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【産経抄】2011.5.21
戦後30年ほど、大阪のど真ん中に広大ながれきの山が存在していた。大阪城の東側にあった
兵器工場、大阪砲兵工廠(こうしょう)が昭和20年8月、米軍の大空襲で焼け落ちた。その跡が
一部、手つかずで残っていたのだ。跡地利用が決まらず、不発弾が残っている恐れもあったからだ。
▼20年代や30年代には放置された鉄材や銅材を狙う金属盗が出没、警察との間で捕物劇を
くり返した。現場は西部劇の舞台を思わせたので「アパッチ族」と呼ばれた。そのたくましい生活力は
開高健氏の『日本三文オペラ』などの小説にもなった。
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
『夜を賭けて』 梁石日(ヤン・ソギル)著 (冬幻社文庫 本体724円+税)
(『Volo』07年6月号特集記事より 編集委員 吐山継彦)
■戦後大阪の在日コリアン史を鳥瞰できる作品
●造兵廠の廃墟で金属を盗掘するアパッチ族
URLリンク(dankaiaction.jp)
アパッチ族の末裔を訪ねて 桜ノ宮編 (1)
終戦直後の大阪城周辺には、「大阪砲兵工廠」跡地に忍び込み、夜な夜な金属を盗み出しては
業者に売りさばき生活の糧にしていた「アパッチ族」と呼ばれる、在日朝鮮人を中心とした人々が
生活していた。それらの末裔と思われる住民が、今でも金属や廃品を回収するなどの生業で
ひそかに暮らしているのだ。
URLリンク(osakadeep.info)
大阪陸軍砲兵工廠跡地は、当時、近畿財務局が管轄していて、当然、跡地に残る屑鉄は、国有財産。
その国有財産を巡って、取り締まる警察と警察の目をかい潜って盗み出すアパッチ族との間に、
熾烈な戦いが繰り広げられていました。
URLリンク(ameblo.jp)