10/10/12 19:28:15
>>559
秀頼は(義理の祖父・家康のススメもあって)近畿一円の神社仏閣を修築・寄進しまくっていますから、
秀頼によって、父・秀吉の築いた大坂城を更に豪華に飾ろう(あるいは家康の侵攻に対応すべく物見櫓としての機能を強化しよう)として、
(寛永期江戸城の第4層同様)唐破風屋根の凸部などが増築された可能性もありますね。
>>562
秀吉大坂城の第1層目北面に縋(すがる)破風が葺き降ろされていたとすると、内藤案安土城第2層北面と共通しますね。
とすれば、北に一段低い大倉を配置するのが、織豊期天守の定石だった可能性も出てきますね。