10/10/23 14:29:01
足軽って曖昧な表現だな
3:日本@名無史さん
10/10/23 14:55:02
>>1
> いわゆる下級武士=足軽層は、武士ではない。
>
> 中級武士=徒士層も本来の武士といえるか・・、怪しいようだ。
そうだよ
4:日本@名無史さん
10/10/24 10:20:04
よくわからんのだが、予備役みたいな感じ?
5:日本@名無史さん
10/10/24 11:46:04
武士のほとんどが半農だろ
6:日本@名無史さん
10/10/24 12:24:33
役職についてない武士は、みんな予備役みたいなもの。
近世の武士(幕府や藩に仕えている者)は、ごく一部の者が役人や兵士で、
大多数は予備役軍人や年金生活者みたいなもの。
あと、幕末になったら時代遅れの役立たず呼ばわりされた伝統的な軍事組織だが、
開国以前の治安兵力としては、城の警備とか一揆の鎮圧とか実用に役立ってる。
7:日本@名無史さん
10/10/24 13:29:02
>>5
家庭菜園レベルで無いなら、参考までに時代と地域をw
8:日本@名無史さん
10/10/24 15:50:48
>>5は、郷士がやたら多かった薩摩のイメージで語ってるんだろ
まあ、米沢とか長州みたいに、経済的理由で武士の農村土着を認めてたケースもあるが、
基本的にはそういうのは例外的なケースでは?
9:日本@名無史さん
10/10/24 16:49:02
>5は江戸時代以前の話をしているのだろう
10:日本@名無史さん
10/10/24 16:59:10
そもそも>>1の言ってる「武士」が戦国時代か江戸時代かで、
全然ちがってくるからな。
それでも、「足軽」は江戸時代でもまともな武士扱いはされてない。
逆に言うと、庶民との身分移動も比較的容易。
幕末には、一農民の林十蔵が長州藩足軽の伊藤家に夫婦養子で入ったり、
逆に富山藩の足軽の子の安田善次郎が江戸の商家に丁稚奉公している。
11:日本@名無史さん
10/10/24 17:00:01
9番の方、正解!
一段上がります。
12:日本@名無史さん
10/10/24 18:10:41
池田孫左衛門(相模国/元亀3)着到
馬上 20
鉄砲 ...3
弓 .5
鑓 22
旗持 ...2
指物 ...1
歩者 ...3
合計 56人
↑この中で侍身分は28人な。
宮城泰業(武蔵国/元亀3)着到
馬上 ...8
鉄砲 ...2
弓 .1
鑓 17
旗持 ...3
指物 ...1
歩者 ...4
合計 36人
↑この中で侍身分は11人な。
13:日本@名無史さん
10/10/24 18:40:02
そもそも「庶民」というのが上と下でこれまた全然ちがう。
上士と足軽の開きと同等か、下手すりゃそれ以上ある。
上層「庶民」は自分のことを決して庶民とは思ってない。
14:日本@名無史さん
10/10/24 19:59:22
米沢上杉家とか120万石が15万石になっても家臣の数が変わらなかったから、
家格の高い武士でも職人していた。そういう人に仕事頼むときは大工様とか庭師様とか呼ぶらしい。
農民武士は「原方衆」と言われたがれっきとした兼業武士。
15:日本@名無史さん
10/10/27 18:52:19
>>13
大店の主人や大庄屋クラスの地方の豪農でも、
足軽に土下座しなければならなかった。
16:日本@名無史さん
10/10/27 19:51:35
身分と貧富は別だった訳だな。
17:日本@名無史さん
10/10/27 20:45:45
いわゆる「徒士」は、世襲足軽のような気がする。
「徒士」は江戸時代初期からの世襲足軽で、江戸時代後期になると
「いわゆる足軽=遅れてきた世襲足軽」の上位にたった。
という仮説を立ててみたが、どうだろうか?。
18:日本@名無史さん
10/10/27 23:03:01
足軽といっても、幕府の諸組同心とか諸藩の世襲足軽と、
旗本とかが公用旅行の際に臨時に雇うアルバイトの足軽とでは、
全然ちがうような気がする。
高家が日光代参に行くときなんか、領地の村の農民に声をかけて、
旅行中限定の足軽として雇用してたそうだ。
領地の農民も、そのときは武士の真似事をして遊山ができるので、
喜んで応じていたとか。
19:日本@名無史さん
10/11/02 00:42:02
今川氏の話か?
20:日本@名無史さん
10/11/02 02:35:46
実際は農作業に支障を来たすし、自費負担が大きいこともあって、
割に合わないので嫌われていたのを半ば強制的に手伝わせたっぽいが。
21:日本@名無史さん
10/11/02 13:45:31
旅行中限定の足軽って小荷駄のことだろ。まさか鉄砲足軽とか長柄足軽とかじゃあるまい。
22:日本@名無史さん
10/11/02 15:34:59
>>12の歩者の役割って何?
荷物持ちの人足?
23:日本@名無史さん
10/11/02 18:45:37
旗本の場合、通常の家臣でも足軽と中間は明らかに別扱い。
上記みたいなケースで臨時雇いされる足軽は、名主クラスの上層農民だったようだ。
24:日本@名無史さん
10/11/02 23:20:33
名主クラスが領主である旗本家の家計管理のために家臣となるケースだと
身分としては近習級になるのかな
中小姓より上、用人より下
25:日本@名無史さん
10/11/03 21:41:24
>>24
そういうケースだと殿様の金主である名主さんが、江戸に上がって用人になり、
家計管理と家政立て直し(&貸した金の回収)をやってたようです。
旗本家の用人は、そういう領地の名主クラスの人がつとめる場合もあれば、
渡り用人として家計管理、家政立て直しのプロが雇われることもあったようです。
26:日本@名無史さん
10/11/09 22:13:45
「本来の武士」は1%もいないはず。あとの4%は世襲であっても武家奉公人。
27:日本@名無史さん
10/11/09 22:17:22
徒士階層こそが、おそらく本来の足軽階層。
江戸時代後期の「足軽」は、1代足軽の軽卒が徐々に世襲化して成立したのでは?
28:日本@名無史さん
10/11/09 22:53:59
足軽でも切り捨て御免OKみたいな布令ある。
てことは、所謂武士かどうか微妙と世間には認識されてたが、公的には武士ってことだろう。
29:日本@名無史さん
10/11/10 03:13:27
切捨て御免って、戦国時代の余燼がある初期の話じゃなかったの?公然と逆らう連中の鎮圧とかという状況下で。
30:日本@名無史さん
10/11/10 06:27:27
江戸時代初期だと、徒士も世襲されてなかったというし、
江戸時代後期でいう上級武士くらいしか世襲身分ではなかった。
世襲軍事階級≒武士、という社会通念がなんとなくあって、
世襲身分が拡大するに連れて、武士とみなされる人口が増えていった・・とか。
31:日本@名無史さん
10/11/10 06:52:23
切り捨て御免が正式に認められたのは
武士の権威が落ちた中期以降だよ。
32:日本@名無史さん
10/11/18 18:21:29
明治期、版籍奉還で財産を失った武士は、士族階級という身分を与えられることで
尊敬と俸給を得たらしいが、足軽以下は士族に配属されなかったw
卒という族籍を与えられたらしい。でもその後、士族と平民にそれぞれ編入された
33:日本@名無史さん
10/11/24 18:53:29
>>30
中級武士も初期からの世襲の方が多そうだが…
34:日本@名無史さん
10/11/24 19:33:23
まあ江戸時代は藩単位だけじゃなく家単位のお家断絶、取り潰しも多かったし、
新規召抱えもけっこうあった。盛岡藩の同心(足軽)は実際には上士のニ三男が多かった。
嫡子が病死したり病弱しなったりすると同心だったニ三男が家督を相続していきなり上士(盛岡藩では本番組)になったりした。
35:日本@名無史さん
10/11/24 20:09:11
現職の公務員。
足軽が武士か、という話のヒントになりそうなのが、現代の役所のアルバイト職員。
彼(女)らは終身雇用じゃないし、年金も共済じゃなく社保。民間人に近い。
でも雇用期間内は公務員だし、仕事の邪魔をすれば公務執行妨害が理論上は成立する。
実態はともかく制度的には世襲できない足軽も切捨御免の権限はある…というのを何やら彷彿とさせる。
36:日本@名無史さん
10/11/25 06:59:40
平成の大合併では改易になった役所役場も多かったしな。
37:日本@名無史さん
10/11/25 13:37:11
>>1 公務員も上級管理職だけが公務員で下級は公務員ではないということか。
38:日本@名無史さん
10/11/25 21:14:12
つまりプロ野球も一軍選手はプロ野球選手だが二軍選手はプロ野球選手でないとか。
39:日本@名無史さん
10/11/27 00:13:24
公務員の上級管理職も中級武士の側だろうから、
今はなき国王級の上級武士に対する公務員的な中下級武士ってことなのかな。
武士と聞いてイメージするのはむしろ中級武士な気もするがw
40:日本@名無史さん
10/11/27 13:47:19
上級武士はむしろ源実朝や今川義元みたいに実質武士と言うより公家みたいになるんじゃないだろうか。
41:日本@名無史さん
10/11/27 21:54:07
幕末、一番 サムライらしかったのも下級武士
上級武士は先祖の武功の上にあぐらをかき、恥知らずな連中が多かった
幕末の旗本連中なんか、その最たるもの
42:日本@名無史さん
10/11/27 22:11:13
旗本が役立たずだったから、百姓上がりの新撰組を士分に取り立てて京都守護に回したんだしな。
倒幕の薩長の主体も藩でクーデタを起こした下級武士主体だった。
戊辰戦争になるともう武士道など屁のツッパリにもならず、洋式兵器が情勢を決定するものだった。
43:日本@名無史さん
10/11/27 22:15:57
戦国大名なんか武士以外(農民・商人)の出自の者も珍しくない。
で、皮肉なことに世襲制を押し勧めたのが秀吉なんだよね。
自分と照らし合わせて下層階級こそ脅威な事を知ってたんだよ。
44:日本@名無史さん
10/11/27 22:19:05
>>洋式兵器が情勢を決定するものだった。
でも、これが無い内は逃げの一手だったんじゃないか?
45:日本@名無史さん
10/11/28 05:24:33
>>42
日本だけじゃないよ。清でも八旗がまるで役立たずの貴族に成り下がってたから、郷勇みたいな連中が幅を利かせたわけで。
46:日本@名無史さん
10/11/28 05:46:06
>>43
中学校の先生みたいな奴だなw
武家以外の出身で戦国大名になった奴なんて希少だろ。
せいぜい豊臣秀吉、斉藤道三くらいで彼らも限りなく武士に近い出自。
戦国大名のほとんどは守護大名の被官、国人などからの成り上がり。
ルーツをたどれば、大体鎌倉武士の末裔だ。
47:日本@名無史さん
10/11/28 06:22:55
平士(ひらざむらい)→正社員
足軽→派遣社員、期間社員
中間→パートさん
小者→バイト
48:日本@名無史さん
10/11/28 06:45:38
>>47
そりゃ戦国時代ならそういう理解でいいかもしんないけど。
江戸時代になると足軽とか同心っていう階級が固定化した。
わずかな扶持と副職・内職で食ってく世帯。
>>6のいうととおり、年金生活者とその家族みたいな感じだろうな。
江戸中期の藩政改革などでますます生活は厳しくなっていったんじゃないだろうか。
49:日本@名無史さん
10/11/28 18:50:52
>>46
北条早雲、松永秀久、福島正則、藤堂高虎、・・・。希少とまではいかないよ。
珍しくないという表現は的確。
50:日本@名無史さん
10/11/28 19:22:00
秀吉は「限りなく武士に近い出自だ」なんて単なる一説に過ぎなくて通説ではないんじゃないの。
51:日本@名無史さん
10/11/28 19:37:42
>>49
ピピー 教育的指導
北条早雲は室町幕府政所別当伊勢氏の親族伊勢盛時だよ。
福島正則は由緒有る刀工の子孫だし、藤堂高虎は浅井家重代の家臣だよ。
52:日本@名無史さん
10/11/28 19:49:54
>>51
先祖は知らんが北条早雲自体は町人出身
親戚は知らんが福島正則自体も出身は農民
藤堂高虎も父親は浅井家領内の領内の土豪というだけ。
ここ詳しい人多くて捏造しても恥かくだけだから出直しな。
てかスレ主に突っ込めよ(笑)
53:日本@名無史さん
10/11/28 21:45:49
そもそも福島正則、藤堂高虎を戦国大名というのはいかがなものか
54:日本@名無史さん
10/11/28 22:26:12
秀吉も戦国大名じゃない。松永久秀も。
55:日本@名無史さん
10/11/28 23:17:30
>>52
いや、たしか北条早雲は中央につとめていたはずだろう
56:日本@名無史さん
10/11/28 23:52:25
>>6 治安維持や城の警備なら軍隊というより警察、警備員だな。
57:日本@名無史さん
10/11/29 00:14:27
>>52
池沼
58:日本@名無史さん
10/11/29 04:18:41
>>56
番方って言い方をする。留守番とかの番と同じ意味だね。
59:日本@名無史さん
10/11/29 13:35:45
いや軍隊の仕事もほとんど警備ばっかしだし。
それに武士の身分は常に野戦を想定している。
「備え」をつくるための鉄砲足軽、弓足軽、長柄足軽、馬回り、使い武者云々・・。
60:日本@名無史さん
10/11/29 17:35:59
江戸時代に入ったら、たいした演習もできなかったろう
鉄砲つくろうとしただけで、謀反を疑われて改易されるからねえ
指南役が従来の武器の扱いを教えるくらいで、下々は剣術道場できたえる程度だったんじゃない?
鷹狩とかって、急場で橋つくったり、獲物を追い込むために陣構えを変えたりってことしてたのかね?
61:日本@名無史さん
10/11/30 23:01:39
1万石クラスの大名の下級家臣だと、100万石大名の足軽と変わらないのではないか。
62:日本@名無史さん
10/11/30 23:49:39
>>52
お前こそ大丈夫か?
63:日本@名無史さん
10/12/01 01:19:26
>>1は鎌倉・室町の農業をしながら守護や地頭とか役職を兼務してる者は
武士じゃないって言ってるワケだろ?>>1が不見識なだけだよ。
64:日本@名無史さん
10/12/05 23:01:41
>>48
嫁さんの里が京都近郊なんだけどさ・・・。
某藩の領内では百姓なんだけど領内一歩でたら某摂家の家来。
下手すりゃ殿様より・・らしんだけど。
こういうのって一体なんのさ。
65:日本@名無史さん
10/12/13 10:20:06
>>39
現代の上級武士は議会議員。
世襲だらけで腐敗した権力闘争ばかりの上級管理職。
自らの権力を振りかざすことだけが取り柄。
実務は中下級武士が処理してなんとかなっている。
66:日本@名無史さん
11/01/10 00:33:45
>>52
北条早雲こと伊勢宗瑞は、備中伊勢氏出身で、
誰だか忘れたけど、一説には伊勢宗家の養子らしいよ。
母親も伊勢宗家の出身だし。
67:日本@名無史さん
11/01/10 01:06:33
>>64
京都府の向日市で江戸期の地籍図を見たことあるけど、公家衆の領地だった畑が一枚一枚記されていて、
年貢は公家に納めていたようだ。そういう農民の一部を常勤の家来を持てない貧乏公家の臨時家臣として扱ったわけ。
摂家当主は最低でも公卿だし、摂政・関白・太政大臣等になると、正従一位になるから、高位の家臣も四位とか五位の
扱いであったり、六位・七位でも正式に官位を授けられたのなら、中小大名の家老(無位)よりも地位が高くなる。
68:日本@名無史さん
11/02/12 00:48:35
>>63
鎌倉・室町期の武士こそ、本物の武士。
江戸時代あたりは、武士の裾野が広がって怪しい連中が多い。
69:日本@名無史さん
11/02/12 19:49:41
○○さまには及びもないが、せめて成りたやお殿様
70:日本@名無史さん
11/02/13 11:56:38
下級武士の岩崎弥太郎の親父は、近隣の名主に半殺しにされてたよな?
でも時の奉行所は名主をお咎めなしにしてる。
藩に、弥太郎が直訴したが、逆に投獄にされてる。
下級武士って、現代人が思ってるような「武士」とは違うと思うよ。
実際、帯刀どころか、袴や草履すら許されてない下級武士も多い。
71:日本@名無史さん
11/02/13 12:52:48
>>70 岩崎弥太郎親子は武士の株を売った地下浪人だろう。
もはや武士扱いされていない。
72:日本@名無史さん
11/02/13 13:24:52
>>71
地下浪人だが、土佐藩内でも下級武士と名主層のいさかいで評定が行われてることが多いが、
最終的に名主層の意見を尊重させてる裁きを下されてるほうが多い。
武士層でも、名主や豪商クラスとの揉め事は、評定所で藩の裁きを受けなくちゃならない。
要は、ごり押しして意見を押し通す事が許されてしまいそうなイメージだが、
下級武士クラスはそんなことは一切できなかったというのが実際のところとということだと推測できます。
73:日本@名無史さん
11/02/13 13:32:18
>>68
確かに。
そもそも江戸の武士の生い立ちの起源は信長が無宿者や犯罪者、貧農の次男三男を常備軍としたのが始まり。
江戸大名の大半が信長ゆかりであり、下克上タイプ。それらが召抱えていたんだから、まっとうな武家がいたとはあまり考えられない。
要は江戸の武士階級はひじょうに生い立ちが怪しいというのは事実だとおもわれ。
74:日本@名無史さん
11/02/13 13:47:59
信長が貧農の二三男を常備軍にした?
本当に?
75:日本@名無史さん
11/02/13 13:53:30
>>74
信長は、戦時の農民召集のデメリットを払拭するため、あまり害のない貧農層の次男三男も常備軍にしてませんでしたか?
76:日本@名無史さん
11/02/13 13:55:22
>>74
それ誰に聞いたの?見てきたの?
77:日本@名無史さん
11/02/13 13:57:34
農民召集wって?
78:日本@名無史さん
11/02/13 13:59:08
番号間違えた!
>>75
それ誰に聞いたの?見てきたの?
ちなみに私は聞いたことがないな。
79:日本@名無史さん
11/02/13 14:03:02
>>77
意見が違うなら具体的にいってください。
>>78
普通に本に書いてありましたが・・・。
それに無宿者などを常備軍にしていたのは事実ですから、貧農の次男三男が無宿かするルートは容易に想像できるでしょう。
80:日本@名無史さん
11/02/13 14:07:30
無宿化
81:日本@名無史さん
11/02/13 14:10:08
>>79
なんという本で誰が書いているのですか?
それとも単なる想像ですか?
82:日本@名無史さん
11/02/13 14:12:21
>>81
じゃあ、教えてください。信長が常備軍にしたのはどういう階層ですか?
83:日本@名無史さん
11/02/13 14:24:39
>>82
ますば何という本か答えてもらいたいです。
84:日本@名無史さん
11/02/13 14:26:26
>>83
まず、あなたの考えは?早く信長の常備軍の階層は?それすら答えられないのに否定とかソースとか言われても。
85:日本@名無史さん
11/02/13 14:33:47
>>84
いや、まずは本を教えて下さい。
あなたが「信長の常備軍は貧農の次三男」だと言い始めたのだし、その根拠はそのあなたが読んだ本なのでしょ?
それと信長の常備軍の定義がわかりません。
即応で動員可能な武士とその家来の事ですか?
86:日本@名無史さん
11/02/13 14:40:12
>>85
否定するなら、まず自分の定義を言うのが社会人の常識だろ?
常備軍の意味?なにいってるんですか?
>即応で動員可能な武士とその家来の事ですか?
はい?即応で動因可能な常勤武士は少なかったから、常備軍としてそれら常備軍に付随する戦闘集団を作ったんですよ?
その意味がわからないってなんなんですか?
87:日本@名無史さん
11/02/13 14:42:17
信長が即応で動員できる貧農の次三男で構成される常備軍を作ったなんて聞いたことがないね?
誰に聞いたのそんな嘘を?
88:日本@名無史さん
11/02/13 14:42:33
間違えました。
即応で動因可能な常勤武士は少なかったから、常備軍としてそれら常勤武士に付随する戦闘集団を作ったんですよ?
その意味がわからないってなんなんですか?
です
89:日本@名無史さん
11/02/13 14:45:43
>>86
否定しているのではなく、「信長が貧農の次三男を常備軍化した」という史料を見た事がないので教えてほしいと言っているのですが?
なんという本ですかね?
90:日本@名無史さん
11/02/13 14:49:11
>>86
>即応で動因可能な常勤武士は少なかったから、常備軍としてそれら常備軍に付随する戦闘集団を作ったんですよ?
↑これって根拠あるの?
91:日本@名無史さん
11/02/13 14:50:02
>>87
だから、だったら、常備軍の創設時の階層をおっしゃってくださいよ。ただ聞いたことがないとか言われても、
あなたの聴いたことがあるないなんて聞いてないんですが。
92:日本@名無史さん
11/02/13 14:52:52
信長がそんなもん作ったなんて知らなかったよ。
ていうか信長が初めて兵農分離を画期的に行ったとか信じてるんだろうな・・・
93:日本@名無史さん
11/02/13 14:56:17
>>91
「信長が創設した貧農の次三男で構成される常備軍、戦闘集団」ってなんて呼ばれた部隊?
94:日本@名無史さん
11/02/13 14:59:20
今の話とは関係無いけど後北条氏は豊臣政権に責められた時
文字通り根こそぎ動員したらしいな
字義通りの「百姓(農民ではなく各種職業的意味の)」を含め
勿論動員兵は警備とかに使って、後北条氏自身もあくまで頭数確保と割り切っての運用だったみたいだが
以前の歴史群像にそんな事が
95:日本@名無史さん
11/02/13 14:59:37
貧農にとって次三男は貴重な労働力なんだがなぁ
96:日本@名無史さん
11/02/13 15:03:59
>>92
すごくめんどくさいんですがあなた。誰もそんなことを言ってないでしょ?
もう信長の話はいいです。飽きました。そちらの意見をさらしてるのならまだしも、
意見すら言わず、聞いたことないだの知らなかったというだけで突っ込まれても面白くもない。
ただ、室町以来、江戸期の武士の人口と比較しても爆発的に武士人口変動が推移してる。
ようは、戦国期を当して本来の室町期以前の武士層以外から大量に流入したというのは事実。
だから下克上というのであり、単純に鎌倉期以降からの真の武士層を簿記で純利益とするなら、
江戸期の武士層を貸借対象表にあらわすと、完全に負債や資本での借方貸方、費用といった部分で差し引けば、
相当この純利益は減ると思いますよ。
97:日本@名無史さん
11/02/13 15:11:51
信長如何にかかわらず、室町期から江戸期にかけての武士人口の爆発的増加の事実。
その人口流動は、どの階層からだったのか。突き詰めていけば感嘆にキーワードが出てきます。
98:日本@名無史さん
11/02/13 15:12:45
>>96
意見でも否定しているのでもはなく、
「信長が貧農の次三男を常備軍化した」
という史料を見た事がないので教えてほしいと言っているのですが?
なんという本で誰が書いてるのですかね?
それともあなたの記憶違いか何かでしょうか?
99:日本@名無史さん
11/02/13 15:14:27
武士人口の爆発的な増加って、具体的に何人くらい増えたんですか?
100:日本@名無史さん
11/02/13 15:18:50
>>98
ですから、じゃあ、常備軍化した階層は?あなたの意見を教えてくださいよ。
なぜ貧農をそんなに突っ込んで、無宿者は反応しないの?
>>99
もう釣りはいい。あなたとは会話が成立しない。
101:日本@名無史さん
11/02/13 15:30:47
なぜ、無宿者が常備軍に配属されていた事実は、反応しないの?w
102:日本@名無史さん
11/02/13 15:32:09
戦国時代の無宿者ってなんだろう?
103:日本@名無史さん
11/02/13 15:33:32
ていうか信長の常備軍って何?旗本などの手勢の事?
104:日本@名無史さん
11/02/13 15:36:59
>>101
それは「無宿者」では「貧農の次三男」に比べて具体性に欠いているからですよ。
あなたの言っている「無宿者」や「信長の常備軍」が何を指しているのかわからないですよ。
105:日本@名無史さん
11/02/13 15:42:52
常備軍もわからないが信長の非常備軍はどんなものなんだ?
106:日本@名無史さん
11/02/13 15:45:18
>>103
もう少し勉強したら?AKBばっか聞いてないでw
>>104
具体性にかけてる?無宿者という定義が?じゃあなんなら具体性があるの?
武士ですらここで語られているように具体性がない。
で、無宿者と、字体を追えば意味すら外国人でもイメージ沸きそうなものなのに、具体性に乏しいという。
じゃあ、歴史というものにおいて、具体性とは何?
武士とは誰が決めるの?完全なる武士とは何?
そもそもあなたにとっての具体性という日本語の意味は何?
信長の常備軍がわからない?調べたらどうですか?w単純に。
107:日本@名無史さん
11/02/13 15:53:25
武士の定義なんてそもそもが曖昧な根拠のないものからの発生だから答えなんて出るはずもないですよね。
そもそもが自警団や用心棒が起源。それを政治というものに無理やり当てはめて幕府を開いた。
その後はごく少数の一門経営に近い形の領国経営がなされ、中世期に戦国期に陥った。
そのけっか、ただ単に傭兵としての存在のものが大量に増え、そのまま江戸期に移行した。
そのけっか、またその人口を無理やり政治枠に押し込めようとしたため、武士人口があぶれた。
そもそもが、傭兵程度の意味でしかないところから発生した中下級武士に、意味や存在意義を求めようとするから意味がないんですよ。
必然性がない存在母体だから。
わかりますか?
108:日本@名無史さん
11/02/13 15:53:54
いやー、「貧農の次三男や無宿者で構成された信長の常備軍」が本当にわかりません。
普通常備と言ったら信長の手元の馬廻などの旗本衆や近習、鎗弓鉄砲の各組などではないの?
109:日本@名無史さん
11/02/13 16:05:20
>>106 >>107
つまり私が聞きたいことは>>73で「そもそも江戸の武士の生い立ちの起源は信長が無宿者や犯罪者、貧農の次男三男を常備軍としたのが始まり」
と断言されてますが、その根拠はあるのですか?
普通に本に書いてあったと言うならばその本を教えてください。
是非読みたいので。
110:日本@名無史さん
11/02/13 17:47:53
>>107
> 武士の定義なんてそもそもが曖昧な根拠のないもの
まぁ、これは同意するが
ここ数十年の武士の発生に関する議論を踏まえると
そこからの展開はどうよ?
少なくとも平安後期の初期の武士層は
かなりが諸太夫層とは言え下級貴族由来ですよ?
111:日本@名無史さん
11/02/13 21:11:58
>>70のこれはヒドすぎるなあ
そもそも江戸の武士の生い立ちの起源は信長が無宿者や犯罪者、貧農の次男三男を常備軍としたのが始まり
112:日本@名無史さん
11/02/13 21:48:56
>>111
>>73じゃね?
113:日本@名無史さん
11/02/14 00:29:08
卒族って日本軍の軍属みたいなものでは?
114:日本@名無史さん
11/02/14 04:48:14
ここの人達に
「源義平スレ①」の過去レスを読むことをお勧めします。
またカキコするのがめんどいので。
115:日本@名無史さん
11/02/14 10:15:18
同じ人物でも、本によって足軽だったり中間だったりするのは何でだろう
足軽と中間って違うの?
116:日本@名無史さん
11/02/14 18:46:49
>>73 明治維新も一種の下克上とも言えるな。
117:日本@名無史さん
11/02/15 01:57:39
俺の武士の定義は
「将軍や大名から俸禄を貰っていた人物」なのだが
それじゃいかんの?
118:日本@名無史さん
11/02/15 02:01:22
奉禄奉給だけでは職人衆もいるから軍役を課せられているのが武士なんじゃない?
119:日本@名無史さん
11/02/15 02:23:14
>>118
なるほどそれだと職人衆も含まれる訳ね。
納得
あと「帯刀が許可」されていると武士っぽいイメージw
(ただ帯刀は豪商や大地主も含まれて
ちょっと線引きとしては不適なイメージ)
120:日本@名無史さん
11/02/16 00:08:37
軍役を課せられた者達の中で、概ね、騎馬相当以上だろ。
121:日本@名無史さん
11/02/16 00:50:01
倅者は?
122:日本@名無史さん
11/02/16 03:16:55
>>113
グラビアアイドルみたいなもんじゃないの
123:日本@名無史さん
11/02/16 10:06:54
騎士と徒士は違うんんだよ
124:日本@名無史さん
11/02/16 10:47:25
明治維新政府内で高官に残った大名はゼロらしいな。
政治経済意識が維新派と全然ちがうので除外されたんだろうな。
125:日本@名無史さん
11/02/16 19:29:35
戦国時代の足軽が江戸時代の下級武士になったんだ。
126:日本@名無史さん
11/02/16 20:40:03
戦国時代の関東地方は馬上衆が多い
127:日本@名無史さん
11/02/16 23:50:51
>>124
本当に浅はかですね。どうしてそこまで浅はかな見識しかできないのかわからない。w
単純に身分こんぷれっくす集団の専制政治なんですから、
伊藤博文みたいな貧農出身からしたら、大名家の格式がよほど目障りだったんでしょう。
そもそも当時の維新の志士は旧大名家より先見性があったとでも考えてるんですか?
当時の下級武士は、ただ単に倒幕ということのみしか考えてない。
なぜなら、大半は高等な教育すら受けてない。
しかし大名家は当時最高峰の教育を受けてる。その上での私情有きの政治というのが社会とは相反する部分があっただけ。
しかし、下級武士にいたっては、まともな教育すら受けてないどころか、
ただ単に身分こんぷの塊が一種の社会の閉塞感と相まってイデオロギーと化して社会化現象になっただけのこと。
政治意識が維新派と違うのではなく、権威による意見の重みを恐れての排除が武士とは名ばかりの下級武士たちの明治維新政府でしょう。
そういうのを読み解かなければ、歴史語る資格ありませんよ?ww
128:日本@名無史さん
11/02/16 23:54:24
といいますか、あなたがたが少しレベル低いので、白熱教室といたしましょうか。
マイケル=サンデル氏をご存知ですか?
さあ、それでは白熱してぎろんしてまいりましょう。
真実について語ろうじゃないか。
私、アナルティアーノ=ペッティングーデンベルグが真実をジャスティスいたしましょう。
それでは開幕です。
129:日本@名無史さん
11/02/17 00:06:54
一つ一つ紐解いて以降ではないか。
そもそも江戸時代、中級武士という立場は存在しない。
土佐のような上士と下士といったような大枠の区分があるところは多い。
じゃあ、当時の下士とはなんだったのか。
まずこれから紐解きましょう。単純に具体的な線引きはされていません。
しかし、福利厚生や立場においては厳密に区分されていました。
じゃあ、当時の下士的な立場に置かれていた人たちはどのような認識の下そのような立場にされていたのかということです。
それは、当時の価値観はこうです。
上士→武士足るべき武士。武士として扱われるべき武士。
下士→武士に値しない武士。武士たる価値が付加価値として備わることを許されない武士。
ということなのです。そもそも戦国期前まで下級武士という概念が存在しないのですから、
まさに戦国期の負の産物で、なし崩し的に組み込まれた不透明な立場であり身分です。
これが大前提なのです。
ですから、この概念の定義がゆるぎないからこそ、そこに付随する福利厚生や立場、役目にただ言うな影響を及ぼしているわけなんですよ。
わかりますか?ww難しいかな君たちのおつむじゃww
130:日本@名無史さん
11/02/17 00:11:53
↑
訂正
役目に(ただいな)影響を及ぼしているわけなんですよ。
131:日本@名無史さん
11/02/17 00:14:53
私マイケル=サンデルこと、アナルティアーノ=ペッティングーデンベルグのジャスティスする下級武士の概念の定義。
これに意のあるつわものいたら、どうぞ申してみてください。グーの根も出ないでしょうがw
まずこの大前提となるそもそもの概念というべき存在定義がなされなければ、その次のステージをジャスティスすることはできませんから。
132:日本@名無史さん
11/02/17 14:12:42
初めてこのスレに来たがスレタイが馬鹿すぎる
そもそも普通は徒士こそが下級武士とされ、足軽は下級武士とも何とも言われないのに(浅薄な理解からそうほざいてる奴はいるかも知れないが)
頭の悪い>>1が中級武士=徒士、下級武士=足軽と勝手に定義しちゃって
しかもそれらは武士ではないキリッとか自己完結してるんだから呆れ果てる
>>1の他にも「徒士や下士は武士ではない」とか言ってる馬鹿が意外と多いのはさすがにうんざりする
それらは「侍ではない」が武士であるのは間違いない
このスレに限らず一般的傾向として、
武士一般を指してサムライと呼んだり(何にでもサムライとか言っちゃう外人と同レベル)
侍身分のみを指して武士と言ったりする奴が世間では大多数だが
武士でない侍もいれば侍でない武士もおり両者は概念上区別されるべきものだ
同様に、同じ御家人という枠組に囚われて与力と同心を似たものだと思ったり
徒士は歩兵だから足軽だと勘違いするような奴も多いが
足軽や同心は卒なので広義の士分にも入らないのは無論のこと
133:日本@名無史さん
11/02/17 14:27:51
武士と侍はどう違うの?
134:日本@名無史さん
11/02/17 15:34:28
侍は「諸大夫の下、(狭義の)士分の上」というように他の身分などとの関係から理解される
伝統的には六位の人または六位に叙せられる資格のある身分のこと
武士で言えば直参の御目見以上や諸大名家中の上士など「主君への拝謁資格」を有していたり「騎乗待遇」の者は概ね侍身分
対して大名は諸大夫身分(その上層は公卿殿上人)
また直参の御目見以下のうち(卒身分である同心以下を除く)与力・徒などや諸家中の下士などは(狭義の)士分
(ちなみに広義には侍と士分を引っ括めて士分と言う場合もある)
ただ小十人などは役務上騎乗しないが御目見以上(侍)であり、諸組与力は役務上騎乗するが御目見以下(士分)である
公家で言えば侍とは(こちらが本来の意味での侍だが)
諸家諸門跡の家来のうち六位の者(摂家親王家の侍は叙爵可)のことで
六位から立身する官人(四位に達する者もいる)も侍身分
武士か否かというのは侍か士分かの区別とは関係なく、武家権力の執行プロセスに連なるか否かという点で判別される
(足軽は本来臨時雇いのただの手先なので武士ではない)
例えば浪人はその意味で武士身分を停止されていると言っていい
135:日本@名無史さん
11/02/17 19:06:11
>>134
君の侍の定義は間違いだよ
鎌倉~戦国期に君が定義する身分より下の者が侍と呼ばれている
江戸時代の旗本の家来にも「侍」と記されている身分の者がいるが騎馬でもないよ
136:日本@名無史さん
11/02/17 19:11:25
「サムライジャパン」
とか
「青きサムライ」
とかは間違った用法ですか?
137:日本@名無史さん
11/02/17 19:16:57
「諸士・諸侍」とか「大小名以下侍・凡下まで」とか言うよね
三ピン侍とか
138:日本@名無史さん
11/02/17 19:23:03
寺侍
地侍
寸志侍
郷侍
青侍
139:日本@名無史さん
11/02/17 19:27:49
侍ってどっちかって言うと軽輩のイメージ
140:日本@名無史さん
11/02/17 19:52:38
足軽と尻軽ってどう違うの?
141:日本@名無史さん
11/02/17 19:57:18
主君に捨てられる点で同じ
142:日本@名無史さん
11/02/17 22:13:16
>>135
旗本に仕える中小姓三両一人扶持(サンピン)も侍
>>134の説明では以下のように書いた
>「主君への拝謁資格」を有して「いたり」「騎乗待遇」の者「は」「概ね」侍身分
侍身分の標識はこれらに限ると書いた覚えはない(この程度の論理的限定も処理できないならどうしようもない)
中小姓はこれも先に説明済みの「小十人」と同様に徒歩の侍
「小姓」も「小十人」も語源的には「扈從人」(こしょうにん、こじゅうにんなどと読む)に由来している(家中によって「小将」とも書く)
「小姓」はどの家中でも最底辺ながらも侍身分であり「徒士」などの下士とは明確に差別されている
両者は同じ徒歩であっても大違い
ちなみに徒歩小姓以外に小姓組番のような騎馬小姓もある
大名などと比べても旗本の分限では必然的に家来の扶持や給金が少なくなるがサンピンでも侍は侍
また軍役上騎乗の侍を召し抱える必要がないことが多いが徒歩でも侍は侍
143:日本@名無史さん
11/02/17 22:56:20
三両って石に直せば三十石か?
三十石なら大藩の直参藩士にも普通にいる身代だし最下層武士とも言えないな。
144:日本@名無史さん
11/02/17 23:20:24
米価にもよるだろうけど1石=1両くらいじゃなかった?
公家の家臣でも三石さんというのがいたらしいけど京都版の三ピンだな
145:日本@名無史さん
11/02/17 23:27:20
ああ一石一両換算なんか
thx!
146:日本@名無史さん
11/02/18 01:27:22
知行取りじゃなかったら普通石じゃなく俵じゃないの?
147:日本@名無史さん
11/02/18 01:29:59
サンピンとは若党じゃないの?
148:日本@名無史さん
11/02/18 01:32:01
あとさ旗本の軍役に徒士の下に鉄砲持侍っていうのもいるんだけど
149:日本@名無史さん
11/02/18 01:40:58
あと幕府代官所詰には代官の下に元締(三十両五人扶持)、手附・手代(二十両五人扶持)、書役(五両一人扶持)、侍(三両二分一人扶持)、勝手賄(五両一人扶持)、足軽(三両一人扶持)、中間(二両一人扶持)で手附手代までは御家人。
手代と侍以下は臨時雇である。
150:日本@名無史さん
11/02/18 01:56:47
そうだよ
武士 50万
足軽ほか 100万
江戸時代末期
300万
この中で本当の武士らしい武士は100万程度
平安で10~20万くらいか?
もっとも
山を全重武装で馬以上にかけることが可能
弓は世界最大 最大威力 最大射程
白兵なら強すぎる
訓練されてる
最強の戦闘集団だけど
151:日本@名無史さん
11/02/18 04:25:07
若党と中小姓を一緒にするなよ
>>150
頭悪そうなのが来たな
152:日本@名無史さん
11/02/18 11:00:42
ちょいと、阿呆ばかりなので、アナルティアーノが補足いたします。
>>132>>134
あのね、損なのは当たり前のことなんだよ。>>1がいってることは足軽も含めてという意味だろ。
それすら察せず、常識のサムライ定義とかwww
つうかもあほすぎwwwwwwwww
いいですか?あなたが言ってるサムライ定義は室町以前の純然たる武家社会の定義。
へたすりゃ鎌倉以前じゃなくちゃその定義は通用しない。
浪人が武士身分の停止だ_?wwwwwwwwwww
偏差値おいくつ?www江戸期になれば武士なんて余裕で株が売り買いで来た時代。
特に下級武士にいたっては流動性が激しい。しかし、こと上級武士にいたっては株の売り買いは非常に厳格化されている。
なぜか?
藩は下級武士はそれらに武士としての権威を付随させるつもりはなく、株の売り買いによる税制政策の一環とも見ている。
ようは、フランチャイズ店オーナーをとっかえひっかえしてその加盟料だけが目的となしているとも考えられる。
実際、下級武士なんて入れ替わりが激しい。藩の制限も非常に緩やか。
武士の定義なんて、>>70の方が言われてるように、
ぞうりもはかまも帯刀も許されていない下級武士というのも藩によって存在する。
また、神社の宮司や名主、豪商、特別職等にはごろごろ名字帯刀が許され、上級武士並みの権利を有してたものも多い。
そうなれば武士という定義は何なのか?ということになる。
苗字帯刀等のと武士固体に由来する権利は継承できても藩士ではない。だから武士ではない。
しかし、それら武士に由来する権利すら教授できないが、立場上下級武士。
また株で成り上がった町人武士の大量増加。わかりますか?
153:日本@名無史さん
11/02/18 11:06:40
>>152からの続き
>>132>>134
さあ、それではなにをもって江戸の武士を武士と定義する?
ここではサムライと武士の定義の違いなんかを話してるわけじゃない。
スレタイどおり、中級武士以下の名目上武士に過ぎない武士と、
武士ではないが武士と同等の面子や権利を有する一般特別職(豪商、寺社主、名主等)との境界線は、
われわれ現代人が考えている士農工商という枠組みなんかでは一切隔絶した分離はしていないから、
このような矛盾だらけの権利関係が存在する。ということなんですよ。
それらから導き出される仮説定義、スレタイの(中下級武士はじつは武士と断言できるほどの絶対的武士ではない)
とういう定義の基、
その論拠をひとつひとつ史実の現実的処遇や待遇を挙げていき、
最終的にこの定義を根拠に結び付けようとする過程なわけですよ。
わかりますよね?そこに原理主義的武士、侍論をかまされても、話にならないわけです。
ようは武士とは基本、藩主から正社員としての認定されてるかされてないかが、武士たる定義の裏づけを事故に求めるなら重要なんです。
そうすると、浪人はもはや武士身分の停止されているのではなく、事実上の無職の町人であり、停止処分とは復権あり気の停止という意味なんですよ?
マー言葉の正確な意味はいい。あなた程度にそこまでの返答は求めない。www
それから、>>142は論外。話にならない。
154:日本@名無史さん
11/02/18 11:19:43
>>153の続き
そうしますと、私が以前>>129で述べさせていただきました、
「上士→武士足るべき武士。武士として扱われるべき武士。
下士→武士に値しない武士。武士たる価値が付加価値として備わることを許されない武士。」
という定義がまず、基本にあるわけじゃないんでしょうか?
その上で、下士と、一般特別職(寺社主、豪商、名主等)との権利関係や福利厚生、面子(立場)、等を紐解いていくことで、
現実の江戸社会が浮き彫りになるということなんですよ。
それが、これからの「白熱教室の第二幕」となるということでいいのではないでしょうか?
まず、皆さんが、中下級武士の大枠の定義を見つけ出さない限り先に進めないのですよ。
ようは、中下級武士は、原理主義的侍、武士論定義からは完全に逸脱し、また、
江戸期においても近現代の武士として、決して本来武家、侍、武士としての純然たる立場ではない。ということ。
まずこの定義を納得していただかないといけません。
OKですか?
155:日本@名無史さん
11/02/18 11:33:48
>>15
156:日本@名無史さん
11/02/18 11:40:16
>>155
まったのあほですね。ぜんぜん歴史を理解していない。
>>70>>72嫁
157:日本@名無史さん
11/02/18 11:50:35
土佐だかのたった一例だけの提示してもそれが全体像だったかの如く定義するのは性急に過ぎるんじゃないの?
それと逆の事例はあったのか無かったのか?
あったとしたらそれはどのくらいだったのかも見た上で、
つまり全体の比率を抑えてからの上でないとこういう問題は決めつけられないな。
158:日本@名無史さん
11/02/18 12:02:57
>>157
そのとおり。ようは、これから福利厚生や権利関係を上げていき、検証作業へ移る段階→第二幕 ということになるのですが、
その前に先ほど申しました、>>154の、中下級武士の存在の大まかな定義というものをなっとくするか、決めなければならない。
もし>>154に納得できないのであらば、そうじゃない問う言う根拠を提示していただき、
納得できるというならその根拠を、>>70のように提示していくということです。
あなたのおっしゃるとおり、一例をもって定義となすのは不可能です。
このように、中下級武士という存在は藩によってまちまちという、定義自体が当時の武家層でも定まっていないのです。
用は、現実的にその程度存在意義なのです。だから、一般特別職との権利関係が複雑に絡み合ってしまう。
だからこそ、歴史の真実解明白熱教室は楽しく盛り上がれるわけです。
さあ、はじめましょう。^^「白熱討論教室」を!!
159:日本@名無史さん
11/02/18 12:54:36
白熱討論とかなに馬鹿なこといってんのこいつ?
実例あげまくればいいんじゃないの
160:日本@名無史さん
11/02/18 13:40:03
スレタイは確かにおかしいけどね。
江戸期の武士社会をあえて二つに分ける場合、
上級武士と中下級武士とするよりも、
上中級武士と下級武士と分ける方が実態に見合う。
江戸期の「侍」の典型とされるのは禄高100石前後の中級武士たちだろう。
彼らは禄高に於いては大身ではないかもしれないが、騎乗身分ではある。よって上士たる資格を備えた存在であるわけだ。
つまり中級武士というのは、上士の最下層を構成する存在なのだと考えた方が江戸期の武士社会をより正確に表しているだろう。
161:日本@名無史さん
11/02/18 16:07:08
小大名の家中で100石なら上級武士だよ
だから全国規模で単に石高で分けるのは不可能
162:日本@名無史さん
11/02/18 16:45:32
知行取りの武士より蔵米取りや切米取りのほうが圧倒的に多数
163:日本@名無史さん
11/02/19 01:47:50
旗本の家臣はで高禄の場合は上級武士に入りますか?
また大名家の家臣のそのまた家臣でも高禄の場合は上級武士といえますか?
164:日本@名無史さん
11/02/19 09:38:15
下級武士は戦国時代の足軽
165:日本@名無史さん
11/02/19 17:35:49
>>161
いやあ、100石取りなら大藩だって上下二つに分けた場合は上士になるよ。
伊達家の門閥には100石の家もあるし、島津家でも100石のものが家老になっている。
佐竹家では50石の重臣がいたはず。
だから「中上級武士」と、中級武士を「上」の方に入れて述べた。
上中下と三分割するのではなく、上下二分割にする場合、中級武士は上級武士の範疇に入る。
166:日本@名無史さん
11/02/19 17:59:43
乗馬身分で分けるのはどうだ
167:日本@名無史さん
11/02/19 23:11:07.25
上士?普通に中士だろ?
168:日本@名無史さん
11/02/19 23:12:53.25
幕府だと刑罰の待遇からして500石以上が上級武士だろうね
169:日本@名無史さん
11/02/19 23:44:50.82
>>166
それで良いと思うよ。
>>160で述べたけど。
170:日本@名無史さん
11/02/20 00:27:41.87
町奉行所の与力も騎馬ですが上級武士ですか?
171:日本@名無史さん
11/02/20 00:29:41.58
はいそうです
172:日本@名無史さん
11/02/20 00:56:54.79
諸藩で上士中士下下って言葉が使われるのは明治元年くらいからだよね
長州の場合は一門永代家老から寄組の千石までが上士
寄組の千石以下は中士上等
大組と船手組も中士上等
遠近附から鷹匠までが中士下等
無給通から膳夫が下士上等
江戸徒士から陳僧までが準士
173:日本@名無史さん
11/02/20 01:16:28.84
本当の上級武士は王朝期に成立した『兵の家』(承平・天慶の乱鎮圧勲功者)の系譜を引く家だけだろ。
だから、大名家でも佐竹、小笠原、細川、立花など数える程しかいない。
鎌倉以来の系譜を引く島津や伊達、毛利も承平・天慶乱鎮圧勲功者の子孫ではない。
174:日本@名無史さん
11/02/20 06:31:42.84
石高とかの俸禄と身分は関係ない。
でも50石の重臣なんていないし言わない。
そもそも重臣って何?
物頭以上ってこと?
175:日本@名無史さん
11/02/20 08:18:51.67
佐賀鍋島の家臣神代鍋島家(6262石5斗)の家老帆足氏は地方知行54石だよ
陪臣の又陪臣だけど領主であり家老職だよ!
176:日本@名無史さん
11/02/20 08:26:00.50
基本原則として武士の格・役(職)・禄は三位一体的関係を持つと言われているけどね。
177:日本@名無史さん
11/02/20 13:18:27.40
基本原則なんだから絶対原則ではないってことだな
178:日本@名無史さん
11/02/20 14:03:09.14
馬の一匹を維持するのも困難な微禄の下級武士では重職の格式に合った容儀を用意できないから
微禄のままでは馬、家来、衣装、道具など揃えるのは無理だろうから足高の制のようなものが必要かと
179:日本@名無史さん
11/02/20 14:06:28.81
>>178
足高制は財政難から考え出されたんだろ?
180:日本@名無史さん
11/02/20 14:14:11.48
効率よく登用できるようにね
181:日本@名無史さん
11/02/20 14:50:56.09
500石で大番役の家があるかと思えば
300石でも両番を世襲している家もあるな
182:日本@名無史さん
11/02/20 15:04:26.26
だから禄高(経済力)と家格は必ずしも一致しないということだろ。
例えば、それなりに由緒はあるが先細りになってた家が戦国期に大名家に取り込まれた場合なんかは、禄はそのままでも家格だけは高い位置に据えられそうだ。
183:日本@名無史さん
11/02/20 15:18:33.73
>>181
それって相応の御役だと思うけど?
184:日本@名無史さん
11/02/20 17:20:16.58
>>175
またもののまたものなんてしらん。
佐竹に50石の重臣なんているのか?
185:日本@名無史さん
11/02/20 18:12:03.49
陪臣の又者でも領主は領主だし五十石でも家中では最上級の武士なんじゃないの?
本藩での扱いは中士程度だろうけど
186:日本@名無史さん
11/02/20 18:27:03.36
久保田のような大藩で50石の重臣なんて本当にいたの?
187:日本@名無史さん
11/02/20 22:40:55.11
滝沢馬琴の生家は50俵5人扶持の旗本(松平家・1000石)家臣
188:日本@名無史さん
11/02/20 23:16:04.98
明治維新は足軽革命だったんだな。
189:日本@名無史さん
11/02/20 23:19:07.07
足軽ってお手軽だからな
190:日本@名無史さん
11/02/21 00:02:01.96
>>188
なんで?
191:日本@名無史さん
11/02/21 01:23:46.61
白熱なんたらとか言ってる奴のレスは長い割りにことごとく内容がないな。
知能が低いのに無理に何か書こうとするからかな。
192:日本@名無史さん
11/02/21 01:37:10.97
藩士と郷士ってどう違う?
193:日本@名無史さん
11/02/21 02:07:00.50
>>192
どこの藩の事を聞いてるの?
194:日本@名無史さん
11/02/21 02:32:54.44
>>193
土佐藩
195:日本@名無史さん
11/02/21 02:34:36.52
在郷の半農的武士でも大名の家中として籍があり藩の御役に就けば藩士なんじゃない?
196:日本@名無史さん
11/02/21 02:44:23.51
>>194
土佐の郷士なら山内家の家中だから藩士だよ
197:日本@名無史さん
11/02/21 03:24:52.39
長曽我部の旧臣たちが郷士で
山内家が引き連れてきた家臣たちが藩士じゃなかったっけ
198:日本@名無史さん
11/02/21 03:29:42.02
>>172
佐藤栄作の家は下級藩士?
199:日本@名無史さん
11/02/21 03:30:18.85
山内氏に郷士に取り立てられたのが郷士
吉田東洋の家も長曽我部の旧臣だよ
藩士とはその藩の武士全般
200:日本@名無史さん
11/02/21 03:46:30.18
吉田家が上士なのは特別な例でしょ?ほとんどの長曽我部の旧臣は郷士にしか取り立ててもらえなかったとか・・・
201:日本@名無史さん
11/02/21 05:52:18.84
武市瑞山は長曽我部の旧臣?
202:日本@名無史さん
11/02/21 07:59:09.19
実態はただの農民だけど反乱されても困るので苗字を許したってところ。
203:日本@名無史さん
11/02/21 11:20:51.26
土佐藩は名主層も旧長曽我部家臣だよね。
中岡新太郎が代表例。
204:日本@名無史さん
11/02/21 12:00:03.10
アナルティアーノ=ペッティングーデンベルグの名を改め、千ず利休と申します。
>>160
上のほうで中級武士は上級武士の枠にはまるとかいってる人、
なんなの?馬鹿なの?視ぬの?w
例えば御三家のような超大藩なら中級武士以上の人数なんて1000人単位でいる。
1000人単位で上級武士ってか?ww馬鹿なの?なんなの?視ぬの?www
たまたま個人の能力で中級武士から上級武士家老に格上げ、という例外コースも実際あった。
が、制度化されてない特別枠という扱いなんですよ。わかる?w
で、基本家老は末席でも上級武士の中からが基本のルート。この基本的枠組みの範疇に組み入れられるものが、本来の上級武士であり、
制度化されてない、慣例的でない特別枠がたまたま事実としてあったから中級武士は上級武士と同じ枠?www
なんなの?馬鹿なの?視ぬの?ww
基本中級武士に上級武士並みの家老就役率あるの?
また、中級武士は平時から、藩政参政権の役が与えられてるの?
中級武士は上級武士波の福利厚生が保障されていたの?
で、なんで同列に扱うの?江戸時代は大甘で、仲良し子よしの上中級武士格差だったとでも言うの?
何なの?馬鹿なの?視ぬの?ww
石高とい身分は必ずしも一致しない。どんだけ浅はかに見識すれば、石高のみ、役のみといった単体での仕分けを可能にできるの?w
例えば最上級武家の分家として存続させる場合、石高は中級武士並みかへたすりゃ以下だが、立場は上級武士であり、末席家老への就任は当たり前。
といったのごろごろいんだよ。で、なんでいち側面だけで一事例だけで、中級武士は上級武士と言い切れる恥ずかしすぎる見識が成り立つわけ?ww
なんなの?馬鹿なの?視ぬの?ww
もう少し、頭よくなろうよww
205:日本@名無史さん
11/02/21 12:23:23.41
3行でまとめろよw
206:日本@名無史さん
11/02/21 12:24:49.77
>>205
さーせん。ただ、浅はか低脳歴史おたばかりで、ついつい・・・ww
努力しやすw
207:日本@名無史さん
11/02/21 17:47:21.38
>>196
最近「坂本龍馬は郷士ではなく藩士だった事が判明しました」という論文を見たんだよ。
研究者も自己完結してないで解説してくれればいいのに。
208:日本@名無史さん
11/02/22 00:47:11.01
土佐藩では武市瑞山の白札が最下級武士という扱いだったはず。
瑞山の三代前に郷士から白札に昇格してる。
209:日本@名無史さん
11/02/22 01:29:54.20
草生やしてる低能基地外は何なんだ
レスは的外れの妄想ばかりだし
まとめる能力もないんだったら黙ればいいのに
210:日本@名無史さん
11/02/22 10:28:26.56
>>207
郷士株を買った造り酒屋じゃなかったの?
211:日本@名無史さん
11/02/22 23:14:32.49
足軽・百姓に南北戦争の中古鉄砲を持たせただけで明治維新が起こってしまったな。
武士は何をやっていたんだ?
212:日本@名無史さん
11/02/23 02:09:03.36
オーストラリアを自領に組み込めなかったのは痛恨の極み。
日本の真下だし、時差はないし、国土は峻険ではないし、そのうえ大陸とはいえなんといっても島国だしで日本人なら上手く管理できていたはず。
ああかえすがえすも残念!
213:日本@名無史さん
11/02/23 08:24:34.81
真面目にニューギニア買収の検討はしたらしいが
214:日本@名無史さん
11/02/23 15:14:34.93
>>213 ニューギニア高地人の首狩り族を平定しなくてよかったな。
215:日本@名無史さん
11/02/23 16:33:36.30
まさか農民や町民が武装して武士階級を打倒するとは・・・・
武門の神様八幡太郎義家も驚愕したじゃろうて
216:日本@名無史さん
11/02/23 18:56:32.43
>>215 織田豊臣政権も鉄砲隊で天下統一したし、明治維新も銃砲、大砲が主役になった。
「革命は銃口から生まれる」という毛沢東の言う通りだな。
官軍の銃砲戦術にサムライが刀を振り回しても勝ち目はなかっただろう。
217:日本@名無史さん
11/02/24 03:44:23.68
自演?なんか意味不明だな
218:日本@名無史さん
11/02/25 02:06:06.85
>>211>>215-216
これは同じ奴だろうな
こんなに頭の悪い誤解を共有する人間が2人も3人もいるわけがない
正直馬鹿すぎて気持ち悪い
219:日本@名無史さん
11/02/25 02:30:15.95
自演ばかりだな
220:日本@名無史さん
11/02/26 03:25:16.34
URLリンク(ni0615.iza.ne.jp)
221:日本@名無史さん
11/02/26 14:21:28.52
>>216
そもそもその侍と言われてる人たちも、戦国期に名門の侍たちから職や身分を奪ったんでしょ。
222:日本@名無史さん
11/02/26 14:39:10.45
はじめまして。
私は幕末マニアですが、彰義隊の隊長達を知ってます?
下級武士はいません。旗本や上級武士、そして庄屋や名主。これら以外が隊長職にはなっていません。
当時の名主が隊長を勤める彰義隊の部隊にも下級武士がいっぱいいます。
下級武士は論外としかいえなくないですか?
223:日本@名無史さん
11/02/26 14:48:44.57
>>221 豊臣秀吉は百姓上がりだったが、こういうのは例外ではないか?
224:日本@名無史さん
11/02/26 14:57:38.26
>>223
は?だって下級武士上がりの大名や盗賊上がりの大名なんてわんさかいますよ?
また、足軽から戦国期のどさくさにまぎれて下級武士や中級武士になった人がどれほど多いか。
事実、武士層で江戸期以前の系譜が分からない武士なんてどれほどいるか。
225:日本@名無史さん
11/02/26 16:05:36.74
>>222
確かに、旧幕側は下級武士が表舞台に出ていることはほぼ皆無といっても等しいよな。
名主はなぜか旧幕側に活躍してる家多いな。なぜ?
226:日本@名無史さん
11/02/26 16:27:50.13
勝海舟=貧農w
227:日本@名無史さん
11/02/26 17:12:03.47
現職の名主が彰義隊の隊長?
誰の事?
228:日本@名無史さん
11/02/26 17:24:25.01
>>227
自分で調べるということ惜しむなよ。そんなのすぐ出てくるだろ
229:日本@名無史さん
11/02/26 17:35:34.13
>>225
幕府天領内の名主は中世の旧武家層が多いからでは?
だから対面や名目とは別に下級武士よりは重く見てたんでないの?
230:日本@名無史さん
11/02/26 18:05:41.29
関東だと、北条家、佐竹家、宇都宮家、小山家、那須家、安中家等の旧家臣たちが名主層だといわれてる。
231:日本@名無史さん
11/02/27 01:01:24.79
彰義隊の隊長に現職の名主なんて一人もいませんが?
232:日本@名無史さん
11/02/27 02:22:48.49
結局、佐竹の重臣で50石っていうのは嘘なの?
233:日本@名無史さん
11/03/01 22:56:59.57
徒歩目付ってのはどうなの?
下級管理職(係長)みたいなもの
234:日本@名無史さん
11/03/01 23:36:01.14
>>233 兵隊の位でいうと伍長くらいではないか?
235:日本@名無史さん
11/03/01 23:38:24.78
>>234
なるほど
236:日本@名無史さん
11/03/02 01:12:51.80
徒士目付は特務曹長か少尉だな。
幕府なら中佐級
237:日本@名無史さん
11/03/02 01:41:24.35
旧幕時代の家格や役職を軍隊の階級に完全に当て嵌める事はできないよ
238:日本@名無史さん
11/03/02 07:58:29.95
徒士目付って徒士身分ってことだから、幕臣としては下級だろ。
中佐級はないだろ。
239:日本@名無史さん
11/03/02 21:05:03.18
100俵5人扶持、譜代席
240:日本@名無史さん
11/03/04 07:15:24.31
>>225
外様は幕末に下級武士が活躍できたのは、限られた人員の中じゃ余剰がいないので末端まで総動員なんだろ。
旧幕側は人員は有り余るほどいる。必然的に下級武士なんて完全に蚊帳の外。
関東での名主層は名字帯刀が許されているのが非常に多く、また郷士格をもつ名主もかなり多い。
名主が幕臣に養子にいってるのや、また逆もめずらしくないよ。
幕府側は完全に下級武士より名主への待遇のほうが格上。
人員が有り余る幕府側にとっては下級武士より名主を重んじていたということは、
やはり下級武士というのはあくまで傭兵としての人的帳尻の埋め合わせ以外何者でもなかったのだろう。
武家の正道である幕府自体が下級武士を活用してないのだから.....
241:日本@名無史さん
11/03/04 08:01:04.88
>>225 勝海舟は貧乏旗本で有名ではなかったか?家は傾いてつっかい棒で支えていたらしい。
しゃべり方も下町の江戸っ子そのものだしな。サムライの言葉とは思えない。
242:日本@名無史さん
11/03/04 23:39:55.47
>>240
町奉行根岸の家系は相模の百姓出身だったというな
243:日本@名無史さん
11/03/05 02:03:41.72
明治期に士族卒族整理されてたろ。
今更変なこと言わんでも別に良いんじゃないか?
農家でも昔は武士とか、上杉家の歴史見ていてもあるだろう?
帰農することで藩に貢献する武士としての生き様だってあるだろうしな。
昨今じゃ村長を長年すれば恩賞が貰えるらしいが、そんなの戦前まではザラだろ?
土地や一族をまとめる苦労してきた農家もあるだろう?
二宮金治郎みたいな偉人もいる。
商家町人にも立派な家訓や処世術がある。
全て素晴らしいと思うぞ。
244:日本@名無史さん
11/03/05 14:35:40.31
>>240
幕府の名主の待遇ってなに?
名主は幕府の家来でもない百姓なんだから幕臣と比較対象にするのはどうかと・・?
245:日本@名無史さん
11/03/05 16:04:30.32
確か幕府に苗字帯刀認められたら全国共通だけど
藩の帯刀はその藩の領地内だけとかそんなんあったよーな
246:日本@名無史さん
11/03/05 16:17:01.82
夜明け前の青山家って遡れれば三浦氏なんだってね
はるか昔からかずかずのいくさに参加しているような家でも関ケ原に参戦した功労で
馬篭の名主やってる家もあるってこと考えるとどんな名家でも妾腹が何代も重なると
農民と変わらんのだな
247:日本@名無史さん
11/03/05 18:44:37.05
明治以降、足軽でも世襲していたら士族扱いだもんな。
足軽より多少上の徒士も、武士と言えるか怪しいのに。
248:日本@名無史さん
11/03/06 00:43:24.07
>>241
>>225がいってる下級武士って下級旗本のことじゃないのでは?
武士=藩士であって 旗本=サムライ でしょ。
勝海舟の話し方は仕方ないよ。貧農出身だもん
249:日本@名無史さん
11/03/06 01:04:40.54
>>244
それは違うと思います。今で言えば名主=村長 下級武士=高卒地方公務員もしくは非常勤 でしょ。
で、村長は特別職公務員。厳密には公務員ではない。
で、高卒公務員と村長の職務や範囲は身分が違えば語ることできないの?横一線でしょ。おかれてる立場が違うというだけで。
250:日本@名無史さん
11/03/06 04:31:16.54
<比較検討>
{下級武士} {名主}
・役なし ・名字帯刀あり(例外あり)
・禄なし ・先祖伝来の土地2町以上保有当たり前(石高30石以上)
・立場なし ・末端の行政区、村の管理統括者(実際名主がいなけりゃ藩政は崩壊)
・家なし ・屋敷は上級武士や旗本並(長屋門もつ名主もざら)
・保障なし ・村行政のすべてを一任されている。(税率も上乗せ課税権まで持つ。裁判権や警察権も持つ)
・袴なし多し(例外あり) ・着物の装飾、生地は中級武士と同等が許されている。
・財産なし ・蔵が立ち並び、財力は江戸期の折り紙つき。
・由緒なし(例外あり) ・由緒は旧武家層多数
251:日本@名無史さん
11/03/06 04:36:51.08
↑訂正
<比較検討>
{下級武士} {名主}
・役なし ・世襲で村自体を完全支配を許され、自治権を完全掌握。(平均石高300石前後)
・禄なし ・先祖伝来の土地2町以上保有当たり前(石高30石以上)
・立場なし ・藩政末端の行政区、村の管理統括者(実際名主がいなけりゃ藩政は崩壊)
・家なし ・屋敷は上級武士や旗本並(長屋門もつ名主もざら)
・保障なし ・村行政のすべてを一任されている。(税率も上乗せ課税権まで持つ。裁判権や警察権も持つ)
・袴なし多し(例外あり) ・着物の装飾、生地は中級武士と同等が許されている。
・財産なし ・蔵が立ち並び、財力は江戸期の折り紙つき。
・由緒なし(例外あり) ・由緒は旧武家層多数
・待遇冷遇 ・名字帯刀あり多し(郷士格多数)
252:日本@名無史さん
11/03/06 07:39:42.45
武士が武士たる権限強化されたのは3代将軍以降だよ。
江戸初期は武士は決して憧れの職業じゃない。あくまで食い扶持。
だから、名主のように荘園を持ってれば、
わざわざその旧武家層は武士にこだわる必要なく、
メリットの多い名主に帰農したものが多かったのだろうな。
結果として江戸中期以降武士が武士たる由縁になったという結果論にすぎない事実
253:日本@名無史さん
11/03/06 07:47:15.93
でも50年ごろまえの戸籍謄本は士族でのってたぜ」
254:日本@名無史さん
11/03/06 07:55:28.66
>>252
戦国期以前の武家や豪族は半農半士が基本。自分の領地も持ってるものが武家。その一族の土地を守るために武装してるといっても過言じゃない。
だから幕府や藩からその伝来の土地を保障してもらって、さらに村の権益を完全保障された名主になればわざわざ武装する武士という側面を捨ててもなんら問題ないと考えたんだろうな。
だが江戸中期以降武士というものに職業軍人という側面だけではなく名誉がかってに付加されてっただけなのはわかる。あくまで上級武士の話だが。
下級武士はやはり何をとってもメリットも名誉も存在しない。憧れたのは貧農や町人や職人のようなワープア層だったんだろうな
255:日本@名無史さん
11/03/06 08:08:26.10
>>253
その士族という何の実益も伴わないが憧れ抱くその響きこそが幕府の要だったんだろうな。
その実益皆無の士に宗教のような見えない価値を付加して御家人株を切り売りや権利を売買させていたんだろうな。
だから、明治期以降国会議員の定数の身分ランキングで一位は旧大名家
二位は維新の志士
三位は旧名主
という実益に比例した定数容量に反映してるんだろ。
256:日本@名無史さん
11/03/06 10:02:55.39
何でも矮小化したり、ねじ曲げたりして馬鹿にしたい奴っているんだな。
ウリナラマンセー捏造ファンタジー歴史臭がする。
257:日本@名無史さん
11/03/06 10:06:10.07
武士は食わねど高楊枝
258:日本@名無史さん
11/03/06 11:18:54.09
名主は世襲だとは限らない
年番持ち回りで勤めたりすることも多い
名主を勤めた旧家が衰退し、新興の農家が台頭して名主に成り上がる事も江戸近郊の関東ではよくある
その名主から見れば下級武士である幕府代官所手附や御勘定は雲の上
259:日本@名無史さん
11/03/06 11:33:58.75
関東の場合、名主などの旧家で幕府から苗字帯刀を許された百姓はごく僅かであり、
私領の地頭(旗本)から財政立て直しの功や献金によって苗字帯刀を許されたり中小姓格、用人格等の格を与えられたりした者がほとんどである。
旗本の家来の格だから下級の格でありしかも実態は百姓だから幕府の下級武士である御家人とは身分が違う。
260:日本@名無史さん
11/03/06 11:46:28.67
実態は百姓だというより百姓は百姓だから苗字帯刀や~格は勲章みたいな物で武士になったわけじゃないよ
261:日本@名無史さん
11/03/06 12:32:56.81
関東はそうかもしれないが庄屋が藩の武士階級の末端に組み込まれて下級武士的扱いされている場合もあるよ
土佐山内家とか肥後細川家とか大庄屋や庄屋が半官半民的なものだけど下級武士の末端に連なっているよ
262:日本@名無史さん
11/03/06 13:06:21.25
関東の大半は天領旗本領だから百姓も準武士みたいに思ってたらしいよ。藩主が徳川家だから。
263:日本@名無史さん
11/03/06 13:12:16.05
うちは山陽道筋に実家があるんだが、陣屋が近くにある
まあ、今から見れば安い旅館のような建物なんだが、大名の歴々を泊めるってだけあって、そこは江戸中期から地酒を営んでいるいわば豪商の建物だ
今もたくさんの蔵元が町にはたちならんでいるんだがそこがトップの企業になってる
名主ってのは名田経営、平安後期あたりから由緒がある、村を統率する役回りなんだろうけど、戦国時代では地侍など、地方地域の実力者の
つくポストであったことはうかがえる。
馬篭も中山道の宿場町であったから、それ以外の名主がどのような社会的位置づけにあるのか分からんが
264:日本@名無史さん
11/03/06 13:14:54.18
>>262
江戸はただの会議場所だからな
地方から武士が集まって大名以下の旗本が地方大名を接待したりしてた
265:日本@名無史さん
11/03/06 13:21:45.53
陣屋じゃなくて本陣か どうもおかしいと思ってググりなおしたわ
266:日本@名無史さん
11/03/06 14:00:57.38
>>262
準武士?そんな話しは聞いたことないけど?
まあ、「らしい」っていうデマだよな
267:日本@名無史さん
11/03/06 14:03:24.02
山陽道ってあまり大名行列ない地域だよね
268:日本@名無史さん
11/03/06 14:29:47.70
関東の準武士は兵賦と農兵だね
旗本の渡り徒士や若党が農村に帰っても帯刀をやめず社会問題になってたらしいけど
269:日本@名無史さん
11/03/06 15:09:11.66
>>264
会議場所って大名は会議しに江戸に来てるわけじゃないんだよ
大名の参勤は昔の大番と同じ軍役なんだよ
270:日本@名無史さん
11/03/06 15:21:44.66
>>266
URLリンク(homepage2.nifty.com)
天領の百姓は自分たちを直百姓(じきびゃくしょう)と呼んでいました。自分たちは
将軍の直参百姓であって、だから大名や旗本と同格なのだ、という意味です。
新田郡の徳川郷の百姓は脇差しを差し、大名行列にも土下座をしなかったという
のは、誇張かもしれません。ただ、上州長脇差しという言葉があり、上州の百姓は
田畑へ出るにも脇差しを差し、しかもそれは、武士が身につけている脇差しのよう
な短い刀ではなく、大刀に近い長さの脇差しでした。徳川郷の百姓の風体がずっと
拡がっていたのかもしれません。だからと言って、大名行列に土下座しなかったとは
思えませんが、むやみに武士を恐れたりはしない気風を養っていたのでしょう。ともあ
れ、天領とはそういう気分を生んでしまう土地だったわけで、天領から大名領地に編
入された村の人間は、もうそれだけで面白くない。その上、年貢が高い。その意味で、
北関東は一揆の火種を抱えていたことになり、事実、松平大和守の川越はいつも
その問題に悩まされていました。
271:日本@名無史さん
11/03/06 15:44:38.01
>>270
そのサイトってソース書いてないけどそれで信頼できるの?
272:日本@名無史さん
11/03/06 15:48:53.05
>自分たちは将軍の直参百姓であって、だから大名や旗本と同格なのだ、という意味です。
飛躍しすぎだな。
私領や大名領の百姓より格上だというくらいの意味だろうに
273:日本@名無史さん
11/03/06 15:49:08.34
同じようなことを司馬遼太郎が多摩の天領について書いてる。まあ司馬遼太郎だからこそ信じられないかもしれないが。
274:日本@名無史さん
11/03/06 15:53:17.24
天領でも百姓が長脇差を腰にぶっこんで耕作してたらしょっぴかれるっつーの
275:日本@名無史さん
11/03/06 16:03:31.01
長脇差しは関東で跋扈したやくざだよ
276:日本@名無史さん
11/03/06 18:26:38.89
問題は天領と長脇差の関係ですよ。
URLリンク(kosmochlor3.at.webry.info)
関東では、賭博は北条時代から野放しだったが、後に入府した家康は全面的
に禁止にした。 しかし、幕末も文化文政の頃になると、比較的裕福な地域や無
警察状態の幕府直轄領・旗本領・寺社領・飛び領などでは治安は悪化し、長脇差
を差した百姓や無宿者が横行、再び 賭博は常態化していた。 特に、養蚕の盛ん
な上州・武州・甲州や漁業の房州・駿河などで盛んだった。
277:日本@名無史さん
11/03/06 18:46:42.52
つまり貨幣経済隆盛な関東で幕府支配が揺らいでいたわけだよ
278:日本@名無史さん
11/03/06 18:47:36.90
>>252
江戸時代の初期こそ、土豪=武士というイメージは強いはずだが。
だからこそ、江戸時代初期は土豪と同等の身分(旗本以上)のみ武士とされていた。
279:日本@名無史さん
11/03/06 18:53:39.94
関ヶ原西軍の武士が大量に帰農して村で権力を持っていた。
280:日本@名無史さん
11/03/06 18:54:23.37
>>278
関東では後北条氏時代にすでに在地の大百姓や地侍は北条家の家臣、給人や地頭とは峻別されていたよ。
旗本に取り立てられたのは小田原北条氏の給人や一門衆の家来達で大百姓、地侍、名主階層は対象外。
281:日本@名無史さん
11/03/06 19:00:44.09
>>278
旗本と対等な土豪とは具体的にどのような階層の人達?
282:日本@名無史さん
11/03/06 19:02:04.93
史料を挙げて議論しましょう
辞典的記述を繰り返しても無意味です
283:日本@名無史さん
11/03/06 19:06:36.53
そうだね
変なサイトは史料じゃないから史料名でやってほしいな
284:日本@名無史さん
11/03/06 19:09:51.55
ていうか議論なのこれ?
議論の論点がわからない。
単に名主が下級武士より上の身分だと言い張ってるやつがいるだけのように見えるんだが?
285:日本@名無史さん
11/03/06 19:11:25.79
少なくとも徒士(世襲足軽)は、本来の武士ではないっしょ。
286:日本@名無史さん
11/03/06 19:13:00.77
名主は武士(大名・旗本層)より下っしょ。彼らは武士の名目を保つことに失敗した元土豪。
しかし、武家奉公人(いわゆる下級武士)よりは上だろう。
287:日本@名無史さん
11/03/06 19:13:01.78
なんで名主とか庄屋の話しになるんだろうね?
288:日本@名無史さん
11/03/06 19:19:41.64
>>287
名主・庄屋は、土豪、すなわち、中世における本来の武士階級の子孫だから。
289:日本@名無史さん
11/03/06 19:20:59.39
「本来」っていうのはあまり歴史(学)的ではない
近世のことに限っても地域差は大きい
天領とか旗本領とか大名領とかの比較も関東や京阪地方では耕地ごとに違う場合もある
19世紀的な発想は歴女に任せればいい
「武士の家計簿」映画版の感想で 金銀出入帳を子孫への暗号のように解説している
芸能人がいたが
そういうのは学問ではない
290:日本@名無史さん
11/03/06 19:34:18.38
>>286
その土豪ってどこの土豪?
関東では北条氏の時代から名主は武士扱いされてませんよ
291:日本@名無史さん
11/03/06 19:51:51.42
>>286
武家奉公人こそ二三男の勤め先という考え方もある
高木昭作は一季居禁令の「侍、中元、荒子」は武家奉公人であって
武士身分の者ではないと主張している
一方戦国期に兵農分離されていたとする勝俣鎮夫は
後北条氏の陣触れの「武者めくように」を根拠とするが
安良城をはじめ兵農未分離説を唱える研究者は
逆に「武者めくように」武装する必要があることから
その反対だと解釈した
自説を主張するのなら誰がどの史料を根拠に述べているかくらいは整理するのがマナー
概念の話はその次の段階
当時誰が誰を上層や下層と見るかという問題と
社会構造上、上下層を措定して分析することは話が別
292:日本@名無史さん
11/03/06 20:56:20.50
たしかにそうだよね。
名主が武士より上とか下とか、戦国時代は名主層は武士だったと言うのなら、
史料を元にその当時の地域、時代、社会情勢を踏まえた上での具体的な根拠がないと説得力がない
293:日本@名無史さん
11/03/06 22:30:06.73
>>292
頭おかしいの?>>288は、江戸期の名主層は旧土豪や旧武家層が多いといってるんじゃないの?
どこをどう読解したら、戦国期以前よりって話になるの?
294:日本@名無史さん
11/03/06 23:00:55.30
URLリンク(www.oct-net.ne.jp)
●大友家没落後の稙田
①稙田主要所は府内領となる。
新領主・・・福原直孝府内領主 12万石
②稙田荘宗方郷 名家 安東家7代当主 貞吉は太閤検地に竿役(責任者)をつとめる。
③領主 福原直孝の任官勧進を貞吉は辞退し、野に伏し帰農の民となる。安東氏にならい多くの武士が百姓に帰す。
④安東貞吉、宗方郷の庄屋となる。(実質名主)
豊後方・・・・・大野泰基(神角寺)、阿南惟家(高崎山城)、阿南家親(鶴ヶ城)
鎌倉方・・・・・古庄重直、安東常輝、稙田有綱
※この阿南家のち庄屋
295:日本@名無史さん
11/03/07 00:04:43.99
URLリンク(wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp)
【史料群名】 日本財政経済史料 2巻1034頁
【和暦年月日】 寛延3年11月(17500110550) 2条
【綱文内容】 由緒百姓町人及び苗字帯刀等について記す
【出典名】 地方凡例録7
「甲州には武田家の浪人当時民間にある類由緒ありて、古来より
ロウ人相立農業を営、苗字帯刀にて住居いたす者多し。其内には
御朱印或は除地等所持致家柄の者もあり。箇様の類い美濃近江等
にもあり。和州吉野郡には往古より之有。其外国々にも稀には之有。
尤関東には少し。」
無論関東はここでは東日本の意味。
296:日本@名無史さん
11/03/07 00:18:40.91
URLリンク(dayzi.com) (名門一式家)
◎江戸時代の一色党(伊予)・・・一色右馬三郎の末裔
・一色右馬三郎重之の子重勝は、文禄二年(1593)村の長(郡代官)になりました。
・その長男重次は周布三谷の庄屋になりました。
・次男重直が三津屋の庄屋になりました。
・重次の長男重政は、慶長十九年十月(1614)大阪冬の陣に三津屋港から軍平二百余人とともに出陣しましたが摂津国尼崎で25歳をもって戦死しました。
・次男重昌は、周布村一色大庄屋お祖となりました。
・三津屋村庄屋は、三男の重行が継いで大庄屋になりました。
・彼の五男重好(新兵衛範好)は、明理川村の入庄屋になり、貞享元年(1689)には高橋氏に代って壬生川村の入庄屋になり貞享三年から大庄屋になりました。
・明理川の方は、彼の次男が継ぐことになって、一色家は四ヶ村の庄屋を勤めて繁栄しました。
URLリンク(www.e-obs.com)
大友氏の旧臣を千石庄屋に任命
北条家旧臣が本陣庄屋
URLリンク(homepage3.nifty.com)
URLリンク(www.muratasystem.or.jp)
佐竹家旧臣
山寺館主遠藤壱岐守勝高の嫡男。
官途名雅楽頭。
二階堂四天王。
天正十七年(1589)十月二十六日、須賀川城に籠城して奮戦後南ノ原口に於いて嫡男彦一郎と共に討ち死にした。勝重の室は落城後二人の討ち死にを知り、阿武隈川に身を投げて自害したという。下の二首は室の辞世である。
「無人の 爰にくるまの なきとても めぐりあはなん 一つ蓮に」
「後の世も 阿武隈川に 身を投て 浮ぶは深き えにし成りけり」
勝重の七歳の遺児は乳母に抱かれ小作田村に落ち蛭館に居住し、元服して左馬助勝久と名乗り、その後前田川村に移り庄屋
名門武家竹田津氏URLリンク(www2.harimaya.com)
統直の死後、あとをついだ子の永行は竹田津村の庄屋に任ぜられ後世に家系を伝えた。
297:日本@名無史さん
11/03/07 00:32:30.11
>>295
かつての大名が農業やってて、江戸幕府が明示的に苗字帯刀を許可したわけ
でもなく苗字帯刀しているのを幕府は公認しちゃってるって話。
298:日本@名無史さん
11/03/07 01:03:15.75
www.kaku-net.jp/kakuh/usanomiti.pdf
国人・地侍としては俸禄をもらって武家奉公人になるか、農民にな
るか(この家系から江戸期、庄屋・名主が出た)、それとも第三の道をえらぶか
だった。第三の道とは、反乱(一揆)である。九州はとくにかれらの不平で大地
が地鴫りするように沸騰してした。
↓
江戸初期、こういった庄屋が、新領主層の受け入れを拒否し、いたるところで反乱が起きてる。
いい?ここで注目すべきは、庄屋が反乱してる相手は大名家。下級武士など相手になるならないの問題じゃない。
簡単に豪族化できる名主層は本来は下級武士なんかと比較すること自体がおかしい。
要は、江戸初期から名主庄屋は武士に従属をされていたわけではない。
だって旧武家層の再就職としてあらゆる権利を保障したわけだから。
わかるよね?
299:日本@名無史さん
11/03/07 01:10:29.14
でその一色の子孫がsengoku38 というオチですか
あと何をおっしゃりたいのか不明です
年表を作って「はいそれまでよ」じゃないでしょう
古文書・古記録・金石文などの引用を求めます
その上で議論しましょうよ
まあ辞世の句はおいといて
300:日本@名無史さん
11/03/07 01:15:57.29
URLリンク(www.exblog.jp)
これは一般的な名主の長屋門。埼玉の旧北条家家臣の名主。
これはごく一般的で大きいほうではない。
>>259
URLリンク(soroban-ace.at.webry.info)
いくらでも名字帯刀ありの長屋門名主なんてごろごろいるわ。
この大嘘つき。
301:日本@名無史さん
11/03/07 01:17:33.42
苗字帯刀=武士じゃないからね
302:日本@名無史さん
11/03/07 01:24:16.34
幕府は苗字帯刀しても郷士格があるものとないものに分けている。
303:日本@名無史さん
11/03/07 01:28:56.33
>>299
わかりました。
いいですか、>>251で書いてある
{名主}
・世襲で村自体を完全支配を許され、自治権を完全掌握。(平均石高300石前後)
・先祖伝来の土地2町以上保有当たり前(石高30石以上) ・藩政末端の行政区、村の管理統括者(実際名主がいなけりゃ藩政は崩壊)
・屋敷は上級武士や旗本並(長屋門もつ名主もざら)
・村行政のすべてを一任されている。(税率も上乗せ課税権まで持つ。裁判権や警察権も持つ)
・着物の装飾、生地は中級武士と同等が許されている。
・蔵が立ち並び、財力は江戸期の折り紙つき。
・由緒は旧武家層多数
・名字帯刀あり多し(郷士格多数)
↓
これだけの権限持つ身分は名主意外になんですか?大名家や旗本でしょ。
英国やフランスではこれは完全なる領主です。
しかし、名主に純然たる武士の身分与えたら、単純に豪族となってしまうため、
武士の身分は剥奪する代わり、中世以来の権限や土地をそのまま保障したわけですよ。
わかりますよね?
304:日本@名無史さん
11/03/07 01:34:13.67
長屋門もつ下級武士がいたら、まじ見てみたいwwwwwwwwwww
いるわけないけどwwwwwwwwwwwwwwww
305:日本@名無史さん
11/03/07 02:10:28.83
郷士格=武士ではない
306:日本@名無史さん
11/03/07 02:15:06.79
>>292
おい君w。ネットでいくらでも、旧武家層や没落武家、豪族、地侍、土豪の末裔の名主なんて腐るほど検索できるぞw
読解力皆無の盲目歴史ヲタw
URLリンク(ja.wikipedia.org)
(名主とは)
近世初期の庄屋は、身分は百姓であったが、中世以来の在地有力者が多く、
戦国大名の家臣だった者も少なくない。
したがって初期の庄屋には勝手気ままな振る舞いをすることがあり、
初期村方騒動で、領主と対立するもの多く、権限に規制をするようになった。
↑
きちんとかかれてるだろうがw
307:日本@名無史さん
11/03/07 02:15:32.69
>>304
長屋門を構えるほどの郷農名主でも、下級武士の縄地検見で土下座&接待攻勢で苦労した例は数多だろうけど
名主は百姓の代表だから苦労しただろうね。
308:日本@名無史さん
11/03/07 02:18:13.94
郷士格は武士ではないが、御家人である。
御家人>>>>>>>>>下級武士 なのはいうまでもないだろ。
309:日本@名無史さん
11/03/07 02:20:49.83
>>308
御家人に郷士格なんて存在しませんが?
地域、時代をきみ昔から同じ事言ってるるね。
310:日本@名無史さん
11/03/07 02:21:46.37
八王子千人同心でさえ御家人でないからな
311:日本@名無史さん
11/03/07 02:30:58.39
>>307
そうでしょうね。検見ですものね。
あなたがいってるのは、おかしいとわからない?
下級武士に頭を下げてるのではなく、落札のような公執行業務担当官が下級武士なら、そりゃ下げるでしょ。
検見にさげてるわけで、話を一食単にして摩り替えないでくれる?
312:日本@名無史さん
11/03/07 02:38:38.76
泣く子も地頭には勝てない
縄地検見での下級武士と名主の関係は領主→領民の関係
313:日本@名無史さん
11/03/07 02:48:44.92
>>312
ええ、その場面のみではね。
あくまで藩主執行権の代理という立場を借りた下級武士と名主の関係ね。
で?しかも現場の作業員にすぎない検見役は、藩主や藩政の代理ではなく、
代理権の現場作業者として、それでもその執行中は優越感だというなら、そうなのでしょうね。
で、その下級武士は、さぞかし自分の意思意向で、たかが村名主一人締め上げて村政を牛耳れるんでしょうね?w
代理権の執行作業員ではなく、己の独断で村政に介入できるくらいに出世してから自己満にひたってくださいよw
314:日本@名無史さん
11/03/07 02:51:18.26
たぶんこの土豪名主郷士馬鹿は、わざわざ「縄地」検見と言っている意味がわからないんだろうな
憐れだな
315:日本@名無史さん
11/03/07 02:58:54.45
本当バカだね
下級武士が御領主様なのにね
316:日本@名無史さん
11/03/07 02:59:12.66
だったら、君たちが藩主の場合、下級武士一人の私情と、名主一人の私情、どっちを工面する?
小藩など村ひとつがドロップアウトして年貢も収めなくなった時点で即財政崩壊、
そして名主討伐に合戦でもしようものなら、即藩政崩壊。北海道夕張市状態の行財政崩壊。→荒廃
わかるよね?でも君たちからしたら下級武士は武士だから偉いという発想なんでしょ?幼稚かよw
317:日本@名無史さん
11/03/07 03:04:35.62
名主を替えるよ
318:日本@名無史さん
11/03/07 03:08:13.72
>>317
で応じなかったら?名主が村の百姓引き連れた一揆がどれほどのものかそれすらわからないの?ww
でも江戸初期は>>306に書かれているとおり対立による戦もおきてるが中期以降はあまりない。
なぜか?名主は下級武士のように幕末で発狂しなければならないような立場におかれていない。
当時としては上級武士に並ぶほどの公待遇で役や立場を保障されてるからねwww
プププっ
319:日本@名無史さん
11/03/07 03:22:55.62
百姓一揆には作法があったみたいだね
百姓側は刀槍や鉄砲は使わないのが原則
領主側は鉄砲は原則使用しない。鉄砲を使用する場合は老中の許可を得てからでないとNG
320:日本@名無史さん
11/03/07 03:28:35.98
幕末に下級武士が発狂とかマジこいつ阿保だわ
討幕~維新には上は公家から下は百姓まで全て関わっているんだがなぁ
321:日本@名無史さん
11/03/07 03:31:51.49
それはいつの時代の話?初期は名主が村ひとつガッツリ武装して藩兵1500近く出動して
数ヶ月かからなくちゃ鎮圧できなかった例もある。
1500も藩兵いる大藩ならまだしも、ほとんどの藩が、名主の村ひとつ本気で潰そうとなったら戦の勝ち負けにかかわらず崩壊するだろうな。
ここに下級武士の出る幕はないのですよw末端の弾除け要員なんかに。w
322:日本@名無史さん
11/03/07 03:33:52.07
>>320
>>討幕~維新には上は公家から下は百姓まで全て関わっているんだがなぁ
wwwあんたのほうが恥ずかしすぎるだろww釣りか?wwふざけてるの?wwとぼけてるの?ww本気?ww
なんのつもりだかが読めないのがマジ怖いw
323:日本@名無史さん
11/03/07 04:28:35.03
名主屋敷のごく一例
URLリンク(www.kamoltd.co.jp)(ただの藩邸乙ww)
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
URLリンク(kaidou.mitsu-nari.com)
阿仁前田で異彩を放っているのが庄司家住宅ではないでしょうか。
前面道路一面の板塀で囲まれ、重厚な門が中央に配置されています。
母屋玄関はこの門から奥まった所にあり、複数の建物と庭の大樹とがあいまって他を圧倒させます
。庄司家は秋田県有数の大地主で昭和初期には田園343㌶、畑47㌶、宅地35㌶その他広大な山地も持っていました。
所有地は旧北秋田郡8町村に及び小作人は700人はいたそうです
URLリンク(www.nishie-residence.com)(天領庄屋)
URLリンク(www.daisen.jp)
URLリンク(www.city-miyoshi.jp)
URLリンク(puchitabi.jp)
324:日本@名無史さん
11/03/07 04:33:34.09
で、下級武士閣下様のさぞかし立派な邸宅プリ~~ズwwww
325:日本@名無史さん
11/03/07 04:43:08.72
なぜこれだけの旗本並みの屋敷や門、権利や権限が、名主にだけ許されていたか、よ~~~く考えればわかるはず。
それが歴史の真実、答えなのか・・・・・。
326:日本@名無史さん
11/03/07 07:37:56.88
明け方に基地害が荒れ狂ってたようだな
327:日本@名無史さん
11/03/07 09:37:38.41
○○様(大商人)には及びもないが、せめてなりたや お殿様。
328:日本@名無史さん
11/03/07 09:40:14.28
ひどいなこれは・・・
329:イケメン2号
11/03/07 19:14:25.61
漏れの先祖は何故か村の庄屋職を弟に譲り、一発奮起して城下町に出て
傘貼り、質屋、刃物商を経て藩との繋がりが出来て武士に登用され
おかち並(漢字変換出きまへん)迄上がりますた。
藩の分限帳を図書館で必死こいて探しますたけれど、
名前をハケ~ンすることは出来ませんですた。
おかち並って下級武士の中でも下位クラスですか?。
330:日本@名無史さん
11/03/07 20:02:53.63
藩にもよるけど徒士は分限帳に人数だけ記して姓名までは載せない事が多い
331:日本@名無史さん
11/03/08 10:11:46.02
武士とは何か(定義)
いつぐらいから確立されたか
士族(壬申戸籍)と武士との違い
侍とは違いがあるか
について述べよ
332:日本@名無史さん
11/03/09 07:19:25.90
武士とは承平・天慶勲功者子孫および寛平・延喜勲功者子孫であり、「もののふ」の
系譜は恵美押勝の乱鎮圧勲功者にまで遡ることが出来る。
武士団の棟梁たる武士はその系譜上にいることは言うまでもない。
ここでの議論において古代における田堵・負名層を無視することは出来ない。
彼らこそ棟梁の郎党層のルーツであるからである。
即ち、中世期以前の兵農未分離状態の農村社会においては土豪(田堵・負名の末裔)
が地域の武力的経済的支配者であり、近世初期においても関が原役東軍旧守護国人系大名の
支配構造においても温存(国替の無かった島津・伊達はさらに)されることとなる。
兵農分離によって同じルーツを持つ上級下及び中級武家と名主・庄屋層は文字通り分離されてしまった。
ちなみに下級武士など近世初期以前には存在しない。
333:日本@名無史さん
11/03/09 07:58:57.49
木下藤吉郎はどう位置付けるの?
334:日本@名無史さん
11/03/09 15:39:19.78
木下藤吉郎発給の初出文書は永禄8年の知行宛行ですね
335:日本@名無史さん
11/03/09 23:44:51.39
下級武士は自由に職種を変えられるからいいんだよ
336:日本@名無史さん
11/03/10 20:39:43.30
一季居奉公人
337:日本@名無史さん
11/03/11 00:52:30.07
郎党は御家人ではない。
下級武士は郎党と同じレベル
所領を全く保有していない者は本来武士身分ではない。
338:日本@名無史さん
11/03/11 06:26:36.46
郎党にもいろいろあるんだろう。
御家人の家来にも、所領を有している者と有してない者があって、
その総称といったところだと思う。
339:イケメン2号
11/03/11 09:22:19.97
漏れの先祖は武士に御徒士並迄上がった初代やその息子は武士として
大した業績は残してないけれど、孫は幼い頃からエロい先生に教わって江戸留学や
勝海舟の海軍総練所で学び藩の商船の艦長を務め、廃藩置県後は藩主から
教員に成ことを命令されて、藩校の教師を経て高校の校長を務めた。
石高は幾ら貰っていたか知らないけど、下級武士の子でも出世出来るんだと
思っている。
340:日本@名無史さん
11/03/11 19:10:54.59
所領
騎乗
直参
341:日本@名無史さん
11/03/14 11:48:56.39
>>340 の3つが武士身分たる必要条件ではあるがまだ充分条件ではない。
それに+「家名」(偽造品でも家宝+系譜)
342:日本@名無史さん
11/03/14 12:07:51.35
カー
クーラー
カラーテレビ
343:日本@名無史さん
11/03/14 13:25:48.57
>>337
お前神聖馬鹿だな。
郎党とは本来の中級武士。
下級武士というのはただでさえ江戸期に役がなかった。
中世以前ではこういう余剰人員など守護大名ですら常備してないんだから、
なんで下級武士が郎党になるんだよ。
それに中級武士ですら所領なんて有してないのが大半だろ。
郎党が中級武士。
騎馬武者、国人が上級武士。
大名は守護。
名主は土豪、地侍
下級武士は、実際当てはめるものが難しい。要は完全な戦国期の負の産物。必要性が一切ない。
ただ、江戸期以降事務方が煩雑になり、その処理や現場現業職を担当するあくまでパートのような存在。
近世になり、大名家の支配地域が拡大し、又支配地の管理庶務が現代版化してきたため、
必然的に最末端であった郎党の中士が軒並み格上げになって、
その中士の担っていた現業部分を切り離して、下士になすりつけたという形が正解。
だから、その下士の執行になんら付随する権限は一切持たされていなく、
ただただ上士の権限が付加され、それに基づく藩政や執務を具体化された行動で示す汚れ役をただただこなすのが下級武士。
ただの駒使いであり、使い勝手のよい使い捨て肉便器ということ。
344:日本@名無史さん
11/03/14 19:06:50.01
一に所領・俸給
二に役職・軍役
三に家格
これは三位一体
345:日本@名無史さん
11/03/15 23:59:03.09
>>343
肉便器ww
346:日本@名無史さん
11/03/18 19:37:13.06
郎党はもともと一銭五厘の肉弾奴隷でそ
347:日本@名無史さん
11/03/18 20:42:28.19
分限帳を見ると自分と同じ苗字の人が五人くらい○石○人扶持
(○の部分はそれぞれ違って、全て10石以下)と載っていたん
ですが、これはやっぱり足軽ってやつですか。
10万石の藩です。
348:日本@名無史さん
11/03/18 23:12:15.40
どこの藩なの?
349:日本@名無史さん
11/03/19 10:06:28.75
斉民を養子とした頃の津山
350:日本@名無史さん
11/03/19 15:05:38.67
分限帳に姓名と禄高が載るくらいなら足軽ではないだろう
351:日本@名無史さん
11/03/19 22:45:18.44
足軽って石高なんてないだろ。扶持もつくか?
足軽の待遇や生活ってマジ悲惨すぎだぞ。扶持か武士じゃないかの以前に、
町人よりひどい待遇かもしれない。
352:日本@名無史さん
11/03/20 14:48:48.27
足軽はふだんはバイト。
朝鮮王朝の兵卒も、ふだんは家族が小商売(には若干の免税)してたらしい。
353:日本@名無史さん
11/03/20 23:23:09.30
なんで挑戦の話になるんだよ?wwwwwwwwwwww活動必死wwwwwwww
354:日本@名無史さん
11/03/20 23:54:55.95
兵卒は武士ではない。
武士と言うのは将校クラス。
大日本帝国職業軍人が兵卒と同じ軍人と思っていなかったのと同じこと。
下士官クラスは微妙。←下級武士に当たるとも言えるし。
355:日本@名無史さん
11/03/20 23:58:21.41
職業軍人てなに?
356:日本@名無史さん
11/03/21 00:05:18.47
そもそも藩としてその人材の行動に責任を持つということは、その人材に役も持たせるということ。
役も一切も足されない下級武士だからこそ、軽輩として藩としても、その個に責任は負わないということ。
下級武士が武士出ないことは明らかだよ。
>>355
士官学校卒という意味だろ
357:日本@名無史さん
11/03/21 00:08:23.15
スレリンク(ymag板)
358:日本@名無史さん
11/03/21 00:10:33.42
>士官学校卒という意味
ちがう。
戦費も込みの俸給を前渡しされる(あるいは自らまとまった戦費を調達できる)身分ということ。
359:日本@名無史さん
11/03/21 00:13:21.23
>>358
でもそれは兵学校卒や士官学校卒じゃないのか?
360:日本@名無史さん
11/03/21 00:18:46.14
戦費を自弁できる将校・士官がいるかよw
361:日本@名無史さん
11/03/21 00:24:35.27
>>356
本来武士なら、確かに軽輩なんて同じ仲間に言われるわけないよな
362:日本@名無史さん
11/03/21 00:27:36.02
>>360
俺は仕官や将校がなんていってないが?
卒といってるだけだろ?将軍で下肢あがりなんているのか?
363:日本@名無史さん
11/03/21 00:33:28.78
↑馬鹿なの?w
364:日本@名無史さん
11/03/21 00:34:53.25
旧藩時代の武士を旧軍の階級に当て嵌めるのが間違いだな
365:日本@名無史さん
11/03/21 00:35:33.86
士官学校から将校になるってのは、近代から。
米では地域有力者が大佐といってたりしてた。州兵のレベルなら今もあるらしい。
366:日本@名無史さん
11/03/21 00:36:50.10
曹などの卒も職業軍人ですがね
367:日本@名無史さん
11/03/21 00:39:34.65
>>365
近代とはいつごろからの話?江戸後期から近代になるのにどこさしてるかわからん
仕官卒じゃない将軍いるなら教えてくれないか?
368:日本@名無史さん
11/03/21 00:44:42.06
>>361
山県、野津、立見、奥、山路、
沢山いすぎ
369:日本@名無史さん
11/03/21 00:45:29.44
>>367
山県、野津、立見、奥、山路、
沢山いすぎ
370:日本@名無史さん
11/03/21 00:47:52.13
山県らを武士なんて思ってるのはおたくだけじゃない?w
足軽まで工作しちゃってww
371:日本@名無史さん
11/03/21 00:49:58.94
寺内正毅や児玉源太郎もだな
まあ武士を軍の階級に当て嵌めて論じるのはあまり意味があるとは思えないけどね
372:日本@名無史さん
11/03/21 00:50:59.34
>>370
意味不明なんだが?
373:日本@名無史さん
11/03/21 00:53:46.54
>>367
君は乃木希典って知ってる?
374:日本@名無史さん
11/03/21 00:54:43.56
意味不明てw山県を武士だとほざく歴史トーシローの寝言かw