11/04/23 14:22:27.56 nhodzz4Q0
>長州藩は、10倍以上の兵員数とフランス仕込みで近代化された兵器・歩兵隊の幕府軍に
>少なくとも三方から挟み撃ちされてるわけだからねぇ
非常に雑な説明と言わざるを得ない。本来予定されていた攻め口のうち、
海路の萩口が潰れたのは薩摩藩の不参加。小倉口、石州口は幕軍はまったく攻勢に出ていない
大島口は宇和島藩が参加しておらず、佐賀藩も、さらに頼みの熊本藩まで戦闘に参加しない状態で、
芸州口以外ではほとんど攻勢らしき攻勢がかけられていない。
芸州口でも、幕府歩兵隊は出動経験が少なく、しかも出動してからほどなく休戦状態に入ってしまった。
また、この翌年慶応3年、フランス公使ロッシュは幕軍の訓練度が進まないことに苛立ち、
「慶喜の江戸帰還が何より重要」と具申している。慶喜による幕軍の全隊銃卒化が始まるのはこの戦後。
>幕府側にどんなに大義名分がなくても、幕府上層部がどんなにバカでも、その当時の長州藩以外の藩なら、軽く、藩全域を武力制圧されてるでしょ。
>よって、その当時の長州藩側の特殊要因の説明なしでは何にも説明したことにはならないよ。
そう、当時長州藩は凄まじい粛清によって正義派与党以外の人士、民衆、反乱が徹底して弾圧される臨戦状態にあり、
このような態勢は日本でもさほど多くはなかっただろう
(長州藩内部の弾圧については井上勝生や一坂、また大粛清による証言や史料散逸を指摘するのは家近である)
だがその長州藩にしても、ろくに経験のない歩兵隊と苦戦し、熊本藩には敗色濃厚であった。
しょせんその程度。たとえば薩摩藩、装備では佐賀藩などと比べたらだいぶ遜色がある。
それでも桂が強気の見通しを持つことが可能だったのは、参加予定の九州諸藩、西国諸藩の世論を熟知していたため。
青山や家近を「反長州」などと言っているおバカには分からないかも知れないが…