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スラムの形成とクリアランスからみた大阪市の戦前・戦後
-Formation and Clearance of Slum in Osaka, from 1910 to 1975-
URLリンク(www.ritsumei.ac.jp)
Ⅱ-1 闇市
以下の引用は、昭和21年7月16日に着任した大阪府警察本部の新警察部長の
回顧の一節であるが、当時の上からの闇市の不法観が実によく読み取れる。
「軍政部がこのヤミ市閉鎖に非常な熱意を持っていた大きい理由のひとつに
も、ヤミ商人の公然たる土地不法占拠の事実があった。ヤミ商人がめったやた
らに公道や、公有地に一夜造りのバラックを構え、また人の私有地であっても、
そこの管理人や地主の承諾など全くなしでのさばっている違法、というよりも
法の存在を公然無視した行為は断じて許し難い。終戦前は繁華街だった難波心
斎橋はじめ市内各地の焼け跡なども同様で、地主の承諾を得ないままで本式建
築物やバラックを立てて、地主が建物のとりのけや、立退きを要求すると逆に
法外な立退き料や賠償金を吹っかけ、ひどいのになると実力沙汰で暴行脅迫を
する。その立退き料や賠償金は、…中略…、法外なもので、先祖伝来の土地を
みすみす他人に占領されながら、泣き寝入りするものも少なくはなかった。も
っとも悪辣な例としては、他人の土地に無断で建物を建てておきながらこれを
高い値段で他人に譲るという手で、つぎつぎとこの手でバラックを建てては、
売りさばく台湾省民もあった。
地主に対する脅迫の悪質なものでは、地主がこれらのボス達に拉致されて、
莫大な立退き料を要求されるなどという事件も起こったほどだ。ことに不法占
拠のやり方がまた驚き行った無法者流で、簡単なバラックを一夜のうちに急増
して、地主の気づいたときにはもう営業が始まっているという調子。この不法
占拠者には第三国人が多く、そのほとんどが中華民国人か台湾省民であった。
戦争に勝った中国人が、「日本人の土地建物を占有するのに何の文句があるか」
これが彼等のきまった口実であった」(鈴木 2000:140-141)。