11/06/12 03:08:41.58
>>478
天慶の乱(939~941)に藤原純友の次将となった佐伯是基は、海賊を率いて佐伯院を襲い、
収納してあった官財を略奪したとある。
また大神惟基から分かれた子孫には、佐伯三郎、佐伯四郎など佐伯の地名に
輩行を添えて呼ぶものが多い。
これらのことから、大神惟基と佐伯是基とは同一人物で、
是基(惟基)は佐伯を領してそれを子孫に伝え、
佐伯氏の名字が定着したものと考えられる。
そして、それは平安時代末期から
鎌倉時代の初めにかけてのことであろうと推察される。