07/03/06 05:08:03
朝鮮人密航者に関する一次資料。
詳細はアジア歴史資料センター URLリンク(www.jacar.go.jp) で閲覧できる。
なお、閲覧するにはDjVuプラグインが必要です。
URLリンク(www.lizardtech.co.jp) からDL出来る。
レファレンスコード:A20030235914
表題:朝鮮人移住対策ノ件
(公文別録・内務省・大蔵省・陸軍省・海軍省・商工省・逓信省・大東和省・昭和六年~昭和十八年・第一巻)
作成者:内閣
記述単位の年代域:昭和6年~昭和18年
騒乱・その他の犯罪・家賃踏倒し・借家の損壊等の借家紛議・
衛生風俗上の問題等、各般の問題を惹き起こし
又、借家の困難に伴い土地を不法占拠し不潔な陋屋を密集して建て
治安上憂慮すべき事態が生じている等々、
朝鮮人密航者を食い止める事が緊急の要務だと報告されている。
[003/004] 13 - 参 - 文部委員会 - 11号
昭和27年02月28日
先ほど大野校長さん、以前の主事さんから申されました通り、あのバス通りに面しま
する約四百坪の土地は、当時都会議員をしておりました原定良君が借りましたが、こ
れも建築真際に至りまして、一晩のうちにこれを占拠して建てました者は朝鮮人と中
華民国人であります。現在も建物の所有者はあの表通りは多く中国人と朝鮮人が持つ
ておる。これは許可も何もない。形式的に原君から借りましたと言つて一夜にして建
ててしまつた。これが不法な建築であり、暴力によつたということはもはや論ずる余
地もありません。
URLリンク(kokkai.ndl.go.jp)
47:日本@名無史さん
07/03/06 05:08:51
[001/004] 63 - 参 - 建設委員会 - 9号
昭和45年04月02日
ちょっと事実を読んでみましょう。「広島県に住む原告Nは大阪市東淀川区に土地を
所有していたが、昭和三十六年三月に当該土地は被告大阪市を施行者とする新大阪駅
周辺土地区劃整理事業の施行区域に含められ道路予定地とされた。ところが当該土地
を朝鮮人三〇名が不法占拠した上、建築基準法違反の建築物をたて、昭和三十八年二
月より七月までの間、給水装置を設置するために大阪市水道局長に対し、給水工事の
申込みをし、結局は給水管その他の給水装置が布設された。
URLリンク(kokkai.ndl.go.jp)
知ってるつもり? 2001/12/9 放送 ドケチ伝説「吉本晴彦」
戦後の混乱で現金は紙切れ同然。固定資産税を払うため土地は三分の一まで減ってもうた。先祖伝来の土地
の上には見知らぬバラックが立ち並び、もはや無法地帯。しまいには、暴力団絡みの「事件師」が小屋を立て
不法占拠。困り果てた晴彦、祖父との約束を是が非でも守る為、ある腹を決めた。なんと、建設会社の労働者
60人を率いて不法占拠のバラック小屋を急襲!小屋を壊して土地を奪い返すと晴彦は警察に出頭。世間は
この騒動を「梅田村事件」と呼んだのだった。
これ以後、住みついた既成事実を盾に和解金をせしめようと言う相手と裁判に持ちこみ、長い法廷闘争で晴彦
が勝訴したのは4年後の昭和31年。この事件をきっかけに初めて「不動産侵奪罪」が刑法に加わった。更なる
障害を乗り越え、梅田駅前の土地を整理し更地にできたのが、なんと昭和48年。復員してから24年後だった
ここに念願の高層ビルを建てたのは昭和51年のこと。
URLリンク(www.ntv.co.jp)
48:日本@名無史さん
07/03/06 05:10:24
日下公人氏が著書『そして日本が勝つ』の中で次のように書いています。
「いま上野や神戸に朝鮮の人がたくさん住んでいるのは、終戦直後に不動産の『即時取得』をしたからである。
日本が空襲で焼け野原になると、街のあちこちに地主の移転先を記した看板が立っていた。その看板が立たない
土地は一家全滅の印で、そこに朝鮮人が家を建て、店を出して住み着いた。
阪神、淡路大震災が起こるかなり前から、神戸市は、『地震や火事の際に危険なので、入り組んだ街路を整備
します。』という都市計画事業の通知を出していたが、調査されると不法占拠した土地だとわかるから、彼ら
は反対した。その結果、消防車も入れないような細い道が放置され、震災にともなう火災で焼死者が多く出た
のである。国は十兆円のお金を神戸市復興に投じたが、そのときもまた反対があって、五十年前と同じ道路に
なっている。こうした場所は国税庁も市役所もわかっているのだから、ただ『地主名を明らかにし、税金を
きちんと納めなさい』と言うだけでいいのである。』
朝鮮人は、甘えた民族です。
URLリンク(66.102.7.104)
『日本史から見た日本人・昭和編』 渡部昇一著(祥伝社)
しかし、日本に残留したコリア人は、一人残らず一時的には金持ちになったといえよう。
戦災を受けた駅の近所の土地を不法占拠するのが、その始まりであった。闇の物資を
さばくには、警察の手の出しにくい人たちのほうが便利という面もあったろう。
(中略)
そのようなことは、そのうち治安の恢復、警察力の恢復でなくなる。再び貧しくなった
コリア人も、相当いるであろう。しかし、その頃に蓄えた経済力を元にして、正業を発展させ、
今では立派な経済人になっている人もいる。一時は銀座をはじめとする目抜きの土地が
すべて「第三国人」の手になるのではないか、と心配された時期もあったのである。今でも、
在日コリア人の平均財産は、日本人の平均財産より少ないということはないであろう。
49:日本@名無史さん
07/03/06 05:12:11
「コリアン世界の旅」 野村進 1996年 講談社
いま全国に約一万八千軒あるパチンコ店のうち、在日および帰化者二世 ・三世を含む)が経営する店の割合は、
六割とも七割とも言われる。三軒 に二軒は、オーナーが韓国・朝鮮系ということなのである。パチンコ台の製造
メーカーにも、最大手の「平和」を筆頭に、韓国・朝鮮系の経営者が 名を連ねている。(中略)
パチンコが全国に広まり大衆的な人気を博するのは、明らかに日本の敗戦直後からである。身近に安価な娯楽
がなかったためという理由ばかり ではない。焼け跡闇市の時代の庶民を何よりも魅了したのは、景品に出される
タバコだった。配給制で常に不足がちなタバコが、強力な呼び水となって、戦後最初のパチンコ・ブームを巻き
起こしたのである。 かくしてパチンコ店は雨後の筍のように増えていくのだが、当時、開店資金をどのようにして
工面したのか、その経緯が在日自身の口からおおやけにされることも、私の知るかぎり絶無と言ってよかった。
『こんなことを話す人間は、ほかにおらんだろうね』 と前置きして、キムが語る。 『闇市で儲けて、それから
パチンコ(店経営)に走った人が多いんですよ。じゃあ闇市で何をして儲けたかというと、結局、ヒロポンと贓物故買
(ぞうぶつこばい)だよね』 密造した覚醒剤を売りさばいたり、盗品の横流しをしたりして、短期間のうちに大金を
作り、それをパチンコ店開業に振り向けたというのである。
『そういううしろ暗い過去がなかったら、カネなんていうものはそんなに貯まらんですよ。うしろ暗い過去があるから、
人にも言われんわけでね』
(贓物故買=窃盗、詐欺などの犯罪行為によって不正に得た物品を売買すること)
戦争直後、韓国・朝鮮人がいくらかの元手ができるとすぐパチンコ店経営に乗り出したのは、日銭が確実に入り、
その額がほかの廃品回収や焼肉といった職 業よりも格段によかったからである。一日の売り上げだけを見ても、
数字のゼロが一つかニつ多かったのだ。