高杉晋作at HISTORY2
高杉晋作 - 暇つぶし2ch412:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 14:01:05.88 nhodzz4Q0
>>405
>高杉晋作は、自分の出自を強調することで、封建意識のみのバカ俗論派をも従わせていただけ。
>そんな簡単なこと、よく勘違いできるな。

いや、高杉は「毛利家恩古の臣」と言う藩主に対する強烈な忠誠心を持ち、
たとえば奇兵隊の決起を促した時に赤根を「一土民」呼ばわりすると言う危険な行為を行っている
(もちろん奇兵隊は呼応せず、高杉は「脱走」扱いにされている)
さらに大田の戦闘後、世子毛利定広を担ごうとした藩政府に対して、
上士出身者が弱気になったのに対し、山県ら軽輩出身者は断固決戦を主張したのはよく知られている

高杉の封建意識を示すこの事例は遠山茂樹以来、一坂の世代に至るまで重視して指摘され続けてきた事実

>>411
崩壊しかけた幕藩体制の中で、体制を固守しつつ衆庶の参加により藩を再興させる。
古川薫は対外戦争は民衆動員のために利用されたと考えている。
奇兵隊はあくまで正兵を補う存在であり、内部に厳然たる身分差別があったのは周知の通り
高杉ら長州藩指導者は衆庶が藩家秩序を乱すような行動を許さなかった。
ここに山県や赤根ら、諸隊実務者との対立が兆す原因がある。

>>410
たとえば家近は幕長戦争の帰趨を決めた原因として
幕府・雄藩・京阪地域の要因を主因として挙げ、長州のそれについては取り上げていない。
それどころか、会津藩兵の投入が実現していたら「歴史は今日我々が見ているのと同じ道をたどった保証はない」
とも言っている。
「確かに幕長戦争における長州藩の役割は大きい。だが、あくまで倒幕の根幹をなしたのは公論の力」
と主張し、西南雄藩中心史観をはっきり否定している。

勉強不足だね。なお、高橋秀直は長州戦争に関して家近・青山とはやや立場を異にしているが、
それでも従来の長州藩を過大評価する立場とは一線を画していることには注意されたい。

413:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 14:09:33.85 nhodzz4Q0
>>406
雑すぎるならもとに戻ろう。
第1次征長戦の和議を取りまとめたのは西郷吉之助の助言に従った慶勝総督と俗論党政権。
なぜ俗論党政権が正義派政権より対薩関係を取り纏められなかったとするのは、
この一事を持っても否定される。そもそも俗論党政権の場合、
幕府との意思疎通がよりスムーズに行っていた可能性が高い。

それと一言。
人には罵倒を浴びせ、スレから出ていけと言いながら、なぜいちいち反論するのか。
要は事実を指摘されるのが不愉快だからだろう。


414:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 14:22:27.56 nhodzz4Q0
>長州藩は、10倍以上の兵員数とフランス仕込みで近代化された兵器・歩兵隊の幕府軍に
>少なくとも三方から挟み撃ちされてるわけだからねぇ

非常に雑な説明と言わざるを得ない。本来予定されていた攻め口のうち、
海路の萩口が潰れたのは薩摩藩の不参加。小倉口、石州口は幕軍はまったく攻勢に出ていない
大島口は宇和島藩が参加しておらず、佐賀藩も、さらに頼みの熊本藩まで戦闘に参加しない状態で、
芸州口以外ではほとんど攻勢らしき攻勢がかけられていない。
芸州口でも、幕府歩兵隊は出動経験が少なく、しかも出動してからほどなく休戦状態に入ってしまった。
また、この翌年慶応3年、フランス公使ロッシュは幕軍の訓練度が進まないことに苛立ち、
「慶喜の江戸帰還が何より重要」と具申している。慶喜による幕軍の全隊銃卒化が始まるのはこの戦後。

>幕府側にどんなに大義名分がなくても、幕府上層部がどんなにバカでも、その当時の長州藩以外の藩なら、軽く、藩全域を武力制圧されてるでしょ。
>よって、その当時の長州藩側の特殊要因の説明なしでは何にも説明したことにはならないよ。

そう、当時長州藩は凄まじい粛清によって正義派与党以外の人士、民衆、反乱が徹底して弾圧される臨戦状態にあり、
このような態勢は日本でもさほど多くはなかっただろう
(長州藩内部の弾圧については井上勝生や一坂、また大粛清による証言や史料散逸を指摘するのは家近である)
だがその長州藩にしても、ろくに経験のない歩兵隊と苦戦し、熊本藩には敗色濃厚であった。
しょせんその程度。たとえば薩摩藩、装備では佐賀藩などと比べたらだいぶ遜色がある。
それでも桂が強気の見通しを持つことが可能だったのは、参加予定の九州諸藩、西国諸藩の世論を熟知していたため。

青山や家近を「反長州」などと言っているおバカには分からないかも知れないが…

415:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 15:36:55.36 je4eIR4Z0
>>413

さすがに該当スレに去ったのかと思っていたのだが・・美しくないね。
しつこく反論を続けてるのは確実に君だろう。
現にまた空気も読まずこれだけ捲し立てて。
そんな人間に「反論を続けているのか」と言われる筋合いなし。
皆スレチだよと言ってるだけだしね。
それに対していつまでもいつまでも執拗だからね。

>要は事実を指摘されるのが不愉快だからだろう。

あのね。
空気を読まない君に不愉快さを感じてるだけだよ。
それだけ。


そろそろスルー対象にしてもいいんだがな。

416:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 15:45:42.90 je4eIR4Z0
ていうか、

>・・・可能性が高い。

と見解を断定できないにも関わらず

>要は事実を指摘されるのが不愉快だからだろう。

自分の意見を事実と確定しているこの矛盾さ。厚かましさ。






417:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 17:08:07.53 qujh070K0
まあ学者の論文を手がかりに自論を展開するのはいいんだが
自論を行き過ぎなくらい補強するのってちょっと恥ずかしいよね
だれも高杉が封建的価値観の持ち主ではないとは言っておらんのだがなあ
高杉も井上も桂も毛利家への忠誠心はすごくて、
なのにやったことがアレだから面白いんだがね


418:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 19:51:38.70 XDY7zoBPO
ここまでくると立派な荒らし。
真実を告げるが故に糾弾される自分に酔うのは
中学二年生で卒業しておきなさい。

419:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 21:42:55.02 hYJkO8DY0
高杉の身分意識はかなりあっただろう。
その点でも桂とは相性悪い気がするんだよなあ。

420:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 22:18:21.02 iH7O+rbkO
高杉は封建的な意識が高いのは確かだけど
四民平等が時世の流れで藩や国の力になるなら目を瞑って受け入れるんじゃね
桂と結託してたますじのことを後継者指名したくらいだし

421:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 23:15:46.03 A099ItA00
高杉はそりゃ自分が毛利家家臣であることに強い誇りと自負を持っていたけれど、
当時のあの身分の武士としちゃ十二分に柔軟。
例のお小姓日記に、明倫館に入学資格のない、足軽陪臣から町民農民まで入れる学校を作って
土屋矢之助とかを教授にすればいい、なんてアイディアを書きとめたりしている。
まあ松陰の影響が多分にあるんだろうけど。
別の日の日記には、藩政府人事案を自分なりに作ってみて、
行政府のトップの参政は周布、地政府の参政は桂、とか書いてるあたり微笑ましいw
このころ桂はまだ有備館舎長なんだけどな

422:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 04:39:40.53 S6eVg3pW0
高杉の封建意識は藩に対するものばかりではない。
家に対しても強い封建的倫理観を持っていたことは明らか。
衆庶の藩政参加は19世紀末~の藩政改革の時点から始まっていたから高杉独自の発想ではない

ただし高杉は、民衆の要求が長州藩や藩秩序を揺るがすことは絶対に認めなかった
それは自ら発起した奇兵隊も同じ。諸隊はあくまで藩家を守るためのもので自律性を認めない
よく文民統制とか勘違いされるが、実際は藩指導者が諸隊の自立を恐れたために他ならない

423:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 04:44:34.79 S6eVg3pW0
>>416
では、はっきり言い直そう。
ぶっちゃけ俗論党政権なら幕長戦争なんて起きてなかった。
一橋慶喜は積極的だったが、その手足となる会津藩が必ずしも前向きではなく、
戦争勃発に至る過程ではかなり錯綜したものがあった。

正義派政権は不信感から徹底して幕長間の意思疎通を阻害した。結果が長州戦争だよ。
高杉もよく情勢分析せずに開戦不可避を言上している。明らかに幕府にとっては想定外の戦争だ。
長州戦であえて主役を挙げるなら桂だよ。
空気を読めとは、一緒に高杉をマンセーしろと言うことかな?

424:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 06:01:16.76 msJseWLrO
幕末系を語りたいなら

高杉スレ西郷スレは不適切

無学な狂信者の隔離だから

高杉派閥とか遣韓論とかw

木戸、大久保、幕軍、慶喜スレが適当

425:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 06:42:53.62 ltjx+VLS0
伊藤「高杉は参謀としてはなかなかなものじゃったよ。」

426:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 07:34:42.06 I7u1X4wKO
自分大好きな風見鶏は黙ってろw

427:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 09:04:38.65 GjX9hRhT0
>>424
高杉派閥とかいってる人は高杉厨じゃなくて、木戸スレでも暴れてる派閥厨なんでw

>>423
研究史的に長州側が過大評価されてきたのは事実だし、
それを是正しようと先にあげられた研究者が幕府側の研究を進めてきたのは偉大な功績だ。
しかし、貴方の論はそれを長州側の過小評価にまで持ってきてしまっているようにしか思えない。
ぶっちゃけていえば幕長戦が起きたのには、幕府側にも長州側にも原因があるし、
それに外国やら他藩やらの動きも当然影響している。そんなの当然じゃん。
何でそんなに一生懸命長州正義派だけを叩いているわけ? そんなに一方的なマンセーしてる奴いる?
長州側少人数でこんなにがんばってすごいじゃんって話してただけじゃ?
それだけが勝因であると言い張るのはヘンだがそんなことだれもしてないっしょ?

ていうかさ、ここは高杉スレなんだから、幕長戦の主役が桂だったとしても
それは置いといて、あるいはそれは当然として、いずれにせよ高杉と幕長戦について語るのは当然なのに
なんでそういう、現在だれも持ち出してない「高杉が主役!論」はまちがっとるみたいな話を
わざわざ展開して勝ち誇るのか意味がわからん。
だからスレチっていわれてるんだけど。

428:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 09:52:23.82 DsVeXCPZ0
高杉の封建思想って今後どうする気だったんだろうね。
幕府倒して毛利幕府はないとしても、大名の合議制みたいなのを
目指してたのかな。そうするとやっぱ廃藩置県した連中からは一歩劣ってるかな。


429:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 14:22:48.39 S6eVg3pW0
>>427
高杉と言う人は、どうも評価を取り違えられている
小倉口での高杉の功績は、山県たちをうまく統率し、
適度に攻撃を仕掛けて幕軍に心理的打撃を与えたと言うことに尽きるのであって、
三味線を弾きながら戦場に乗り込んで幕軍をバッタバッタと切り倒したことにあるわけじゃないよw

自分が逆に不思議なのは、長州戦争の因果経路を幕軍側から説明するほうが簡単だよと言う主張が、
なぜ高杉を貶めると受け止められるのかと言う、そこなんだな。
たとえば青山家近は、幕長戦争の帰趨を決めた桂の薩長盟約に対してすら過大な評価は与えていないし、
山県とともに元治内戦の火付け役を演じただけで十分な評価だろう
基本的に高杉って好きな人は好きと言うくらいの評価で、歴史上そこまで大きい存在じゃないから

まあ木戸スレとここと見たら、確かに大久保スレと西郷スレくらいレベル違うけど・・・

430:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 14:29:57.58 HcUFtT+r0
>>429
ああわかった。貴方の主張の仕方が一生懸命すぎて、このスレのノリからみると
あたかも「幕府からの敗因をみることにしか価値はない」的に受け取れてしまうので
延々と話がすれ違うんだよ。
まあこの件一生懸命論じるのは、どっちにしろこのスレじゃないよ。
この辺にしとこうぜ。


431:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 15:11:40.59 S6eVg3pW0
いや、このスレだろ?小倉口に関しては。
何をこの辺にしておくのかさっぱりわからんけどな

432:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 16:22:39.52 8ADe4wa40
高杉って幕府から長州の悪は桂と高杉であり処刑しろって
言われてたわけだよね。桂や久坂と違ってそれほど目立った行動してないと思うんだけど。
なんで目をつけられてたの?

433:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 16:45:13.04 MsmfLzX90
>>431

わからんのやろ
もうええって


434:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 16:54:46.97 MsmfLzX90
つーか誰も高杉が三味線でバッサバッサなんて思っとらんし言っとらんやろ
あんたアホか?

すでに前に誰か言っとったけど
“戊辰戦争・旧幕府軍勝利の可能性について”
こっちのスレできばれや

木戸スレが好きやったらそっち行ったらええやん、
わからんと思うとこにおる必要ないで
それだけのことやろ




435:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 17:10:48.28 MsmfLzX90

あんたはな
自分の説得力のない意見を一方的にしつこくしつこく押し付けてくるから
嫌われとるねん
それをいい加減悟れや
高杉マンセー言う前に自分マンセーになっとる自分に気付けや
それを空気読むっていうんや


436:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 17:32:45.66 MsmfLzX90
>>429

>自分が逆に不思議なのは、長州戦争の因果経路を幕軍側から説明するほうが簡単だよと言う主張が、
なぜ高杉を貶めると受け止められるのかと言う、そこなんだな。

高杉を貶めるなんて誰も言うとらんやろ
自分の意見を主張することしか考えとらんからそうなるわけや
因果経路を幕軍側から説明するほうが簡単やなんて乱暴やろ
それを皆言うとるだけのことやろーが



437:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 20:06:03.46 WMjHGrnP0
なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2
スレリンク(history2板)l50

という、これ以上ないくらいぴったりのスレもできているw

438:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 21:57:30.48 MsmfLzX90
そやそや
“なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2”やな

434の自分の挙げたスレ名は間違っとるわ すまんかったのう

439:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 22:10:08.31 MsmfLzX90
ID:S6eVg3pW0 もうそっちでカキコしとるやんw

おきばりやす~

440:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 22:12:55.24 baL+DjAc0
俗論党の藩庁に高杉が反乱を起こしたから明治維新があったんじゃないか。
高杉の功績は偉大だよ。

441:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 23:16:07.86 MsmfLzX90
ID:S6eVg3pW0はさ、高杉のこと
>歴史上そこまで大きい存在じゃないから
と言いつつ高杉スレに必死でカキコしとるんやから
そんなんもうほっとこほっとこ

442:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 07:56:04.43 HZTIZ9g10
けど高杉の役割ってクーデターの時だけだよね。あそこに存在してたのが全てで。
あそこに高杉いなかったらどうなってたのか。
伊藤と井上あたりが頑張ってたんだろうかねえ。

443:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 12:29:37.19 Y/07VZ0w0
高杉がいたから維新が成った。それがすべて。

444:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 17:50:34.89 E11mEyraO
高杉がいたから彦島は日本の香港にならずに済んだ

445:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 18:00:10.65 oP8M+ntLO
ラーメン食うっちゃあ~。

446:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 21:50:56.87 pZemQO5m0
坂本竜馬は司馬の影響でやたら美化されてるけど
高杉もそういうのなのかね?

447:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 23:36:01.66 /Xs3yEvo0
まあ小説はもちろん、ドラマや最近ではアニメなどのおかげで
妙に美化されてる歴史上の人物なんて挙げたらキリがないでしょう。

448:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 23:43:57.02 /Xs3yEvo0
ああ、446は木戸スレで有名なageさんか。

449:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 11:06:32.73 QfKwnX6n0
高杉は龍馬ほど美化されてない。というより
全く過小評価だ。明治まで生きたら薩における
西郷と大久保のように木戸と高杉が長州閥の
両巨頭になったことは間違いない。

450:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 12:52:40.09 EHjVEkuHO
いや、高杉生きてても普通に木戸広沢が両巨頭だろ
その下に大村高杉前原

451:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 14:42:23.93 GyclBkAzO
前原混ぜたら混乱するだけでは
高杉が上手く抑えるかもしれんが

452:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 14:43:45.56 1cGKeQcZ0
前原ってそんなに重要だったっけ?
大久保の画策で唐突に副島・前原体制になりかけたときも引き篭もってたようなw
まぁ真面目な人だったんだろうなと思う。

453:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 18:39:44.19 XEajp96G0
「生き残ってたら」で長州代表になってたのは周布だろう。
高杉とか久坂ってのはどうも政治家っぽくない。
久坂って一時期名声がすごいあったらしいが、どういう事だったんだろうなあ。

454:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 20:09:28.00 QfKwnX6n0
「生きてたら」で言えば松陰がトップじゃないの?

455:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 20:12:27.64 XEajp96G0
松陰も生き残ったら政治家になるだろうけど
周布とかには太刀打ちできないでしょ。

456:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 22:47:12.36 xmM4cWmt0
松陰は政治家にはならん気がするなー。口は出すだろうけど。
学問してるときがいちばん幸せそうで、だれも邪魔できません、って感じじゃん。

457:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 23:08:52.80 XEajp96G0
>>456
松陰はすぐに行動にうつすタイプだからそれはないと思う。
学問覚えても行動しなきゃ意味がないって思想だったはず。陽明学だっけ?

458:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 23:34:15.97 Pq35a2E40
いやそれと自分が政治家やるのはイコールじゃないから。
松陰としたら実践は周布や桂や弟子の高杉とかがやってくれればいいんであって
自分は有効な策を具体的に建策したり添削したりする役。
有効かどうか調べるための実験的な実践は当然やるだろうけどな。

459:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 00:48:39.69 nRQ2988t0
薩摩での小松の位置だな周布は

460:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 07:01:14.64 iGUnht0+0
高杉のやった事は西郷や大久保でも到底真似できない位だけど
天才過ぎて平時の政治家向きではないだろう
むしろ久坂が惜しかった
久坂は死ぬまで長州の若手リーダ格だったし
京都政界切り回し他藩士との外交仕切ったのも名声高かったのも久坂
高杉は逆にそういう面ではかなり影薄い
むしろ緊急時になればなるほど力発揮した

461:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 07:42:02.68 Ey8mARys0
>>458
松陰の策っての実現不可のばっかりだし。周布桂級の政治家がまともに取り上げるわけないから。
やっぱ松陰は独自に動くと思うよ。

462:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 08:42:13.99 QEa8zxYa0
松陰なら明治政府に反乱を起こすんじゃないの?
高杉もやりかねん。

463:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 08:44:13.27 tCeXe+4z0
>>460
日和見公家にあの期に及んですがり付こうとするのは
桂小五郎や大久保一蔵なら絶対にやらなかっただろう。
甘すぎるとしか言いようがない。
ただ、久坂のあの当時の年齢を考えれば、生き残れば、
経験を積んで、明治政府のリーダーになっていた可能性は
十分ありえる。

464:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 18:47:31.01 e74ZPiPq0
久坂と高杉の差は、久坂には誰も附いて行きたいが、高杉には「どうもならぬ」と皆いふ程で、高杉の乱暴になり易いのには人望が少く、久坂の方は人望が多かった。

465:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 19:22:11.18 4jcrxh4nO
高杉には久坂みたいな政治資質はなかったかもしれないけど
大勝負で勝ちを引き寄せる運は持っていた
適材適所で能力を発揮できればそれでいいと思うけど

466:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 19:24:18.20 Ey8mARys0
久坂は実際どんなもんだったか分からないんだよね。
思想自体は松陰程度の幼稚な感じするけど。そういう人間が
人望あって勢力作るともうマイナスでしかないと思う。

467:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 20:17:04.99 e74ZPiPq0
松蔭は思想性は高いよw
思想性は高いが政治力は無いから失敗しまくりだけどwww

松蔭の久坂評

「久坂は防長に於ける年少第一流の人物で、無論また天下の英才だ。
 久坂の才は縦横無礙なり。
 高杉の識を以って、久坂の才を行う。気は皆その素より有するところ、何をか為して成らざらん。
 高杉よ高杉、天下固より才多し、然れども唯一の久坂を失うべからず…。」

中岡慎太郎の久坂評

「第一、その卓識なる者を久坂玄瑞と云う。
 この人吉田松陰の門弟にして英学も少々仕り、夷情も大に知れり。この人常に論じて曰く
 「西洋諸国といえども、魯王のペートル、米利堅のワシントン師の如き、国を興す者の事業を見るに、是非とも百戦中より英傑起り、議論に定まりたる者に非らざれば、役に立たざるものなり。
 これ非共早く一旦戦争を始めざれば、議論ばかりになりて事業は何時までも運び申さず」と云う。実に名論と相考え申し候。」


木戸孝允の久坂評

「久坂は、幼少より学を好み、剛毅卓立、如何なる場合も俗見に随わず、慨然と天下の務に志を有していた。
 長州藩で夙に気節を尚んだのは吉田松陰を第一とするが、実際運動に身を挺せること久坂の如く者は一人もいない。
 世に文筆学問の徒は少なしとしない。
 けれども概念のセンサクに没頭して世務の何ものなるかを知らなかったり、声利に汲々として図書の間に老ふる者ばかり多い。
 義勇の士もまた決して少なしとしないが、或る者は暴虎馮河して快とし、或る者は血気にはやって敢えて危険を冒す。
 久坂の如きはこれ等と相去ること大いに遠かった。
 これを俊傑といい剛者と称するに間違いはなかろう。
 久坂は死んだ時二十五歳であった。惜しいかな、彼をなお世に在らしめ、益々その志すところを尽さしめ得たら、成就するところ現在の如きに止まらなかったであろうが…。」


佐久間象山の久坂評

「土州と長州から使者が来た。土州の使者(中岡慎太郎)はすこぶる頑固な人で、これを辞したらほとんど刺違えぬばかりに激論した。
 長州から来た使者、その中の一人(久坂)は殊に明敏な者だ。」


西郷隆盛の久坂評

「久坂先生が今頃存生ならば、御互(木戸と西郷)に参議などと云って威張ては居られませぬがなー。」


468:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 20:24:48.88 4mc2urIC0
桂や大久保だって文久~元治のいわゆる志士と言われる頃と明治政府のリーダーになってからでは
立ち位置や状況、経験の積み重ねによって当然変化してる部分もあるのだから
久坂とてそのまま生き残っていればその後どうなっていたか、
新政府にとってプラスに作用したかマイナスに作用したかは断定はできないね。
死んだ当時の印象だけで決めつけてしまうのはちょっと気の毒かな。

ただ自分も松陰は政治家ではないと思う。高杉も。

469:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 20:27:58.48 4mc2urIC0
>>467

ご苦労様。
ここの人は大抵知ってる内容だと思うけど。

470:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 20:36:24.24 e74ZPiPq0
木戸はうん子漏らしたり明治語は欝の木戸として何もやらなかったからな
大久保なんかも一時絶望して西郷と刺し違えようとしたらしいから
松蔭門下ではやはり久坂が一番惜しかった
高杉は明治後居ても政府でやること無い
行政長の卿や派閥をまとめて国政全般を議論する参議なんて柄でもない
かといって軍事行政家でもない

471:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 20:39:09.34 e74ZPiPq0
松蔭は思想家教育者だろう
西郷なんかも思想家だけど実践者の政治家としての力量もあった
久坂も同じだな

472:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 20:53:31.84 e74ZPiPq0
奇兵隊士

「高杉は直情径行、自我強く、部下の意見などは更に顧みず、無頓着無関心に只勇往邁進的であったに反し、
 久坂は深思遠謀よく部下の意見を容れ、衆智を集めて敢決断行の人であって、部下を愛する情至って深く、何れも心服して居た。
 高杉には部下が引きずられがちであったが、久坂には心から感服随進したものである。」


雲濱梅田翁

「久坂玄瑞は政治家にして廟堂に立つ者なり。高杉晋作は軍人にして将帥の器あり。大楽源太郎は学者にして教育家たり。
 換言すれば久坂は将帥たるを望む可からず。
 高杉は政治の事を思う可からず。
 大楽は教育を業とすべしと。依て三士に各一文を與へりと。」



473:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 23:53:21.20 4jcrxh4nO
うん久坂スレを盛り上げてやれ

474:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/28 22:13:22.72 FYq4akxy0
大楽源太郎って高杉久坂と同列なのか?暗殺者のイメージしかないわ。

475:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/28 22:24:48.57 5Gl1g5T90
山県有朋の前で吉田稔麿が絵を描いて見せた時。一番初めに鼻輪を通さぬ離れ牛をかき、
其次に坊主頭で裃を着ている人がある。其次には木剣があり、又其次には棒がある、それ
で山県が此絵はどういう意味かと尋ねると稔麿の答に、此離れ牛は高杉晋作である。これ
は中々駕馭できない人である。坊主頭で裃を着て座っている人は久坂玄瑞だ。これは廟堂に
座らせておくと堂々たる政治家である。其次の木剣は入江九一である。入江は偉いが、まだ
本当の刀ではない、木剣位である。それから其次の棒は誰かと聞くと、此棒は山県であると
答えた。という話も有ったな。

476:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 03:56:38.89 ipDbsouiO
高杉~♪高杉~♪
高杉いいいい♪

477:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 14:24:13.86 XCzpRufE0
おうのって下関出身なの?
ああいう芸者ってどこの人でも京言葉を操るもんなの?

478:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 16:02:19.03 HZqjIcT80
おうのの出自は不明。
京言葉って。それを言うなら祇園ことばじゃないのか。



479:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 23:54:39.50 joqFwWwTi
晋作日記だとわりかし読書家で驚いたな

480:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 00:57:53.14 u57XFEoh0
>>479
何を今更…松陰にむちゃくちゃ期待されるぐらい学問してるんですが?

481:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 03:23:07.31 y0RLfsqS0
高杉は天才だから感性だけで生きたって先入観はあるな確かに

482:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 03:52:44.00 bk99EZsX0
これも何を今更。
高杉が松陰に何て言われたか知らないのか?

483:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 04:09:57.27 KL6zhOTp0
>>414
> だがその長州藩にしても、ろくに経験のない歩兵隊と苦戦し、熊本藩には敗色濃厚であった。
> しょせんその程度。

二重に間違い。
哀れなほどの反長州史観(^Д^)9mプギャー

・禁門の変で京に藩主父子の雪冤のために出ていた先遣隊(本隊の世子軍が約2000名なので実際は300名ぐらい。多くても500名ぐらい)以外は、
長州藩側にも戦闘経験がないが、その先遣隊メンバーからしては既にほぼ壊滅しているので、長州側も戦闘未経験。。
・援護していた小倉藩が長州軍に壊滅させられ長州軍から敵前逃亡した熊本藩に対して一体誰がどう「敗色濃厚」になり得るの?

484:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 04:26:33.27 KL6zhOTp0
>>470
別に久坂が凄くないというわけでは全然ないが、

文久3年に始まる馬関攘夷戦争までの段階で、明らかに、

木戸孝允・高杉晋作>>久坂義助

だがな。
「馬関攘夷戦争は、朝命・幕命に従ってやむなくやりました」
って形を終始取った木戸・高杉のほうが遥かに物事が見えていることは確か。

485:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 06:19:45.98 AzdZ8pOK0
>>475
松下村塾の中で第五位だった。つまりは生存者の中では
もっとも出来がよかったと吹聴するための山県の作り話
の可能性が高い。おそらくライバル視していた伊藤への
当て付けだろう。
品川が「稔麿が生きていれば据え置きの総理大臣だった
だろう。」と語ったのも、伊藤に対する当て付けだろう。
(品川は内相のときに、伊藤に選挙干渉を痛烈に非難
されていた。)

486:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 11:30:31.58 /BS/ni8L0
>>484
馬関攘夷戦争は、朝命・幕命に従ってやむなくやりましたんじゃなく
取り付けてやったんだが?
木戸孝允・高杉晋作>>久坂義助になる理由が意味不明すぎるw

487:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 20:10:00.12 kBAOw35B0
西郷が久坂が生きてたらっていうのも木戸に対しての皮肉だろうしなあ。

488:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 20:32:54.86 1nhgCWGlO
長井の件で久坂を煽ったり、禁門では西郷が久坂を殺したようなもんなのにな。
木戸からしたらどの口が言うか、と臓煮え繰り返る気持ちだったんじゃないだろうか。
そのあたりは薩長同盟時に責めまくって水に流したかもしれんが。

489:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 22:54:18.91 1jKiJH2K0
大西郷はそんな器量の狭い漢ではなかだろうw
長州と対立したのも私怨あったわけでなく薩摩の藩益上対立しただけ
むしろ久坂の様なのを木戸より西郷は尊敬する
久坂や西郷は政治屋でなくまさに政治家なのは身を捨てれる点
木戸が政治家として維新後いまいちパッとしなかったのもそういう面が大久保に比べると弱かったからだろう

490:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 00:42:18.70 Z+ewNyfOO
維新後政治家として更にパッとしなかった西郷に言われても

491:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 00:49:38.47 aXoLBkKw0
むしろ明治維新で革新的な改革やったのはむしろ西郷首班の留守政府の方だぞ?
ずるい大久保ら外遊派は権力闘争で引き継いで強化しただけで

492:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 01:02:27.23 Z+ewNyfOO
留守政府の改革で外遊組がいなくなった後に発案された政策なんかあったか?
遣韓以外

493:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 01:49:43.51 sCH23bPr0
高杉スレで留守政府とかスレチにも程があるだろ
久坂を西郷アゲに利用してんじゃねぇよ
身を捨てられりゃ偉いのかよ周囲巻き込んで自滅するのが偉いかよ
西郷スレで勝手に陶酔してろ

494:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 02:11:37.92 7LOXSxm10
府県の統廃合(3府72県)
陸軍省・海軍省の設置
学制の制定
国立銀行条例公布
徴兵令の布告
地租改正条例の布告

ほぼ留守政府がやってる
西郷だから実行できたものばかり
外遊組は国内騒乱になる元は全部西郷さんに押し付け海外逃げ回ってる
最後の仕事と張り切った遺韓大使まで外遊組の権力奪還闘争で潰されるんだから
そりゃ西郷どんも薩摩に引きこもらざる得ないわ

495:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 03:37:39.98 27/e0sRX0
>>484
えーっ!?久坂は結果的に京都で爆死しただけで、
政略の才能では明らかに高杉と比較にならないでしょ
禁門の変だって幕府や一橋や長州シンパと、会津は狙い通り分断されてたわけだし

加徳丸事件と言うピンチをあんな強引な手段でチャンスに変えたのはまさに剛腕
木戸にしても高杉よりははるかに政治的指導力がある、久坂とタイプは違うけど
高杉は忠義な官僚と言うタイプの人間

496:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 06:09:05.37 xSDcLjY9O
>>494
それ、外遊組がいるころから進めてたものばっかじゃん
しかも西郷がそうせい侯状態で大隈らに投げっぱなしで急速に進めちゃったもんだから、
各地の不平士族を宥めるために遣韓(元々は征台)に繋がる訳で。

497:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 08:47:32.62 PbC26NIm0
久坂は若い奴の人気はありそうだけどそれだけの奴っぽいんだよな。

498:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 09:25:33.37 X2BA6LTl0
2chのフォーマットで意見のやり取りすると疲れるな。
基本相手をやり込めてやろう、みたいな鼻息荒い人ばかりだね。

499:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 14:25:07.54 27/e0sRX0
>>497
久坂は若いやつとかそういう問題ではなく、ピンチをチャンスに変えるパワーがすごい。
高杉は奇兵隊に真っ直ぐねじ込んで、挙兵断られると自分で文字通り義挙しちゃうタイプだけど、
久坂は最善が駄目なら次善、次善が駄目なら…と、あらゆる手を使って目的を達成しようとする。
禁門の変の時がそうだよ。高杉は思い通りにならないとあきらめ、久坂は次善の策を考えた

500:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 14:29:46.43 27/e0sRX0
まあ、結果的に次善の策が天皇の命と連合艦隊報復で、土壇場で引っ繰り返って、
えーっと言う感じであぼん。あきらめた高杉のほうは助かると言う皮肉な結果に…

501:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 16:55:54.18 GvFm8aUV0
>>498

同感。
様々な意見が交わされるのは面白いけど
自分の意見が絶対意見みたいに思ってる人多いよな。
歴史なんてひとつの事象でも見方によって解釈変わってくる場合もあるのにな。

あと西郷のことは西郷スレで。
久坂はスレないのか、誰かスレ作ってあげれば。

502:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 19:30:56.92 PbC26NIm0
>>499
それは久坂の方が普通って事だと思うよ。しかもその結果禁門の変で命を落としたわけだから
やっぱ高杉に比べて大した事なかったって事だよ。

503:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 20:11:53.61 GvFm8aUV0
いやだから。
高杉と久坂は明らかにタイプが違うから。
自分は高杉贔屓だが、高杉の方が優れている部分もあり、当然久坂が優れている部分もあると思うよ。
どちらが偉いとか決めないと気が済まないのかねえ。

504:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 23:41:50.25 C8Vam6WZ0
高杉はピンチをチャンスに変えれるけど久坂の様な物事を進める指導力は無い
木戸が久坂より優れてたのは
うん子もらし乞食になり逃げ回ったところだろう
久坂には到底できない行為

505:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 23:49:13.08 C8Vam6WZ0
>>496
廃藩置県やる為に薩摩にこもってた西郷を政府の大久保と木戸が呼び出してるんだが?
徴兵制も山縣が西郷の承諾得たからできた

506:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 01:41:47.50 BXJB8BurO
ひょっとしてこれが脱糞君と呼ばれている嵐か

高杉日記を読んでるが人見知りといいつつ色々な名前が出てくるなあ
しかし修行の旅の日記はどこで誰に会ったとかちょっと分かりにくいね

507:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 17:21:48.29 /i1CUq730
>>504
高杉の功山寺決起は「義挙」の一種。成算ある決起ではない。
ピンチをチャンスに変えたと言うより、ピンチだから単身決起したら、
いつの間にか奇兵隊の事情が変わってついてきたと言う感じだな。

久坂と高杉では、高杉のほうが単線的な行動を取り、ダメだとあきらめるか自爆する
久坂は戦略を立て、最善、次善、三善と言うように最後までベターを模索するタイプ
それと久坂は反対論に固執しないし、時には強引に局面を変える手も打つ

禁門の政変では途中で次々に事情が変化したのに、最後まで望みを捨てずに収拾に当たったから、
木戸と同じような行動が取れなかったと言う事情もあろうな

508:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 17:26:10.48 /i1CUq730
禁門の政変の長州軍進発は、結果的に敗れたから「暴挙」になったけど、
少なくとも長州が大兵をもって京を包囲し、朝議でも一橋慶喜以下、
多くの藩が日和見を決め込むか長州に同情的で、充分に効果を発揮していたからな。

ところが孝明天皇が会津を頑強に擁護したことと、何より連合艦隊の報復攻撃情報が想定外になった

509:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 18:09:11.18 RIRfQ9ob0
>>508
それはない。
当時の朝廷関係者の日記等の分析で、
既に尊攘派の切り捨てが始まってたことがはっきりしている。
天皇その他が、志士の天誅にうんざりしていて、
薩摩藩上層部にあいつら捕縛してくれないかって相談する直前だった。

むしろ久坂は圧倒的逆風の中、藩論を尊攘に持っていったことが凄い。
当時即今攘夷は完全なる時代錯誤だった。

孝明天皇は三条実愛が建白書として提出した
長井雅楽の航海遠略策を内諾していた。
謗詞一件で朝廷が支持を覆したと、
長州藩が読んだのは完全な読み間違い。
藩論を即今攘夷に変更した時に参考にした勅語も古い物。


510:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 19:42:29.24 RugEnebu0
長州と薩摩は攘夷戦をやり、それで他日外国の侮りを防ぐのは薩長であると中岡は攘夷戦を評価してる。

長井が航海遠略策で公武合体を先決として、幕府が調印を了した通商条約を認め、挙国一致のカをもって外交問題に対処すべしとしたのに対し、
久坂は解腕痴言で幕府の専断を許さず、通商条約はこれを破棄し、安政元年の和親条約の線に引き戻すべしと主張し藩論を尊攘にした。

「英仏の力をほしいままにして皇国(日本)に向かい、干戈(武力)を用いざるは、清国の長髪賊の勢威はなはださかん(太平天国の乱)なるゆえなるべし。
万に一も長髪賊、英仏に屈せば英仏の我(日本)に寇すること必然ならむ。

幕吏(幕府の役人)の穢(きたな)き心もちたる奴らは戦いをおそれ和を唱えて、まず武備を整えてのち攘(はら)えしと・・・・
されど、癸丑(きちゅう=1853年)の頃よりすでに十年の久しきを経ぬるに、器械何ほど(どれほど)整いたるか。士気何ほど奮いたるか。」

(イギリス・フランスが日本に攻めてこないのは、いま、中国で「太平天国の乱」がおきているからだ。これがおさまれば、必ず彼らは日本に攻めてくる。
なのに幕府は、戦争をおそれて、ペリーが来てから10年がたとうとしているのに、いまだ十分な軍事力を整えていない。これでは士気が奮い立たないではないか。)

その談判に成功し、わが国威が立った暁においては、「朝鮮・満州・広東・呂宋・爪哇・印度より初め、亜米利加・欧羅巴迄も自由に往来し、処々に館第を建て、将士を置き、
宇内の形勢を脾睨し、万国の情態を洞観して我が海軍を練し、我が士気を張り候えば、皇威恢復何の難きかあらむ。
然りと雖も金川(神奈川)調印を破棄し、三港に引戻し候こと夷人万々承引仕るまじきに付き、撻伐膺懲の勇決猛断ならでは迚も相叶はず候」

久坂の所論も結局は航海遠略を目指したのであるが、そこに至る過程において長井の政治家的便宜主義を排し、純粋にわが国体を踏まえての行動に終始したのである。

久坂は幕府が独断で結んだ条約は認められない、攘夷で日本国の人心と国威を立て、天皇中心の国体を立て、開国するという戦略である。
久坂は禁門の変で死ぬが、久坂の論通りに時勢は展開するのである。

511:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 20:26:02.78 BXJB8BurO
何かの小説の引用?

512:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 20:52:55.16 eBzSsx+M0
攘夷親征なんて何も実現してませんぜ?
実現したのは英国公使館焼き討ちくらい?

513:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 23:36:27.78 dTLs9XGl0
久坂にほぼ近い考えと思われる中岡慎太郎は、
『夫れ、攘夷というは皇国(日本)の至言 にあらず。そのやむを得ざるに至っては、宇内(世界)各国、みなこれを行うもの也』と、
攘夷は万国共通に行われる物で、日本だけの特殊な理論ではないと述べています。

そして薩長は、攘夷戦によって民族の独立を意識したを高く評価してます。

攘夷戦によって薩摩は士気一致、俗論漸く俎し、因循固陋の弊大いに破れ、いわゆる攘夷家なる者を先頭として航海練兵等の実用を主張することになり、一藩の国是が定まった。
長州にては、しばしば外国船を暴撃し、敗軍し、続いて馬関の大敗がある。又追討の兵を四境に受ける。この時人皆思ったのが長州万々支えることは出来ないと。
あにはからんや、長州は一国の政事を改革し、兵制を一新し、士気大に奮う。
攘夷戦によって、国難に際しては、階級に関係なく、民衆が一体となることで藩論が一変したことを説きました。

そして
「自今以後、天下を興さん者は必ず薩長両藩なる可し、吾思ふに、天下近日の内に二藩の令に従ふこと鏡にかけて見るが如し、他日本体を立て外夷の軽侮を絶つも、亦此の二藩に基づくなる可し。」
と、以後天下を興すのは薩長であり、又外敵の侵略を防ぐのも薩長に決まったとしてます。

「富国強兵と云ふものは、戦の一字にあり。」と書いています。

514:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 01:00:54.97 W3f/tkyx0

誰か~、早く久坂スレ立ち上げてやってくれ~。



515:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 02:16:17.26 f95ahMo30
即今攘夷とか言って下関戦争でコテンパンにやられてんのw
結局薩摩と土佐に助けてもらったのに。


516:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 03:08:00.74 0QhB2XyT0
まあコテンパンと言っても死傷者は実は連合艦隊側のが多い。
講和も幕府が長州征伐を決め、挟み撃ちになるから幕府側に力注ごうとして決めらたんで。

517:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 09:03:16.88 MyywI7IC0
晋作日記って面白い?

518:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 09:38:19.73 lbL4aDnUO
>>514
久坂高杉大楽といううってつけなスレがあるのにな

519:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 15:57:17.40 fMqtNiwH0
高杉は上手い事外国との戦も禁門の変もスルーしてるんだよな。
禁門の変の後からクーデターまでなにしてたんだろな。

520:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 16:19:52.87 zKNCoi060
脱藩→帰郷&投獄→出所&謹慎→(謹慎中に禁門の変と下関戦争 スルー!)
下関戦争講和参加→正義党が野党の間に第一次長州征伐(スルー!)→
長州藩内乱勝利→下関開港推進→狙われる→身を隠す(藩論ゴタゴタスルー!)→
薩長密約→第二次長州征伐海軍総督→勝利→
肺結核→死亡 (攘夷破棄の変節スルー!)

運がいい。死なない巡り合わせw
焼き討ちとかしとるけど、意外とバランス感覚もいい。
後は口舌の徒ではなく、奇兵隊という藩も無視できない基盤があった。


521:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 17:01:50.85 fMqtNiwH0
あれ?下関戦争の講和ってなんで高杉なの?その時は禁門の変後で
正義党は権力なくて俗論党の時代じゃないの?

522:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 17:28:39.81 eCdE65eu0
俗論党が政権取ったのは、幕府が迫ってきて威力外交した時。
長州藩の士農工商身分制が内実打ち崩されたのも、下関戦争によって奇兵隊が誕生した時ですな。

523:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 18:23:17.53 kwX+5bP30
>>509
それはない。
破約攘夷(即今攘夷)を条件に和宮を降稼させた事情を全く知らないような「朝廷関係者」など笑止千万もいいところ。

「当時の朝廷関係者の日記等」って具体的に何と何よ?

524:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 18:31:28.87 kwX+5bP30
>>520
「攘夷破棄の変節」は、余りにも歴史改竄がひど過ぎる反薩長史観あるいは反長州史観の証拠なんだが。

安政の不平等条約が明治政府によって日清戦争・日露戦争の攘夷戦争により1911年までにちゃんと「破約攘夷」が達成されているのを無視する超ウルトラ低脳キ●ガイ国賊が多くて、ホント困る。


525:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 18:52:25.78 kwX+5bP30
>>524の改訂版

>>520
「攘夷破棄の変節」は、余りにも歴史改竄がひど過ぎる反薩長史観あるいは反長州史観の証拠なんだが。

安政の不平等条約が明治政府によって日清戦争・日露戦争の攘夷戦争により1911年までにちゃんと「破約攘夷」されているのを無視する超ウルトラ低脳キ●ガイ国賊が多くて、ホント困る。

526:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/04 22:04:49.19 aJ6OX6OL0
勝海舟が講和に来たときはもう俗論党か。
高杉対勝の会談とかあったら面白そうだったのに。

527:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 01:25:10.61 Ugoc/RZe0
>>526
なんで広沢と井上が俗論党なんだよwww
せめて年表レベルの超基礎情報くらいは把握しとけよ

528:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 17:33:56.10 AE0cUHT10
あれ?そうだっけか。ってことは俗論党もすごい短い間しかいなかったんだな。


529:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 18:50:31.43 ybOq4mzC0
>>509
それはあるよ。当時、上京した長州藩が主敵にした会津は孤立状態だし、
久坂の朝廷諸藩と会津との分断策はちゃんと効果を発揮している。
幕府や一橋慶喜でさえ、会津藩に対して積極的な擁護に動かなかった。

事態を一変させたのは連合艦隊報復来襲の報で、包囲して圧力をかける戦略の根底が崩れたこと、
加えて孝明天皇が断固として会津藩擁護の姿勢を変えず、慶喜に重ねて長州藩撃退を命じたこと。
禁門の政変の長州藩とそれ以前の尊攘激派を取り違えてどうすんの。

>>516
コテンパンだよ。講和条件は長州の全面降伏。薩英戦争でも英軍に死傷者を多数出したが、
あんな屈辱的講和条件は飲まされていない。
それと高杉が奇兵隊が基盤て、冗談?内戦当初、奇兵隊に決起を説いたのに応じなかったでしょ
高杉は諸隊への影響力を持っていなかったから山県と妥協せざるを得なかったのであって

530:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 19:58:45.52 oiwpva/uO
奇兵隊って不思議だよね
高杉に反発して追い出すまでやったのに最終的には高杉の墓の側に墓を作りたがったり

531:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 20:06:11.68 jDW0WaXO0
高杉が奇兵隊に決起を説いたのに応じなかったのはそうだが
その後、山県ら奇兵隊・諸隊も高杉の動きや状況を見て腰を上げ出した訳で
まるで高杉が一方的に妥協したという表現はこの場合ふさわしくないと思うが。

532:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 22:54:18.46 Y75AqPFG0
>>528
勘違いしてないか?
>>522がいってるのは第一次のときの話。
たしか最初に恭順の姿勢示したのは俗論党政権じゃなかったがな。途中で俗論党政権に。
勝が講和に送り出されるのは第二次のとき。当然長州は木戸政権下。
この第二次の講和の際に出てったのが広沢と井上な。高杉はすでにかなり具合悪いんじゃね?
どっちにしろゲームじゃあるまいし、面白い対戦組むように話さんでほしいわ。

533:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 17:38:08.91 /wfgFEPQ0
そうか。第二次の時も講和してるんだな。第二次から直接鳥羽伏見あたりに
なだれ込んだイメージだったから。

第一次のときに講和に参加したのは俗論党の有力者なわけでしょ。
正義党が天下取ったから俗論党は悪玉にされてるけど
このときの俗論党もなかなかのもんだったんだんろうね。

534:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 17:44:27.63 dFMVI8mk0
>>530
あの辺りの百家争鳴、状況を読んで模索する所が長州藩の良い部分だと思う。


535:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 17:49:47.22 AJHlsjOM0
>>533
俗論党と正義党は、それほどはっきりと二分されていたわけじゃないよ。
特に長州征伐の講和みたいな事態に対しては、結構協力してる。
(日本人の感覚としては)当たり前だけど。
国(藩)を売るような人間は相手にされない。



536:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 23:27:56.35 oWI+phoP0
>>529
薩英戦争と違い、幕府の長州征伐があるから譲歩しただけでしょ。
外国艦隊と戦いながら幕府と戦えないから講和したいのは当たり前。
領土割譲は高杉が拒否してる。
高杉は攘夷戦で初めて身分制を公的に破る奇兵隊作ったけど、それを基盤に政治力揮えるタイプじゃないから基盤にはしてないが?


537:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 23:39:21.86 oWI+phoP0
山縣も奇兵隊も権威ある藩政府に逆らうのも追い詰められながらもできなかった。
決起しても到底上手くいかないと思ってた。
ところが高杉は少数の決死隊で三田尻軍艦3隻分捕りに成功し、戦略的に決起すれば上手く行くよとどんどん見せ付けたから決起した。

538:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/07 18:48:16.34 XeVhaGMZ0
>>535
けど高杉クーデター後に俗論党の人らは切腹させられたんじゃなかったっけ?

539:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/07 19:10:40.66 ASCdKeI50
>>538
535じゃないが、切腹は高杉クーデター後ではなく木戸政権下だったかと。
高杉クーデター後の政権は藩内調停に動いた鎮静会中心だし。
いわゆる正義派幹部はほぼクーデター前に処刑されてていないし。
いろいろ抵抗があって改革案が通らなくて木戸が辞表出して、みんな泡食って俗論党処置した。
でも死んだのはそれほど多くなかったはずだよ。トップだけ。
基本は余計な動きができないよう俗論党をばらして、あちこちで蟄居って感じだ。

540:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/07 19:11:36.23 TsByYP+jO
高杉クーデター後は更に正義派の人が切腹させられた
桂帰国後に藩政がうまくいかないから辞めると桂がゴネて俗論派の椋梨が切腹→とりあえず内部抗争終結

じゃなかった?

541:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/07 19:13:30.51 TsByYP+jO
あ、ごめんリロードしてなくて>>539確認してなかった

542:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/07 19:48:57.56 ASCdKeI50
うん、それそれ。高杉がクーデター起こした直後に、正義派大量処刑が起きたんだよな。
油に火を注いだっていうか、あれで鎮静会が立ち上がったみたいなもんだ。
そんなこんなで木戸は、俗論党に断固とした処置をとらねば示しがつかないし諸隊も納得しないし改革も進まないが、
過酷な弾圧すると恨みの連鎖が起きて藩内の団結にひびが入るのも心配なんで、
この辺に落としどころをもってきたのだと思われる。

543:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/07 22:48:04.21 ZpfA66zi0
そもそも両党に根本的な違いはなくなってきてるわけだから。

544:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/08 19:32:46.76 wazv64V60
けど後に俗論党から明治政府に加わった奴はいないんでしょ?

545:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/08 23:27:38.84 HgvOSwr00
「明治政府に加わった」って表現が曖昧すぎる。
とはいえ自分も、俗論党ってのがどの範囲を指すのかよくわかってないな。
児玉愛二郎って俗論党に数えていいんだよな?
奴は井上の引き立てで宮内省の官僚になってるわけだが。

546:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/09 15:46:32.40 1QMooau/O
基本的にこの時代ってトップが処分されればそれで終わりにして後には引かない印象だ
負けた側は多少は引き摺ってるみたいだが

547:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/10 20:18:19.98 gZ1L/7lO0
>>536
彦島割譲要求についてはそれを裏付ける史料が皆無。

548:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/10 20:47:35.55 gZ1L/7lO0
サトウ日記でも長州の正使はすべての問題につき何の異議もなく受け入れたとあり、
伊藤の貢献を評価しているので、彦島租借要求は出なかったか、連合国が要求しなかった
と考えるほかない。

また諸隊の17日の伊佐進駐の段階ではまだ藩政府との交渉は切れていない
よって諸隊も決起後すぐ呼応の態度を示したのではない
(白石正一郎や赤根武人は「暴挙」とはっきり非難している)
功山寺決起じたい、赤根・時山の交渉中に行われたのだからそれも当然

549:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/10 20:50:00.36 gZ1L/7lO0
×彦島租借要求は出なかったか、連合国が要求しなかった
○彦島租借要求は話題に出なかったか、そもそも連合国が要求しなかった

550:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/12 23:10:01.09 zK2xLvB50
どっから来たんだろうなその話
古事記でかわしたとか、伊藤も狼狽えたとか逸話にしては色々付加が付いてるしw

551:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/13 05:18:59.59 iuvKOxXKO
伊藤が創作したのかと思ってた

552:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/13 11:21:46.59 R9OfB0LW0
高杉が出てない事前の予備交渉で彦島租借の話が出た可能性。
伊藤は藩主敬親から「租借もやむなし」と伝えられていた。
本交渉の記録にはない。(イギリスの議事録による)

ことから、事前の藩内関係者の討議で、高杉が強行に反対した様子を、
伊藤が交渉の最中のことと勘違いしたのでは?
全くの作り話でもないだろうし。
そして四カ国連合も予備交渉の間に取り下げたのでは。


553:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/13 21:13:18.19 eeDweTBn0
なんだよ、古事記で相手を煙に巻いたってのは嘘だったのかよw

司馬遼太郎は偉大だな

554:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/13 22:44:38.99 ZJt/NbGv0
伊藤が供述したのはずっと後年だし嘘つく理由も無い
彦島租借要求はイギリスの単独提案だからイギリスは恥ずかしくて載せなかっただけだろうな

555:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 06:44:24.03 Mufh2DLo0
>>554
なるほど。納得。

556:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 07:05:49.10 2XBqPuXK0
>>552
4カ国艦隊が彦島の租借を要求したと言う証拠そのものがない。
予備交渉の段階で話題に上ったとしても、講和の中心論点でなかったのは明白
なぜなら他の講和条件で連合国の目的は達せられるし、彦島の租借は海峡の安全通航担保のためだから
サトウ日記でも彦島の租借についてはまったく触れられていない
(イギリスは海峡の航行の安全と、下関での補給さえ確保できればそれで目的は達せられる)
おそらく長州藩内の話題に留まった可能性が高く、承知していたとしても伊藤だけ
古事記うんぬんは日本の歴史を強調するための後年の創作だろう

>>554
そうなるとアーネスト・サトウの日記と整合性が取れなくなるんだが。
サトウにも嘘をつく理由はない。ほかにも連合国の記録には彦島を重視していたと言う証拠は皆無
彦島租借がイギリスの単独要求だから恥ずかしくて載せなかった?と言う理屈が分からない
イギリスの単独要求と言うのは何がソース?

557:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 07:10:12.77 2XBqPuXK0
まあ>>552は推測(と言うか妄想)の域を出ないとしか言いようがないな

講和条件では下関の事実上の自由港化、賠償金支払、砲台撤去などが掲げられているし、
これが実現すれば、あえて彦島の租借を要求する根拠がない
どっちみち幕府が認めなければ、兵庫開港その他の懸案がとん挫するわけだし

558:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 08:10:48.78 ASke/apq0
サトウはイギリス政府の人物だからなイギリスに不利な事は書かないでしょ

伊藤伝では

明治42年12月6日
「高杉と吾輩がクーパー司令と談判中、先方より彦島の租借を提議されたが、今から思うと危なかった。
もしあの時先方があくまでこれを要求したのなら、強弱勝敗の形勢上、われらはいかんともする事はできなかった。
この島は今の香港の対岸、九龍島と同じ運命に陥っていたかも知れない。
ここに至って想うと実に慄然の感がある。
当時何故先方はその要求を強要しなかったのだろう。
その分けは今を以てしても諒解できないが、察するところ先方も連合軍のこととて、たとえ彦島を租借し得たとしても、
どの一国にしても専有し難く、却って種々の紛糾を生じるのを恐れたためじゃないだろか」

559:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 08:18:20.09 ASke/apq0
アーネスト・サトウはあくまでイギリス政府の人間だし
自国の勝手な恥を乗せるはず無いね
伊藤は明治42だから死の近く
既に何度も首相をやり2度の大戦も体験して堂々たる大政治家だったからわざわざそんな嘘つく必要がないしね

560:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 08:26:22.31 B3RR/+1C0
政治家だから嘘つくんだろう。
長州の功績を作って自分の人気を上げようとしたんじゃね。

561:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 09:09:43.20 fZbH98MG0
伊藤の様に数々場数踏んできた一流の政治家が
何十年も後の回想録で既に大政治家であり死の近くで人気上げる為に変な捏造や嘘をつくと思えない
嘘つくのは基本2流の政治家だし
サトウはイギリスの外交官で、しかもイギリス側は連合軍に相談無く公的に出したわけじゃないから
載せなかった可能性の方が強いな

562:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 10:07:53.34 Qoo65CRMO
伊藤は高杉の古事記の逸話は言ってないの

563:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 10:12:51.57 eR/6M3pLO
伊藤の昔話は割と言うことコロコロ変わるし…

564:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 10:32:17.20 AiHDJ3+M0
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▼ 東京会場 ▼
【時間】13:00集合 13:30出発 【場所】新宿 柏木公園 (東京都新宿区西新宿7-14)
▼ 名古屋会場 ▼
【時間】13:00集合 13:30出発 【場所】名古屋・栄・市バスターミナル北  地下鉄14番出口  
▼ 大阪会場 ▼
【時間】13:00集合 14:00出発 【場所】新町北公園 (大阪市西区新町北公園1-14-15)
▼ 広島会場 ▼
【時間】10:30集合 11:00街宣開始 【場所】広島市中区胡町6-26 福屋八丁堀本店横
▼ 福岡会場 ▼
【時間】13:00集合 13:30出発 【場所】警固公園 (福岡市中央区天神2丁目 ソラリア南88

565:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 15:23:55.09 XX1yqa+p0
「攘夷は命令されただけだから、金欲しければ命令したやつに言えよ!」
は、日記に書いてるのに、
「天皇から預かってるだけだから、勝手に租借するわけには行かないだろ!」
は、都合悪いから日記に書かないってのも、都合の良い解釈だなあw

時間がたってからの聞き取りは勘違いたくさんあって当たり前だし…

566:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 16:29:58.16 LyJ/ku8D0
柳生新陰流の免許皆伝らしいけど、これは実力なの?

567:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 16:30:16.01 Qoo65CRMO
上海行って攘夷は無理だと分かったが帰国してからも攘夷と言ってたのは
倒幕の戦略だったと
司馬遼太郎あたりに言わせるとなるのだが
そんなことはとても言いだせなかったというのがホントのところなんだろうな

568:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 16:53:55.27 XX1yqa+p0
しかし上海から帰ってきてから、
金澤八景で外国公使刺殺計画、(武市→容堂→定広と伝わり制止される)
英国公使館焼き討ちだろ?
生麦事件について薩摩に遅れを取ったという認識だったようだし。

どっちかというと、安易に開国し譲歩してはいけないと思ったはずだが。
それなら上海で見た状況とその後の行動が合っている。

英国公使館焼き討ちも、外交上は
幕府が英国からなにか無理強いさせる結果を招いたかもしれないが、
高杉としては公使館の存在そのものが、既に譲歩であると見えたのだろう。
あいつらを日本に入れたら最後、好き放題やられると。
そして戦して勝てるようじゃないと、譲歩を強いられると。

569:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 17:12:12.11 xWdaQ8iR0
上海行って攘夷が無理って分かったのかどうかも微妙だしなあ。

570:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 17:21:14.25 SUIzVYcT0
高杉は上海行ってからむしろ過激攘夷に走ってるな
西郷も久坂も高杉も中岡も別に攘夷戦が無理とかは思ってなかったろ
むしろ正道を踏んで堂々たる攘夷をやれば最終的に勝てると思ってただろうな
その為に日本を統一国家にしなきゃという考えだし

>>565
それ誰の日記?サトウ?
サトウなら別に都合良くもなんでもないよ
賠償金は連合軍共通の要求で公的な要求だから、軍事行動の下関砲撃も連合軍としてやったんでイギリスの単独じゃない
伊藤の話なら租借はイギリスが交渉の際に私的で言い出したことだから、連合軍としての行動から明らかに逸脱してるからね



571:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 17:46:24.64 SUIzVYcT0
中岡慎太郎も民族の攘夷戦争は、きちんと道を踏めば勝てるという考えだからね

夫れ攘夷と云うは、皇国の私言に非ず、その止むを得ざるに至っては、世界各国、皆これを行うもの也。
米国かつて英国の属国也。時に英王利を貪る日々に多く、米民益々苦む、よってワシントンなる者、民の疾苦を訴え、是に於て米地十三邦の民を率い、英人を拒絶し、鎖国攘夷を行う。
此より英米連戦七年英遂に不勝を知りて和を乞い、米国に於て英属を免れ独立し、十三地同盟合衆国と号し一強国と成る。実に今を去ること八十年前なり。

ゼルマニアは属国たりしも、また能く国議を定め、拒絶攘夷を行い、戦争八年、戦う毎にことごとく敗すと雖も、其の末に至って一戦能く奇を出し、大いにイスパニアの軍を敗り、遂に独立す。
是れに依って之を看れば、主客当然、権我れに在り、其の和戦開鎖は、時の宜きに隨い、国の利害に由り唯我に好む所の也。


572:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 20:00:54.27 oQKjBu7g0
>>571
某論文で知ったけど、攘夷を外国の独立戦争と絡めて考えてたのは目からウロコだった

573:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 20:08:31.74 Qoo65CRMO
高杉の他は中岡久坂らは外国見てないじゃないか
上海に行った五代才助らは皆攘夷は不可能と分かった
時期は後だが長州ファイブもイギリスに行って攘夷は不可能と分かった

高杉が分からなかったならどこに目ついてるのって話しだな
帰国して過激攘夷したのは松下村塾一味の首領格だから皆さん無理ですとはとても言えなかったのだろ
言えば斬られたかもしらん

574:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 20:52:48.08 XX1yqa+p0
けど、焼き討ち止めろと言っても、土佐の人間は切られてないだろ?
江戸を離れる前に、武市と坂本は止めたんだろ?

575:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 21:11:37.87 Qoo65CRMO
>>574
よそ者はいいんだよ
身内だから裏切りモノとなるんだよ

576:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 21:32:39.91 XX1yqa+p0
けど焼き討ち隊長だろ?
言い出せなかったというレベルか?

577:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 23:22:39.95 2XBqPuXK0
>>558
サトウ日記は読んでみると分かるけど、比較的フリーに書かれてるよ
それを言い出したら伊藤は長州藩の人間だから長州の武勇伝を吹きまくるに決まってる

実際は、彦島租借は予備交渉で議題として出たが、高杉はよく知らずに反対、
薪炭補給や乗降の自由が認められ、海峡の安全航行が認められた本交渉では話題にもならず
と言うのが実態だろう
砲台撤去と下関の自由港化だけで連合国にとっては大成果なんだから

それと彦島租借要求と一口に言うけど、そんなものは幕府が絶対に認めない
彦島は関門海峡の通行の安全を保持するポイントだし、他の条件が満たされれば不要
無理に要求すると、より重大な懸案である兵庫開港問題とか一挙にお釈迦になる。

578:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 01:34:56.79 K0qPivwp0
>>572
最初からそうだよ松蔭の攘夷論自体が西洋の武器文物輸入して侵略国に対抗するって考えだったし
攘夷論も文久で外国打ち払えから不平等条約に対する破約攘夷論になってるし

>>573
独立戦争には結局は勝てないよ近代史がちゃんと証明してる
植民地化された国は全部ナショナリズムが存在しない内部に欠陥抱えてた国ばかり

579:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 01:38:56.58 K0qPivwp0
>>575
外国公使殺害計画は久坂も反対し高杉と斬り合いになる寸前になったくらい
高杉が強引に過激攘夷を進めたんだよ

580:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 01:43:50.99 K0qPivwp0
>>577
伊藤があの時点でわざわざ創作までして作って嘘つくはずが無い
いくらフリーと言ってもサトウはイギリス側の利益者代表者だから
公式な要求でないし不名誉だから書く必要が無いと書かなかった方が可能性が高い


581:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 01:44:31.48 tv5saXuZ0
攘夷派と呼ばれた人を好きな人は、
攘夷をすごく狭く考える傾向があるけど、
一人ひとりの考え方があったはずで、
それが右派の中でも顕著なのが高杉だと思う。

高杉は上海視察体験から租借地の問題を非常に大きく見る立場の人で、
教会が医療行為により民衆に浸透することも恐れている。

上海で「攘夷が無理だと分かった」とは到底思えない。
せいぜい列国の侵略方法と武力を詳しく知ったくらいのことでは?
列国と妥協して土地を渡してはいけないこと、(これが焼き討ちに通じる)
軍隊の近代化を図らないといけないこと、これが高杉の考えの特徴では?

「即今攘夷一辺倒ではいけないことが分かった」ならまだ分かる。
この辺り久坂とはちょっと温度差があるように思う。
ただ全く違うとは言えないので、行動を共に出来たのではないか。

長州系志士の人間理解は、単純化されすぎていることが多いと思う。

582:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 01:53:01.67 tv5saXuZ0
>>579
殺すのはいくらなんでも物騒だから、
建設中の英国公使館を壊して、行使が国内に住めないようにしてしまえ、
という風にまとまったわけだよね。久坂は焼き討ちの副隊長だから。

やはり高杉は租借の問題を非常に大きく見ている。
公使殺害は妥協できるわけだから。

夷狄殺害は捨て去ったわけではないけど、
攘夷=夷狄殺害ではなくなってきているのだろう。

583:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 02:07:18.35 K0qPivwp0
中岡が久坂と高杉の考えを書いてる。

そもそも癸丑(嘉永六年)以来、皇国一和、武備充実、紛々説があります。
始め三港条約が締結された時、久坂玄瑞は「回瀾条議」を著しました。
その説に曰く、今すでに三港条約が締結された以上、広く有志の者を海外に派遣して、西洋諸学諸芸及び工商の術を学ばせて国体制度を一新し、大いに海陸の軍備を盛んにしなければならない。
この様にならなければ外国の侮辱を絶つには足りませんと。
その後幕政益々妄乱、諸藩日々因循、これまでにその実効を見る事ができないままです。
ここに於て始てその言の空論のままではいけないと知り、壬戌(文久二年)の年に至り、玄瑞又、「解腕痴言」を著しました。
その説に曰く、今日天朝の勅諭を確々奉じなければならないと。
断然攘夷の説を決し曰、いやしくも吾輩節義を以て天下を動かし、一死を以て皇恩に報い、ひとたび不測の難を神州に引受、百戦の危難を経て、豪傑その間にあらわれなければ、何を以って土崩の患を防ぐことが出来ますかと。

高杉晋作また曰、今日の西洋事情を説き、彼を知っていると自負する者、わずかに西洋の一端を知って、これまで古今盛衰の機の由る所を知らず、
当時彼の盛になったのにはその本があります。
もし今日、彼の盛なるを学ぼうとすれば、英仏等の未だ盛ならざる時、内戦が度度有った事、
又、ロシアは百戦危難の中より起った事など斟酌して手本とすべきです。
若し我国が今日の弊勢を以って、彼の盛強文明すでに治っているのを坐しながらにして学ぼうと云うのは大間違いの極です。
ですから曰、宜しく奇変、英達、実行を以って天下を一新すべしと。



584:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 02:19:42.35 tv5saXuZ0
高杉は、南北戦争とか太平天国の乱も重く受け止めてるよ。
特に後者。何が何でも乱戦になればいいって考え方でもない。

585:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 03:42:38.08 3QHb+88H0
>>580
伊藤のは後年の回想
サトウは当時の日記

伊藤は通訳を兼ねた長州藩の実質代表
サトウはキャリアの通訳

彦島については伊藤の回顧談しかソースがない
どう見ても無理があるぜ伊藤ソースだけで彦島話を真実と認定するのは…
学術書でもみな注がついてる

586:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 04:04:57.20 3QHb+88H0
あと高杉の公使館焼き討ちについては、文久2年における長州と薩摩の立場を考える必要がある。
文久2年は1月に坂下門外の変が起き、安藤・久世政権が崩壊。
さらに島津久光の上京と、勅使大原重徳を伴っての江戸下向、さらに帰路の生麦事件によって、
薩摩藩への評価は一気に上昇し、長井雅楽の航海遠略路線の失墜が決定的になった。
長井が6月に失脚すると、長州藩は藩論を大転換させるがいかにせん出遅れている。
焦った高杉らは公使襲撃によって長州藩の浮揚を狙い、失敗すると公使館焼き討ちに目標を切り替えた

一方で、幕府も大原勅使から、御殿山への公使館建設につき孝明天皇の反対意思を伝えられ、
英米に建設中止を申し入れたが拒絶され窮地に立ったため、直後に起きた焼き討ちをこれ幸いと傍観を決め込んだ
そのため犯人の目星はある程度ついていたのにも関わらず、長州は売名に成功したわけだな

587:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 07:17:57.44 tv5saXuZ0
天皇も内心は開国に傾いていたから、
即今攘夷の勅命はやめて、公使館建設に懸念で済ませといたのになw
朝廷はこの後の長州藩志士のテロリストぶりにびっくりして、
薩摩に泣きつこうとしたことさえある。
ところが薩摩京都藩邸の一味が藩論とは離れた尊攘主義者だったので…

588:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 09:39:19.55 PIdadsLG0
あの焼き討ちって結局意味あったのかな?

589:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 10:16:02.15 3QHb+88H0
長州藩的には藩論転換のアピールになったし、
英国はテロを恐れて建設を中止したし、
幕府も面目を施したから意味あったんじゃないのw
司馬本とか読むと、幕府は無能だから犯人を捕まえる気力もなかったとか書いてあるけど、
幕府が恐れていたのは盗人を捉えてみればわが子(幕臣)かなと言う事態だったので

あと孝明天皇の意思ははっきりしないんだよね、尊攘激派の蠢動は孝明天皇の迷いもあると思う
条約勅許問題では頑として応じなかったんだが、
一方で「自分のような不徳の者がこんな難局に判断を求められても」と泣き言を言ったりしてる
異国を中に入れることに抵抗を感じつつも、どうしたらいいか分からないから幕府よ何とかしてくれ
と言うあたりだろうw

590:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 17:30:03.16 tv5saXuZ0
まあもともと朝廷は合議制ですから。
合議制だからこそ時々独裁者が出てくるわけで。
それから中川宮等によく相談してますよ。
天誅がなかったらもうちょっと早く意思表明できていたかもね。

591:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 22:03:23.94 c6oJynDs0
>>587
攘夷の勅命出したから薩英戦争や下関戦争起きてるんだが?
取り消しもしてない
朝廷が困ってたのは孝明天皇自体は公武合体で幕府と仲良くやるべきと言う意見だったのに
京で佐幕派が斬られまくり暗殺が横行し治安が悪くなったから

592:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 02:41:30.77 u08aBqaCO
>>591
攘夷の勅命ださせたのは長州ら攘夷勢力
それが馬関戦争の講和談判で攘夷は朝廷と幕府の命令で長州の責任じゃないって言うんだから

593:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 07:19:24.21 4vDefKRM0
当時の朝廷は公武合体で攘夷でしょ
内政問題の佐幕、公武、勤王の対立と、外交問題である開国と攘夷をわざとごっちゃにしてるね

公武合体・開国だった長井は江戸では幕府の支持もあり成功したが、
攘夷の高まりある京では失敗し(久坂らの反対工作もあるけど)、毛利家まで危険になり敬親は家臣を朝廷に謝罪させ、敬親自身も入京し藩論を転換してる
しかも薩摩の生麦で攘夷をやった為に長州は人気も地に落ちて長井は切腹
西郷隆盛も長井を天下の奸物として暗殺も是認してる位だからね

594:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 07:32:11.71 4vDefKRM0
>>585
サトウの日記全て正しいと信じるのが遥かに無理ある
サトウは後年公使にもなってるイギリスの利益代表者
自国の利益のためにアヘン戦争まで起こす国の代表者の日記で、いわば自国にとって不名誉な非公式の申し込みをわざわざ書くと思えないしね
伊藤が後年で単純な記憶違いしたならともかく、明らかに虚言の創作話した事は考えにくいからね

595:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 11:07:40.06 6hMTwPkE0
>>591>>593
天皇は長井雅楽の航海遠略案を内諾してたんだよ。
けど攘夷の勅命出した後だったから、
朝廷は内部の攘夷派対策を含めて、
どうやって軟着陸させるかに頭を悩ませた。

朝廷が幕府に対して優位になってきているのは、
勤王の思想だけではなくて、攘夷の勅命を幕府がなかなか実行できない
という事実に支えられる所が大きかったため。

「攘夷」の中でも、高杉のいうような租借の問題だけではなく、
攘夷親征のような無謀な考えまでなかなかなくならなかったのは、
朝廷、志士の対幕府の思惑に支えられる所が大きい。
「幕府は一体何をしているんだ」って言い続けられるから。
その証拠に倒幕が終わったら、ほとんど皆、開国に転じた。
「攘夷」の中には、租借問題のように重要なものもあるが、
倒幕の方便に過ぎないものも多くある。

596:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 19:59:59.09 KxrdUJdg0
航海遠略は文久元年の策、攘夷の勅命は文久3年。
当時の攘夷論の主流は、井伊直弼が朝廷の許可無く勝手に結んだ日米修好通商条約の破約攘夷論。
不平等条約の破棄の為に、戦も辞すべきではないという考え。
幕府総裁の松平春樂らも一時期この考えだった。
慶喜の反対で、国内破約攘夷派を騙す事になった。

攘夷が不可能だったのは、挙国攘夷が出来なかった為。
攘夷の勅命が降りても、実際に戦ったのは長州藩だけ。
攘夷戦で敗れたと言われるが、戦ったのは長州一藩に対し相手は四カ国の連合艦隊で最初から戦力差がかけ離れて敗れるのは当たり前。
薩英戦争ですら薩摩藩と英国艦隊一国の戦いでしかない。(しかし薩摩一藩で英国と互角に戦ってる)

破約攘夷を捨てたのではなく、各藩の利害が複雑にある封建体制では挙国攘夷が不可能な為、まず幕藩封建体制を打破し国民国家統一国家樹立を先決と考えたに過ぎない。
破約攘夷は新政府出発からの目標で幾たびも改正交渉を行ってる、結局中岡などが幕末に説いたよう内治の改正や外交交渉だけでの破約攘夷は不可能で、日清、日露戦争と戦を経て最終的に不平等条約を改正し破約攘夷を達成してる。


597:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 20:24:46.52 zRR4HB0g0
サトウって人がインディアン並みに評価され過ぎてるのもおかしいと思う
サトウ ウソツカナイ




598:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/17 09:26:20.01 w6jn5U2eO
>>593
攘夷の勅命を出させたのは長州らの働きかけじゃないの?
自分で勅命ださせておいて敗戦したら
命令されました責任ありませんて

599:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/17 09:28:24.51 w6jn5U2eO
>>596
薩摩は攘夷じゃないし
薩英戦争は攘夷戦争じゃないような

600:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/17 20:52:24.57 wIgrop1g0
>>599
( ゚Д゚)ハァ?

薩摩は、長州と同様、開国攘夷だし、薩英戦争は英国から強いられた攘夷戦争。

601:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/17 22:19:27.53 w6jn5U2eO
>>600
薩英戦争は英国による生麦事件の報復戦争じゃないの
そして生麦事件は攘夷ではないと思うが

602:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/18 18:55:19.41 XnG6H/vqO
古事記でけむに巻いた事実はあるの?
司馬とくいの捏造?

603:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/18 23:23:45.20 5nEKuTP10
 ↑ 
この人ボケ老人か?確か数日前にこの話してたよな  

604:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/19 07:09:06.38 7ZmDtseWO
>>603
このスレをずっと見てる人ばかりだと思ってるの
みんなはそんなに暇じゃない


605:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/19 09:53:03.74 qmTgdOsMO
どんだけログ読んでないんだとしか

606:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/19 15:22:40.59 SfeTWl6uO
>>600 いやいや薩摩や会津は公武派だから

607:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/19 23:41:24.59 F9gfQe/I0
>>604

暇じゃないなら書き込みするなよ。
別に数ヶ月も前を遡れって言ってるわけじゃない。
たった2~3日前の内容だから603は言ってるんだろうが。
さすがに何回も同じ話をするほどはみんなも暇じゃないと思うんだが。
首突っ込むなら空気は読むべきよな。


608:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/20 00:44:03.66 y98VZVP1O
>>607
同じはなしの繰り返しかは以前から継続して読んでないとわからない

609:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/20 01:25:14.96 u7mfJiij0
ならみんななんて一括りにするなよ

610:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/20 13:25:53.48 y98VZVP1O
>>607
結論うやむやじゃ

611:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/20 13:56:11.97 2gK6mNjs0
>>608

だから全部を読めなんて言ってないだろうよ。
たった数日前にしたばかりの話をまた1から振り出しに戻されると迷惑だって言ってるだけだろうが。
それすらできないほど暇じゃない、忙しいと言うならここに来るなよ、ボケ。

612:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/20 14:05:08.76 2gK6mNjs0
>>610

うやむやと思ってるのはアンタだけ。
首突っ込むなら数日前からの流れくらい読むのはマナー。
ずっと読んでる人間や書き込みしてる人間に迷惑かけるな。
それが結論だよ。




そろそろこういうくだらん輩はスルーだな。



613:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/20 16:05:35.14 Od8qxfXk0
>>606
会津は幕権派だけど薩摩は諸藩連合派

614:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 01:10:55.96 k1OpCHLGO
>>612
別に誰も迷惑してない

お前が神経質で小さい人間なだけ

ちなみに結論はでてない

でてるというならそのレスは何番か言ってごらん



615:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 02:32:08.30 jWUrzPTW0
そういう書き込み迷惑してますけど!??

616:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 02:41:09.84 jWUrzPTW0
自分がピント外れな質問をしたとは思わないんですか!??ビックリ!!!


617:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 02:59:51.95 2x4bftir0
ウザイ奴w

618:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 03:43:00.30 nUWUPcnpO
マジで614イタ過ぎる‥

619:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 04:53:51.81 qsmYq8Q30
>>606
公武合体派って括り方は低脳丸出しな曲学阿世の輩のやることだと思うんだよね。

倒幕派の長州藩が最も強力な公武合体派だったからこそ同じ公武合体派で幕政改革派の薩摩と主導権争いとなって
818クーデターになったわけだからね。

620:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 06:39:11.02 wS2ZvWqW0
(・◎・)わいは いけめんのおおむらさんやで

621:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 08:01:14.43 4q4+71QY0
>>594
いやいや、その理屈なら伊藤の証言のほうがはるかに無理があるでしょ。
サトウはリアルタイムの記録者で、記録はほぼ正確。
しかも当時は通訳。キャリアを積んでる最中。
伊藤の回顧の当時はすでに日本政界を代表する政治家。
どっちが過去の体験をデフォルメする必然性が高いかは一目瞭然

サトウの批判者は、同じ立場にありサトウと盟友関係だった伊藤の回顧談は信用するんだよね
だから批判にならないんだよ

622:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 08:08:48.96 4q4+71QY0
生麦事件と砲撃事件の最大の違いは、組織的に起こした事件か否かにある
生麦の薩摩藩の報復戦争はいわれのない攻撃に対する正当な防衛行為だが、
長州の場合、藩ぐるみで決定して民間商船まで無警告・無差別に砲撃したのは正当とは言い難い。
同じことを当時の日本が、たとえば朝鮮や清にやられたらどう思うかと
当然報復攻撃しないでは済まなかっただろう。
現に条約が締結されている以上、安全確保のための報復は仕方ないと言わざるを得ない

623:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 08:28:13.76 I3xtnPGI0
将軍にむかって「よっ征夷大将軍」って言ったってのも司馬の創作?

624:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 08:39:31.08 qsmYq8Q30
>>622
馬関攘夷戦争は朝命かつ幕命によるものなんだが。

「砲撃事件」って言い方自体が卑怯そのもの。国賊用語だね。

長州藩の勇気こそ讃えられるべき。
結果的にも、英国から尊敬や友情を獲得したし、日本国の独立を維持し得たわけだし。

625:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 09:31:31.61 4q4+71QY0
いや、民間船砲撃はさすがに非難を浴びてるよ。
しかも薩摩と違って砲撃を政争と藩内の民衆動員の手段に使ったのが明らかだから
だいたい歴史板で国賊用語もくそもないだろw

626:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 14:42:25.58 2x4bftir0
>>624
攘夷も幕府に計画等の判断を猶予を与えて迫っている段階。
長州のは明らかに暴走。

627:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 17:27:58.20 A7ZnLkwh0
暴走モードで勝てる相手ならいいんだけど、後先ほとんど考えずに攻撃を仕掛けるのがね・・・
まあ幕末の対外戦争は長州も薩摩の場合も、列強を知らないだけに戦うことで互いを知った感がある。
なので、薩長首脳部は武力に差がありすぎること、これ以上の戦争行為は国を滅ぼすと感じ、挨拶程度の戦闘で講和を結んでいる。

この暴走体質が昭和になると、規模も桁違いながら、歯止めがきかないほど狂暴化してしまった。
そしてついに、大日本帝国は滅びてしまった。

628:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 17:54:01.02 7gV+zU940
長州はいつから強くなったのかね。薩摩は外国と戦っても互角にわたりあったけど
長州はボロ負けだよね。禁門の変も負けてるし。
この時期はさほど強くない印象。

629:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 21:37:51.32 2x4bftir0
長州が強かった時期なんてあるの?
闘う意思が希薄な幕府を蹴散らしただけじゃ?
長州をディスってんじゃないよ。
諸隊が当時は近代的だったのははっきりしているし。

630:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/21 23:05:03.18 +XAmbILO0
薩摩が強かったのは事実だろうが、薩英戦争と長州と四カ国艦隊との戦いと安易に比べられないよ
特に海対陸の戦いは地理的条件や気象条件でも違うし、艦の数も違うし、攻める側の目的も違う
長州は当時京都と下関に分散していたり、藩の意思統一がいまいちだったりもする
薩英戦争については、『遠い崖』読むとイギリス側の不完全燃焼感が笑えるw
イギリス側が、あとから薩摩的には勝ち戦と思ってると気づいて納得いかない…って感じもw

631:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 03:25:04.04 LiNX3FcwO
>>612
サトウが正しい、いや伊藤が正しいで論争してるな

結論はでてなかったみたいだね

ほんの少し前のスレなんだから自分で見ないといけないよ

632:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 05:37:18.41 Os/txkq20
長州藩的には、一応合理性があるんだよ
列強艦隊は上陸後の長期継戦は不可能だろうから、むしろ藩論を固めるのに攘夷は使える
攘夷実行への反撃を座視したら非難が起きて幕府が仲介に入ると

確かにその通りだったんだが(最初消極的だった幕府はそういう非難も恐れて長州に出兵した)、
禁門の政変の最中に再度、懲罰攻撃されるとは思ってなかったのが痛かったな

633:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 17:55:00.30 JRQ6KimI0
1864年7月24日(陰暦)、4カ国連合軍は下関遠征に関する覚書を作成しているが、その2項に賠償金を受け取るまでの間、海峡沿岸地域を保障占領するという項目がある。
期限のある保障占領で租借ではない。
そもそもこの話は、『伊藤博文伝』での伊藤の約45年後の回想ででてくる話であり、イギリスの外交記録やサトウの日記、回想録には一言も登場しない。
実は、4カ国連合軍の指揮者イギリスのキューパー提督は、あたえられた兵力では占領は不可能として、この2項を実行しないと決めていた。
しかし、交渉の中の取引材料としてそのようなこと持ち出していたのかも知れない、だからすぐにそれを引っ込めたのであろう。
高杉が拒否したかどうかは不明だが、彼は賠償金の支払いは幕府のすることだと一番強硬な意見をいっているから、彼が反対したのかも知れない。
伊藤とすれば、自分たちは外国のいいなりになっただけではないと言いたくて話を大きくしたのではなかろうか。


634:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 21:51:10.43 RMpa3FMKO
まあサトウ日記では高杉は最初は魔王みたいに尊大な態度だったけど
最後は大人しくこっちの言い分全部聞いたよってオチだから
伊藤的には話を大きくして反論したい部分はあったかもしれない

635:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 22:34:02.42 GAKxHPJa0
伊藤の話は既に歴史として話してるから信用できる
サトウはイギリス側の利益代表者として当時の日記に書かなかっただけだろうな
日記を書くと言う事は当然他も見ることを意識して欠いてるから
日記を全て鵜呑みにするなんてナンセンス

>>627
なんだその司馬小説みたいのわ
薩英戦争じゃイギリスは戦艦3艦破壊され大打撃を食らってるし
その理屈なら暴走したのはイギリスの方
そもそも当時内乱せずに攘夷戦に絞ってれば勝ったと思うし
講和結んだのは利益になら無いからなだけ

636:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/22 23:34:13.69 62a5UV6n0
時間たってからの記憶に基づく回想を疑うのが定法です。

637:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/23 03:52:05.31 igcUsgMs0
>実は、4カ国連合軍の指揮者イギリスのキューパー提督は、
>あたえられた兵力では占領は不可能として、この2項を実行しないと決めていた。

これは「遠い崖」にあった?自分もソース探してるんだけど出典が知りたい

638:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/23 17:42:03.75 VCY7g/E7O
すでにでていたらすみませんがもし長州が負けかけたら、薩摩は援軍をだしたでしょうか?

639:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/23 22:16:35.29 fZFMXCJx0
>>631

( ゚Д゚)ハァ?
みんなお前が空気読まん質問する以前からの続きやっとるだけやで

すでにかなりの議論をやりとりしてから
>>602
>古事記でけむに巻いた事実はあるの?
 司馬とくいの捏造?

なーんて間抜けな質問しとるから嫌がられとるねん
お前が質問する前に同じような質問やりとりがすでにあったんや
しかもお前の質問はレベル低い質問
もっと勉強してもうちょいレベルの高い質問せえや
ええ加減 気付けや 粘着野郎




みなそのままスルーで話続けてや




640:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/23 22:59:04.90 OqLDPPyFO
>>639
もうやめたら

彦島租借の話しに戻ってるじゃないの

一人で馬鹿みたい

641:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/23 23:30:51.58 47Msc4ooO
>>640

しつこい。
いい加減ウザイ。



642:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/23 23:43:45.28 47Msc4ooO
>>640

すまん、>>631がしつこいと言いたかった。
もう放置でいいだろ。


643:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/24 22:32:35.75 G0U6yhcYO
>>639
皆が議論してるんだから彦島租借の件は結論がでてなかったということ
結論がでてるという君の主張は間違いでした

>>642
自分からイチャモンつけておいてイチャモンに対する反論をしつこいとはw
どちらが正しいかは誰の目にも明らか
スルーすべきは君のレスのほうだな
次の君のレスはスルーしてあげる

644:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/24 23:41:57.38 SQBbgW+60
失笑

645:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/25 00:06:06.94 fIbWgEA70
彦島租借の件は結論が出たとは誰も言ってないと思いますよ
もういいでしょう、そろそろやめましょうよ

646:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/25 01:03:46.82 Mei5IUNz0
もうやめろ
スレの流れは彦島租借はあったのか高杉の逸話は本当か結論はでてないだ
イチャモンをつけたのがどっちかは見れば誰でもわかる
こだわったらお前もバカ
スルーしろ

647:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/25 10:28:43.32 SYJopCxj0
まぁ新資料が欲しい所だな。

>>598
長州藩が航海遠略策を放棄したときの勅がうたってたのは、和親条約も破棄って内容。
当時は一番過激な久坂ですら、既に勅許が下りてた和親条約の破棄までは考えてない。
あくまで、勅許が下りてない通称修好条約に反対するってのが大義だったから。
んだからその内容の確認のために、桂とかが京の公家周りを走り回ることになった。

>>629
薩摩の誰かからは案外強くないとか言われたこともあるらしいが、薩摩だからなぁw
つか、戦意が怪しくても規模はアホみたいにデカイ幕府軍を、長州以外ではどこの藩なら退け得たか考えれば
答えは自ずから明らかだと思うが。強さってのは相対的なもんなんだから。
とりあえず薩摩はやれそうw

648:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/26 07:59:54.10 G5NDGThJ0
高杉の辞世の句って高杉のかどうか分からないって本当?
あの「おもしろきこともなきよをおもしろく」の奴。

649:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/26 11:17:20.06 mBkvKC8hO
それは普通に高杉作
ソースがわからないのは三千世界
高杉作と紹介した(今のところ)最古の文献が思いっきり引用間違いしているという

650:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/26 16:31:25.18 VI2ox77j0
長人、怜悧なり

651:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/26 17:15:38.04 1oKUKBRI0
三千世界の~は、高杉説、桂説、久坂説があるんだっけか
イメージ的には高杉が如何にもって感じだがw

652:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/26 18:01:45.49 mBkvKC8hO
高杉説は下手したら一番根拠が怪しいけど、一番イメージ合うよね
個人的には合作ってことにして欲しいw

653:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/26 20:50:05.08 G5NDGThJ0
イメージに合うというか。この歌詞とか辞世の句から
小説家たちがキャラクターイメージしただけでしょ。

654:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 01:21:07.28 54qBWc6w0
ごもっともw
直筆遺ってないのが残念だよなぁ<辞世

655:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 11:03:53.34 sY2xxoZX0
>>572
中国で米国通史を買おうとして、断られて(外国員への販売は法律違反)、
ひと悶着起こしてるもんね、高杉は。

656:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 17:41:59.83 m61BrWyBO
桂太郎がパロディのような都々逸(三千世界の烏をさとし、そして朝寝をしてみたい)を書いていたから、
作者は不確かながら、長州藩士の間では有名だったんだろうな
あと、おもしろきこともなき世に~は、確か死ぬ4ヶ月前の12月ころに作ったから
厳密には辞世の句とは言えるかどうか…

657:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 21:06:43.60 L4w0Sq6S0
木戸が長州閥のトップになれたのは高杉が先に死んだからだよね。

658:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 21:31:37.58 TxTLYlQt0
高杉さんが政府に収まるタイプかどうかは…

659:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 22:24:10.95 kRlYBDKUO
木戸は高杉が死ぬ前から実質長州のトップだったし…

660:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/27 23:29:10.12 Vgr3Spz80
クーデター成功後、「桂さんなんとかして~!」と探してたからね高杉自身が。
高杉は最後まで桂を兄貴分と見ているだろ。いろいろ相談もしてるし。
てか高杉の桂あて書簡は相当あまったれてるよなw
山県あたり相手だとかっこつけた手紙書いてるくせにw

661:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 07:28:21.46 I4HEXZ5Y0
高杉が死んだ事で松下村塾派閥が弱まり木戸がちゃんとTOPに
建てたってのはあるね。

662:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 08:42:22.50 4xh3qWen0
だからどんな派閥だよ、それw
藩政府に全然食い込めてないし、力を発揮した場面が全然無いじゃん

663:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 08:45:22.15 DW3Bbul6O
ないです
あんたがどんな歪んだイメージを持ってるか知りませんが
そもそも村塾閥ってなんなの

664:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 08:46:44.29 DW3Bbul6O
あ、ごめん
>>663>>661

665:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 08:53:36.36 7t0rc0+h0
久坂あたりが先導して村塾出身者ががんばって活動したってのはあるが、
それだって松陰の弟子たちに周布や桂が目をかけてやってたから活動できたんだが
高杉を中心とした村塾派閥ってのは珍説ともいえないぐらいの幻想だし
高杉の死で木戸がトップに立ちやすくなったってのは笑うしかないほど見当違い

666:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 10:58:40.16 uHchZMjhO
高杉が死んだから木戸がトップになったんじゃなくて、
高杉がいるからこそ木戸がトップになったんだろ。時系列考えろ。
広沢じゃあ高杉ら暴走する村塾生を制御できないからな

667:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 11:55:26.94 aghWAfOh0
そういや木戸帰藩前に、広沢が藩要路に宛てた書簡
「諸隊今解散させたら暴走するからやめたほうがいい」ってのが残ってるんじゃなかったっけ

668:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 15:40:24.22 W7txP2Tm0
むしろうまく制御してる。

669:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/28 18:14:58.62 QiSaAtk20
>>668 KWSK

670:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/29 20:41:21.35 jNvK9RGZ0
高杉が居た時代の木戸はトップではないと思うんだよね。
高杉が作った革命政権に雇われた感じ。

671:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/29 21:14:43.95 VjXyp5QI0
思うんだよね
感じ

この人いつになったら妄想じゃなくて根拠のある話ができるようになるんだろ?
ていうかいい加減ここで寝言喚き散らすのやめて欲しいんだが

672:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/29 22:34:46.25 jNvK9RGZ0
ていうか木戸は革命に参加してないんだからトップに立てないでしょ。
奇兵隊とか革命の主力が納得しない。

673:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/29 22:47:56.60 jcn1r9pM0
木戸が政権トップについたのは高杉が尻まくって逃亡している間なんで、
高杉革命政権とかありえませんがw
正確には、革新中道保守の連立政権首座に木戸が迎えられたってことだよな
路線としては革新なんだが

674:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/29 22:50:08.04 VjXyp5QI0
「ていうか」がどこにかかるのかがわからんわ

675:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 02:56:54.93 5G6u1kpG0
「ていうか」は諸隊並みに独立していて
どこにもかからず、どこからの命令も受けません。

676:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 05:38:02.11 5kpR9bYE0
高杉の藩内革命がなければ木戸は帰藩すらかなわなかったわけで、
このときに高杉と木戸の事実上の序列は逆転た。

677:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 06:46:31.89 R++WUhri0
いや、高杉のほうが木戸を立ててるわけで。
しかも藩内の政権を構成してたのは鎮静会が中心だろ。
高杉では藩内の中道保守層を動かせたとは思えない。
支藩といざこざ起こして萩政権にかばってもらえず逃亡する羽目になったぐらいなわけで

678:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 10:07:05.68 YuI3DJ4P0
>>676
その高杉は馬関の件で、桂が帰ってくるまで大坂の方に脱出してるんだが。
つか、それ以前に長崎から海外に渡航しようとしてるしなw
色眼鏡無しで見れば、高杉のクーデターで桂が帰って来れる様になり、
桂が高杉の失敗を収拾して帰って来れる様にしてるじゃん。

大体この二人が対立してたなら、その桂に、愛人と暮らしてたら妻とオカンが乗り込んできちゃうよ…
金も無いし…内心泣きそうなんて手紙送ってる高杉は一体なんだったんだよw

679:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 11:23:05.30 UpmMJ/EWO
高杉も桂もお互いにお互いの足りない所を補いあっているというか
相手がいるから自分が苦手な分野をやらずに済んでいるというか

680:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 13:08:33.34 JJ5lRGsG0
長州は朝敵になるし、外国との戦争には負けるし、
藩内で争ってる場合じゃないのがうまく働いた。
不幸にも藩内の争いが先行してしまった土佐と好対称。
東洋暗殺大失敗。


681:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 19:37:08.27 LopPrV+k0
内乱までしてるのに何を言うのか
そうせい候のおかげだろ

682:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 20:18:38.35 2X7BnuNT0
高杉は奇兵隊を作っただけで上手く扱えてもなかったしな。
奇兵隊の奴らって結局何がしたかったんだろう?

683:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/30 20:35:52.42 OV9fojV50
>>681

確かにそうせい候がそうせい候じゃなかったら
長州の運命はまったく違うものになってた可能性はあるよな

684:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/31 09:54:19.93 GxekY3WN0
>>682
志願兵でしかも藩に頼らずとも活動が可能だったから、隊士の総意のが強かったんだよ。
だから赤根武人も、結局隊士が俗論派との融和に反発したから脱隊せざるを得なかったし。

士官学校制が正常に運用される前は、多かれ少なかれそんな感じ。
大村益次郎の軍制改革の中にも、「編制や教育を統一し、幹部の人事異動を可能にさせる」
ってのがある。
例えばナポレオン戦争中のフランス軍なんかは、兵と下士官の互選選挙だった。

685:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/31 13:17:40.97 VmzqrcyO0
そもそも下の意見を無視するトップダウンの世の中でいいなら、
志士なんて生まれないしね。
将軍のいうこと聞いていればいいなら志士は必要ない。
諸隊の隊長もしかり。


686:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/31 22:35:29.76 nUzINh490
西郷とかなら下の奴も文句言わずについてきてたのかな。

687:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/31 23:08:28.20 brRefX0q0
諸隊のトップは西郷には無理じゃね?

688:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/01 12:31:50.73 bM+Wo2dG0
薩摩では、けっきょく諸隊みたいな農民兵を含む軍って
西南戦争に到るまで出なかったんじゃないの
西郷にとって農民は、統治したり庇護したりする対象ではあっても
率いてともに戦う兵士とは考えられないだろう
高杉らは士族以外の兵たちのやる気と根性に期待したし
訓練すりゃ使えると思っていたわけだが
西郷はそういう一種の信頼を農民兵に示し得ただろうか?

以上から「西郷なら諸隊の兵をまとめられた」という命題は
成立しないと自分は考えている
西郷が長州出身だったら? という話も成立しないな
長州には斉彬侯はいないからな

689:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/01 20:50:04.21 ZDqLUvjx0
あの司馬が良く使う薩摩型の大将ってのはどこまで本当なのかね。
無能を装って部下に任すのがいい大将で長州にはそういうのはいなかった。

みたいに言ってたけど。乃木と東郷が似たような性格だから言ってる事
矛盾してるじゃん。って坂の上の雲読んでたとき思ったけど。

690:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/02 00:05:48.99 aYJDcaj20
県民性が違うよ、九州は徹底的に体育会系だから
西郷は今でいったら親衛隊抱えたヤクザの親分、高杉は民主主義に目覚めた近代人だよ

691:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/02 02:23:28.07 P/vGQdO9O
>>689
そうせい候こそあるい意味そういう大将かもしらんね

692:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 06:54:07.43 0OCaUFiw0
結局松蔭、久坂、高杉が望んだ天下に大本を大義を打ち建てられる英雄とは
西郷だったのは薩摩嫌いの長州に対する歴史の皮肉だなあ

693:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 08:03:11.91 nm3HXYPC0
松陰は別に薩摩嫌いではないでしょう。久坂も西郷と会ってるし。


694:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 15:20:38.90 qqWkTNq2O
それ以前に西郷のどこが長州の望んだ英雄なのかと

695:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 17:53:25.36 eAyioHZ40
武士階級の象徴として反乱起こすような人はちょっと・・・

696:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 19:29:44.55 ceqBn/2o0
西郷と松陰は同い年だから似たような思想っぽいけどね。

697:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 20:11:07.01 /s+QoW+7O
西郷は松陰の2才上
大久保と松陰が同い年で生まれも数日違いだが思想は全く似てない

つーか松陰らが望んだ英雄に伊藤や山県がなった訳なので、
別に皮肉でもなんでもない、順当な結果ですね。

698:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 20:36:44.39 qqWkTNq2O
同い年だから似たような思想って何

699:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 20:58:01.87 ceqBn/2o0
>>698
なんかあの時代って歳によって考え方に違いがあるような気がするんだよね。
今だって団塊の世代とかと世代ごとにまとまってるんだし。
松陰の世代 木戸の世代 伊藤の世代とやっぱ違うんだよね。

700:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/03 22:41:49.04 qqWkTNq2O
一年ごとに世代が変わるとでも言うのか
つか訳のわからん主張をする前に松陰が誰と思想が同じか位統一しとけ

701:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 07:02:23.76 rFEzsyMt0
結果的に幕末の混乱の中で天下の期待と衆望を集めて英雄になったのは西郷のみだったからね
長州でそういうタイプは居ない
松蔭も高杉も久坂も自分はやはり書生で、高杉も自分は少しそういう面はあるが100万の心をつかめる英雄でないと認識してた様だし
まあ西郷は維新後反政府の期待も一身に背負って反乱者になってしまったが
それまでの多くの功績は否定できない

702:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 08:57:33.01 1hy+d6om0
史実として、薩摩以外でもそこまで西郷が英雄視されたのか?
どの藩の人間からも一目も二目もおかれていたのは事実だし
西南戦争が始まってから判官贔屓で庶民の人気が盛り上がったのは知ってるが
…っていうか、そもそも長州に西郷がいたからってみんな黙ってついてくとは思えないし
そう考えると松陰の英雄待望論はないものねだりだった気もw

結局明治維新は英雄が起こしたものではないと自分は思っている
英雄はいないからこそ、つい英雄はいないの?って探しちゃうときに、
もっとも英雄イメージを仮託しやすいキャラが西郷なだけ
幕末の西郷には凄味がある でも薩摩の藩としての凄味のほうが上回るし
そのことが西郷の英雄イメージを実際より大きく見せている
まあ凄味で勝負しない(できないともいうが)長州が自分は好きだけどな

703:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 17:31:41.46 o7RXFT170
そもそも長州の人らって人に畏怖された系のエピソードないよね。
薩摩は西郷はもちろん大久保だって桐野がびびったってエピソードあるのに。



704:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 19:19:42.35 MPAF4bghO
黒田は木戸の名前を聞いただけでびびって逃げ出しておりますが
近藤が桂は剣を構えただけでこえーって言っていたという逸話もあるな

705:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 19:20:32.94 jWWeq9TD0
黒田は酔っ払って木戸に絡んだ男でしょ。

706:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 21:37:49.94 JcYKRQvx0
当時天下から生ける英雄として認識されてたのは西郷のみ
木戸や大久保すら単なる派閥の長程度の認識だし
薩摩人を馬鹿扱いしてた江藤さえ西郷を英雄と呼び藩閥解体ために力を利用しようとした
西郷を特別支持してない反政府層や野心家からも西郷さえ立てばと期待を一身に集めた
そういう幻想も含め抱かせられる大いなる求心力こそ英雄
西南戦争までに政府は着々と力をつけたが
それ以前は西郷の方が軍事面でも明治政府より上回ってただろう

707:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/04 22:04:43.52 jWWeq9TD0
けど西郷って軍事的にすぐれた事ってやってないでしょ。

708:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/05 00:31:24.19 hOsWtuS40
>>702
> 史実として、薩摩以外でもそこまで西郷が英雄視されたのか?

旧庄内藩士が有名。
不敗のまま降服したけどお咎め無し。
それが西郷の主導だと分かったので。
「南洲翁遺訓」を最初に出版したのは山形県人。

wikipediaにすら書いてある有名な話。
URLリンク(ja.wikipedia.org)


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