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語りつぐ戦争(22)北朝鮮引き揚げの悲劇
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終戦記念日のきょうは、現在の北朝鮮で日本の敗戦を迎えたある女性を紹介します。
女性は、この世の地獄を体験しました。その記憶を、自作の絵で残そうとしています。
早野さんが生まれたのは、現在の北朝鮮東部の町・ハムフン(咸興)。日本の植民地だった朝鮮半島には、
終戦時、70万人の日本人が住んでいました。父は電気技師。当時珍しかった、家に電話のある、
恵まれた環境で暮らしていました。
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「無抵抗の婦女子めがけて、野獣たちが群がって、こういう事実は表に出せませんよね。
だけど、風化させるわけにはいかない」
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そして、厳しい冬。飢えと寒さが、追い討ちをかけました。
「私を慕ってくれた女の子も、家族全員が亡くなりました。婦女子が体験した戦争は、屈辱の嵐です」
昭和20年12月のひと月に、ハムフンでは1600人の日本人が死んだといいます。
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「婦女子への暴行はひどかった。まして、うちは赤ん坊背負っていますし。行くしかない、戻れない。
38度線を越えるのに、皆生きる希望を持っていました。たどり着いたのは、不思議なことですよね・・・」
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終戦から1年近く経ち、早野さんたちは、紙一重、幸運な帰還を果たします。しかし、終戦時北朝鮮にいた
日本人35万人の1割、3万5千人が死亡したと言われています。その亡骸は、置き去りにされたままです。
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中国残留孤児に代表される引き揚げの悲劇はよく知られています。しかし、政治体制が障害になって、
北朝鮮で起きた悲劇はあまり知られていません
亡くなった人以外に、生きて北朝鮮に取り残された日本人が数千人いるという説もあります。しかし、
現在は、それを調べる方法さえないのが実情です。