【つはもの】武士の起源と成立について【もののふ】at HISTORY
【つはもの】武士の起源と成立について【もののふ】 - 暇つぶし2ch1:日本@名無史さん
10/12/19 13:43:27

氏姓制度時代の軍事氏族、国造から
律令時代の軍事官僚、軍団、健児制、
さらには王朝国家時代の軍事貴族の誕生に至るまで、
武士在地領主論、国衙軍制論、そして職能的武士論などの諸学説を絡めながら、
古代~中世初期までの、萌芽期から成立期までの「武士」について、多角的方面から幅広く語って参りましょう。

2:日本@名無史さん
10/12/19 14:01:24
崩壊した義平スレの代わりか。

3:日本@名無史さん
10/12/19 19:52:29
純粋に義平についてのみ語りたかった人(何しろ「義平スレ」だw)にとっては、「前スレ」途中からは完全に迷惑だったろうし、
何れにせよこういう形にする必要があったんじゃないかと。


4:日本@名無史さん
10/12/19 22:46:10
関幸彦さんが王朝国家期の「兵」の「一時的でルーズな」
契約関係を「傭兵制」といっていて、初期中世にも
そんな時期があったのかと興味深かった

5:日本@名無史さん
10/12/20 08:32:06
>>4
>王朝国家期の「兵」の「一時的でルーズな」
>契約関係

それが今の学会の主流的見解だよ。
元木泰雄氏や川合康氏や上杉和彦氏などもみんな同様の見解を述べている。

6:日本@名無史さん
10/12/20 13:21:02
関連スレ

平将門 第三首
スレリンク(history板)l50

【勇猛】悪源太義平【果敢】
スレリンク(history板)
(実質前スレ)

7:日本@名無史さん
10/12/21 18:27:51
川合氏によると「源氏神話」は頼朝により創作された。

8:日本@名無史さん
10/12/21 21:08:04
源氏の先祖が清和天皇かどうかさえ古い時代の史料だとあやふやだとか・・・

9:日本@名無史さん
10/12/22 05:29:45
2代目満仲以降の清和源氏が摂関家に取り立てられたのではなく、
元々藤原摂関家の影の部隊として存在していた一族に経基が入り込んだのだ
と考えてみる。


10:日本@名無史さん
10/12/22 22:24:22
>>8
頼信の石清水八幡宮の告文って本物なのかな~

11:日本@名無史さん
10/12/24 01:30:08
国衙軍制において各国に置かれた押領使や追捕使は、
最初は受領同様に中央から派遣された役人だったのが、やがて現地採用に変わっていった
との理解でOK?


12:日本@名無史さん
10/12/24 21:41:07
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
URLリンク(www.zenplan.co.jp)
URLリンク(www.fieldnote.info)
URLリンク(yamatai.cside.com)
URLリンク(yamatai.cside.com)

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
URLリンク(yamatai.cside.com) (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!

13:日本@名無史さん
10/12/24 22:00:32
>>12
みんな こいつに注意しろ
「義平スレ」に弓の話題を唐突に持ち出して言語云々の珍説を開陳して崩壊させた張本人だよ。
今後、俺は一切スルーするから。

14:日本@名無史さん
10/12/25 00:05:45
>>11
それは源頼朝による源義経追捕を名目とした全国各地への追捕使配置と、
北条時宗の元寇対策としての下向奨励と
各段階を踏むこととなる。

15:日本@名無史さん
10/12/25 11:52:01
それまでは朝廷が任じていた追捕使の任命権を鎌倉殿が奪ったのが時代の画期とされるね。
そして追捕使はその後守護と名を変えることになる。

16:日本@名無史さん
10/12/25 15:00:18
日本国総追捕使

17:日本@名無史さん
10/12/25 16:58:47
武士の起源は武装開拓農民。教わらなかった?

18:日本@名無史さん
10/12/25 17:08:49
>>17
釣りとしては面白すぎる

19:日本@名無史さん
10/12/25 17:16:24
>>17
うん、教わった。






20ン年前の教科書、マンガ日本史その他で。

20:日本@名無史さん
10/12/26 23:53:39
天慶乱の勲功は源氏の経基よりか平氏の貞盛のが上なのに、中央ではその順番どおりには取り立てられてないよね。

21:日本@名無史さん
10/12/26 23:54:50
ほんとにね

22:日本@名無史さん
10/12/27 08:58:06
満仲はやり手だから

23:日本@名無史さん
10/12/28 00:22:07
サムライ(侍、侍る者)がサウル・アビ(戦うオヤジ)とは語源上、何の関係もないことは確かだ。


24:日本@名無史さん
10/12/29 00:07:49
初期の京武者には侍品(位階6位クラスの官人)の者が多かったから、やがて侍(サムライ)といえば武士のことを指すようになっていった。

25:日本@名無史さん
10/12/29 07:22:56
やっぱ俘囚軍じゃない?

平安初期にはもう軍団ぐだぐだ。
俘囚兵のほうが役立った。

関東の独立自営農民も、縄文系だろうし、
弓馬の術にたけていたろう。

それが源氏や兵士などの中央軍事貴族と擬制的に
同族関係をむすんでしだいに有力化、「さむらい」となったのでは?



26:日本@名無史さん
10/12/29 12:26:11
>>25
> やっぱ俘囚軍じゃない?
> 平安初期にはもう軍団ぐだぐだ。
> 俘囚兵のほうが役立った。

軍団と俘囚の間に健児制が抜けてる。
健児制は事実上、旧国造階層の末裔たる郡司富豪層の力を拠り所として成立していた。
この郡司富豪層を主軸に、
上からは軍事貴族が、
下からは俘囚、一部の逃亡百姓など「兵に堪えたる輩」を組織していったのが、やがて武士団化して行くことになるんじゃないかと思う。

従って、
> 源氏や兵士などの中央軍事貴族と擬制的に
> 同族関係をむすんでしだいに有力化、「さむらい」となったの
は、この郡司富豪層の方。


27:26
10/12/29 13:12:28
ちょっと分かりづらいな。

> この郡司富豪層を主軸に、
> 上からは軍事貴族が、
> 下からは俘囚、一部の逃亡百姓など「兵に堪えたる輩」を組織していったのが、やがて武士団化して行くことになるんじゃないかと思う

の部分を

>この郡司富豪層は、自らの支配下にある領民の一部(逃亡百姓多し)や俘囚など「兵に堪えたる輩」を組織して、いわば原始武士団化して行った。
>そうした郡司富豪層を長とする原始武士団に国司や中央軍事貴族が婿入りするなどして、
>やがてそれが中世武士団に変遷を遂げて行ったんじゃないかと思う。

に変更。

28:日本@名無史さん
10/12/29 14:01:45

>サムライ(侍、侍る者)がサウル・アビ(戦うオヤジ)

むちゃな。
さぶらう人って「サーバント」と同じような意味だから
英国起源説のほうがまだまし。

サーバント→さーぶらう人→さむらい
→サム・ライミ

ってな感じで。

29:日本@名無史さん
10/12/29 14:48:44
ここも崩壊か・・・

30:日本@名無史さん
10/12/29 16:35:06
朝鮮が絡むと真実追求ロマンとは違う方向に流れるだろ
どのスレもみな同じさ、全く学問には向いてない奴らさ。

31:日本@名無史さん
10/12/29 17:22:55
< 丶`∀´>日本の「サムライ」はウリナラ起源ニダ
「人」を意味する「サラム」が変化して日本で「サムライ」と
呼ばれるよーに成ったんだニダ

32:日本@名無史さん
10/12/29 17:38:30
>>30
それは嫌韓厨の話でしょ
あらゆるスレに怪しげなコピペ貼りまくるタイプの

33:日本@名無史さん
10/12/29 17:38:49
キタはサムライではなく
ヒトサライだろ。

34:日本@名無史さん
10/12/29 18:15:32
朝鮮がらみの話題なら、アミノ酸が高麗の崔氏政権と平氏政権を
比較してたな。

35:日本@名無史さん
10/12/29 20:16:50
孫悟空の起源は朝鮮なんだぜ。

36:日本@名無史さん
10/12/29 21:06:43
平将門って、結局は関東原住民の一種の解放と
組織化をねらったのかな。
独立なんてだいそれたこと考えずに。

将門の乱は失敗したけど
このとき自らの能力に目覚めた、
関東原住民が、独立武装自衛農民→武士の萌芽かも知れない。

37:日本@名無史さん
10/12/29 21:52:19
>>29
そりゃ東アジア北方騎馬民族がどうとかいいながら、一万年以上前の日本列島にどんな集団が渡ってきたのかって研究のミトコンドリアDNAを素でレスする馬鹿が常駐しましたからね。
ミトコンドリアとブリヤートって見た瞬間、とてつもない馬鹿なんだなって気づきましたよ。

38:日本@名無史さん
10/12/29 21:58:40
コンポジット短弓厨も同類だったね。

39:日本@名無史さん
10/12/29 22:01:33
>>34
ちょっとだけ興味あるな。網野のなんていう本?
高麗時代は朝鮮の歴史上で唯一、西欧や日本のような封建社会の萌芽が芽生えた時期だとは聞いたことがある。
ただし、その芽はすぐに摘まれてしまったということらしいけど。


40:日本@名無史さん
10/12/29 22:40:13
>>26
「兵に堪えたる輩」ってどれぐらいの素養が想定されてるんだろう
徒歩で弓矢ぐらいは当然できる連中?

41:日本@名無史さん
10/12/29 23:40:19
>>36
朝廷に対する条件闘争が高じた結果、最後は自分でもわけが分からなくなって、あそこまでエスカレートしてしまったってことじゃないの?

将門は若い頃は藤原忠平に出仕して、衛府の武官官僚になることを夢見ていたわけだし、
将門の同盟者だった藤原玄明や、ライバルだった藤原秀郷の行動を見ても、あれは地方土着貴族の中央への復帰願望が叶えられなかったことへの裏返しか、
或いは土着したままで受領と同等の権限を持つ在庁官人職あたりを欲したかのどちらか。

それと将門が朝敵になった時点で関東の農民兵たちは早々と将門を見捨てていたよ。

最後まで従ったのは、家僕である従類(≒部民)や、
利害を同じくする玄明のような同盟者(=伴類?)たちだけ。



42:日本@名無史さん
10/12/30 00:58:07
>>40
具体的には資料の不足もあって知ることは難しいね。

軍団廃止→健児制施行
の過程は戦闘法の変質を迫られたという側面でもあるからね。
軍団は元々対外国戦用に組織された軍制だから、国家財政を圧迫もしたし、新羅の衰退などもあって必要をなさなくなっていった。
加えて軍団は兵卒の士気の面でも問題があったというから、そこから余計な贅肉を削ぎ落としたのが健児制と言えるかもね。

で戦い方の変貌だけど、
9世紀になると頻発してくる俘囚の乱や、しゅう馬の党に代表されるような群党蜂起
といった神出鬼没な敵に対応できなければならないものだったとされる。
だから対ゲリラ戦的な戦闘能力を求められたんじゃないだろうか?


43:42
10/12/30 01:09:37
あと軍団制は律令制の土台である個別人身支配を前提としているんだけど、百姓の逃亡や偽籍の増加によってその前提が崩れていったことも軍団制廃止の理由の1つ。

44:日本@名無史さん
10/12/30 07:15:40
草深い東国の農村で国司や荘園領主の圧迫と闘いながら
在地の農場経営を発展させていった有力農民が武士となって
古代国家を掘り崩して中世封建制を切り拓いた。

45:日本@名無史さん
10/12/30 13:06:05
>>44
> 草深い東国の農村で国司
>の圧迫と闘いながら
> 在地の農場経営を発展させていった有力農民が武士となって
> 古代国家を掘り崩して中世封建制を切り拓いた

のが、
>荘園領主

それらは、
平将門や平忠常のような土着王臣子孫であり、
武蔵武芝のような国造の系譜を引く郡司・富豪層であり、
そして招婿婚による両者の合一化した在地豪族であることがほとんど。


46:日本@名無史さん
10/12/30 21:04:10
>>37
こいつも「義平スレ」を荒らしまくった奴と同一人物
みんな注意してね。

47:日本@名無史さん
11/01/01 00:04:16
新年明けましておめでとう御座います。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

48:日本@名無史さん
11/01/01 20:24:13
武士は今なら暴力団みたいなもの。
親分子分や縄張り、みかじめなんかも同じような感じ。
そのかわり強かったと思う。

49:日本@名無史さん
11/01/01 20:52:56
ここから高句麗語でぉkです。

50:日本@名無史さん
11/01/01 21:43:25
>>48
みたいな意見は野口さんや高橋さんなんかもかつてさかんに唱えてたんだよね。
それで、五味さんなんかが、やんわりとそうした「武士暴力団論」を批判した。
元木さんも批判していたな。

そのせいか分からないが、野口さんはその後そうした言説は引っ込めて今に至っている。
高橋の方は相変わらずらしいが。



51:日本@名無史さん
11/01/02 01:53:07
自衛隊は暴力装置
武士が暴力団といって何が悪い

52:日本@名無史さん
11/01/02 06:36:21
安和の変や花山法皇退位における満仲の役割を見る限り
九条流お抱えの暴力団でしかない。

53:日本@名無史さん
11/01/02 07:16:25
百済内=くだらない
百済姓=百姓
おもに近畿地方に分布

武士って百済人?(物部・出雲系)かな?



54:日本@名無史さん
11/01/02 08:01:54
「くだらない」が上方(京・大阪)から関東に下ってきた物では無いって意味なのも知らないの?
それと百姓(ひゃくせい)は漢語(中国由来)だから。

55:日本@名無史さん
11/01/02 09:18:12
>>53
曰若稽古帝堯曰放勳欽明文思安安允恭克讓光被四表格於上下
克明俊德以親九族九族既睦平章百姓百姓昭明協和萬邦黎民於變時雍。

書経の冒頭だよ。「百姓」が出てくるだろ。チョーセンジンは国に帰れや。


56:日本@名無史さん
11/01/02 10:56:52
>54
上方って近畿地方だろ?
あってんじゃん!
>55
写経?書経????
どのみち大陸文化だろ?
秦氏も中国王朝の末裔だが朝鮮経由だし。

しかし
あさあざやかって、ひのもとのくにとあんま変わんないな。
中国吉原で国造り?
子作りの間違えじゃ?

>55
帰る国はねえよ。
日本にイスラエル造って何悪い?国賊だぞ。


57:日本@名無史さん
11/01/02 11:19:56
あーあ。

58:日本@名無史さん
11/01/02 11:26:50
 田所有者が耕作地を増やしていった。
 そのうち、耕すところが少なくなってきた。未開拓地の減少。
 不作になる・食扶ちが取れない・狩猟民族の略奪等。守る必要。
 
 以上のことから村同士で屈強なものに守りをさせた。武士の起こり。
 また仕事がない等で、食い詰めたものの武装化。野党化。

 武士と野党の争いにより、武器の高度化と修練化が進む。
 
 初めは武士は最下層であったが、商売道具は、暴力。
 すぐに逆転し、時の権力により、野党と武士を行ったり来たり。
あるいは、二足のわらじ。

 これでOK?

59:日本@名無史さん
11/01/02 12:04:51
とりあえず学問板なので書き込む前に史料くらいあたろうね
それができなくても語源辞典なんてちょっと大きい本屋にあるし
それもできないなら漢和辞典、国語辞典くらい家にあるだろう

60:日本@名無史さん
11/01/02 14:08:02
>>52
>九条流お抱えの暴力団でしかない

「暴力団」というより、
CIA、KGB、特別高等警察と言った方がより近いだろう。



61:日本@名無史さん
11/01/02 14:40:43
>>60
満仲の手勢は国家機関ではなかったよ。

62:日本@名無史さん
11/01/02 16:31:27
>59
小学生レベルが学問版?幼稚園児いじめるなよ。


63:日本@名無史さん
11/01/02 17:27:23
>>61
そりゃ王朝国家時代なんだから、何から何まで現代法治国家社会と同じというわけではないだろう。

だが、経基の直孫であるかどうかは別として、
満仲も頼光も叙爵を受けているので、歴とした貴族階層ではあるわけだ。
だからヤクザや暴力団の類いとは違うし、山賊、野盗の類いとも違う。
上級公卿に仕える「諸家兵士」というやつだろう。

まあ「兵士」とは言っても満仲流の実際上のの「本職」は、田村麻呂や秀郷のような戦人や将軍というよりは、
>>60で述べたように
裏での粛清や暗殺などを専門とした秘密警察的なものであったとは思うが。


64:日本@名無史さん
11/01/02 21:43:24
武家政治以前の王朝政治でも軍隊・警察は必要だったはずだが、なぜ武士集団が王朝にとって代わったんだろう?

 武家政治というのは軍事独裁政権のことか。

65:日本@名無史さん
11/01/02 23:38:27
院政期を経ているからだろ。
この時代に、陰陽道や明経道や明法道や算道などが特定の家系に固定化されて継承されるようになる。
武門も同じ。


66:日本@名無史さん
11/01/03 00:04:21
"武士"は"サムライ"で、別名を"もののふ"="物部"だけど、
古代の物部氏が武士の語源と言えるんじゃないの?

67:日本@名無史さん
11/01/03 02:26:00
物部は死して名を残す

68:日本@名無史さん
11/01/03 09:20:48
「モノノベ」は「モノノフベ」なのかな?

69:58
11/01/03 09:30:50
武士とは、昔、武芸を身に付け、軍事に携わった身分の者。
さむらい。もののふ。
武士の語源は、「やまぶし(山伏)」や「のぶし(野伏)」の上略で、漢字の「武士」は当て字であろう。
奈良時代に武士は「もののふ」と呼ばれ、朝廷に仕える「文武百官」のことであった。
平安時中期以降、武士は「勇敢な人」「つわもの」といった意味で用いられ、高い身分として扱われるようになり、江戸時代には四民の最上の階級とされた。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
君らの大好きなコピペだ。
こんぐらいしらべれ。


70:58
11/01/03 09:37:41
使われてる漢字に難いのないから。幼稚園児でもだいじょうび。

物部は、出雲系で、軍事を独占してたが、親戚の曽我氏に滅ぼされる。
渡来人系であることは史跡からもはっきりしている。

調べればわかること聞くな。

71:日本@名無史さん
11/01/03 09:49:43
「武士」のほうが「山伏」「野武士」の用例よりも古いだろ。
奈良時代に「武士」を「もののふ」と呼んだ例をあげろ。

72:日本@名無史さん
11/01/03 10:01:59
>>58
何で神武以前に大和を支配し、神武に降伏したニギハヤヒの子孫
である物部氏が渡来系になるんだ?
URLリンク(dic.yahoo.co.jp)

73:幼稚園児
11/01/03 10:30:37
>>71
>>72
幼稚園児に聞いてどうする?小学生が?

日本書紀のどこが正しいんだよ?
URLリンク(www.h5.dion.ne.jp)
そもそも、天皇一族が朝鮮の渡来人でしょ?
天高原ってのは、朝鮮のことだし、先発隊として出雲に根付いた一族。
それをしってる?


74:日本@名無史さん
11/01/03 11:01:30
>>73
それのどこに物部氏が出雲系と書いてあるの?

天皇家が朝鮮から来たとして、これはどう説明するの?

URLリンク(ja.wikipedia.org)

倭王武が今の天皇の祖先ではないとしても日本を支配し、朝鮮に出兵を繰り返し、
支配の正当化のため中国に使いを送ったのは事実。
倭王が朝鮮渡来なら、朝鮮支配を正当化できる最高の根拠になるのに、その説明もなく、
5C当時には朝鮮から渡来した伝承すらなかったようだけど?


75:日本@名無史さん
11/01/03 13:48:05
URLリンク(www17.ocn.ne.jp)
URLリンク(members3.jcom.home.ne.jp)
URLリンク(members3.jcom.home.ne.jp)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(0dt.org)
スレリンク(asia板:301-400番)
URLリンク(questionbox.jp.msn.com)
が参考文書。
見るのめんどいからはっとく。


76:日本@名無史さん
11/01/03 14:24:37
URLリンク(baby.39.net)
お前らのものだろ?

77:日本@名無史さん
11/01/03 15:22:23
神話絶対の右翼党員の皆様、乙です。

78:日本@名無史さん
11/01/04 07:47:06
天皇家は韓国系だよ。天皇自身が韓国で告白したじゃないか。日本のマスコミは
報道しなかったけど。天皇は高天原からではなくて韓国から来たんだよ。
ニニギノミコトは韓国人だ。

79:日本@名無史さん
11/01/04 07:48:42
神話絶対の右翼党員の皆様、乙です。

80:日本@名無史さん
11/01/04 09:40:12
イザナミって、男だよな?
アマテラスって母親だれ?


81:日本@名無史さん
11/01/04 11:23:58
>>80
イザナミは女だがアマテラスの母ではない。イザナギが一人で禊ぎした時に生まれたから母は無い。

82:日本@名無史さん
11/01/04 13:55:00
なぜ姫でないのだ?命ってオス名じゃないの?

アマテラスって原生生物かよ!って突っ込みたくなるけど、すごいな。


83:日本@名無史さん
11/01/04 14:38:55
しかし日本人の祖先て、垢だ糞だげろだの多いな。
どんだけ汚れてんだか。

84:日本@名無史さん
11/01/04 16:14:34
>>82
イザナギ・イザナミは神世七代の最後の世代として生まれる。神世七代まとめて男女の区別なく、
日本書紀では神と付かずに尊(みこと)となっている。古事記では尊は付いてなくて神と付いている。
つまりアマテラスたちより古い世代の神として、男女の区別はあまり重要視されていないのかもしれない。
何しろ始めの何柱かは一人神といって性別があるのかどうかすら定かでないくらいだから。

ちなみにイザナギ・イザナミまでの神々は皆、何処からとも無く独りでに生まれ出てきた。

85:日本@名無史さん
11/01/04 17:57:44
ここも朝鮮人に荒らされた見事なクソスレだな。

86:日本@名無史さん
11/01/04 19:01:02
俺達が「もののふ」の始まりさ、どうだカッコイイだろ

URLリンク(karamatsu.cocolog-nifty.com)


87:日本@名無史さん
11/01/04 19:16:26
持ってるのは頭椎大刀かな?
しかし服装だけ見ると確かに鮮卑とかみたいだなw

88:日本@名無史さん
11/01/04 19:27:51
≫≫85
 ようこそ。糞の子孫の雲小太郎君。

89:日本@名無史さん
11/01/04 19:29:07
ぷっ、ぷらなたりあ・・・。


90:日本@名無史さん
11/01/04 19:39:03
>>85
ヘイトスピーチはやめろ

91:日本@名無史さん
11/01/04 19:43:24
ヘイトスピーチ(英: hate speech)は、おおまかに、人をその人種、民族、国籍、宗教・思想、性別、
性的指向、障害、職業、社会的地位・経済レベル、外見などを理由に貶めたり暴力や差別的行為を煽動
したりするような行動

石原イズム?

92:日本@名無史さん
11/01/04 19:46:04
>>85
てめぇーが「義平スレ」荒らしたじゃねーのか?

93:日本@名無史さん
11/01/04 19:50:37
江南文化(呉服)には袴(乗馬ズボン)を履く習慣はない。

よって武士は北東アジア騎馬文化に起源を求められる。


94:日本@名無史さん
11/01/04 19:58:04
武士の持つ狩猟性、日本刀の起源は奥州蝦夷のものである。
よって武士は縄文文化に起源を求められる。

95:日本@名無史さん
11/01/04 20:10:16
>>83とか>>88がヘイトスピーチの石原イズム。

>>85は行為を批判してるだけ。

96:日本@名無史さん
11/01/04 20:18:41
安倍晋三は腐臭

97:日本@名無史さん
11/01/04 20:20:34
>>94
まだ、そんなカビの生えた学説振り回すのかね。

98:日本@名無史さん
11/01/04 20:21:22
83=88=85だろ?
みんな石原チックだし。


99:日本@名無史さん
11/01/04 20:26:35
家族での旅行代、オリンピック招致予算水増し横領w

100:日本@名無史さん
11/01/04 20:28:13
>>96
安倍は俘囚の子孫なのに右翼とは大笑いだぜ

101:日本@名無史さん
11/01/04 20:36:03
長弓=縄文時代から、また南方の諸島
騎馬=北方から、のちに蝦夷も体得
日本刀=蝦夷

102:日本@名無史さん
11/01/04 20:40:22
俘囚(ふしゅう)とは、陸奥・出羽の蝦夷のうち、朝廷の支配に属するようになったもの。このうち隷属の度合いが低いものを夷俘(いふ)という。日本の領土拡大によって俘囚となったもの、捕虜となって国内に移配されたものの二種の起源がある。

また、主に戦前戦中には戦時捕虜の身分にあるものも俘囚と呼んだ。
7世紀から9世紀まで断続的に続いた大和と蝦夷の戦争で、大和へ帰服した蝦夷男女
俘囚のほとんどは奥羽へ還住することとなった。
俘囚長を称した安倍氏 (奥州)、俘囚主を称した出羽清原氏、俘囚上頭を称した奥州藤原氏の勢威につながった。

そういえば、炎たつで(NHKで)阿部氏は清原清衡(藤原清衡)の家臣に、物部氏の・・・と言って中央と戦おうとしてたような。


103:日本@名無史さん
11/01/04 20:51:33
俘囚は、一般の公民百姓らとは大きく異なる生活様式を有しており、狩猟および武芸訓練が俘囚生活の特徴であった。俘囚と公民百姓の差異に対応するため、812年(弘仁3)、朝廷は国司に対し、
俘囚の中から優れた者を夷俘長に専任し、俘囚社会における刑罰権を夷俘長に与える旨の命令を発出している。9世紀、移配俘囚は国内の治安維持のための主要な軍事力として位置づけられていた
(→国衙軍制)。俘囚が有していた狩猟技術・武芸技術は、乗馬と騎射を中心とするものであり、俘囚の戦闘技術は当時登場しつつあった武士たちへ大きな影響を与えた。例えば俘囚が使用して
いた蕨手刀は、武士が使用することとなる毛抜形太刀へと発展している。このように、俘囚の戦闘技術は揺籃期の武士へと継承されていったのである。

104:日本@名無史さん
11/01/04 20:52:26
>>101
蕨手刀→太刀という学説は定説化してるけど
正倉院御物の大刀に僅かながら反りが認められる大刀がある。
7世紀以前の古墳出土の蕨手刀は東北地方以外に関東甲信越以外に西日本、九州にまで
出土例があることの説明は?

105:日本@名無史さん
11/01/04 20:59:42
>>103
近藤好和氏「騎兵と歩兵の中世史」で
狩猟儀礼は騎射儀礼とともに源流を賀茂社祭儀礼に求められ畿内中央で
発祥し発展したと既に論破されてるよ。

第一「俘囚」なんかに狩猟特権認める訳ねーだろ。


106:日本@名無史さん
11/01/04 21:04:38
>俘囚の戦闘技術は揺籃期の武士へと継承されていったのである。

それは君の勘違い。
下向井氏によれば天平の頃から「武士」は存在してるし
藤原仲麻呂の乱鎮圧勲功者が「武士」第一世代である。

107:日本@名無史さん
11/01/04 21:08:28
ん?
アイヌ人は狩猟ぐらいしか生活基盤ないよ。
最後まで田んぼ耕すの反対してたし。

そしたら、掃滅戦になっちゃって困んじゃない?
事実そのあとであちこちで問題起こすから東北へ帰れってことじゃない?


108:日本@名無史さん
11/01/04 21:11:47
URLリンク(ja.wikipedia.org)
じゃあなおせよ。-

109:日本@名無史さん
11/01/04 21:24:39
恵美押勝
父:藤原武智麻呂
母:阿倍貞媛 - 阿倍貞吉または阿倍真虎の娘、阿倍御主人の孫

藤原 蔵下麻呂(ふじわら の くらじまろ 天平6年(734年) - 宝亀6年7月1日(775年8月5日))は、奈良時代の貴族。
藤原式家の祖である、参議・藤原宇合の九男[1]。官位は従三位・参議。勲位は勲二等。

藤原 宇合(ふじわら の うまかい、持統天皇8年(694年) - 天平9年8月5日(737年9月3日))
神亀元年(724年)4月式部卿の官職にあったが、持節大将軍に任命され出兵、蝦夷の反乱を平定し11月帰還。

110:日本@名無史さん
11/01/04 21:29:28
藤原仲麻呂の乱 [編集]

仲麻呂は天平宝字8年(764年)謀反との密告もあり琵琶湖に舟をだして
逃れようとするが官兵石村石楯に捕らえられて斬首された。

111:日本@名無史さん
11/01/04 21:44:58
>>104
たしか西日本で見つかる数はびびたるものではなかったでしょうか。
蕨手刀は3タイプに分けられ最も古いタイプは関東地方だが
このタイプはまだ腰の根元からの折れも緩く
毛抜き太刀へと繋がる腰折れ・刀身の反り・刀の伸長化・毛抜きなどのある蕨手刀への進化は
東北地方で発生したと考えられているはずです、といってもうろ覚えで申し訳ないですが...
あと刀身のわずかな反りや逆反り自体はたしかに中国の刀にもみられますが
腰折れ・毛抜きという要素が無いですし、これが太刀へと繋がったと考えるより
太刀への進化の過程が追える蕨手刀からの方がスムーズでは。

112:日本@名無史さん
11/01/04 21:52:53
坂上 石楯
(さかのうえ の いわたて[1]、生没年不詳)は、日本の奈良時代の人物。氏姓ははじめ石村(いわれ)村主、
のち坂上忌寸。鎮守府軍曹石村高足の子とする系図がある[2]。官位は従五位下・勲四等・出羽介。
石村氏は、三河国碧海郡に定着した漢系渡来氏族で、仁徳朝に渡来した阿智使主に随い来日した者に石村村主
の祖にあたる人物がいたという[3]。一説では後漢第7代皇帝少帝懿の後裔で、阿智使主に随い来日した古那を
祖とし[2]、石村の呼称は大和国磐余の地に因むものとされる

113:日本@名無史さん
11/01/04 22:02:00
>>111
蕨手刀からの進化ではなく
蕨手刀の腰反り様式を大刀に取り入れたのでは?
また毛抜形は斬撃エネルギーの吸収が目的でありその機能は蝦夷の蕨手刀よりも
大和の大刀に早期に散見される。

114:日本@名無史さん
11/01/04 22:08:24
いつまでも、じーさん達の学説を後生大事にしていたのでは学問の進化はないよ。

115:日本@名無史さん
11/01/04 22:14:32
URLリンク(ja.wikipedia.org)
武士は、一般に「武芸に通じ、戦闘を職業とする軍人、あるいは兵法家の
こと」とされるが、これだけでは平安時代以前の律令体制下の「武官」
との違いがはっきりしない。例えば、武人として名高い征夷大将軍の
坂上田村麻呂は、すぐれた武官であるが、武士であるとはいえない。
また、中国や朝鮮の「武人」との違いも明確でない。中国や朝鮮には
「武人」は存在したが、日本の「武士」に似た者は存在しなかった。
時代的に言えば、「武士」と呼べる存在は国風文化の成立期にあたる
平安中期(10世紀)に登場する。つまり、それ以前の武に従事した者
は、武官ではあっても武士ではない。

では、武官と武士の違いとは何か。

簡単に言えば、武官は「官人として武装しており、律令官制の中で
訓練を受けた常勤の公務員的存在」であるのに対して、武士は「10世紀
に成立した新式の武芸を家芸とし、武装を朝廷や国衙から公認された『
下級貴族』、『下級官人』、『有力者の家人』からなる人々」であって
、律令官制の訓練機構で律令制式の武芸を身につけた者ではなかった。
ただし、官人として武に携わることを本分とした武装集団ではあった。


116:日本@名無史さん
11/01/04 22:25:26
wikiなんて根拠にするなよ。
地元の中央図書館レベルには有益な書籍があるよ。

117:日本@名無史さん
11/01/04 22:42:15
ウィキペディアはオープンコンテントの百科事典です。基本方針に賛同していただけ
るなら、誰でも記事を編集したり新しく作成したりできます。

図書館の本も相当だぞ。
何とかの謎ってのも結構自慰ものだし。

118:日本@名無史さん
11/01/04 22:45:26
武官も武士も戦士としての本質は変わりないよ。
ただ、政治体制が律令制から王朝国家への変貌、院政の「家の成立」により
私的財産の国家的容認および継承によって中世封建制へと移行して「封建武士」の成立を見る。

「武士」の定義に封建制が有るならば「武官」は「武士」と言えないかもしれないが
武術、武具の萌芽としては関連付けられるべきものである。

119:日本@名無史さん
11/01/04 22:47:26
wikiなんて参考にしてる研究者は皆無。

120:日本@名無史さん
11/01/04 22:56:09
大学生でさえウィキを使ったレポートは0点にされるというのに。

121:日本@名無史さん
11/01/04 23:03:30
Wikipediaは東北武士道論と家系関連が宿亜。
仙台や会津あたりの歴史を検索しても、客観的な記述が見当たらない。

122:日本@名無史さん
11/01/04 23:10:03
「国風文化」なんてつまらねーこと言ってないで「院政の確立」でしょ。

123:日本@名無史さん
11/01/04 23:17:28
>120
インターネット丸写しじゃダメでしょ?
普通にネット文章ってだけでダメだって言われたらしいが?
まあ、正直間違い多すぎるのは事実だが。
>119
研究者の本当の辞書サイトできるといいな。
本じゃ高くて読めね~し、図書館なんて怖い大学生とか、暇な人しかいないし遠いし。
>121
そういう背後関係の情報ほしいね。
いろんなとこ行くけど、偏ってばかりだし、整合性取れないやつ多いし。
ただ客観的な資料って、難しくない?存在定義が。


124:日本@名無史さん
11/01/04 23:21:37
政治史の観点からは「武士」の成立は10世紀だが
軍事史の観点からは「武士」の成立は8世紀に遡る。

125:日本@名無史さん
11/01/04 23:27:20
wikiには賛同しません。
論文には研究者の知的財産権が有ります。
まともな報酬も無いんだよ。研究者には。

126:日本@名無史さん
11/01/04 23:30:08
そうやって囲い込んじゃうと人目に触れる事も無く終わっちゃうんだけどね。宝の持ち腐れだね。

127:日本@名無史さん
11/01/04 23:32:44
どのみち助手じゃくえんだろ?
名誉教授になると結構もらってるってゆってたな。

どうせWIKIに上げなくても教授にとられんだろ?
って言ってた。


128:日本@名無史さん
11/01/05 01:29:00
元木の論文なんてインターネットじゃ無料で読めないよ。
特に京大関係は知財のネット上の管理が進んでるね。

129:日本@名無史さん
11/01/05 01:36:30
本気で歴史学を身に付けたければそれ相応の大学に通うなりして学問との向き合い方を訓練するなり
国会図書館にしつこく通って史料に触れるしかないね。
古文書のマイクロフィルムも複写してくれるよ。
地方の人には辛いけど。


130:日本@名無史さん
11/01/05 01:46:23
論文とかPDFで公開してクレよ。
古代武具とか律令軍団制に関する本を買うとするとどれも1万とかザラで困る。

131:日本@名無史さん
11/01/05 02:03:50
>>130
そんなことやったら事業仕分けで大変なのに大打撃だろ?研究者は。
研究者のソースを知りたければ旧帝大図書館か国会図書館だろ。
さもなくば全国行脚しなさい。


132:日本@名無史さん
11/01/05 02:22:21
うちの教授なんか200部で元取ろうとしてたからね。

133:日本@名無史さん
11/01/05 07:27:45
>129
 それ相応の大学ってどこよ。
 日東駒船レベルか奈良大学?
 まさか広島とかいわね~よな。

PDFよりこっちのがよくね?
URLリンク(www.reportreport.jp)

134:日本@名無史さん
11/01/05 08:05:14
URLリンク(www5a.biglobe.ne.jp)


135:日本@名無史さん
11/01/05 08:13:47
小学6年生の担任から、こんな歴史の宿題を出されました。

女の「武士」が存在しない・男が「十二単衣」を着る事はない。

いろいろ調べたんですけど、そういう文章は載って
ないんです。どなたか助けて頂けませんか・・・??

136:日本@名無史さん
11/01/05 13:45:53
宿題が何なのか読み取れないんですが
出典を探せなんていわれるとは思えないんだが
落ち着け、親

137:日本@名無史さん
11/01/05 15:39:38
2005年のgoo質問に同じものがあるな。
同じ先生か、それともそこから質問をとってスレを困らせようとしたのか、どちらかだろう。

gooの回答では、服装関連サイトを調べて報告すればよいという程度の教師側の意図だったと記されている。

138:日本@名無史さん
11/01/05 17:26:41
 この問題を出したのは、正解を必ずしも証明しなくてはいけない。
とか、絶対にして来なければいけない。というような強制的な宿題で
はなく、小さな事にも疑問を持って、それを調べる方法を自分で考え
たり親に相談したりして、親とのコミュニケーションも図りつつ、知
識として知っておけば・・・。というような趣旨

139:日本@名無史さん
11/01/05 18:44:58
鎌倉時代に女性の地頭は居たようだね。

140:日本@名無史さん
11/01/05 18:48:29
>>139
娘か?後家か?

141:日本@名無史さん
11/01/05 19:00:47
『国史大辞典 6』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1985)を見ると、p913に
「国名・下野 所在地・寒川郡 阿志土郷 氏名・某 通称/官途・小山朝光母 
典拠・皆川文書 所見年月日・文治三.一二.一」とある。



142:日本@名無史さん
11/01/05 19:06:42
武家の家督を相続した女子は「武士」?
つーか、>>135の担任がいい加減な言葉の使い方をしてるんだろう。訳ワカンネ。

143:日本@名無史さん
11/01/05 19:25:12
地頭職と家督と御家人は一体か?

144:日本@名無史さん
11/01/06 21:36:01
俘囚って、平安頃の読み方では「ふじゅ」だったと思う。
ひょっとして「武士ぶし」は「俘囚ふじゅ」の
好字じゃない?

大伴門→応天門みたいな。
喜田貞吉も、武士の淵源は俘囚兵とか言ってたし。


145:日本@名無史さん
11/01/07 03:04:07
また沸いて来たのか・・

146:日本@名無史さん
11/01/07 03:15:48
日本刀の構造上の本質は鎬造りです。
湾曲は外見的な特徴でしかありません。
蕨手刀は鎬造りではなく大和の大刀にそれよりも早期に鎬造りの構造を持った大刀が現れます。
大刀から太刀へと構造上の本質を継承していますし、腰反りの特徴は蕨手刀の影響を受けただけで
蕨手刀が太刀に発展したとは決して言えないことは明白です。

147:日本@名無史さん
11/01/07 03:30:41
>>144
喜田貞吉のような歴史上の人物の歴史観を語ってどーするんだ?

148:日本@名無史さん
11/01/07 03:49:45
>なぜこの地方に蕨手刀が発達したのかといえば、やはり多くの砂鉄産地が存在したこと、
>また、古代東北には餅鉄と呼ばれる磁鉄鉱が多く産出したことが背景にあると思われます。
>舞草近くの白山岳は地元では鉄落山とよばれ、産鉄関連の伝承や地名が残っていことからもうかがわれます。
>また、この舞草鍛冶は渡来人の鍛冶である記録があることとあわせて考えると、
>中央構造線から黒鉱ベルト地帯をさかのぼった初期の産鉄族と、ニギハヤヒを祖とする物部族、
>および蘇我・物部戦争に敗れ東北に逃れたであろう後期物部族など、きわめて初期の渡来人とが協力して、
>このような初期の武器の改良に勤めたのではないかと想像できます。


149:日本@名無史さん
11/01/07 12:50:17
>>123
>研究者の本当の辞書サイトできるといいな。

ほんとはwikipediaもそれ目指してたみたいだけど、全然記事増えないしでやめたみたいだな

URLリンク(gigazine.net)
Wikipediaの前に「Nupedia」(ヌーペディア)というのがあったことはあまり知られていません。
Nupediaが開始されたのは2000年 3月。今のWikipediaと違い、専門家(基本的に博士号を取得していることが条件)によるフリーな百科事典を目指したものだったのですが、ほとんど記事が投稿されず、2003年9月に停止しています。
2000年3月から2003年9月までに掲載された記事はわずか24本。というのも、専門家による査読制度が非常に厳しく、7段階もの過程を要したため。そういう一切を省いたWikipediaの方がいかに優れた仕組みだったのかがよくわかります。

150:日本@名無史さん
11/01/07 16:04:02
>>149
素人の独自研究(珍説開陳)が死ぬほど紛れ込んでいるね。
特に、過去に論争が派手だった事象案件(邪馬台国、騎馬民族征服説、
王朝交代説、武士の起源、etc)のwiki記事は全く出鱈目が多いね。

151:日本@名無史さん
11/01/07 16:10:34
長弓と短弓について論じるならばちゃんと出典を示して欲しい。
「コンポジットボウ」なんて呼称してるからアレって思ったけどね。
研究者の論文なり、専門書から引用して欲しいものだね。

152:日本@名無史さん
11/01/07 16:13:24
武士の「俘囚」起源説を力説する奴いない?

聴いてやるよ。


153:日本@名無史さん
11/01/07 17:42:05
>>149
>専門家による査読制度が非常に厳しく

と言うよりも、学者人生を掛けた貴重な研究成果を何で有象無象に無料公開しなきゃいけないんだ?
と言うことだろうね。


154:日本@名無史さん
11/01/07 17:44:05
プロに敬意と誠意を示せよと

155:日本@名無史さん
11/01/07 19:48:11
>154
あんがと。

十分か?

156:日本@名無史さん
11/01/08 01:18:01
律令制時代の軍団の士官クラスの要件として「便弓馬者」があったのは何故なんでしょう
騎射や乗馬ができなくても歩兵部隊は指揮できそうな気がしますが・・・

157:日本@名無史さん
11/01/08 02:09:04
>>156
それを割りと分りやすく解説してるのが
近藤好和氏「騎兵と歩兵の中世史」です。


158:日本@名無史さん
11/01/08 10:11:46
それには『義解』の弓馬の解説「弓は歩射なり、馬は騎射なり」を引いて
弓馬は必ずしも騎射のみを指すものではないって書いてあったな

159:日本@名無史さん
11/01/08 12:22:06
>>158
一部のみを引用してもお里がしれるよ。
その後の文章に
近衛候補は騎射(これは後に述べる競技としての「うまゆみ」であろう)と歩射の両方の
技能が試されているし、また左右兵衛府擬兵衛条にも同様の規定がある。
さらに兵部省功過相折条に「凡そ諸衛人等、兼ねて歩射・騎射に預かりて、お互ひに功過有り」
とあるように六衛府制の近衛と兵衛は、その能力が騎射と歩射で試され、同時にその功過(勤務評価
、これは衛門府も含む)も騎射と歩射の実力で判断されたのである。

160:日本@名無史さん
11/01/08 13:38:13
唐の軍制の影響だろうか?
それとも乗馬と弓箭が身分ある人間のたしなみとしてすでに確立していた?

161:日本@名無史さん
11/01/08 13:44:50
育てるのに手間がかかる士官はやばくなったら馬に乗って逃げて来い

ってこっちゃね?

162:日本@名無史さん
11/01/08 20:07:44
>>157-159
ありがとうございます。
近藤好和氏の一番最近の「武具の日本史」でそういう記述があって
気になって質問してみたんですが、やはりそっちの方が詳しいですかね?
今度チェックしてみます。

163:日本@名無史さん
11/01/25 04:53:39
age

164:日本@名無史さん
11/01/29 15:54:19
大規模な暴力団。
系図をデッチ上げることができたかどうかが両者の分かれ目。

165:日本@名無史さん
11/01/30 23:19:54
でっち上げるよりも実際に婚姻関係で繋がることの方がずっと手っ取り早いだろ。

166:日本@名無史さん
11/01/31 22:15:48
そういうのは室町まで。
戦国以降は源平藤橘などと縁戚関係を持ってる武士なんてほとんどいないでしょう。

167:日本@名無史さん
11/02/02 04:31:02
>>166
彼らは本来の「武士」ではないね。

168:日本@名無史さん
11/02/02 05:59:24
江戸時代の下級武士は戦国時代の足軽だろ。

169:日本@名無史さん
11/02/02 13:58:14
武家は武士とは違うといっても、武家の頭領である徳川家康からして系図を売り買いしてるぐらい胡散臭い。


170:日本@名無史さん
11/02/02 16:47:00
>>124
軍事的には8世紀にまで遡れるのなら関東武士は新羅郡、高麗郡が起源
という説も考えられるでしょ?
いつも馬鹿にされるんだけど。

171:日本@名無史さん
11/02/03 19:45:06
家康は官位もらうかなり若いときに系図買いしてるのがラッキだったろうな。
まさかあん時は幕府まで開くことになろうとは夢にもおもわなんだろうが。

172:日本@名無史さん
11/02/03 22:33:11
まつでーらはかもうじ

173:日本@名無史さん
11/02/07 05:23:44
藻舞ら まともにイカたれ

174:日本@名無史さん
11/02/07 11:51:39
もののふの語源は物部氏。物部氏は大和の武器や戦力担当だった。
島根県にある物部神社は出雲大社の武器庫の鍵を預かるためにできた。

175:日本@名無史さん
11/02/07 14:46:13
>>174
部民の物部を統括したのが伴造の物部連だ。

176:日本@名無史さん
11/02/08 17:37:07
気になるんだが、生首文化は、武士と共にあったでいいのか?

物部と蘇我は親戚だが、アイヌ民族ではないのか?

聖徳太子は朝日のハイブリットって聞くけど、蘇我だよな。

恵美押勝って、分家っぽくないよな。貴族なのに武士っぽいし。

結局、この時代って、解っているようで何もワカンナイ。

良い本紹介してほしいんだがまともな本て何?

177:日本@名無史さん
11/02/08 21:41:08
平将門は梟首されてるよね。

178:日本@名無史さん
11/02/10 00:37:44
そんなもん中国には普通にあるw


179:日本@名無史さん
11/02/10 01:37:02
首狩り文化は西太平洋に偏在しているな。

180:日本@名無史さん
11/02/10 01:40:15
パプアニューギニアだっけ
生首の頭蓋骨を抜いてアクセサリーにするの?

181:日本@名無史さん
11/02/10 02:27:59
日支事変のとき、日本軍が中国の都市を制圧して入城しようとすると、城門の傍らに
日本兵の捕虜の首がズラリと陳列されてたというのは有名な話。
つまらぬことを取り上げて自らの特殊性や共通性を指摘したりするが、
古今東西、慰安婦や強盗とともに首狩りや首実検は戦争なら普通のこと。

182:日本@名無史さん
11/02/10 14:53:16
これを見れば10C頃のイギリスも同じようなモノだったかと

URLリンク(www.nationalgeographic.co.jp)

183:日本@名無史さん
11/02/13 21:40:21
安倍晋三は腐臭。

184:日本@名無史さん
11/03/16 00:39:12.81
『殴り合う貴族たち』の平安貴族=東電役員

185:日本@名無史さん
11/03/17 01:25:22.38
漢字の「道」は、異民族の首をはねて、その滴り落ちる血でみちを浄めている様子が由来らしいね。

186:日本@名無史さん
11/03/26 01:12:22.62
 ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
(; ´Д`)(; ´Д`)(; ´Д`)(; ´J`) ∧_∧
/文室 \ 鎌倉 \ 上総 \ 三浦 (    ) パンツ脱いで待ってる 
| 忠光 .| |悪源太| | 曹司 | | 胤義 /     ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄   ̄  ̄ ̄  ̄  ̄ / .|   | | 藤原信頼
||\..∧_∧             (⌒\|__./ ./
||.  (    )             ~\_____ノ|  ∧_∧
  /    ヽ骨は拾ってやるよ  .     \|  (    ) 
  |     ヽ                   \/     ヽ. 負けたら絶交な
  |    |ヽ、二⌒)               / .|後鳥羽| |
  .|    ヽ \∧_∧           (⌒\|__. / /
  藤原隆家

187:日本@名無史さん
11/04/07 09:10:50.78
「武」という字は戈(ほこ)を止めると書きますっ!

188:日本@名無史さん
11/04/07 12:23:04.26
正しい犬じゃねの

189:日本@名無史さん
11/04/11 03:04:55.67
知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、

URLリンク(then-i-was.tumblr.com)

イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。
神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。

190:日本@名無史さん
11/04/11 23:42:09.99
東北の馬の文化はどこから来たんだろうね?

191:日本@名無史さん
11/04/11 23:49:47.88
まあ大陸だべな
十三湊とかあるし
かなり古くから交易があったんじゃないか

192:日本@名無史さん
11/04/12 09:17:19.69
アイヌには騎馬の文化はないね。

193:日本@名無史さん
11/04/12 10:06:16.86
複数ルートからじゃね?

甲斐・信濃・武蔵などの東国から、高句麗系とかの渡来系土着民の一部が柵戸として東北に送り込まれたとか。

出羽に馬を伴って来た渤海人使節団の一部がそのまま東北に土着したとか

坂上氏とか百済王氏とかの渡来系律令官人が東北に多く任命されたのも、東北にそんな土壌があったからかもしれんし。


194:日本@名無史さん
11/04/20 20:46:53.42
野武士は?

195:日本@名無史さん
11/04/24 06:46:49.22
■梅原猛 日本とは何か 1990年
私は日本文化を縄文文化と弥生文化との対立をはらんだ総合とみる。

日本文化を俯瞰するとすれば、弥生人が縄文人を征服し、
日本に統一国家ができたのは、4世紀から6世紀に掛けての古墳時代であるが、
それを受け継いだ飛鳥・奈良時代は、その統一国家を中国にならって
律令国家たらしめようとした時代というべきであろう。
ところが平安時代の中頃から武士が台頭する。
武士というものは、もともと狩猟採集を業としていたものであり、
縄文の遺民とみてまちがいないであろう。
もともと関東は縄文文化の影響が強く、
関東人は縄文人がそのまま農耕化したという自然人類学の学者の説もある。



196:日本@名無史さん
11/04/24 07:43:57.24
もともと列島東部では狩猟が非常に盛んであり、それを背景として東国には広大な「牧」が設定されていました。
ですから人々は家の厩のような身近なところで飼育された牛馬ではなく、牧場を飛び跳ねる野獣に近い馬と接していました。
東の王権、鎌倉幕府はその馬に乗って戦闘する武士の集団によって支えられていたのです。
それ故、東日本の人々は獣を殺し、その肉を食べることについて、西日本の人々のように敏感ではなかったということが出来ると思います。
ケガレの問題については列島東部の社会が鈍感であると前に述べましたが、その背景としてこのような社会の実態があったことが考えられるでしょう。
網野善彦(日本中世史、日本海民史)『歴史を考えるヒント』新潮社(2001年)

197:日本@名無史さん
11/04/24 09:55:26.32
東日本では縄文戦士が武士になれたけど、
西日本では悲惨な境遇に落とされたんだと思う。

網野善彦はたくみに明言を避けてたけど、戦後に
小浜基次なんかが西日本の小集落の頭長指数について
データを示している。


>東日本の人々は獣を殺し、その肉を食べることについて、
西日本の人々のように敏感ではなかったということが


つまり東日本人は縄文子孫ってのはわかる。
しかし西日本が狩猟を拒否したわけではない。
奈良以降の仏教隆盛が西日本人の心を歪ませたんだ。

198:日本@名無史さん
11/04/24 11:10:31.32
東日本には被差別部落が少ないことと何か関係があるのかな?

199:日本@名無史さん
11/04/24 11:52:38.93
殺生禁断の聖なる山や池で狩猟を行い、鶏・犬・鷹・馬などの諸禽獣を自在に操る関東武士の弓馬の実力は、
西国の住民にとっては<人知を超えた鬼神>として、畏怖と畏敬の対象となったのである。
北条氏が葦名頼連に期待したのは、高麗出兵への先兵としての類まれな武闘能力だったに違いない。
西国の各地に、頼連のような荒夷の手だれたちが、異国征伐の守護あるいは地頭として、移住してきたのである。
海津一朗『蒙古襲来』吉川弘文館(1998年)

200:日本@名無史さん
11/04/24 13:15:31.21
薩長縄文が江戸渡来を倒した功績は大きい

201:日本@名無史さん
11/04/24 13:28:47.27
「長」は違うだろ、「長」はw

202:日本@名無史さん
11/04/27 14:01:24.73
網野の言う「関東王権」は存在したの?

殺生禁断の聖なる山は東日本には無いの?

203:日本@名無史さん
11/04/27 15:12:15.13
そこまで統一されたものじゃなかったから容易に入植地になったのだと

204:日本@名無史さん
11/04/27 20:52:23.19
毛野氏の規模のデカさだけは確かに異常だけどな。

普通、国造なんて言ったって郡規模の首長だろうに、毛野氏は国規模の首長だもんな。

205:日本@名無史さん
11/04/28 06:42:59.61
実は「武士」ってのは「俘囚」の好字ではないかと疑ってる。
大伴門→応天門みたいな。

206:日本@名無史さん
11/04/28 10:46:21.84
武士の原型は恵美押勝の乱鎮圧勲功者達だよ。

ただ、「家」が分業固定化される王朝期じゃなかったんで「家業」として相伝されなかったんだよ。



207:日本@名無史さん
11/04/28 14:13:12.29
つわものは「鍔物(つばもの)」が由来になってるって唱えてるのは誰だっけ?
近藤さん?

208:日本@名無史さん
11/04/29 07:51:49.00
網野はたくみに隠してたけど、
多分、一部菊池山哉と似た結論にたどりついたんだと思う。

209:日本@名無史さん
11/04/29 13:58:37.58
殺生放免といったら狩猟に馴れてる輩だからな。
しかも上方では死穢観の広がりで彼らは影的な存在に追いやられていたことだろう(身分的にも居住地的にも)。

そんな彼らを、上級公卿の走狗的な役割を担っていた諸大夫・侍層に属する下級官人層の一部(=武官貴族)が取り込んでいったであろうことは容易に想像がつく。
もちろん、上級貴族その他の諸層にとっても、あえて言挙げはしないもののそれらは「公然の秘密」であったことだろう。

ただし、あくまでも(武士として形成されていった者たちの)「一部」だけどね。



210:日本@名無史さん
11/04/30 08:41:49.11
経基が満仲ら兄弟を養子にして影の勢力を取り込んだんだね。



211:日本@名無史さん
11/05/01 02:21:35.49
>>200
なんで長州が縄文なんだよwwwww
江戸を渡来人呼ばわりする資格ないだろよ長州はw

212:日本@名無史さん
11/05/01 07:56:01.28
縄文vs弥生
URLリンク(www.kahaku.go.jp)
URLリンク(www.kahaku.go.jp)
URLリンク(www.kahaku.go.jp)
URLリンク(www.kahaku.go.jp)

213:日本@名無史さん
11/05/01 21:52:18.41
源満仲も頼信も頼義も85歳以上で亡くなりましたよね
義家は60そこそこで死にましたがこれは息子と戦うという心労から来たもので
法皇の策略がなければこれも80越えは間違いありません
どうしてこの時代でこのように長生きできたのでしょうか
今の時代なら全員100オーバーの確率高いですよね
体育会系の人は生涯鍛錬を続ければ長命限りなしなのでしょうか
それとも源氏の秘法でもあったのでしょうか


214:日本@名無史さん
11/05/02 00:13:59.58
「日本のまつろわぬ民」(新人物往来者)に出ていた、満州や契丹と日本の傀儡子、そして源氏武者の関係が
斬新であり、説得力があった。
辮髪を前に乗せるとチョンマゲになること。
チョンマゲが平安時代に、騎射が盛んな東国で始まったことなど面白く思った。

215:日本@名無史さん
11/05/02 02:05:07.83
つまり東国の源氏は騎馬民族だった!

216:日本@名無史さん
11/05/02 12:06:53.83
>>215
騎馬民族とは違うかな。
先の「日本のまつろわぬ民」では、東国武士の台頭を環オホーツク文化圏の交流のなかでとらえていた。
北方アジアの動乱により、騎射の巧みな傀儡子(くぐつ)……ジプシーみたいな集団……が、大陸から
日本へ流れてきたということ。
げんに、平安時代の「傀儡子記」には、テントで暮らす傀儡子の習俗が北狄に似ているとの指摘がある。

隆慶一郎氏が主張していた、傀儡子は朝鮮の白丁という説は、まったく信用できない。
だって、平安時代には朝鮮王朝も白丁も存在していなかったし、その習俗も別物だから。

217:日本@名無史さん
11/05/02 20:18:41.51
武士の萌芽とクグツはNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」で描かれていたな。

218:日本@名無史さん
11/05/03 04:18:47.73
つまり東国武士団は、新羅や渤海に近縁の文字通りの東夷(あずまえびす)であった。
新羅三郎

219:日本@名無史さん
11/05/03 10:06:32.39
園城寺新羅明神(滋賀県)

220:日本@名無史さん
11/05/03 10:47:53.37
>>213
同時期の藤原頼通兄弟とか、その百年ほどあとの忠実とか、
摂関家の人間もそれくらいの長寿だけどね。

庶民とちがって、美味いもの食べてるからだろ。

221:日本@名無史さん
11/05/03 13:18:29.26
重労働した人は今でも早死に多いからね

222:日本@名無史さん
11/05/03 13:20:55.37
マラソン選手とか負荷が大きすぎる運動してた人は早死に

223: 忍法帖【Lv=8,xxxP】
11/05/03 13:24:56.50
test

224:日本@名無史さん
11/05/07 12:29:52.44
>>218
>新羅三郎
それは、新羅神社で元服したことによる通称だよ。

>>216は満洲や契丹について言及しているが、シベリアの狩猟民族にルーツがある、
朝鮮人については何も言っていないぞ。

武士と朝鮮人は完全に無関係だ。
ムサとかサウラピとか、剣道の起源は朝鮮とか、嘘をつくのはやめてほしい。

ちなみに、
音表記で残されている新羅の言語が、朝鮮語では全く解読できないので、
新羅と朝鮮は赤の他人。異民族。

225:日本@名無史さん
11/05/10 01:41:39.16
朝鮮半島人も本来シベリアの狩猟民族にルーツがある、
李家朝鮮王朝になってから儒教文化に固まり、シベリア満州地域の文化と切断される。

226:日本@名無史さん
11/05/10 01:46:30.39
漂着、密貿易、海賊で捕まり敵性外国人として収容され戦奴にされた新羅系、渤海系が武士のルーツの一部

227:日本@名無史さん
11/05/10 01:50:01.32
朝鮮王朝の白丁は高麗王朝の忠臣が負けて身分剥奪され収容されたもの
日本の場合は、南朝の忠臣が負けて身分剥奪され収容されたもの


228:日本@名無史さん
11/05/10 17:03:04.09
>>225
>シベリア満州地域の文化と切断される

切断されていない、というか、高麗の後にシベリアから南下してきた民族が、朝鮮人
だと思う。
げんに、シベリア狩猟民のトーテム信仰や、ウチワ太鼓を用いた巫女(ムーダン)の神降ろしなど、
最も民衆に近い土俗宗教が全く同一のまま。

また、音表記で残されている高麗語が朝鮮語では全く解読できないこと、
染色、車輪、タル、灌漑など生活に根ざした太古の技術を、朝鮮人が学びそこねていること、
近代まで打製石器を日常的に使用していたこと

などからみて、シベリア亜寒帯の狩猟民と朝鮮人は、ほぼ同一民族と見てよい。
儒教は垢だらけの原始的な体を隠すための外套にすぎないと思われる。
……文盲ばかりだった朝鮮で、はたして何人が儒教を解しただろうか?
さらに、
朝鮮の極端な男尊女卑や家父長制は儒教ではなく、狩猟民の家族制度にほかならない。

遺伝子は土地に残るが、民族はあっけなく消滅していく。
ソビエト時代をへたシベリアでは、固有の伝説や言語、歌や舞踏、習俗を忘却したアジア系
民族が沢山いる。

ともかく、武士と朝鮮人は無関係。また、武士は新羅とも関係ない。

229:日本@名無史さん
11/05/10 17:13:51.17
武士=物部

230:日本@名無史さん
11/05/10 17:56:00.67
物の具(甲冑)かと思ってたぜ

231:日本@名無史さん
11/05/10 20:25:06.29
戦闘技術の伝播は、高句麗→渤海→蝦夷→武士なのかな?

232:日本@名無史さん
11/05/10 20:47:35.46
李家朝鮮王朝になってから儒教文化に固まり鎖国とともに、朝鮮多島海などの南部沿岸部に残っていた古代倭などの海洋文化と切断される。


233:日本@名無史さん
11/05/10 20:49:44.84
新羅三郎は、新羅神社で元服したことによる通称だよ。 ⇒

新羅系が氏子である新羅神社で元服した⇒新羅系を支持基盤にして取り込んだということ。




234:日本@名無史さん
11/05/10 21:09:51.09
パワフルな貴公子が軍事貴族になったというよりも、
企業が天下り官僚を受け入れて利権確保を図っているように、
田舎豪族が貴公子を婿に入れて氏族名を源平藤原につけかえた。
征夷の軍の幹部に居た百済王一族の場合は、最初から有力だったので、土着しても源平藤原の武士団にはならなかった。

235:日本@名無史さん
11/05/10 21:17:16.58
749年 陸奥国守百済王 敬福、黄金九百両を献上する
766年 百済王 文鏡を出羽守となす
774年 百済王 武鏡を出羽守となす
785年 百済王 英孫を出羽守となす
797年 百済王 聡哲を出羽守となす

---


236:日本@名無史さん
11/05/10 21:21:43.54
源義光:新羅系が氏子である新羅神社で元服した⇒新羅系を支持基盤にして取り込んだということ。


警察官僚がパチンコに天下りしたのと同じ

237:日本@名無史さん
11/05/15 15:53:49.26
>>234
> 企業が天下り官僚を受け入れて利権確保を図っているように、
> 田舎豪族が貴公子を婿に入れて氏族名を源平藤原につけかえた

のはその通りだと思うが、

> パワフルな貴公子が軍事貴族になったという

のもまた事実と思う。
たとえば源仕や平高望や藤原利仁のような「貴公子」たちは、いずれも寛平延喜期に東国に赴任しているが、当時の東国はまさに群盗が蜂起し各地で猛威を奮っていた時代。
上の三者らは、そんな時代にそれら群盗の鎮圧を目的として坂東各地の国司、押領使などに任じられた(と推察されている)のだから。
彼らはそんなタフネスさを要求される職務を遂行し得る「パワフル」な存在だと中央で認められていたからこそ、そのような役職に任命されたのだと思う。


238:日本@名無史さん
11/05/16 06:19:49.40
くだらの小錦

239:日本@名無史さん
11/05/17 06:00:12.31
DNA的に貴公子の子孫とは限らないのでは?
娘を一夜妻に差し出す⇒男の子が生まれ成人したら(怪しくても)ご落胤規定⇒当主に立てる⇒それまでと同様都に進物を送り続け認知を受ける⇒その権威をカサにきて周囲の同族、対立一族を圧伏させる。
経済力・実力がベースにないといけない。

240:日本@名無史さん
11/05/17 06:02:49.02
かくして日本はこういう形で民族統合されていった。

241:日本@名無史さん
11/05/17 06:18:46.41
〈貴種流離譚〉伝説もこうした田舎豪族が広めたのであろう。

242:日本@名無史さん
11/05/17 06:25:01.10
>DNA的に貴公子の子孫とは限らないのでは?

それいったら中央貴族同士の結婚でも同じことが言えてしまう。
中央も地方も通い婚の時代だし。

実際は父が違うかも、なんてびくびくしながら貴種を名乗るくらいなら本当に実の子を儲けてしまった方が貴族、在地豪族ともに余程メリットがある。



243:日本@名無史さん
11/05/17 06:39:13.59
>中央貴族同士の結婚でも同じことが言えてしまう

いや、それは、別の男の胤でもいちおうは貴族階級の男ではあるだろう。


244:宋文平
11/05/17 20:34:08.13
日本之武士豈敢與中國抗衡哉?

245:日本@名無史さん
11/05/19 06:34:49.45
>>243
同じ貴族階層に属していれば種は全くの別氏族でも構わないなんてことはないだろう(正式な養子縁組みは除く)。

それと>>242でも書いたが、
諸大夫程度の中下級貴族だと、4~5年の任期が終わってしまえば、次はいつ受領に任じられるかの保証なんてない。
だから彼らは限られた受領任期期間中に出来るだけ己が勢力を赴任地に扶植すべく努めるようになる。
その際、最も有効的な手段が有力在地豪族と姻戚関係を結んでしまうことなのだ。
そうしてその有力豪族をわが一族として取り込んでしまえば、以降最悪二度と受領任官が回ってこなくても、かつての赴任地に留住、土着して土地の長者として暮らして行くことができる。
また、再び他国の受領に任じられる機会に恵まれたなら、次の赴任地でまた同じことをやるだけの話。
そうやって「保証」を増やして行く。
また、王朝国家期以降になると時代の要請により、主に軍事貴族がこの役回りを演じることが多くなって行く。

以上みてきたように、
中央貴族と地方豪族の婚姻は、決して在地豪族側のメリット(上昇志向、見栄、etc)からだけによって行われてきたわけではないのだ。



246:日本@名無史さん
11/05/19 11:16:33.19
姓を藤原に付け替えておかねば国司に難癖つけられて私営田取り上げられるか、近隣のヤツに強奪されやすいか、分家に離反・横領されやすいので。

247:日本@名無史さん
11/05/19 11:18:34.22
将門は同族との戦争で敵方の所領を焼き払っている(占領して我が物にするということではなかった)。

248:日本@名無史さん
11/05/21 09:06:41.00
将門に限らずそれが当時の戦の形態

249:日本@名無史さん
11/05/22 06:47:29.44
え?!敵方の土地をぶんどらないの?
じゃ、ぶんどるのは奴隷にする人間?当時は土地が広く人手が少ないから?

250:日本@名無史さん
11/05/22 07:18:19.96
やはり倭人化した関東・東北の原住民が
射騎にすぐれ勇猛かつ礼儀正しかったので、
貴人のガード「さぶらう者」として利用したことが
淵源ではないかなあ。

それに西国配備の俘囚軍なんかもくわわって。

251:日本@名無史さん
11/05/22 08:21:45.69
>>250
「俘囚軍」が有ったという出典を提示してくれ。

252:日本@名無史さん
11/05/22 10:44:43.68
軍事貴族や在地豪族が私的に俘囚をその兵力に加えて行った。
また、軍事貴族自体がある意味私的なものでもある。

253:日本@名無史さん
11/05/22 10:48:52.85
元々貴族の弓馬の技術はなかなかのもの。
柔和なイメージのある菅公ですら弓の腕前は百発百中だ。

254:日本@名無史さん
11/05/22 11:19:19.66
>>253
騎射は違う

一部の貴族が嗜んだのは歩射の方だよ
騎射は実戦と狩猟から学ぶものだから

255:日本@名無史さん
11/05/22 12:54:01.09
>>254
勘違いは君の方だと思うぞ。
近藤氏の著作を読みなさい。

256:日本@名無史さん
11/05/22 13:06:57.98
鎌倉で発掘された頭蓋骨は長頭の特徴があるという。
長頭は後頭部の発達により動体視力及び空間把握能力に優れていると一般的に
言われている。
因みに野球の優秀なバッターは長頭種族が多い。


257:日本@名無史さん
11/05/22 14:25:59.28
>>255
脳筋の本を読んでもあんまり・・・

258:日本@名無史さん
11/05/22 14:34:47.03
 義経にしても『平治物語』(下巻)によれば、騎射を行うのは鞍馬を出てからである。
つまり義経は下総を根拠とする坂東武者である陵助重頼を語らってその手引きで鞍馬を出る。
その重頼を誘う義経の言葉の中に「物射て遊ばん」というのがあるが、義経は鞍馬を出て近江の鏡宿で自分で元服した後、
重頼に弓箭と馬を用意させ、東国への道すがら、重頼に「馳挽、物射」(つまりは騎射、歩射)を習いながら下ったという。
その後、義経は下総で一年ほど過ごすが、そこで狩猟をしていたことが記されている。
いずれにしろ義経が騎射術を習得したのは、鞍馬を出てからと考えるのが妥当であろう。
とすれば『平治物語』にみえるように、奥州に向かう途中(諸国流浪中)や、また、名馬の産地である奥州に行ってからであろう。
義経の身体能力をもってすれば、騎射術の修得も早かったのではなかろうか。
 それにしても、戦術的能力の向上には実戦経験が重要である。
自力救済(公権力に頼らず当事者相互で紛争を解決すること)の私戦を繰り返している東国武者とは違い、
義仲追討戦以前の義経に実戦経験があったかどうか疑問である。
あったとしても、鞍馬にいた時の辻冠者原との戦闘ぐらいであろうし、奥州では戦闘はなかったと考えられる。
そうした実戦経験という面では、義経が鞍馬から直接奥州へ赴かずに、諸国を流浪し、しかもその間、恵まれた生活はしておらず、
山賊や野盗まがいのことをしていたと考える方が、戦士能力の育成をという面では、筆者には説得力がある。
 しかしその一方で、義経の戦士能力は、戦術的能力よりも戦略的能力にあることを第三章で指摘した。
その点では、戦術的能力が劣っているのは、実戦経験が少なかったからであるとも考えられる。
 結局は類推の積み重ねで何とも言えないのだが、鞍馬を出てから義仲追討戦に向かうまでの義経の実戦経験の有無については気になるところである。

近藤好和『源義経』ミネルヴァ書房(2005年)

259:日本@名無史さん
11/05/22 14:36:42.62
『御堂関白記』(長和元年十二月四日)
「斎王定まりて後、弓場始、其の儀常の如し。能射なる者、候せず。的を射る者無し。
依りて的を打たしむと云々。
射手の数少なく、三番奉仕す。猿楽の如し。」

弓場始(歩射)
能射の者が伺候していないので的を射るものがいない。
それで的を打たせた。
弓で矢を的に射当てる事が出来ないので仕方なしに手で投げるようにして矢を的に打ち当てたの意。

260:日本@名無史さん
11/05/22 16:14:48.89
フランス・ジャパンエキスポ(2011)にて、韓国の偽剣道:Haidong Gumdo(ハイドン・グムド)
が公開されます。 彼らはこれを、「古代高句麗王朝に起源を発する韓国の伝統的な刀剣武術で、
しかも日本の剣道の起源だ」 と主張していますが、全くのでたらめです。
Haidong Gumdoは日本の剣道をコピー・改変しただけのものです。

この偽剣道を中止するよう、みんなで抗議の声をあげましょう!

ジャパンエキスポにおけるHaidong Gumdoの紹介ページ
URLリンク(www.japan-expo.com)

ここに抗議のメールを送ってください! (ジャパンエキスポの公式HP)
URLリンク(www.japan-expo.com)

在日フランス大使館にも抗議しましょう
URLリンク(www.ambafrance-jp.org)

「ジャパン・エキスポ2011での偽サムライと偽剣道: ある文化略奪について 」
URLリンク(www.youtube.com)

(この偽剣道について抗議している動画です↑素晴らしい動画なので一度ご覧になって下さい)



261:日本@名無史さん
11/05/22 16:25:21.02
>鎌倉で発掘された頭蓋骨は長頭の特徴があるという

さもありなん。
前から思ってたけど、「幕府」って日本では
征夷大将軍の前線司令部、「本陣」のことなんだろ?

室町幕府はまあ京都に名目的に「朝廷とは違う最高権力」として
司令部をおいてにらみをきかせたと思う。

けど鎌倉幕府はなぜあの場所で「本陣」なんだろう。

ひょっとして鎌倉以東を一種の「仮想敵」とみなし、
大義名分上の征「夷」前線基地として幕府を開いたわけか?

意味とりにくくてスマソ。

262:日本@名無史さん
11/05/22 16:37:10.77
> 長頭

みずからを「東夷」と称するわけだ

263:日本@名無史さん
11/05/22 17:00:14.19
鎌倉武士ってイチローみたいな奴らだったのだろう。

264:日本@名無史さん
11/05/22 17:10:17.64
外野手は空間把握能力は必須。
さらに位置予測能力も必要。
昔の戦闘機乗りが言ってた「予測射撃」は騎射と通じるものがある。

265:日本@名無史さん
11/05/22 19:18:42.60
必死で逃げる獣を馬の上から弓矢で射殺すとか
むかしは世界中でやってたけど
よく考えたらとんでもなく難しい事だと思う。

266:日本@名無史さん
11/05/22 20:28:56.00
そんなこと言ったら
昔の人にいくら教えても現代日本の狭い駐車場で車庫入れなんてできねえってwww
能力が使われる対象が変わっただけで、空間把握力自体は変わってないよ

267:日本@名無史さん
11/05/22 21:30:32.47
だから車庫入れ出来ない人は短頭人種だってば。

268:日本@名無史さん
11/05/22 21:34:29.62
お前ら日本人は単一民族じゃねーて事ぐらい理解しとけよ。

269:日本@名無史さん
11/05/22 21:35:39.12
あんまり関係ないんじゃね?
戦前の陸海軍のパイロットは長頭種の米軍パイロットを全然問題にしてなかったでしょ

270:日本@名無史さん
11/05/22 21:37:23.76
お前は自分の嫁が同一民族とでも思っているのか?

271:日本@名無史さん
11/05/22 21:39:43.43
>>269
だから生き残った帝国軍人パイロットを統計調査しろよ。

272:日本@名無史さん
11/05/22 21:41:32.96
>>267 >>256
こういう酷い電波を信じる人はいないよなw
電波と言われたくないなら、長頭・短頭とIQスコアの相関のソースでも出してみ

273:日本@名無史さん
11/05/22 21:57:38.86
>>272
なんじゃそれ?「IQスコア」とは?
先ずお前が脳神経科を受診しな。

274:日本@名無史さん
11/05/22 22:02:43.88
陸海帝国パイロットは厳しい訓練選別があったから短頭種がパイロットになることは稀だったよ。

275:日本@名無史さん
11/05/22 22:35:22.06
>>273
IQすら知らずに『空間把握能力』とか書いてたのかww

どのIQテストにも必ず空間把握力の測定に当たる項目があるから。
最も使われてるウェスクラー式知能検査なら『絵画完成』『積木』『組合せ』だ。
言うまでもなくIQ測定の試みは、当初アメリカの軍隊で徴兵検査や軍人の適性を測るために発展・普及したものだ。
自衛隊でももちろん入隊時に行う。
空間把握力を最も客観的に測定してくれる基準は動作性IQだからね。

君の言うように空間把握力と頭の形に相関があると『一般的に言われている』なら、
当然データ化されてるだろ。
それを出してみなって。

276:日本@名無史さん
11/05/22 22:46:29.08
>>275
お前は短頭種?

277:日本@名無史さん
11/05/22 22:51:41.50
短頭種って理屈っぽいんだよな。

278:日本@名無史さん
11/05/22 22:59:11.41
短頭種は特攻要員。
長頭種は本土防衛パイロット。

279:日本@名無史さん
11/05/23 12:49:41.45
URLリンク(hosted.met-art.com)

280:日本@名無史さん
11/05/24 05:51:11.46
平成日本だっていまだに
東日本と西南日本が中頭~長頭型だ。
この一帯が古来、武士団を生み出している。
今でも自衛官や警官は多い。

281:日本@名無史さん
11/05/25 00:45:20.02
>>258
近藤好和『源義経』読んだ。
>>214
水澤龍樹『日本のまつろわぬ民』も読んだ。

両者とも、同じ平安末期の武士について論考しているが、「日本のまつろわぬ民」
の指摘の方が的確であったと思う。特に、クグツと騎射と源氏武士団の関係、後白河
法皇と鞍馬の天狗と源義経の関係など、おもしろかった。

282:日本@名無史さん
11/05/25 01:00:14.13
武士の起源は鎌倉幕府でしょ。
こんなもん小学生でも知ってる。



283:日本@名無史さん
11/05/25 03:06:58.63
私は、四日町小学校の、麻子です。武士のことについて、質問します。
教科書には、豪族(ごうぞく)が、武士になったと、書いてあったんですが、
そちらのホームページには、農民が、武士になったと、書いてありました。どちらが、本当ですか?教えてください。

ゲンボー先生

麻子さん メールをありがとう.

同じです.武士は基本的には農民なのです.農民にも大きい小さいがありますから,
大きな領地を持つ農民である豪族(ごうぞく)が小さな農民をしたがえていきました.
そうして,各地に武士団ができましたが,その武士団をさらにまとめた大武士団の棟梁(とうりょう=ホームページを見てください)が
源氏や平氏などの皇族や貴族の血筋(ちすじ)を持つ人達なのです.この質問は下につづきます.

こんにちは。四日町小学校の麻子です。

この前は、武士のおこりについて教えていただきまして、ありがとうございました。
今日も、質問があるのですが、貴族と豪族(ごうぞく)と武士の違いは何ですか。
みんな力のあった人のようで、時代が違うので呼び方が違うのかと思っていたのですが、調べてみると同じ時代にも登場してくるのです。
なんとなく違うふうなんですが、よくわかりません。教えて下さい。

ゲンボー先生

そうですね.みんなそのことで混乱しています.

豪族(ごうぞく)は農民だったり漁師だったり,牧場主であったり様々です.力のある地方の支配者のことです.この人達は武士でもありました.
貴族や皇族は都に住む有力者で農民ではありません.律令によって守られ広い領地を持って豊かな生活をしていました.しかし時代と共に子孫が増えて地方役人となって出て行く人もありました.
力はあるが貴族よりは身分の低い豪族(ごうぞく)達は,こうした人達を利用して豪族(ごうぞく)同士が結びついて武士団を作るときの,ボスになってもらいました.
この人を棟梁(とうりょう)といいます.これが源氏や平氏です.ですから皇族や貴族から武士になったものもいたのです.この人達は豪族(ごうぞく)とは呼ばれません.

284:日本@名無史さん
11/05/25 04:58:48.00
このセンセ、50年前で時間が止まってんのかよw
「農民から武士へ」とか、「不輸不入の荘園が増えて税収が減り云々」とか…
ガキ相手に時間潰してないで、寧ろ堂々と今の学界で発表してもらいたいわw




ってうちのすぐ隣町の大学教授かいw!



285:日本@名無史さん
11/05/25 06:00:27.36
武士の本質は封建領主。かれらが律令農民を農奴化しながら在地領主制を発展
させて古代国家を掘り崩していったのです。そして、鎌倉幕府に結集して
中世封建国家を打ち立てました。

286:日本@名無史さん
11/05/25 11:04:25.15
職能的ブス機嫌論

287:日本@名無史さん
11/05/25 22:12:25.33
武士の本質は奴隷軍人。かれらが律令農民を農奴化しながら在地領主制を発展
させて古代国家を掘り崩していったのです。そして、鎌倉幕府に結集して
中世封建国家を打ち立てました。


288:日本@名無史さん
11/05/25 22:33:49.69
>>285,>>283
んな単純な話じゃないよ。
少なくとも東国の騎馬武者の台頭は、環オフォーツク文化圏の問題として見る
必要がある。
当時の北東アジアの動乱が、武士の成立に関与している。
                         by「日本のまつろわぬ民(新人物往来社刊)」

289:日本@名無史さん
11/05/25 23:50:31.26
弓射儀礼(歩射)の成績(『中右記』、『吾妻鏡』)
          回数 命中 命中率 射手数
1096年(京都) 140  11  7.9(%)  14  最高成績:源明国(多田源氏) 40%
1260年(鎌倉) 240  181 75.4(%)  12

290:日本@名無史さん
11/05/26 03:52:19.09
武士の起源を論ずるにあたって、壬申の乱で高市皇子に従い武功を上げた彼等こそ重要である。
民大火、赤染徳足、大蔵広隅、坂上国麻呂、古市黒麻呂、竹田大徳と、胆香瓦臣安倍。
彼等に共通することは東漢氏などの渡来系軍事氏族出身であることだ。
壬申の乱の武功で破格の高位を得て、その系統からは軍事官僚を輩出した。
後の軍事貴族となる大蔵氏には注目にされてよかろう。

291:日本@名無史さん
11/05/26 04:04:43.40
なんか
駐日米軍に守られた某政府みたいだね。

292:日本@名無史さん
11/05/26 04:09:52.94
連投スマソ

米軍がこのまま日本に土着したら300年後にはNEO武士になるのかな?

293:日本@名無史さん
11/05/26 04:14:51.31
映画「地獄の黙示録」ではカーツ大佐は一代も掛けずに土着(?)してるね。

294:日本@名無史さん
11/05/26 10:09:42.58
>>292
では悪いことしたらハラキリ・切腹してもらうわ。

295:日本@名無史さん
11/05/26 11:15:22.52
>>290
> 渡来系

藤原利仁の母系氏族は秦氏だしな。
藤原秀郷にまつわる伝承では、秀郷が建立したとされる神社は何故か稲荷社(秦氏系)ばかりだし、
清和源氏に関しては摂津、河内など渡来系のメッカを本拠地にしている。
平氏では将門の母系の県犬養氏もそれっぽいよな。

296:日本@名無史さん
11/05/26 11:22:16.38
奥州安倍氏の遠祖が壬申の乱勲功者だとしたら大発見だ!

297:日本@名無史さん
11/05/26 12:09:37.65
武士の生みの親は高市皇子である。

298:日本@名無史さん
11/05/26 13:34:13.47
じゃあ係累の清原真人氏は筋目正しいもののふの家なんだな

299:日本@名無史さん
11/05/26 16:35:35.18
高市皇子の母系を見てみ。
胸形(宗像)氏=宗像大社 因みに壬申の乱で大きな軍事的役割を果たした尾張氏=熱田神宮は
同族である(海人氏)
さらに後の世の源氏の尊崇を集めた八幡宮の総本社宇佐八幡宮は宗像大社の流れを汲む。

300:日本@名無史さん
11/05/26 16:49:58.61
関係無いと言われるかもしれないが
壬申の乱とは白村江で敗戦し東アジアに於けるパワーバランスの中で
孤立した天智(近江)朝に対する海人族の軍事クーデターである。

301:日本@名無史さん
11/05/26 17:01:40.47
墾田永年私財法で私有地を手に入れた有力農民が土地を護るために武装し、
もっと有力な者の保護を求めて武士団が形成される。その武士団の
頂点に立ったのが、都で出世できずに国司として赴任して土着した貴族だ。
これが真実。

302:日本@名無史さん
11/05/26 17:51:06.16
>>301
50年前の文部省推奨

303:日本@名無史さん
11/05/26 18:49:48.42
>>300


304:日本@名無史さん
11/05/26 19:17:11.95
やってしまった・・

>>300
継体~斎明までと、天武~称徳までが同系天皇で久米氏系。
この間、あいだの天智天皇だけが別系(大和系)天皇で、白村江敗戦後(668年)に大津で天皇位に即位し、
戦勝国盟主である唐に対して、唐に逆らった賊(=斎明までの久米氏系天皇政権)を倒したので自らの政権を認めてほしい旨交渉してそれが承認され、領土の割譲を免れることに成功する。
しかし、前政権側の天智に対する反発心はすさまじく、天智没後、大海人を担いだ前政権側の久米氏勢力が再び政権を奪回する。


305:日本@名無史さん
11/05/26 22:10:26.64
久米氏は現在のどのあたりを支配してたんでしょうか?

306:日本@名無史さん
11/05/26 22:18:38.26
久米宏は武蔵七党児玉党族久米氏の末裔

307:日本@名無史さん
11/05/26 23:58:59.38
>>305
久米(来目)は北九州が元来の本拠地だよ。熊襲と境を接していた。

308:日本@名無史さん
11/05/27 00:01:34.02
>>307
岡山の久米郡は関係ないのでしょうか?

309:日本@名無史さん
11/05/27 03:29:48.52
裏朝廷は海人族が支配している。

310:日本@名無史さん
11/05/27 03:51:01.00
>>307
筑後川流域と推定されてる。


311:日本@名無史さん
11/05/27 13:12:13.17
>>308
久米は播摩(鴨氏)と強く繋がっていた。岡山には播摩の属領的な地域もあったので、岡山(美作)の久米郡はその関係かもね。
他にも伊予、伯耆などの久米郡も当然久米氏と関係あると思われる。
特に伊予は元はやはり播摩の勢力が大三島経由で進出したものであり(大山祇神社祭神である大山積神は元々播摩鴨氏の主祭神。鴨氏の移動とともに播摩→大三島→伊豆などに移動)、それと連動する形で久米氏勢力もかなり伊予方面に進出していたものと考えられる。

>>310
そうだね。いまの久留米がその本拠じゃないかな。


312:日本@名無史さん
11/05/28 08:03:43.12
URLリンク(sky7anime.net)

313:日本@名無史さん
11/05/28 08:15:10.93
海人族そのものの戦闘能力が高かった訳ではなく
交易を通じて取り込んだ渡来系軍事氏族や財力がその力の源泉だったんじゃないの

314:日本@名無史さん
11/05/28 08:19:28.04
そうすると武士の起源は継体朝あたりまで遡れそうだね。

315:日本@名無史さん
11/05/28 08:43:46.64
>>311
ありがとうございます。
岡山が属領的地域だったとは知りませんでした。
度々すみませんが、鴨氏や久米氏と清和源氏は関係ありますか?


316:日本@名無史さん
11/05/28 08:58:59.77
確か近藤氏の本で8世紀の鴨社例大祭での騎射奉納について触れていたな。

317:日本@名無史さん
11/05/28 09:48:12.59
久米氏と同族の大伴氏、その支族の中臣氏の故地は九州北部だよ。
天孫族の東征の先導をして大和に進出したと言われてる。

318:日本@名無史さん
11/05/28 11:09:19.20
>>317
大伴氏も中臣氏も久米氏も瓊瓊杵尊に従って天下りしたことになってる。
つまり本拠は日向だ。

319:日本@名無史さん
11/05/28 11:34:42.77
蝦夷や俘囚兵強すぎ、まさに蝦夷無双

320:日本@名無史さん
11/05/28 11:39:55.34
本拠は現在の大分県直入郡という研究もある。

321:日本@名無史さん
11/05/28 11:47:29.77
今ここでの論題に沿ってくれ頼むから。

322:日本@名無史さん
11/05/28 13:15:38.75
>>315
吉備の一部ね。
渡来人の入植地だった吉備や丹波の勢力に、日本土着系の播摩の方が元々は侵食されかかっていたの。岡山のは「羅」とか「温羅」とか言われている奴ら。播摩勢力はこれら「温羅」や丹波や北陸の「越」のような渡来人勢力を「鬼」と呼んでいた。
そこで南方から来た製鉄技術をもった集団(隼人の一部)を受け入れて製鉄技術を習得し、また播摩の山間部からは砂鉄地が発見され自前で鉄を調達できるようになったこともあり、強大化した播摩は岡山の渡来人勢力を駆逐するようになっていく。
更に後の仲哀帝(大和系)やその妃の神功皇后(久米系)の時代に三韓征伐に与力して九州に赴く途中、播摩鴨は与力した報償として仲哀帝に、憎き敵の地である吉備の一部を望み、それが叶えられた。
桃太郎はそれらが合わさって伝説化したお話。

323:日本@名無史さん
11/05/28 20:25:06.89
>>315
> 鴨氏や久米氏と清和源氏は関係ありますか?

う~ん、清和源氏は確かに八幡菩薩を奉じているけど、むしろ秦氏他渡来人系伴造集団との関係の方が深いような。
まあ清和にしろ、陽成にしろ光仁以降の大和系子孫と考えれば、
大和と播摩鴨と久米は密接に(もう殆んど糾える縄の如くに)姻戚関係などで絡まってきているので、「関係ある」と言えるのだろうが、どうもそれだとこじつけの域を出ない感じかな。
むしろ、伊勢平氏の方が(旧)播摩勢力の血が入り込んでいる。

324:日本@名無史さん
11/05/28 20:25:39.37
最初から本当に鬼と呼んでたのですか?

325:日本@名無史さん
11/05/28 21:14:19.48
渡来系勢力の一部から虐待を受けてたからね。

326:日本@名無史さん
11/05/29 03:57:07.89
久米=熊襲?

327:日本@名無史さん
11/05/29 04:53:15.17
武士って平安中期に成立したんじゃないの?

328:日本@名無史さん
11/05/29 05:06:11.77
1万年前の縄文時代から続く狩猟の風習が起源でいい。

329:日本@名無史さん
11/05/29 05:50:06.00
ブスの起原なら半島だね

330:日本@名無史さん
11/05/29 07:23:55.30
>>329
つ鏡

331:日本@名無史さん
11/05/29 08:06:03.59
>>327
武士に限らず「家」は王朝期に成立。
院政期に「家業」が固定化された。
今、ここでの議論は武士の起源だよ。


332:日本@名無史さん
11/05/29 08:22:27.30
墾田農民の武装、在地領主性、これが武士発生を理解する
キーワード。職能起源説、等々は枝葉末節。
古代奴隷制から中世封建制への移行がどのように進行したかを
階級闘争の視点から考察しなければ社会科学としての歴史学にはならない。

333:日本@名無史さん
11/05/29 08:54:18.60
武装しても戦闘技術(騎射など)が無ければ武士へは繋がらない。
だから、その技術はどこから伝播しどのような人々が担っていたかを究明しなければ
武士論はなんら意味を持たない。

334:日本@名無史さん
11/05/29 09:04:00.36
世界史的に見ても農民から封建領主への階層移行はない。
ドイツのユンカーは貴族や宮廷官僚の庶流の末裔。


335:日本@名無史さん
11/05/29 09:22:25.02
「狩猟民」だけをクローズアップしても
「縄文人系狩猟民」「渡来人系狩猟民」「蝦夷狩猟民」「逃散農民型狩猟民」
さらに「生活生産の為の狩猟」「儀式祭祀の為の狩猟」を分類検証しなければならない。

336:日本@名無史さん
11/05/29 09:31:58.06
日本社会が奴隷制→封建制→資本主義へと法則的に発展して来た中で
武士階級はどの歴史的段階でどのような歴史的役割を果たしたかを
解明するのが科学的歴史学の任務。騎射戦術の起源がどうのこうのは
軍事オタに任せとけ。

337:日本@名無史さん
11/05/29 09:43:55.28
高い戦闘技術を保持し「穢れ」の思想が薄いのは
「渡来人系狩猟民」と「蝦夷狩猟民」だね。

338:日本@名無史さん
11/05/29 10:41:00.87
基地害の連投自演はもうウンザリなんですわ

339:日本@名無史さん
11/05/29 11:16:33.48
渡来人系狩猟民w

造語乙

340:日本@名無史さん
11/05/29 12:31:16.26
やけに渡来人を押したい人が一人居るよね

341:日本@名無史さん
11/05/29 13:40:55.39
>>326
隼人、熊襲が元々同族。
そのうち隼人には南方から製鉄技術を有した集団が渡来してきて隼人族の首長となっていく。つまり、隼人自体が複数の部族から成る製鉄技能集団となり、熊襲とは分化していく。
また、隼人は交易集団でもある。鉄も自領からは産出しないので輸入で手に入れる他なかった。
久米は元々真珠貝の採取に優れており、その真珠で隼人の鉄製品と交易していた。
真珠は大陸で珍重されたので、隼人は鉄の原料を得るために久米と積極的に取り引きを行うようになり、それで久米も栄えて行くこととなる。
熊襲はこの三者の中でちょっと置き去りにされた感じ。
尚、日本神話の海幸彦は隼人のこと。隼人は鉄製品を近隣部族(特に熊襲に)に貸し与えることで利益を得ていた。神話において山幸彦に貸し与えた(交換した)「鉄の釣り針」の話はまさにそのことを表している。

342:日本@名無史さん
11/05/29 17:00:48.09
古墳時代の豪族と武士って似てないかい
両方武装した領主だし

343:日本@名無史さん
11/05/29 18:16:05.70
>>341
>南方から製鉄技術
どこからの製鉄技術なの?


344:日本@名無史さん
11/05/29 18:52:42.40
>>339
クグツの生活様式の一端だろ

345:日本@名無史さん
11/05/29 18:53:32.53
基地の自演はもうウンザリ

346:日本@名無史さん
11/05/29 20:06:35.34
>>342
信濃、上野など東国古墳の副葬品に馬具や武具の遺物が多いことから
武士の淵源を名も無き古代地方豪族に求める向きが古代史、考古学にはある

347:日本@名無史さん
11/05/29 20:23:49.08
>>345
もう帰れよ。
それより南方系の製鉄を示せよ。

348:日本@名無史さん
11/05/29 20:27:21.06
>>345
ウンザリで済ますバカはお前だろ?

349:日本@名無史さん
11/05/29 20:30:28.51
>>348
そのとおり。

350:日本@名無史さん
11/05/29 20:34:26.67
江南台湾工作員はここにも居るのか。

351:日本@名無史さん
11/05/29 20:42:53.50
南方系製鉄技術は一体どこから?

352:日本@名無史さん
11/05/29 20:46:31.44
武士の起源と少しずれるるが……
小浜基次が昭和二十年代に調査した、各地の頭長指数が気になってる。
日本人二重構造モデルのヒントになった論文。

近畿と西日本が短頭で、東日本と西南日本が中頭。
アイヌが長頭なんだ。
そしてその短頭の地域で、人権問題が深刻になってる

これは決して偶然ではないと思う。

353:日本@名無史さん
11/05/29 20:51:59.68
短頭は現朝鮮民族だろ

354:日本@名無史さん
11/05/29 20:54:25.71
南方系製鉄技術とは?

355:日本@名無史さん
11/05/29 21:04:43.35
なにこの堂々とした自演はw

356:日本@名無史さん
11/05/29 21:13:50.99
なんか三流アマチュアの民俗学趣味の電波が酷すぎる

357:日本@名無史さん
11/05/29 21:15:09.34
>>355
南方系の製鉄のソースを示せよ。

358:日本@名無史さん
11/05/29 21:17:43.01
>>356
アマチュアと思うならそのレスと論拠を示せよ。

359:日本@名無史さん
11/05/29 22:40:24.61
言い訳メイビー

360:日本@名無史さん
11/05/29 22:50:56.09
堂々と自演しといてアマチュアの論拠示せとか自演指摘されてソース示せってこいつマジ基地だな

361:日本@名無史さん
11/05/29 22:54:59.54
>>360
基地で結構。
ソース示せよな。

362:日本@名無史さん
11/05/29 22:59:08.69
南方の製鉄(笑)

363:日本@名無史さん
11/05/30 00:07:15.63
基地でけっこう(キリッ

364:日本@名無史さん
11/05/30 00:19:50.03
たぶん2ちゃんで電波系民俗学趣味のスレッド建てて自分で書き込むのがこいつのささやかなライフワークなんだよw
リア基地はほっとけって


365:日本@名無史さん
11/05/30 00:36:09.15
そういえば人権問題(最早過去の遺物)って西日本の歴史ある町ばっかり。

366:日本@名無史さん
11/05/30 00:55:29.65
電波が一人で延々と自演するスレ

367:日本@名無史さん
11/05/30 01:28:28.67
>>365
リア基地害自演乙~

368:日本@名無史さん
11/05/30 01:40:15.59
>>343
確証は持てないが呉とか越とか楚とかそのあたりではないだろうか。
彼らが南九州に渡来し土着民と融合して製鉄の民、交易の民隼人となっていく。
ただし>>341で言ったように隼人の地は鉄を産しないので交易でそれを賄う一方、彼らは国内(列島内)にも産鉄地を求めて各地に調査隊を派遣する。
日本神話における大和東征神話も実体はその調査隊のようなもので人数も極少数(30人前後くらい)のものだった。
彼らは海路河内に上陸し、そこから大和に入ろうとしたところで大和の土着勢力の攻撃に会いリーダーの兄(イツセ)が命を落としてしまう。
>>322で言った播摩が受け入れた隼人とは実はこの時大和に討たれて引き返してきた一行のこと。
リーダーの名前はウル。
ウルの一行はこの播摩の地で製鉄技能をさずけ、一生を終えることになる。
この隼人を迎え入れた播摩、そして久米などが密接に結び合わさって、のちの本当の意味での「大和東征」が行われることとなる。
ざっくり言うと彼ら(の後裔)がのちのヤマト王権を構成する母体となって行く。


369:日本@名無史さん
11/05/30 01:42:10.61
リア基地外まだ自演してるよ(笑

370:日本@名無史さん
11/05/30 05:46:14.69
人権問題じゃなくて"同和問題"と書け。歴史板でくだらん婉曲表現使うな。

371:日本@名無史さん
11/05/30 08:04:02.40
まちBBSではレス即刻消された。
中学に同和地区あったけど自分の代は同級生も保護者も特に問題なかった。
最近のモンスターペアレンツの方がよっぽど凄まじい。
噂ではあの場所が日本で最も古い部落らしい。

372:日本@名無史さん
11/05/30 09:14:25.02
モンスターは童話と在日ばかりだよ。

373:日本@名無史さん
11/05/30 09:33:47.13
それは偏見。
自分の知ってる限りではね。
あなたは同和と呼ばれる地域の子と机を並べて勉強しましたか?
一緒に修学旅行に行きましたか?

374:日本@名無史さん
11/05/30 20:59:34.48
俺の予想通りに古代妄想自演連投のマジ基地による同和問題ネタになったな
こいつ何年間も2ちゃん人権板とか日本板で部落とか在日朝鮮人とか菊池山哉とかのネタで馬鹿みたいにガンバってるリアル基地外だからなw
こいつはたぶん学と金と社会性が無くてリアルに貧窮してる社会不適合者だよ
ほっといて晒し者にするしかないが誰も見てないから己の愚行に気づく機会も無い哀れな廃人


375:日本@名無史さん
11/05/30 22:39:03.86
同和かあ。
俺んとこは学校や子供の家に怒鳴りこんでいったりするのは決まって同和の親やったな。
俺が同和の子と喧嘩した後に俺の家まで親が何回か来た。
まあ、モンスターかどうかは知らんがなあ。

376:日本@名無史さん
11/05/30 22:44:20.30
>>375
おまえ身元や名前は割れてるからとことん追い込んでやるけどいいな?

377:日本@名無史さん
11/05/30 23:47:14.10
自演で喧嘩とかありきたりだけど自演するやつの精神構造がしりたくなった

378:日本@名無史さん
11/05/30 23:56:16.49
太田亮と菊池山哉が好きなんですね?

379:日本@名無史さん
11/05/31 00:01:05.09
>>376
おまえアホやな。
375で書いたのはこのスレでの2回目の俺の書き込みやで。

380:日本@名無史さん
11/05/31 02:00:33.18
2ちゃんで口語体関西弁
自演マジ基地の典型的パターンだなw

381:日本@名無史さん
11/05/31 02:04:47.92
2ちゃんで関西弁=関東人だろ

382:日本@名無史さん
11/05/31 10:28:11.57
武士=貴族の随身、従者、用心棒



383:日本@名無史さん
11/06/02 01:35:41.28
URLリンク(www.peepsamurai.com)

384:日本@名無史さん
11/06/02 05:17:26.67
武士=武装開拓農民

385:日本@名無史さん
11/06/02 06:24:45.42
上(中央)からは軍事貴族(4~5位の諸大夫、6の侍品)が受領、押領使、追捕使などとして下向、
下(地方)では多くは国造などに系譜を持つ郡司・富豪層が健児制のもと世襲軍人化。
王朝期に国衙への大幅な権限移譲がなされ、その両者が結びついたもの(国衙軍制)それが武士。

386:日本@名無史さん
11/06/02 11:37:18.90
>>384   0点
>>385  65点


387:日本@名無史さん
11/06/02 13:42:56.56
武士=俘囚、放免が系譜である穢れ仕事をさせられていた肉弾奴隷


388:日本@名無史さん
11/06/02 14:16:21.54
>>382  33点
>>387  25点

389:日本@名無史さん
11/06/02 18:44:13.32
訂正
>>387  -25点

390:日本@名無史さん
11/06/02 19:13:23.78
武士=開発領主

391:日本@名無史さん
11/06/02 19:21:04.87
あと30年もたてば軍事貴族説も国衙論も
「昔の人はこんな珍説信じてたんだ、プッ」って扱いに変わるだろうな

392:日本@名無史さん
11/06/02 20:22:35.89
>>391
軍事貴族説と国衛論ってなんだ?


393:日本@名無史さん
11/06/02 20:29:25.33
>>392
ggrks

394:日本@名無史さん
11/06/02 20:37:38.37
国衙軍制論は今時点でもすでに「そんなにシステマチックに機能してたか疑わしい」と唱える学者もいる。

職能論(軍事貴族)は、
王朝国家期以降の朝廷において軍事動員が必要な事態になった時、
その責任者に任命された者たちの顔ぶれ(満仲、千晴、春実、直方、頼信、頼義、頼俊、義家、義綱、正盛、忠盛、清盛、義仲、頼朝、義経、秀康、etc)が全て承平・天慶勲功者(=軍事貴族)子孫であることからも、
細部はともかくその根幹が大きく書き換えられることはもう無いんじゃないかと思う。



395:日本@名無史さん
11/06/03 00:01:30.54
軍事貴族(笑)とは言われてそう

396:日本@名無史さん
11/06/03 00:06:24.46
???

397:日本@名無史さん
11/06/03 02:57:58.12
武士=西洋でいうところの騎士

398:日本@名無史さん
11/06/03 02:59:31.47
中世の人間はみな武装していた。

399:日本@名無史さん
11/06/03 08:36:49.53
>>397
武士団棟梁が武士であり王臣末裔ということ
騎乗身分の領主ということ

400:日本@名無史さん
11/06/03 11:18:43.65
武士=今でいうところの暴力団が警察権を持った状態

401:日本@名無史さん
11/06/03 14:21:58.25
武士=インフレ状態になった支配層



402:日本@名無史さん
11/06/03 18:41:21.43
藤原利仁って何した人。芋粥しか知らないが、いちおう鎮守府将軍だったんだね。

403:日本@名無史さん
11/06/03 20:45:25.76
北陸の王者富樫介の祖だよ

404:日本@名無史さん
11/06/03 23:04:03.25
>>402
藤原北家魚名流。
祖父は越前守高房、父は民部卿時長、母は越前国の豪族・秦豊国女、妻は越前敦賀の豪族・有仁女。

関白藤原基経に仕え、
延喜11(911)年上野介、
同15(915)年鎮守府将軍、
同16(916)年上総介に任じたとされる。

しかし、これらの経歴は全て尊卑分脈など後世の史料の記載によるもので、確実な史料からは確認出来ない。
唯一、「侍中群要」に藤原「利平」が延喜14(914)年に鎮守府将軍に任じられた記事が見え、この「利平」が「利仁」の誤記なのであろうとこれまでは考えられてきた。
しかし、藤原北家内麻呂流に藤原利平は実在しており、時代的にも符合することから、今日では利仁の鎮守府将軍補任は疑問視されるようになりつつある。


405:つづき
11/06/03 23:27:32.76
何よりも、平高望らとともに延喜期の東国に赴き、当時同地で蜂起していた群党の鎮圧に功を立てたとされるわりには、
坂東の地に利仁の子孫が勢力を築いた痕跡は認められず、
従って次の時代に起こった承平天慶の乱(将門の乱)においても、
あれほど坂東の地を騒がした大争乱であるにも関わらず、
将門側、貞盛・秀郷側いずれの側にも、その与党として利仁流の人物の名が一人も上がってこないのが不可解。
この点、高望流とは大違いである。


406:日本@名無史さん
11/06/04 00:13:41.01
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