10/09/14 17:43:57
和夫一家殺害事件 敗戦直後の朝鮮の状況
(前略)
日帝時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には、明らかに立派な人々も多かった。ところが、和夫一家殺害事件のように、
韓国人は自分たちの間違いを、日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し、事件を矮小化、隠蔽しようと躍起になっている。
(略)
当時、朝鮮にいた日本人地主のなかには、朝鮮人の小作人たちから、法の規定以上の小作料を取り立てる、怪しからぬ人々もいたが、
ふだんから人情味の厚かった和夫は、小作料を収穫全体の十分の一とし、村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。
自分たちの生活が困らなかったので、総督府の法令にしたがって、やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。
貧しい小作人が食料がないと泣きつけば、喜んで食べるものを分けてやったし、村で誰かの葬礼があれば、家族総出で駆けつけ、
食事の支度はもちろん、自ら慟哭して、悲しみを分かちあうこともあった。このように、和夫は人間への温かい愛情をもった、真の人間だった。
また、和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を見ていたが、その数は、一人、二人と増え、四、五年たつといつのまにか
私設孤児院規模にまで増えてしまった。けれども、和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。
和夫の家族は、ふだん、このように朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。
しかし、彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした一九四五年八月十五日、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害されたのだ。