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「コリアン世界の旅」 野村進 1996年 講談社
いま全国に約一万八千軒あるパチンコ店のうち、在日および帰化者二世 ・三世を含む)が経営する店の割合は、
六割とも七割とも言われる。三軒 に二軒は、オーナーが韓国・朝鮮系ということなのである。パチンコ台の製造
メーカーにも、最大手の「平和」を筆頭に、韓国・朝鮮系の経営者が 名を連ねている。(中略)
パチンコが全国に広まり大衆的な人気を博するのは、明らかに日本の敗戦直後からである。身近に安価な娯楽
がなかったためという理由ばかり ではない。焼け跡闇市の時代の庶民を何よりも魅了したのは、景品に出される
タバコだった。配給制で常に不足がちなタバコが、強力な呼び水となって、戦後最初のパチンコ・ブームを巻き
起こしたのである。 かくしてパチンコ店は雨後の筍のように増えていくのだが、当時、開店資金をどのようにして
工面したのか、その経緯が在日自身の口からおおやけにされることも、私の知るかぎり絶無と言ってよかった。
『こんなことを話す人間は、ほかにおらんだろうね』 と前置きして、キムが語る。 『闇市で儲けて、それから
パチンコ(店経営)に走った人が多いんですよ。じゃあ闇市で何をして儲けたかというと、結局、ヒロポンと贓物故買
(ぞうぶつこばい)だよね』 密造した覚醒剤を売りさばいたり、盗品の横流しをしたりして、短期間のうちに大金を
作り、それをパチンコ店開業に振り向けたというのである。
『そういううしろ暗い過去がなかったら、カネなんていうものはそんなに貯まらんですよ。うしろ暗い過去があるから、
人にも言われんわけでね』
(贓物故買=窃盗、詐欺などの犯罪行為によって不正に得た物品を売買すること)
戦争直後、韓国・朝鮮人がいくらかの元手ができるとすぐパチンコ店経営に乗り出したのは、日銭が確実に入り、
その額がほかの廃品回収や焼肉といった職 業よりも格段によかったからである。一日の売り上げだけを見ても、
数字のゼロが一つかニつ多かったのだ。