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古墳時代初期の馬具は、鞍だけをみると金銅製の金具を被せたりした豪華なものがあり、
埴輪から推定されるように居木の上に前輪と後輪を前後に屹立させ、腰をはさみつけるようなものであった。
馬上の運動がしにくいもので他の飾り具と併せて、実用と言うより儀仗用の色彩が濃いものであったと思われる。
しかし轡や鐙は当初から実用の用途を考慮して制作されたものであり、ほとんどの後期古墳から轡が出土していることから、
移動するための乗馬ぐらいはすでに行われていたものと推定される。
中世の馬具は、平安時代に入ると、轡、鞍、鐙に変化が生まれる。
鞍はほとんどが木製の鞍で、後輪が傾斜した鞍になり、全体が重厚な造りになり、大鎧を着て乗馬しても乗り降りしやすく、
またこれによって垂直の前輪と後輪に挟まれた古代の鞍より刀や槍を振るうなどの馬上での運動が行いやすくなった。
鐙も古代の輪鐙や壺鐙からスリッパ形となり、馬上で立ち上がりやすくなり世界でも独特の舌長鐙へと変わっていった。
(末崎真澄)
六世紀後葉
甲冑の基本形態は変わらず、桂甲の増加は順調であるが、西日本よりもむしろ東日本で著しく、
小規模な古墳や横穴から出る場合もある。
馬具の量は増加し、群集墳中の盟主的な位置を占める中位クラスの人々にまで騎馬の装備が普及したことを示す。
その背後には列島内における馬具生産の本格化が推測出来よう。
この時期に普及する馬具の多くは、素環轡などからなる簡素で実用性の高い素型で、これら中位クラスを主兵力とした
戦場での一定程度の馬の使用が想定される。
これに対して前方後円墳などから出る高位有力者の馬具は、装飾的な傾向が強い美麗な品で、戦場での実用というよりも
そこも含めたさまざまな場で威儀や身分を表示する役割が顕著であったと見られる。
(松木武彦)