【つはもの】武士の起源と成立について【もののふ】at HISTORY
【つはもの】武士の起源と成立について【もののふ】 - 暇つぶし2ch200:日本@名無史さん
11/04/24 13:15:31.21
薩長縄文が江戸渡来を倒した功績は大きい

201:日本@名無史さん
11/04/24 13:28:47.27
「長」は違うだろ、「長」はw

202:日本@名無史さん
11/04/27 14:01:24.73
網野の言う「関東王権」は存在したの?

殺生禁断の聖なる山は東日本には無いの?

203:日本@名無史さん
11/04/27 15:12:15.13
そこまで統一されたものじゃなかったから容易に入植地になったのだと

204:日本@名無史さん
11/04/27 20:52:23.19
毛野氏の規模のデカさだけは確かに異常だけどな。

普通、国造なんて言ったって郡規模の首長だろうに、毛野氏は国規模の首長だもんな。

205:日本@名無史さん
11/04/28 06:42:59.61
実は「武士」ってのは「俘囚」の好字ではないかと疑ってる。
大伴門→応天門みたいな。

206:日本@名無史さん
11/04/28 10:46:21.84
武士の原型は恵美押勝の乱鎮圧勲功者達だよ。

ただ、「家」が分業固定化される王朝期じゃなかったんで「家業」として相伝されなかったんだよ。



207:日本@名無史さん
11/04/28 14:13:12.29
つわものは「鍔物(つばもの)」が由来になってるって唱えてるのは誰だっけ?
近藤さん?

208:日本@名無史さん
11/04/29 07:51:49.00
網野はたくみに隠してたけど、
多分、一部菊池山哉と似た結論にたどりついたんだと思う。

209:日本@名無史さん
11/04/29 13:58:37.58
殺生放免といったら狩猟に馴れてる輩だからな。
しかも上方では死穢観の広がりで彼らは影的な存在に追いやられていたことだろう(身分的にも居住地的にも)。

そんな彼らを、上級公卿の走狗的な役割を担っていた諸大夫・侍層に属する下級官人層の一部(=武官貴族)が取り込んでいったであろうことは容易に想像がつく。
もちろん、上級貴族その他の諸層にとっても、あえて言挙げはしないもののそれらは「公然の秘密」であったことだろう。

ただし、あくまでも(武士として形成されていった者たちの)「一部」だけどね。



210:日本@名無史さん
11/04/30 08:41:49.11
経基が満仲ら兄弟を養子にして影の勢力を取り込んだんだね。



211:日本@名無史さん
11/05/01 02:21:35.49
>>200
なんで長州が縄文なんだよwwwww
江戸を渡来人呼ばわりする資格ないだろよ長州はw

212:日本@名無史さん
11/05/01 07:56:01.28
縄文vs弥生
URLリンク(www.kahaku.go.jp)
URLリンク(www.kahaku.go.jp)
URLリンク(www.kahaku.go.jp)
URLリンク(www.kahaku.go.jp)

213:日本@名無史さん
11/05/01 21:52:18.41
源満仲も頼信も頼義も85歳以上で亡くなりましたよね
義家は60そこそこで死にましたがこれは息子と戦うという心労から来たもので
法皇の策略がなければこれも80越えは間違いありません
どうしてこの時代でこのように長生きできたのでしょうか
今の時代なら全員100オーバーの確率高いですよね
体育会系の人は生涯鍛錬を続ければ長命限りなしなのでしょうか
それとも源氏の秘法でもあったのでしょうか


214:日本@名無史さん
11/05/02 00:13:59.58
「日本のまつろわぬ民」(新人物往来者)に出ていた、満州や契丹と日本の傀儡子、そして源氏武者の関係が
斬新であり、説得力があった。
辮髪を前に乗せるとチョンマゲになること。
チョンマゲが平安時代に、騎射が盛んな東国で始まったことなど面白く思った。

215:日本@名無史さん
11/05/02 02:05:07.83
つまり東国の源氏は騎馬民族だった!

216:日本@名無史さん
11/05/02 12:06:53.83
>>215
騎馬民族とは違うかな。
先の「日本のまつろわぬ民」では、東国武士の台頭を環オホーツク文化圏の交流のなかでとらえていた。
北方アジアの動乱により、騎射の巧みな傀儡子(くぐつ)……ジプシーみたいな集団……が、大陸から
日本へ流れてきたということ。
げんに、平安時代の「傀儡子記」には、テントで暮らす傀儡子の習俗が北狄に似ているとの指摘がある。

隆慶一郎氏が主張していた、傀儡子は朝鮮の白丁という説は、まったく信用できない。
だって、平安時代には朝鮮王朝も白丁も存在していなかったし、その習俗も別物だから。

217:日本@名無史さん
11/05/02 20:18:41.51
武士の萌芽とクグツはNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」で描かれていたな。

218:日本@名無史さん
11/05/03 04:18:47.73
つまり東国武士団は、新羅や渤海に近縁の文字通りの東夷(あずまえびす)であった。
新羅三郎

219:日本@名無史さん
11/05/03 10:06:32.39
園城寺新羅明神(滋賀県)

220:日本@名無史さん
11/05/03 10:47:53.37
>>213
同時期の藤原頼通兄弟とか、その百年ほどあとの忠実とか、
摂関家の人間もそれくらいの長寿だけどね。

庶民とちがって、美味いもの食べてるからだろ。

221:日本@名無史さん
11/05/03 13:18:29.26
重労働した人は今でも早死に多いからね

222:日本@名無史さん
11/05/03 13:20:55.37
マラソン選手とか負荷が大きすぎる運動してた人は早死に

223: 忍法帖【Lv=8,xxxP】
11/05/03 13:24:56.50
test

224:日本@名無史さん
11/05/07 12:29:52.44
>>218
>新羅三郎
それは、新羅神社で元服したことによる通称だよ。

>>216は満洲や契丹について言及しているが、シベリアの狩猟民族にルーツがある、
朝鮮人については何も言っていないぞ。

武士と朝鮮人は完全に無関係だ。
ムサとかサウラピとか、剣道の起源は朝鮮とか、嘘をつくのはやめてほしい。

ちなみに、
音表記で残されている新羅の言語が、朝鮮語では全く解読できないので、
新羅と朝鮮は赤の他人。異民族。

225:日本@名無史さん
11/05/10 01:41:39.16
朝鮮半島人も本来シベリアの狩猟民族にルーツがある、
李家朝鮮王朝になってから儒教文化に固まり、シベリア満州地域の文化と切断される。

226:日本@名無史さん
11/05/10 01:46:30.39
漂着、密貿易、海賊で捕まり敵性外国人として収容され戦奴にされた新羅系、渤海系が武士のルーツの一部

227:日本@名無史さん
11/05/10 01:50:01.32
朝鮮王朝の白丁は高麗王朝の忠臣が負けて身分剥奪され収容されたもの
日本の場合は、南朝の忠臣が負けて身分剥奪され収容されたもの


228:日本@名無史さん
11/05/10 17:03:04.09
>>225
>シベリア満州地域の文化と切断される

切断されていない、というか、高麗の後にシベリアから南下してきた民族が、朝鮮人
だと思う。
げんに、シベリア狩猟民のトーテム信仰や、ウチワ太鼓を用いた巫女(ムーダン)の神降ろしなど、
最も民衆に近い土俗宗教が全く同一のまま。

また、音表記で残されている高麗語が朝鮮語では全く解読できないこと、
染色、車輪、タル、灌漑など生活に根ざした太古の技術を、朝鮮人が学びそこねていること、
近代まで打製石器を日常的に使用していたこと

などからみて、シベリア亜寒帯の狩猟民と朝鮮人は、ほぼ同一民族と見てよい。
儒教は垢だらけの原始的な体を隠すための外套にすぎないと思われる。
……文盲ばかりだった朝鮮で、はたして何人が儒教を解しただろうか?
さらに、
朝鮮の極端な男尊女卑や家父長制は儒教ではなく、狩猟民の家族制度にほかならない。

遺伝子は土地に残るが、民族はあっけなく消滅していく。
ソビエト時代をへたシベリアでは、固有の伝説や言語、歌や舞踏、習俗を忘却したアジア系
民族が沢山いる。

ともかく、武士と朝鮮人は無関係。また、武士は新羅とも関係ない。

229:日本@名無史さん
11/05/10 17:13:51.17
武士=物部

230:日本@名無史さん
11/05/10 17:56:00.67
物の具(甲冑)かと思ってたぜ

231:日本@名無史さん
11/05/10 20:25:06.29
戦闘技術の伝播は、高句麗→渤海→蝦夷→武士なのかな?

232:日本@名無史さん
11/05/10 20:47:35.46
李家朝鮮王朝になってから儒教文化に固まり鎖国とともに、朝鮮多島海などの南部沿岸部に残っていた古代倭などの海洋文化と切断される。


233:日本@名無史さん
11/05/10 20:49:44.84
新羅三郎は、新羅神社で元服したことによる通称だよ。 ⇒

新羅系が氏子である新羅神社で元服した⇒新羅系を支持基盤にして取り込んだということ。




234:日本@名無史さん
11/05/10 21:09:51.09
パワフルな貴公子が軍事貴族になったというよりも、
企業が天下り官僚を受け入れて利権確保を図っているように、
田舎豪族が貴公子を婿に入れて氏族名を源平藤原につけかえた。
征夷の軍の幹部に居た百済王一族の場合は、最初から有力だったので、土着しても源平藤原の武士団にはならなかった。

235:日本@名無史さん
11/05/10 21:17:16.58
749年 陸奥国守百済王 敬福、黄金九百両を献上する
766年 百済王 文鏡を出羽守となす
774年 百済王 武鏡を出羽守となす
785年 百済王 英孫を出羽守となす
797年 百済王 聡哲を出羽守となす

---


236:日本@名無史さん
11/05/10 21:21:43.54
源義光:新羅系が氏子である新羅神社で元服した⇒新羅系を支持基盤にして取り込んだということ。


警察官僚がパチンコに天下りしたのと同じ

237:日本@名無史さん
11/05/15 15:53:49.26
>>234
> 企業が天下り官僚を受け入れて利権確保を図っているように、
> 田舎豪族が貴公子を婿に入れて氏族名を源平藤原につけかえた

のはその通りだと思うが、

> パワフルな貴公子が軍事貴族になったという

のもまた事実と思う。
たとえば源仕や平高望や藤原利仁のような「貴公子」たちは、いずれも寛平延喜期に東国に赴任しているが、当時の東国はまさに群盗が蜂起し各地で猛威を奮っていた時代。
上の三者らは、そんな時代にそれら群盗の鎮圧を目的として坂東各地の国司、押領使などに任じられた(と推察されている)のだから。
彼らはそんなタフネスさを要求される職務を遂行し得る「パワフル」な存在だと中央で認められていたからこそ、そのような役職に任命されたのだと思う。


238:日本@名無史さん
11/05/16 06:19:49.40
くだらの小錦

239:日本@名無史さん
11/05/17 06:00:12.31
DNA的に貴公子の子孫とは限らないのでは?
娘を一夜妻に差し出す⇒男の子が生まれ成人したら(怪しくても)ご落胤規定⇒当主に立てる⇒それまでと同様都に進物を送り続け認知を受ける⇒その権威をカサにきて周囲の同族、対立一族を圧伏させる。
経済力・実力がベースにないといけない。

240:日本@名無史さん
11/05/17 06:02:49.02
かくして日本はこういう形で民族統合されていった。

241:日本@名無史さん
11/05/17 06:18:46.41
〈貴種流離譚〉伝説もこうした田舎豪族が広めたのであろう。

242:日本@名無史さん
11/05/17 06:25:01.10
>DNA的に貴公子の子孫とは限らないのでは?

それいったら中央貴族同士の結婚でも同じことが言えてしまう。
中央も地方も通い婚の時代だし。

実際は父が違うかも、なんてびくびくしながら貴種を名乗るくらいなら本当に実の子を儲けてしまった方が貴族、在地豪族ともに余程メリットがある。



243:日本@名無史さん
11/05/17 06:39:13.59
>中央貴族同士の結婚でも同じことが言えてしまう

いや、それは、別の男の胤でもいちおうは貴族階級の男ではあるだろう。


244:宋文平
11/05/17 20:34:08.13
日本之武士豈敢與中國抗衡哉?

245:日本@名無史さん
11/05/19 06:34:49.45
>>243
同じ貴族階層に属していれば種は全くの別氏族でも構わないなんてことはないだろう(正式な養子縁組みは除く)。

それと>>242でも書いたが、
諸大夫程度の中下級貴族だと、4~5年の任期が終わってしまえば、次はいつ受領に任じられるかの保証なんてない。
だから彼らは限られた受領任期期間中に出来るだけ己が勢力を赴任地に扶植すべく努めるようになる。
その際、最も有効的な手段が有力在地豪族と姻戚関係を結んでしまうことなのだ。
そうしてその有力豪族をわが一族として取り込んでしまえば、以降最悪二度と受領任官が回ってこなくても、かつての赴任地に留住、土着して土地の長者として暮らして行くことができる。
また、再び他国の受領に任じられる機会に恵まれたなら、次の赴任地でまた同じことをやるだけの話。
そうやって「保証」を増やして行く。
また、王朝国家期以降になると時代の要請により、主に軍事貴族がこの役回りを演じることが多くなって行く。

以上みてきたように、
中央貴族と地方豪族の婚姻は、決して在地豪族側のメリット(上昇志向、見栄、etc)からだけによって行われてきたわけではないのだ。



246:日本@名無史さん
11/05/19 11:16:33.19
姓を藤原に付け替えておかねば国司に難癖つけられて私営田取り上げられるか、近隣のヤツに強奪されやすいか、分家に離反・横領されやすいので。

247:日本@名無史さん
11/05/19 11:18:34.22
将門は同族との戦争で敵方の所領を焼き払っている(占領して我が物にするということではなかった)。

248:日本@名無史さん
11/05/21 09:06:41.00
将門に限らずそれが当時の戦の形態

249:日本@名無史さん
11/05/22 06:47:29.44
え?!敵方の土地をぶんどらないの?
じゃ、ぶんどるのは奴隷にする人間?当時は土地が広く人手が少ないから?

250:日本@名無史さん
11/05/22 07:18:19.96
やはり倭人化した関東・東北の原住民が
射騎にすぐれ勇猛かつ礼儀正しかったので、
貴人のガード「さぶらう者」として利用したことが
淵源ではないかなあ。

それに西国配備の俘囚軍なんかもくわわって。

251:日本@名無史さん
11/05/22 08:21:45.69
>>250
「俘囚軍」が有ったという出典を提示してくれ。

252:日本@名無史さん
11/05/22 10:44:43.68
軍事貴族や在地豪族が私的に俘囚をその兵力に加えて行った。
また、軍事貴族自体がある意味私的なものでもある。

253:日本@名無史さん
11/05/22 10:48:52.85
元々貴族の弓馬の技術はなかなかのもの。
柔和なイメージのある菅公ですら弓の腕前は百発百中だ。

254:日本@名無史さん
11/05/22 11:19:19.66
>>253
騎射は違う

一部の貴族が嗜んだのは歩射の方だよ
騎射は実戦と狩猟から学ぶものだから

255:日本@名無史さん
11/05/22 12:54:01.09
>>254
勘違いは君の方だと思うぞ。
近藤氏の著作を読みなさい。

256:日本@名無史さん
11/05/22 13:06:57.98
鎌倉で発掘された頭蓋骨は長頭の特徴があるという。
長頭は後頭部の発達により動体視力及び空間把握能力に優れていると一般的に
言われている。
因みに野球の優秀なバッターは長頭種族が多い。


257:日本@名無史さん
11/05/22 14:25:59.28
>>255
脳筋の本を読んでもあんまり・・・

258:日本@名無史さん
11/05/22 14:34:47.03
 義経にしても『平治物語』(下巻)によれば、騎射を行うのは鞍馬を出てからである。
つまり義経は下総を根拠とする坂東武者である陵助重頼を語らってその手引きで鞍馬を出る。
その重頼を誘う義経の言葉の中に「物射て遊ばん」というのがあるが、義経は鞍馬を出て近江の鏡宿で自分で元服した後、
重頼に弓箭と馬を用意させ、東国への道すがら、重頼に「馳挽、物射」(つまりは騎射、歩射)を習いながら下ったという。
その後、義経は下総で一年ほど過ごすが、そこで狩猟をしていたことが記されている。
いずれにしろ義経が騎射術を習得したのは、鞍馬を出てからと考えるのが妥当であろう。
とすれば『平治物語』にみえるように、奥州に向かう途中(諸国流浪中)や、また、名馬の産地である奥州に行ってからであろう。
義経の身体能力をもってすれば、騎射術の修得も早かったのではなかろうか。
 それにしても、戦術的能力の向上には実戦経験が重要である。
自力救済(公権力に頼らず当事者相互で紛争を解決すること)の私戦を繰り返している東国武者とは違い、
義仲追討戦以前の義経に実戦経験があったかどうか疑問である。
あったとしても、鞍馬にいた時の辻冠者原との戦闘ぐらいであろうし、奥州では戦闘はなかったと考えられる。
そうした実戦経験という面では、義経が鞍馬から直接奥州へ赴かずに、諸国を流浪し、しかもその間、恵まれた生活はしておらず、
山賊や野盗まがいのことをしていたと考える方が、戦士能力の育成をという面では、筆者には説得力がある。
 しかしその一方で、義経の戦士能力は、戦術的能力よりも戦略的能力にあることを第三章で指摘した。
その点では、戦術的能力が劣っているのは、実戦経験が少なかったからであるとも考えられる。
 結局は類推の積み重ねで何とも言えないのだが、鞍馬を出てから義仲追討戦に向かうまでの義経の実戦経験の有無については気になるところである。

近藤好和『源義経』ミネルヴァ書房(2005年)

259:日本@名無史さん
11/05/22 14:36:42.62
『御堂関白記』(長和元年十二月四日)
「斎王定まりて後、弓場始、其の儀常の如し。能射なる者、候せず。的を射る者無し。
依りて的を打たしむと云々。
射手の数少なく、三番奉仕す。猿楽の如し。」

弓場始(歩射)
能射の者が伺候していないので的を射るものがいない。
それで的を打たせた。
弓で矢を的に射当てる事が出来ないので仕方なしに手で投げるようにして矢を的に打ち当てたの意。

260:日本@名無史さん
11/05/22 16:14:48.89
フランス・ジャパンエキスポ(2011)にて、韓国の偽剣道:Haidong Gumdo(ハイドン・グムド)
が公開されます。 彼らはこれを、「古代高句麗王朝に起源を発する韓国の伝統的な刀剣武術で、
しかも日本の剣道の起源だ」 と主張していますが、全くのでたらめです。
Haidong Gumdoは日本の剣道をコピー・改変しただけのものです。

この偽剣道を中止するよう、みんなで抗議の声をあげましょう!

ジャパンエキスポにおけるHaidong Gumdoの紹介ページ
URLリンク(www.japan-expo.com)

ここに抗議のメールを送ってください! (ジャパンエキスポの公式HP)
URLリンク(www.japan-expo.com)

在日フランス大使館にも抗議しましょう
URLリンク(www.ambafrance-jp.org)

「ジャパン・エキスポ2011での偽サムライと偽剣道: ある文化略奪について 」
URLリンク(www.youtube.com)

(この偽剣道について抗議している動画です↑素晴らしい動画なので一度ご覧になって下さい)



261:日本@名無史さん
11/05/22 16:25:21.02
>鎌倉で発掘された頭蓋骨は長頭の特徴があるという

さもありなん。
前から思ってたけど、「幕府」って日本では
征夷大将軍の前線司令部、「本陣」のことなんだろ?

室町幕府はまあ京都に名目的に「朝廷とは違う最高権力」として
司令部をおいてにらみをきかせたと思う。

けど鎌倉幕府はなぜあの場所で「本陣」なんだろう。

ひょっとして鎌倉以東を一種の「仮想敵」とみなし、
大義名分上の征「夷」前線基地として幕府を開いたわけか?

意味とりにくくてスマソ。

262:日本@名無史さん
11/05/22 16:37:10.77
> 長頭

みずからを「東夷」と称するわけだ

263:日本@名無史さん
11/05/22 17:00:14.19
鎌倉武士ってイチローみたいな奴らだったのだろう。

264:日本@名無史さん
11/05/22 17:10:17.64
外野手は空間把握能力は必須。
さらに位置予測能力も必要。
昔の戦闘機乗りが言ってた「予測射撃」は騎射と通じるものがある。

265:日本@名無史さん
11/05/22 19:18:42.60
必死で逃げる獣を馬の上から弓矢で射殺すとか
むかしは世界中でやってたけど
よく考えたらとんでもなく難しい事だと思う。

266:日本@名無史さん
11/05/22 20:28:56.00
そんなこと言ったら
昔の人にいくら教えても現代日本の狭い駐車場で車庫入れなんてできねえってwww
能力が使われる対象が変わっただけで、空間把握力自体は変わってないよ

267:日本@名無史さん
11/05/22 21:30:32.47
だから車庫入れ出来ない人は短頭人種だってば。

268:日本@名無史さん
11/05/22 21:34:29.62
お前ら日本人は単一民族じゃねーて事ぐらい理解しとけよ。

269:日本@名無史さん
11/05/22 21:35:39.12
あんまり関係ないんじゃね?
戦前の陸海軍のパイロットは長頭種の米軍パイロットを全然問題にしてなかったでしょ

270:日本@名無史さん
11/05/22 21:37:23.76
お前は自分の嫁が同一民族とでも思っているのか?

271:日本@名無史さん
11/05/22 21:39:43.43
>>269
だから生き残った帝国軍人パイロットを統計調査しろよ。

272:日本@名無史さん
11/05/22 21:41:32.96
>>267 >>256
こういう酷い電波を信じる人はいないよなw
電波と言われたくないなら、長頭・短頭とIQスコアの相関のソースでも出してみ

273:日本@名無史さん
11/05/22 21:57:38.86
>>272
なんじゃそれ?「IQスコア」とは?
先ずお前が脳神経科を受診しな。

274:日本@名無史さん
11/05/22 22:02:43.88
陸海帝国パイロットは厳しい訓練選別があったから短頭種がパイロットになることは稀だったよ。

275:日本@名無史さん
11/05/22 22:35:22.06
>>273
IQすら知らずに『空間把握能力』とか書いてたのかww

どのIQテストにも必ず空間把握力の測定に当たる項目があるから。
最も使われてるウェスクラー式知能検査なら『絵画完成』『積木』『組合せ』だ。
言うまでもなくIQ測定の試みは、当初アメリカの軍隊で徴兵検査や軍人の適性を測るために発展・普及したものだ。
自衛隊でももちろん入隊時に行う。
空間把握力を最も客観的に測定してくれる基準は動作性IQだからね。

君の言うように空間把握力と頭の形に相関があると『一般的に言われている』なら、
当然データ化されてるだろ。
それを出してみなって。

276:日本@名無史さん
11/05/22 22:46:29.08
>>275
お前は短頭種?

277:日本@名無史さん
11/05/22 22:51:41.50
短頭種って理屈っぽいんだよな。

278:日本@名無史さん
11/05/22 22:59:11.41
短頭種は特攻要員。
長頭種は本土防衛パイロット。

279:日本@名無史さん
11/05/23 12:49:41.45
URLリンク(hosted.met-art.com)

280:日本@名無史さん
11/05/24 05:51:11.46
平成日本だっていまだに
東日本と西南日本が中頭~長頭型だ。
この一帯が古来、武士団を生み出している。
今でも自衛官や警官は多い。

281:日本@名無史さん
11/05/25 00:45:20.02
>>258
近藤好和『源義経』読んだ。
>>214
水澤龍樹『日本のまつろわぬ民』も読んだ。

両者とも、同じ平安末期の武士について論考しているが、「日本のまつろわぬ民」
の指摘の方が的確であったと思う。特に、クグツと騎射と源氏武士団の関係、後白河
法皇と鞍馬の天狗と源義経の関係など、おもしろかった。

282:日本@名無史さん
11/05/25 01:00:14.13
武士の起源は鎌倉幕府でしょ。
こんなもん小学生でも知ってる。



283:日本@名無史さん
11/05/25 03:06:58.63
私は、四日町小学校の、麻子です。武士のことについて、質問します。
教科書には、豪族(ごうぞく)が、武士になったと、書いてあったんですが、
そちらのホームページには、農民が、武士になったと、書いてありました。どちらが、本当ですか?教えてください。

ゲンボー先生

麻子さん メールをありがとう.

同じです.武士は基本的には農民なのです.農民にも大きい小さいがありますから,
大きな領地を持つ農民である豪族(ごうぞく)が小さな農民をしたがえていきました.
そうして,各地に武士団ができましたが,その武士団をさらにまとめた大武士団の棟梁(とうりょう=ホームページを見てください)が
源氏や平氏などの皇族や貴族の血筋(ちすじ)を持つ人達なのです.この質問は下につづきます.

こんにちは。四日町小学校の麻子です。

この前は、武士のおこりについて教えていただきまして、ありがとうございました。
今日も、質問があるのですが、貴族と豪族(ごうぞく)と武士の違いは何ですか。
みんな力のあった人のようで、時代が違うので呼び方が違うのかと思っていたのですが、調べてみると同じ時代にも登場してくるのです。
なんとなく違うふうなんですが、よくわかりません。教えて下さい。

ゲンボー先生

そうですね.みんなそのことで混乱しています.

豪族(ごうぞく)は農民だったり漁師だったり,牧場主であったり様々です.力のある地方の支配者のことです.この人達は武士でもありました.
貴族や皇族は都に住む有力者で農民ではありません.律令によって守られ広い領地を持って豊かな生活をしていました.しかし時代と共に子孫が増えて地方役人となって出て行く人もありました.
力はあるが貴族よりは身分の低い豪族(ごうぞく)達は,こうした人達を利用して豪族(ごうぞく)同士が結びついて武士団を作るときの,ボスになってもらいました.
この人を棟梁(とうりょう)といいます.これが源氏や平氏です.ですから皇族や貴族から武士になったものもいたのです.この人達は豪族(ごうぞく)とは呼ばれません.

284:日本@名無史さん
11/05/25 04:58:48.00
このセンセ、50年前で時間が止まってんのかよw
「農民から武士へ」とか、「不輸不入の荘園が増えて税収が減り云々」とか…
ガキ相手に時間潰してないで、寧ろ堂々と今の学界で発表してもらいたいわw




ってうちのすぐ隣町の大学教授かいw!



285:日本@名無史さん
11/05/25 06:00:27.36
武士の本質は封建領主。かれらが律令農民を農奴化しながら在地領主制を発展
させて古代国家を掘り崩していったのです。そして、鎌倉幕府に結集して
中世封建国家を打ち立てました。

286:日本@名無史さん
11/05/25 11:04:25.15
職能的ブス機嫌論

287:日本@名無史さん
11/05/25 22:12:25.33
武士の本質は奴隷軍人。かれらが律令農民を農奴化しながら在地領主制を発展
させて古代国家を掘り崩していったのです。そして、鎌倉幕府に結集して
中世封建国家を打ち立てました。


288:日本@名無史さん
11/05/25 22:33:49.69
>>285,>>283
んな単純な話じゃないよ。
少なくとも東国の騎馬武者の台頭は、環オフォーツク文化圏の問題として見る
必要がある。
当時の北東アジアの動乱が、武士の成立に関与している。
                         by「日本のまつろわぬ民(新人物往来社刊)」

289:日本@名無史さん
11/05/25 23:50:31.26
弓射儀礼(歩射)の成績(『中右記』、『吾妻鏡』)
          回数 命中 命中率 射手数
1096年(京都) 140  11  7.9(%)  14  最高成績:源明国(多田源氏) 40%
1260年(鎌倉) 240  181 75.4(%)  12

290:日本@名無史さん
11/05/26 03:52:19.09
武士の起源を論ずるにあたって、壬申の乱で高市皇子に従い武功を上げた彼等こそ重要である。
民大火、赤染徳足、大蔵広隅、坂上国麻呂、古市黒麻呂、竹田大徳と、胆香瓦臣安倍。
彼等に共通することは東漢氏などの渡来系軍事氏族出身であることだ。
壬申の乱の武功で破格の高位を得て、その系統からは軍事官僚を輩出した。
後の軍事貴族となる大蔵氏には注目にされてよかろう。

291:日本@名無史さん
11/05/26 04:04:43.40
なんか
駐日米軍に守られた某政府みたいだね。

292:日本@名無史さん
11/05/26 04:09:52.94
連投スマソ

米軍がこのまま日本に土着したら300年後にはNEO武士になるのかな?

293:日本@名無史さん
11/05/26 04:14:51.31
映画「地獄の黙示録」ではカーツ大佐は一代も掛けずに土着(?)してるね。

294:日本@名無史さん
11/05/26 10:09:42.58
>>292
では悪いことしたらハラキリ・切腹してもらうわ。

295:日本@名無史さん
11/05/26 11:15:22.52
>>290
> 渡来系

藤原利仁の母系氏族は秦氏だしな。
藤原秀郷にまつわる伝承では、秀郷が建立したとされる神社は何故か稲荷社(秦氏系)ばかりだし、
清和源氏に関しては摂津、河内など渡来系のメッカを本拠地にしている。
平氏では将門の母系の県犬養氏もそれっぽいよな。

296:日本@名無史さん
11/05/26 11:22:16.38
奥州安倍氏の遠祖が壬申の乱勲功者だとしたら大発見だ!

297:日本@名無史さん
11/05/26 12:09:37.65
武士の生みの親は高市皇子である。

298:日本@名無史さん
11/05/26 13:34:13.47
じゃあ係累の清原真人氏は筋目正しいもののふの家なんだな

299:日本@名無史さん
11/05/26 16:35:35.18
高市皇子の母系を見てみ。
胸形(宗像)氏=宗像大社 因みに壬申の乱で大きな軍事的役割を果たした尾張氏=熱田神宮は
同族である(海人氏)
さらに後の世の源氏の尊崇を集めた八幡宮の総本社宇佐八幡宮は宗像大社の流れを汲む。

300:日本@名無史さん
11/05/26 16:49:58.61
関係無いと言われるかもしれないが
壬申の乱とは白村江で敗戦し東アジアに於けるパワーバランスの中で
孤立した天智(近江)朝に対する海人族の軍事クーデターである。

301:日本@名無史さん
11/05/26 17:01:40.47
墾田永年私財法で私有地を手に入れた有力農民が土地を護るために武装し、
もっと有力な者の保護を求めて武士団が形成される。その武士団の
頂点に立ったのが、都で出世できずに国司として赴任して土着した貴族だ。
これが真実。

302:日本@名無史さん
11/05/26 17:51:06.16
>>301
50年前の文部省推奨

303:日本@名無史さん
11/05/26 18:49:48.42
>>300


304:日本@名無史さん
11/05/26 19:17:11.95
やってしまった・・

>>300
継体~斎明までと、天武~称徳までが同系天皇で久米氏系。
この間、あいだの天智天皇だけが別系(大和系)天皇で、白村江敗戦後(668年)に大津で天皇位に即位し、
戦勝国盟主である唐に対して、唐に逆らった賊(=斎明までの久米氏系天皇政権)を倒したので自らの政権を認めてほしい旨交渉してそれが承認され、領土の割譲を免れることに成功する。
しかし、前政権側の天智に対する反発心はすさまじく、天智没後、大海人を担いだ前政権側の久米氏勢力が再び政権を奪回する。


305:日本@名無史さん
11/05/26 22:10:26.64
久米氏は現在のどのあたりを支配してたんでしょうか?

306:日本@名無史さん
11/05/26 22:18:38.26
久米宏は武蔵七党児玉党族久米氏の末裔

307:日本@名無史さん
11/05/26 23:58:59.38
>>305
久米(来目)は北九州が元来の本拠地だよ。熊襲と境を接していた。

308:日本@名無史さん
11/05/27 00:01:34.02
>>307
岡山の久米郡は関係ないのでしょうか?

309:日本@名無史さん
11/05/27 03:29:48.52
裏朝廷は海人族が支配している。

310:日本@名無史さん
11/05/27 03:51:01.00
>>307
筑後川流域と推定されてる。


311:日本@名無史さん
11/05/27 13:12:13.17
>>308
久米は播摩(鴨氏)と強く繋がっていた。岡山には播摩の属領的な地域もあったので、岡山(美作)の久米郡はその関係かもね。
他にも伊予、伯耆などの久米郡も当然久米氏と関係あると思われる。
特に伊予は元はやはり播摩の勢力が大三島経由で進出したものであり(大山祇神社祭神である大山積神は元々播摩鴨氏の主祭神。鴨氏の移動とともに播摩→大三島→伊豆などに移動)、それと連動する形で久米氏勢力もかなり伊予方面に進出していたものと考えられる。

>>310
そうだね。いまの久留米がその本拠じゃないかな。


312:日本@名無史さん
11/05/28 08:03:43.12
URLリンク(sky7anime.net)

313:日本@名無史さん
11/05/28 08:15:10.93
海人族そのものの戦闘能力が高かった訳ではなく
交易を通じて取り込んだ渡来系軍事氏族や財力がその力の源泉だったんじゃないの

314:日本@名無史さん
11/05/28 08:19:28.04
そうすると武士の起源は継体朝あたりまで遡れそうだね。

315:日本@名無史さん
11/05/28 08:43:46.64
>>311
ありがとうございます。
岡山が属領的地域だったとは知りませんでした。
度々すみませんが、鴨氏や久米氏と清和源氏は関係ありますか?


316:日本@名無史さん
11/05/28 08:58:59.77
確か近藤氏の本で8世紀の鴨社例大祭での騎射奉納について触れていたな。

317:日本@名無史さん
11/05/28 09:48:12.59
久米氏と同族の大伴氏、その支族の中臣氏の故地は九州北部だよ。
天孫族の東征の先導をして大和に進出したと言われてる。

318:日本@名無史さん
11/05/28 11:09:19.20
>>317
大伴氏も中臣氏も久米氏も瓊瓊杵尊に従って天下りしたことになってる。
つまり本拠は日向だ。

319:日本@名無史さん
11/05/28 11:34:42.77
蝦夷や俘囚兵強すぎ、まさに蝦夷無双

320:日本@名無史さん
11/05/28 11:39:55.34
本拠は現在の大分県直入郡という研究もある。

321:日本@名無史さん
11/05/28 11:47:29.77
今ここでの論題に沿ってくれ頼むから。

322:日本@名無史さん
11/05/28 13:15:38.75
>>315
吉備の一部ね。
渡来人の入植地だった吉備や丹波の勢力に、日本土着系の播摩の方が元々は侵食されかかっていたの。岡山のは「羅」とか「温羅」とか言われている奴ら。播摩勢力はこれら「温羅」や丹波や北陸の「越」のような渡来人勢力を「鬼」と呼んでいた。
そこで南方から来た製鉄技術をもった集団(隼人の一部)を受け入れて製鉄技術を習得し、また播摩の山間部からは砂鉄地が発見され自前で鉄を調達できるようになったこともあり、強大化した播摩は岡山の渡来人勢力を駆逐するようになっていく。
更に後の仲哀帝(大和系)やその妃の神功皇后(久米系)の時代に三韓征伐に与力して九州に赴く途中、播摩鴨は与力した報償として仲哀帝に、憎き敵の地である吉備の一部を望み、それが叶えられた。
桃太郎はそれらが合わさって伝説化したお話。

323:日本@名無史さん
11/05/28 20:25:06.89
>>315
> 鴨氏や久米氏と清和源氏は関係ありますか?

う~ん、清和源氏は確かに八幡菩薩を奉じているけど、むしろ秦氏他渡来人系伴造集団との関係の方が深いような。
まあ清和にしろ、陽成にしろ光仁以降の大和系子孫と考えれば、
大和と播摩鴨と久米は密接に(もう殆んど糾える縄の如くに)姻戚関係などで絡まってきているので、「関係ある」と言えるのだろうが、どうもそれだとこじつけの域を出ない感じかな。
むしろ、伊勢平氏の方が(旧)播摩勢力の血が入り込んでいる。

324:日本@名無史さん
11/05/28 20:25:39.37
最初から本当に鬼と呼んでたのですか?

325:日本@名無史さん
11/05/28 21:14:19.48
渡来系勢力の一部から虐待を受けてたからね。

326:日本@名無史さん
11/05/29 03:57:07.89
久米=熊襲?

327:日本@名無史さん
11/05/29 04:53:15.17
武士って平安中期に成立したんじゃないの?

328:日本@名無史さん
11/05/29 05:06:11.77
1万年前の縄文時代から続く狩猟の風習が起源でいい。

329:日本@名無史さん
11/05/29 05:50:06.00
ブスの起原なら半島だね

330:日本@名無史さん
11/05/29 07:23:55.30
>>329
つ鏡

331:日本@名無史さん
11/05/29 08:06:03.59
>>327
武士に限らず「家」は王朝期に成立。
院政期に「家業」が固定化された。
今、ここでの議論は武士の起源だよ。


332:日本@名無史さん
11/05/29 08:22:27.30
墾田農民の武装、在地領主性、これが武士発生を理解する
キーワード。職能起源説、等々は枝葉末節。
古代奴隷制から中世封建制への移行がどのように進行したかを
階級闘争の視点から考察しなければ社会科学としての歴史学にはならない。

333:日本@名無史さん
11/05/29 08:54:18.60
武装しても戦闘技術(騎射など)が無ければ武士へは繋がらない。
だから、その技術はどこから伝播しどのような人々が担っていたかを究明しなければ
武士論はなんら意味を持たない。

334:日本@名無史さん
11/05/29 09:04:00.36
世界史的に見ても農民から封建領主への階層移行はない。
ドイツのユンカーは貴族や宮廷官僚の庶流の末裔。


335:日本@名無史さん
11/05/29 09:22:25.02
「狩猟民」だけをクローズアップしても
「縄文人系狩猟民」「渡来人系狩猟民」「蝦夷狩猟民」「逃散農民型狩猟民」
さらに「生活生産の為の狩猟」「儀式祭祀の為の狩猟」を分類検証しなければならない。

336:日本@名無史さん
11/05/29 09:31:58.06
日本社会が奴隷制→封建制→資本主義へと法則的に発展して来た中で
武士階級はどの歴史的段階でどのような歴史的役割を果たしたかを
解明するのが科学的歴史学の任務。騎射戦術の起源がどうのこうのは
軍事オタに任せとけ。

337:日本@名無史さん
11/05/29 09:43:55.28
高い戦闘技術を保持し「穢れ」の思想が薄いのは
「渡来人系狩猟民」と「蝦夷狩猟民」だね。

338:日本@名無史さん
11/05/29 10:41:00.87
基地害の連投自演はもうウンザリなんですわ

339:日本@名無史さん
11/05/29 11:16:33.48
渡来人系狩猟民w

造語乙

340:日本@名無史さん
11/05/29 12:31:16.26
やけに渡来人を押したい人が一人居るよね

341:日本@名無史さん
11/05/29 13:40:55.39
>>326
隼人、熊襲が元々同族。
そのうち隼人には南方から製鉄技術を有した集団が渡来してきて隼人族の首長となっていく。つまり、隼人自体が複数の部族から成る製鉄技能集団となり、熊襲とは分化していく。
また、隼人は交易集団でもある。鉄も自領からは産出しないので輸入で手に入れる他なかった。
久米は元々真珠貝の採取に優れており、その真珠で隼人の鉄製品と交易していた。
真珠は大陸で珍重されたので、隼人は鉄の原料を得るために久米と積極的に取り引きを行うようになり、それで久米も栄えて行くこととなる。
熊襲はこの三者の中でちょっと置き去りにされた感じ。
尚、日本神話の海幸彦は隼人のこと。隼人は鉄製品を近隣部族(特に熊襲に)に貸し与えることで利益を得ていた。神話において山幸彦に貸し与えた(交換した)「鉄の釣り針」の話はまさにそのことを表している。

342:日本@名無史さん
11/05/29 17:00:48.09
古墳時代の豪族と武士って似てないかい
両方武装した領主だし

343:日本@名無史さん
11/05/29 18:16:05.70
>>341
>南方から製鉄技術
どこからの製鉄技術なの?


344:日本@名無史さん
11/05/29 18:52:42.40
>>339
クグツの生活様式の一端だろ

345:日本@名無史さん
11/05/29 18:53:32.53
基地の自演はもうウンザリ

346:日本@名無史さん
11/05/29 20:06:35.34
>>342
信濃、上野など東国古墳の副葬品に馬具や武具の遺物が多いことから
武士の淵源を名も無き古代地方豪族に求める向きが古代史、考古学にはある

347:日本@名無史さん
11/05/29 20:23:49.08
>>345
もう帰れよ。
それより南方系の製鉄を示せよ。

348:日本@名無史さん
11/05/29 20:27:21.06
>>345
ウンザリで済ますバカはお前だろ?

349:日本@名無史さん
11/05/29 20:30:28.51
>>348
そのとおり。

350:日本@名無史さん
11/05/29 20:34:26.67
江南台湾工作員はここにも居るのか。

351:日本@名無史さん
11/05/29 20:42:53.50
南方系製鉄技術は一体どこから?

352:日本@名無史さん
11/05/29 20:46:31.44
武士の起源と少しずれるるが……
小浜基次が昭和二十年代に調査した、各地の頭長指数が気になってる。
日本人二重構造モデルのヒントになった論文。

近畿と西日本が短頭で、東日本と西南日本が中頭。
アイヌが長頭なんだ。
そしてその短頭の地域で、人権問題が深刻になってる

これは決して偶然ではないと思う。

353:日本@名無史さん
11/05/29 20:51:59.68
短頭は現朝鮮民族だろ

354:日本@名無史さん
11/05/29 20:54:25.71
南方系製鉄技術とは?

355:日本@名無史さん
11/05/29 21:04:43.35
なにこの堂々とした自演はw

356:日本@名無史さん
11/05/29 21:13:50.99
なんか三流アマチュアの民俗学趣味の電波が酷すぎる

357:日本@名無史さん
11/05/29 21:15:09.34
>>355
南方系の製鉄のソースを示せよ。

358:日本@名無史さん
11/05/29 21:17:43.01
>>356
アマチュアと思うならそのレスと論拠を示せよ。

359:日本@名無史さん
11/05/29 22:40:24.61
言い訳メイビー

360:日本@名無史さん
11/05/29 22:50:56.09
堂々と自演しといてアマチュアの論拠示せとか自演指摘されてソース示せってこいつマジ基地だな

361:日本@名無史さん
11/05/29 22:54:59.54
>>360
基地で結構。
ソース示せよな。

362:日本@名無史さん
11/05/29 22:59:08.69
南方の製鉄(笑)

363:日本@名無史さん
11/05/30 00:07:15.63
基地でけっこう(キリッ

364:日本@名無史さん
11/05/30 00:19:50.03
たぶん2ちゃんで電波系民俗学趣味のスレッド建てて自分で書き込むのがこいつのささやかなライフワークなんだよw
リア基地はほっとけって


365:日本@名無史さん
11/05/30 00:36:09.15
そういえば人権問題(最早過去の遺物)って西日本の歴史ある町ばっかり。

366:日本@名無史さん
11/05/30 00:55:29.65
電波が一人で延々と自演するスレ

367:日本@名無史さん
11/05/30 01:28:28.67
>>365
リア基地害自演乙~

368:日本@名無史さん
11/05/30 01:40:15.59
>>343
確証は持てないが呉とか越とか楚とかそのあたりではないだろうか。
彼らが南九州に渡来し土着民と融合して製鉄の民、交易の民隼人となっていく。
ただし>>341で言ったように隼人の地は鉄を産しないので交易でそれを賄う一方、彼らは国内(列島内)にも産鉄地を求めて各地に調査隊を派遣する。
日本神話における大和東征神話も実体はその調査隊のようなもので人数も極少数(30人前後くらい)のものだった。
彼らは海路河内に上陸し、そこから大和に入ろうとしたところで大和の土着勢力の攻撃に会いリーダーの兄(イツセ)が命を落としてしまう。
>>322で言った播摩が受け入れた隼人とは実はこの時大和に討たれて引き返してきた一行のこと。
リーダーの名前はウル。
ウルの一行はこの播摩の地で製鉄技能をさずけ、一生を終えることになる。
この隼人を迎え入れた播摩、そして久米などが密接に結び合わさって、のちの本当の意味での「大和東征」が行われることとなる。
ざっくり言うと彼ら(の後裔)がのちのヤマト王権を構成する母体となって行く。


369:日本@名無史さん
11/05/30 01:42:10.61
リア基地外まだ自演してるよ(笑

370:日本@名無史さん
11/05/30 05:46:14.69
人権問題じゃなくて"同和問題"と書け。歴史板でくだらん婉曲表現使うな。

371:日本@名無史さん
11/05/30 08:04:02.40
まちBBSではレス即刻消された。
中学に同和地区あったけど自分の代は同級生も保護者も特に問題なかった。
最近のモンスターペアレンツの方がよっぽど凄まじい。
噂ではあの場所が日本で最も古い部落らしい。

372:日本@名無史さん
11/05/30 09:14:25.02
モンスターは童話と在日ばかりだよ。

373:日本@名無史さん
11/05/30 09:33:47.13
それは偏見。
自分の知ってる限りではね。
あなたは同和と呼ばれる地域の子と机を並べて勉強しましたか?
一緒に修学旅行に行きましたか?

374:日本@名無史さん
11/05/30 20:59:34.48
俺の予想通りに古代妄想自演連投のマジ基地による同和問題ネタになったな
こいつ何年間も2ちゃん人権板とか日本板で部落とか在日朝鮮人とか菊池山哉とかのネタで馬鹿みたいにガンバってるリアル基地外だからなw
こいつはたぶん学と金と社会性が無くてリアルに貧窮してる社会不適合者だよ
ほっといて晒し者にするしかないが誰も見てないから己の愚行に気づく機会も無い哀れな廃人


375:日本@名無史さん
11/05/30 22:39:03.86
同和かあ。
俺んとこは学校や子供の家に怒鳴りこんでいったりするのは決まって同和の親やったな。
俺が同和の子と喧嘩した後に俺の家まで親が何回か来た。
まあ、モンスターかどうかは知らんがなあ。

376:日本@名無史さん
11/05/30 22:44:20.30
>>375
おまえ身元や名前は割れてるからとことん追い込んでやるけどいいな?

377:日本@名無史さん
11/05/30 23:47:14.10
自演で喧嘩とかありきたりだけど自演するやつの精神構造がしりたくなった

378:日本@名無史さん
11/05/30 23:56:16.49
太田亮と菊池山哉が好きなんですね?

379:日本@名無史さん
11/05/31 00:01:05.09
>>376
おまえアホやな。
375で書いたのはこのスレでの2回目の俺の書き込みやで。

380:日本@名無史さん
11/05/31 02:00:33.18
2ちゃんで口語体関西弁
自演マジ基地の典型的パターンだなw

381:日本@名無史さん
11/05/31 02:04:47.92
2ちゃんで関西弁=関東人だろ

382:日本@名無史さん
11/05/31 10:28:11.57
武士=貴族の随身、従者、用心棒



383:日本@名無史さん
11/06/02 01:35:41.28
URLリンク(www.peepsamurai.com)

384:日本@名無史さん
11/06/02 05:17:26.67
武士=武装開拓農民

385:日本@名無史さん
11/06/02 06:24:45.42
上(中央)からは軍事貴族(4~5位の諸大夫、6の侍品)が受領、押領使、追捕使などとして下向、
下(地方)では多くは国造などに系譜を持つ郡司・富豪層が健児制のもと世襲軍人化。
王朝期に国衙への大幅な権限移譲がなされ、その両者が結びついたもの(国衙軍制)それが武士。

386:日本@名無史さん
11/06/02 11:37:18.90
>>384   0点
>>385  65点


387:日本@名無史さん
11/06/02 13:42:56.56
武士=俘囚、放免が系譜である穢れ仕事をさせられていた肉弾奴隷


388:日本@名無史さん
11/06/02 14:16:21.54
>>382  33点
>>387  25点

389:日本@名無史さん
11/06/02 18:44:13.32
訂正
>>387  -25点

390:日本@名無史さん
11/06/02 19:13:23.78
武士=開発領主

391:日本@名無史さん
11/06/02 19:21:04.87
あと30年もたてば軍事貴族説も国衙論も
「昔の人はこんな珍説信じてたんだ、プッ」って扱いに変わるだろうな

392:日本@名無史さん
11/06/02 20:22:35.89
>>391
軍事貴族説と国衛論ってなんだ?


393:日本@名無史さん
11/06/02 20:29:25.33
>>392
ggrks

394:日本@名無史さん
11/06/02 20:37:38.37
国衙軍制論は今時点でもすでに「そんなにシステマチックに機能してたか疑わしい」と唱える学者もいる。

職能論(軍事貴族)は、
王朝国家期以降の朝廷において軍事動員が必要な事態になった時、
その責任者に任命された者たちの顔ぶれ(満仲、千晴、春実、直方、頼信、頼義、頼俊、義家、義綱、正盛、忠盛、清盛、義仲、頼朝、義経、秀康、etc)が全て承平・天慶勲功者(=軍事貴族)子孫であることからも、
細部はともかくその根幹が大きく書き換えられることはもう無いんじゃないかと思う。



395:日本@名無史さん
11/06/03 00:01:30.54
軍事貴族(笑)とは言われてそう

396:日本@名無史さん
11/06/03 00:06:24.46
???

397:日本@名無史さん
11/06/03 02:57:58.12
武士=西洋でいうところの騎士

398:日本@名無史さん
11/06/03 02:59:31.47
中世の人間はみな武装していた。

399:日本@名無史さん
11/06/03 08:36:49.53
>>397
武士団棟梁が武士であり王臣末裔ということ
騎乗身分の領主ということ

400:日本@名無史さん
11/06/03 11:18:43.65
武士=今でいうところの暴力団が警察権を持った状態

401:日本@名無史さん
11/06/03 14:21:58.25
武士=インフレ状態になった支配層



402:日本@名無史さん
11/06/03 18:41:21.43
藤原利仁って何した人。芋粥しか知らないが、いちおう鎮守府将軍だったんだね。

403:日本@名無史さん
11/06/03 20:45:25.76
北陸の王者富樫介の祖だよ

404:日本@名無史さん
11/06/03 23:04:03.25
>>402
藤原北家魚名流。
祖父は越前守高房、父は民部卿時長、母は越前国の豪族・秦豊国女、妻は越前敦賀の豪族・有仁女。

関白藤原基経に仕え、
延喜11(911)年上野介、
同15(915)年鎮守府将軍、
同16(916)年上総介に任じたとされる。

しかし、これらの経歴は全て尊卑分脈など後世の史料の記載によるもので、確実な史料からは確認出来ない。
唯一、「侍中群要」に藤原「利平」が延喜14(914)年に鎮守府将軍に任じられた記事が見え、この「利平」が「利仁」の誤記なのであろうとこれまでは考えられてきた。
しかし、藤原北家内麻呂流に藤原利平は実在しており、時代的にも符合することから、今日では利仁の鎮守府将軍補任は疑問視されるようになりつつある。


405:つづき
11/06/03 23:27:32.76
何よりも、平高望らとともに延喜期の東国に赴き、当時同地で蜂起していた群党の鎮圧に功を立てたとされるわりには、
坂東の地に利仁の子孫が勢力を築いた痕跡は認められず、
従って次の時代に起こった承平天慶の乱(将門の乱)においても、
あれほど坂東の地を騒がした大争乱であるにも関わらず、
将門側、貞盛・秀郷側いずれの側にも、その与党として利仁流の人物の名が一人も上がってこないのが不可解。
この点、高望流とは大違いである。


406:日本@名無史さん
11/06/04 00:13:41.01
URLリンク(www.mpeghunter.com)
URLリンク(www.mpeghunter.com)

URLリンク(www.mpeghunter.com)




407:日本@名無史さん
11/06/04 01:30:15.34
>>400  100点

408:日本@名無史さん
11/06/04 01:45:19.31
>>404 >>405
検証の余地あありますね。
今後の研究成果が待たれるところであります。

409:日本@名無史さん
11/06/04 06:22:38.51
ゲルマン戦士みたいなもので、傭兵的な縄文系戦闘集団が
土着、支配層化したのでは?

410:日本@名無史さん
11/06/04 07:44:49.99
スキタイは遊牧スキタイと農耕スキタイの二層構造であり
かつての農耕異民族を支配下に置く軽装騎兵である遊牧スキタイが支配者である。
古ゲルマン社会は農耕牧畜社会でありゲルマン戦士とは歩兵中心であったと思われるが
時代が下り支配者階級である騎士が重装騎兵であったことは日本の武士と共通し興味深い。

411:つづき
11/06/04 07:50:46.29
農耕社会が重装騎兵を維持するのは土地の生産性との相関関係において他ならない。

412:つづき
11/06/04 08:44:23.08
古代末期の坂東の地は耕地及び牧の生産性が優れて高く、また平安海進により
内陸部まで水運が発達し氷川神社など富の集積拠点が考古学的に発掘確認されている。
その東部地域で粗鋼生産が有ったことを裏付ける炉の跡も発掘確認されている。

413:日本@名無史さん
11/06/04 17:27:39.35
鉄と馬か。
平将門の領域周辺ではどっちも発見されてるな。鉄原料や鉄生産品とその輸送は一体のものだったろうからな。


414:日本@名無史さん
11/06/04 23:21:38.90
常陸と下総と鉄と馬と福田豊彦

415:日本@名無史さん
11/06/04 23:57:05.00
尾崎前山製鉄遺跡(茨城県結城郡八千代町尾崎)

長洲馬牧(茨城県岩井市長須)

大結馬牧(茨城県結城郡八千代町大真木)


416:日本@名無史さん
11/06/08 01:15:21.46
URLリンク(xxxbunker.com)

417:日本@名無史さん
11/06/08 01:17:16.41
URLリンク(xxxbunker.com)



418:412
11/06/09 02:40:42.80
戦場において対峙した敵を「ものの数ではない」という言葉があるが、現代語に訳せば
「正式の戦闘員(=武士)の数ではない」ということだ。
一人の武士(=重装騎兵)には準戦闘員の郎党(この場合、武士身分ではないが騎乗資格を有する者)、
補助戦闘員の従者、非戦闘員の馬の轡持ち、荷駄要員等10人以上が付随する。
鎌倉幕府軍10万騎、20万騎の表現は実際には数千人の武士=重装騎兵のことであり
諸国追捕使の動員は数百名程度の武士であったことと推測される。

419:412
11/06/09 04:13:02.63
一国数百名の武士=重装騎兵の数は偶然にも健児の数と一致する。
それが物語っているのは重装騎兵の維持と土地生産性の相関関係に他ならない。
多少土地生産性の向上が有ったとしても中世以前は緩やかな漸増に過ぎない。
古代内乱の鎮圧勲功者子孫を取り込んだ母系こそ国造系郡司層、伴造古代軍事氏族
等の富豪層であったことを示唆している。

420:日本@名無史さん
11/06/09 05:10:11.53
>>418
一騎は騎馬武者とそれに従う者をひっくるめた単位だろ。
「七騎落」は名のある武者七騎だよ。

421:日本@名無史さん
11/06/09 07:38:07.84
佐藤進一氏や上横手雅敬氏によると、
中世武士の郎党には、主人に隷族的な郎党と、
契約による同盟者的な郎党との2種類があるそう。



422:日本@名無史さん
11/06/10 03:55:58.60
>>420 25点

423:日本@名無史さん
11/06/10 04:01:19.39
>>421 90点

424:日本@名無史さん
11/06/10 04:03:25.32
「ものの数」である武士の部屋ずみは郎党になったの?

425:日本@名無史さん
11/06/10 04:30:20.96
>>115
>官人として武装しており、律令官制の中で 訓練を受けた常勤の公務員的存在
>ただし、官人として武に携わることを本分とした武装集団ではあった。

この違いがよくわからない。武装とかの必要経費を自費負担するってこと?
ていうか、武官と武士が同時に存在してた時代もあるんだろうけど、
互いのことはどう思ってたんだろうか。
「武官やってるけど食えないから武士になるか」とか思ってたんだろうか。

426:日本@名無史さん
11/06/10 05:03:13.86
軍事貴族たる武士が軍事官人や健児を配下に取り込んでいったんじゃないの?

427:日本@名無史さん
11/06/10 06:41:23.94
中央軍事貴族が、武装原住民や俘囚放免を
取り込んでいつたんだとおもう。

428:日本@名無史さん
11/06/10 08:23:31.75
点数つけてる奴って上横手オタか。
くだらねえ

429:日本@名無史さん
11/06/10 12:02:00.74
百済ネエ

430:日本@名無史さん
11/06/10 20:30:31.66
言語としての武士なんてのは存在しない

階級、地域、言語として武士は存在しない。

元は将門国の坂東国、坂東平氏、それが最初の守護団、武士といわれた守護団の走りだよ。

最初の武士が誰かってーと坂東守護
で、あとは近隣の源氏がリスペクトうけて、12~13世紀までにこうをたてたのが
大半の守護団、戦国武将

だから、戦国なんかは大半が12世紀の坂東守護ないし、近隣の守護が末裔なんだよね。
で12~13世紀にちったのが戦国武将だよ。

で、たまにキチガイ上杉とか
守護じゃなくて、農民、守護がぶっころした公家の末裔
奥州征伐の残党
守護じゃない

で江戸以降のキチガイは、あれは武士でもなければ家系でもなく
ただの主に、おわり付近はいかのヲマエ農民だろなやつ。山内みたいなアホも農民だろうな。
正式な守護、武士みたいなのは
島津、伊達、足利?相馬?とかじゃないの?
江戸以降きゅうにでてきたのはなし

431:日本@名無史さん
11/06/10 20:33:14.18
学術的には

そもそも武士という言語がない。
武士という階級すらあやしい、実質役職でしかない

厳密には
坂東国、坂東守護走りの12~13世紀にちっていった、守護、戦国武将、源氏流、平氏流
が武士という

これが学術的定義だが、厳密には武士という言語が存在してない。
つわもの、もののふ?、守護
としかいわない。
侍というのは、あれは農民だろうと階級とわず、優秀で官公につとめてるのを侍といった
だから、武士?でも侍とはいわなかった。

432:日本@名無史さん
11/06/10 20:33:47.68
だから武士そのものが

そもそも
定義が空想かつ妄想

だからその妄想について漫然でしかないし、学術、学説でもない

433:日本@名無史さん
11/06/10 21:08:34.59
武士=中世日本に発生した(聖職者以外の)支配階級

というだけの話
中世の支配階級が自ら武装しているのは当たり前のこと。

434:日本@名無史さん
11/06/10 21:14:15.99
>>430 >>431 >>432
勘弁してくれよ。
現在の武士論を蒸し返すなよ。
それを究明するのが学問だろ?

435:日本@名無史さん
11/06/10 21:19:18.40
>>433
中世というものを考えてみよう。
中世とは近代になる為の必要条件とした歴史学者の所業じゃないのか?

436:日本@名無史さん
11/06/10 21:31:35.56
「武士」が空想かつ妄想だったら
「中世」なんてなおさら空想の産物だよね

437:日本@名無史さん
11/06/11 00:22:47.90
古代半島で発生したキャバクラブス

438:日本@名無史さん
11/06/11 02:28:47.31
>>430-431
「武士」という語は奈良時代初期には初見しますよ。

『続日本紀』巻八養老五(721)年正月甲戌《廿七》◆甲戌。(中略)又詔曰。
文人武士。國家所重。醫卜方術。古今斯崇。宜擢於百僚之内。優遊學業。堪爲師
範者。特加賞賜。勸勵後生。」

(訳)また次のようにも詔した。
文人と武士は国家の重んずるところであり、医術・卜筮・方術は昔も今も貴ばれる。百官の中から学業を深く修め、人の模範とすべき者をあげて、報奨を与え、後進を励ますこととしたい。


439:日本@名無史さん
11/06/11 14:47:56.93
軍事貴族論とは別に
実際の戦闘武力としての武士の一考察ではあるが
下向井龍彦氏の律令下に於ける国衙軍制論に準拠して論ずるならば、「弓馬の便なるもの」
を登録し追捕官符により動員され武装する権利を持った者が武士であろう。
近藤好和氏の論を引用するならば武士の戦闘技術は律令期から王朝期まで断絶しておらず
騎射(馳射)の技能は6世紀にまで遡ることが出来る。
従って「武士」と「中世」を結びつける論こそ全く無意味である。

440:つづき
11/06/11 15:08:37.57
日本の封建制「中世」は王権によってもたらされたものであり、新時代を画した主役が
獲得し打ち立てたものではない。
軍事的政治的有力者に委任され領封されただけであり、承久の乱を端緒として南北朝の
争乱を経て足利義満で完成と捉えるのが日本の「中世」の正しい姿である。
さらに言及するならば日本には「近世」は存在せず、幕藩体制は「中世」の継続であり
西南戦争でいきなり「近代」に突入した稀有な国家である。

441:つづき
11/06/11 16:20:17.97
平安、鎌倉、室町前期までの「荘園」はプランテーションであって領邦ではない。
守護大名の登場をもって西欧封建制に比肩しうる「中世」に移行する。

442:つづき
11/06/11 16:46:48.52
律令制度以降の日本の歴史は
古代王朝国家  →  建武の親政失敗、南北朝合一(古代王朝の終焉)
鳥羽法皇の院政開始 ← 中世の萌芽
従って両者(古代王朝とプレ中世)が拮抗共存した時代が少なくとも300年続いたことになる。


443:本田
11/06/11 17:12:05.15
いわゆる中下級武士(足軽)は武士ではない
スレリンク(history板:425-525番)
>521 :日本@名無史さん:2011/05/26(木) 20:17:17.19
> 足軽=賎民
> もともと朝廷の警察権力であった武士は戦闘にあたって土民を徴発できた
> 農民を動員しすぎると農業生産に障害が出るから山地や川地の賎民を狩り出すことも多かった
> 賎民は原住民系、渡来系双方あったが朝廷権力から捨てられていた階層が室町時代、初期戦国時代の原動力となった
> 応仁の乱でも足軽層の位置付けは、生きた盾であって正規戦闘員でない
> 住民皆兵に近くなるのは戦国後半である
> 信長は弾正つまり賎民監督官、豊臣秀吉と徳川家康は自身が賎民出であったから江戸時代にいたって古代の貴賎は逆転したとも言える
> やくざ文化が武士文化の影響を強く受けているのは
> 武家に付属した賎民が江戸時代に博徒となり武家屋敷で賭場を開いて武士の裏経済を支えていたからだ
> 系図は偽造と思ってよく江戸時代のほとんどの武士が戦国勝者になれた賎民の末
>
> したがって足軽も立派な武士である

444:日本@名無史さん
11/06/11 22:41:11.85
近藤義和はもとより軍事貴族説の一派。
下向井も軍事貴族の亜種にすぎない。
言ってること、最初から変。

445:つづき
11/06/11 23:18:28.44
>>444
前置きとして改行して書いてるだろ?
軍事貴族論をおいて置いたとしてもの意。

446:つづき
11/06/11 23:29:43.10
武士の成立と時代区分の中世は全く一致してないということ。

447:日本@名無史さん
11/06/11 23:37:38.06
>>444
んだね。
仮に戦闘法(特に騎乗戦術)が律令期から続いてるものとして、
よって武士の起源も同時期まで遡らせることが出来るなんて考えることとは全く別。

武士は過去ログでも多く言われてるように、やはり王朝時代における「家」の確定期(それは従来の母系・双系制社会から父系制社会への移行、そして確定期ということでもある)、
そしてそれに伴う家業の成立(期)と軌を一にしていると見るべき。
そして武においてその家業化を担うことが許されたのは、
やはり既に多く言われてるように第一に寛平・延喜勲功者子孫であり、そして更にそれを強固にした形での承平・天慶勲功者子孫たち。


448:つづき
11/06/11 23:47:42.64
少なからず王権の守護と考えていた武士が南北朝時代までいたということ。

449:つづき
11/06/11 23:57:31.04
「家」の確定期は王朝期ではなく院政期だよ。
その院政も今上天皇の家長の資格で担保された。


450:日本@名無史さん
11/06/12 00:02:27.51

いや気付いて直そうと思ってたところ。ご指摘には感謝する。
しかし、大勢に影響はないよ。

451:つづき
11/06/12 00:21:48.27
近藤好和が武士の戦闘技術が律令時代から継続していると著述しているのは
「院政の展開と内乱」元木泰雄(編)吉川弘文館 の中でだよ。
元木泰雄は懐深いね。

452:つづき
11/06/12 00:27:50.40
即ち一流の学者でも「武士論」に定説を提唱できない程慎重だということ。

453:日本@名無史さん
11/06/12 00:36:15.75
戦闘技術の継続性については高橋昌明氏も唱えてるね。
近藤氏とは若干趣を異にしてるようだけどね。
高橋氏は衛府武官、特に近衛府武官との戦闘法の連続性を主張してる。騎乗戦術だけでなく歩射等も含めて。
この2人ちょっとやり合ったことがあるらしい。

454:日本@名無史さん
11/06/12 00:40:08.33
>>447
>仮に戦闘法(特に騎乗戦術)が律令期から続いてるものとして、
>よって武士の起源も同時期まで遡らせることが出来るなんて考えることとは全く別。

同意。
武器や武器の使い方は武士とは関係ない。
それ言い出したら、
刀や甲冑の起源は古墳時代。
和弓や弓術の起源に至っては縄文時代まで遡ることになる。

>>452
五味文彦氏の言うことは
頑なな軍事貴族論者以外の中世史研究者には広く受け入れられてると思うけどね

455:日本@名無史さん
11/06/12 00:41:58.45
>>453
ちょっとやり合ったどころじゃなくて
むしろいつもやりあってる印象なんだがw
高橋の「武士の射撃技術は低下した」に対して
近藤が「武士はいつだって最強だ」と反論するw

456:つづき
11/06/12 00:54:22.63
>>454
日本の中世の認識はこれでいいのか?
12世紀は中世初期なんかじゃないよ。
11世紀から14世紀中葉までは古代王朝と(仮)プレ中世の並立時代だよ。

457:日本@名無史さん
11/06/12 01:05:54.39
なにもヨーロッパの中世と日本のそれとをピタリと完全に一致させなければならないというものでもあるまい。
日本なりの中世というものは10c初頭の王朝国家時代の幕開け(=律令制の弛緩ないしは実質的な崩壊)とともに始まっているとみることに、さして無理は感じないしな。

458:日本@名無史さん
11/06/12 01:07:49.67
弓射儀礼(歩射)の成績(『中右記』、『吾妻鏡』)
          回数 命中 命中率 射手数
1096年(京都) 140  11  7.9(%)  14  最高成績:源明国(多田源氏) 40%
1260年(鎌倉) 240  181 75.4(%)  12

459:つづき
11/06/12 01:15:29.98
>>457
始まった時期を言うのであれば
武士の始まった時期は軍事面で言えば6世紀にまで遡ることができる。

460:日本@名無史さん
11/06/12 01:27:11.94
>>459
いやだからそれは「武士の起こり」ではなくて、あくまでも律令期(以前)から武士成立期に至るまでの「戦闘技術の継続性」というこどだろう。

そして技術(の一部)が継承されるなんてのは当たり前のことなんだよ。
逆に言えば、戦闘技術が前時代からの何の脈絡もなく王朝期になって突然ゼロから湧き起こったなんて考える方がよほど不自然なんだよ。
繰り返すけど、それと家業としての武の家(すわなち武士)の成立とは全然別のこと。
こんなことは高橋昌明氏も下向井龍彦氏も否定してないと思うが?

461:つづき
11/06/12 01:35:12.11
東漢氏系坂上田村麻呂の説明はどうつけるんだ?
直系の先祖は壬申の乱、恵美押勝の乱鎮圧にも活躍してるぞ。

462:日本@名無史さん
11/06/12 01:35:37.29
近衛舎人は弓矢を具すといえども武勇には及ばぬものなり。
(『続古事談』)

463:つづき
11/06/12 01:39:56.83
大蔵氏、佐伯氏の説明はどうつけるんだ?

464:つづき
11/06/12 01:42:02.12
>>462
特定の武門の系譜が認められてたってことだね。

465:つづき
11/06/12 01:54:20.85
>>460
それは社会システムが家業固定化の流れに即して「武門の家」に押し込められただけのこと。
例えばそれ以前の橘氏からは著名な文人も輩出されてるし第一勲功者の家じゃないのか?

466:日本@名無史さん
11/06/12 02:03:54.62
>>460が言ってる「武士の起こり」と「戦闘技術の継続性」が別物だっていうことに
正面から反論すべきでは?


ところで軍事貴族論者に言わせると、平安前期・中期くらいに
弓馬の技の伝承を受けた貴族、すなわち「武士」って
同時代に数十~数百名くらいしかいないってことになるのか?
どうなの?

467:日本@名無史さん
11/06/12 02:11:07.12
馬具も実戦向きに進化していってるし、前代の技術なんてお笑い草でしかないよ
カビの生えたような故実ならば、それはそれで結構なんだろうけど

468:つづき
11/06/12 02:11:17.46
>>466
別物だという論がどこから沸いて来るのか論拠を提示して貰わねば反論も出来ぬ。

469:つづき
11/06/12 02:14:42.43
>>467
馬具のどこが?
鐙はスキタイで完成されてるし、6世紀の後期古墳時代には完成の域にまで達した馬具が副葬されている。

470:日本@名無史さん
11/06/12 02:17:44.74
>>469
平安、鎌倉以降の馬具と比べてごらんよ
例えば鐙なんて全くの別物だから

471:つづき
11/06/12 02:22:53.09
>>466
ずいぶん前のレスで
国内武士(国衙軍制論)は偶然にも健児の数と一致すると述べている。
繰り返すがそれは重装騎兵と土地の生産性との相関関係に他ならない。

472:ワッカ
11/06/12 02:27:52.26
古代起源から言うと、武士のことを「さむらい」と言うのは、オオクニヌシが
アマテラス軍に敗北させられた時に、こう言った、
「これからは(私オオクニヌシは天皇アマテラスに)さもらい(わずか=さ、
もらい=給金)なむ(わずかな給金でお仕えします、警護でも何でも)」と言った。

その「さもらい」(わずかな給金で天皇体制の警護に仕える)が、武士(さむらい)
になった。

意外かもしれませんが、武士のルーツは、天皇体制警護の人たちでした。
オオクニヌシの「さもらいなむ」の言葉は「古事記・上巻」に出ています。

473:つづき
11/06/12 02:29:17.83
>>470
機能の面で実証した例を挙げてくれ。

474:つづき
11/06/12 02:32:23.48
>>461 に答えて下さい。

475:日本@名無史さん
11/06/12 02:34:15.00
>>468
いや、だから、
「武士の起こり」と「戦闘技術の継続性」のふたつを結びつけて主張してるのは君なんだから、
なぜ「武士の起こり」と「戦闘技術」に関連を見出すべきなのか論じてみては。

476:日本@名無史さん
11/06/12 02:46:33.09
>>461
坂上氏が武士の起こりなんて論は誰が唱えてるの?
初耳なんだが?

477:つづき
11/06/12 02:50:14.69
つはものとは弓馬のみちなり。

478:日本@名無史さん
11/06/12 02:50:44.72
>>463
大蔵氏については、承平・天慶勲功者である春実を以て以降と考えること以上の何がある?
佐伯氏は王朝国家期以降に兵の家と位置付けられたという根拠は?
又、佐伯氏のどの人物?

479:つづき
11/06/12 02:54:30.98
>>476
恥ずかしながら小生が唱えております。

480:日本@名無史さん
11/06/12 03:06:23.69
>>465
> それは社会システムが家業固定化の流れに即して「武門の家」に押し込められただけのこと。

だから、その
>家業固定化
を以て武士の起こりとすることに何の無理があるの?
それ以降の時代では承平天慶勲功者子孫以外で、武の分野における責任者に任じられた例は、戦国時代の到来まで待たなくてははならないのだが?

> 例えばそれ以前の橘氏からは著名な文人も輩出されてるし第一勲功者の家じゃないのか?

ちょっと何を言ってるのか分からない。

遠保が承平・天慶勲功者となって橘氏の中で兵の家になって行ったというそれだけのことなのに。
何故、「以前以後」に拘るのかその理由が分からない。
それを言ったら藤原氏も、利仁、秀郷の出現以前は同じことだろうに。

481:つづき
11/06/12 03:08:41.58
>>478
天慶の乱(939~941)に藤原純友の次将となった佐伯是基は、海賊を率いて佐伯院を襲い、
収納してあった官財を略奪したとある。
また大神惟基から分かれた子孫には、佐伯三郎、佐伯四郎など佐伯の地名に
輩行を添えて呼ぶものが多い。
これらのことから、大神惟基と佐伯是基とは同一人物で、
是基(惟基)は佐伯を領してそれを子孫に伝え、
佐伯氏の名字が定着したものと考えられる。
そして、それは平安時代末期から
鎌倉時代の初めにかけてのことであろうと推察される。

482:日本@名無史さん
11/06/12 03:12:43.57
>>481
ああ大神姓佐伯氏のことね。
どちらにしてもそれならやはり承平・天慶勲功者子孫のことになるじゃないか。

483:日本@名無史さん
11/06/12 03:33:12.53
ちなみに、

藤原秀郷、平貞盛、源経基、平公雅、平清幹、橘遠保、大蔵春実、藤原為憲、藤原貞包、巨勢広利、大神高実、藤原遠方、藤原成康、藤原倫実、越智用忠

下向井龍彦氏によると、以上が承平・天慶勲功者(後半は推定を含む)。


484:日本@名無史さん
11/06/12 03:41:50.92
>>480
それを言ったら「すべての家業は院政期に起こった」 シャンシャンだね。


485:日本@名無史さん
11/06/12 06:14:15.36
>>484
本当に?
院政期より前には代々の職人や商人なんて存在しなかったのか?

486:日本@名無史さん
11/06/12 07:19:49.52
>>484
少なくとも貴族社会においてはそうだよ。
それも兵の家だけじゃなく、陰陽道、明経道、明法道、紀伝道、算道・・・等もみんな院政期の「家」の確立によって起こったこと。
前スレ以来散々論じられてきたことじゃないか。


487:日本@名無史さん
11/06/12 07:49:23.79
>>473
実証も何も輪鐙や壺鐙で戦う武士がどこにいるよ
清原元輔なんてただの乗馬(賀茂祭)だけで落馬してるもんな

488:日本@名無史さん
11/06/12 08:28:16.37
前半レスで、首かりは普遍的(?)みたいな結論が有ったけど
「ハラキリ」はどうなのかずっと疑問に思っていました。
腹を切れるほどの刀、胆力、その辺が武士の根元ではと。

489:日本@名無史さん
11/06/12 12:29:53.18
割腹は奥州の習俗じゃないの?

490:つづき
11/06/12 13:21:08.02
源頼朝は、源氏再興の旗挙げの3年前、1177年(治承元年)に密かに三浦を
訪れているという説がある。 その際にすでに鎌倉を本拠とすべく偵察していたという。
そして、鐙摺山は、その三浦微行の際に、頼朝が山を登るときに「馬の鐙が地に摺れた」
ことから付けられた名といわれている。


491:日本@名無史さん
11/06/12 13:26:36.89
頼朝は落馬の名手

492:つづき
11/06/12 13:27:10.59
この故事が何を物語っているか
鐙が日本に伝わり600年近く経ていた当時、それを発明した北方アジア騎馬民族からは
寧ろ退化した使用法に変化していたことを 示唆している。
それは「馬の鐙が地に摺れた」のは鐙紐を長くし過ぎているということで足をダラリと垂らして
足休め程度の使用法だったことを 物語っている。



493:つづき
11/06/12 15:04:35.26
騎兵が鐙を最大限に活用し効果を挙げるのは現代の競馬騎手にも通じる鐙の位置を高く設定し、
中腰の姿勢をとることで疾駆する馬の振動を緩和するサスペンション的使用法であることは
言うまでもない。
高い鐙位置で中腰の姿勢をとることで騎兵は目標に向かっての突撃の威力が増すのである。
さらに、騎兵の最大の戦闘技術である馳射、パルティアンショットも可能となるのである。

以上より平安末期には騎兵(武士)の戦闘技術の低下があったであろうと推測される。



494:日本@名無史さん
11/06/12 15:16:40.60
>以上より平安末期には騎兵(武士)の戦闘技術の低下があったであろうと推測される。

それ言うと近藤好和が激怒するぞw

495:日本@名無史さん
11/06/12 15:21:33.78
だからそれは単に頼朝って個人が馬乗りがド下手クソだったからなんだって!

496: 忍法帖【Lv=1,xxxP】
11/06/12 15:24:28.99
テスト

497:日本@名無史さん
11/06/12 15:53:56.06
 古墳時代初期の馬具は、鞍だけをみると金銅製の金具を被せたりした豪華なものがあり、
埴輪から推定されるように居木の上に前輪と後輪を前後に屹立させ、腰をはさみつけるようなものであった。
馬上の運動がしにくいもので他の飾り具と併せて、実用と言うより儀仗用の色彩が濃いものであったと思われる。
しかし轡や鐙は当初から実用の用途を考慮して制作されたものであり、ほとんどの後期古墳から轡が出土していることから、
移動するための乗馬ぐらいはすでに行われていたものと推定される。
 中世の馬具は、平安時代に入ると、轡、鞍、鐙に変化が生まれる。
鞍はほとんどが木製の鞍で、後輪が傾斜した鞍になり、全体が重厚な造りになり、大鎧を着て乗馬しても乗り降りしやすく、
またこれによって垂直の前輪と後輪に挟まれた古代の鞍より刀や槍を振るうなどの馬上での運動が行いやすくなった。
鐙も古代の輪鐙や壺鐙からスリッパ形となり、馬上で立ち上がりやすくなり世界でも独特の舌長鐙へと変わっていった。
(末崎真澄)


六世紀後葉
 甲冑の基本形態は変わらず、桂甲の増加は順調であるが、西日本よりもむしろ東日本で著しく、
小規模な古墳や横穴から出る場合もある。
馬具の量は増加し、群集墳中の盟主的な位置を占める中位クラスの人々にまで騎馬の装備が普及したことを示す。
その背後には列島内における馬具生産の本格化が推測出来よう。
この時期に普及する馬具の多くは、素環轡などからなる簡素で実用性の高い素型で、これら中位クラスを主兵力とした
戦場での一定程度の馬の使用が想定される。
 これに対して前方後円墳などから出る高位有力者の馬具は、装飾的な傾向が強い美麗な品で、戦場での実用というよりも
そこも含めたさまざまな場で威儀や身分を表示する役割が顕著であったと見られる。
(松木武彦)

498:日本@名無史さん
11/06/12 16:46:27.00
古代の騎馬による戦闘は、甲冑の造りが鉄製の短甲、桂甲、そして鞍橋の実際から考えても、馬上で武器・武具を持っての運動はかなり難しい。
したがって実戦の際は馬から下りて戦ったものと推測され、むしろ騎乗しての移動が中心であったと考えられる。
一方、平安・鎌倉時代は革製の小札を糸で威した大鎧や中世鞍と武蔵鐙などの舌長鐙の登場で、馬上での運動がかなり行いやすい装備となった。
これによって大弓なども振るいやすくなり、その活躍する姿は中世絵巻・屏風等で知ることができる。
この後の室町時代、戦国時代にかけても騎馬の役割は、欠かせないものがあった。
(末崎真澄)

499:つづき
11/06/12 17:53:05.76
>>498
この末崎真澄ってやつ何も分ってねーな。
短甲・桂甲についてどんな研究してんの?
近藤好和(「院政の展開と内乱」元木泰雄編)のⅡ武具の中世化と武士の成立p147~153を読めよ。

500:つづき
11/06/12 18:08:03.35
>>497
舌長鐙の方が「足休め」として楽なだけだろ?
下半身に負荷が掛かる重装騎兵としては自然な選択の結果。
それは西欧の鐙についても同じだ。

501:日本@名無史さん
11/06/12 18:52:20.94
>>499
末崎氏は馬の博物館の学芸部長で馬についての研究では第一人者の一人だよ
短甲は打物歩兵用の鉄甲
>>500
近藤氏の主張とまるで違うし

502:日本@名無史さん
11/06/12 19:10:29.38
>>499 >>500
近藤の主張のうち、自分に都合いいごく一面だけとって
都合いい電波武士論組み立てるなよ。
箔付けにすらならない。

>>490-493もひどい論理展開だ。
「鐙が退化した」って言いたいならそんなどっかの山の伝説じゃなくて
まともな史料から複数の事例を引っ張ってこい。

503:つづき
11/06/12 19:15:48.57
>>501
>>500 は小生の主張だよ。

>短甲は打物歩兵用の鉄甲
これが素人。
桂甲は両当系、短甲は方領系であり、桂甲も短甲も鉄札甲であり単に「鉄甲」とは言わない。
それは義務教育レベル。
それに「打物歩兵」なる兵科は古代にも上古にも存在しない。


504:つづき
11/06/12 19:36:05.04
沓履きを放棄した鎌倉時代の騎兵には輪鐙、壺鐙は使い辛いのは当然。
古代は騎乗の基本は沓履き。
舌長鐙は沓履きと同じ機能を持たせたもので騎乗技術の進化とは言わない。


505:日本@名無史さん
11/06/12 19:39:08.81
>>503
打物歩兵を否定するなら近藤氏に言えよ
>>504
落書きかよ

506:つづき
11/06/12 19:44:46.13
お前バカそうだから念のため
沓=木製。

507:日本@名無史さん
11/06/12 20:53:27.39
>>506
うわあ本物の馬鹿だwww

508:つづき
11/06/12 21:12:38.71
史料バカは歴史学(この名称もなんだかな)から退場する時期だよ。
総合人文科学でいいんじゃないの?
考古学とテクノロジー工学でこの際いいよ。

509:つづき
11/06/12 21:15:10.02
ついでに言うと学芸員なんかも理系オンリーでいいよ。

510:つづき
11/06/12 21:22:47.39
>>507
救いようの無いバカだなお前。
舌長鐙自体が木製だろ?
沓と同材質での同機能を追求した結果の産物。

511:日本@名無史さん
11/06/12 21:45:03.23
2ちゃんに大勢いるよな。
「史料を出せ」と言われると、出す能力がないから
「文献史学はとっくに時代遅れ」とか訳分からん史学批判を始めるバカw

512:日本@名無史さん
11/06/12 21:58:56.49
文献史学は、すでに井沢先生によって死亡宣告されている。


513:日本@名無史さん
11/06/12 22:49:17.59
「湿気の多いわが国じゃ沓なんか履いてると水虫になっちまうよ。」
「足袋と草鞋が快適だね。」
「そうだ!鐙に沓を付けちゃえ。」
こんな感じじゃね?

514:日本@名無史さん
11/06/13 07:08:22.09
案の定マニアックな方向に走り出したわ。
スレ始めの頃の、短弓だ長弓だ、の時と同じだな。
弓にしろ、鐙にしろ、このテの話になると決まってテーマと外れた所へ一人歩きしてしまうという陥穽にハマることになる。
武具の話がしたいんなら武具専門のスレたててそっちでやれよ。


515:日本@名無史さん
11/06/13 11:13:24.98
武具スレはもうあるんだけどね

516:日本@名無史さん
11/06/13 18:42:20.32
武士の起源は百済のサウラビ

517:日本@名無史さん
11/06/13 23:09:13.80
誰でも知ってる事を堂々と…

518:日本@名無史さん
11/06/13 23:34:51.18
いつか教科書に載りますかね、サウラビ。

519:日本@名無史さん
11/06/13 23:48:50.49
URLリンク(ja.wikipedia.org)
wikiの「サウラビ」の項目だけど
ひどいね。文献史学のネトウヨの作文だろ?

520:日本@名無史さん
11/06/14 00:16:35.60
>>519 朝鮮人の語呂合わせを常識的に批判しているだけの文章だ。

 朝鮮では大学教授が語呂合わせ遊びしているんだな。

521:日本@名無史さん
11/06/14 00:32:24.26
>常識的に批判しているだけの文章だ。
そこに根深い相互不信感ああるのでは?

522:日本@名無史さん
11/06/14 00:36:44.51
相互不信感の源流は
白村江からの一連の流れを再考する余地がある。

523:日本@名無史さん
11/06/14 00:47:46.12
日本史板のこの手の電波って
釣り目的なのか、本物の在日が書いているのか気になる。

524:日本@名無史さん
11/06/14 00:49:11.90
>>519
文献史学は反日ブサヨの巣窟だ。
奴らは唯物論者のマルキシストでコミンテルンのスパイ。

525:日本@名無史さん
11/06/14 04:07:47.62
文献史学じゃない史学は、ただのアマチュア民俗学です(キリッby東京大学

526:日本@名無史さん
11/06/14 06:26:15.98
東大は日本コミンテルン総本部

527:日本@名無史さん
11/06/14 06:35:02.00
朝鮮の起源捏造はもう世界的に有名なんで、
やればやるほど馬鹿にされてる。

「オレの先祖はエラかったんだ」と偽家系図見せて
「オレのことを尊敬しろ!」と
わめきちらしている田舎のプチ成金みたいなものだな。


528:日本@名無史さん
11/06/14 06:36:51.65
武具の話もスレタイに沿った上でするなら構わないと思うけどね。
近藤氏も高橋氏も武士の起源については、寛平延喜~承平天慶期の勲功者たちにあることに異論を唱えてるわけではない。
ただ、戦術については律令期以前の軍団制、健児制、衛府武官の戦術等にその淵源をたどり得る、といっているわけで。
両氏とも、武士階級の誕生までその時点に遡らせた言説を唱えているわけではない。

だから上で誰かも言ってたけど、もし(階級としての)武士の起源まで律令期以前にあると主張したいのなら、そう主張するだけの論拠を明確にする責任が唱えてる側にあるんだよね…

ただ俺も「つづき氏」の主張の中には同調する部分があるんだけどね。
例えば国造の系譜を引く郡司富豪層から成る健児や一部の伴造が、軍事貴族の母系氏族となっていったという下りなんかは、まんま、俺の主張と同じであるからね。


529:つづき
11/06/14 09:23:38.43
板の皆さまおはようございます。
天武天皇の男系子孫が貴族社会から没落したのは何故か?
文室氏が軍事貴族として残る可能性はなかったのか?
高階氏の後裔である高氏までもが武家社会から抹殺されたのは何故か?

530:日本@名無史さん
11/06/14 10:13:09.13
政治の中心点の移動のため。
久米系の天武系から大和系の光仁系に政権が移動し掌握されて後は、久米系諸氏は奥羽や九州など辺境の地の国司に宛がわれるなどして、政治の中心から遠ざけられていく。



531:つづき
11/06/14 10:30:27.28
源平藤橘はすべて天智天皇と縁が深い。
武門は源平藤橘の神話はいかにして作られたのか?

532:日本@名無史さん
11/06/14 10:43:51.97
「橘」は敏達帝裔だから久米系、しかし三千代は不比等の後妻に入って藤原氏との関連の方が深くなってるからその意味では天智(大和)系との縁の方が深いとは言える。
そもそも「氏」の成り立ちからして、橘氏は父方の敏達よりも母方の犬養橘三千代との縁故の方を拠り所にしている。

533:つづき
11/06/14 10:57:24.69
連投スマソ
捏造してまで「尊卑分脈」を作成させた足利義満にカギがあると思う。
彼は日本中世の完成者でもあるし

あと考えられるのは藤原不比等の未来への布石かな。
藤原四家と嫁の系統の橘氏

534:日本@名無史さん
11/06/14 12:09:20.04
犬飼部、鷹飼部、鵜飼部、猪飼部、馬飼部みんなあるのに猫飼部だけないなんてオカシイ!

535:日本@名無史さん
11/06/14 16:33:39.28
猫は家畜としては役に立たないし

536:つづき
11/06/14 17:42:56.35
平治の乱で誅殺された信西は藤原氏でありながら養家高階氏に義理立てしたことも原因なのかな?

537:日本@名無史さん
11/06/15 03:10:59.23
>>531>>533
満平藤橘神話って何?
尊卑分脈?

平基親が1200年頃に著した『官職秘抄』には、
「外記史に四姓の人を任ぜず」とあって、遅くとも鎌倉初期の公家社会にはこのような認識が存在していたことが分かる。
実際にはこの認識は平安期にまで遡ると見て良い。

源平藤橘(四姓)は外記史(ほか律令四等官制における第四等官=主典)に任じてはならない(ということは、四氏は第三等官である判官以上に任じるものである)とでもいった意味。

だから『分脈』の成立した南北朝期よりもずっと以前だし、足利義満がどうこうでもない。

538:日本@名無史さん
11/06/15 03:43:21.12
つづきはどれだけ偏った情報源から知識を得てるんだろ?
いや、こういう人間にとっては近藤も高橋も下向井も全て
つづきの偏光フィルターを通すと捻じ曲がって理解されてしまうのか

539:537訂正
11/06/15 06:38:29.83
> 満平藤橘神話って何?(×)

> 源平藤橘神話って何?(○)

540:日本@名無史さん
11/06/15 10:01:47.34
花郎が侍の起源である事は、口には出さないが皆知っている

541:つづき
11/06/15 10:10:48.25
伊勢神宮と高階氏の関係

542:日本@名無史さん
11/06/15 13:17:08.76
おまんこスレ

543:つづき
11/06/15 21:15:00.08
>>537
小生が言っているのは平某なんて関係ない。
「尊卑分脈」の信憑性に言及してるんだよ。
「もののふ」として最強だった高師直兄弟を葬った足利宗家の隠された意図を示唆してるだけだよ。

544:つづき
11/06/15 21:32:50.45
>>537
見事に墓穴を掘ったな。
高師直兄弟及び係属は三等官以上の功績を挙げていた。
平某の言を借りるならば余りにもイレギュラー過ぎるってことだよ。

545:つづき
11/06/15 21:40:31.59
連投スマソ
足利義満はある青写真に忠実だっただけ。
藤原不比等の未来への布石にある時気付いたのだよ。

546:日本@名無史さん
11/06/16 03:49:39.89
>>543-545
お前さん何を言ってるのさっぱりかわからないわ。

まず、
>源平藤橘の神話
とお前さんが>>531で唐突に持ち出してきたから、「神話」って何だ?と>>537で質問してるんだが?
そしてその「神話」とやらが足利義満によって
>捏造
されたものというなら、それは違うということも>>537で言ったまで。
「源平藤橘」四姓を高貴姓とみなす風潮は、少なくとも平安末期いらいの公家社会では既に見られるということ。
足利義満の時代ではない。

そして
>墓穴

>青写真

>藤原不比等


何が何やらさっぱり分からん。

もったいつけてないでまずはお前さんの言う「神話」の意味するところを説明するのが先だと思うが?



547:日本@名無史さん
11/06/16 04:21:33.17
武士じゃない「武官」っていつごろまでいたんだろう
最後の武官の記録とかないんだろうか

548:つづき
11/06/16 06:08:59.99
>神話
の説明になるか分らないが、藤原不比等(ふひと)は本来「史(ふひと)」であった筈だが「不比等」
の字を当てた意図は下賜された藤原朝臣の姓を自身の子孫のみに継承させ、出身氏族とされる中臣氏をも
太政官から排斥したことからも覗える。


549:つづき
11/06/16 06:18:33.07
母方の祖父鏡王は敏達天皇の皇孫であり、もし仮に不比等が天智天皇の落胤であったならば
血統的には皇位の資格は十分なのだが鎌足の子ということでその道はあり得ないものではあったが
その代わり娘を臣下出身としては初めての皇后光明子とし、天皇家の外戚となることに成功した。
不比等の後妻三千代を祖とする橘朝臣のみを例外として古代氏族、皇別氏族(とくに天武系)
を不比等の死後も中央政界から排除していく布石を打っていたのだ。

550:つづき
11/06/16 06:25:18.47
連投スマソ
天武系皇族に半ば強制的に真人の姓をもって臣籍降下させたのは天皇家と
婚姻させない為である。

551:日本@名無史さん
11/06/16 07:28:17.75
>>547
武士(軍事貴族)の成立後も六衛府等は存続しているので、武士と武官とはそれなりに併存はしているはず。
つまり、武官は武士の部下的存在になっていったと考えられる。
ただし、律令期の紀氏や坂上氏や文室氏のように、叙爵(五位以上の位階を賜ること=貴族階級になること)の栄誉に授かるような存在はほぼ皆無となり、侍品(六位官人)以下の存在に身分が下がっていったということじゃないか。
坂上氏でいえば、10c初頭の坂上好蔭が陸奥権介‐右近衛少将に任じられたのが最後かな。
以後、これらの氏族は文官に「転職」し、やがて中央官界からフェードアウトしていく。

552:日本@名無史さん
11/06/16 07:43:41.55
>>548
あのさ、雲を掴むような話ならもういいよ。
論題から外れまくっているし。
あんたの言う不比等や三千代の青写真やらと、
スレタイの「武士の起源」、「武士の成立」と一体どんな関係があるんだよ?
あんたは>>531で自分が言った「源平藤橘神話の捏造」の説明もさっぱりしてこないしはぐらかしてばかりだ。



553:日本@名無史さん
11/06/16 09:31:16.93
つづきはつくづくひでえ電波野郎だな。
長頭がどうしたとか言ってる馬鹿と電波ツートップだな。
起源スレってのはキ印を誘引する匂いか何か出してるのだろうか

554:つづき
11/06/16 11:31:59.21
勲功者子孫でない高氏(高階氏)は「兵の家」ではないと
足利宗家の根本被官ではあるが武家方の有力武将であり最強の「もののふ」
であった高師直兄弟が武士ではないことになる。

555:日本@名無史さん
11/06/16 11:49:13.20
>最強の「もののふ」

何それwww

556:つづき
11/06/16 12:21:43.69
>>555
だから「もののふ」だよ。

557:日本@名無史さん
11/06/16 12:26:17.59
最強とか厨すぎる

558:つづき
11/06/16 12:28:20.91
>>553
小生を罵倒したければするがいい
高師直兄弟は足利宗家から粛清され結果として四姓のみ武家とした神話が
作られたと小生は見ている。

559:つづき
11/06/16 12:31:23.17
>>557
高師直兄弟の武功はそれに値する。

560:日本@名無史さん
11/06/16 13:17:10.41
見境なく残虐だっただけで、すぐ滅亡

561:つづき
11/06/16 13:25:56.94
みなさん、すいませんでした
ほんとごめんなさい
侍のルーツは花郎でした

562:つづき
11/06/16 13:26:36.69
高師直の破廉恥な残虐性の強調は胡散臭いと思わないか?
たとえ文献として残されていたとしても歴史は勝者のものだからな。

563:日本@名無史さん
11/06/16 13:47:58.04
しかし、高師直程度が摂関家の姫君を側室にするのは
さすがに正攻法では無理なんじゃないか?
二条家の姫(関白二条道平の妹)が師直の側室になったのは間違いがないし

564:日本@名無史さん
11/06/16 14:23:33.55
承久の変を経てそれだけ公家の力が零落してたということでしょ。摂関家とて例外ではない。

565:日本@名無史さん
11/06/16 14:45:40.29
足利将軍家でも中流貴族日野家の息女を正室に迎えるのがやっとだったのに
家臣の分際で天皇家に次ぐ摂家の姫を側室にすることが当然なわけないよ

566:日本@名無史さん
11/06/16 15:33:03.57
それと
高氏以外に四姓でない武家は鎮西武士には菊池氏、阿蘇氏、大蔵系諸氏
大神系諸氏、関東には宇都宮氏などがいる。大夫層ではないが三等官以上に
任じられている。この事実を持っても四姓のみというのはおかしい。
上で誰かが言ってた平某の記述は平氏である彼自身の考えに過ぎぬのでは?


567:日本@名無史さん
11/06/16 16:33:03.05
>>566
当該レスとその前後関係をよく読んでくれ。
>>537>>546で言っているのは、公家社会では源平藤橘四姓は「高貴姓」と認識されており、第四等官たる主典などに任じるものではないと主張しているという事実を言っている。
武士(軍事貴族)たる者はこの四姓からのみしか出してはならない、などと論じたものではないし、俺がそのような主旨のレスをしている訳でももちろんない。

またその「官職秘抄」だが、
源平藤橘四姓といえども、平安後期以降にはその数が増えすぎ、実際には第四等官である主典に任じられる者も現れれば、また諸大夫層から漏れて六位の侍品以下の身分に落ちる者も多く現れていた。
そんな諸状況への嘆きや、或いはそんな諸状況を改善すべきであるという強い主張から書かれたものとも言われる。
大蔵氏、大神氏などについては既に>>478>>483などで述べている。
つまり、武士の起源については既に何度も述べているように、寛平延喜~承平天慶期に起こった一連の反乱に対する鎮圧勲功者に求められるべきだというのが俺の主張。
結果として源平藤橘四姓が多くなっているが、勲功者の中には大蔵氏や越智氏など四姓以外の氏族も存在している(>>483参照)。


568:つづき
11/06/16 18:14:22.31
>>567
だれのレスか分らないのでハンドルネームつけてくれ。
因みに>>566は小生のレス。

569:日本@名無史さん
11/06/16 18:21:11.34
なんだやっぱり・・

わざわざアンカー明示して応答してんだから
>分からない
も無かろう。

>分からない
振り、なら分かるがw



570:つづき
11/06/16 18:21:29.21
後白河の院近臣で高階氏が復活してるが長続きしなかった。

571:つづき
11/06/16 18:25:48.09
尊卑分脈で義国流を河内源氏嫡流としているのは明らかに捏造。

572:日本@名無史さん
11/06/16 19:12:15.65
「つづき」よ、
言っとくけど
>>528でも述べたように俺はお前さんの>>419の意見には賛成だよ。
健児の数が一国数百人というのはちょっと多すぎるとは思うが、
俺も在地豪族というのは基本的に郡司富豪層が、中央軍事貴族あるいは地方に留住・土着した辺境軍事貴族から婿を取って自身も源平藤橘化したものだろうと考えているんでね。
それと高氏云々視点からではなく、足利氏関連の史料・伝承にはある種の胡散臭さが付きまとうというのもその通りだ(例えば『難太平記』における、「我七代の子孫に生まれ変はりて天下を獲らん」等と源義家が吐いたなんて下りはその典型だ)。
だからこの線に沿った上でのもっと活発な議論が出来ると踏んでいただけに残念だった。
お前さんはこのスレ以外にも、足利氏スレや平家スレでやたら高階氏や高師直を持ち出す輩と同一人物なんだろう?
高師直ゆかりの人物か?
だとしたら逆効果もいいところだよ。
己に所縁や贔屓の武将だけを持ち上げたいってのがこのスレでも各スレでもありありで、そんなのは各スレ住人の反発を買うだけだし、第一学術板に相応しい態度とは言えない。
現に平家スレでもやんわりとたしなめられてただろう。
そして何よりスレが荒れる。

せっかく良い視点も持ってんのに勿体ないね。


573:つづき
11/06/16 19:25:16.34
>>572
ありがとう
しかし小生は足利スレや平家スレには出没していない。
素人学問ではあるが今後一層の精進に勤めよう。

574:つづき
11/06/16 21:02:09.40
小生が高氏を取り上げているのは「仮名手本忠臣蔵」などの後世の迷信で謂れ無き悪名を
現代に伝え庶民が妄信的に信じ込んでることに対する警鐘のつもりだ。

575:つづき
11/06/16 21:18:38.33
以前このスレで書いたように徳川幕藩体制は近世などではなく室町幕府を規範として
実質的に中世が継続していたと言いたいまでだ。
織豊政権で一瞬近世(世界史的な)方向が見えていただけに惜しい。
藤原不比等の下りは1000年近く後までもその「未来への布石」はそら恐ろしいものを感じる。
信長は天皇家をも超えようとしていたし、太閤秀吉は第五の姓を創出して滅亡の道を歩むことになる。

576:日本@名無史さん
11/06/17 14:06:22.07
大江氏も武士になったね。

577:日本@名無史さん
11/06/17 19:29:03.26
三善とか中原とかもね。
頼朝のブレーンの文官下級貴族が鎌倉行政機構の創設に携わってそのまま武士化。
中原は途中から近藤(古庄)・波多野の軍事貴族系が嗣いだが。

それ以前に源義朝によって主に東国で武士階級の裾野はグッと広げられているんだけどね。



578:づつき
11/06/17 19:33:19.83
俺の偽者が暴れてるらしいな

579:日本@名無史さん
11/06/17 22:16:06.13

左遷された武装土人が武士

580:日本@名無史さん
11/06/18 12:32:50.05
だから、日本型の中世支配者階級のことにすぎないんだって!

581:つづき
11/06/18 13:11:18.62
承久の乱から西南戦争までが日本型の中世の勃興から残照の消滅だとしたら
全期間を通して存続した薩摩(島津氏)は日本型の中世の典型だね。
しかし皮肉にも倒幕の主力となった薩摩武士(士族)が鎮圧されて日本型の中世
支配者階級の役割を終えるんだね。


582:日本@名無史さん
11/06/18 16:58:34.87
島津は秦氏だから軍事貴族の出じゃない。
のちには色々出自を飾っているが。
伊達は藤原北家実宗流で利仁なんかと近い家筋だが、実宗流そのものは「家を継ぎたる兵の家」(=軍事貴族)の出ではない。
南部は系図グダグダで近世南部氏は果たして本当に義光流源氏なのかどうかも分からない。
相馬は良文流なので微妙(少なくとも天慶勲功者子孫ではない)。
伊東、相良は為憲流藤原氏だから、本来は歴とした承平・天慶勲功者の家筋。しかし始祖・為憲をはじめその子孫たちは、乱後朝廷で武官職に就くことを嫌い、木工助職を望みこれに就任した。つまり「家を継ぎたる兵の家(=軍事貴族)」とはならなかった。

よって幕末まで存続し得た、軍事貴族由来の家筋としては、佐竹(但し養子相続あり)、小笠原、北条、岩城、立花、喜連川など本当に数えるほどしかない。


583:日本@名無史さん
11/06/18 17:18:16.26
秋月氏(春実流大蔵氏)を軍事貴族由来で幕末まで存続した家に追加。

584:日本@名無史さん
11/06/18 18:10:18.02
足利は軍事貴族の末裔で幕末まで武士だった。

585:日本@名無史さん
11/06/18 18:13:10.90
藤姓足利>>>>>>>>>>>>源姓足利

586:つづき
11/06/18 20:01:40.87
と言うことは徳川幕藩体制は日本型の中世の継承を騙った乗っ取りだったんだね。

587:日本@名無史さん
11/06/18 21:39:12.99
別に徳川一家だけを他と切り離して論じられる問題じゃないし。
応仁の乱以降の帰結だわな。


588:日本@名無史さん
11/06/18 22:55:24.63
昔の偉い先生も言ってるだろ。
応仁の乱以前の歴史は外国史と同じだ。

589:日本@名無史さん
11/06/19 00:12:46.69
内藤コナンか

590:日本@名無史さん
11/06/19 00:26:20.37
「大体、今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、
応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。
それ以前のことは外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これをほんとうに知っておれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります」

内藤湖南『応仁の乱について』


591:日本@名無史さん
11/06/19 02:27:15.41
"関ヶ原合戦絵巻"の朽木隊が後方でカレーを煮込んでる件(画像有)
スレリンク(mitemite板)


592:つづき
11/06/19 03:22:47.78
そうしたら
承久の乱から応仁の乱までが中世で、それ以降はインチキ中世(織豊政権は除く)。


593:づつき
11/06/19 09:23:43.13
カレーやて!?

594:づつき
11/06/19 09:27:54.12
だーーまーーさーーれーーたーー!!

595:日本@名無史さん
11/06/19 09:31:56.05
日本の中世は律令制度が厳密な意味で成立し得なくなった時から始まると見て良い。
すなわち、個別人身支配が放棄され、土地基調課税へと政策転換される菅原道真~藤原忠平期より始まる。


596:日本@名無史さん
11/06/19 09:34:51.09
この忠平に支えていたのが若き日の平将門であるというのが面白い。

597:日本@名無史さん
11/06/19 09:38:49.05
支えて(×) → 仕えて(○)


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