08/06/30 20:36:20 NFrRJtTo0
日本における朝鮮の歴史についての記述は、最近まで植民地統治時代の考え方を引きずっていた。
朝鮮の歴史は、常に外国に支配される情けないものだったかのようなイメージが作られていたのである。
しかし、虚心に考えてみれば、大陸からわずかに突き出た小さな半島が今日も独立しているのには、むしろ驚くべきであろう。
現在、漢民族の人口は膨大だが、その中には漢民族に同化されたさまざまな異民族の末裔が含まれているのである。
隋の煬帝の大軍を撃退した高句麗の将軍乙支文徳(ウルチ・ムンドク)、契丹軍を破った高麗の姜邯賛(カン・ガムチャン)、
そして秀吉の水軍を壊滅させた李舜臣(イ・スンシン)らの救国の英雄の名前は今日の南北朝鮮では常識である。
このうち李舜臣の名前だけは日本の学校で教えられるようになったが、それとて比較的最近のことであり、
他の二人はまったく知られていないと言ってよい。
浜島書店『新詳日本史図説』より 私が受験勉強をしていたころの教科書や参考書の年表には、日清、日露戦争はゴチックで記され、
「日韓併合」(今日ではふつう、日本と韓国が対等に併合したような印象を与えることを目的とした呼び名なので、
"韓国併合”と記されるのが普通)は普通の文字で記されていた。さらに、1919年5月4日に中国で起きた「五四運動」
がゴチックで記されているのに対し、同じ年の3月1日に朝鮮で起きた「三一独立運動」は単に「万歳事件」と記され、
普通の文字で書かれていた。一部には今もこのような記し方をした参考書を見かけるが、実におかしなことである。
日清、日露戦争が要するに朝鮮の争奪戦であったことはすでに当時から広く認識されていた。
フランス人ビゴー(1860-1927)による風刺画(左の図版)もそのことを示している。
下駄をはいた日本の武士が中国人と争って釣り上げようとしている魚には”Cor?e(朝鮮)"と書かれており、
向こうでロシアが様子をうかがっている。「五四運動」は、中国の独立運動家自身が言っているとおり、
「三一運動」の影響を受けて起こったのであって、その逆ではない。五月が三月より先に来ることはありえないのだから、
これは当然のことである。
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