07/03/06 04:43:36
☆編集者へ=つくば市の新井佐和子さん(元サハリン再会支援会代表・69歳)
から。(「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」(草思社)の著者)
しかし、日本時代の樺太(サハリン)にいた韓国人(いまの韓国を故郷とする人
)は、前記一部の知識人が言っているような人たちではなく、大部分が、戦前戦
中を通じて好景気の樺太へ、競って出稼ぎに行った労働者とその家族です。な
かには戦争末期に徴用というかたちで強制労働に就かされた人もいますが、
それは百人にも満たない数です。
終戦時の総数は四万三千人でなく推定一万五、六千人ですが、ソ連軍に占領
されてから彼らは日本人と区別され、帰国は一切許されませんでした。と同時
に大陸部からロシア系の朝鮮人や、現北朝鮮からの労働者を移入させたので、
サハリンの朝鮮族の人口は、二年後には四万三千人にふくれあがりました。
ところで、日本政府が全面的に援助しているサハリン韓国人帰国支援事業です
が、その対象となる人は、終戦時樺太にいた韓国人のみでなく、前記のように戦
後移入してきてそのまま居ついた人や、サハリン以外の地にいた人でも一九四
五年以前に生まれた人なら皆含まれているようです。永住帰国とは別に十年前
からこれも日本政府が毎年一億円以上の予算をつけて行われている韓国への
一時帰国(里帰り)事業には、明らかにロシア大陸に一九三〇年代に強制移住
させられた人が含まれていたことを、私は数年前、韓国の新聞記事で確認して
います。
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