高杉晋作at HISTORY2
高杉晋作 - 暇つぶし2ch345:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/08 19:41:21.57 jo3Ifzxz0
しかし、小笠原の報告を受けた慶喜の判断は迅速だった。
勅命による戦闘停止と言う非常手段に出たばかりか、すぐさま薩摩藩との融和を模索した。
長州戦争の敗北は確かに幕威に多大な影響を及ぼしたが、慶喜はその損害を最小限で食い止めることに成功している。

幕長戦争は、しょせん「幕府の戦争」に過ぎなかった。だから幕府の都合で随時中断が可能だった。
長州は政治的復権には、あくまでも薩摩の力を頼らねばならなかった。
長州藩内で正義党政権が誕生しても、それは内政干渉に相当する政変に過ぎない。
薩長盟約に言う通り「緒戦での長州の敗北はない」と見切っていたからこそ、
薩摩も盟約に応じられたんだよ。

346:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/08 19:42:37.75 Fm5eNjIl0
実際四境戦争って誰が一番功績あるのかな。

347:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 00:03:16.93 6WUg9pWI0
やっぱ大村益次郎じゃない?

348:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 10:09:25.73 QNNiNwiZ0
功績総合して大村益次郎だろうな。

>>344
いや、そういう敵のミスという機を逃さず付け込むのも、指揮官として不可欠な素質だけど。
長州藩のミスによって優位に立った赤坂口直後も、その戦果を利用するどころか、命がけで戦った熊本藩に愛想尽かされる有様じゃん。
あと関門海峡は開戦間近になったときから通過する船舶も激減して開店休業状態だから、
今更海戦やってもどうということはない。小倉藩の軍艦はたまに乱入してたし。
彦島の砲台を警戒するのは当然だとは思うが、赤坂沖まで長州艦の進出を許したのは明らかに指揮の怠慢。
まぁ海軍の指揮まで小笠原のせいかどうかは知らんから、これについては責める積りはないがw

高杉については、大島口の奇襲が非凡だったかなと思う程度。俺はな。
陸戦についても無能ではないって程度。

349:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 11:13:44.51 uolVJqRk0
「負けるべくして負けた」
とか後出しで言える後世の連中は気楽でいいよなあ。

普通の藩なら暴れん坊将軍や水戸黄門の手勢数名相手が乗り込んできて
名乗りを明かした程度でも戦わず降参したでしょうね。

350:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 15:16:47.03 UoRhzRkW0
>>345

>長州藩内で正義党政権が誕生しても、それは内政干渉に相当する政変に過ぎない。

薩摩の力、影響力はもちろん言うまでもない事ではあるが
俗論党政権のままでは桂の帰還もどうなってたかわからんし、
薩長盟約の時期や成り行きもまた違っていた可能性も大きいので
こう言い切ってしまうのはいかがであろう。





351:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 20:47:44.34 3bVVcrjD0
大村は全ての配置決めて自分も一群を率いて進軍したわけでしょ。
高杉は文句いわなかったの?西郷みたいに軍事は大村って事で引いたのかね。

352:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 22:05:44.78 kSvv3whr0
別に高杉は軍のトップを争う気なんぞなかったと思うが。
根っからの軍人じゃないし、自分の地位に拘泥するタイプじゃない。
上士で藩侯父子のお気に入りでこんな非常事態にわざわざ功を争う必然性まったくないw
ホント対立軸を設定するのが好きだねえ…

353:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 23:57:06.49 3bVVcrjD0
高杉についていき。出世できると思ってた人らはどうなんだろうね。
クーデターして藩を変えたのは俺達なのに、なんでなにもしてなかった
桂や大村の指図を受けなきゃならないんだ?ってなると思うんだが。

354:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 00:19:41.24 7RV23jG10
出世のために高杉について行った人って誰?

355:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 00:30:59.37 hb/k3YpqO
出世できると思って高杉について行って
大村や木戸に不満覚える奴らって?
資料プリーズ


356:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 01:58:06.92 miC+gJaO0
>>353
勝ち目のないヤケクソ挙兵に参加した連中は
打算じゃなくて信念で行動していたから
長州が生き残れば自分の出世とか細かいことは気にしないような気がする。

357:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 03:01:09.73 uFNVpUiH0
>>348
そこで挙げられてる要因はぜんぶ幕軍内部の不統一。
ちょうど今のリビア空爆と似たようなもので、安保理決議だけ通ったが、
多国籍軍に全く戦意がなく、地上に降りて戦おうとする国がいない状態。
敵のミスに付け込むも何も、薩長盟約自身が第3条の明文で
「長州の短期的敗北は絶対にない」ことを前提にして締結されている。
これを「長州の劣勢」を前提として読むと、全く無意味な内容の盟約になってしまう。

>>350
藩政を掌握しているのが俗論党か正義党か、はたまた中立派かなどと詮索し始めたら、
そもそも長州戦争のゴールラインが見えなくなる。幕軍による長州全土占領しかなくなる。
それは参加諸藩の猛反対に遭う上に、幕藩体制の根幹を覆すので、とうてい不可能。
一橋も、正義党が政権を握ろうが何だろうが、長州が形だけでも恭順姿勢を示せばそれで終わるつもりだった。

358:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 04:24:36.37 d8NiI6d5O
完全に慶喜の戦争だわな。
熊本が撤兵した時に慶喜の脳内では負けになった

359:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 08:23:28.76 Ofrt4EFP0
>>356
まさか。人間がそんな奴らばっかだったら苦労しないっての。
高杉は革命後苦難はともにできるがとかいって逃げたわけだし。

桂だって明治後の政府は「どうも違う」って言って逃げたがってたんでしょ。

成功したら増長するやつばっかだよ。基本は。

360:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 09:14:31.58 kWiqhWV90
>>359
いつもそうだが、貴方の話はどんどん焦点がずれていってる
とにかく「長州藩内の対立」の話をしたいがために
高杉と大村というトップクラスの話をしていたはずが
対立していそうな別の対象に話をずらしていき
それすら諸隊の中の位置づけなどまったく考慮せずぼんやりした可能性を話すのみ
そりゃ大勢の人間がいたら反対者も支持者もいるに決まっている 何が知りたいのか
けっきょく、当時の長州藩実情を深く掘り下げて話す気などないのだと判断せざるを得ない
そんなことにいちいち答える意味が見出せない
それと、木戸スレではsageを覚えたのだからこっちでもsageたらどうか

361:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 10:15:08.22 KIV27/DyO
四境戦争最大の功労者は、資金貯めこんだ毛利重就

362:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 10:20:12.06 3yZYyWk30
>>359
>桂だって明治後の政府は「どうも違う」って言って逃げたがってたんでしょ。

それソース司馬じゃねーかw かんべんしてくれw

363:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 15:50:25.50 7RV23jG10
>>357

いや、幕府にとっての対長州という点では異論はないのだが

>(345)長州は政治的復権には、あくまでも薩摩の力を頼らねばならなかった。

ということを考えたときに正義党政権誕生というのは
薩長盟約の前進においても、優柔不断な周辺諸藩に及ぼす影響という点においても
過小評価すべきことではないように思う



364:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/11 19:55:27.79 0KGY1OiN0
薩長盟約と正義党政権は関係ない。
3家老処刑で第1次征長戦のカタをつけたのは俗論党政権だから

365:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/11 20:05:07.89 0KGY1OiN0
言っておくが薩摩が長州と盟約を結んだのは、思想信条の一致ではなく、
単に長州処分を牽引する一橋慶喜と、その手足である会津・桑名の政治的主導権確立を警戒したため。
正義党政権はその性格上、会薩敵視が甚だしかったから、むしろ薩摩との交渉が障害にすらなり得た。

薩摩はあくまで薩摩の政治的立場として、当事者である「長州」との盟約を担保にしたに過ぎない。
正義党政権「だから」薩摩が同盟に踏み切ったと言う種類のものではない。
イデオロギーとして薩長盟約を捉えるのは誤り。

366:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/11 21:11:38.57 rO1siJRQ0
薩摩側はそうだとしても、長州側は?
幕府とのこれ以上の軋轢を避けたい「俗論党」政権が薩摩と密約を結ぶメリットは?

367:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/12 15:15:57.18 YRaPQSx20
俗論党がどこまで譲歩する積りだったかが問題かなぁ。
幕府強硬派の条件をそのまま呑んだかどうか。
その辺の条件を緩和する為に、薩摩に仲介を願うのは無意味ではないが……
史実の薩長密約と同じ内容にはならないだろうな。
ただこうなると、薩摩が密約結ぶ意味があるかどうかという問題も。

>>357
短期的敗北がないという目算と、劣勢か優勢かは全くの別物やがな。
軍事的に劣勢でも戦争を長期化させることはできる。
小倉藩はそれをやったし、あんたもそれは認識してるだろうに。
あと、幕府歩兵隊や芸州口の紀州藩兵は最新装備かつガチだよ。

368:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/12 18:41:14.56 oa6+3tYd0
>>366
俗論党政権はべつに長州を幕府に売るために誕生した政権ではない。
正義派政権のように対外危機を利用するような危険な手法を選ばない政権であり、
むしろ正義派政権のほうが政権のあり方としては異常と言える

薩摩=討幕派=正義党政権 と言うイデオロギーで物事を見ているから本質を見誤るんだよ。
薩摩は長州戦争以降、慶喜と関係改善を図り、空位期に幕薩関係は改善されている。
薩摩はあくまで戦争当事者である「長州藩」との間に「橋会桑」への対応について協定を結んだに過ぎない。

>>367
何を詭弁を弄しているのか。防御側が半年1年敗北しないと言うことはイコール攻撃側の敗北だよ。
幕府はそれ以前から大軍を京・大坂に滞留させている。
既にそれ以上の滞留が不可能だったから決断を迫られたわけで、その上に頻発する一揆を抑えて半年一年も戦い、
さらに長州処分決着のめどが外れたばかりか前線への転出まで迫られた諸藩を督戦することは不可能。

盟約では第2条でまず勝利のケースを想定し、第3条で「劣勢になったとしても半年や一年で壊滅することはないから」と前提を置いている。
長州の劣勢を前提としてこれを読むと、薩摩は事実上、長州を見捨てますよと言うまったく不可解な盟約になってしまう。
木戸が裏書を求める意味がなくなるし、薩摩が天皇の意思を体現する「橋会桑」との決戦と言うリスキーな言質を与えるメリットもなくなる。
薩長盟約は、明らかに幕軍の不統一を前提として組み立てられている。

装備が最新かどうかで言えば、先鋒の彦根藩の惨状もよく知っているはずだ。
都合のいい時だけ最新装備の藩を持ち出すのは、いわゆる敵を大きく見せる手法に他ならない。

369:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/12 19:01:15.31 RHxbocAj0
>>36
市民が「下」って字を嬉しがってるようなキチガイ低脳ばっかりで、
その上、不誠実な歴史認識のドアフォばっかりなんだから、
衰退しないほうがおかしいだろ。

せっかく地名が赤間関(あかまがせき)→赤馬関(あかまがせき→あかばかん)
→馬関(馬関攘夷戦争の馬関、日清講和条約=馬関条約)
とカッコよく推移していたのに、
1889年に赤間関市と名乗り(まっ、ここまでは良かったんだが)、
1902年(単細胞丸出しで赤を嫌ったためか)下関市と名称変更してしまっるんだからな。

その上、無理やり「下関」という名前を広めようとして、あとから、
馬関攘夷戦争を下関攘夷戦争→下関戦争と歴史資料的にも虚偽な名称に変更してしまい、
日清講和条約の別称であった馬関条約を下関条約とこれまた歴史資料的には虚偽の名称に変更してしまってるんだな。

京都人は平安京を京都京と言い換えたりしないだろ?
東京人は江戸幕府を東京幕府と言い換えたりしないだろ?

「下関」市民だけ、高杉晋作はじめ奇兵隊士たちのことなんかホントは全然愛してないから、
ここまで恥ずかしい不誠実で郷土愛のない名称変更が平気で出来てしまうんだよ。

そんな、露骨に人間のクズの巣窟になってる地域など発展するわけないだろ。

ま、そのうち天罰大震災・天罰大津波で消滅するかもな
(〃^∇^)o_彡☆あははははっ






370:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/12 20:10:54.54 dXLg63Tr0
あっ・・・はい、そうですね

371:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/12 20:33:37.04 3wP514Yg0
>>369
下関戦争って、昭和のヤクザ同士の抗争みたいなネーミングだなw 

広島戦争を思い出す。


372:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/13 00:42:48.43 wRjpgv3d0
>>368
すまんよくわからん
俗論党なら薩摩への反発や憎悪を抑えて同盟を結べるのか
なぜ相手が薩摩なのか
正義党政権なら相手を薩摩にする充分な理由があったが
俗論党が失地回復のために手を結ぶなら
相手に敢えて薩摩を選ぶ必然はなかったし密約である必要性もなかったのではないか
しかもぼろぼろになって幕府に恭順する長州相手に薩摩が同盟結ぶ理由もわからん
正義党政権成立前に西郷がやろうとしたのは幕長講和の斡旋であって薩長同盟ではない

373:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/13 08:18:59.76 PyJgXwq60
高杉は西郷に会う機会があったがライバル視してたため生涯会わなかった
ってのは本当なの?

374:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/13 22:02:10.48 8vf9G46R0
幻の初代総理

375:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/13 22:50:37.50 U2YUH7TN0
長州は純粋な国粋主義者
薩摩はヤクザ
こんなイメージ
薩摩は奄美や琉球虐めて黒糖で借金返して密貿易w

376:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/13 23:03:38.93 rWlq8MGq0
>>372
いや正義派政権の指導層、支持基盤ほど薩賊会奸が染み付いてるから難しいんだが…
だいいちクーデタ政権と言う性格上、外敵の脅威を強調しなくてはならない立場にある

俗論党は「失地回復」どころか長州藩の存亡のために薩摩案を飲んでるんだよ
それと当代随一の雄藩であり、「橋会桑」の対抗勢力の筆頭である薩摩を無視してどうすんの?!

377:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/14 21:19:34.10 SAr+SusC0
俗論党って立場上悪役にされちゃうよな。若い奴とかで対抗勢力なかったんだろうか
若い奴はみんな正義党なのか。松下村塾メンバーが正義党支持だったわけでしょ。

378:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/14 21:57:06.85 CZnhzFgG0
>>378
薩賊会奸ってのは、この時代、藩主父子に対する冤罪から来ているから、
封建ファシズムべったりで開明的ではない長州俗論派のほうが遙かに薩賊会奸だっただろう。

長州正義派のほうは、長州ナショナリズムと言われる高杉晋作でさえ、
攘夷運動絡みで薩摩藩士とは個人的な親交を持ってたりするし、
薩長同盟を奇兵隊はじめ諸隊がすんなり受け入れるように動いているし。

379:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/15 06:17:10.90 YxL+LVci0
>>372
ああすまん意図がわかった。
まあ俗論党になって事実赤根や山県によって諸隊との融和がなっていたとしても、
実際薩摩と手を組むという話になったら、
木戸や高杉がいる場合に比べてコントロールが効かずもとの木阿弥になったかもしれんよ。

それはともかく、俗論党政権の場合に薩長同盟とは何ぞやってことは相当違ってくるな。
薩摩側は一会桑への牽制のため長州と手を組みたい、
長州側は第二次征長を止め且つ朝敵認定を取り消し名誉回復するため薩摩と手を組みたい、
と利害は一致しても、俗論党政権は「武備恭順」する気はないわけで、
自然軍事同盟的色彩は薄くなるか、薩摩側が一方的に「長州を守ってやる」同盟にならざるを得ない。
正義党政権の場合は、もし西郷の最初の意図どおり長州が幕府処分案を呑んで戦争にならなかったとしても、
「武備恭順」路線ゆえに軍備が一会桑への圧力になることを期待できる。
どうも、俗論党政権だと仮定した場合、同盟の薩摩へのメリットが薄い。
もしくは長州にとって非常に従属的で屈辱的な、一方的な同盟になりかねない。
そんなこんなで、成立が難しい気がするんだがね。

380:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/15 13:57:04.32 VXbf62bj0
>>368
それでイコール敗北なら、大阪城退去後に抗戦叫んでた小栗とかは馬鹿の集まりということかw
>第3条で「劣勢になったとしても半年や一年で壊滅することはないから」
これは劣勢になっても半年や一年は持久してみせるってことだろ。
これすら出来ずに敗北した場合のことを明記しないのは当然だよ。
その場合は長州藩により過酷な処分が下るのは確実だし、中立をとった薩摩が介入出来る場でもなければ
敢えてそうする政治的なメリットもないんだから。

あと、最後の文は逆にしてお返しするよ。
薩長肥と紀州以外なら鎧袖一触で粉砕できる幕府の軍事力を、
戦闘を回避した訳でもない親藩外様の士気を理由に小さく見積もる君の論理は理解できない。

最新鋭装備の幕府歩兵隊、紀州で構成された本隊だけでも長州藩の総兵力より多い。
この本隊は小倉口の戦いには参加していないが、それを言うなら装備劣悪な彦根藩も参加していないし、
熊本藩はアームストロング砲を装備して銃隊を編成する程度には進んでいた。

381:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/16 00:04:04.58 Ph5gkqaY0
実際装備の差ってドレくらい出たんだろうなあ。

382:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/16 11:19:41.61 OtPmRRxh0
>>378
それこそ、京が政局になった時期に長州藩を正義派政権が牛耳っていたことの副産物。
正義派政権「だから」親薩だったわけでも何でもない。
正義派政権は禁門の変+馬関戦争と言う二正面攻撃を引き起こした当事者であり、
その政治的経緯から、会薩に限らず外敵の敵視が俗論党政権よりのさばりやすかった。

また、封建的意図を強調するなら、正義派に属する高杉自身が「毛利家恩古の臣」
としての強烈な封建意識を持っていたことにも着目すべきだし、「家の存続」を最重視するはずだから、
現実に第1次征長戦で和約をまとめた俗論党と薩摩との相性の悪さを証明することは出来ないな。

383:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/16 11:38:39.06 OtPmRRxh0
>>379
俗論党政権の場合、そもそも正義派政権と異なり、薩長盟約を結ぶ必然性そのものがない。
幕府の上洛要請とそれへの回答がもっとスムーズに行った可能性が極めて高い。
もともと長州戦争は長州藩側と幕府との意思疎通を欠いたことが原因で勃発したのだから。

>>380
何を言いたいのか分からん。
盟約第2条はまず「戦自然も我勝利」の場合を想定しており、第3条で「万一負色」の場合も「壊滅などは決してしない」
ことを想定している。このような強気の裏書を求めたのは、薩摩の援助を必要とする立場である木戸。
事前に長州が決して孤立しておらず不利ではないと言う認識で一致していたからこそ、
薩摩も「橋会桑との決戦」と言う極めて危険な言質を与えてるんだよ。

また、幕府の軍事力は鎧袖一触どころか、本格的に戦闘経験を積んだのはこの長州戦争以降。
それまでは歩兵隊は関東での天狗党の反乱などでしか出動機会がなかった。
幕府が装備で決して劣っていなかった鳥羽伏見の薩長の勝因の1つに
「現場指揮官の優劣」が挙げられているのは当然知ってるでしょ?
装備の優劣がそのまま戦力の優劣に直結するなら米軍はベトナム戦争で負けてない。

幕軍には諸藩の士気や薩摩・佐賀・宇和島と言った各方面不参加の雄藩との関係のほか、
大軍が既に京阪地方に滞留しており治安維持や兵站維持にも配慮せざるを得ない立場にあった。

384:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/16 11:46:52.58 OtPmRRxh0
だいいち、小倉口の幕軍は長州の攻撃を防ぐので精一杯、
お前さんの主張によればわずか10分の1の戦力の長州とのたった3回の戦闘で崩壊してるんだぜ?
しかも参加すらせず。肥後藩に至っては、初参加の戦闘局面では長州を押しながら翌日に解兵している。

これを1人が10人に匹敵する長州の奇跡で説明するか、
ほぼ当事者の小倉藩しか戦意がない幕軍の士気の乏しさで説明するか、どっちが合理的だと思うよ?

385:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/16 14:51:06.71 cOThAell0
どっちが合理的なこととかではなく
さまざまな要素要因が絡み合っての結果でしょう

士気ということであれば
幕軍の士気の乏しさもあり
そして長州の士気の高さもあり


386:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/16 14:54:28.78 cOThAell0
あと俗論党と薩摩との相性の悪さなんて誰も言ってないのでは?
正義党政権になってからの一連の流れがあってからこその
薩長盟約であるという事実があるだけです

387:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/17 01:03:04.56 Yqen1Xov0
>>385
そうだよ。しかしウェイトとしては幕軍の士気の低さ、訓練度の低さ、
装備の不統一、兵站の不安定、治安維持の配慮などなどのほうが圧倒的に大きい。
とくに小倉口・大島口がそうであるが、どう考えてもこの局面の勝因を長州藩サイドから説明するのは無理がある。

そのほかの指摘はいずれも反対者が言い出したことだから、彼に聞いてもらいたい

388:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/18 03:44:28.91 f2UGQudu0
あれ、俗論党ifを言ってたのは君じゃなかったっけ。
まあいいや。

あと幕軍の士気の低さ、訓練度の低さ、 装備の不統一・・・云々については
その逆が長州に当てはまるよね。
ウェイトが幕軍の方が圧倒的に大きいと何を根拠に言いきれるのか自分には理解できんが
まあそれもいいや。

お後、持論は
“なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2”スレでやってくれ。

389:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/18 17:27:01.52 A58gDBQCO
>>369
うるせえよクソゴミ
お前は自分の歴史を見直せ

390:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 00:42:37.17 pbOy+qah0
>>389
だから見直してるだろ、ボケェ!

ボクは不誠実な「下関」市民、俗論派の第二の拠点「下関」が好きにはなれない、誠実な山口県民。
高杉晋作や伊藤博文を殺害しようとしてたのは、今の下関市民の先祖たちだからな。
こいつら、国賊だから。

下関市民はそういう黒歴史を背負ってるんだよ。

文句があるんだったら、恥ずかしい市名「下関市」を「馬関市」とかのカッコイイ市名に改称してからにせぇ、ボケェ!

391:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 01:06:13.93 rDLhlDO90
>>389

日本で唯一、積極果敢に攘夷決行し、攘夷戦を闘った地はどこでしょうか?→「馬関」





ウンコとおしっこをせき止めてます!という意味の日本で最も不潔で恥ずかしい名前の市はどこでしょうか?→「下関」


長州俗論派の末裔どもがその信じ難いバカさ加減を天下に晒し続けて既に1世紀。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \





長州正義派の志士たちや坂本龍馬・中岡慎太郎たちは当然として白石正一郎もさぞかし草葉の陰で泣いておられることだろう。








392:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 01:14:53.50 uuKVUrWz0
中関と上関に対する下関じゃないのか?

393:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 02:02:31.18 rDLhlDO90
上関も、原発でダークイメージだし、
脱原発に成功したら、「上」なんておこがましい名前からも脱却したほうがいいだろう。

地名に上中下って感覚がまず呪われてるんだよ。少なくとも無粋。
しかも長州の瀬戸内海沿岸だけの話だし。


防長三関には、ちゃんと固有の名前が昔からある。それを尊重しないほうが、よっぽどどうかしている。

・赤間関・赤馬関あるいは馬関(あかまがせき、あかばかん、ばかん)
・中之関あるいは中関(なかのせき)
・竈戸関あるいは竈関(かまどがせき)

ただし、中関は、実質、三田尻港みたいな感じ。

394:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 05:19:21.52 KfFD4WC2O
原発に突撃する奇兵隊

395:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 10:34:26.34 YXdTTC970
上総下総上野下野とかおこがましいんだw

396:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 22:57:55.97 pbOy+qah0
「上州」はとんでもなくおこがましいな、確かに。

397:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/20 04:41:55.15 NuDOf6KB0
>>388
いや何を言ってるのかさっぱりわからないわけだが…
「俗論党と薩摩では交渉が難しい」と言う主張は
>>350をはじめとして>>366>>372>>378のほうが先に出してきている。
それに対して「正義派だろうが俗論党だろうが難易度は大して変わらない」
と反論しているだけなので。

ウェイトは幕軍のほうが圧倒的に大きいとして、幕軍の要因により多く着目するのは、近時の維新史の有力説。
なぜなら長州諸隊がどれほど士気が高く装備に優れ勇敢であっても、
兵数で10倍を誇る相手と、士気がほぼ同等の状態でどう純軍事的に勝利を収められるのさ。
現実は熊本藩や紀州藩、歩兵隊など多少戦意のある組織と抗戦すると、打ち破るだけの実力すらないでしょ。
ゲリラ化した小倉藩兵にも手を焼いている。

長州藩の勝利は、あくまでも幕軍側の要因から説明したほうがはるかに早い。

398:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/20 07:40:56.87 6r2UzjCHO
もうスレチって言われてるのがわからないの?

399:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/20 09:40:09.18 DVVxuUCx0
>>397
もうとっくにスレチって言われてんだから、自重して移動しろよ

400:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/20 12:32:07.38 MRTXEZa0O
400

401:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/20 23:15:52.98 nohvehyM0
>>397

今ここの空気すら読めてない人間が、説得力なし。
持論を誇りたいなら該当スレへ。
あまりに執拗なのは見苦しいだけだよ。



402:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/21 00:58:40.45 fRU/nL3k0
封建主義の俗論党と薩摩とじゃ上手くいかない→高杉も強烈な封建意識を持っていたから関係ない
紀州藩と歩兵隊は装備が優秀だから強かった→歩兵隊は長州戦争が本格投入(それ以前は天狗党程度)、彦根藩を無視している

とか、とんでもない誤解を訂正してるだけじゃん
そりゃ高杉は神様じゃないと言われて悔しいのは分かるけど、
大久保、木戸とか他の維新関係者スレではもっと冷静だわな。

403:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/21 01:03:33.24 fRU/nL3k0
>>401
あと「持論」じゃなくて青山、家近、高橋あたりは認めてることだわな。
研究者じゃないが野口も幕軍サイドから幕長戦争の動因を幕府側から考察している

長州藩サイドに出来ることには限界があって、幕府、雄藩、橋会桑、朝廷、世論の動向を分析したほうが
幕長戦争の分析にとってはよほど有意義なんだわな。

404:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/21 02:10:21.27 EfRkfuCyO
誘導に応じず居座って言い返さないと気が済まない
冷静じゃないのはあなたの方

405:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/21 16:36:05.44 5upYG2120
>>403
青山忠正 佛教大学歴史学部教授
家近良樹 大阪経済大学教授

どちらも反長州史観・反木戸史観の、とんでもない曲学阿世の徒かつ国賊。話にならんね。

で、高橋ってのは誰? 高橋姓って多いんだから、下の名前ぐらいちゃんと付けろよ。

>>402
高杉晋作は、自分の出自を強調することで、封建意識のみのバカ俗論派をも従わせていただけ。
そんな簡単なこと、よく勘違いできるな。

>>397
> ゲリラ化した小倉藩兵にも手を焼いている。

ベトコンやアルカイダなど、ゲリラ相手では、世界最強の米軍でさえ、どんなに兵員と最新兵器と金と時間を費やしても,いまだに勝てないでいるがな。
世界の常識。
ゲリラ化した小倉藩兵を降伏させた長州軍がいかに圧倒的に強く巧みだったかという証拠を素直に認めるべきだろう。

> 長州藩の勝利は、あくまでも幕軍側の要因から説明したほうがはるかに早い。
(´・ω・)カワイソス
長州藩は、10倍以上の兵員数とフランス仕込みで近代化された兵器・歩兵隊の幕府軍に少なくとも三方から挟み撃ちされてるわけだからねぇ、
幕府側にどんなに大義名分がなくても、幕府上層部がどんなにバカでも、その当時の長州藩以外の藩なら、軽く、藩全域を武力制圧されてるでしょ。
よって、その当時の長州藩側の特殊要因の説明なしでは何にも説明したことにはならないよ。


406:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/21 23:17:42.13 X0Ox9T4P0
>>397

> 長州藩の勝利は、あくまでも幕軍側の要因から説明したほうがはるかに早い。

幕軍側の要因は単にいくつかある要因のうちのひとつに過ぎない。
歴史の事象の説明を早いか有意義かだけで判断してはならないと思うが。

>「正義派だろうが俗論党だろうが難易度は大して変わらない」

雑過ぎる。


>>403

てか、自分の論ではなく単なる受け売りだったのか。

>>402

ここは高杉を盲目に神と思っている人もおるかもしれんが、
彼の欠点をわかっている人も多いよ。
ただ説得力のないことを延々と続けられて皆ヘキヘキしてるわけで。
他スレは他スレ、そちらががよいならさっさとここを去ればよいではないか。



407:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/21 23:28:42.31 X0Ox9T4P0
 ↑
誤 ヘキヘキ
正 ヘキエキ  


408:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/22 05:24:24.28 J4QPB/ny0
「赤祢は周防の百姓だ。おれは毛利家譜代の臣だ。どっちが藩に忠義か
明らかではないか」とアジって赤祢を退けた封建意識と身分差別意識の
権化が高杉。改革派でもないし反逆者でも何でもない。

409:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/22 09:28:55.57 utqW2V8P0
>>405
高橋秀直 京都大学文学部教授 2006年死去

410:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/22 12:33:39.46 cAW6GUYb0
スレチ続けてすまんが

貴方の挙げた学者の方々は確かに幕長戦争の幕府側の敗因について検証しておられるが、
それは既存の研究が長州側に偏っていたため幕府側を検証するべきということで、
「幕府側に敗因があるのであり、長州側に勝因があるのではない」
などという論を張っている方は、その中には居られないと思うが。
高橋秀直氏には、慶応年間の「木戸政権」について、対幕戦に向けて
挙国一致の体制固めや他藩への根回しについて分析する論文もあったと思う。
…って話は今後別スレでやりましょってことで。

411:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/22 14:14:48.24 GCTYYlnP0
>>408
単なる身分制度の権化なら、撰鋒隊の存在意義を危くする様な部隊なんぞ設立せんがなw

412:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 14:01:05.88 nhodzz4Q0
>>405
>高杉晋作は、自分の出自を強調することで、封建意識のみのバカ俗論派をも従わせていただけ。
>そんな簡単なこと、よく勘違いできるな。

いや、高杉は「毛利家恩古の臣」と言う藩主に対する強烈な忠誠心を持ち、
たとえば奇兵隊の決起を促した時に赤根を「一土民」呼ばわりすると言う危険な行為を行っている
(もちろん奇兵隊は呼応せず、高杉は「脱走」扱いにされている)
さらに大田の戦闘後、世子毛利定広を担ごうとした藩政府に対して、
上士出身者が弱気になったのに対し、山県ら軽輩出身者は断固決戦を主張したのはよく知られている

高杉の封建意識を示すこの事例は遠山茂樹以来、一坂の世代に至るまで重視して指摘され続けてきた事実

>>411
崩壊しかけた幕藩体制の中で、体制を固守しつつ衆庶の参加により藩を再興させる。
古川薫は対外戦争は民衆動員のために利用されたと考えている。
奇兵隊はあくまで正兵を補う存在であり、内部に厳然たる身分差別があったのは周知の通り
高杉ら長州藩指導者は衆庶が藩家秩序を乱すような行動を許さなかった。
ここに山県や赤根ら、諸隊実務者との対立が兆す原因がある。

>>410
たとえば家近は幕長戦争の帰趨を決めた原因として
幕府・雄藩・京阪地域の要因を主因として挙げ、長州のそれについては取り上げていない。
それどころか、会津藩兵の投入が実現していたら「歴史は今日我々が見ているのと同じ道をたどった保証はない」
とも言っている。
「確かに幕長戦争における長州藩の役割は大きい。だが、あくまで倒幕の根幹をなしたのは公論の力」
と主張し、西南雄藩中心史観をはっきり否定している。

勉強不足だね。なお、高橋秀直は長州戦争に関して家近・青山とはやや立場を異にしているが、
それでも従来の長州藩を過大評価する立場とは一線を画していることには注意されたい。

413:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 14:09:33.85 nhodzz4Q0
>>406
雑すぎるならもとに戻ろう。
第1次征長戦の和議を取りまとめたのは西郷吉之助の助言に従った慶勝総督と俗論党政権。
なぜ俗論党政権が正義派政権より対薩関係を取り纏められなかったとするのは、
この一事を持っても否定される。そもそも俗論党政権の場合、
幕府との意思疎通がよりスムーズに行っていた可能性が高い。

それと一言。
人には罵倒を浴びせ、スレから出ていけと言いながら、なぜいちいち反論するのか。
要は事実を指摘されるのが不愉快だからだろう。


414:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 14:22:27.56 nhodzz4Q0
>長州藩は、10倍以上の兵員数とフランス仕込みで近代化された兵器・歩兵隊の幕府軍に
>少なくとも三方から挟み撃ちされてるわけだからねぇ

非常に雑な説明と言わざるを得ない。本来予定されていた攻め口のうち、
海路の萩口が潰れたのは薩摩藩の不参加。小倉口、石州口は幕軍はまったく攻勢に出ていない
大島口は宇和島藩が参加しておらず、佐賀藩も、さらに頼みの熊本藩まで戦闘に参加しない状態で、
芸州口以外ではほとんど攻勢らしき攻勢がかけられていない。
芸州口でも、幕府歩兵隊は出動経験が少なく、しかも出動してからほどなく休戦状態に入ってしまった。
また、この翌年慶応3年、フランス公使ロッシュは幕軍の訓練度が進まないことに苛立ち、
「慶喜の江戸帰還が何より重要」と具申している。慶喜による幕軍の全隊銃卒化が始まるのはこの戦後。

>幕府側にどんなに大義名分がなくても、幕府上層部がどんなにバカでも、その当時の長州藩以外の藩なら、軽く、藩全域を武力制圧されてるでしょ。
>よって、その当時の長州藩側の特殊要因の説明なしでは何にも説明したことにはならないよ。

そう、当時長州藩は凄まじい粛清によって正義派与党以外の人士、民衆、反乱が徹底して弾圧される臨戦状態にあり、
このような態勢は日本でもさほど多くはなかっただろう
(長州藩内部の弾圧については井上勝生や一坂、また大粛清による証言や史料散逸を指摘するのは家近である)
だがその長州藩にしても、ろくに経験のない歩兵隊と苦戦し、熊本藩には敗色濃厚であった。
しょせんその程度。たとえば薩摩藩、装備では佐賀藩などと比べたらだいぶ遜色がある。
それでも桂が強気の見通しを持つことが可能だったのは、参加予定の九州諸藩、西国諸藩の世論を熟知していたため。

青山や家近を「反長州」などと言っているおバカには分からないかも知れないが…

415:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 15:36:55.36 je4eIR4Z0
>>413

さすがに該当スレに去ったのかと思っていたのだが・・美しくないね。
しつこく反論を続けてるのは確実に君だろう。
現にまた空気も読まずこれだけ捲し立てて。
そんな人間に「反論を続けているのか」と言われる筋合いなし。
皆スレチだよと言ってるだけだしね。
それに対していつまでもいつまでも執拗だからね。

>要は事実を指摘されるのが不愉快だからだろう。

あのね。
空気を読まない君に不愉快さを感じてるだけだよ。
それだけ。


そろそろスルー対象にしてもいいんだがな。

416:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 15:45:42.90 je4eIR4Z0
ていうか、

>・・・可能性が高い。

と見解を断定できないにも関わらず

>要は事実を指摘されるのが不愉快だからだろう。

自分の意見を事実と確定しているこの矛盾さ。厚かましさ。






417:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 17:08:07.53 qujh070K0
まあ学者の論文を手がかりに自論を展開するのはいいんだが
自論を行き過ぎなくらい補強するのってちょっと恥ずかしいよね
だれも高杉が封建的価値観の持ち主ではないとは言っておらんのだがなあ
高杉も井上も桂も毛利家への忠誠心はすごくて、
なのにやったことがアレだから面白いんだがね


418:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 19:51:38.70 XDY7zoBPO
ここまでくると立派な荒らし。
真実を告げるが故に糾弾される自分に酔うのは
中学二年生で卒業しておきなさい。

419:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 21:42:55.02 hYJkO8DY0
高杉の身分意識はかなりあっただろう。
その点でも桂とは相性悪い気がするんだよなあ。

420:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 22:18:21.02 iH7O+rbkO
高杉は封建的な意識が高いのは確かだけど
四民平等が時世の流れで藩や国の力になるなら目を瞑って受け入れるんじゃね
桂と結託してたますじのことを後継者指名したくらいだし

421:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 23:15:46.03 A099ItA00
高杉はそりゃ自分が毛利家家臣であることに強い誇りと自負を持っていたけれど、
当時のあの身分の武士としちゃ十二分に柔軟。
例のお小姓日記に、明倫館に入学資格のない、足軽陪臣から町民農民まで入れる学校を作って
土屋矢之助とかを教授にすればいい、なんてアイディアを書きとめたりしている。
まあ松陰の影響が多分にあるんだろうけど。
別の日の日記には、藩政府人事案を自分なりに作ってみて、
行政府のトップの参政は周布、地政府の参政は桂、とか書いてるあたり微笑ましいw
このころ桂はまだ有備館舎長なんだけどな

422:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 04:39:40.53 S6eVg3pW0
高杉の封建意識は藩に対するものばかりではない。
家に対しても強い封建的倫理観を持っていたことは明らか。
衆庶の藩政参加は19世紀末~の藩政改革の時点から始まっていたから高杉独自の発想ではない

ただし高杉は、民衆の要求が長州藩や藩秩序を揺るがすことは絶対に認めなかった
それは自ら発起した奇兵隊も同じ。諸隊はあくまで藩家を守るためのもので自律性を認めない
よく文民統制とか勘違いされるが、実際は藩指導者が諸隊の自立を恐れたために他ならない

423:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 04:44:34.79 S6eVg3pW0
>>416
では、はっきり言い直そう。
ぶっちゃけ俗論党政権なら幕長戦争なんて起きてなかった。
一橋慶喜は積極的だったが、その手足となる会津藩が必ずしも前向きではなく、
戦争勃発に至る過程ではかなり錯綜したものがあった。

正義派政権は不信感から徹底して幕長間の意思疎通を阻害した。結果が長州戦争だよ。
高杉もよく情勢分析せずに開戦不可避を言上している。明らかに幕府にとっては想定外の戦争だ。
長州戦であえて主役を挙げるなら桂だよ。
空気を読めとは、一緒に高杉をマンセーしろと言うことかな?

424:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 06:01:16.76 msJseWLrO
幕末系を語りたいなら

高杉スレ西郷スレは不適切

無学な狂信者の隔離だから

高杉派閥とか遣韓論とかw

木戸、大久保、幕軍、慶喜スレが適当

425:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 06:42:53.62 ltjx+VLS0
伊藤「高杉は参謀としてはなかなかなものじゃったよ。」

426:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 07:34:42.06 I7u1X4wKO
自分大好きな風見鶏は黙ってろw

427:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 09:04:38.65 GjX9hRhT0
>>424
高杉派閥とかいってる人は高杉厨じゃなくて、木戸スレでも暴れてる派閥厨なんでw

>>423
研究史的に長州側が過大評価されてきたのは事実だし、
それを是正しようと先にあげられた研究者が幕府側の研究を進めてきたのは偉大な功績だ。
しかし、貴方の論はそれを長州側の過小評価にまで持ってきてしまっているようにしか思えない。
ぶっちゃけていえば幕長戦が起きたのには、幕府側にも長州側にも原因があるし、
それに外国やら他藩やらの動きも当然影響している。そんなの当然じゃん。
何でそんなに一生懸命長州正義派だけを叩いているわけ? そんなに一方的なマンセーしてる奴いる?
長州側少人数でこんなにがんばってすごいじゃんって話してただけじゃ?
それだけが勝因であると言い張るのはヘンだがそんなことだれもしてないっしょ?

ていうかさ、ここは高杉スレなんだから、幕長戦の主役が桂だったとしても
それは置いといて、あるいはそれは当然として、いずれにせよ高杉と幕長戦について語るのは当然なのに
なんでそういう、現在だれも持ち出してない「高杉が主役!論」はまちがっとるみたいな話を
わざわざ展開して勝ち誇るのか意味がわからん。
だからスレチっていわれてるんだけど。

428:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 09:52:23.82 DsVeXCPZ0
高杉の封建思想って今後どうする気だったんだろうね。
幕府倒して毛利幕府はないとしても、大名の合議制みたいなのを
目指してたのかな。そうするとやっぱ廃藩置県した連中からは一歩劣ってるかな。


429:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 14:22:48.39 S6eVg3pW0
>>427
高杉と言う人は、どうも評価を取り違えられている
小倉口での高杉の功績は、山県たちをうまく統率し、
適度に攻撃を仕掛けて幕軍に心理的打撃を与えたと言うことに尽きるのであって、
三味線を弾きながら戦場に乗り込んで幕軍をバッタバッタと切り倒したことにあるわけじゃないよw

自分が逆に不思議なのは、長州戦争の因果経路を幕軍側から説明するほうが簡単だよと言う主張が、
なぜ高杉を貶めると受け止められるのかと言う、そこなんだな。
たとえば青山家近は、幕長戦争の帰趨を決めた桂の薩長盟約に対してすら過大な評価は与えていないし、
山県とともに元治内戦の火付け役を演じただけで十分な評価だろう
基本的に高杉って好きな人は好きと言うくらいの評価で、歴史上そこまで大きい存在じゃないから

まあ木戸スレとここと見たら、確かに大久保スレと西郷スレくらいレベル違うけど・・・

430:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 14:29:57.58 HcUFtT+r0
>>429
ああわかった。貴方の主張の仕方が一生懸命すぎて、このスレのノリからみると
あたかも「幕府からの敗因をみることにしか価値はない」的に受け取れてしまうので
延々と話がすれ違うんだよ。
まあこの件一生懸命論じるのは、どっちにしろこのスレじゃないよ。
この辺にしとこうぜ。


431:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 15:11:40.59 S6eVg3pW0
いや、このスレだろ?小倉口に関しては。
何をこの辺にしておくのかさっぱりわからんけどな

432:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 16:22:39.52 8ADe4wa40
高杉って幕府から長州の悪は桂と高杉であり処刑しろって
言われてたわけだよね。桂や久坂と違ってそれほど目立った行動してないと思うんだけど。
なんで目をつけられてたの?

433:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 16:45:13.04 MsmfLzX90
>>431

わからんのやろ
もうええって


434:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 16:54:46.97 MsmfLzX90
つーか誰も高杉が三味線でバッサバッサなんて思っとらんし言っとらんやろ
あんたアホか?

すでに前に誰か言っとったけど
“戊辰戦争・旧幕府軍勝利の可能性について”
こっちのスレできばれや

木戸スレが好きやったらそっち行ったらええやん、
わからんと思うとこにおる必要ないで
それだけのことやろ




435:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 17:10:48.28 MsmfLzX90

あんたはな
自分の説得力のない意見を一方的にしつこくしつこく押し付けてくるから
嫌われとるねん
それをいい加減悟れや
高杉マンセー言う前に自分マンセーになっとる自分に気付けや
それを空気読むっていうんや


436:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 17:32:45.66 MsmfLzX90
>>429

>自分が逆に不思議なのは、長州戦争の因果経路を幕軍側から説明するほうが簡単だよと言う主張が、
なぜ高杉を貶めると受け止められるのかと言う、そこなんだな。

高杉を貶めるなんて誰も言うとらんやろ
自分の意見を主張することしか考えとらんからそうなるわけや
因果経路を幕軍側から説明するほうが簡単やなんて乱暴やろ
それを皆言うとるだけのことやろーが



437:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 20:06:03.46 WMjHGrnP0
なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2
スレリンク(history2板)l50

という、これ以上ないくらいぴったりのスレもできているw

438:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 21:57:30.48 MsmfLzX90
そやそや
“なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2”やな

434の自分の挙げたスレ名は間違っとるわ すまんかったのう

439:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 22:10:08.31 MsmfLzX90
ID:S6eVg3pW0 もうそっちでカキコしとるやんw

おきばりやす~

440:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 22:12:55.24 baL+DjAc0
俗論党の藩庁に高杉が反乱を起こしたから明治維新があったんじゃないか。
高杉の功績は偉大だよ。

441:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 23:16:07.86 MsmfLzX90
ID:S6eVg3pW0はさ、高杉のこと
>歴史上そこまで大きい存在じゃないから
と言いつつ高杉スレに必死でカキコしとるんやから
そんなんもうほっとこほっとこ

442:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 07:56:04.43 HZTIZ9g10
けど高杉の役割ってクーデターの時だけだよね。あそこに存在してたのが全てで。
あそこに高杉いなかったらどうなってたのか。
伊藤と井上あたりが頑張ってたんだろうかねえ。

443:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 12:29:37.19 Y/07VZ0w0
高杉がいたから維新が成った。それがすべて。

444:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 17:50:34.89 E11mEyraO
高杉がいたから彦島は日本の香港にならずに済んだ

445:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 18:00:10.65 oP8M+ntLO
ラーメン食うっちゃあ~。

446:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 21:50:56.87 pZemQO5m0
坂本竜馬は司馬の影響でやたら美化されてるけど
高杉もそういうのなのかね?

447:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 23:36:01.66 /Xs3yEvo0
まあ小説はもちろん、ドラマや最近ではアニメなどのおかげで
妙に美化されてる歴史上の人物なんて挙げたらキリがないでしょう。

448:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/25 23:43:57.02 /Xs3yEvo0
ああ、446は木戸スレで有名なageさんか。

449:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 11:06:32.73 QfKwnX6n0
高杉は龍馬ほど美化されてない。というより
全く過小評価だ。明治まで生きたら薩における
西郷と大久保のように木戸と高杉が長州閥の
両巨頭になったことは間違いない。

450:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 12:52:40.09 EHjVEkuHO
いや、高杉生きてても普通に木戸広沢が両巨頭だろ
その下に大村高杉前原

451:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 14:42:23.93 GyclBkAzO
前原混ぜたら混乱するだけでは
高杉が上手く抑えるかもしれんが

452:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 14:43:45.56 1cGKeQcZ0
前原ってそんなに重要だったっけ?
大久保の画策で唐突に副島・前原体制になりかけたときも引き篭もってたようなw
まぁ真面目な人だったんだろうなと思う。

453:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 18:39:44.19 XEajp96G0
「生き残ってたら」で長州代表になってたのは周布だろう。
高杉とか久坂ってのはどうも政治家っぽくない。
久坂って一時期名声がすごいあったらしいが、どういう事だったんだろうなあ。

454:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 20:09:28.00 QfKwnX6n0
「生きてたら」で言えば松陰がトップじゃないの?

455:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 20:12:27.64 XEajp96G0
松陰も生き残ったら政治家になるだろうけど
周布とかには太刀打ちできないでしょ。

456:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 22:47:12.36 xmM4cWmt0
松陰は政治家にはならん気がするなー。口は出すだろうけど。
学問してるときがいちばん幸せそうで、だれも邪魔できません、って感じじゃん。

457:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 23:08:52.80 XEajp96G0
>>456
松陰はすぐに行動にうつすタイプだからそれはないと思う。
学問覚えても行動しなきゃ意味がないって思想だったはず。陽明学だっけ?

458:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 23:34:15.97 Pq35a2E40
いやそれと自分が政治家やるのはイコールじゃないから。
松陰としたら実践は周布や桂や弟子の高杉とかがやってくれればいいんであって
自分は有効な策を具体的に建策したり添削したりする役。
有効かどうか調べるための実験的な実践は当然やるだろうけどな。

459:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 00:48:39.69 nRQ2988t0
薩摩での小松の位置だな周布は

460:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 07:01:14.64 iGUnht0+0
高杉のやった事は西郷や大久保でも到底真似できない位だけど
天才過ぎて平時の政治家向きではないだろう
むしろ久坂が惜しかった
久坂は死ぬまで長州の若手リーダ格だったし
京都政界切り回し他藩士との外交仕切ったのも名声高かったのも久坂
高杉は逆にそういう面ではかなり影薄い
むしろ緊急時になればなるほど力発揮した

461:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 07:42:02.68 Ey8mARys0
>>458
松陰の策っての実現不可のばっかりだし。周布桂級の政治家がまともに取り上げるわけないから。
やっぱ松陰は独自に動くと思うよ。

462:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 08:42:13.99 QEa8zxYa0
松陰なら明治政府に反乱を起こすんじゃないの?
高杉もやりかねん。

463:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 08:44:13.27 tCeXe+4z0
>>460
日和見公家にあの期に及んですがり付こうとするのは
桂小五郎や大久保一蔵なら絶対にやらなかっただろう。
甘すぎるとしか言いようがない。
ただ、久坂のあの当時の年齢を考えれば、生き残れば、
経験を積んで、明治政府のリーダーになっていた可能性は
十分ありえる。

464:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 18:47:31.01 e74ZPiPq0
久坂と高杉の差は、久坂には誰も附いて行きたいが、高杉には「どうもならぬ」と皆いふ程で、高杉の乱暴になり易いのには人望が少く、久坂の方は人望が多かった。

465:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 19:22:11.18 4jcrxh4nO
高杉には久坂みたいな政治資質はなかったかもしれないけど
大勝負で勝ちを引き寄せる運は持っていた
適材適所で能力を発揮できればそれでいいと思うけど

466:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 19:24:18.20 Ey8mARys0
久坂は実際どんなもんだったか分からないんだよね。
思想自体は松陰程度の幼稚な感じするけど。そういう人間が
人望あって勢力作るともうマイナスでしかないと思う。

467:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 20:17:04.99 e74ZPiPq0
松蔭は思想性は高いよw
思想性は高いが政治力は無いから失敗しまくりだけどwww

松蔭の久坂評

「久坂は防長に於ける年少第一流の人物で、無論また天下の英才だ。
 久坂の才は縦横無礙なり。
 高杉の識を以って、久坂の才を行う。気は皆その素より有するところ、何をか為して成らざらん。
 高杉よ高杉、天下固より才多し、然れども唯一の久坂を失うべからず…。」

中岡慎太郎の久坂評

「第一、その卓識なる者を久坂玄瑞と云う。
 この人吉田松陰の門弟にして英学も少々仕り、夷情も大に知れり。この人常に論じて曰く
 「西洋諸国といえども、魯王のペートル、米利堅のワシントン師の如き、国を興す者の事業を見るに、是非とも百戦中より英傑起り、議論に定まりたる者に非らざれば、役に立たざるものなり。
 これ非共早く一旦戦争を始めざれば、議論ばかりになりて事業は何時までも運び申さず」と云う。実に名論と相考え申し候。」


木戸孝允の久坂評

「久坂は、幼少より学を好み、剛毅卓立、如何なる場合も俗見に随わず、慨然と天下の務に志を有していた。
 長州藩で夙に気節を尚んだのは吉田松陰を第一とするが、実際運動に身を挺せること久坂の如く者は一人もいない。
 世に文筆学問の徒は少なしとしない。
 けれども概念のセンサクに没頭して世務の何ものなるかを知らなかったり、声利に汲々として図書の間に老ふる者ばかり多い。
 義勇の士もまた決して少なしとしないが、或る者は暴虎馮河して快とし、或る者は血気にはやって敢えて危険を冒す。
 久坂の如きはこれ等と相去ること大いに遠かった。
 これを俊傑といい剛者と称するに間違いはなかろう。
 久坂は死んだ時二十五歳であった。惜しいかな、彼をなお世に在らしめ、益々その志すところを尽さしめ得たら、成就するところ現在の如きに止まらなかったであろうが…。」


佐久間象山の久坂評

「土州と長州から使者が来た。土州の使者(中岡慎太郎)はすこぶる頑固な人で、これを辞したらほとんど刺違えぬばかりに激論した。
 長州から来た使者、その中の一人(久坂)は殊に明敏な者だ。」


西郷隆盛の久坂評

「久坂先生が今頃存生ならば、御互(木戸と西郷)に参議などと云って威張ては居られませぬがなー。」


468:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 20:24:48.88 4mc2urIC0
桂や大久保だって文久~元治のいわゆる志士と言われる頃と明治政府のリーダーになってからでは
立ち位置や状況、経験の積み重ねによって当然変化してる部分もあるのだから
久坂とてそのまま生き残っていればその後どうなっていたか、
新政府にとってプラスに作用したかマイナスに作用したかは断定はできないね。
死んだ当時の印象だけで決めつけてしまうのはちょっと気の毒かな。

ただ自分も松陰は政治家ではないと思う。高杉も。

469:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 20:27:58.48 4mc2urIC0
>>467

ご苦労様。
ここの人は大抵知ってる内容だと思うけど。

470:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 20:36:24.24 e74ZPiPq0
木戸はうん子漏らしたり明治語は欝の木戸として何もやらなかったからな
大久保なんかも一時絶望して西郷と刺し違えようとしたらしいから
松蔭門下ではやはり久坂が一番惜しかった
高杉は明治後居ても政府でやること無い
行政長の卿や派閥をまとめて国政全般を議論する参議なんて柄でもない
かといって軍事行政家でもない

471:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 20:39:09.34 e74ZPiPq0
松蔭は思想家教育者だろう
西郷なんかも思想家だけど実践者の政治家としての力量もあった
久坂も同じだな

472:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 20:53:31.84 e74ZPiPq0
奇兵隊士

「高杉は直情径行、自我強く、部下の意見などは更に顧みず、無頓着無関心に只勇往邁進的であったに反し、
 久坂は深思遠謀よく部下の意見を容れ、衆智を集めて敢決断行の人であって、部下を愛する情至って深く、何れも心服して居た。
 高杉には部下が引きずられがちであったが、久坂には心から感服随進したものである。」


雲濱梅田翁

「久坂玄瑞は政治家にして廟堂に立つ者なり。高杉晋作は軍人にして将帥の器あり。大楽源太郎は学者にして教育家たり。
 換言すれば久坂は将帥たるを望む可からず。
 高杉は政治の事を思う可からず。
 大楽は教育を業とすべしと。依て三士に各一文を與へりと。」



473:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/27 23:53:21.20 4jcrxh4nO
うん久坂スレを盛り上げてやれ

474:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/28 22:13:22.72 FYq4akxy0
大楽源太郎って高杉久坂と同列なのか?暗殺者のイメージしかないわ。

475:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/28 22:24:48.57 5Gl1g5T90
山県有朋の前で吉田稔麿が絵を描いて見せた時。一番初めに鼻輪を通さぬ離れ牛をかき、
其次に坊主頭で裃を着ている人がある。其次には木剣があり、又其次には棒がある、それ
で山県が此絵はどういう意味かと尋ねると稔麿の答に、此離れ牛は高杉晋作である。これ
は中々駕馭できない人である。坊主頭で裃を着て座っている人は久坂玄瑞だ。これは廟堂に
座らせておくと堂々たる政治家である。其次の木剣は入江九一である。入江は偉いが、まだ
本当の刀ではない、木剣位である。それから其次の棒は誰かと聞くと、此棒は山県であると
答えた。という話も有ったな。

476:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 03:56:38.89 ipDbsouiO
高杉~♪高杉~♪
高杉いいいい♪

477:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 14:24:13.86 XCzpRufE0
おうのって下関出身なの?
ああいう芸者ってどこの人でも京言葉を操るもんなの?

478:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 16:02:19.03 HZqjIcT80
おうのの出自は不明。
京言葉って。それを言うなら祇園ことばじゃないのか。



479:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/29 23:54:39.50 joqFwWwTi
晋作日記だとわりかし読書家で驚いたな

480:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 00:57:53.14 u57XFEoh0
>>479
何を今更…松陰にむちゃくちゃ期待されるぐらい学問してるんですが?

481:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 03:23:07.31 y0RLfsqS0
高杉は天才だから感性だけで生きたって先入観はあるな確かに

482:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 03:52:44.00 bk99EZsX0
これも何を今更。
高杉が松陰に何て言われたか知らないのか?

483:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 04:09:57.27 KL6zhOTp0
>>414
> だがその長州藩にしても、ろくに経験のない歩兵隊と苦戦し、熊本藩には敗色濃厚であった。
> しょせんその程度。

二重に間違い。
哀れなほどの反長州史観(^Д^)9mプギャー

・禁門の変で京に藩主父子の雪冤のために出ていた先遣隊(本隊の世子軍が約2000名なので実際は300名ぐらい。多くても500名ぐらい)以外は、
長州藩側にも戦闘経験がないが、その先遣隊メンバーからしては既にほぼ壊滅しているので、長州側も戦闘未経験。。
・援護していた小倉藩が長州軍に壊滅させられ長州軍から敵前逃亡した熊本藩に対して一体誰がどう「敗色濃厚」になり得るの?

484:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 04:26:33.27 KL6zhOTp0
>>470
別に久坂が凄くないというわけでは全然ないが、

文久3年に始まる馬関攘夷戦争までの段階で、明らかに、

木戸孝允・高杉晋作>>久坂義助

だがな。
「馬関攘夷戦争は、朝命・幕命に従ってやむなくやりました」
って形を終始取った木戸・高杉のほうが遥かに物事が見えていることは確か。

485:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 06:19:45.98 AzdZ8pOK0
>>475
松下村塾の中で第五位だった。つまりは生存者の中では
もっとも出来がよかったと吹聴するための山県の作り話
の可能性が高い。おそらくライバル視していた伊藤への
当て付けだろう。
品川が「稔麿が生きていれば据え置きの総理大臣だった
だろう。」と語ったのも、伊藤に対する当て付けだろう。
(品川は内相のときに、伊藤に選挙干渉を痛烈に非難
されていた。)

486:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 11:30:31.58 /BS/ni8L0
>>484
馬関攘夷戦争は、朝命・幕命に従ってやむなくやりましたんじゃなく
取り付けてやったんだが?
木戸孝允・高杉晋作>>久坂義助になる理由が意味不明すぎるw

487:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 20:10:00.12 kBAOw35B0
西郷が久坂が生きてたらっていうのも木戸に対しての皮肉だろうしなあ。

488:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 20:32:54.86 1nhgCWGlO
長井の件で久坂を煽ったり、禁門では西郷が久坂を殺したようなもんなのにな。
木戸からしたらどの口が言うか、と臓煮え繰り返る気持ちだったんじゃないだろうか。
そのあたりは薩長同盟時に責めまくって水に流したかもしれんが。

489:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/30 22:54:18.91 1jKiJH2K0
大西郷はそんな器量の狭い漢ではなかだろうw
長州と対立したのも私怨あったわけでなく薩摩の藩益上対立しただけ
むしろ久坂の様なのを木戸より西郷は尊敬する
久坂や西郷は政治屋でなくまさに政治家なのは身を捨てれる点
木戸が政治家として維新後いまいちパッとしなかったのもそういう面が大久保に比べると弱かったからだろう

490:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 00:42:18.70 Z+ewNyfOO
維新後政治家として更にパッとしなかった西郷に言われても

491:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 00:49:38.47 aXoLBkKw0
むしろ明治維新で革新的な改革やったのはむしろ西郷首班の留守政府の方だぞ?
ずるい大久保ら外遊派は権力闘争で引き継いで強化しただけで

492:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 01:02:27.23 Z+ewNyfOO
留守政府の改革で外遊組がいなくなった後に発案された政策なんかあったか?
遣韓以外

493:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 01:49:43.51 sCH23bPr0
高杉スレで留守政府とかスレチにも程があるだろ
久坂を西郷アゲに利用してんじゃねぇよ
身を捨てられりゃ偉いのかよ周囲巻き込んで自滅するのが偉いかよ
西郷スレで勝手に陶酔してろ

494:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 02:11:37.92 7LOXSxm10
府県の統廃合(3府72県)
陸軍省・海軍省の設置
学制の制定
国立銀行条例公布
徴兵令の布告
地租改正条例の布告

ほぼ留守政府がやってる
西郷だから実行できたものばかり
外遊組は国内騒乱になる元は全部西郷さんに押し付け海外逃げ回ってる
最後の仕事と張り切った遺韓大使まで外遊組の権力奪還闘争で潰されるんだから
そりゃ西郷どんも薩摩に引きこもらざる得ないわ

495:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 03:37:39.98 27/e0sRX0
>>484
えーっ!?久坂は結果的に京都で爆死しただけで、
政略の才能では明らかに高杉と比較にならないでしょ
禁門の変だって幕府や一橋や長州シンパと、会津は狙い通り分断されてたわけだし

加徳丸事件と言うピンチをあんな強引な手段でチャンスに変えたのはまさに剛腕
木戸にしても高杉よりははるかに政治的指導力がある、久坂とタイプは違うけど
高杉は忠義な官僚と言うタイプの人間

496:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 06:09:05.37 xSDcLjY9O
>>494
それ、外遊組がいるころから進めてたものばっかじゃん
しかも西郷がそうせい侯状態で大隈らに投げっぱなしで急速に進めちゃったもんだから、
各地の不平士族を宥めるために遣韓(元々は征台)に繋がる訳で。

497:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 08:47:32.62 PbC26NIm0
久坂は若い奴の人気はありそうだけどそれだけの奴っぽいんだよな。

498:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 09:25:33.37 X2BA6LTl0
2chのフォーマットで意見のやり取りすると疲れるな。
基本相手をやり込めてやろう、みたいな鼻息荒い人ばかりだね。

499:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 14:25:07.54 27/e0sRX0
>>497
久坂は若いやつとかそういう問題ではなく、ピンチをチャンスに変えるパワーがすごい。
高杉は奇兵隊に真っ直ぐねじ込んで、挙兵断られると自分で文字通り義挙しちゃうタイプだけど、
久坂は最善が駄目なら次善、次善が駄目なら…と、あらゆる手を使って目的を達成しようとする。
禁門の変の時がそうだよ。高杉は思い通りにならないとあきらめ、久坂は次善の策を考えた

500:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 14:29:46.43 27/e0sRX0
まあ、結果的に次善の策が天皇の命と連合艦隊報復で、土壇場で引っ繰り返って、
えーっと言う感じであぼん。あきらめた高杉のほうは助かると言う皮肉な結果に…

501:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 16:55:54.18 GvFm8aUV0
>>498

同感。
様々な意見が交わされるのは面白いけど
自分の意見が絶対意見みたいに思ってる人多いよな。
歴史なんてひとつの事象でも見方によって解釈変わってくる場合もあるのにな。

あと西郷のことは西郷スレで。
久坂はスレないのか、誰かスレ作ってあげれば。

502:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 19:30:56.92 PbC26NIm0
>>499
それは久坂の方が普通って事だと思うよ。しかもその結果禁門の変で命を落としたわけだから
やっぱ高杉に比べて大した事なかったって事だよ。

503:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 20:11:53.61 GvFm8aUV0
いやだから。
高杉と久坂は明らかにタイプが違うから。
自分は高杉贔屓だが、高杉の方が優れている部分もあり、当然久坂が優れている部分もあると思うよ。
どちらが偉いとか決めないと気が済まないのかねえ。

504:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 23:41:50.25 C8Vam6WZ0
高杉はピンチをチャンスに変えれるけど久坂の様な物事を進める指導力は無い
木戸が久坂より優れてたのは
うん子もらし乞食になり逃げ回ったところだろう
久坂には到底できない行為

505:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/01 23:49:13.08 C8Vam6WZ0
>>496
廃藩置県やる為に薩摩にこもってた西郷を政府の大久保と木戸が呼び出してるんだが?
徴兵制も山縣が西郷の承諾得たからできた

506:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 01:41:47.50 BXJB8BurO
ひょっとしてこれが脱糞君と呼ばれている嵐か

高杉日記を読んでるが人見知りといいつつ色々な名前が出てくるなあ
しかし修行の旅の日記はどこで誰に会ったとかちょっと分かりにくいね

507:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 17:21:48.29 /i1CUq730
>>504
高杉の功山寺決起は「義挙」の一種。成算ある決起ではない。
ピンチをチャンスに変えたと言うより、ピンチだから単身決起したら、
いつの間にか奇兵隊の事情が変わってついてきたと言う感じだな。

久坂と高杉では、高杉のほうが単線的な行動を取り、ダメだとあきらめるか自爆する
久坂は戦略を立て、最善、次善、三善と言うように最後までベターを模索するタイプ
それと久坂は反対論に固執しないし、時には強引に局面を変える手も打つ

禁門の政変では途中で次々に事情が変化したのに、最後まで望みを捨てずに収拾に当たったから、
木戸と同じような行動が取れなかったと言う事情もあろうな

508:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 17:26:10.48 /i1CUq730
禁門の政変の長州軍進発は、結果的に敗れたから「暴挙」になったけど、
少なくとも長州が大兵をもって京を包囲し、朝議でも一橋慶喜以下、
多くの藩が日和見を決め込むか長州に同情的で、充分に効果を発揮していたからな。

ところが孝明天皇が会津を頑強に擁護したことと、何より連合艦隊の報復攻撃情報が想定外になった

509:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 18:09:11.18 RIRfQ9ob0
>>508
それはない。
当時の朝廷関係者の日記等の分析で、
既に尊攘派の切り捨てが始まってたことがはっきりしている。
天皇その他が、志士の天誅にうんざりしていて、
薩摩藩上層部にあいつら捕縛してくれないかって相談する直前だった。

むしろ久坂は圧倒的逆風の中、藩論を尊攘に持っていったことが凄い。
当時即今攘夷は完全なる時代錯誤だった。

孝明天皇は三条実愛が建白書として提出した
長井雅楽の航海遠略策を内諾していた。
謗詞一件で朝廷が支持を覆したと、
長州藩が読んだのは完全な読み間違い。
藩論を即今攘夷に変更した時に参考にした勅語も古い物。


510:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 19:42:29.24 RugEnebu0
長州と薩摩は攘夷戦をやり、それで他日外国の侮りを防ぐのは薩長であると中岡は攘夷戦を評価してる。

長井が航海遠略策で公武合体を先決として、幕府が調印を了した通商条約を認め、挙国一致のカをもって外交問題に対処すべしとしたのに対し、
久坂は解腕痴言で幕府の専断を許さず、通商条約はこれを破棄し、安政元年の和親条約の線に引き戻すべしと主張し藩論を尊攘にした。

「英仏の力をほしいままにして皇国(日本)に向かい、干戈(武力)を用いざるは、清国の長髪賊の勢威はなはださかん(太平天国の乱)なるゆえなるべし。
万に一も長髪賊、英仏に屈せば英仏の我(日本)に寇すること必然ならむ。

幕吏(幕府の役人)の穢(きたな)き心もちたる奴らは戦いをおそれ和を唱えて、まず武備を整えてのち攘(はら)えしと・・・・
されど、癸丑(きちゅう=1853年)の頃よりすでに十年の久しきを経ぬるに、器械何ほど(どれほど)整いたるか。士気何ほど奮いたるか。」

(イギリス・フランスが日本に攻めてこないのは、いま、中国で「太平天国の乱」がおきているからだ。これがおさまれば、必ず彼らは日本に攻めてくる。
なのに幕府は、戦争をおそれて、ペリーが来てから10年がたとうとしているのに、いまだ十分な軍事力を整えていない。これでは士気が奮い立たないではないか。)

その談判に成功し、わが国威が立った暁においては、「朝鮮・満州・広東・呂宋・爪哇・印度より初め、亜米利加・欧羅巴迄も自由に往来し、処々に館第を建て、将士を置き、
宇内の形勢を脾睨し、万国の情態を洞観して我が海軍を練し、我が士気を張り候えば、皇威恢復何の難きかあらむ。
然りと雖も金川(神奈川)調印を破棄し、三港に引戻し候こと夷人万々承引仕るまじきに付き、撻伐膺懲の勇決猛断ならでは迚も相叶はず候」

久坂の所論も結局は航海遠略を目指したのであるが、そこに至る過程において長井の政治家的便宜主義を排し、純粋にわが国体を踏まえての行動に終始したのである。

久坂は幕府が独断で結んだ条約は認められない、攘夷で日本国の人心と国威を立て、天皇中心の国体を立て、開国するという戦略である。
久坂は禁門の変で死ぬが、久坂の論通りに時勢は展開するのである。

511:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 20:26:02.78 BXJB8BurO
何かの小説の引用?

512:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 20:52:55.16 eBzSsx+M0
攘夷親征なんて何も実現してませんぜ?
実現したのは英国公使館焼き討ちくらい?

513:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/02 23:36:27.78 dTLs9XGl0
久坂にほぼ近い考えと思われる中岡慎太郎は、
『夫れ、攘夷というは皇国(日本)の至言 にあらず。そのやむを得ざるに至っては、宇内(世界)各国、みなこれを行うもの也』と、
攘夷は万国共通に行われる物で、日本だけの特殊な理論ではないと述べています。

そして薩長は、攘夷戦によって民族の独立を意識したを高く評価してます。

攘夷戦によって薩摩は士気一致、俗論漸く俎し、因循固陋の弊大いに破れ、いわゆる攘夷家なる者を先頭として航海練兵等の実用を主張することになり、一藩の国是が定まった。
長州にては、しばしば外国船を暴撃し、敗軍し、続いて馬関の大敗がある。又追討の兵を四境に受ける。この時人皆思ったのが長州万々支えることは出来ないと。
あにはからんや、長州は一国の政事を改革し、兵制を一新し、士気大に奮う。
攘夷戦によって、国難に際しては、階級に関係なく、民衆が一体となることで藩論が一変したことを説きました。

そして
「自今以後、天下を興さん者は必ず薩長両藩なる可し、吾思ふに、天下近日の内に二藩の令に従ふこと鏡にかけて見るが如し、他日本体を立て外夷の軽侮を絶つも、亦此の二藩に基づくなる可し。」
と、以後天下を興すのは薩長であり、又外敵の侵略を防ぐのも薩長に決まったとしてます。

「富国強兵と云ふものは、戦の一字にあり。」と書いています。

514:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 01:00:54.97 W3f/tkyx0

誰か~、早く久坂スレ立ち上げてやってくれ~。



515:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 02:16:17.26 f95ahMo30
即今攘夷とか言って下関戦争でコテンパンにやられてんのw
結局薩摩と土佐に助けてもらったのに。


516:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 03:08:00.74 0QhB2XyT0
まあコテンパンと言っても死傷者は実は連合艦隊側のが多い。
講和も幕府が長州征伐を決め、挟み撃ちになるから幕府側に力注ごうとして決めらたんで。

517:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 09:03:16.88 MyywI7IC0
晋作日記って面白い?

518:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 09:38:19.73 lbL4aDnUO
>>514
久坂高杉大楽といううってつけなスレがあるのにな

519:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 15:57:17.40 fMqtNiwH0
高杉は上手い事外国との戦も禁門の変もスルーしてるんだよな。
禁門の変の後からクーデターまでなにしてたんだろな。

520:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 16:19:52.87 zKNCoi060
脱藩→帰郷&投獄→出所&謹慎→(謹慎中に禁門の変と下関戦争 スルー!)
下関戦争講和参加→正義党が野党の間に第一次長州征伐(スルー!)→
長州藩内乱勝利→下関開港推進→狙われる→身を隠す(藩論ゴタゴタスルー!)→
薩長密約→第二次長州征伐海軍総督→勝利→
肺結核→死亡 (攘夷破棄の変節スルー!)

運がいい。死なない巡り合わせw
焼き討ちとかしとるけど、意外とバランス感覚もいい。
後は口舌の徒ではなく、奇兵隊という藩も無視できない基盤があった。


521:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 17:01:50.85 fMqtNiwH0
あれ?下関戦争の講和ってなんで高杉なの?その時は禁門の変後で
正義党は権力なくて俗論党の時代じゃないの?

522:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 17:28:39.81 eCdE65eu0
俗論党が政権取ったのは、幕府が迫ってきて威力外交した時。
長州藩の士農工商身分制が内実打ち崩されたのも、下関戦争によって奇兵隊が誕生した時ですな。

523:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 18:23:17.53 kwX+5bP30
>>509
それはない。
破約攘夷(即今攘夷)を条件に和宮を降稼させた事情を全く知らないような「朝廷関係者」など笑止千万もいいところ。

「当時の朝廷関係者の日記等」って具体的に何と何よ?

524:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 18:31:28.87 kwX+5bP30
>>520
「攘夷破棄の変節」は、余りにも歴史改竄がひど過ぎる反薩長史観あるいは反長州史観の証拠なんだが。

安政の不平等条約が明治政府によって日清戦争・日露戦争の攘夷戦争により1911年までにちゃんと「破約攘夷」が達成されているのを無視する超ウルトラ低脳キ●ガイ国賊が多くて、ホント困る。


525:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/03 18:52:25.78 kwX+5bP30
>>524の改訂版

>>520
「攘夷破棄の変節」は、余りにも歴史改竄がひど過ぎる反薩長史観あるいは反長州史観の証拠なんだが。

安政の不平等条約が明治政府によって日清戦争・日露戦争の攘夷戦争により1911年までにちゃんと「破約攘夷」されているのを無視する超ウルトラ低脳キ●ガイ国賊が多くて、ホント困る。

526:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/04 22:04:49.19 aJ6OX6OL0
勝海舟が講和に来たときはもう俗論党か。
高杉対勝の会談とかあったら面白そうだったのに。

527:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 01:25:10.61 Ugoc/RZe0
>>526
なんで広沢と井上が俗論党なんだよwww
せめて年表レベルの超基礎情報くらいは把握しとけよ

528:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 17:33:56.10 AE0cUHT10
あれ?そうだっけか。ってことは俗論党もすごい短い間しかいなかったんだな。


529:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 18:50:31.43 ybOq4mzC0
>>509
それはあるよ。当時、上京した長州藩が主敵にした会津は孤立状態だし、
久坂の朝廷諸藩と会津との分断策はちゃんと効果を発揮している。
幕府や一橋慶喜でさえ、会津藩に対して積極的な擁護に動かなかった。

事態を一変させたのは連合艦隊報復来襲の報で、包囲して圧力をかける戦略の根底が崩れたこと、
加えて孝明天皇が断固として会津藩擁護の姿勢を変えず、慶喜に重ねて長州藩撃退を命じたこと。
禁門の政変の長州藩とそれ以前の尊攘激派を取り違えてどうすんの。

>>516
コテンパンだよ。講和条件は長州の全面降伏。薩英戦争でも英軍に死傷者を多数出したが、
あんな屈辱的講和条件は飲まされていない。
それと高杉が奇兵隊が基盤て、冗談?内戦当初、奇兵隊に決起を説いたのに応じなかったでしょ
高杉は諸隊への影響力を持っていなかったから山県と妥協せざるを得なかったのであって

530:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 19:58:45.52 oiwpva/uO
奇兵隊って不思議だよね
高杉に反発して追い出すまでやったのに最終的には高杉の墓の側に墓を作りたがったり

531:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 20:06:11.68 jDW0WaXO0
高杉が奇兵隊に決起を説いたのに応じなかったのはそうだが
その後、山県ら奇兵隊・諸隊も高杉の動きや状況を見て腰を上げ出した訳で
まるで高杉が一方的に妥協したという表現はこの場合ふさわしくないと思うが。

532:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/05 22:54:18.46 Y75AqPFG0
>>528
勘違いしてないか?
>>522がいってるのは第一次のときの話。
たしか最初に恭順の姿勢示したのは俗論党政権じゃなかったがな。途中で俗論党政権に。
勝が講和に送り出されるのは第二次のとき。当然長州は木戸政権下。
この第二次の講和の際に出てったのが広沢と井上な。高杉はすでにかなり具合悪いんじゃね?
どっちにしろゲームじゃあるまいし、面白い対戦組むように話さんでほしいわ。

533:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 17:38:08.91 /wfgFEPQ0
そうか。第二次の時も講和してるんだな。第二次から直接鳥羽伏見あたりに
なだれ込んだイメージだったから。

第一次のときに講和に参加したのは俗論党の有力者なわけでしょ。
正義党が天下取ったから俗論党は悪玉にされてるけど
このときの俗論党もなかなかのもんだったんだんろうね。

534:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 17:44:27.63 dFMVI8mk0
>>530
あの辺りの百家争鳴、状況を読んで模索する所が長州藩の良い部分だと思う。


535:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 17:49:47.22 AJHlsjOM0
>>533
俗論党と正義党は、それほどはっきりと二分されていたわけじゃないよ。
特に長州征伐の講和みたいな事態に対しては、結構協力してる。
(日本人の感覚としては)当たり前だけど。
国(藩)を売るような人間は相手にされない。



536:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 23:27:56.35 oWI+phoP0
>>529
薩英戦争と違い、幕府の長州征伐があるから譲歩しただけでしょ。
外国艦隊と戦いながら幕府と戦えないから講和したいのは当たり前。
領土割譲は高杉が拒否してる。
高杉は攘夷戦で初めて身分制を公的に破る奇兵隊作ったけど、それを基盤に政治力揮えるタイプじゃないから基盤にはしてないが?


537:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/06 23:39:21.86 oWI+phoP0
山縣も奇兵隊も権威ある藩政府に逆らうのも追い詰められながらもできなかった。
決起しても到底上手くいかないと思ってた。
ところが高杉は少数の決死隊で三田尻軍艦3隻分捕りに成功し、戦略的に決起すれば上手く行くよとどんどん見せ付けたから決起した。

538:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/07 18:48:16.34 XeVhaGMZ0
>>535
けど高杉クーデター後に俗論党の人らは切腹させられたんじゃなかったっけ?

539:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/07 19:10:40.66 ASCdKeI50
>>538
535じゃないが、切腹は高杉クーデター後ではなく木戸政権下だったかと。
高杉クーデター後の政権は藩内調停に動いた鎮静会中心だし。
いわゆる正義派幹部はほぼクーデター前に処刑されてていないし。
いろいろ抵抗があって改革案が通らなくて木戸が辞表出して、みんな泡食って俗論党処置した。
でも死んだのはそれほど多くなかったはずだよ。トップだけ。
基本は余計な動きができないよう俗論党をばらして、あちこちで蟄居って感じだ。

540:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/07 19:11:36.23 TsByYP+jO
高杉クーデター後は更に正義派の人が切腹させられた
桂帰国後に藩政がうまくいかないから辞めると桂がゴネて俗論派の椋梨が切腹→とりあえず内部抗争終結

じゃなかった?

541:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/07 19:13:30.51 TsByYP+jO
あ、ごめんリロードしてなくて>>539確認してなかった

542:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/07 19:48:57.56 ASCdKeI50
うん、それそれ。高杉がクーデター起こした直後に、正義派大量処刑が起きたんだよな。
油に火を注いだっていうか、あれで鎮静会が立ち上がったみたいなもんだ。
そんなこんなで木戸は、俗論党に断固とした処置をとらねば示しがつかないし諸隊も納得しないし改革も進まないが、
過酷な弾圧すると恨みの連鎖が起きて藩内の団結にひびが入るのも心配なんで、
この辺に落としどころをもってきたのだと思われる。

543:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/07 22:48:04.21 ZpfA66zi0
そもそも両党に根本的な違いはなくなってきてるわけだから。

544:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/08 19:32:46.76 wazv64V60
けど後に俗論党から明治政府に加わった奴はいないんでしょ?

545:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/08 23:27:38.84 HgvOSwr00
「明治政府に加わった」って表現が曖昧すぎる。
とはいえ自分も、俗論党ってのがどの範囲を指すのかよくわかってないな。
児玉愛二郎って俗論党に数えていいんだよな?
奴は井上の引き立てで宮内省の官僚になってるわけだが。

546:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/09 15:46:32.40 1QMooau/O
基本的にこの時代ってトップが処分されればそれで終わりにして後には引かない印象だ
負けた側は多少は引き摺ってるみたいだが

547:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/10 20:18:19.98 gZ1L/7lO0
>>536
彦島割譲要求についてはそれを裏付ける史料が皆無。

548:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/10 20:47:35.55 gZ1L/7lO0
サトウ日記でも長州の正使はすべての問題につき何の異議もなく受け入れたとあり、
伊藤の貢献を評価しているので、彦島租借要求は出なかったか、連合国が要求しなかった
と考えるほかない。

また諸隊の17日の伊佐進駐の段階ではまだ藩政府との交渉は切れていない
よって諸隊も決起後すぐ呼応の態度を示したのではない
(白石正一郎や赤根武人は「暴挙」とはっきり非難している)
功山寺決起じたい、赤根・時山の交渉中に行われたのだからそれも当然

549:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/10 20:50:00.36 gZ1L/7lO0
×彦島租借要求は出なかったか、連合国が要求しなかった
○彦島租借要求は話題に出なかったか、そもそも連合国が要求しなかった

550:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/12 23:10:01.09 zK2xLvB50
どっから来たんだろうなその話
古事記でかわしたとか、伊藤も狼狽えたとか逸話にしては色々付加が付いてるしw

551:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/13 05:18:59.59 iuvKOxXKO
伊藤が創作したのかと思ってた

552:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/13 11:21:46.59 R9OfB0LW0
高杉が出てない事前の予備交渉で彦島租借の話が出た可能性。
伊藤は藩主敬親から「租借もやむなし」と伝えられていた。
本交渉の記録にはない。(イギリスの議事録による)

ことから、事前の藩内関係者の討議で、高杉が強行に反対した様子を、
伊藤が交渉の最中のことと勘違いしたのでは?
全くの作り話でもないだろうし。
そして四カ国連合も予備交渉の間に取り下げたのでは。


553:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/13 21:13:18.19 eeDweTBn0
なんだよ、古事記で相手を煙に巻いたってのは嘘だったのかよw

司馬遼太郎は偉大だな

554:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/13 22:44:38.99 ZJt/NbGv0
伊藤が供述したのはずっと後年だし嘘つく理由も無い
彦島租借要求はイギリスの単独提案だからイギリスは恥ずかしくて載せなかっただけだろうな

555:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 06:44:24.03 Mufh2DLo0
>>554
なるほど。納得。

556:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 07:05:49.10 2XBqPuXK0
>>552
4カ国艦隊が彦島の租借を要求したと言う証拠そのものがない。
予備交渉の段階で話題に上ったとしても、講和の中心論点でなかったのは明白
なぜなら他の講和条件で連合国の目的は達せられるし、彦島の租借は海峡の安全通航担保のためだから
サトウ日記でも彦島の租借についてはまったく触れられていない
(イギリスは海峡の航行の安全と、下関での補給さえ確保できればそれで目的は達せられる)
おそらく長州藩内の話題に留まった可能性が高く、承知していたとしても伊藤だけ
古事記うんぬんは日本の歴史を強調するための後年の創作だろう

>>554
そうなるとアーネスト・サトウの日記と整合性が取れなくなるんだが。
サトウにも嘘をつく理由はない。ほかにも連合国の記録には彦島を重視していたと言う証拠は皆無
彦島租借がイギリスの単独要求だから恥ずかしくて載せなかった?と言う理屈が分からない
イギリスの単独要求と言うのは何がソース?

557:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 07:10:12.77 2XBqPuXK0
まあ>>552は推測(と言うか妄想)の域を出ないとしか言いようがないな

講和条件では下関の事実上の自由港化、賠償金支払、砲台撤去などが掲げられているし、
これが実現すれば、あえて彦島の租借を要求する根拠がない
どっちみち幕府が認めなければ、兵庫開港その他の懸案がとん挫するわけだし

558:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 08:10:48.78 ASke/apq0
サトウはイギリス政府の人物だからなイギリスに不利な事は書かないでしょ

伊藤伝では

明治42年12月6日
「高杉と吾輩がクーパー司令と談判中、先方より彦島の租借を提議されたが、今から思うと危なかった。
もしあの時先方があくまでこれを要求したのなら、強弱勝敗の形勢上、われらはいかんともする事はできなかった。
この島は今の香港の対岸、九龍島と同じ運命に陥っていたかも知れない。
ここに至って想うと実に慄然の感がある。
当時何故先方はその要求を強要しなかったのだろう。
その分けは今を以てしても諒解できないが、察するところ先方も連合軍のこととて、たとえ彦島を租借し得たとしても、
どの一国にしても専有し難く、却って種々の紛糾を生じるのを恐れたためじゃないだろか」

559:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 08:18:20.09 ASke/apq0
アーネスト・サトウはあくまでイギリス政府の人間だし
自国の勝手な恥を乗せるはず無いね
伊藤は明治42だから死の近く
既に何度も首相をやり2度の大戦も体験して堂々たる大政治家だったからわざわざそんな嘘つく必要がないしね

560:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 08:26:22.31 B3RR/+1C0
政治家だから嘘つくんだろう。
長州の功績を作って自分の人気を上げようとしたんじゃね。

561:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 09:09:43.20 fZbH98MG0
伊藤の様に数々場数踏んできた一流の政治家が
何十年も後の回想録で既に大政治家であり死の近くで人気上げる為に変な捏造や嘘をつくと思えない
嘘つくのは基本2流の政治家だし
サトウはイギリスの外交官で、しかもイギリス側は連合軍に相談無く公的に出したわけじゃないから
載せなかった可能性の方が強いな

562:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 10:07:53.34 Qoo65CRMO
伊藤は高杉の古事記の逸話は言ってないの

563:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 10:12:51.57 eR/6M3pLO
伊藤の昔話は割と言うことコロコロ変わるし…

564:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 10:32:17.20 AiHDJ3+M0
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▼ 東京会場 ▼
【時間】13:00集合 13:30出発 【場所】新宿 柏木公園 (東京都新宿区西新宿7-14)
▼ 名古屋会場 ▼
【時間】13:00集合 13:30出発 【場所】名古屋・栄・市バスターミナル北  地下鉄14番出口  
▼ 大阪会場 ▼
【時間】13:00集合 14:00出発 【場所】新町北公園 (大阪市西区新町北公園1-14-15)
▼ 広島会場 ▼
【時間】10:30集合 11:00街宣開始 【場所】広島市中区胡町6-26 福屋八丁堀本店横
▼ 福岡会場 ▼
【時間】13:00集合 13:30出発 【場所】警固公園 (福岡市中央区天神2丁目 ソラリア南88

565:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 15:23:55.09 XX1yqa+p0
「攘夷は命令されただけだから、金欲しければ命令したやつに言えよ!」
は、日記に書いてるのに、
「天皇から預かってるだけだから、勝手に租借するわけには行かないだろ!」
は、都合悪いから日記に書かないってのも、都合の良い解釈だなあw

時間がたってからの聞き取りは勘違いたくさんあって当たり前だし…

566:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 16:29:58.16 LyJ/ku8D0
柳生新陰流の免許皆伝らしいけど、これは実力なの?

567:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 16:30:16.01 Qoo65CRMO
上海行って攘夷は無理だと分かったが帰国してからも攘夷と言ってたのは
倒幕の戦略だったと
司馬遼太郎あたりに言わせるとなるのだが
そんなことはとても言いだせなかったというのがホントのところなんだろうな

568:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 16:53:55.27 XX1yqa+p0
しかし上海から帰ってきてから、
金澤八景で外国公使刺殺計画、(武市→容堂→定広と伝わり制止される)
英国公使館焼き討ちだろ?
生麦事件について薩摩に遅れを取ったという認識だったようだし。

どっちかというと、安易に開国し譲歩してはいけないと思ったはずだが。
それなら上海で見た状況とその後の行動が合っている。

英国公使館焼き討ちも、外交上は
幕府が英国からなにか無理強いさせる結果を招いたかもしれないが、
高杉としては公使館の存在そのものが、既に譲歩であると見えたのだろう。
あいつらを日本に入れたら最後、好き放題やられると。
そして戦して勝てるようじゃないと、譲歩を強いられると。

569:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 17:12:12.11 xWdaQ8iR0
上海行って攘夷が無理って分かったのかどうかも微妙だしなあ。

570:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 17:21:14.25 SUIzVYcT0
高杉は上海行ってからむしろ過激攘夷に走ってるな
西郷も久坂も高杉も中岡も別に攘夷戦が無理とかは思ってなかったろ
むしろ正道を踏んで堂々たる攘夷をやれば最終的に勝てると思ってただろうな
その為に日本を統一国家にしなきゃという考えだし

>>565
それ誰の日記?サトウ?
サトウなら別に都合良くもなんでもないよ
賠償金は連合軍共通の要求で公的な要求だから、軍事行動の下関砲撃も連合軍としてやったんでイギリスの単独じゃない
伊藤の話なら租借はイギリスが交渉の際に私的で言い出したことだから、連合軍としての行動から明らかに逸脱してるからね



571:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 17:46:24.64 SUIzVYcT0
中岡慎太郎も民族の攘夷戦争は、きちんと道を踏めば勝てるという考えだからね

夫れ攘夷と云うは、皇国の私言に非ず、その止むを得ざるに至っては、世界各国、皆これを行うもの也。
米国かつて英国の属国也。時に英王利を貪る日々に多く、米民益々苦む、よってワシントンなる者、民の疾苦を訴え、是に於て米地十三邦の民を率い、英人を拒絶し、鎖国攘夷を行う。
此より英米連戦七年英遂に不勝を知りて和を乞い、米国に於て英属を免れ独立し、十三地同盟合衆国と号し一強国と成る。実に今を去ること八十年前なり。

ゼルマニアは属国たりしも、また能く国議を定め、拒絶攘夷を行い、戦争八年、戦う毎にことごとく敗すと雖も、其の末に至って一戦能く奇を出し、大いにイスパニアの軍を敗り、遂に独立す。
是れに依って之を看れば、主客当然、権我れに在り、其の和戦開鎖は、時の宜きに隨い、国の利害に由り唯我に好む所の也。


572:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 20:00:54.27 oQKjBu7g0
>>571
某論文で知ったけど、攘夷を外国の独立戦争と絡めて考えてたのは目からウロコだった

573:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 20:08:31.74 Qoo65CRMO
高杉の他は中岡久坂らは外国見てないじゃないか
上海に行った五代才助らは皆攘夷は不可能と分かった
時期は後だが長州ファイブもイギリスに行って攘夷は不可能と分かった

高杉が分からなかったならどこに目ついてるのって話しだな
帰国して過激攘夷したのは松下村塾一味の首領格だから皆さん無理ですとはとても言えなかったのだろ
言えば斬られたかもしらん

574:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 20:52:48.08 XX1yqa+p0
けど、焼き討ち止めろと言っても、土佐の人間は切られてないだろ?
江戸を離れる前に、武市と坂本は止めたんだろ?

575:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 21:11:37.87 Qoo65CRMO
>>574
よそ者はいいんだよ
身内だから裏切りモノとなるんだよ

576:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 21:32:39.91 XX1yqa+p0
けど焼き討ち隊長だろ?
言い出せなかったというレベルか?

577:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/14 23:22:39.95 2XBqPuXK0
>>558
サトウ日記は読んでみると分かるけど、比較的フリーに書かれてるよ
それを言い出したら伊藤は長州藩の人間だから長州の武勇伝を吹きまくるに決まってる

実際は、彦島租借は予備交渉で議題として出たが、高杉はよく知らずに反対、
薪炭補給や乗降の自由が認められ、海峡の安全航行が認められた本交渉では話題にもならず
と言うのが実態だろう
砲台撤去と下関の自由港化だけで連合国にとっては大成果なんだから

それと彦島租借要求と一口に言うけど、そんなものは幕府が絶対に認めない
彦島は関門海峡の通行の安全を保持するポイントだし、他の条件が満たされれば不要
無理に要求すると、より重大な懸案である兵庫開港問題とか一挙にお釈迦になる。

578:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 01:34:56.79 K0qPivwp0
>>572
最初からそうだよ松蔭の攘夷論自体が西洋の武器文物輸入して侵略国に対抗するって考えだったし
攘夷論も文久で外国打ち払えから不平等条約に対する破約攘夷論になってるし

>>573
独立戦争には結局は勝てないよ近代史がちゃんと証明してる
植民地化された国は全部ナショナリズムが存在しない内部に欠陥抱えてた国ばかり

579:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 01:38:56.58 K0qPivwp0
>>575
外国公使殺害計画は久坂も反対し高杉と斬り合いになる寸前になったくらい
高杉が強引に過激攘夷を進めたんだよ

580:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 01:43:50.99 K0qPivwp0
>>577
伊藤があの時点でわざわざ創作までして作って嘘つくはずが無い
いくらフリーと言ってもサトウはイギリス側の利益者代表者だから
公式な要求でないし不名誉だから書く必要が無いと書かなかった方が可能性が高い


581:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 01:44:31.48 tv5saXuZ0
攘夷派と呼ばれた人を好きな人は、
攘夷をすごく狭く考える傾向があるけど、
一人ひとりの考え方があったはずで、
それが右派の中でも顕著なのが高杉だと思う。

高杉は上海視察体験から租借地の問題を非常に大きく見る立場の人で、
教会が医療行為により民衆に浸透することも恐れている。

上海で「攘夷が無理だと分かった」とは到底思えない。
せいぜい列国の侵略方法と武力を詳しく知ったくらいのことでは?
列国と妥協して土地を渡してはいけないこと、(これが焼き討ちに通じる)
軍隊の近代化を図らないといけないこと、これが高杉の考えの特徴では?

「即今攘夷一辺倒ではいけないことが分かった」ならまだ分かる。
この辺り久坂とはちょっと温度差があるように思う。
ただ全く違うとは言えないので、行動を共に出来たのではないか。

長州系志士の人間理解は、単純化されすぎていることが多いと思う。

582:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 01:53:01.67 tv5saXuZ0
>>579
殺すのはいくらなんでも物騒だから、
建設中の英国公使館を壊して、行使が国内に住めないようにしてしまえ、
という風にまとまったわけだよね。久坂は焼き討ちの副隊長だから。

やはり高杉は租借の問題を非常に大きく見ている。
公使殺害は妥協できるわけだから。

夷狄殺害は捨て去ったわけではないけど、
攘夷=夷狄殺害ではなくなってきているのだろう。

583:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 02:07:18.35 K0qPivwp0
中岡が久坂と高杉の考えを書いてる。

そもそも癸丑(嘉永六年)以来、皇国一和、武備充実、紛々説があります。
始め三港条約が締結された時、久坂玄瑞は「回瀾条議」を著しました。
その説に曰く、今すでに三港条約が締結された以上、広く有志の者を海外に派遣して、西洋諸学諸芸及び工商の術を学ばせて国体制度を一新し、大いに海陸の軍備を盛んにしなければならない。
この様にならなければ外国の侮辱を絶つには足りませんと。
その後幕政益々妄乱、諸藩日々因循、これまでにその実効を見る事ができないままです。
ここに於て始てその言の空論のままではいけないと知り、壬戌(文久二年)の年に至り、玄瑞又、「解腕痴言」を著しました。
その説に曰く、今日天朝の勅諭を確々奉じなければならないと。
断然攘夷の説を決し曰、いやしくも吾輩節義を以て天下を動かし、一死を以て皇恩に報い、ひとたび不測の難を神州に引受、百戦の危難を経て、豪傑その間にあらわれなければ、何を以って土崩の患を防ぐことが出来ますかと。

高杉晋作また曰、今日の西洋事情を説き、彼を知っていると自負する者、わずかに西洋の一端を知って、これまで古今盛衰の機の由る所を知らず、
当時彼の盛になったのにはその本があります。
もし今日、彼の盛なるを学ぼうとすれば、英仏等の未だ盛ならざる時、内戦が度度有った事、
又、ロシアは百戦危難の中より起った事など斟酌して手本とすべきです。
若し我国が今日の弊勢を以って、彼の盛強文明すでに治っているのを坐しながらにして学ぼうと云うのは大間違いの極です。
ですから曰、宜しく奇変、英達、実行を以って天下を一新すべしと。



584:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 02:19:42.35 tv5saXuZ0
高杉は、南北戦争とか太平天国の乱も重く受け止めてるよ。
特に後者。何が何でも乱戦になればいいって考え方でもない。

585:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 03:42:38.08 3QHb+88H0
>>580
伊藤のは後年の回想
サトウは当時の日記

伊藤は通訳を兼ねた長州藩の実質代表
サトウはキャリアの通訳

彦島については伊藤の回顧談しかソースがない
どう見ても無理があるぜ伊藤ソースだけで彦島話を真実と認定するのは…
学術書でもみな注がついてる

586:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 04:04:57.20 3QHb+88H0
あと高杉の公使館焼き討ちについては、文久2年における長州と薩摩の立場を考える必要がある。
文久2年は1月に坂下門外の変が起き、安藤・久世政権が崩壊。
さらに島津久光の上京と、勅使大原重徳を伴っての江戸下向、さらに帰路の生麦事件によって、
薩摩藩への評価は一気に上昇し、長井雅楽の航海遠略路線の失墜が決定的になった。
長井が6月に失脚すると、長州藩は藩論を大転換させるがいかにせん出遅れている。
焦った高杉らは公使襲撃によって長州藩の浮揚を狙い、失敗すると公使館焼き討ちに目標を切り替えた

一方で、幕府も大原勅使から、御殿山への公使館建設につき孝明天皇の反対意思を伝えられ、
英米に建設中止を申し入れたが拒絶され窮地に立ったため、直後に起きた焼き討ちをこれ幸いと傍観を決め込んだ
そのため犯人の目星はある程度ついていたのにも関わらず、長州は売名に成功したわけだな

587:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 07:17:57.44 tv5saXuZ0
天皇も内心は開国に傾いていたから、
即今攘夷の勅命はやめて、公使館建設に懸念で済ませといたのになw
朝廷はこの後の長州藩志士のテロリストぶりにびっくりして、
薩摩に泣きつこうとしたことさえある。
ところが薩摩京都藩邸の一味が藩論とは離れた尊攘主義者だったので…

588:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 09:39:19.55 PIdadsLG0
あの焼き討ちって結局意味あったのかな?

589:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 10:16:02.15 3QHb+88H0
長州藩的には藩論転換のアピールになったし、
英国はテロを恐れて建設を中止したし、
幕府も面目を施したから意味あったんじゃないのw
司馬本とか読むと、幕府は無能だから犯人を捕まえる気力もなかったとか書いてあるけど、
幕府が恐れていたのは盗人を捉えてみればわが子(幕臣)かなと言う事態だったので

あと孝明天皇の意思ははっきりしないんだよね、尊攘激派の蠢動は孝明天皇の迷いもあると思う
条約勅許問題では頑として応じなかったんだが、
一方で「自分のような不徳の者がこんな難局に判断を求められても」と泣き言を言ったりしてる
異国を中に入れることに抵抗を感じつつも、どうしたらいいか分からないから幕府よ何とかしてくれ
と言うあたりだろうw

590:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 17:30:03.16 tv5saXuZ0
まあもともと朝廷は合議制ですから。
合議制だからこそ時々独裁者が出てくるわけで。
それから中川宮等によく相談してますよ。
天誅がなかったらもうちょっと早く意思表明できていたかもね。

591:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/15 22:03:23.94 c6oJynDs0
>>587
攘夷の勅命出したから薩英戦争や下関戦争起きてるんだが?
取り消しもしてない
朝廷が困ってたのは孝明天皇自体は公武合体で幕府と仲良くやるべきと言う意見だったのに
京で佐幕派が斬られまくり暗殺が横行し治安が悪くなったから

592:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 02:41:30.77 u08aBqaCO
>>591
攘夷の勅命ださせたのは長州ら攘夷勢力
それが馬関戦争の講和談判で攘夷は朝廷と幕府の命令で長州の責任じゃないって言うんだから

593:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 07:19:24.21 4vDefKRM0
当時の朝廷は公武合体で攘夷でしょ
内政問題の佐幕、公武、勤王の対立と、外交問題である開国と攘夷をわざとごっちゃにしてるね

公武合体・開国だった長井は江戸では幕府の支持もあり成功したが、
攘夷の高まりある京では失敗し(久坂らの反対工作もあるけど)、毛利家まで危険になり敬親は家臣を朝廷に謝罪させ、敬親自身も入京し藩論を転換してる
しかも薩摩の生麦で攘夷をやった為に長州は人気も地に落ちて長井は切腹
西郷隆盛も長井を天下の奸物として暗殺も是認してる位だからね

594:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 07:32:11.71 4vDefKRM0
>>585
サトウの日記全て正しいと信じるのが遥かに無理ある
サトウは後年公使にもなってるイギリスの利益代表者
自国の利益のためにアヘン戦争まで起こす国の代表者の日記で、いわば自国にとって不名誉な非公式の申し込みをわざわざ書くと思えないしね
伊藤が後年で単純な記憶違いしたならともかく、明らかに虚言の創作話した事は考えにくいからね

595:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 11:07:40.06 6hMTwPkE0
>>591>>593
天皇は長井雅楽の航海遠略案を内諾してたんだよ。
けど攘夷の勅命出した後だったから、
朝廷は内部の攘夷派対策を含めて、
どうやって軟着陸させるかに頭を悩ませた。

朝廷が幕府に対して優位になってきているのは、
勤王の思想だけではなくて、攘夷の勅命を幕府がなかなか実行できない
という事実に支えられる所が大きかったため。

「攘夷」の中でも、高杉のいうような租借の問題だけではなく、
攘夷親征のような無謀な考えまでなかなかなくならなかったのは、
朝廷、志士の対幕府の思惑に支えられる所が大きい。
「幕府は一体何をしているんだ」って言い続けられるから。
その証拠に倒幕が終わったら、ほとんど皆、開国に転じた。
「攘夷」の中には、租借問題のように重要なものもあるが、
倒幕の方便に過ぎないものも多くある。

596:名無しさん@お腹いっぱい。
11/05/16 19:59:59.09 KxrdUJdg0
航海遠略は文久元年の策、攘夷の勅命は文久3年。
当時の攘夷論の主流は、井伊直弼が朝廷の許可無く勝手に結んだ日米修好通商条約の破約攘夷論。
不平等条約の破棄の為に、戦も辞すべきではないという考え。
幕府総裁の松平春樂らも一時期この考えだった。
慶喜の反対で、国内破約攘夷派を騙す事になった。

攘夷が不可能だったのは、挙国攘夷が出来なかった為。
攘夷の勅命が降りても、実際に戦ったのは長州藩だけ。
攘夷戦で敗れたと言われるが、戦ったのは長州一藩に対し相手は四カ国の連合艦隊で最初から戦力差がかけ離れて敗れるのは当たり前。
薩英戦争ですら薩摩藩と英国艦隊一国の戦いでしかない。(しかし薩摩一藩で英国と互角に戦ってる)

破約攘夷を捨てたのではなく、各藩の利害が複雑にある封建体制では挙国攘夷が不可能な為、まず幕藩封建体制を打破し国民国家統一国家樹立を先決と考えたに過ぎない。
破約攘夷は新政府出発からの目標で幾たびも改正交渉を行ってる、結局中岡などが幕末に説いたよう内治の改正や外交交渉だけでの破約攘夷は不可能で、日清、日露戦争と戦を経て最終的に不平等条約を改正し破約攘夷を達成してる。



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