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ブログテーマ[歴史 引き揚げ時の韓国人の蛮行]|本当の日本の歴史
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戦後引揚げの記録
2010-05-01 02:00:00
たとえば300名中、その半数が死亡した富坪の避難民の情況を調査するため
派遣された威鏡南道人民委員会検察部、李相北情報課長自身、
次のように報告している。
「かれら(在留日本人)の大部分は、途中において衣類、寝具等を剥奪され、
零細なる金銭と着衣のみにて感興市内に殺到したるも・・・・」
「われわれは三六年間の日帝の非人道的支配に反発し、
立場が逆になった日本人全般に対する民族的虐待という、
ごく無意識のうちにファッショ的誤謬をおかしたことを
告白せざるを得ない。
駅前に雲集せる三千余名の避難民を空砲と銃剣を擬して、
即時感興市外脱出を強要し、市外に追放した。
その結果、断え間なく降りつづいた雨中の川辺と路傍に野宿し、
極度の困憊と栄養不良を激成し・・・・
富坪避難民の宿舎は実にのろわれたる存在である。
それは実に煤煙と、あまりの悲惨さに涙を禁じ得ない飢餓の村、死滅の村なり。
襲いくる寒波を防ぐため戸窓はたらず、かますで封鎖され、
白昼でも凄惨の気に満ちた暗黒の病窟なり、
それは避難民を救護する宿舎ではなく、
のろいを受くる民族のまとめられた死滅の地獄絵図にして、
老幼と男女を問わず、蒼白な顔、
幽霊のようにうごめくかれらは皮と骨となり、足はきかず、
立つときは全身を支えることもできず、ぶるぶるふるい、子供たちは伏して泣す。
無数の病める半死体はうめきながらかますのなかに仰臥しており、
暗黒の中にむせびつつ・・・・
そこに坐しているのは実に地獄の縮図以外の何ものにもあらず・・・・
森田芳夫氏著 「朝鮮終戦の記録」より