったの?w

870:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/08 23:50:17.04 Z4vAOrlZ0
>が、かれは自分の頭脳の映写幕に映っている彼だけの特殊な風景を、
>凡庸な情況感受能力しかもっていない山県狂介以下の頭脳群に口頭で説明することができなかった。

凡庸な情況感受能力しか持ってない奴が洞春公の銅像担ぎ出してでも戦えなんて言うもんか。
てか司馬のポエムに引っかかる馬鹿大杉


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