11/01/31 15:46:02 Io4d44+RO
>>108
山県「高杉が何か言ってた」
田中光顕「高杉先生がイヨッ征夷大将軍!って言ってたんですよ~格好いいでしょ^^」
光顕は良くいうと故人への顕彰精神が強い
悪くいうとややホラ吹きなところがあるので
話半分に聞いた方がいいネ
110:名無しさん@お腹いっぱい。
11/01/31 16:15:55 rYr+VlDHO
高杉ならやりそう
111:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/01 11:22:27 I+OweGzZ0
山田顕義の銅像もあるョ。
112:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/01 13:20:57 UprvET400
>>109
高杉が平服で扇子一本で軍艦に乗ったというのも
田中のホラのたぐいかな
後の世の小説家とかにはずいぶんネタを与えてくれたね
113:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/01 22:25:00 Zs9MnD4JO
>>112
ホラとは限らないが美化補正が掛かってる可能性がある
田中は高杉の漢詩もプロに添削させた上で出版してたしな
悪気は無いんだろうけど一坂太郎がウザそうにしてた
ちなみに高杉の着流し立ち姿の写真で差してる刀は田中から分捕った逸品
114:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/02 22:41:51 N+6zwc8GO
一坂さんは真っ当な人ですか?
115:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/03 21:03:04 on+hSOarO
>>114
高杉に関する著作の多い山口の学芸員じゃなかった?
どういう研究姿勢の人かは知らない。
高杉の格好良いイメージは光顕に負うところも大きいんだから邪険にしなくてもねぇ。
116:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/04 06:11:37 ldpKt0Ov0
>>115
一坂太郎についての評価はともかく。
この板このスレで一坂を知らないような素人はスっ込んでろと。
んで>>114は、下関(東行庵)側、一坂(萩&高杉家)側の主張を均等にネットで読んで
適当に自分で判断せい
117:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/04 11:45:21 TdiEQ8R10
高杉って楠木正成を尊敬してたのかな、って思っちゃたりする
118:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/04 18:08:15 8uBFjp2D0
i|; ..|i ┃・・
j!ノハ i| ..|i ┣━
}__ノ、 i| ..|i .┃ ━━
/|レ'/\ i| ..|i . ━ .┃
/ '// ヽ i| .|i ┃
/ | // .¶ / | i. i| .|i .i ━┛
∟イヾ┓_||{ | i. i| .|i .i
┃ ~^┣━皿━卅 i. i| .|i .i . /
┗i━┛ ̄||∨ i. i| .・ .|i .i /
|人 /|| i. ゚ .i| ,.|i .i ./ ・
└ yヽ_/ || i. i|;⌒;;|i .. /i 。/ .゚ ./
〈 / |j \ . 。 i. ⌒ ^ ..;;).i⌒/ / ゚
/ ノヽ、 \ ( ⌒ i ;;^.i/i /: ./ / .
,、/ ./ ヽ、ゝ \\(.. ::゚ ⌒。( . ::: ∠_)/ .
ヽ ヽ{ ν' . \\( :: ;;゚ 。/ ⌒ 二=-
`´ -==ニ二( ⌒:;;; ;;);;; );;;ニ==- .
-=二二_三( ヾ|ii |i!i | i |゚!!i ! || |i //三二二=-
119:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/05 02:43:41 vn2WmCw00
↑ あらら まだこんなこと
120:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/05 22:19:22 4fId6Yec0
>>117
木戸は明治になってから神戸に来ると楠木正成の墓(湊川神社?)に参拝してるから
高杉も正成を尊敬していたと思われる
121:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/06 12:35:02 gIwp1I150
>>116
ググったら揉めてるね
いったい何でこんな事に…
122:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/08 20:46:41 WG0AgRI/0
プラズマクラスター効果なしwwwwwwwww
URLリンク(twitter.com)
123:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/09 15:21:42 RIQ3XD4l0
>>120
やっぱり勤皇精神持ってる人物にとってはスターなんですね。楠木は。
124:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/10 23:41:10 zKnLt1lG0
>>104
井上馨と高杉晋作じゃ色々と違うから、似た様な事はしなかったんじゃないかと思うんだけどな
(流石に汚職の類を全くしなかったとは言わないけど)。
とりあえず高杉晋作だったら政商の皆さんとは一体どんな風に関わったんだろうかね?
そっち方面は余り得意じゃ無さそうなんだが。
125:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/16 00:49:30 plNng3L6O
御所に大砲ブッ飛ばしたチョンシュー
126:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/17 18:20:39 9TZ6SBJP0
死んでなければ初代首相
127:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/19 10:20:06 7ylORfj/O
意外と詩人になってたかも
128:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/20 23:40:02.87 uuZKH9HP0
URLリンク(auction.thumbnail.image.rakuten.co.jp)
上の楽オクに出てる15巻の高杉晋作は非常に興味深い内容だったよ
129:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/21 09:42:25.40 ZEhcdvxb0
>>126
政治家って性質じゃないだろう、高杉はw
調整とか周旋とか面倒臭がりそう
130:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 07:44:48.63 hy+yhtxM0
う~ん、司馬遼太郎も高杉は政治家には向かないとか書いてたけどどうだろう
俺は政治家にも向いてると思うけどね
高杉が現代に生きてたらきっと朝青龍みたいな奴だったろうな。
破天荒で無茶苦茶やるんだけど、なぜか憎めない
131:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 09:10:59.36 YIA7hJYI0
個人的には、せっかくクーデター成功させたのにそれとは全く関係ないところで長府藩と攘夷派の憤激買って
刺客連に狙われた挙句藩から脱出せざるを得なくなった辺りが、政治家としての才能を測る上でかなりマイナスだと思うw
幕府の艦隊に殴りこむ辺りの格好よさとのギャップが面白いんだがw
132:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 09:41:24.29 hy+yhtxM0
この人って真症のキチガイではないよな。どっかのスレで高杉晋作は妄想性人格障害って書いてあったけど、その可能性は高い
何から何まで計算ずくで行動してるんだよな~
133:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 10:37:35.08 c9gRdo+IO
ぶちギレて飛び出して脱藩扱いになったり帰るに帰れなくなって迎えにきてもらったり
うっかり失言で奇兵隊にそっぽ向かれるのが計算ずくですか
134:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 16:44:23.96 cwdljvvC0
新政府でブチ切れて奇兵隊率いて反乱起こしそう
135:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 21:13:07.90 nwFz14CE0
高杉の逸話でさ。子供の頃にタコ上げしてたら
おっさんが来て高杉のタコをふんづけてしまい
高杉に因縁つけられたがおとなしく謝った
みたいのがあるじゃん。アレは本当なんだろうか?
あと高杉が凄い奴みたいになってるけど。ガキ相手に
土下座したおっさんの方がすごいよね。
136:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/24 21:27:25.22 nwFz14CE0
tes
137:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/25 00:15:37.36 QECkUE9O0
高杉晋作と伊藤博文のコンビが好き
138:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/25 09:13:30.73 mcWeCcdE0
高杉が維新後も生きてたら、どこに所属するにせよ伊藤の気苦労が増えたことだけは間違いないなw
まぁ俺は、五稜郭終わったら速攻で欧米へ留学しに行きそうだと思うけど。
クーデター後に一度行こうとして断念してるし。
139:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/25 16:44:02.40 L/3zHgNH0
挙兵を扇動したのに失敗、「逃亡」と奇兵隊日記に書かれるありさま
諸隊の実権はいつしか山県に握られてしまった
140:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/25 19:12:26.97 cH/YBI0ZO
まあ世間で思われているイメージに反して意外と挫折は多いかもね
それでも最終的には鮮やかすぎるくらい鮮やかに勝利するからいいんでないの?
141:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/25 20:53:39.45 xpDmHN4O0
生き残ってたら萩の乱の首謀者になってたと思う
142:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/25 23:02:55.47 SggdiMJhO
高杉は前原ほど理想主義でも純粋でもなさそうだし、
海外逃亡試みたり伊藤井上から洋行の話を聞いてるし、急激な洋化に反対するとも思えない
明治政府の路線に反対するかなあ?
143:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/25 23:49:15.80 kbsxoOWg0
高杉は確実に洋行すると思う
帰国後は井上と楽しくなんかやると思う
144:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 01:19:46.20 bjuhHTTz0
自分も洋行してたように思う
新政府に対して何か行動を起こしたとしても
少なくとも“周囲に担がれて”という形ではないような気がする
145:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 07:23:02.60 usnLfXZz0
新政府に何かするとしたら木戸といっしょだろうし
だとしたら反乱とか武力を武力を使った形ではないだろう
もっと新しいこと考えると思うね
146:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 08:58:10.03 7R84lJ9p0
高杉が洋行したら木戸が残るだろうから。
そうしたら木戸が萩の乱の首謀者になるかも。
147:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 09:22:38.70 usnLfXZz0
? イミフ
148:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 16:00:26.52 bjuhHTTz0
>>145
>もっと新しいこと考えると思うね
同感
木戸と行動を共にするかどうかはわからんが
反乱といった形ではないような気がする
高杉は他の人間にはない天才的なひらめき感があるように思う
149:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 17:49:06.39 w58D7iSdO
高杉が生きていたら少なくとも大村暗殺後の軍部内での長州閥の削り合いはなかったろうな
150:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 18:37:42.70 XMBQZNd90
過大評価がすぎるわ…
151:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 19:06:35.76 1mT2KcO70
>>147
だって岩倉使節団で高杉が行ったらバランスとって木戸は国内に残るだろ。
大久保が行って西郷が残ったように。
とすると木戸が征韓論者になってた可能性はあるし。
152:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 19:36:24.80 w58D7iSdO
>>151
バランス取って木戸の代わりに残るのは廣澤だろが
ていうかあの時の木戸はなにがなんでも洋行する気だったようだが?
153:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 19:44:32.00 1mT2KcO70
広沢って木戸洋行前に暗殺されてなかったっけ?
154:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 19:49:07.35 w58D7iSdO
そうだっけ
それはすまんすまん
155:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 20:28:04.47 nrrJdYwn0
木戸は版籍奉還ごろまで征韓論を唱えてはいたが、
脱退騒動やら各種一揆やらを通じて漸進主義に戻りつつあったから、
岩倉使節に参加しなくても、参加した者の話を聞けば征韓反対に転じたと思うな。
ていうかなんで、いつの間にか高杉の洋行=岩倉使節団になってんだw
それより自分でとっとと行くだろうあいつはw
156:155
11/02/26 20:30:40.12 nrrJdYwn0
×版籍奉還 → ○廃藩置県
スマソ
(あわてて急ぎ訂正カキコしようとしたら、初めて連投規制にひっかかったぜ)
157:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 22:38:27.41 Rnz1Ullo0
高杉の思想がよく分からないんだよな。君主好きだったらしいから
廃藩置県とかになったら反発してたかもしれないし。そもそも
明治政府とかで仕事できるタイプじゃないだろうから。長州に引っ込むわけでしょ。
不平士族に担がれる事もありえるじゃん。しかも奇兵隊とかに。
158:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 23:09:22.80 ZFTBTxa70
高杉は行動が派手に見えるからいろいろいわれるが、相当論理的な思考の持ち主だろう
しかも確かに殿様大好きだが、それは木戸も同じなわけでw
毛利元徳(そうせい侯の跡継ぎな)は廃藩置県に先立って
自分から辞職願+中央集権徹底すべしの建議を出そうとし
木戸でさえ「ちょっと待ってください」といったぐらいの人物だから
高杉の廃藩置県への反発はありえない
むしろ毛利家のために事業を起こそうとネタ探しを口実に元徳つれて海外へいくかと。
159:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/26 23:34:27.88 Rnz1Ullo0
なんか海外が多数派しめてるけど、明治入ってから簡単に洋行はできないだろう。
長州派閥のNO2になるわけだし。木戸が1とすれば
岩倉使節団だって多分国をあげての大事業だったわけでしょ?
金にズボラな所あるから汚職とかして西郷あたりともめたりする事もありうると思う。
山県、井上を大きくしたパターン
後、戊辰とかはどうなったんだろう?大村がいるけど高杉いたら高杉が江戸城行って
西郷と対決してたのかな?
160:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/27 00:15:19.61 XP+W+mBW0
簡単に洋行できなくとも長州ナンバー2だろうと高杉だったら行っちゃいそうな気も。
161:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/27 06:51:47.78 hFJdvsYKO
使節団とは別に洋行したのも結構いるしね
軍部だけでも山田とか山縣とか
162:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/27 20:43:15.03 EGHnhwGB0
てかむしろ、第二次征長終わったとこで速攻行きそうな気がする…
元治の内乱後からずっと行く行くいってるし。
しかしそうなると、政治は木戸に広沢に井上、戦争は大村も山県も山田もいるからいいとして、
通訳兼パシリとして伊藤連れてっちゃうのが困るな。
伊藤には少なくとも明治2年に大蔵省にいてほしいんだが。
163:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/27 22:40:54.57 mwJpVSzY0
西郷にライバル心持ってたみたいだから
戊辰スルーはないんじゃね?
164:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/27 23:05:02.94 0jwe0XJm0
奇兵隊討伐の指揮執ったの木戸だっけ。
高杉も同じ立場に立っていたと思うよ。
165:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/27 23:12:46.40 XP+W+mBW0
>>162
じゃあ伊藤には頑張ってまたもやトンボ帰りしてもらおう。
しかし高杉が生きてたら伊藤はパシリ卒業できないってことだね(笑)。
166:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/27 23:23:31.46 hFJdvsYKO
>>163
高杉が戊辰戦争に行ってたら会津の処分はどうなってたのかなあ
さっさと降伏を認めそうな気もするけど
会津とプロイセンとのあれを知ってたら徹底的に叩き潰してた気もするし
167:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/27 23:30:35.18 ZTRu1hcJ0
いや、史実伊藤も、高杉&木戸のパシリから、日本政府のパシリにランクアップしただけだからw
伊藤がパシリ卒業するのは大久保の死後じゃないかな~ きわめて有能なパシリだけど
168:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/27 23:36:27.57 mwJpVSzY0
高杉が生きていても伊藤は大久保につくだろうしな。
169:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/28 08:44:28.01 HVKeBxJR0
>>159
クーデターで俗論派一掃した後は長州の最重要人物の一人だったのに、
んなもん関係ねぇとばかりに洋行しようとした実績があるからなぁw
170:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/28 10:56:35.77 Bd9hJn3v0
>>166
高杉なら明治政府側として参戦した彦根藩を後ろから攻撃しそうな気がする
171:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/28 21:14:43.20 VHHzkyWL0
他藩士と繋がりがないから明治政府で浮きそうだな。
中岡慎太郎とかがいてくれたらなんとかなりそうだけど。
172:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/28 23:16:50.20 ezWkJVxC0
明治政府に行くよりは藩政に関わると思うが。あと地場産業や貿易業の育成な。
たまに東京来て井上んちや木戸んちで三味線弾いて飲んだくれる。
173:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/28 23:48:27.96 VHHzkyWL0
>>172
その手の仕事できるのかな?特に育成なんて無理っぽいけど。
軍事にしたって奇策の人だから大村みたいに陸軍の基礎作るなんてのも
無理そうだし。体制派にいては使いどころのない人だろ、高杉って。
174:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/01 00:02:30.64 S7xSh+yxO
維新後は後藤象二郎系になってたんじゃね
175:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/01 00:02:32.75 DL6oSqb60
でも交易とかには相当興味持ってるし、地場商人とつながりが深いからね。
アイディア出してあとはよろしく、になるにしろ、
地元のためにいろいろ考えるのはやりたいほうだと思うな。
木戸が士族授産とか長州の産業とか考えてたころに、
「輸出するなら女性好みのものがいいよ」とか書いてる書簡を見たとき、
ああ、高杉なんかこういうこと好きそうじゃね? と思ったんだよね。
176:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/01 09:32:29.55 i//Pf0Na0
地固めってよりは閃きの人だからなぁ
政府に飽きた後は井上辺りと起業して楽しんでそうな気もする
177:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/01 12:31:08.24 novYjqGN0
>>159
>大村がいるけど高杉いたら高杉が江戸城行って西郷と対決してたのかな?
西郷と対決するかどうかはともかく、そうすると「花神」で海江田と対立するのは高杉で
しかも海江田は士族としての身分でも高杉を叩けないというジレンマに陥るわけですね?
>>175
でも繋がりの深かった白石さんは貢ぎすぎて破産しちゃったお。
178:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/01 21:28:31.42 ntEvy42R0
結局大村の代わりに暗殺されてそうだな。
179:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/01 21:48:12.51 /WxLXmYkO
高杉だったら不穏な空気を悟ったら護衛をつけるか逃げるかするのでは?
180:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/01 23:45:11.48 q7LApTIIO
>>178
神代直人の気配感じた途端に逃げるに10カノッサ。
181:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/02 00:12:56.26 IiiqKvhl0
高杉の神代直人センサーはなかなか優れものだったのでは。
182:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/02 01:13:43.66 X1KLt4X20
>>177
白石さんのほかに入江和作も伊藤助太夫もいたお。
おうのさんに西洋のかばん土産に買ってきたりとか、
何となく小物好きのイメージがある。
カリスマバイヤーになれるかもしれん。
183:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/02 08:02:11.45 PW9d8D+I0
ところで四境戦争ってどういう役割分担だったの?
海軍 高杉 陸軍 大村
って事?幕府側は桂が全面の指揮とってたと思ってたらしいけど
実際どんな感じだったんだろ?
184:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/02 22:06:15.26 vblEaBL60
大本営:山田宇右衛門(首座)、桂、廣澤
軍務掛:ますじ
高杉は海軍興隆用掛→馬関口海陸軍参謀→海軍総督
某小説ではこうなっているが、正直肩書きが何がなんだかよくわからないw
185:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/03 08:16:23.41 6S0Gdrwg0
四境って言うぐらいだから4つの進路があってそこを防衛してたわけでしょ?
一つは大島でそれは大村が捨てて高杉が奇襲したってのは知ってるんだけど
残りの3つはどうなってるの?確か大村が軍を率いて戦ってたりするんだけど
それでも後二つ。高杉ももう一つぐらい戦ってたのか?あとは山県あたり?
186:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/03 10:50:40.06 8EmZ4hLSO
高杉が奇襲っていっても別に独断でやったわけじゃないけどね
普通に上層部から命令されたから行って、奇襲という効果絶大な実行をした、と
187:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/03 12:41:53.09 OD+MXa4A0
>>185
自分あんまり詳しくないんだけど指揮官は
大島奇襲→高杉
石州口→ますじ
芸州口→
小倉口→高杉じゃなかった?
芸州口は聞多って話を聞いたことがあるんだけど、
ググってもはっきり分からなかったのであけときます。
188:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/03 13:14:03.27 GqxXCFMG0
石州口と芸州口と小倉口と大島口で四境ね。
それぞれ実質的な指揮官は、
石州口・大村益次郎
芸州口・井上聞多、山田顕義、河瀬安四郎、太田市之進とか
小倉口・高杉晋作
大島口・世良修蔵、泉純成、高杉晋作(海軍)
ってとこじゃないかね。
当時は軍議制だから分からん所は分からんね。
ちなみに山縣有朋は奇兵隊軍監だから小倉口。
189:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/03 17:47:37.42 6S0Gdrwg0
伊藤はどこにいたの?後、乃木とか
190:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/03 20:17:00.61 8PnPVZWB0
age君はここでも質問ばかりですか
191:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/03 21:26:33.34 51LcVHnW0
歴史通という雑誌の3月号に「高杉晋作 奇兵隊の真実」と表紙に書いてあって、
『高杉晋作 奇天烈奇兵隊/中村彰彦』という記事が載っていたので
少し読んでみたけど、只の長州への誹謗中傷記事で、酷い内容だった。
192:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/03 22:12:23.49 Sq7wH3NUO
>>189
伊藤はまだパシりだったので、いろんな物を調達する役回りだったはず。
193:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/03 22:53:59.32 6S0Gdrwg0
井上の方がこの時期は上だったんだな。まあ井上は上士らしいけど。
調べたら芸州口だけ引き分けだったらしいね。最新の武器使って引き分けって
ことは井上たちは本当にどうしようもなかったんだろうね。
小倉口の時はもう高杉はもう病でだめになってたらしいから山県が指揮取ってた漢字化。
調べたら前原が小倉口だったんだな。戦ベタの前原が参謀心得って大丈夫だったんかね。
194:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/03 23:20:29.08 DAnNBcdn0
>>193
どうしようもなかったとかそういうことは双方の戦力やら地形やら調べてからいえや
195:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/03 23:25:03.50 8PnPVZWB0
史料を調べる気なんてない奴に何を言っても無駄
196:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/03 23:36:16.46 6S0Gdrwg0
けどさ。井上たちは地元だよ。地の利もあるのに
引き分けって。それに防戦は待ち構えてる分有利なのに・
197:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/04 09:30:08.59 1po+mVe70
>>196
おま……井伊・榊原が壊走した後に出てきた紀州藩兵と幕府歩兵隊は、
最新鋭装備の幕府軍主力部隊だぞ……
しかも藩主茂承が御先手総督で、紀伊新宮藩主水野忠幹が部隊を直卒して最前線に出てくるぐらい士気も高かった。
そもそも、彼我の兵力が隔絶してたことを忘れてんじゃないか?
余りにも幕府軍を馬鹿にしすぎだろ。
198:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/05 00:19:25.81 v5JtxUdX0
少数が買った例として、世界史でもまれな戦力差じゃないかってあったな
野口氏の『長州戦争』だったかな?
199:198
11/03/05 01:18:13.83 v5JtxUdX0
×買った → ○勝った orz
200:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/05 08:24:25.11 b6dFTTiR0
第二次長州征伐で活躍した世良修蔵をお忘れではないか?
201:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/05 18:10:43.34 ouXoyQ5r0
歴博の木戸家写真展に行ってきた
小さい頃の東一(梅之進)の写真が2枚あった
高杉を丸顔にしたような顔だった
202:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 03:32:32.20 vBJ/RM7O0
東一の写真といえば
萩の高杉家に木戸夫人(幾松)と東一の2ショット写真が飾ってあって
なんかグッときた。
203:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 06:31:32.67 ibEMbhpG0
うん。片方はそれ。もう1枚は木戸と正二郎と東一。
204:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 14:30:49.81 vBJ/RM7O0
もう1枚はたぶん見たことないなあ。
普段はどこに収蔵されてるかわかる?
205:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 15:31:20.88 zmzJddTh0
いやだから、歴博に寄贈された木戸家資料。明治四年五月、まだ木戸はちょんまげ。
椅子に座った木戸が、立ってる梅之進を両足の間に抱え寄せるようにしてるんだ。
ゴールデンウィークぐらいまで、寄贈資料中の孝允~幸一に至る写真資料展やってる。
幕末写真はほとんどないし、高杉本人の写真もないが、近代史に興味あれば楽しめるんじゃないかと思う。
206:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 15:38:13.29 zmzJddTh0
もしかしたら初公開って可能性もあるのかな
木戸が東一の写真とっといて小忠太パパにやらないわけないと思うから、
高杉家にもあったんじゃないかと思うけど
実際松子さんとの写真はあるんだしね
今回の展示とは関係ないが、寄贈資料目録を見たら、高杉の「投獄文記」があって、
この木戸家にあったのが原本に当たるらしいよ
207:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 16:07:47.58 vBJ/RM7O0
なるへそ。
遠方なんで歴博に運ぶのは難しいかもしれんが
近くまた萩や下関に行くので複写ないか注意しとくよ。
萩の木戸さん家もかなりの写真展示あるから見落としの可能性もあるしな。
208:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 18:01:20.07 LCKPOLES0
俺も歴博いってきたけどもう一枚は高杉の息子か怪しいと
思う。顔が違うんだよね。丸みがなくなってたし。
209:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 19:28:10.54 9Tvp1xOk0
てs
210:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 19:46:58.44 vBJ/RM7O0
もう一枚の写真を見てないので何とも言えんが
なぜ萩の高杉家には木戸夫人との2ショットしか飾られてないのかとは思うね。
211:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 20:10:42.72 Y8MIiwB10
まあ昔の写真だし確とした証拠はないわけで、ぜったい確実に東一とはいわないが、自分は東一だと思った。
図録でよくよく見たんだけど、松子との写真と目のつり具合や、何より口のひん曲げ方が同じ。
松子との写真は一年近く前のだからね。この年頃の幼児が一年経てば顔の丸みはある程度なくなるだろう。
木戸の日記の「正二郎と梅之進つれて写真屋行った」って記述とも合うしね。
アルバム面には鉛筆で松菊公と彦太郎と書いてあるそうだが(鉛筆なので当然当時のメモではない)
年齢的にどっちの少年ともあわないし、何よりこの時期彦太郎はすでに日本に居ないからね。
212:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 20:17:39.56 LCKPOLES0
木戸の子孫はその後も重要職についてるのに
高杉の子孫はどうしたの?
213:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/06 23:32:02.06 vBJ/RM7O0
東一は外交官
214:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/12 10:44:28.72 eMM+3J+o0
高杉が生き残っていたら、伊藤や山県のように
長期にわたって明治政府の重職にあったとは考えにくい。
旧知の五代とともに大阪で実業家になっていたのでは?
215:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/12 10:51:11.66 eMM+3J+o0
久坂玄瑞や吉田稔麿が生き残っていたら、
伊藤や山県のレベルかそれ以上の主要政治家に
なっていた可能性が高い。
(野村靖は期待はずれだったが。)
216:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/12 18:13:00.20 Cd/M91hN0
久坂ってガチガチの攘夷家じゃなかったっけ?
明治政府とそりあわんだろ。前原タイプ。
217:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/13 00:54:12.38 9m07Y6OW0
久坂も孝明帝の勅許を得てないから反対派で、
和親条約破棄までは言ってなかったと思う。
218:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/13 09:20:06.03 jkyzENXV0
>>217
けどナガイウタの暗殺を計画したりで保守派だよ。
生き残っても西郷の手先で西郷と連合して萩の乱起こして
事態を大きくしてたと思う。
219:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/13 14:47:33.63 NGiElI/r0
幕末の活動について「保守派」とか曖昧な言い方されてもコメントのしようがない罠
220:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/13 16:46:46.64 jkyzENXV0
保守派があいまいなのか?まあいいけど。
つまり日本文化守って外国文化が入る事を拒絶するタイプだったと思う。
久光とかと一緒。高杉みたいに柔軟性もなさそうだから
生き残っても木戸と対立するのは目に見えてる。そもそも木戸と久坂は
派閥ちがうからね。
221:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/13 18:21:47.34 M1YqQ2VX0
また始まったよ派閥厨
222:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/13 21:31:18.51 lqjiz3+BO
このアホ派閥厨マジでどっか行ってくれないかな
223:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/14 19:27:51.32 K1bRXiTwO
久坂は大村の講義受けてたし、長州ファイブの留学についても肯定的。
それに久坂の兄は当時の蘭学における最高峰の適塾の塾頭だぞ。
元医者だから身分にこだわりが無いし奇兵隊の前身である光明寺党を組んだのは久坂。
明治になったら間違いなく開明派筆頭になっていただろうよ。
前原や西郷よりも江藤に近いと思う。
224:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/14 23:05:34.37 g96a7AcN0
光明寺党は四カ国艦隊襲来のときも、最後まで崩れずに頑張ってたらしい
225:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/15 19:26:35.24 d5xoHl920
>>223
学問や技術は取り込むべきだけど文化を入れてはいけない
ってのが当時の知識層の攘夷派じゃねーの?
下の攘夷派は学問や技術もダメみたいなのがいたみたいだが。
226:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/15 22:55:22.62 XvB8aIEP0
学問も技術もダメって連中は考えが変化しにくいが
知識層の攘夷派の場合は諸事件や新たな知識が思想に変化をもたらしていく
このときにこうだったという話で将来を予測するのには無理があるかと
227:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 04:11:02.09 cHCh8iRg0
伊藤や井上がイギリスに密航したとき、
久坂はすでに京で重要人物すぎた。
師の吉田松陰も米国密航を試みたし、
久坂もイギリスに行きたかったと思う。
生き残っていたら、木戸、広沢と並んで、
長州出身者の代表格となっていただろう。
228:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 04:15:18.95 cHCh8iRg0
前途有望な若者を失ったことは
日本にとって大きな損失だった。
229:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 18:54:02.66 rnXXp8LX0
>>227
同じ松陰の弟子の前原が乱起こしてるのだから
松陰の弟子だからという理由で立派になるとは限らない。
そもそも久坂って松陰の妹あたりと結婚してたんじゃなかったっけ?
ってことは松陰の叔父だっけ?萩の乱に加わった人。そこあたりと
組んで乱起こす可能性の方が高いだろ。
230:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 21:56:17.47 W3DnE2RSO
下らない妄想はご自分の日記に書いて下さい
231:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 22:08:54.77 rnXXp8LX0
妄想かなあ?ていうか俺は松陰自体が生き残ったら反体制側に回ると思うよ。
232:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 22:16:19.25 W3DnE2RSO
下らない妄想ですね
さようなら
233:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 23:04:48.28 4cIZunLm0
もちろんまったくあり得ないとはいわないけれど
松陰や久坂の活動が何のためのものだったかという根本に立ち返れば
そう簡単に反乱側にまわるとはおもえないなあ
少なくとも旧体制の維持に汲々とする人間ではないことは確かだ
幕藩体制が倒れたからには、反乱以外の方法で矛盾の解消をめざすほうが実際的
久坂は自ら政界でがんがんやるだろうし
松陰はいろいろ方策考えて久坂や木戸や弟子たちを焚きつけるだろうね
234:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/16 23:14:26.65 rnXXp8LX0
>>233
政界でガンガンって。久坂とか松陰が明治政府でガンガンやってたら
明治政府滅んでたと思う。木戸のバランス感覚があったから
なんとかなった所多いのに。松陰や久坂が自己主張したら薩長で分裂してたよ。
だいたい松陰とかはキリスト教が入ってきて日本の文化が崩れるのを恐れてたのに。
キリスト教を国教にすればいいとまで言った伊藤博文あたりと
まとまるわけがない。
235:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/17 00:27:45.08 iGwnX3+80
人間の主張は変わってくもんだよ
木戸だって、浦上四番崩れのときにはキリスト教徒にかなり過酷な裁定を下しているが
廃藩置県後の段階では、いずれキリスト教信仰を解禁すべきだが、
現段階では人々の反感が激しく難しいので時期を見てという意見に変わっている
がんがんってのは別に過激な政策を強行するって言う意味ではなく
いろいろ議論して主張を通すって意味だよ
松下村塾は本来は、学問と議論を実践に生かすって主義で、
過激だったのは時代の矛盾が激しく、松陰にとって他に手がないと思われたから
希望通り木戸が政治の中枢に座っている以上、下手に過激な行動をとる必要はないし
久坂だってそれは同様なんだよ
236:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/17 07:34:16.69 PhKGTszd0
そもそも彼らの「攘夷」にしたって、それを時代を動かすエネルギーにしようという面が強かった
さて時代は動いた、国政に参画するチャンスが生まれた、
得意な言論を政治に生かすことが出来るようになった
……なんで反乱起こすって? 木戸と議論したり連携して動いたりすればいいだけじゃね?
237:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/17 08:23:20.28 wEjnsooo0
攘夷は時代を動かすエネルギーだからあえてやっていた
ってのはうそ臭いと思う。司馬の創作だろ。当時の攘夷家は
本当に西洋恐れてたって。
238:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/17 12:00:31.02 mNarrGxj0
なんでそう一色に塗りつぶそうと考えるかね
外国憎し怖しで凝り固まった攘夷家もそりゃいるよ
しかし世論を動かした志士らは、外国の脅威を理解しそれに対抗できる国づくりをめざした
長州の奉勅攘夷は、他の勤皇派を結束するためにも貫く必要があると認識された
だから一方で外国に対抗する技術を得るべく留学生を送り出したわけだ
特に久坂のような草の根活動を重視する連中には
攘夷が人民のエートスを高めるための方策としても意識されている
単に方便にすぎなかったとまでいってるわけじゃない 両義性があるってこと
このへんは当時の水戸学や国学の受容のされかたをを調べれば納得できるんじゃまいか
239:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/17 19:40:14.41 ADP4yrDoO
久坂はロシアに行こうとしてたよね確か
240:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/18 08:16:31.41 ag0yuMAp0
宮部鼎蔵や真木和泉が生き残っていたら、
士族反乱に参加するか、政府側についたとしても、
元田や佐々木とともに保守的な侍補になるのが、
せいぜいだっただろう。
久坂は彼らと違って柔軟性があった。禁門の変の
時も最後まで反対していたし、高杉同様、西洋の
技術を導入する必要性を強く認識していた。
241:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/18 19:05:18.50 U1BZdiUF0
だから久光だって西郷だって西洋の技術に対しては
必要だと思ってたでしょ。前原だって江藤だって西洋技術は
必要だと思ってただろうし。
萩の乱のときは「木戸が毛利の手柄を自分の物としてる」みたいな事が
乱の動機なわけでしょ。一応。だから高杉だろうが久坂だろうが松陰だろうが
生き残ってりゃ乱起こす可能性あるよ。
242:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/18 22:00:51.01 0j62UFK9O
お前はいい加減にお呼びじゃないことを認識してくれ
243:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/18 23:27:32.36 dOwMfmNY0
うーん 前原と木戸の関係と 松陰や高杉や久坂と木戸との関係をいっしょにされても困るんだが
松陰や高杉や久坂は、木戸が「殿様LOVE」な人間だってことよく知ってたろうし
何よりこの4人はお互いに議論しあうことが三度の飯より好きってぐらいの連中だからなあ
そういや、木戸関係文書の高杉書簡で前原についてふれてるやつ
解説では「高杉の前原への信頼があつい」ってな説明されているんだが
どう読んでも「高杉に先行きをものすごく心配されている前原」としか読めないんだがどうよ
244:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/18 23:55:49.52 0j62UFK9O
前原の面倒を見てやってくださいってやつだっけ?
まあわざわざ(解説で)特筆する程信頼が厚いなら
後継者選びの時に名前を出しても良さそうだけど
245:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 00:36:25.71 sLN7Oz6Q0
それそれ 前原は諸隊に突き上げ食らって抑鬱状態だったらしいね
高杉はあれで案外折目正しい奴だから 同じ大組士で塾生の年長者の前原を尊重してたんだろうが
「来原みたいに腹切っちゃうとまずいんでしばらくこっちで面倒見ますから!」とか
「前原をよろしく面倒見てやってください!」とか
「前原萩に帰っちゃったんですか!? 何かあったんですか?」とか
あの高杉が前原の面倒を必死に見てる感じでおかしい
246:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 07:37:27.43 HRVWUHpL0
>>243
木戸との関係がどうであろうと関係ないでしょ。
西郷と大久保の関係知ってるでしょ?
勢力でみないと。松陰も高杉も生きてたら不平士族あたりに
持ち上げられるって。
247:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 07:51:12.29 V19UNnT20
権力闘争の敗者が武力で政権割り込みを図って
士族反乱のリーダーになったんだ。誰でも政権から
弾き出されれば可能性はあった。
248:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 08:00:10.95 G4zSZsxBP
なんか薩摩で得た知識をそのまま長州に当てはめようとしてるみたいだなw
249:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 09:00:32.36 WdN6UM/M0
勢力でみないとって、その勢力の見方があんたもともとゆがんでるんだって
何度いったらわかるんだよ
250:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 09:12:07.18 WdN6UM/M0
・あんたが何度も持ち出す萩の乱はろくに仲間が集まらず瞬殺
・木戸と旧藩侯らの関係が良すぎるほど良くて旧士族に多少抑えがきいている
・あんたにいわせりゃ高杉閥の長州軍トップ山県は反乱起こす気配もなし
・山県に軍からはじき出された形の山田(上士出身)も当然反乱起こす気配なし
長州と薩摩じゃいろいろ条件が違いすぎるだろうが
251:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 14:22:46.88 Tt/bEfPWO
嘘か本当かは知らんが山縣は木戸絡みで三浦を罵った前原に水をぶっかけたという話もあるね
それはともかく長州改め山口には県民用の協同会社に加えて
毛利の殿様も出資して士族用の授産局も作られている
高杉がどの勢力に組するかは予想の域を出ないが
殿様と協力関係にある勢力から弾き出されるとは思えないし
担ぎ上げられたらといっても、嫌だったらさっさと逃げると思うw
252:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 16:59:37.76 HRVWUHpL0
>>250
萩の乱があの程度だったのは前原の器と
木戸の用心深さの結果だろう。木戸が奇兵隊倒したのも
後々の事考えてだったと思う。
それに長州は乱の最初にはあまり寄って来ないからな。
高杉のクーデターのときみたいに勢いに乗ってたら前原レベルでも
かなり厄介になってたと思う。
253:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 18:10:48.36 IJJbrs060
「奇兵隊を倒す」とかいう単純な総括がそもそもダメなんだよあんたのは
どこからも距離を置きクールで合理的で先見の明がある木戸孝允像を追求したいのは
よくわかったから高杉スレにはもうくんな
254:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 18:25:31.44 4E9XLf4L0
それもあるんだよね。つまり木戸のバランス感覚はつるまない所にあったんだよね。
高杉 久坂 松陰あたりはすぐに群れるからあの明治時代で暴発しないわけがない。
そもそも松陰が捕まった理由の暗殺計画とか藩主拉致計画とか見ても
明治時代に暴発するだろうって思うでしょ。
255:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 19:08:59.23 Tt/bEfPWO
暴発する理由がないだろうと言われてる訳だが
256:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 19:19:28.91 4E9XLf4L0
>>255
不平士族 征韓論論争 西郷下野 大久保独裁 征台
暴発する理由なんて腐るほどある。
257:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 19:23:11.21 Tt/bEfPWO
間違いなく政治の中枢で活動できる人間がそれらの理由で暴発したら単なる馬鹿だろ
258:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 19:33:01.67 4E9XLf4L0
>>257
西郷 江藤 前原
全員参議でしょ。
259:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/19 19:44:52.70 Tt/bEfPWO
だってそれらに不満があるなら木戸と一緒に調整できる立場にいけるのは間違いないだろ
それができなかったから前原はああいうことになっただけ
というか長州閥で聞く耳持たずに突っ走って自爆したのは前原くらいのものじゃ
260:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 01:04:44.37 VwAWYj300
そうだよな
長州では野村靖とか鳥尾とかも木戸の方針に反発して頭を抱えさせた連中だが
いつの間にか「廃藩置県必須!」になってるわけでw
261:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 09:36:28.50 yo4vZlEMP
奇兵隊を作って士族の権威を落とし、
萩に弓引いた高杉が不平士族に祭り上げられるってあるかなぁ。
こういっちゃなんだが、面倒見のいいカリスマ西郷とは藩内での立場と人気が違うのよw
藩内のが敵だらけ。
262:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 10:33:59.27 YC1Pd+cbO
高杉の姪たちは嫁ぎ先がなかなか見つからなかったと言うし、
不平士族の間では人気は無く木戸と並んで憎悪の対象だったろうね
しかし自分はage君と同じく、松陰は何かの間違いでうまく生きのびても前原コースだったように思える
久坂は前原よりずっと器用だと思うが
263:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 10:58:36.50 jJgFGANqO
松陰はまず洋行じゃね
264:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 12:28:28.81 8xG12lbq0
洋行した組と洋行しなかった組の争いとも考えられるから。
松陰高杉久坂が生き残ったとして。洋行に出れるのは
2人だろ。松陰が行くなら木戸は残りそうだし。どっちみち争う運命にありそう。
265:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 12:47:35.51 jJgFGANqO
何を理由に争うの?
松陰が士族授産局スルーで不平士族を優遇しろって言うの?
征韓論を唱えるの?廃藩置県に反対するの?
266:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 12:49:59.61 JOkyYhRi0
征韓論は唱えるんじゃない。後、徴兵令とかでも
松陰は反対しそう。武士主義っぽいから。
戦うのは武士の仕事でいいとか思ってそうだけどなあ。
267:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 13:05:35.80 YC1Pd+cbO
草莽崛起唱えた松陰が武士主義というのはありえん
268:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 13:07:09.67 JOkyYhRi0
しかし。幕末好きってなんか仲良しこよしが大好きだよね。
もっとクールだったと思うけどな。
松陰と木戸なんて結構対立してるからねえ。松陰の弟子たちに松陰に
近づくなって言ったりしたんでしょ。木戸は。
高杉や久坂なんかは松陰の一番弟子なのに、このときは木戸に同調してたりするし。
269:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 13:19:15.29 jJgFGANqO
そりゃ同調するでしょ
松陰を護る為だってわかってるんだから
270:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 14:32:49.14 JOkyYhRi0
松陰を守るためとも取れるし。松下村塾勢力の解体のためとも取れる。
ナガイウタあたりは松下村塾が力つけすぎる事を恐れてたんじゃないかな。
271:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/20 22:20:08.62 hnl7dd/m0
この人ことさらに木戸をクールだと思いたがってるからゆがむんだよね
そしてこの時点で長井雅楽が松下村塾をそんなに意識してたとは思えないが
272:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 00:40:28.28 y9yfYf2k0
だから実際問題、松下村塾の玉木文之進が萩の乱に
加担してるんだからさ。ここを無視して「松陰はそんな事しない」
「久坂は柔軟だ」なんて言っても説得力がないよ。
273:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 01:36:32.38 B38GsIL/0
じゃあ玉木文之進の主義主張とか乱に参加した理由とかを説明してみろよ
久坂や松陰とのちがいはどうよ
玉木はたしか松陰の考え方を前衛的過ぎると戒めていたと思ったが違ったかね
思い込みで説得力のない論を展開してるのは自分のほうだろ
だいたい、過激な攘夷思想ってんなら伊藤や山尾は幕末に人を暗殺してる
征韓論なら木戸だって洋行前かなり強硬に唱えている
そんなことが反乱を起こす理由になるのか?
木戸も井上も何度帰郷してもまつりあげられたりしていないが?
274:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 01:40:21.51 KeO3LT140
このageは・・ほんとに・・・ほんとにもう・・・
お前らよく真面目に付き合ってんな
議論スキーの高杉スキーだからか?w
いや、煽りじゃなくスゲーわ
275:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 01:54:52.26 UcKfAyzF0
このage厨さん自分が叩かれてるのは
高杉や久坂や松陰が反乱起こすだろうといってるからではなく
そう考える根拠が知識もろくにないくせに
わけわからん変なこじ付けで断定しているせいだと
わかってんのかね
276:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 17:48:46.70 y9yfYf2k0
逆になんでそこまで反乱させたくないのかが分からない。
松陰&高杉反乱軍VS木戸鎮圧軍なんて燃える展開ジャン。
277:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 19:29:47.18 +/6KTYTjO
つまり自分の燃えの為に史料スルーでこの突拍子のない妄想に付き合え!と
創作系のスレでやって下さい
278:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 20:29:55.82 im0M1Aie0
歴史の「もし」なんて正解ないわけだし
自分の中で妄想するのはその人の勝手だけど
高杉反乱軍とか気安く言わないで欲しい。
ゲームや同人誌じゃあるまいし、不愉快。
279:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 20:59:38.93 y9yfYf2k0
高杉クーデター軍とでも言えばいいの?
280:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 21:09:31.80 +/6KTYTjO
いえこのスレに来ないでくれれば良いんで
281:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 21:19:58.76 y9yfYf2k0
まあ簡単な予想なんだよね。松陰久坂高杉が生き残ったとして。
まず高杉は中央で政治やる柄じゃない。これは禁門の変の前に
他藩とあまり交流しなかったから、納得できると思うが。
だからまあ長州に引っ込むわけでしょ。で松陰と久坂はまあ参議ぐらいにはなるよね。
木戸は他に参議になる人材がいたら引っ込む人だから。参議にはならない。
まあこの時点でバランス感覚がなくなって明治政府終わりだと思うが。仮にうまく行ったとして。
廃藩置県、を木戸が考えて松陰久坂が付いてこれるかな?
その後の征韓論。松陰と木戸どうなると思う?俺は意見違うと思う。で松陰久坂は政変で下野
萩に引っ込み。元から萩で隠遁してた高杉加えてクーデターだろう。
282:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 21:33:59.14 +/6KTYTjO
本当に何の史料も読んでなさそうで吹いた
283:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 21:36:45.56 3w4wYTT20
なんで松陰が参議になんの。松陰は学者なんだが。
あの男は自分が政治をやる気はないよ。
意見対立したら反乱に発展するというのもワケわからん。
そんなんでいちいち反乱起きてたら明治政府は廃藩置県前に瓦解しとるわ。
あのな、高杉や久坂や松陰が反乱起こすかもね~、
とかいうやつは、あんたのほかにもいるよ。そりゃそういう考えもあるよ。
ただ、あんたの理屈が群を抜いてトンデモでコジツケだから
みんなやんなってるんだよ。
講談社の日本の歴史でも読んで出直してくれば。
284:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 21:55:28.95 y9yfYf2k0
松陰が学者なら木戸は剣術使いになるよ。
学者が参議にならないって所も意味が分からないし。
あの時代の参議なんて力関係なんだから薩長土肥で人望あるやつが
なるもんだろ。
意見対立したら反乱に発展する
萩の乱 佐賀の乱 西南戦争
全部意見対立しての戦争でしょ?
285:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 22:14:39.24 +/6KTYTjO
意見が対立しても反乱なんか起こらずに済ませた割合の方が圧倒的に多いんですが
286:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 22:18:41.14 y9yfYf2k0
松陰はそんなに冷静なやつじゃない。だから安政の大獄で
捕まったのに。
287:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 22:27:19.03 +/6KTYTjO
松陰と木戸がどれだけ理想を同じくしていたかも理解できてない人が
「松陰はそんな人じゃない」とはw
288:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 22:37:29.20 y9yfYf2k0
>>287
木戸は別に松陰の弟子ではないよ。
松陰の高杉、久坂評と木戸のを比べたら松陰と木戸の
距離なんて分かりそうなもんだけど。
289:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 22:56:04.74 1nXdPLSP0
そういう知ったかぶりの決めつけが阿呆だというんだ
松陰の高杉評だの木戸評だのいう前に松陰全集読破してきやがれ
それまでもうあんたに突っ込みいれるのは徒労だから止めるわ
290:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/22 23:03:14.59 1nXdPLSP0
おいしいところだけ人に結論を教えてもらいたがり
聞きかじりの知識を好き勝手につなぎ合わせた妄想を人に強要する
ちゃんと自分で史料を読んでまともに考える頭を持てない奴は
迷惑且つ不愉快だからロムってろ
291:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 17:52:30.88 0nPYv7by0
後、この手の議論になるとさ。○○は××の弟子だから、
みたいになって師匠>弟子みたいになるけど、これ大間違いだと思うよ。
松陰は冷静に見て高杉以下の人だったと思う。
三国志とかでも孔明はすごい、孔明の後の奴らはダメだ。とか言う人
多いけど。志半ばで死んだ人を過大評価しすぎ。竜馬とかもだけど。
292:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/23 19:24:15.97 FZAxlEZf0
まあ何を基準に比較するかによって違うので
単純にどちらが上かなんて言えないし
(もちろん高杉の方が優れている部分は自分も大いにあると思う)
また高杉が松蔭を先生とし尊敬していたことは間違いないだろうが
だからといって高杉がすべてにおいて盲目に松蔭に同調し同じ行動をとるとは思えない
293:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/24 01:37:31.79 4eoRbhJI0
正直井上が立派に政治家やれてる時点で
高杉も政治できると自分は思うw
294:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/24 01:49:43.13 OA8WMHl+0
高杉と井上をセットにしといたら、政治が楽しい方向に暴走しそうだw
295:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/24 10:58:11.01 FJ6gwMaI0
井上が俗論党に襲われたときに、命を落としていたら、
今頃、「井上が幕末を生き抜いていたら、初代内閣総理大臣は
間違いなく、伊藤ではなく彼であったであろう。」とかいわれていたであろう。
296:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/24 12:26:45.35 FJ6gwMaI0
久坂通武総理大臣
297:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/24 13:00:00.21 4RAslHQN0
「三人党」って当時も言われてたのかどうか知らないけど、
高杉・井上・伊藤って、なかなかいい組み合わせだったよね。
高杉は大胆な発想があり実行力もあるけれど、こまかい仕事には向かない。
井上はいざというときの処理能力とスピードが半端ないし、金策上手。
伊藤はフットワークの軽さと細かい仕事がすばやくきっちりできるとこがすごい。
政治家やるにも商売やるにもかなり応用力の高い組み合わせだと思う。
ただ、このメンバーは藩内で衝突なくうまくやるとかいう部分が弱いな。
高杉と井上はトップの受けはいいけど、合わないと嫌われるし、
伊藤は若さと身分でもうちょっと経たないと力を発揮できない。
当時そこを何とかしたのが桂だったんだろうけど。
298:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/28 15:42:22.22 tDAvcH5E0
URLリンク(tot.to)
299:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/28 20:08:04.58 SaanoVYo0
伊藤の立ち居地って微妙だよね。最初は来原についてて後に桂について
高杉について、もう一回木戸について、大久保に付くという。
まあ単純に実力者についてるだけなのかもしれんが。
300:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/28 20:13:52.93 MM3lPARtO
再来週のヒストリアで高杉やるようだ
命日が近いからかな
301:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/28 23:45:42.42 W4T5StuP0
高杉晋作“愛され・やんちゃ”革命!~時代を変えた男の魅力~
つくづく景気のいい取り上げられ方する男だなw
302:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/29 20:12:48.79 +5RWpFvh0
高杉ってけど人気微妙な所だよね。幕末じゃ三位ぐらいか?
竜馬 新撰組 高杉
ぐらい?新撰組のメンバーをバラけさせるともっと落ちるけど。
303:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/29 21:50:25.65 NSmeWKDCO
高杉の人気は龍馬、新撰組、西郷、勝、松陰の次ぐらいだろう
幕末好きには人気があっても、興味無い層には知名度が低い
304:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/31 08:38:43.30 eUtp7w/kO
ヒストリア楽しみだなあ
305:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/31 08:53:35.34 +yomm1vN0
なんだヒストリエ昨日か。見忘れた
でどうだったの?
306:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/31 12:54:25.35 eUtp7w/kO
昨日だったの?
orz
307:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/31 15:37:49.20 Ers/IEDk0
ちがった。放送日4月13日か。まだまだ先じゃん。
308:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/01 13:13:19.55 IimUAYmeO
安堵した
309:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/01 17:50:36.12 K0b3WXKS0
けどこのスレの人らでもこういう番組楽しみにするんだね。
この手の番組って司馬にそった人物描写しかしないと思うんだが。
この手の番組で新しい発見なんてまるでないよ。
310:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/01 22:13:28.11 rRYOA2Zs0
まあ期待はしとらんが取り上げられたら一応は観るけどな。
騒ぐほどの内容でないことはもちろん承知。
楽しみにしとるのはニワカか女子やろ。
311:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/03 00:06:01.17 jq3cIRWr0
高杉の軍事能力についてどう思われますか?
やはり三味線無双みたいなものだったんでしょうか?
312:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/03 20:39:04.13 ZdtRq7gh0
大河スレならともかくそんなアホらしい質問ここでしない方がいいよ
313:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/04 08:38:27.59 Di3ZlO4K0
軍事能力っていっても高杉ってそういう勉強一切してないと思うんだが。
松下村塾いた時に松陰から多少習ってたりするのかな。
314:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/04 12:12:05.39 ib1Xw1+L0
松陰のところで孫子の会読とかはやったと思うが。
だけどこのころ、外国の攻撃に備えなきゃってことで危機感持ってたのに、
まったく習ってないって決めつけることもないんじゃない?
丙辰丸乗り組みの件はそのためだし、関連して多少は海戦のこととかやったんじゃないの。
あとたしか江戸で世子小姓やってたころの日記に、
朝桂のとこ行って撃剣、午後は銃陣、ってあったから、有備館でもいろいろ学んだんでは。
このころの有備館の責任者は桂で、その前は来原だから、当然西洋銃陣とか入るよね。
練兵館に入門してたってのが本当なら、そこでも学んだ可能性は高い。
個人的にも兵法はある程度本読んだり研究していそうな気がするけど。
習ってないってのは、兵法の私塾に入ってないって意味?
315:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/04 15:53:13.31 aTFMuUpz0
>>314
桂と高杉って有備館で一緒だったのか。すれ違いだった
と思ってたが。意外と一緒にやったりしてんだな。
316:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/04 16:31:18.83 k3Nr0GZ/0
日記くらい読めや
江戸にいる時だけでも何回桂の名前が出てくると思ってるんだ
317:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/04 22:21:27.13 aTFMuUpz0
そもそも松陰の軍事能力が微妙だからなあ。
松陰門下の前原も乱起こした時すごい無様だったじゃん。
318:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/04 23:27:25.38 7aPSGRBI0
今日はいつにもまして何が言いたいのかわけわからんわ
319:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 00:23:21.88 Tt2djG0S0
>>317
何がどう微妙なわけよ。
門下生がどうとかではなく本人のどこがどう微妙なのかちゃんと説明してみて。
320:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 07:55:18.90 kB14e8OL0
>>319
幕府の要人の暗殺計画も藩主の拉致計画も失敗で
どう考えても才能ないと思うけど。
精神論で戦争する一番酷い作戦指揮官になりそう。だから軍事方面の
才能は松陰にはないよ。
321:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 09:24:34.49 ub2dACW90
松陰の老中襲撃計画とか、実行すらしてなくね?
まぁ、実際に軍を率いた訳でもない人物の軍事能力を推測しても、妄想にしかならんのは仕方ないが。
>>317
萩の乱は最初っから政治的諜報的に敗北しとる。
322:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 11:54:15.77 gbPBYLZYO
ていうか村塾生の作戦能力の例えが何でよりによって前原なんだよ
高杉に後継者指名された山田がいるだろうが
323:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 19:45:54.28 HXPpA9+g0
>>321
実行すらできない作戦立てた奴なんだよ。松陰は。
軍事面では多分底辺の方だと思うよ。松陰は。思想的には
影響与えたんだろうけど。
324:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 20:07:58.12 Tt2djG0S0
いや、だから松陰の軍事能力あるなしということより
317の言うように松陰の軍事能力が微妙だったらなんで門下生の軍事能力も微妙だと言いきれるのか
そこがわからんのよ
325:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 20:19:07.16 HXPpA9+g0
だって前原が微妙だったじゃん。
326:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 20:20:04.42 Tt2djG0S0
で、高杉も微妙だと?
327:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 20:31:59.53 HXPpA9+g0
高杉はどうなんだろうねえ。松陰からしか軍事的な物を受け継いでないとしたら
底辺の方になっちゃうけど。松陰以外から吸収はしてそうだなあ。
けど高杉って普通にやったら負ける人っぽいイメージあるなあ。
高杉が全部仕切って戊辰戦争とかしても勝てないような気がする。
奇襲とか特殊な状況じゃないと高杉って勝てない感じするなあ。
328:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 20:37:10.51 Tt2djG0S0
は?
ていうか軍事能力なかったら奇襲作戦もできないと思うけど?
329:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 20:37:18.36 oYH5bNDl0
なんで高杉の軍事能力の話で松蔭の軍事能力について語り始めるのかわからんが、
高杉の軍事的才能なら、30人で反乱起こして藩の主導権握れるレベル。
あと小倉口の戦いで長州軍1000人率いて幕府軍20000人に勝つレベル。
330:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 22:43:55.74 /kqkWP2q0
軍事的才能は実証するには史料が乏しすぎる。
功山寺決起は「成算のあっての挙兵と言うより、暴発の一種」と一坂太郎が評しているし、
現に諸隊は1回は高杉の提案を拒否して「逃亡」と表現されている。
小倉口に関しては幕軍内部で抗争が始まっており、その隙を衝くことは比較的容易だった。
小倉落城後にゲリラ化した藩兵の活動にかなり苦しめられている。
薩長盟約にもある通り、幕軍は進撃当初から予定になかった戦争が組み込まれたことで内紛を抱えていて、
「半年や1年で負けることはない」と言うのが共通認識だったと言ってよい。
331:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 22:53:57.20 HXPpA9+g0
高杉は一か八かな作戦が多すぎる。ていうか作戦なんて考えてないのかも。
そりゃ桂も高杉より大村を重用するわな。
332:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/05 23:43:08.27 DZlKm4Zo0
>>330 は考慮すべき意見
>>327 >>331 はただの妄想
まさかその違いがわかってないわけじゃないよな?
333:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/06 08:05:19.69 b073Dokm0
そもそも松陰も高杉もとりあえず行動してみるって感じの
奴に見えるんだよな。事前に計画ねってって事をしてなさそう。
334:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/06 09:45:47.48 tz6N6xbZ0
戦場で三味線弾く高杉かこいい!!
335:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/06 10:25:26.88 R/fU2sBh0
>>330
まぁ小倉口の幕軍は指揮官の無能による自壊だが、即そうなったのではない訳で。
門司辺りの戦闘は的確な指揮してると思うぞ。
小倉城自焼後は殆ど下関に居て、10月頃には完全に前原に任せてるんだなぁ。
この辺り読んでると切なくなる。
336:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/06 19:11:43.24 M0aYhCyZ0
日記買ってきた
337:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/06 19:29:26.09 Jwa1dPtn0
前原に任せる時点で人事の才能がない。
338:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/07 01:31:36.41 YFsZNtoH0
6月17日、7月3日、7月27日の3回にわたる攻撃で次第に幕軍の抵抗で苦戦するようになってるよ。
幕軍と言っても実際はほぼ小倉藩だけど
まず第1次襲撃は文字通りの奇襲で、幕府海軍に退路を遮断される前に撤退してるし、
第2次の大里の戦いの段階では幕軍諸藩兵の援護があまり積極的でない状態で小倉兵と戦い、
何とか勝利したものの長州も追撃する余力なく撤退。
最後の7月27日に何とか熊本藩を引っ張り出したら、赤坂口で敗れている
ただし直後に熊本藩と小笠原が衝突して引き上げになったのと、家茂逝去での小笠原上坂
(無能による自壊と言うより、鬱積していた肥後・久留米と小倉藩との激しい対立&家茂の逝去が大きい)
奇襲の間隔が間延びしているのでも分かる通り、幕軍は開戦から長州に攻め込める状態ではなかった
的確不的確と言うより高杉としては揺さぶりをかけながら幕軍の自壊を待つしかなかったし、
また戦闘意欲が辛うじてあったのは小倉だけで、熊本・久留米・柳川と内紛を起こしている状態ではそれで充分だった
と言うのが正確なところだろう
339:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/07 12:32:27.49 cDHOxNCI0
>>338
非常によく忘れられてるように感じるのだが、
長州藩の軍は芸州・小倉・石州の各戦線にたったの1000人前後しかいないんだぞw
小倉城自焼後も小倉藩兵がよく戦ったのは事実。熊本他の士気が低かったのも。
ただ、当初最前線に立たされた小倉藩からの度重なる援軍要請の無視、
長州軍を退けた赤坂口戦後の熊本藩からの援軍要請の無視と
圧倒的に劣勢な筈の長州海軍が赤坂近海まで進出してることで、戦争指導に対する不満が致命的なレベルに達してる。
特に熊本藩については、これが撤兵の直接的な原因になった。
前線への手当てを何も考えてない辺りは、明らかに司令官の無能のせいだと思うけど。
そもそも前線を小倉や熊本に丸投げして放置なのが意味不明。
少なくとも千人隊は独断で動かせるだろ。
家茂死去っつっても、司令官がしっかりしてた芸州口では、こんな無様な事態は起きてないし。
340:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/07 16:12:58.10 tHV4lndOO
>>339
それは幕軍の戦闘意欲の低さを証拠立てるものであって、小倉口の長州軍の戦闘能力の高さを証拠立てるものにはならない
341:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/07 17:49:36.60 cDHOxNCI0
>>340
士気も兵の強さを測る上で重要な要素なんだがw
士気が低くて戦闘じゃ使えない兵でも戦場では使いようがあるし、
勝利を見せればどんな兵でも士気は上がるし勇敢になる。
長岡城攻防戦の時の山縣なんかはよく理解してたよ。
342:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/08 00:17:11.88 jo3Ifzxz0
いやいや、だから…
幕軍の士気の低さを強調することは、小倉口の長州軍の戦闘能力の高さを証拠立てるものにはならない
分かる?家近良樹も「負けるべくして負けた戦争」とはっきり言い切っている。
そりゃそうだろう。もともと長州藩処分は第1次幕長戦争での3家老ほか自刃処刑で片が付いたと受け止められていた
343:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/08 09:47:52.13 Qrt5ZAnH0
そりゃ政略的に失敗しまくってプギャーってことでしょ。
小笠原はそれとは関係なく無能だけど。
つか、そもそも長州軍の戦闘能力云々の話だったっけ?
344:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/08 19:33:01.88 jo3Ifzxz0
幕軍の失敗を強調することは、高杉の軍事的な非凡さを否定することに繋がる。
ぶっちゃけ敵が弱くて負けたと言うことなんだから。
その辺は高杉も九州諸藩の内情をよく知っていた。
小倉口もとうてい長州に攻め込める状態ではなかったのは明らか。
司令官たる小笠原の責任と言うより、対長州戦争の幕の引き所を誤った一会桑政権の戦略方針の責任だろう。
ちなみに狭い関門海峡での本格的な海戦は、幕軍の本営である大坂の台所事情に直結するため、
幕軍は本格的な海戦に踏み切れなかったと言う事情もある。
家近は征長戦の際に「戦意旺盛な会津藩兵が緒戦で投入されていたら、事態はどうなったか分からない」
と明言している。旧式装備の会津藩兵でも、戦意のいかんによって逆転される程度の差だったと言うことだよ。
ちなみに、一会桑+幕閣の中で、最も雄藩の対長州世論を的確に把握していたのは会津だった。
会津はおそらく、薩摩はもちろん芸州、肥後の非協力を見通していたと思われる。
松平容保は長州藩への寛典で事態を収拾することを必死に主張している。
この時点では長州藩の出方への見通しを誤ったのは、意外にも、最も長州にパイプを持つ一橋慶喜だったと言っていい。
ところが長州藩側の不信感の根強さは、最も柔軟だった会津藩の想像をも超えており、
幕軍は万やむを得ず進発せざるを得なくなった。ちょうどリビアの多国籍軍の空爆と同じことだよ
長州にとっては、何が目的か分からず前線に集まった戦意のない幕軍を逐次撃破していけばよかった。
345:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/08 19:41:21.57 jo3Ifzxz0
しかし、小笠原の報告を受けた慶喜の判断は迅速だった。
勅命による戦闘停止と言う非常手段に出たばかりか、すぐさま薩摩藩との融和を模索した。
長州戦争の敗北は確かに幕威に多大な影響を及ぼしたが、慶喜はその損害を最小限で食い止めることに成功している。
幕長戦争は、しょせん「幕府の戦争」に過ぎなかった。だから幕府の都合で随時中断が可能だった。
長州は政治的復権には、あくまでも薩摩の力を頼らねばならなかった。
長州藩内で正義党政権が誕生しても、それは内政干渉に相当する政変に過ぎない。
薩長盟約に言う通り「緒戦での長州の敗北はない」と見切っていたからこそ、
薩摩も盟約に応じられたんだよ。
346:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/08 19:42:37.75 Fm5eNjIl0
実際四境戦争って誰が一番功績あるのかな。
347:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 00:03:16.93 6WUg9pWI0
やっぱ大村益次郎じゃない?
348:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 10:09:25.73 QNNiNwiZ0
功績総合して大村益次郎だろうな。
>>344
いや、そういう敵のミスという機を逃さず付け込むのも、指揮官として不可欠な素質だけど。
長州藩のミスによって優位に立った赤坂口直後も、その戦果を利用するどころか、命がけで戦った熊本藩に愛想尽かされる有様じゃん。
あと関門海峡は開戦間近になったときから通過する船舶も激減して開店休業状態だから、
今更海戦やってもどうということはない。小倉藩の軍艦はたまに乱入してたし。
彦島の砲台を警戒するのは当然だとは思うが、赤坂沖まで長州艦の進出を許したのは明らかに指揮の怠慢。
まぁ海軍の指揮まで小笠原のせいかどうかは知らんから、これについては責める積りはないがw
高杉については、大島口の奇襲が非凡だったかなと思う程度。俺はな。
陸戦についても無能ではないって程度。
349:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 11:13:44.51 uolVJqRk0
「負けるべくして負けた」
とか後出しで言える後世の連中は気楽でいいよなあ。
普通の藩なら暴れん坊将軍や水戸黄門の手勢数名相手が乗り込んできて
名乗りを明かした程度でも戦わず降参したでしょうね。
350:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 15:16:47.03 UoRhzRkW0
>>345
>長州藩内で正義党政権が誕生しても、それは内政干渉に相当する政変に過ぎない。
薩摩の力、影響力はもちろん言うまでもない事ではあるが
俗論党政権のままでは桂の帰還もどうなってたかわからんし、
薩長盟約の時期や成り行きもまた違っていた可能性も大きいので
こう言い切ってしまうのはいかがであろう。
351:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 20:47:44.34 3bVVcrjD0
大村は全ての配置決めて自分も一群を率いて進軍したわけでしょ。
高杉は文句いわなかったの?西郷みたいに軍事は大村って事で引いたのかね。
352:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 22:05:44.78 kSvv3whr0
別に高杉は軍のトップを争う気なんぞなかったと思うが。
根っからの軍人じゃないし、自分の地位に拘泥するタイプじゃない。
上士で藩侯父子のお気に入りでこんな非常事態にわざわざ功を争う必然性まったくないw
ホント対立軸を設定するのが好きだねえ…
353:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/09 23:57:06.49 3bVVcrjD0
高杉についていき。出世できると思ってた人らはどうなんだろうね。
クーデターして藩を変えたのは俺達なのに、なんでなにもしてなかった
桂や大村の指図を受けなきゃならないんだ?ってなると思うんだが。
354:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 00:19:41.24 7RV23jG10
出世のために高杉について行った人って誰?
355:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 00:30:59.37 hb/k3YpqO
出世できると思って高杉について行って
大村や木戸に不満覚える奴らって?
資料プリーズ
356:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 01:58:06.92 miC+gJaO0
>>353
勝ち目のないヤケクソ挙兵に参加した連中は
打算じゃなくて信念で行動していたから
長州が生き残れば自分の出世とか細かいことは気にしないような気がする。
357:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 03:01:09.73 uFNVpUiH0
>>348
そこで挙げられてる要因はぜんぶ幕軍内部の不統一。
ちょうど今のリビア空爆と似たようなもので、安保理決議だけ通ったが、
多国籍軍に全く戦意がなく、地上に降りて戦おうとする国がいない状態。
敵のミスに付け込むも何も、薩長盟約自身が第3条の明文で
「長州の短期的敗北は絶対にない」ことを前提にして締結されている。
これを「長州の劣勢」を前提として読むと、全く無意味な内容の盟約になってしまう。
>>350
藩政を掌握しているのが俗論党か正義党か、はたまた中立派かなどと詮索し始めたら、
そもそも長州戦争のゴールラインが見えなくなる。幕軍による長州全土占領しかなくなる。
それは参加諸藩の猛反対に遭う上に、幕藩体制の根幹を覆すので、とうてい不可能。
一橋も、正義党が政権を握ろうが何だろうが、長州が形だけでも恭順姿勢を示せばそれで終わるつもりだった。
358:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 04:24:36.37 d8NiI6d5O
完全に慶喜の戦争だわな。
熊本が撤兵した時に慶喜の脳内では負けになった
359:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 08:23:28.76 Ofrt4EFP0
>>356
まさか。人間がそんな奴らばっかだったら苦労しないっての。
高杉は革命後苦難はともにできるがとかいって逃げたわけだし。
桂だって明治後の政府は「どうも違う」って言って逃げたがってたんでしょ。
成功したら増長するやつばっかだよ。基本は。
360:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 09:14:31.58 kWiqhWV90
>>359
いつもそうだが、貴方の話はどんどん焦点がずれていってる
とにかく「長州藩内の対立」の話をしたいがために
高杉と大村というトップクラスの話をしていたはずが
対立していそうな別の対象に話をずらしていき
それすら諸隊の中の位置づけなどまったく考慮せずぼんやりした可能性を話すのみ
そりゃ大勢の人間がいたら反対者も支持者もいるに決まっている 何が知りたいのか
けっきょく、当時の長州藩実情を深く掘り下げて話す気などないのだと判断せざるを得ない
そんなことにいちいち答える意味が見出せない
それと、木戸スレではsageを覚えたのだからこっちでもsageたらどうか
361:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 10:15:08.22 KIV27/DyO
四境戦争最大の功労者は、資金貯めこんだ毛利重就
362:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 10:20:12.06 3yZYyWk30
>>359
>桂だって明治後の政府は「どうも違う」って言って逃げたがってたんでしょ。
それソース司馬じゃねーかw かんべんしてくれw
363:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/10 15:50:25.50 7RV23jG10
>>357
いや、幕府にとっての対長州という点では異論はないのだが
>(345)長州は政治的復権には、あくまでも薩摩の力を頼らねばならなかった。
ということを考えたときに正義党政権誕生というのは
薩長盟約の前進においても、優柔不断な周辺諸藩に及ぼす影響という点においても
過小評価すべきことではないように思う
364:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/11 19:55:27.79 0KGY1OiN0
薩長盟約と正義党政権は関係ない。
3家老処刑で第1次征長戦のカタをつけたのは俗論党政権だから
365:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/11 20:05:07.89 0KGY1OiN0
言っておくが薩摩が長州と盟約を結んだのは、思想信条の一致ではなく、
単に長州処分を牽引する一橋慶喜と、その手足である会津・桑名の政治的主導権確立を警戒したため。
正義党政権はその性格上、会薩敵視が甚だしかったから、むしろ薩摩との交渉が障害にすらなり得た。
薩摩はあくまで薩摩の政治的立場として、当事者である「長州」との盟約を担保にしたに過ぎない。
正義党政権「だから」薩摩が同盟に踏み切ったと言う種類のものではない。
イデオロギーとして薩長盟約を捉えるのは誤り。
366:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/11 21:11:38.57 rO1siJRQ0
薩摩側はそうだとしても、長州側は?
幕府とのこれ以上の軋轢を避けたい「俗論党」政権が薩摩と密約を結ぶメリットは?
367:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/12 15:15:57.18 YRaPQSx20
俗論党がどこまで譲歩する積りだったかが問題かなぁ。
幕府強硬派の条件をそのまま呑んだかどうか。
その辺の条件を緩和する為に、薩摩に仲介を願うのは無意味ではないが……
史実の薩長密約と同じ内容にはならないだろうな。
ただこうなると、薩摩が密約結ぶ意味があるかどうかという問題も。
>>357
短期的敗北がないという目算と、劣勢か優勢かは全くの別物やがな。
軍事的に劣勢でも戦争を長期化させることはできる。
小倉藩はそれをやったし、あんたもそれは認識してるだろうに。
あと、幕府歩兵隊や芸州口の紀州藩兵は最新装備かつガチだよ。
368:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/12 18:41:14.56 oa6+3tYd0
>>366
俗論党政権はべつに長州を幕府に売るために誕生した政権ではない。
正義派政権のように対外危機を利用するような危険な手法を選ばない政権であり、
むしろ正義派政権のほうが政権のあり方としては異常と言える
薩摩=討幕派=正義党政権 と言うイデオロギーで物事を見ているから本質を見誤るんだよ。
薩摩は長州戦争以降、慶喜と関係改善を図り、空位期に幕薩関係は改善されている。
薩摩はあくまで戦争当事者である「長州藩」との間に「橋会桑」への対応について協定を結んだに過ぎない。
>>367
何を詭弁を弄しているのか。防御側が半年1年敗北しないと言うことはイコール攻撃側の敗北だよ。
幕府はそれ以前から大軍を京・大坂に滞留させている。
既にそれ以上の滞留が不可能だったから決断を迫られたわけで、その上に頻発する一揆を抑えて半年一年も戦い、
さらに長州処分決着のめどが外れたばかりか前線への転出まで迫られた諸藩を督戦することは不可能。
盟約では第2条でまず勝利のケースを想定し、第3条で「劣勢になったとしても半年や一年で壊滅することはないから」と前提を置いている。
長州の劣勢を前提としてこれを読むと、薩摩は事実上、長州を見捨てますよと言うまったく不可解な盟約になってしまう。
木戸が裏書を求める意味がなくなるし、薩摩が天皇の意思を体現する「橋会桑」との決戦と言うリスキーな言質を与えるメリットもなくなる。
薩長盟約は、明らかに幕軍の不統一を前提として組み立てられている。
装備が最新かどうかで言えば、先鋒の彦根藩の惨状もよく知っているはずだ。
都合のいい時だけ最新装備の藩を持ち出すのは、いわゆる敵を大きく見せる手法に他ならない。
369:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/12 19:01:15.31 RHxbocAj0
>>36
市民が「下」って字を嬉しがってるようなキチガイ低脳ばっかりで、
その上、不誠実な歴史認識のドアフォばっかりなんだから、
衰退しないほうがおかしいだろ。
せっかく地名が赤間関(あかまがせき)→赤馬関(あかまがせき→あかばかん)
→馬関(馬関攘夷戦争の馬関、日清講和条約=馬関条約)
とカッコよく推移していたのに、
1889年に赤間関市と名乗り(まっ、ここまでは良かったんだが)、
1902年(単細胞丸出しで赤を嫌ったためか)下関市と名称変更してしまっるんだからな。
その上、無理やり「下関」という名前を広めようとして、あとから、
馬関攘夷戦争を下関攘夷戦争→下関戦争と歴史資料的にも虚偽な名称に変更してしまい、
日清講和条約の別称であった馬関条約を下関条約とこれまた歴史資料的には虚偽の名称に変更してしまってるんだな。
京都人は平安京を京都京と言い換えたりしないだろ?
東京人は江戸幕府を東京幕府と言い換えたりしないだろ?
「下関」市民だけ、高杉晋作はじめ奇兵隊士たちのことなんかホントは全然愛してないから、
ここまで恥ずかしい不誠実で郷土愛のない名称変更が平気で出来てしまうんだよ。
そんな、露骨に人間のクズの巣窟になってる地域など発展するわけないだろ。
ま、そのうち天罰大震災・天罰大津波で消滅するかもな
(〃^∇^)o_彡☆あははははっ
370:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/12 20:10:54.54 dXLg63Tr0
あっ・・・はい、そうですね
371:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/12 20:33:37.04 3wP514Yg0
>>369
下関戦争って、昭和のヤクザ同士の抗争みたいなネーミングだなw
広島戦争を思い出す。
372:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/13 00:42:48.43 wRjpgv3d0
>>368
すまんよくわからん
俗論党なら薩摩への反発や憎悪を抑えて同盟を結べるのか
なぜ相手が薩摩なのか
正義党政権なら相手を薩摩にする充分な理由があったが
俗論党が失地回復のために手を結ぶなら
相手に敢えて薩摩を選ぶ必然はなかったし密約である必要性もなかったのではないか
しかもぼろぼろになって幕府に恭順する長州相手に薩摩が同盟結ぶ理由もわからん
正義党政権成立前に西郷がやろうとしたのは幕長講和の斡旋であって薩長同盟ではない
373:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/13 08:18:59.76 PyJgXwq60
高杉は西郷に会う機会があったがライバル視してたため生涯会わなかった
ってのは本当なの?
374:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/13 22:02:10.48 8vf9G46R0
幻の初代総理
375:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/13 22:50:37.50 U2YUH7TN0
長州は純粋な国粋主義者
薩摩はヤクザ
こんなイメージ
薩摩は奄美や琉球虐めて黒糖で借金返して密貿易w
376:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/13 23:03:38.93 rWlq8MGq0
>>372
いや正義派政権の指導層、支持基盤ほど薩賊会奸が染み付いてるから難しいんだが…
だいいちクーデタ政権と言う性格上、外敵の脅威を強調しなくてはならない立場にある
俗論党は「失地回復」どころか長州藩の存亡のために薩摩案を飲んでるんだよ
それと当代随一の雄藩であり、「橋会桑」の対抗勢力の筆頭である薩摩を無視してどうすんの?!
377:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/14 21:19:34.10 SAr+SusC0
俗論党って立場上悪役にされちゃうよな。若い奴とかで対抗勢力なかったんだろうか
若い奴はみんな正義党なのか。松下村塾メンバーが正義党支持だったわけでしょ。
378:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/14 21:57:06.85 CZnhzFgG0
>>378
薩賊会奸ってのは、この時代、藩主父子に対する冤罪から来ているから、
封建ファシズムべったりで開明的ではない長州俗論派のほうが遙かに薩賊会奸だっただろう。
長州正義派のほうは、長州ナショナリズムと言われる高杉晋作でさえ、
攘夷運動絡みで薩摩藩士とは個人的な親交を持ってたりするし、
薩長同盟を奇兵隊はじめ諸隊がすんなり受け入れるように動いているし。
379:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/15 06:17:10.90 YxL+LVci0
>>372
ああすまん意図がわかった。
まあ俗論党になって事実赤根や山県によって諸隊との融和がなっていたとしても、
実際薩摩と手を組むという話になったら、
木戸や高杉がいる場合に比べてコントロールが効かずもとの木阿弥になったかもしれんよ。
それはともかく、俗論党政権の場合に薩長同盟とは何ぞやってことは相当違ってくるな。
薩摩側は一会桑への牽制のため長州と手を組みたい、
長州側は第二次征長を止め且つ朝敵認定を取り消し名誉回復するため薩摩と手を組みたい、
と利害は一致しても、俗論党政権は「武備恭順」する気はないわけで、
自然軍事同盟的色彩は薄くなるか、薩摩側が一方的に「長州を守ってやる」同盟にならざるを得ない。
正義党政権の場合は、もし西郷の最初の意図どおり長州が幕府処分案を呑んで戦争にならなかったとしても、
「武備恭順」路線ゆえに軍備が一会桑への圧力になることを期待できる。
どうも、俗論党政権だと仮定した場合、同盟の薩摩へのメリットが薄い。
もしくは長州にとって非常に従属的で屈辱的な、一方的な同盟になりかねない。
そんなこんなで、成立が難しい気がするんだがね。
380:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/15 13:57:04.32 VXbf62bj0
>>368
それでイコール敗北なら、大阪城退去後に抗戦叫んでた小栗とかは馬鹿の集まりということかw
>第3条で「劣勢になったとしても半年や一年で壊滅することはないから」
これは劣勢になっても半年や一年は持久してみせるってことだろ。
これすら出来ずに敗北した場合のことを明記しないのは当然だよ。
その場合は長州藩により過酷な処分が下るのは確実だし、中立をとった薩摩が介入出来る場でもなければ
敢えてそうする政治的なメリットもないんだから。
あと、最後の文は逆にしてお返しするよ。
薩長肥と紀州以外なら鎧袖一触で粉砕できる幕府の軍事力を、
戦闘を回避した訳でもない親藩外様の士気を理由に小さく見積もる君の論理は理解できない。
最新鋭装備の幕府歩兵隊、紀州で構成された本隊だけでも長州藩の総兵力より多い。
この本隊は小倉口の戦いには参加していないが、それを言うなら装備劣悪な彦根藩も参加していないし、
熊本藩はアームストロング砲を装備して銃隊を編成する程度には進んでいた。
381:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/16 00:04:04.58 Ph5gkqaY0
実際装備の差ってドレくらい出たんだろうなあ。
382:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/16 11:19:41.61 OtPmRRxh0
>>378
それこそ、京が政局になった時期に長州藩を正義派政権が牛耳っていたことの副産物。
正義派政権「だから」親薩だったわけでも何でもない。
正義派政権は禁門の変+馬関戦争と言う二正面攻撃を引き起こした当事者であり、
その政治的経緯から、会薩に限らず外敵の敵視が俗論党政権よりのさばりやすかった。
また、封建的意図を強調するなら、正義派に属する高杉自身が「毛利家恩古の臣」
としての強烈な封建意識を持っていたことにも着目すべきだし、「家の存続」を最重視するはずだから、
現実に第1次征長戦で和約をまとめた俗論党と薩摩との相性の悪さを証明することは出来ないな。
383:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/16 11:38:39.06 OtPmRRxh0
>>379
俗論党政権の場合、そもそも正義派政権と異なり、薩長盟約を結ぶ必然性そのものがない。
幕府の上洛要請とそれへの回答がもっとスムーズに行った可能性が極めて高い。
もともと長州戦争は長州藩側と幕府との意思疎通を欠いたことが原因で勃発したのだから。
>>380
何を言いたいのか分からん。
盟約第2条はまず「戦自然も我勝利」の場合を想定しており、第3条で「万一負色」の場合も「壊滅などは決してしない」
ことを想定している。このような強気の裏書を求めたのは、薩摩の援助を必要とする立場である木戸。
事前に長州が決して孤立しておらず不利ではないと言う認識で一致していたからこそ、
薩摩も「橋会桑との決戦」と言う極めて危険な言質を与えてるんだよ。
また、幕府の軍事力は鎧袖一触どころか、本格的に戦闘経験を積んだのはこの長州戦争以降。
それまでは歩兵隊は関東での天狗党の反乱などでしか出動機会がなかった。
幕府が装備で決して劣っていなかった鳥羽伏見の薩長の勝因の1つに
「現場指揮官の優劣」が挙げられているのは当然知ってるでしょ?
装備の優劣がそのまま戦力の優劣に直結するなら米軍はベトナム戦争で負けてない。
幕軍には諸藩の士気や薩摩・佐賀・宇和島と言った各方面不参加の雄藩との関係のほか、
大軍が既に京阪地方に滞留しており治安維持や兵站維持にも配慮せざるを得ない立場にあった。
384:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/16 11:46:52.58 OtPmRRxh0
だいいち、小倉口の幕軍は長州の攻撃を防ぐので精一杯、
お前さんの主張によればわずか10分の1の戦力の長州とのたった3回の戦闘で崩壊してるんだぜ?
しかも参加すらせず。肥後藩に至っては、初参加の戦闘局面では長州を押しながら翌日に解兵している。
これを1人が10人に匹敵する長州の奇跡で説明するか、
ほぼ当事者の小倉藩しか戦意がない幕軍の士気の乏しさで説明するか、どっちが合理的だと思うよ?
385:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/16 14:51:06.71 cOThAell0
どっちが合理的なこととかではなく
さまざまな要素要因が絡み合っての結果でしょう
士気ということであれば
幕軍の士気の乏しさもあり
そして長州の士気の高さもあり
386:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/16 14:54:28.78 cOThAell0
あと俗論党と薩摩との相性の悪さなんて誰も言ってないのでは?
正義党政権になってからの一連の流れがあってからこその
薩長盟約であるという事実があるだけです
387:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/17 01:03:04.56 Yqen1Xov0
>>385
そうだよ。しかしウェイトとしては幕軍の士気の低さ、訓練度の低さ、
装備の不統一、兵站の不安定、治安維持の配慮などなどのほうが圧倒的に大きい。
とくに小倉口・大島口がそうであるが、どう考えてもこの局面の勝因を長州藩サイドから説明するのは無理がある。
そのほかの指摘はいずれも反対者が言い出したことだから、彼に聞いてもらいたい
388:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/18 03:44:28.91 f2UGQudu0
あれ、俗論党ifを言ってたのは君じゃなかったっけ。
まあいいや。
あと幕軍の士気の低さ、訓練度の低さ、 装備の不統一・・・云々については
その逆が長州に当てはまるよね。
ウェイトが幕軍の方が圧倒的に大きいと何を根拠に言いきれるのか自分には理解できんが
まあそれもいいや。
お後、持論は
“なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2”スレでやってくれ。
389:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/18 17:27:01.52 A58gDBQCO
>>369
うるせえよクソゴミ
お前は自分の歴史を見直せ
390:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 00:42:37.17 pbOy+qah0
>>389
だから見直してるだろ、ボケェ!
ボクは不誠実な「下関」市民、俗論派の第二の拠点「下関」が好きにはなれない、誠実な山口県民。
高杉晋作や伊藤博文を殺害しようとしてたのは、今の下関市民の先祖たちだからな。
こいつら、国賊だから。
下関市民はそういう黒歴史を背負ってるんだよ。
文句があるんだったら、恥ずかしい市名「下関市」を「馬関市」とかのカッコイイ市名に改称してからにせぇ、ボケェ!
391:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 01:06:13.93 rDLhlDO90
>>389
日本で唯一、積極果敢に攘夷決行し、攘夷戦を闘った地はどこでしょうか?→「馬関」
ウンコとおしっこをせき止めてます!という意味の日本で最も不潔で恥ずかしい名前の市はどこでしょうか?→「下関」
長州俗論派の末裔どもがその信じ難いバカさ加減を天下に晒し続けて既に1世紀。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
長州正義派の志士たちや坂本龍馬・中岡慎太郎たちは当然として白石正一郎もさぞかし草葉の陰で泣いておられることだろう。
392:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 01:14:53.50 uuKVUrWz0
中関と上関に対する下関じゃないのか?
393:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 02:02:31.18 rDLhlDO90
上関も、原発でダークイメージだし、
脱原発に成功したら、「上」なんておこがましい名前からも脱却したほうがいいだろう。
地名に上中下って感覚がまず呪われてるんだよ。少なくとも無粋。
しかも長州の瀬戸内海沿岸だけの話だし。
防長三関には、ちゃんと固有の名前が昔からある。それを尊重しないほうが、よっぽどどうかしている。
・赤間関・赤馬関あるいは馬関(あかまがせき、あかばかん、ばかん)
・中之関あるいは中関(なかのせき)
・竈戸関あるいは竈関(かまどがせき)
ただし、中関は、実質、三田尻港みたいな感じ。
394:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 05:19:21.52 KfFD4WC2O
原発に突撃する奇兵隊
395:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 10:34:26.34 YXdTTC970
上総下総上野下野とかおこがましいんだw
396:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/19 22:57:55.97 pbOy+qah0
「上州」はとんでもなくおこがましいな、確かに。
397:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/20 04:41:55.15 NuDOf6KB0
>>388
いや何を言ってるのかさっぱりわからないわけだが…
「俗論党と薩摩では交渉が難しい」と言う主張は
>>350をはじめとして>>366、>>372、>>378のほうが先に出してきている。
それに対して「正義派だろうが俗論党だろうが難易度は大して変わらない」
と反論しているだけなので。
ウェイトは幕軍のほうが圧倒的に大きいとして、幕軍の要因により多く着目するのは、近時の維新史の有力説。
なぜなら長州諸隊がどれほど士気が高く装備に優れ勇敢であっても、
兵数で10倍を誇る相手と、士気がほぼ同等の状態でどう純軍事的に勝利を収められるのさ。
現実は熊本藩や紀州藩、歩兵隊など多少戦意のある組織と抗戦すると、打ち破るだけの実力すらないでしょ。
ゲリラ化した小倉藩兵にも手を焼いている。
長州藩の勝利は、あくまでも幕軍側の要因から説明したほうがはるかに早い。
398:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/20 07:40:56.87 6r2UzjCHO
もうスレチって言われてるのがわからないの?
399:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/20 09:40:09.18 DVVxuUCx0
>>397
もうとっくにスレチって言われてんだから、自重して移動しろよ
400:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/20 12:32:07.38 MRTXEZa0O
400
401:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/20 23:15:52.98 nohvehyM0
>>397
今ここの空気すら読めてない人間が、説得力なし。
持論を誇りたいなら該当スレへ。
あまりに執拗なのは見苦しいだけだよ。
402:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/21 00:58:40.45 fRU/nL3k0
封建主義の俗論党と薩摩とじゃ上手くいかない→高杉も強烈な封建意識を持っていたから関係ない
紀州藩と歩兵隊は装備が優秀だから強かった→歩兵隊は長州戦争が本格投入(それ以前は天狗党程度)、彦根藩を無視している
とか、とんでもない誤解を訂正してるだけじゃん
そりゃ高杉は神様じゃないと言われて悔しいのは分かるけど、
大久保、木戸とか他の維新関係者スレではもっと冷静だわな。
403:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/21 01:03:33.24 fRU/nL3k0
>>401
あと「持論」じゃなくて青山、家近、高橋あたりは認めてることだわな。
研究者じゃないが野口も幕軍サイドから幕長戦争の動因を幕府側から考察している
長州藩サイドに出来ることには限界があって、幕府、雄藩、橋会桑、朝廷、世論の動向を分析したほうが
幕長戦争の分析にとってはよほど有意義なんだわな。
404:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/21 02:10:21.27 EfRkfuCyO
誘導に応じず居座って言い返さないと気が済まない
冷静じゃないのはあなたの方
405:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/21 16:36:05.44 5upYG2120
>>403
青山忠正 佛教大学歴史学部教授
家近良樹 大阪経済大学教授
どちらも反長州史観・反木戸史観の、とんでもない曲学阿世の徒かつ国賊。話にならんね。
で、高橋ってのは誰? 高橋姓って多いんだから、下の名前ぐらいちゃんと付けろよ。
>>402
高杉晋作は、自分の出自を強調することで、封建意識のみのバカ俗論派をも従わせていただけ。
そんな簡単なこと、よく勘違いできるな。
>>397
> ゲリラ化した小倉藩兵にも手を焼いている。
?
ベトコンやアルカイダなど、ゲリラ相手では、世界最強の米軍でさえ、どんなに兵員と最新兵器と金と時間を費やしても,いまだに勝てないでいるがな。
世界の常識。
ゲリラ化した小倉藩兵を降伏させた長州軍がいかに圧倒的に強く巧みだったかという証拠を素直に認めるべきだろう。
> 長州藩の勝利は、あくまでも幕軍側の要因から説明したほうがはるかに早い。
(´・ω・)カワイソス
長州藩は、10倍以上の兵員数とフランス仕込みで近代化された兵器・歩兵隊の幕府軍に少なくとも三方から挟み撃ちされてるわけだからねぇ、
幕府側にどんなに大義名分がなくても、幕府上層部がどんなにバカでも、その当時の長州藩以外の藩なら、軽く、藩全域を武力制圧されてるでしょ。
よって、その当時の長州藩側の特殊要因の説明なしでは何にも説明したことにはならないよ。
406:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/21 23:17:42.13 X0Ox9T4P0
>>397
> 長州藩の勝利は、あくまでも幕軍側の要因から説明したほうがはるかに早い。
幕軍側の要因は単にいくつかある要因のうちのひとつに過ぎない。
歴史の事象の説明を早いか有意義かだけで判断してはならないと思うが。
>「正義派だろうが俗論党だろうが難易度は大して変わらない」
雑過ぎる。
>>403
てか、自分の論ではなく単なる受け売りだったのか。
>>402
ここは高杉を盲目に神と思っている人もおるかもしれんが、
彼の欠点をわかっている人も多いよ。
ただ説得力のないことを延々と続けられて皆ヘキヘキしてるわけで。
他スレは他スレ、そちらががよいならさっさとここを去ればよいではないか。
407:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/21 23:28:42.31 X0Ox9T4P0
↑
誤 ヘキヘキ
正 ヘキエキ
408:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/22 05:24:24.28 J4QPB/ny0
「赤祢は周防の百姓だ。おれは毛利家譜代の臣だ。どっちが藩に忠義か
明らかではないか」とアジって赤祢を退けた封建意識と身分差別意識の
権化が高杉。改革派でもないし反逆者でも何でもない。
409:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/22 09:28:55.57 utqW2V8P0
>>405
高橋秀直 京都大学文学部教授 2006年死去
410:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/22 12:33:39.46 cAW6GUYb0
スレチ続けてすまんが
貴方の挙げた学者の方々は確かに幕長戦争の幕府側の敗因について検証しておられるが、
それは既存の研究が長州側に偏っていたため幕府側を検証するべきということで、
「幕府側に敗因があるのであり、長州側に勝因があるのではない」
などという論を張っている方は、その中には居られないと思うが。
高橋秀直氏には、慶応年間の「木戸政権」について、対幕戦に向けて
挙国一致の体制固めや他藩への根回しについて分析する論文もあったと思う。
…って話は今後別スレでやりましょってことで。
411:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/22 14:14:48.24 GCTYYlnP0
>>408
単なる身分制度の権化なら、撰鋒隊の存在意義を危くする様な部隊なんぞ設立せんがなw
412:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 14:01:05.88 nhodzz4Q0
>>405
>高杉晋作は、自分の出自を強調することで、封建意識のみのバカ俗論派をも従わせていただけ。
>そんな簡単なこと、よく勘違いできるな。
いや、高杉は「毛利家恩古の臣」と言う藩主に対する強烈な忠誠心を持ち、
たとえば奇兵隊の決起を促した時に赤根を「一土民」呼ばわりすると言う危険な行為を行っている
(もちろん奇兵隊は呼応せず、高杉は「脱走」扱いにされている)
さらに大田の戦闘後、世子毛利定広を担ごうとした藩政府に対して、
上士出身者が弱気になったのに対し、山県ら軽輩出身者は断固決戦を主張したのはよく知られている
高杉の封建意識を示すこの事例は遠山茂樹以来、一坂の世代に至るまで重視して指摘され続けてきた事実
>>411
崩壊しかけた幕藩体制の中で、体制を固守しつつ衆庶の参加により藩を再興させる。
古川薫は対外戦争は民衆動員のために利用されたと考えている。
奇兵隊はあくまで正兵を補う存在であり、内部に厳然たる身分差別があったのは周知の通り
高杉ら長州藩指導者は衆庶が藩家秩序を乱すような行動を許さなかった。
ここに山県や赤根ら、諸隊実務者との対立が兆す原因がある。
>>410
たとえば家近は幕長戦争の帰趨を決めた原因として
幕府・雄藩・京阪地域の要因を主因として挙げ、長州のそれについては取り上げていない。
それどころか、会津藩兵の投入が実現していたら「歴史は今日我々が見ているのと同じ道をたどった保証はない」
とも言っている。
「確かに幕長戦争における長州藩の役割は大きい。だが、あくまで倒幕の根幹をなしたのは公論の力」
と主張し、西南雄藩中心史観をはっきり否定している。
勉強不足だね。なお、高橋秀直は長州戦争に関して家近・青山とはやや立場を異にしているが、
それでも従来の長州藩を過大評価する立場とは一線を画していることには注意されたい。
413:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 14:09:33.85 nhodzz4Q0
>>406
雑すぎるならもとに戻ろう。
第1次征長戦の和議を取りまとめたのは西郷吉之助の助言に従った慶勝総督と俗論党政権。
なぜ俗論党政権が正義派政権より対薩関係を取り纏められなかったとするのは、
この一事を持っても否定される。そもそも俗論党政権の場合、
幕府との意思疎通がよりスムーズに行っていた可能性が高い。
それと一言。
人には罵倒を浴びせ、スレから出ていけと言いながら、なぜいちいち反論するのか。
要は事実を指摘されるのが不愉快だからだろう。
414:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 14:22:27.56 nhodzz4Q0
>長州藩は、10倍以上の兵員数とフランス仕込みで近代化された兵器・歩兵隊の幕府軍に
>少なくとも三方から挟み撃ちされてるわけだからねぇ
非常に雑な説明と言わざるを得ない。本来予定されていた攻め口のうち、
海路の萩口が潰れたのは薩摩藩の不参加。小倉口、石州口は幕軍はまったく攻勢に出ていない
大島口は宇和島藩が参加しておらず、佐賀藩も、さらに頼みの熊本藩まで戦闘に参加しない状態で、
芸州口以外ではほとんど攻勢らしき攻勢がかけられていない。
芸州口でも、幕府歩兵隊は出動経験が少なく、しかも出動してからほどなく休戦状態に入ってしまった。
また、この翌年慶応3年、フランス公使ロッシュは幕軍の訓練度が進まないことに苛立ち、
「慶喜の江戸帰還が何より重要」と具申している。慶喜による幕軍の全隊銃卒化が始まるのはこの戦後。
>幕府側にどんなに大義名分がなくても、幕府上層部がどんなにバカでも、その当時の長州藩以外の藩なら、軽く、藩全域を武力制圧されてるでしょ。
>よって、その当時の長州藩側の特殊要因の説明なしでは何にも説明したことにはならないよ。
そう、当時長州藩は凄まじい粛清によって正義派与党以外の人士、民衆、反乱が徹底して弾圧される臨戦状態にあり、
このような態勢は日本でもさほど多くはなかっただろう
(長州藩内部の弾圧については井上勝生や一坂、また大粛清による証言や史料散逸を指摘するのは家近である)
だがその長州藩にしても、ろくに経験のない歩兵隊と苦戦し、熊本藩には敗色濃厚であった。
しょせんその程度。たとえば薩摩藩、装備では佐賀藩などと比べたらだいぶ遜色がある。
それでも桂が強気の見通しを持つことが可能だったのは、参加予定の九州諸藩、西国諸藩の世論を熟知していたため。
青山や家近を「反長州」などと言っているおバカには分からないかも知れないが…
415:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 15:36:55.36 je4eIR4Z0
>>413
さすがに該当スレに去ったのかと思っていたのだが・・美しくないね。
しつこく反論を続けてるのは確実に君だろう。
現にまた空気も読まずこれだけ捲し立てて。
そんな人間に「反論を続けているのか」と言われる筋合いなし。
皆スレチだよと言ってるだけだしね。
それに対していつまでもいつまでも執拗だからね。
>要は事実を指摘されるのが不愉快だからだろう。
あのね。
空気を読まない君に不愉快さを感じてるだけだよ。
それだけ。
そろそろスルー対象にしてもいいんだがな。
416:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 15:45:42.90 je4eIR4Z0
ていうか、
>・・・可能性が高い。
と見解を断定できないにも関わらず
>要は事実を指摘されるのが不愉快だからだろう。
自分の意見を事実と確定しているこの矛盾さ。厚かましさ。
417:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 17:08:07.53 qujh070K0
まあ学者の論文を手がかりに自論を展開するのはいいんだが
自論を行き過ぎなくらい補強するのってちょっと恥ずかしいよね
だれも高杉が封建的価値観の持ち主ではないとは言っておらんのだがなあ
高杉も井上も桂も毛利家への忠誠心はすごくて、
なのにやったことがアレだから面白いんだがね
418:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 19:51:38.70 XDY7zoBPO
ここまでくると立派な荒らし。
真実を告げるが故に糾弾される自分に酔うのは
中学二年生で卒業しておきなさい。
419:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 21:42:55.02 hYJkO8DY0
高杉の身分意識はかなりあっただろう。
その点でも桂とは相性悪い気がするんだよなあ。
420:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 22:18:21.02 iH7O+rbkO
高杉は封建的な意識が高いのは確かだけど
四民平等が時世の流れで藩や国の力になるなら目を瞑って受け入れるんじゃね
桂と結託してたますじのことを後継者指名したくらいだし
421:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/23 23:15:46.03 A099ItA00
高杉はそりゃ自分が毛利家家臣であることに強い誇りと自負を持っていたけれど、
当時のあの身分の武士としちゃ十二分に柔軟。
例のお小姓日記に、明倫館に入学資格のない、足軽陪臣から町民農民まで入れる学校を作って
土屋矢之助とかを教授にすればいい、なんてアイディアを書きとめたりしている。
まあ松陰の影響が多分にあるんだろうけど。
別の日の日記には、藩政府人事案を自分なりに作ってみて、
行政府のトップの参政は周布、地政府の参政は桂、とか書いてるあたり微笑ましいw
このころ桂はまだ有備館舎長なんだけどな
422:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 04:39:40.53 S6eVg3pW0
高杉の封建意識は藩に対するものばかりではない。
家に対しても強い封建的倫理観を持っていたことは明らか。
衆庶の藩政参加は19世紀末~の藩政改革の時点から始まっていたから高杉独自の発想ではない
ただし高杉は、民衆の要求が長州藩や藩秩序を揺るがすことは絶対に認めなかった
それは自ら発起した奇兵隊も同じ。諸隊はあくまで藩家を守るためのもので自律性を認めない
よく文民統制とか勘違いされるが、実際は藩指導者が諸隊の自立を恐れたために他ならない
423:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 04:44:34.79 S6eVg3pW0
>>416
では、はっきり言い直そう。
ぶっちゃけ俗論党政権なら幕長戦争なんて起きてなかった。
一橋慶喜は積極的だったが、その手足となる会津藩が必ずしも前向きではなく、
戦争勃発に至る過程ではかなり錯綜したものがあった。
正義派政権は不信感から徹底して幕長間の意思疎通を阻害した。結果が長州戦争だよ。
高杉もよく情勢分析せずに開戦不可避を言上している。明らかに幕府にとっては想定外の戦争だ。
長州戦であえて主役を挙げるなら桂だよ。
空気を読めとは、一緒に高杉をマンセーしろと言うことかな?