11/06/12 00:02:27.51
↑
いや気付いて直そうと思ってたところ。ご指摘には感謝する。
しかし、大勢に影響はないよ。
451:つづき
11/06/12 00:21:48.27
近藤好和が武士の戦闘技術が律令時代から継続していると著述しているのは
「院政の展開と内乱」元木泰雄(編)吉川弘文館 の中でだよ。
元木泰雄は懐深いね。
452:つづき
11/06/12 00:27:50.40
即ち一流の学者でも「武士論」に定説を提唱できない程慎重だということ。
453:日本@名無史さん
11/06/12 00:36:15.75
戦闘技術の継続性については高橋昌明氏も唱えてるね。
近藤氏とは若干趣を異にしてるようだけどね。
高橋氏は衛府武官、特に近衛府武官との戦闘法の連続性を主張してる。騎乗戦術だけでなく歩射等も含めて。
この2人ちょっとやり合ったことがあるらしい。
454:日本@名無史さん
11/06/12 00:40:08.33
>>447
>仮に戦闘法(特に騎乗戦術)が律令期から続いてるものとして、
>よって武士の起源も同時期まで遡らせることが出来るなんて考えることとは全く別。
同意。
武器や武器の使い方は武士とは関係ない。
それ言い出したら、
刀や甲冑の起源は古墳時代。
和弓や弓術の起源に至っては縄文時代まで遡ることになる。
>>452
五味文彦氏の言うことは
頑なな軍事貴族論者以外の中世史研究者には広く受け入れられてると思うけどね
455:日本@名無史さん
11/06/12 00:41:58.45
>>453
ちょっとやり合ったどころじゃなくて
むしろいつもやりあってる印象なんだがw
高橋の「武士の射撃技術は低下した」に対して
近藤が「武士はいつだって最強だ」と反論するw
456:つづき
11/06/12 00:54:22.63
>>454
日本の中世の認識はこれでいいのか?
12世紀は中世初期なんかじゃないよ。
11世紀から14世紀中葉までは古代王朝と(仮)プレ中世の並立時代だよ。
457:日本@名無史さん
11/06/12 01:05:54.39
なにもヨーロッパの中世と日本のそれとをピタリと完全に一致させなければならないというものでもあるまい。
日本なりの中世というものは10c初頭の王朝国家時代の幕開け(=律令制の弛緩ないしは実質的な崩壊)とともに始まっているとみることに、さして無理は感じないしな。
458:日本@名無史さん
11/06/12 01:07:49.67
弓射儀礼(歩射)の成績(『中右記』、『吾妻鏡』)
回数 命中 命中率 射手数
1096年(京都) 140 11 7.9(%) 14 最高成績:源明国(多田源氏) 40%
1260年(鎌倉) 240 181 75.4(%) 12
459:つづき
11/06/12 01:15:29.98
>>457
始まった時期を言うのであれば
武士の始まった時期は軍事面で言えば6世紀にまで遡ることができる。
460:日本@名無史さん
11/06/12 01:27:11.94
>>459
いやだからそれは「武士の起こり」ではなくて、あくまでも律令期(以前)から武士成立期に至るまでの「戦闘技術の継続性」というこどだろう。
そして技術(の一部)が継承されるなんてのは当たり前のことなんだよ。
逆に言えば、戦闘技術が前時代からの何の脈絡もなく王朝期になって突然ゼロから湧き起こったなんて考える方がよほど不自然なんだよ。
繰り返すけど、それと家業としての武の家(すわなち武士)の成立とは全然別のこと。
こんなことは高橋昌明氏も下向井龍彦氏も否定してないと思うが?
461:つづき
11/06/12 01:35:12.11
東漢氏系坂上田村麻呂の説明はどうつけるんだ?
直系の先祖は壬申の乱、恵美押勝の乱鎮圧にも活躍してるぞ。
462:日本@名無史さん
11/06/12 01:35:37.29
近衛舎人は弓矢を具すといえども武勇には及ばぬものなり。
(『続古事談』)
463:つづき
11/06/12 01:39:56.83
大蔵氏、佐伯氏の説明はどうつけるんだ?
464:つづき
11/06/12 01:42:02.12
>>462
特定の武門の系譜が認められてたってことだね。
465:つづき
11/06/12 01:54:20.85
>>460
それは社会システムが家業固定化の流れに即して「武門の家」に押し込められただけのこと。
例えばそれ以前の橘氏からは著名な文人も輩出されてるし第一勲功者の家じゃないのか?
466:日本@名無史さん
11/06/12 02:03:54.62
>>460が言ってる「武士の起こり」と「戦闘技術の継続性」が別物だっていうことに
正面から反論すべきでは?
ところで軍事貴族論者に言わせると、平安前期・中期くらいに
弓馬の技の伝承を受けた貴族、すなわち「武士」って
同時代に数十~数百名くらいしかいないってことになるのか?
どうなの?
467:日本@名無史さん
11/06/12 02:11:07.12
馬具も実戦向きに進化していってるし、前代の技術なんてお笑い草でしかないよ
カビの生えたような故実ならば、それはそれで結構なんだろうけど
468:つづき
11/06/12 02:11:17.46
>>466
別物だという論がどこから沸いて来るのか論拠を提示して貰わねば反論も出来ぬ。
469:つづき
11/06/12 02:14:42.43
>>467
馬具のどこが?
鐙はスキタイで完成されてるし、6世紀の後期古墳時代には完成の域にまで達した馬具が副葬されている。
470:日本@名無史さん
11/06/12 02:17:44.74
>>469
平安、鎌倉以降の馬具と比べてごらんよ
例えば鐙なんて全くの別物だから
471:つづき
11/06/12 02:22:53.09
>>466
ずいぶん前のレスで
国内武士(国衙軍制論)は偶然にも健児の数と一致すると述べている。
繰り返すがそれは重装騎兵と土地の生産性との相関関係に他ならない。
472:ワッカ
11/06/12 02:27:52.26
古代起源から言うと、武士のことを「さむらい」と言うのは、オオクニヌシが
アマテラス軍に敗北させられた時に、こう言った、
「これからは(私オオクニヌシは天皇アマテラスに)さもらい(わずか=さ、
もらい=給金)なむ(わずかな給金でお仕えします、警護でも何でも)」と言った。
その「さもらい」(わずかな給金で天皇体制の警護に仕える)が、武士(さむらい)
になった。
意外かもしれませんが、武士のルーツは、天皇体制警護の人たちでした。
オオクニヌシの「さもらいなむ」の言葉は「古事記・上巻」に出ています。
473:つづき
11/06/12 02:29:17.83
>>470
機能の面で実証した例を挙げてくれ。
474:つづき
11/06/12 02:32:23.48
>>461 に答えて下さい。
475:日本@名無史さん
11/06/12 02:34:15.00
>>468
いや、だから、
「武士の起こり」と「戦闘技術の継続性」のふたつを結びつけて主張してるのは君なんだから、
なぜ「武士の起こり」と「戦闘技術」に関連を見出すべきなのか論じてみては。
476:日本@名無史さん
11/06/12 02:46:33.09
>>461
坂上氏が武士の起こりなんて論は誰が唱えてるの?
初耳なんだが?
477:つづき
11/06/12 02:50:14.69
つはものとは弓馬のみちなり。
478:日本@名無史さん
11/06/12 02:50:44.72
>>463
大蔵氏については、承平・天慶勲功者である春実を以て以降と考えること以上の何がある?
佐伯氏は王朝国家期以降に兵の家と位置付けられたという根拠は?
又、佐伯氏のどの人物?
479:つづき
11/06/12 02:54:30.98
>>476
恥ずかしながら小生が唱えております。
480:日本@名無史さん
11/06/12 03:06:23.69
>>465
> それは社会システムが家業固定化の流れに即して「武門の家」に押し込められただけのこと。
だから、その
>家業固定化
を以て武士の起こりとすることに何の無理があるの?
それ以降の時代では承平天慶勲功者子孫以外で、武の分野における責任者に任じられた例は、戦国時代の到来まで待たなくてははならないのだが?
> 例えばそれ以前の橘氏からは著名な文人も輩出されてるし第一勲功者の家じゃないのか?
ちょっと何を言ってるのか分からない。
遠保が承平・天慶勲功者となって橘氏の中で兵の家になって行ったというそれだけのことなのに。
何故、「以前以後」に拘るのかその理由が分からない。
それを言ったら藤原氏も、利仁、秀郷の出現以前は同じことだろうに。
481:つづき
11/06/12 03:08:41.58
>>478
天慶の乱(939~941)に藤原純友の次将となった佐伯是基は、海賊を率いて佐伯院を襲い、
収納してあった官財を略奪したとある。
また大神惟基から分かれた子孫には、佐伯三郎、佐伯四郎など佐伯の地名に
輩行を添えて呼ぶものが多い。
これらのことから、大神惟基と佐伯是基とは同一人物で、
是基(惟基)は佐伯を領してそれを子孫に伝え、
佐伯氏の名字が定着したものと考えられる。
そして、それは平安時代末期から
鎌倉時代の初めにかけてのことであろうと推察される。
482:日本@名無史さん
11/06/12 03:12:43.57
>>481
ああ大神姓佐伯氏のことね。
どちらにしてもそれならやはり承平・天慶勲功者子孫のことになるじゃないか。
483:日本@名無史さん
11/06/12 03:33:12.53
ちなみに、
藤原秀郷、平貞盛、源経基、平公雅、平清幹、橘遠保、大蔵春実、藤原為憲、藤原貞包、巨勢広利、大神高実、藤原遠方、藤原成康、藤原倫実、越智用忠
下向井龍彦氏によると、以上が承平・天慶勲功者(後半は推定を含む)。
484:日本@名無史さん
11/06/12 03:41:50.92
>>480
それを言ったら「すべての家業は院政期に起こった」 シャンシャンだね。
485:日本@名無史さん
11/06/12 06:14:15.36
>>484
本当に?
院政期より前には代々の職人や商人なんて存在しなかったのか?
486:日本@名無史さん
11/06/12 07:19:49.52
>>484
少なくとも貴族社会においてはそうだよ。
それも兵の家だけじゃなく、陰陽道、明経道、明法道、紀伝道、算道・・・等もみんな院政期の「家」の確立によって起こったこと。
前スレ以来散々論じられてきたことじゃないか。
487:日本@名無史さん
11/06/12 07:49:23.79
>>473
実証も何も輪鐙や壺鐙で戦う武士がどこにいるよ
清原元輔なんてただの乗馬(賀茂祭)だけで落馬してるもんな
488:日本@名無史さん
11/06/12 08:28:16.37
前半レスで、首かりは普遍的(?)みたいな結論が有ったけど
「ハラキリ」はどうなのかずっと疑問に思っていました。
腹を切れるほどの刀、胆力、その辺が武士の根元ではと。
489:日本@名無史さん
11/06/12 12:29:53.18
割腹は奥州の習俗じゃないの?
490:つづき
11/06/12 13:21:08.02
源頼朝は、源氏再興の旗挙げの3年前、1177年(治承元年)に密かに三浦を
訪れているという説がある。 その際にすでに鎌倉を本拠とすべく偵察していたという。
そして、鐙摺山は、その三浦微行の際に、頼朝が山を登るときに「馬の鐙が地に摺れた」
ことから付けられた名といわれている。
491:日本@名無史さん
11/06/12 13:26:36.89
頼朝は落馬の名手
492:つづき
11/06/12 13:27:10.59
この故事が何を物語っているか
鐙が日本に伝わり600年近く経ていた当時、それを発明した北方アジア騎馬民族からは
寧ろ退化した使用法に変化していたことを 示唆している。
それは「馬の鐙が地に摺れた」のは鐙紐を長くし過ぎているということで足をダラリと垂らして
足休め程度の使用法だったことを 物語っている。
493:つづき
11/06/12 15:04:35.26
騎兵が鐙を最大限に活用し効果を挙げるのは現代の競馬騎手にも通じる鐙の位置を高く設定し、
中腰の姿勢をとることで疾駆する馬の振動を緩和するサスペンション的使用法であることは
言うまでもない。
高い鐙位置で中腰の姿勢をとることで騎兵は目標に向かっての突撃の威力が増すのである。
さらに、騎兵の最大の戦闘技術である馳射、パルティアンショットも可能となるのである。
以上より平安末期には騎兵(武士)の戦闘技術の低下があったであろうと推測される。
494:日本@名無史さん
11/06/12 15:16:40.60
>以上より平安末期には騎兵(武士)の戦闘技術の低下があったであろうと推測される。
それ言うと近藤好和が激怒するぞw
495:日本@名無史さん
11/06/12 15:21:33.78
だからそれは単に頼朝って個人が馬乗りがド下手クソだったからなんだって!
496: 忍法帖【Lv=1,xxxP】
11/06/12 15:24:28.99
テスト
497:日本@名無史さん
11/06/12 15:53:56.06
古墳時代初期の馬具は、鞍だけをみると金銅製の金具を被せたりした豪華なものがあり、
埴輪から推定されるように居木の上に前輪と後輪を前後に屹立させ、腰をはさみつけるようなものであった。
馬上の運動がしにくいもので他の飾り具と併せて、実用と言うより儀仗用の色彩が濃いものであったと思われる。
しかし轡や鐙は当初から実用の用途を考慮して制作されたものであり、ほとんどの後期古墳から轡が出土していることから、
移動するための乗馬ぐらいはすでに行われていたものと推定される。
中世の馬具は、平安時代に入ると、轡、鞍、鐙に変化が生まれる。
鞍はほとんどが木製の鞍で、後輪が傾斜した鞍になり、全体が重厚な造りになり、大鎧を着て乗馬しても乗り降りしやすく、
またこれによって垂直の前輪と後輪に挟まれた古代の鞍より刀や槍を振るうなどの馬上での運動が行いやすくなった。
鐙も古代の輪鐙や壺鐙からスリッパ形となり、馬上で立ち上がりやすくなり世界でも独特の舌長鐙へと変わっていった。
(末崎真澄)
六世紀後葉
甲冑の基本形態は変わらず、桂甲の増加は順調であるが、西日本よりもむしろ東日本で著しく、
小規模な古墳や横穴から出る場合もある。
馬具の量は増加し、群集墳中の盟主的な位置を占める中位クラスの人々にまで騎馬の装備が普及したことを示す。
その背後には列島内における馬具生産の本格化が推測出来よう。
この時期に普及する馬具の多くは、素環轡などからなる簡素で実用性の高い素型で、これら中位クラスを主兵力とした
戦場での一定程度の馬の使用が想定される。
これに対して前方後円墳などから出る高位有力者の馬具は、装飾的な傾向が強い美麗な品で、戦場での実用というよりも
そこも含めたさまざまな場で威儀や身分を表示する役割が顕著であったと見られる。
(松木武彦)
498:日本@名無史さん
11/06/12 16:46:27.00
古代の騎馬による戦闘は、甲冑の造りが鉄製の短甲、桂甲、そして鞍橋の実際から考えても、馬上で武器・武具を持っての運動はかなり難しい。
したがって実戦の際は馬から下りて戦ったものと推測され、むしろ騎乗しての移動が中心であったと考えられる。
一方、平安・鎌倉時代は革製の小札を糸で威した大鎧や中世鞍と武蔵鐙などの舌長鐙の登場で、馬上での運動がかなり行いやすい装備となった。
これによって大弓なども振るいやすくなり、その活躍する姿は中世絵巻・屏風等で知ることができる。
この後の室町時代、戦国時代にかけても騎馬の役割は、欠かせないものがあった。
(末崎真澄)
499:つづき
11/06/12 17:53:05.76
>>498
この末崎真澄ってやつ何も分ってねーな。
短甲・桂甲についてどんな研究してんの?
近藤好和(「院政の展開と内乱」元木泰雄編)のⅡ武具の中世化と武士の成立p147~153を読めよ。
500:つづき
11/06/12 18:08:03.35
>>497
舌長鐙の方が「足休め」として楽なだけだろ?
下半身に負荷が掛かる重装騎兵としては自然な選択の結果。
それは西欧の鐙についても同じだ。
501:日本@名無史さん
11/06/12 18:52:20.94
>>499
末崎氏は馬の博物館の学芸部長で馬についての研究では第一人者の一人だよ
短甲は打物歩兵用の鉄甲
>>500
近藤氏の主張とまるで違うし
502:日本@名無史さん
11/06/12 19:10:29.38
>>499 >>500
近藤の主張のうち、自分に都合いいごく一面だけとって
都合いい電波武士論組み立てるなよ。
箔付けにすらならない。
>>490-493もひどい論理展開だ。
「鐙が退化した」って言いたいならそんなどっかの山の伝説じゃなくて
まともな史料から複数の事例を引っ張ってこい。
503:つづき
11/06/12 19:15:48.57
>>501
>>500 は小生の主張だよ。
>短甲は打物歩兵用の鉄甲
これが素人。
桂甲は両当系、短甲は方領系であり、桂甲も短甲も鉄札甲であり単に「鉄甲」とは言わない。
それは義務教育レベル。
それに「打物歩兵」なる兵科は古代にも上古にも存在しない。
504:つづき
11/06/12 19:36:05.04
沓履きを放棄した鎌倉時代の騎兵には輪鐙、壺鐙は使い辛いのは当然。
古代は騎乗の基本は沓履き。
舌長鐙は沓履きと同じ機能を持たせたもので騎乗技術の進化とは言わない。
505:日本@名無史さん
11/06/12 19:39:08.81
>>503
打物歩兵を否定するなら近藤氏に言えよ
>>504
落書きかよ
506:つづき
11/06/12 19:44:46.13
お前バカそうだから念のため
沓=木製。
507:日本@名無史さん
11/06/12 20:53:27.39
>>506
うわあ本物の馬鹿だwww
508:つづき
11/06/12 21:12:38.71
史料バカは歴史学(この名称もなんだかな)から退場する時期だよ。
総合人文科学でいいんじゃないの?
考古学とテクノロジー工学でこの際いいよ。
509:つづき
11/06/12 21:15:10.02
ついでに言うと学芸員なんかも理系オンリーでいいよ。
510:つづき
11/06/12 21:22:47.39
>>507
救いようの無いバカだなお前。
舌長鐙自体が木製だろ?
沓と同材質での同機能を追求した結果の産物。
511:日本@名無史さん
11/06/12 21:45:03.23
2ちゃんに大勢いるよな。
「史料を出せ」と言われると、出す能力がないから
「文献史学はとっくに時代遅れ」とか訳分からん史学批判を始めるバカw
512:日本@名無史さん
11/06/12 21:58:56.49
文献史学は、すでに井沢先生によって死亡宣告されている。
513:日本@名無史さん
11/06/12 22:49:17.59
「湿気の多いわが国じゃ沓なんか履いてると水虫になっちまうよ。」
「足袋と草鞋が快適だね。」
「そうだ!鐙に沓を付けちゃえ。」
こんな感じじゃね?
514:日本@名無史さん
11/06/13 07:08:22.09
案の定マニアックな方向に走り出したわ。
スレ始めの頃の、短弓だ長弓だ、の時と同じだな。
弓にしろ、鐙にしろ、このテの話になると決まってテーマと外れた所へ一人歩きしてしまうという陥穽にハマることになる。
武具の話がしたいんなら武具専門のスレたててそっちでやれよ。
515:日本@名無史さん
11/06/13 11:13:24.98
武具スレはもうあるんだけどね
516:日本@名無史さん
11/06/13 18:42:20.32
武士の起源は百済のサウラビ
517:日本@名無史さん
11/06/13 23:09:13.80
誰でも知ってる事を堂々と…
518:日本@名無史さん
11/06/13 23:34:51.18
いつか教科書に載りますかね、サウラビ。
519:日本@名無史さん
11/06/13 23:48:50.49
URLリンク(ja.wikipedia.org)
wikiの「サウラビ」の項目だけど
ひどいね。文献史学のネトウヨの作文だろ?
520:日本@名無史さん
11/06/14 00:16:35.60
>>519 朝鮮人の語呂合わせを常識的に批判しているだけの文章だ。
朝鮮では大学教授が語呂合わせ遊びしているんだな。
521:日本@名無史さん
11/06/14 00:32:24.26
>常識的に批判しているだけの文章だ。
そこに根深い相互不信感ああるのでは?
522:日本@名無史さん
11/06/14 00:36:44.51
相互不信感の源流は
白村江からの一連の流れを再考する余地がある。
523:日本@名無史さん
11/06/14 00:47:46.12
日本史板のこの手の電波って
釣り目的なのか、本物の在日が書いているのか気になる。
524:日本@名無史さん
11/06/14 00:49:11.90
>>519
文献史学は反日ブサヨの巣窟だ。
奴らは唯物論者のマルキシストでコミンテルンのスパイ。
525:日本@名無史さん
11/06/14 04:07:47.62
文献史学じゃない史学は、ただのアマチュア民俗学です(キリッby東京大学
526:日本@名無史さん
11/06/14 06:26:15.98
東大は日本コミンテルン総本部
527:日本@名無史さん
11/06/14 06:35:02.00
朝鮮の起源捏造はもう世界的に有名なんで、
やればやるほど馬鹿にされてる。
「オレの先祖はエラかったんだ」と偽家系図見せて
「オレのことを尊敬しろ!」と
わめきちらしている田舎のプチ成金みたいなものだな。
528:日本@名無史さん
11/06/14 06:36:51.65
武具の話もスレタイに沿った上でするなら構わないと思うけどね。
近藤氏も高橋氏も武士の起源については、寛平延喜~承平天慶期の勲功者たちにあることに異論を唱えてるわけではない。
ただ、戦術については律令期以前の軍団制、健児制、衛府武官の戦術等にその淵源をたどり得る、といっているわけで。
両氏とも、武士階級の誕生までその時点に遡らせた言説を唱えているわけではない。
だから上で誰かも言ってたけど、もし(階級としての)武士の起源まで律令期以前にあると主張したいのなら、そう主張するだけの論拠を明確にする責任が唱えてる側にあるんだよね…
ただ俺も「つづき氏」の主張の中には同調する部分があるんだけどね。
例えば国造の系譜を引く郡司富豪層から成る健児や一部の伴造が、軍事貴族の母系氏族となっていったという下りなんかは、まんま、俺の主張と同じであるからね。
529:つづき
11/06/14 09:23:38.43
板の皆さまおはようございます。
天武天皇の男系子孫が貴族社会から没落したのは何故か?
文室氏が軍事貴族として残る可能性はなかったのか?
高階氏の後裔である高氏までもが武家社会から抹殺されたのは何故か?
530:日本@名無史さん
11/06/14 10:13:09.13
政治の中心点の移動のため。
久米系の天武系から大和系の光仁系に政権が移動し掌握されて後は、久米系諸氏は奥羽や九州など辺境の地の国司に宛がわれるなどして、政治の中心から遠ざけられていく。
531:つづき
11/06/14 10:30:27.28
源平藤橘はすべて天智天皇と縁が深い。
武門は源平藤橘の神話はいかにして作られたのか?
532:日本@名無史さん
11/06/14 10:43:51.97
「橘」は敏達帝裔だから久米系、しかし三千代は不比等の後妻に入って藤原氏との関連の方が深くなってるからその意味では天智(大和)系との縁の方が深いとは言える。
そもそも「氏」の成り立ちからして、橘氏は父方の敏達よりも母方の犬養橘三千代との縁故の方を拠り所にしている。
533:つづき
11/06/14 10:57:24.69
連投スマソ
捏造してまで「尊卑分脈」を作成させた足利義満にカギがあると思う。
彼は日本中世の完成者でもあるし
あと考えられるのは藤原不比等の未来への布石かな。
藤原四家と嫁の系統の橘氏
534:日本@名無史さん
11/06/14 12:09:20.04
犬飼部、鷹飼部、鵜飼部、猪飼部、馬飼部みんなあるのに猫飼部だけないなんてオカシイ!
535:日本@名無史さん
11/06/14 16:33:39.28
猫は家畜としては役に立たないし
536:つづき
11/06/14 17:42:56.35
平治の乱で誅殺された信西は藤原氏でありながら養家高階氏に義理立てしたことも原因なのかな?
537:日本@名無史さん
11/06/15 03:10:59.23
>>531>>533
満平藤橘神話って何?
尊卑分脈?
平基親が1200年頃に著した『官職秘抄』には、
「外記史に四姓の人を任ぜず」とあって、遅くとも鎌倉初期の公家社会にはこのような認識が存在していたことが分かる。
実際にはこの認識は平安期にまで遡ると見て良い。
源平藤橘(四姓)は外記史(ほか律令四等官制における第四等官=主典)に任じてはならない(ということは、四氏は第三等官である判官以上に任じるものである)とでもいった意味。
だから『分脈』の成立した南北朝期よりもずっと以前だし、足利義満がどうこうでもない。
538:日本@名無史さん
11/06/15 03:43:21.12
つづきはどれだけ偏った情報源から知識を得てるんだろ?
いや、こういう人間にとっては近藤も高橋も下向井も全て
つづきの偏光フィルターを通すと捻じ曲がって理解されてしまうのか
539:537訂正
11/06/15 06:38:29.83
> 満平藤橘神話って何?(×)
↓
> 源平藤橘神話って何?(○)
540:日本@名無史さん
11/06/15 10:01:47.34
花郎が侍の起源である事は、口には出さないが皆知っている
541:つづき
11/06/15 10:10:48.25
伊勢神宮と高階氏の関係
542:日本@名無史さん
11/06/15 13:17:08.76
おまんこスレ
543:つづき
11/06/15 21:15:00.08
>>537
小生が言っているのは平某なんて関係ない。
「尊卑分脈」の信憑性に言及してるんだよ。
「もののふ」として最強だった高師直兄弟を葬った足利宗家の隠された意図を示唆してるだけだよ。
544:つづき
11/06/15 21:32:50.45
>>537
見事に墓穴を掘ったな。
高師直兄弟及び係属は三等官以上の功績を挙げていた。
平某の言を借りるならば余りにもイレギュラー過ぎるってことだよ。
545:つづき
11/06/15 21:40:31.59
連投スマソ
足利義満はある青写真に忠実だっただけ。
藤原不比等の未来への布石にある時気付いたのだよ。
546:日本@名無史さん
11/06/16 03:49:39.89
>>543-545
お前さん何を言ってるのさっぱりかわからないわ。
まず、
>源平藤橘の神話
とお前さんが>>531で唐突に持ち出してきたから、「神話」って何だ?と>>537で質問してるんだが?
そしてその「神話」とやらが足利義満によって
>捏造
されたものというなら、それは違うということも>>537で言ったまで。
「源平藤橘」四姓を高貴姓とみなす風潮は、少なくとも平安末期いらいの公家社会では既に見られるということ。
足利義満の時代ではない。
そして
>墓穴
?
>青写真
?
>藤原不比等
?
何が何やらさっぱり分からん。
もったいつけてないでまずはお前さんの言う「神話」の意味するところを説明するのが先だと思うが?
547:日本@名無史さん
11/06/16 04:21:33.17
武士じゃない「武官」っていつごろまでいたんだろう
最後の武官の記録とかないんだろうか
548:つづき
11/06/16 06:08:59.99
>神話
の説明になるか分らないが、藤原不比等(ふひと)は本来「史(ふひと)」であった筈だが「不比等」
の字を当てた意図は下賜された藤原朝臣の姓を自身の子孫のみに継承させ、出身氏族とされる中臣氏をも
太政官から排斥したことからも覗える。
549:つづき
11/06/16 06:18:33.07
母方の祖父鏡王は敏達天皇の皇孫であり、もし仮に不比等が天智天皇の落胤であったならば
血統的には皇位の資格は十分なのだが鎌足の子ということでその道はあり得ないものではあったが
その代わり娘を臣下出身としては初めての皇后光明子とし、天皇家の外戚となることに成功した。
不比等の後妻三千代を祖とする橘朝臣のみを例外として古代氏族、皇別氏族(とくに天武系)
を不比等の死後も中央政界から排除していく布石を打っていたのだ。
550:つづき
11/06/16 06:25:18.47
連投スマソ
天武系皇族に半ば強制的に真人の姓をもって臣籍降下させたのは天皇家と
婚姻させない為である。
551:日本@名無史さん
11/06/16 07:28:17.75
>>547
武士(軍事貴族)の成立後も六衛府等は存続しているので、武士と武官とはそれなりに併存はしているはず。
つまり、武官は武士の部下的存在になっていったと考えられる。
ただし、律令期の紀氏や坂上氏や文室氏のように、叙爵(五位以上の位階を賜ること=貴族階級になること)の栄誉に授かるような存在はほぼ皆無となり、侍品(六位官人)以下の存在に身分が下がっていったということじゃないか。
坂上氏でいえば、10c初頭の坂上好蔭が陸奥権介‐右近衛少将に任じられたのが最後かな。
以後、これらの氏族は文官に「転職」し、やがて中央官界からフェードアウトしていく。
552:日本@名無史さん
11/06/16 07:43:41.55
>>548
あのさ、雲を掴むような話ならもういいよ。
論題から外れまくっているし。
あんたの言う不比等や三千代の青写真やらと、
スレタイの「武士の起源」、「武士の成立」と一体どんな関係があるんだよ?
あんたは>>531で自分が言った「源平藤橘神話の捏造」の説明もさっぱりしてこないしはぐらかしてばかりだ。
553:日本@名無史さん
11/06/16 09:31:16.93
つづきはつくづくひでえ電波野郎だな。
長頭がどうしたとか言ってる馬鹿と電波ツートップだな。
起源スレってのはキ印を誘引する匂いか何か出してるのだろうか
554:つづき
11/06/16 11:31:59.21
勲功者子孫でない高氏(高階氏)は「兵の家」ではないと
足利宗家の根本被官ではあるが武家方の有力武将であり最強の「もののふ」
であった高師直兄弟が武士ではないことになる。
555:日本@名無史さん
11/06/16 11:49:13.20
>最強の「もののふ」
何それwww
556:つづき
11/06/16 12:21:43.69
>>555
だから「もののふ」だよ。
557:日本@名無史さん
11/06/16 12:26:17.59
最強とか厨すぎる
558:つづき
11/06/16 12:28:20.91
>>553
小生を罵倒したければするがいい
高師直兄弟は足利宗家から粛清され結果として四姓のみ武家とした神話が
作られたと小生は見ている。
559:つづき
11/06/16 12:31:23.17
>>557
高師直兄弟の武功はそれに値する。
560:日本@名無史さん
11/06/16 13:17:10.41
見境なく残虐だっただけで、すぐ滅亡
561:つづき
11/06/16 13:25:56.94
みなさん、すいませんでした
ほんとごめんなさい
侍のルーツは花郎でした
562:つづき
11/06/16 13:26:36.69
高師直の破廉恥な残虐性の強調は胡散臭いと思わないか?
たとえ文献として残されていたとしても歴史は勝者のものだからな。
563:日本@名無史さん
11/06/16 13:47:58.04
しかし、高師直程度が摂関家の姫君を側室にするのは
さすがに正攻法では無理なんじゃないか?
二条家の姫(関白二条道平の妹)が師直の側室になったのは間違いがないし
564:日本@名無史さん
11/06/16 14:23:33.55
承久の変を経てそれだけ公家の力が零落してたということでしょ。摂関家とて例外ではない。
565:日本@名無史さん
11/06/16 14:45:40.29
足利将軍家でも中流貴族日野家の息女を正室に迎えるのがやっとだったのに
家臣の分際で天皇家に次ぐ摂家の姫を側室にすることが当然なわけないよ
566:日本@名無史さん
11/06/16 15:33:03.57
それと
高氏以外に四姓でない武家は鎮西武士には菊池氏、阿蘇氏、大蔵系諸氏
大神系諸氏、関東には宇都宮氏などがいる。大夫層ではないが三等官以上に
任じられている。この事実を持っても四姓のみというのはおかしい。
上で誰かが言ってた平某の記述は平氏である彼自身の考えに過ぎぬのでは?
567:日本@名無史さん
11/06/16 16:33:03.05
>>566
当該レスとその前後関係をよく読んでくれ。
>>537>>546で言っているのは、公家社会では源平藤橘四姓は「高貴姓」と認識されており、第四等官たる主典などに任じるものではないと主張しているという事実を言っている。
武士(軍事貴族)たる者はこの四姓からのみしか出してはならない、などと論じたものではないし、俺がそのような主旨のレスをしている訳でももちろんない。
またその「官職秘抄」だが、
源平藤橘四姓といえども、平安後期以降にはその数が増えすぎ、実際には第四等官である主典に任じられる者も現れれば、また諸大夫層から漏れて六位の侍品以下の身分に落ちる者も多く現れていた。
そんな諸状況への嘆きや、或いはそんな諸状況を改善すべきであるという強い主張から書かれたものとも言われる。
大蔵氏、大神氏などについては既に>>478>>483などで述べている。
つまり、武士の起源については既に何度も述べているように、寛平延喜~承平天慶期に起こった一連の反乱に対する鎮圧勲功者に求められるべきだというのが俺の主張。
結果として源平藤橘四姓が多くなっているが、勲功者の中には大蔵氏や越智氏など四姓以外の氏族も存在している(>>483参照)。
568:つづき
11/06/16 18:14:22.31
>>567
だれのレスか分らないのでハンドルネームつけてくれ。
因みに>>566は小生のレス。
569:日本@名無史さん
11/06/16 18:21:11.34
なんだやっぱり・・
わざわざアンカー明示して応答してんだから
>分からない
も無かろう。
>分からない
振り、なら分かるがw
570:つづき
11/06/16 18:21:29.21
後白河の院近臣で高階氏が復活してるが長続きしなかった。
571:つづき
11/06/16 18:25:48.09
尊卑分脈で義国流を河内源氏嫡流としているのは明らかに捏造。
572:日本@名無史さん
11/06/16 19:12:15.65
「つづき」よ、
言っとくけど
>>528でも述べたように俺はお前さんの>>419の意見には賛成だよ。
健児の数が一国数百人というのはちょっと多すぎるとは思うが、
俺も在地豪族というのは基本的に郡司富豪層が、中央軍事貴族あるいは地方に留住・土着した辺境軍事貴族から婿を取って自身も源平藤橘化したものだろうと考えているんでね。
それと高氏云々視点からではなく、足利氏関連の史料・伝承にはある種の胡散臭さが付きまとうというのもその通りだ(例えば『難太平記』における、「我七代の子孫に生まれ変はりて天下を獲らん」等と源義家が吐いたなんて下りはその典型だ)。
だからこの線に沿った上でのもっと活発な議論が出来ると踏んでいただけに残念だった。
お前さんはこのスレ以外にも、足利氏スレや平家スレでやたら高階氏や高師直を持ち出す輩と同一人物なんだろう?
高師直ゆかりの人物か?
だとしたら逆効果もいいところだよ。
己に所縁や贔屓の武将だけを持ち上げたいってのがこのスレでも各スレでもありありで、そんなのは各スレ住人の反発を買うだけだし、第一学術板に相応しい態度とは言えない。
現に平家スレでもやんわりとたしなめられてただろう。
そして何よりスレが荒れる。
せっかく良い視点も持ってんのに勿体ないね。
573:つづき
11/06/16 19:25:16.34
>>572
ありがとう
しかし小生は足利スレや平家スレには出没していない。
素人学問ではあるが今後一層の精進に勤めよう。
574:つづき
11/06/16 21:02:09.40
小生が高氏を取り上げているのは「仮名手本忠臣蔵」などの後世の迷信で謂れ無き悪名を
現代に伝え庶民が妄信的に信じ込んでることに対する警鐘のつもりだ。
575:つづき
11/06/16 21:18:38.33
以前このスレで書いたように徳川幕藩体制は近世などではなく室町幕府を規範として
実質的に中世が継続していたと言いたいまでだ。
織豊政権で一瞬近世(世界史的な)方向が見えていただけに惜しい。
藤原不比等の下りは1000年近く後までもその「未来への布石」はそら恐ろしいものを感じる。
信長は天皇家をも超えようとしていたし、太閤秀吉は第五の姓を創出して滅亡の道を歩むことになる。
576:日本@名無史さん
11/06/17 14:06:22.07
大江氏も武士になったね。
577:日本@名無史さん
11/06/17 19:29:03.26
三善とか中原とかもね。
頼朝のブレーンの文官下級貴族が鎌倉行政機構の創設に携わってそのまま武士化。
中原は途中から近藤(古庄)・波多野の軍事貴族系が嗣いだが。
それ以前に源義朝によって主に東国で武士階級の裾野はグッと広げられているんだけどね。
578:づつき
11/06/17 19:33:19.83
俺の偽者が暴れてるらしいな
579:日本@名無史さん
11/06/17 22:16:06.13
左遷された武装土人が武士
580:日本@名無史さん
11/06/18 12:32:50.05
だから、日本型の中世支配者階級のことにすぎないんだって!
581:つづき
11/06/18 13:11:18.62
承久の乱から西南戦争までが日本型の中世の勃興から残照の消滅だとしたら
全期間を通して存続した薩摩(島津氏)は日本型の中世の典型だね。
しかし皮肉にも倒幕の主力となった薩摩武士(士族)が鎮圧されて日本型の中世
支配者階級の役割を終えるんだね。
582:日本@名無史さん
11/06/18 16:58:34.87
島津は秦氏だから軍事貴族の出じゃない。
のちには色々出自を飾っているが。
伊達は藤原北家実宗流で利仁なんかと近い家筋だが、実宗流そのものは「家を継ぎたる兵の家」(=軍事貴族)の出ではない。
南部は系図グダグダで近世南部氏は果たして本当に義光流源氏なのかどうかも分からない。
相馬は良文流なので微妙(少なくとも天慶勲功者子孫ではない)。
伊東、相良は為憲流藤原氏だから、本来は歴とした承平・天慶勲功者の家筋。しかし始祖・為憲をはじめその子孫たちは、乱後朝廷で武官職に就くことを嫌い、木工助職を望みこれに就任した。つまり「家を継ぎたる兵の家(=軍事貴族)」とはならなかった。
よって幕末まで存続し得た、軍事貴族由来の家筋としては、佐竹(但し養子相続あり)、小笠原、北条、岩城、立花、喜連川など本当に数えるほどしかない。
583:日本@名無史さん
11/06/18 17:18:16.26
秋月氏(春実流大蔵氏)を軍事貴族由来で幕末まで存続した家に追加。
584:日本@名無史さん
11/06/18 18:10:18.02
足利は軍事貴族の末裔で幕末まで武士だった。
585:日本@名無史さん
11/06/18 18:13:10.90
藤姓足利>>>>>>>>>>>>源姓足利
586:つづき
11/06/18 20:01:40.87
と言うことは徳川幕藩体制は日本型の中世の継承を騙った乗っ取りだったんだね。
587:日本@名無史さん
11/06/18 21:39:12.99
別に徳川一家だけを他と切り離して論じられる問題じゃないし。
応仁の乱以降の帰結だわな。
588:日本@名無史さん
11/06/18 22:55:24.63
昔の偉い先生も言ってるだろ。
応仁の乱以前の歴史は外国史と同じだ。
589:日本@名無史さん
11/06/19 00:12:46.69
内藤コナンか
590:日本@名無史さん
11/06/19 00:26:20.37
「大体、今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、
応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。
それ以前のことは外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これをほんとうに知っておれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります」
内藤湖南『応仁の乱について』
591:日本@名無史さん
11/06/19 02:27:15.41
"関ヶ原合戦絵巻"の朽木隊が後方でカレーを煮込んでる件(画像有)
スレリンク(mitemite板)
592:つづき
11/06/19 03:22:47.78
そうしたら
承久の乱から応仁の乱までが中世で、それ以降はインチキ中世(織豊政権は除く)。
593:づつき
11/06/19 09:23:43.13
カレーやて!?
594:づつき
11/06/19 09:27:54.12
だーーまーーさーーれーーたーー!!
595:日本@名無史さん
11/06/19 09:31:56.05
日本の中世は律令制度が厳密な意味で成立し得なくなった時から始まると見て良い。
すなわち、個別人身支配が放棄され、土地基調課税へと政策転換される菅原道真~藤原忠平期より始まる。
596:日本@名無史さん
11/06/19 09:34:51.09
この忠平に支えていたのが若き日の平将門であるというのが面白い。
597:日本@名無史さん
11/06/19 09:38:49.05
支えて(×) → 仕えて(○)
598:日本@名無史さん
11/06/19 13:27:16.72
また電波か
599:日本@名無史さん
11/06/19 13:31:00.83
>>595
王朝期は古代末期なのであり、受領と任用をもって中世的税制と断ずるのはおかしい。
知行国制が始まる鳥羽院政期を中世の黎明期とするのが正しい。
600:日本@名無史さん
11/06/19 13:38:01.95
>>599
それ言ったら知行国制度開始を以て中世の始まりと
>断ずる
のもまた同様に
>おかしい
ということになるよ。
専門家間でも諸見解のある問題だから。
俺は古代国家としての完成体である“律令制日本”がすっかり綻んでしまった時点を以て「古代」という時代の終了と見ているんでね。
601:日本@名無史さん
11/06/19 13:44:46.49
>個別人身支配が放棄され、土地基調課税へと政策転換される
これは歳入手段たる税制のテクニカルの転換であり、国家財政の変質ではない。
即ち国庫へ収められ分配される国家財政から知行権を与える財政への転換こそ重要なのである。
602:日本@名無史さん
11/06/19 14:12:02.19
>>601
全然違うよ。
個別人身支配(戸籍の作成、班田収受etc)こそが律令制の中核を成す部分だ。
律令制度というのは地方の隅々までも中央政府が統制しようというもの。
換言すると、日本の全国各地の末端農民一人一人の名前まで把握しようとする膨大なエネルギーと経費を要するもの。
そんなのは最初から無理があったのだが、当時(天智~天武朝期)の為政者たちは本気だった。
そしてそれが何とか実を伴っていた時期が8c初頭~後期まで。
それ以後は律令農民の逃亡、偽籍が頻発して律令制は早くも実を成さなくなって行く。
>テクニカル
?
そんなことをいったら知行国制を含めて、徴税システムの変更は全て
>テクニカル
な問題に過ぎないということになる。
>知行国制
なんて10c初頭に始まる土地基調課税が幾つかのグラデーションを踏んだ上で行われたもの、
つまり土地基調課税の延長線上のものに過ぎないんだよ。
603:日本@名無史さん
11/06/19 14:15:19.89
第一、知行国制を以て中世の開始と定義づけるならば、
同様に南北朝~室町期の同制度の終焉を以て中世の終わりと定義づけないとおかしいということにもなるよ?
604:日本@名無史さん
11/06/19 15:46:54.59
問題をすり替えるなよ
税制論を持ち出して時代区分をするのを間違ってると言ってるのだ。
時代区分は国家の在り方の根幹である財政論だと俺は思っている。
お前さんの論を採るならば、消費税を導入する以前と以後では別の時代となる。
605:日本@名無史さん
11/06/19 15:51:52.66
失礼
知行国制を総論たる知行制に訂正する。
606:日本@名無史さん
11/06/19 15:54:46.26
俺の持論としては道州制地方分権をもって次の時代に移行すると思っている。
607:日本@名無史さん
11/06/19 16:45:20.36
>>604
>問題をすり替えるなよ
> 税制論を持ち出して時代区分をするのを間違ってると言ってるのだ。
個別人身支配から土地基調課税への「税制」転換、このことの重要性を理解できずに、単なる小手先の「テクニカル」な問題、と矮小化させることこそ
>すり替え
と表現することに等しいんだよ。
っていうか、あんた本当に律令制を理解してる?
608:日本@名無史さん
11/06/19 17:14:39.45
実は、律令法は藤原忠平が摂政となり個別人身支配を廃止させるその以前から、
菅原道真や三善清行らによって、既にその限界が幾度も唱えられていた。
曰く「国司は律令法をそのまま守っていては国を治めることが出来ない」と。
これは裏を返せば、律令法施行の最前線である地方に赴任していた国司たちにとっては、現地では律令法などはとうに意味をなさなくなっており(律令農民の逃亡、偽籍の頻発などによって)、
国司の裁量によって現地の実情や慣習に合わせた施策が取られ続けていたことを承けてのものでもある。
忠平による個別人身支配(班田収受)廃止、土地基調課税実施はいわば全国の国司により、とうの昔より行われていたことの追認に過ぎないという面もあるのだ。
609:日本@名無史さん
11/06/19 18:27:42.04
だから財政論について何も言及出来てないのはお前さんだろ?
610:日本@名無史さん
11/06/19 19:05:54.23
太閤検地までが古代でその後が中世だ。これで終わり。
611:日本@名無史さん
11/06/19 20:30:05.27
>>609
それを説明すんのは言い出しっぺであるお前なんだよw
だいたい、俺の古代‐中世の変遷の定義は上で何度も述べたように律令制度の根幹たる個別人身支配の放棄‐土地基調課税の採用時期だ。
ここより封建制の萌芽が始まる。
612:日本@名無史さん
11/06/19 20:33:12.64
>>610
おかしいね。
知行国制度の始まりが中世の始まりなら、同制度の終了時期(南北朝‐室町期)が中世の終わりになるはずだが?
何故そうならないのかの説明も言い出しっぺであるあんたに頼むこととするよw
613:日本@名無史さん
11/06/19 22:13:22.58
湖南先生が言ってるだろwつんぼw
614:日本@名無史さん
11/06/19 22:24:35.92
>>613
だから?
湖南説は神聖にして侵すべからずかw?
言っとくけど
>>590の湖南の引用文を出したのは俺な。
だからといって俺は湖南説に別に同意しているわけではない。
615:日本@名無史さん
11/06/19 22:39:16.99
財政論について何も言えないのか
616:日本@名無史さん
11/06/20 00:10:39.36
お前が言ってないんだよ
617:日本@名無史さん
11/06/20 00:15:26.68
税制が変われば時代区分がかわるんだと
アホか? こいつ
618:日本@名無史さん
11/06/20 01:06:27.76
国際日本文化研究センターに質問しろ!
619:日本@名無史さん
11/06/20 21:16:45.00
>>617
人別支配体制から土地支配体制への一大政策転換のどこが「(単なる)税制の変化」なのだ?
自分で振っておきながら相変わらず「財政論」の中身も論じて来れないみたいだし、言葉遊びもいい加減にしとけやw
620:日本@名無史さん
11/06/20 21:19:07.17
基地害があばれてるね
621:日本@名無史さん
11/06/20 21:22:27.35
財政論(爆笑)
こいつマジ基地だわw
622:日本@名無史さん
11/06/20 21:28:34.68
財政論厨には、その「財政論」とやらの具体的説明が全然ないのだよ。
623:日本@名無史さん
11/06/20 21:46:58.49
>>619>>620>>621>>622>>
自演乙w
624:日本@名無史さん
11/06/20 21:51:30.85
税制で時代区分が変わるんだと(爆笑)
625:日本@名無史さん
11/06/20 21:53:18.83
>>623
その4つの中で俺のレスは>>619>>622だ。
さあ「財政論」とやらの中身について聞かせてもらおうか!
626:日本@名無史さん
11/06/20 21:53:56.96
湖南先生に同意出来ない理由も言えない厨w
627:日本@名無史さん
11/06/20 21:58:58.64
先ず税制論を持ち出したのはお前だからw
律令制度が戸籍と班田収受だってことぐらい小学生でも知ってるがなw
628:日本@名無史さん
11/06/20 22:02:44.70
>>626
なに湖南だw?
それに答えたら「財政論」の具体的説明に入るんだなw!
なら答えてやる。
簡単だよ。
別に応仁の乱以前の歴史を「外国の歴史」とも感じなければ、「身体骨肉に触れない」歴史とも感じないからだ。
さあ、約束だ!
「財政論」の中身頼むよw
629:日本@名無史さん
11/06/20 22:04:01.21
>>627
真性の馬鹿?
630:日本@名無史さん
11/06/20 22:04:10.20
>595 :日本@名無史さん:2011/06/19(日) 09:31:56.05 返信 tw
>日本の中世は律令制度が厳密な意味で成立し得なくなった時から始まると見て良い。
>すなわち、個別人身支配が放棄され、土地基調課税へと政策転換される菅原道真~藤原忠平期より始まる。
お前の妄想だろw
631:日本@名無史さん
11/06/20 22:07:20.94
>>629
勝手に約束するんじゃねーぞw
>>629
真性の馬鹿はお前だよw
632:日本@名無史さん
11/06/20 22:27:17.71
>>630
律令制度の根幹たる個別人身支配がが8c末には成り立ち得なくなっていたのは多くの専門家が認める歴史的事実だ。
律令制度というのは地方の隅々まで役人が分け行って、末端百姓一人一人の存在まで把握するというのがその原則だ。
それだけ中央に強大な権限を集中させるシステムだった。
その不可能を中央が「公式に」悟ったのが藤原忠平による一連の政策だ。
班田の不実施、戸籍、計調の廃止(とうに公民の実数を把握出来なくなっているので当然だ)。
そしてここより(前期)王朝国家体制が始まる。
在地の統治は一々国に指示を仰がせずとも国司にの裁量に任せて行なわせる。
具体的には「富豪の輩」と呼ばれる在地名望家に土地の経営、徴税を請け負わせる負名体制の始まりだ。
まあ、この一連の「行政改革」を単なる「税制転換(w)」としか捉えられていない時点でお前の底の浅さがとうに知れてしまっているんだけどね。
633:日本@名無史さん
11/06/20 22:36:30.76
>>632
単なる税制変革だろwたわけw
634:日本@名無史さん
11/06/20 22:45:49.02
行政改革だと(ぷっ)
635:日本@名無史さん
11/06/20 22:46:35.80
そして
>>596でも述べたように、この忠平に若き日の平将門が仕えていたというのがやはり面白い。
面白いし、示唆的だ。
636:日本@名無史さん
11/06/20 22:49:45.46
>>633
具体的なレスが出来ないんなら以後無視するわ。
スレが勿体ない。
637:日本@名無史さん
11/06/20 22:51:23.24
自画自賛のレスで誤魔化すんじゃねーぞw
638:日本@名無史さん
11/06/20 22:54:23.19
>>636
絶対書き込むなよw
639:日本@名無史さん
11/06/20 22:55:07.37
>>637
ただの荒らしに成り下がってしまったね。
>>636で述べたようにもう無視するわ。
底を見せた奴に興味は無いし。
640:日本@名無史さん
11/06/20 22:58:03.16
>>639
お前の妄想税制論はお手上げか?
641:日本@名無史さん
11/06/20 23:00:38.83
>>635
駄文を作文するんじゃねーぞw
642:日本@名無史さん
11/06/20 23:07:15.20
>>632
それを中世というお前は白痴か?
643:日本@名無史さん
11/06/20 23:14:48.91
>底を見せた奴に興味は無いし。
「底」って何だー?
644:日本@名無史さん
11/06/20 23:37:05.31
8c後半の律令制個別人身支配の崩壊
→郡司一族、地方留住・土着貴族らによる在地富豪層の形成
→地方における国司による富豪層への土地単位請負い体制(事実上の「名」体制)始まる
→9c末‐10c初頭群盗蜂起の発生
→群盗、海賊鎮圧過程を通した初期軍事貴族の成立
→10c初頭の藤原忠平による土地基調課税への政策転換(実態の追認)‐ここより王朝国家体制幕開け(土地支配負名体制の公認)
→反受領闘争の激化
→平将門、藤原純友の乱
→同乱鎮圧過程を通した軍事貴族の成立
このように律令制の崩壊と軍事貴族(武士)の発生とは密接に関連していることが分かる
645:日本@名無史さん
11/06/21 01:47:34.94
さて、律令制の動揺・崩壊期である9世紀に入ると、
任期を終えた国司の内、都へ戻らずに旧赴任地やその近隣諸国に留まって「私宅」を構える者たちが現れ出し、それが国衙や都で問題とされるようになる。
そして、国解や太政官符、あるいは牒によって彼ら「浪人貴族」に対して都への帰還を促す通達がたびたび出されるようにもなる。
加えて、国造に淵源を有する郡司層と、地方留住・土着貴族との婚姻等による結びつきが見られるようになるのもこの頃からであることが分かっている。
これらの味するところは明白であろう。
彼らこそが、土地単位課税に移行してのち、公田経営請負業者となった田堵負名層の始祖(富豪の輩)に当たると考えられるからだ。
646:日本@名無史さん
11/06/21 02:34:53.11
やがて、国司は彼ら田堵負名層に対し様々な圧迫を加えて行くようになる。
当然、これに反発した田堵負名層も反国衙闘争・反受領闘争を展開して行くこととなる。
そうした一連の流れの中で起こったのが、寛平延喜東国の乱であり、承平南海賊の乱なのであった。
これら乱の首謀者たちはいずれも地方に土着した王臣子孫と在地富豪層とが結びついた者たちである。
一方、中央でもこうした流れを受けて、所謂「任に堪える者」たちを各部署、国司などに任じる能力主義の機運が生じてくる。
平高望や藤原利仁や源仕などが東国の国司、押領使等に任じられて群盗鎮圧に赴き、藤原純友が西国の国司に任じられて海賊鎮圧に赴いたのも、この能力主義政策に則った上でのことだと考えられる。
647:日本@名無史さん
11/06/21 03:47:15.51
財政論(バカじゃね?)
648:日本@名無史さん
11/06/21 05:00:14.15
マルクス主義者の内ゲバうざい。消えろ。
649:日本@名無史さん
11/06/21 16:09:48.52
国際日本文化研究センターに質問しろ!
650:日本@名無史さん
11/06/21 18:14:10.67
>>648
マルクス主義者ってどんな意見のことさ?
651:日本@名無史さん
11/06/21 19:09:03.95
>>650
あんたのこと
652:日本@名無史さん
11/06/21 19:22:32.40
わからずに使ってんのかよw
653:日本@名無史さん
11/06/21 22:51:44.68
美しき日本の歌
URLリンク(www.youtube.com)
654:日本@名無史さん
11/06/22 04:25:11.67
>>649
京都大学は今では二流大学だよ
655:日本@名無史さん
11/06/22 06:47:35.13
武士の起源は中世の起点をどこに置こうと関係ない。
656:日本@名無史さん
11/06/22 06:55:33.62
「武士=封建領主」、「中世=封建制時代」というドグマの上に立って
中世の始まりと武士の起源を一体で説明しようとするのは根本的に
間違い。単なるイデオロギーだ。
657:日本@名無史さん
11/06/22 11:03:45.30
中世の支配階級が自ら武装するのは当たり前。
658:日本@名無史さん
11/06/22 12:03:33.74
そもそもは中世がないと近代化は不可能という欧米ドグマが
日本にも中世がなければならないという要請を産んだと思うが
659:日本@名無史さん
11/06/22 12:03:54.09
>>657
は?アホですか?
660:日本@名無史さん
11/06/22 13:27:09.74
会津士魂とは、時代を超えた武士の魂ではない
ただのハッタリだな(失笑)
ただの保身のチキンよりもこの国の行く末を憂
えていた分まだ三島由紀夫のほうが個人的には
立派で理解出来る。
所詮、観光史学の連中は自分で自分を褒めてあ
げたい痛い人々なのだろう。
661:日本@名無史さん
11/06/22 13:31:41.94
>>658
元々は西欧では、ルネサンス期の自分たちを過大評価したいがあまり、それ以前の中世の段階を文化も何もない暗黒時代とか言って、中世の評価を不当に低くするものだった。
半世紀くらい前から見直しが始まってる。
662:日本@名無史さん
11/06/22 13:35:58.26
>>660
お前さ、勝手に荒らすなよ。自分の巣だけでやれよ。
663:日本@名無史さん
11/06/22 17:40:53.86
武士=軍役を負担する主君を持つもの
664:日本@名無史さん
11/06/22 18:39:17.13
>>663
それは違うね。
軍役を負担する理由をもつもの。なんだよ。
主従関係は絶対服従関係ではなく、
自分の土地権利を保障してくれるものに、
見返りとして奉公するというもの。
土地を持って、その権利を保障してもらうために軍役を負担するもの
というのが正解。
665:日本@名無史さん
11/06/22 18:44:24.03
武士とは、ここに書いてある583~597に書いてあることが正解。
スレリンク(history板)l50
666:日本@名無史さん
11/06/22 18:53:27.85
>>663
だから、下級武士は、自分の土地や権利を保障してもらうものではなく、
三度の飯を保障してもらうための絶対服従であり、これは中世武士の主従関係ではない。
下級武士は百パー武士ではないということ。
667:日本@名無史さん
11/06/22 19:08:23.59
まんま在地領主論じゃん
668:日本@名無史さん
11/06/22 19:15:39.11
つづきの電波や職業殺し屋説よかよっぽどマシじゃん
669:日本@名無史さん
11/06/22 19:16:35.26
だって本来武士とはざいちの地侍以上のもののことだろ。
これらは軍役を負担する理由があったし、あくまで主従関係。
これが中世古来の本来の意味での武士だが?
武士という職種は土地から切り離して存在できたのは江戸期以降だが?
知行もちならまだしも、給金取りの下級武士は、
本来の意味では一切武士に値しないから、自分の主君にすらお目見え以下の糞身分なんでしょ。
670:日本@名無史さん
11/06/22 19:24:29.45
>>665にも書いてあるとおり、武士の大前提は「土地」だから。
これらとちとその権利を保障してもらうために軍役を負担する。
また、自分の土地を守るために、武装して自衛するものを武士というんですよ?
わかりますよね?
三度の飯の食わしてもらうために傭兵になるのが武士ではないですよ?
そういうのを足軽、下級武士というんですよ。
671:日本@名無史さん
11/06/22 19:31:31.33
また電波か
672:日本@名無史さん
11/06/22 19:51:01.50
何が電波なの?土地持たなく住所不定でも武装してれば武士とでも言うの?
じゃあなぜ上級公家は武士にならない?
本来なら古代から公家はもっとも武士化する地位にあるはずだろ。
でもなぜ武士化しなかった?
武士として武装して自衛しなくても立場や財産や地位は無条件に保証されてたからだろ
。
673:日本@名無史さん
11/06/22 19:55:57.93
「近世前後以降の武士論」だな、そりゃ。
土地が前提?
石母田正や安田元久や竹内理三の段階の説だな、そりゃ。
それでは、源氏や平氏や藤原氏の一部等からなる武士初期段階が説明できなくなるから、次の佐藤進一氏や戸田義実氏や石井進氏らの登場による段階を経た職能的武士論を待たなくてはならなかったのだ。
高橋昌明氏に至っては、「在地?所領?んなもん目じゃねえよ!武士は公家社会から発している以上、都での職掌にこそその要諦があるんだよ!」と、ある意味江戸期のそれに近いような論まで展開してる。
674:日本@名無史さん
11/06/22 20:00:33.13
そこからあぶれた一部公家は武士化して自分の権利や土地を自衛に走らざるを得なく武士化していった。
僧侶もそうだろ?土地や財産が無条件保障でなくなれば戦国期のように僧侶も武装して武士化した。
武士というのは中世は、自己の権利や財、土地を武装して自衛する手段が総称で武士と呼ばれる形であって、
職業武士として土地から切り離された存在として確立され、徹底服従化されるのは近世だから。
これは本来の武士でも武家でもない。職業として武士をしてるものは武士ではなく、
傭兵としての足軽下級武士程度の奉公人風情ということです
675:日本@名無史さん
11/06/22 20:00:43.48
そして必ず江戸期の出自の怪しい(大名を含む)武士たちに比べて、名主や庄屋の偉いことといったら(以下略)・・・ となるから近世武士論スレにはウンザリなんですわ
676:日本@名無史さん
11/06/22 20:08:14.50
>>672
武士の発生理由についてはもうとっくに>>644-646他で説明してるんですが。
677:日本@名無史さん
11/06/22 20:09:10.55
あくまで武士化する必然性には、「土地」があり、そこに付属する権利権益を保障、自衛するための手段として武装化したものが総称で武士と呼ぶに過ぎない。
これは文化的にも動物的にも非常に自然の成り行きだよ。人間に近いチンパンジーに武士なんて必然的にいるのか?www
>>673
当たり前だろ。近世以前の武士スタイルが本来の武士で、
戦国期以降の野党の輩の傭兵としての武士化した武士なんて武士なわけないだろ。
なんだ?、自分の服従してる主君にもお目見え以下ってwwwwwそんなのが武士ってwwばかばかしい。
678:日本@名無史さん
11/06/22 20:11:05.13
>>677
巣でやってくれよ
679:日本@名無史さん
11/06/22 20:17:58.91
>>675
それを覆せる根拠も事実も、それら出自不逞の輩には存在しないんだから、君はうんざりしてるんだろ。
>>676
武士の発生期限の言ってるのではなく、中世武士の武家と呼ばれる真のの武士のあるべき形をいってるのだよ。
近世の武士の下級武士は完全に古来より何にもそれらに当たらない。
唯一該当するのが野党。これらには性質も形態も、また出自まで当てはまる。
680:日本@名無史さん
11/06/22 20:19:30.66
>>677
だからここは近世武士スレじゃなくて、武士の「発生論」スレなの!
そしてそれは所領とか領主とかいうものの実体がまだ非常に不安定で不明瞭な時期でもある。
たしかに在地においては「私営田領主」とか「初期荘園」などという言葉も使われるが、それは後世における所領などではなくて、あくまでも公田の一部を国衙に許可を貰って借り受けることで行う請負農業。
681:日本@名無史さん
11/06/22 20:22:18.44
>>679
ていうか名主三役の子孫には君のようなのが多くてウンザリしてるから
682:日本@名無史さん
11/06/22 20:30:15.38
「武士の起源」スレだから平安時代のお話なの。
戦国~江戸のお話は別のスレでどうぞ。
683:日本@名無史さん
11/06/22 20:31:10.85
武士に対してどんなルサンチマンがあるんだか知らないけどね。
684:日本@名無史さん
11/06/22 20:33:20.57
「いわゆる中下級武士(足軽)は武士ではない」のスレを立てた人だね。
自宅へ帰りなさい。
685:日本@名無史さん
11/06/22 20:35:22.45
いやいや、上級武士は認めますよ。そしてルサンチマンといわれても、マー心当たりもある。
しかし、下級武士ごときになんのルサンチマンですか?www
野党上がりにルサンチマンてww
江戸期も名主庄屋層は下級武士にこんな感情ですよ。
しかし、現代では下級武士まで武家なんて時代劇で読んじゃって工作はなはだしい。
私は事実を言ってるんです。下級武士なんて本百章以下の野党上がりだと。
下級武士の福利厚生見れば簡単にわかるでしょwwwwなんですかあれは?www
686:日本@名無史さん
11/06/22 20:37:34.23
>>677 >>672 >>679
こうやって一所懸命に主張すればするほど人は遠ざかっていくというw
687:日本@名無史さん
11/06/22 20:41:02.42
>>685
いやだから、自分に反論する人間は全て「足軽」と規定するその悪癖をやめなさいってw
さあ巣穴にお帰りなさい。
688:日本@名無史さん
11/06/22 20:42:35.04
「あ庄屋」っていたよな?
ヤツなんじゃね?
689:日本@名無史さん
11/06/22 20:43:02.25
江戸期、名主庄屋と下級武士の株、金で買う場合、どっちがどれほど高いかわかるかい?www
屋敷跡見て、どちらがどれほどの栄華を誇ってたかわかるかい?ww
くやしかったら、名主クラスの屋敷跡ある下級武士、一人でもいいから紹介してくれないか?ww
で、すべて格下なのになんで下等武士にルサンチマンという発想になるかな?ww
いみわからないんですけど。名主庄屋層に旧大名家はごろごろいても、野党なんてほとんどいないんだが。
690:日本@名無史さん
11/06/22 20:47:42.90
>>689
今からすぐに
元木泰雄、高橋昌明、下向井龍彦、野口実、関幸彦、近藤好和etc
このあたりを読んでこい!
話はそれからだ!
691:日本@名無史さん
11/06/22 20:49:23.19
キ○ガイですね。
692:日本@名無史さん
11/06/22 20:49:27.47
>>686
まーそうかもしれませんね。なぜか武士神話がはびこってますからね。
現実、名主以下の下級武士だという事実に胸糞が悪いのでしょう。
今では武士とは、間違えてることなら殿様にも物申す筋の通った人間の総称となってますからねww
もはや武士としての本文まで一切継承されてない妄想武士思想になってますからw
693:日本@名無史さん
11/06/22 20:50:54.99
やっぱり「あ庄屋」・・・
694:日本@名無史さん
11/06/22 20:54:13.02
>>690
なんていう本ですか?
695:日本@名無史さん
11/06/22 21:02:13.42
>>694
さしあたって元木なら「武士の成立」
高橋なら「武士の成立 武士像の創出」
下向井なら「武士の成長と院政」
野口なら「武家の棟梁の条件」
関なら「武士の誕生」近藤なら「騎兵と歩兵の中世史」
このあたりで良いだろう。
出版社は自分で調べろ。
分かったら「帰宅」しろ!
そして読書に励め!
そして二度と荒らすな!
良いな!
696:日本@名無史さん
11/06/22 21:03:40.84
>>695
くわしくありがとうございます。
697:日本@名無史さん
11/06/22 22:36:41.05
武士、自衛、ただの電波だろ
698:日本@名無史さん
11/06/22 22:45:58.93
平安貴族や院の暴力装置
699:日本@名無史さん
11/06/22 23:36:23.94
ていうか、王権の「暴力」が兵(軍事貴族)にアウトソーシングされたんだよね。
700:日本@名無史さん
11/06/23 00:10:24.70
ということは鎌倉幕府以降の幕府は軍事クーデタ政権で、日本では軍事独裁政権が800年つづいたということだな。
明治維新でまた朝廷が権力を回復した、とは言えないな。明治から第二次大戦終了までも軍事国家だったから日本は900年間軍事国家だったということか。
701:日本@名無史さん
11/06/23 00:13:58.77
いやあ鎌倉時代というのは、鎌倉&平安時代ですよ。
「平安時代」は幾分切り取られたとはいえ、引き続き存続中です。
702:日本@名無史さん
11/06/23 00:36:13.64
将軍様の泰平の世
703:日本@名無史さん
11/06/23 00:52:13.03
>>655-656
おっと見逃してたわw
その通りなんだよ。
学界指導要領では一応、日本の中世は院政開始期とするようにと定めてはいるが、そんなのは便宜的なものなんだ。
学界の意見は様々。
中には
日本にはそもそも古代という時代が存在しない、有史以来の歴史はありゃ中世だ、
なんて凄まじい説を唱える者までいるほど。
704:日本@名無史さん
11/06/23 10:18:47.12
>>703 江戸時代の人相書、全国指名手配など今も同じで近代国家かと思うしな。
705:日本@名無史さん
11/06/23 11:15:36.94
江戸時代を初期近代という研究者もいる。
706:日本@名無史さん
11/06/23 12:30:51.68
>>705
それはふつう。
近世は英語で
early modern ages
直訳だと初期近代。
707:日本@名無史さん
11/06/23 16:10:39.54
日本の真実は中世からいきなり現代だよ。
1945年8月革命説。
708:日本@名無史さん
11/06/23 16:48:27.60
古代の定義が奴隷制経済だとしたら日本の古代は有史以前に遡るな。
709:日本@名無史さん
11/06/23 16:50:31.13
>>706
欧米礼賛主義はやめろよな。
710:日本@名無史さん
11/06/23 16:52:50.29
分った日本は原始からいきなり現代ってことだな。
711:日本@名無史さん
11/06/23 17:15:33.69
>>708
アメリカ合衆国は南北戦争以前は古代ってことになるw
712:日本@名無史さん
11/06/23 18:54:48.84
>>711
いやアメリカの場合
原始時代→近代
713:日本@名無史さん
11/06/23 19:01:01.58
>>709
礼賛なんてしてないが?
一般に江戸時代は「近世」とされるということを言ったのみ。
その「近世」と「初期近代」とは同じ意味で、それは英語に直してみれば分かるということを言ったまでだよ。
714:日本@名無史さん
11/06/23 19:14:52.59
日本に西洋式の歴史学が成立する時代には明治以後は歴史学の対象じゃなか
ったんだ。「近世=近代」だったわけ。
715:日本@名無史さん
11/06/23 19:48:42.86
だったら中世は古中世で
近世は新中世。
明治(版籍奉還以降は)から新憲法公布までは近世
宮沢内閣までは近代で
今は現代ってことで桶?
716:日本@名無史さん
11/06/23 20:38:18.76
現代日本はバブル崩壊以降とは寂しい。
717:ロックンロール
11/06/25 10:17:27.82
我が家も家系ロンダリングでも良いから家系図ないかな。
718:日本@名無史さん
11/06/26 15:00:04.21
中央軍事貴族が築いた文化遺跡が世界遺産登録とは感慨深い。
鎌倉五山なんかも、将来的には有望だと思うがどうだろう?
719:日本@名無史さん
11/06/29 13:01:38.06
ありもしない美徳にしがみ付いて日本は優秀と嘯いても、
実際の美徳は清貧武士道を叫ぶ連中が尽く破壊し、実態が残っていない。
平成の清貧武士道は、清く正しく美しくと叫んでいながら、実態は汚濁に満ち虚偽に溢れどうしようもなく汚かった。
失業者、自殺者、犯罪者、全てが会津武士道と共に日本に蔓延した。
720:日本@名無史さん
11/06/29 13:04:49.28
>>719
会津の「精神性」は、「他人を貶める」という意味なのだから、
彼らがそういう人格なのは承知すべき
松平容保による坂本龍馬暗殺の時と同じ、
本人だけは正しいことをやっているつもりなのが、会津武士を標榜するということ
松平容保は坂本龍馬を暗殺した時も、大政奉還撤回を求めて徳川慶喜の意思に逆らい続けていた。
しかも周囲の制止を押し切って敗戦、敗戦責任を旧幕府の全体に広げ、
それでいて忠臣のつもりなのだから、とんだ佞臣ということになる