★江戸時代の武家貴婦人について★at HISTORY
★江戸時代の武家貴婦人について★ - 暇つぶし2ch101:日本@名無史さん
07/03/26 15:41:12
>>100
たしかにそうだね。
元禄以降町人の文化というものが現れてきたし、
それは概ね武士の美学を継承するものでありながら(忠臣蔵みたいな)、
時代が下るに従って次第に、実質的にも町人独自のものを形成してきた。

しかしそれは、単に「多元的な価値観が共在した」というようなものではなく、
究極的な「死の倫理」としての武士の価値観がまず存在して、
それを裏から見た「ネガ」みたいなものとして、町人的な「粋」やら何やらができてきた
のではないだろうか。
その辺の関係をまともに論じることができたら、結構面白いものになりそうだ。

個人的には、「江戸時代の武士の倫理は封建主義的体制をうまく機能させるように、
<主君に忠・親に孝>を基本として成り立っていた」的な言い方は、
見方が浅すぎて役に立たない、と思う。
「葉隠」的な「死」の倫理としての武士の規範を考えるためには
西田哲学的な「論理を破壊する論理」の構造が、
町人的な「粋」というものを考えるのには九鬼周造の有名な著書が、
役に立つのかもしれない。

102:日本@名無史さん
07/03/26 16:04:02
>>101
>武士の価値観がまず存在して、それを裏から見た「ネガ」みたいなものとして、
>町人的な「粋」やら何やらができてきたのではないだろうか。

西山松之助にそう言っとくよ。

もう一つついでに教えてね。
町人の行動規範については、この視点で扱えても、農民の場合はどうなるの?
農民の行動規範の中には、武士の価値観が確立する以前の、農村共同体固有の論理があると思われ。
漏れとしては、「多元的な価値観が共在した」という方向に持っていきたいのだが。


103:日本@名無史さん
07/03/26 16:23:06
> 農民の行動規範の中には、武士の価値観が確立する以前の、農村共同体固有の論理があると思われ。
> 漏れとしては、「多元的な価値観が共在した」という方向に持っていきたいのだが。

たぶんそれはもう個人の見解の相違つか見方の問題になるね。
仮に(話を簡単にしすぎるかも知らんが)文化として残る作品で考えてみると、
農村の云々ってのはたぶん円空仏とか、民芸品(柳宗悦的な意味での)とか、
もう少し新しいところで棟方志功みたいなものとか、になると思うが。
そういったいわば「B級」扱いされている文化に積極的価値を見出そうとすると、
(もちろん文化史的にそういう見方は十分以上に成り立ち得る)
どうしてもある意味多元的な見方になると思う。
しかしそういったものにあまり重きを置かない立場だと、
(そういう立場も十分以上に成り立ち得る、とおもう)
「農村共同体固有の倫理」ってのは要するに武士やら町人やらの倫理に昇華されるべきものだ、
ってことになると思う。

104:日本@名無史さん
07/03/26 16:37:09
うぅ~む。
見解の相違ですか。

農村文化について反論を書きたいのですが、時間なので、また今度ね。
申し訳ない。


105:日本@名無史さん
07/03/26 17:04:53
>>104
いやね、別に農民文化は農民文化で良いんですよ。
勿論そういうものが重視されても良いし、確かに自分も農民文化についてあまり知らずに言ってますから。

しかし、少なくとも武士の側から見たら、
価値観とか規範とか、或いは文化とかいったものの最醇なものとして
「武士」というものがあったわけで
(まあ実際にはその他に「公家」というものがあって、それは彼らも自覚してたが。
学問は公家に任せていれば良い、武士は学問は程々で良い、などと葉隠にも出てくる)、
それを初めから農民、町人と多元化して考えてしまっては、その「武士」なる価値観自体を
そもそも見ることができないのでは、と言いたいわけですな。

106:日本@名無史さん
07/03/27 21:13:00
現に多元的であったのなら多元的に見るほうが筋でしょう

107:日本@名無史さん
07/03/27 21:22:48
>>106
当の武士にとっては現に「同心円的」であったのだから
同心円的に見ない限り少なくとも武士の規範は評価できない、ということでしょ?

結局両方の見方が必要だよ。

108:日本@名無史さん
07/03/27 21:30:16
花は桜木 人は武士

109:日本@名無史さん
07/03/28 11:47:38
男は高山彦九朗

110:日本@名無史さん
07/03/30 15:32:12
ここは武家貴婦人スレだからってことで。

「必殺シリーズ」に出てくるような庶民を
苦しめる悪女とか存在していたのかな?
贅沢で権力欲旺盛、もしくは残酷趣味の大名奥方とか、
李氏朝鮮だと思いつく人もいるけど。

111:日本@名無史さん
07/04/05 14:33:37
         ハ,,ハ  
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112:日本@名無史さん
07/04/29 14:52:12


113:・
07/05/08 02:04:48
保守

114:日本@名無史さん
07/05/16 23:39:54
>>110
武家貴婦人は、普通に庶民と話すことすらなかったし、
そういうイビリとかは、武家婦女としてあるまじきことだったから、
生まれも育ちも武家っていう婦女には、通常はないと思うが。

まあ、明治以降に士族の商法で勝ち組になった家とかだと、つりあう
嫁がいないから、庶民の名士の娘とかと縁組したりしたけど、
いびるってのと違って、教育的指導がかなり厳しかったらしい。

うちのひいばあちゃんが、そういう状態だったらしい。

ちなみに、使ってる言葉も全然違うから、苗字帯刀の代々続く
超豪商の令嬢育ちでも、通訳必要なくらい最初は大変だったらしい。

115:日本@名無史さん
07/05/17 16:16:37
武家育ちだとそういう発想自体ないと思うな

116:日本@名無史さん
07/07/08 20:40:23
お家騒動ネタなら、色々悪逆非道やってたかも

117:日本@名無史さん
07/08/19 19:30:40
大名家の場合、側室も常に江戸屋敷に居なきゃいけなかったんでしょうか?

118:日本@名無史さん
07/08/25 06:18:10
国には国用の側室がいたのではなかった?
御国御前とかいう名称だったっけ

119:日本@名無史さん
07/09/06 11:38:54
>>118
御国御前と呼ばれることが多かったようね>国元筆頭側室
江戸屋敷にいた側室から選抜されて御国御前にされることもあったが(島津久光の母・お由羅の方もそう)
正室出生の嫡男がいない場合、
御国御前出生男子を中心とした国元常駐藩士と江戸生まれの男子を擁立しようとする江戸常駐藩士で対立し
お家騒動の原因になったことが多い。

ちなみに上記で例に挙げた島津家の場合だが
江戸屋敷の側室を御国御前にしようとして拒絶されたことがある   という本当に役に立たないトリビア
(その女性は島津家から放逐の上産んだ子と絶縁、生涯連絡を取ることを許されなかった)
当時の江戸生まれの人間にとっては鹿児島行きは現代で言うとシベリアのラーゲリ行きを言われるにも等しくw
どうしても耐え難かったらしい・・・



120:日本@名無史さん
07/09/06 12:47:15
もともと、結婚までの行儀見習いの感が強かった武家屋敷奉公で、
親親戚と離れて薩摩行きはつらかっただろうね。
江戸生まれ、江戸育ちのお由羅は、
よく薩摩へ下る決心をしたと思うよ・・・

121:日本@名無史さん
07/10/15 21:11:43
そう

122:日本@名無史さん
07/12/19 21:57:38
よくドラマで武家のお姫様がしてる髪型って何て言うの?

123:日本@名無史さん
07/12/21 17:14:28
>>122
吹輪(ふきわ)。
ただし、実際の吹輪の髪飾りは時代劇や歌舞伎の場合ほど
豪華ではなかったそうだ。

余談だがまだ第一子を懐妊していない(か、養子を取っていない)
大名の正室もこの髪形をしていたらしい。

124:日本@名無史さん
07/12/23 23:05:38
>>123
飾りが派手過ぎて吹輪に見えなかった!


子供産むまで振袖着る決まりがどっかにあったような…

125:日本@名無史さん
07/12/23 23:43:57
>子供産むまで振袖着る決まり
yes


126:日本@名無史さん
07/12/25 12:32:15
幕末の島津の殿様が自分の息女三姉妹を写した写真を見ると
髪も着物もほんとにこじんまりしている。
(大藩なれど質実な薩摩藩だから?または他藩でもそんなものか?)
歌舞伎の「赤姫」の扮装が派手に創作してたもんだとわかるよな、

127:日本@名無史さん
08/03/20 15:29:33
ほほー

128:日本@名無史さん
08/03/20 16:45:44
>>124
皇室じゃ今でもそうだけど、さすがに30越えるぐらいになると
振袖をやめるらしい。
あの紀宮さまが30代後半になっても振袖着てたのは痛かった。


129:日本@名無史さん
08/07/09 02:33:04
age

130:日本@名無史さん
08/08/05 11:36:39
現代の和装花嫁の白無垢は元々武家の風習だっけ?

131:age
08/08/17 23:11:43
そうそう。
白無垢は本来武家娘の婚礼の装束。

フト疑問なのだが対する婿殿が町人の正装でキメてしまっていいのかい?
今はこれが普通だから、で済まされる問題じゃないような・・・。

132:age
08/08/17 23:15:54
知識のない結婚式場と貸衣装屋が考え付いた付け焼き刃だと思うけど、間違いは早く直したほうが良くない?
公に認められたスタイル(装束)じゃないんだし。

マナーや礼法に詳しい方々はどうお考えなんでしょうか?

133:日本@名無史さん
08/11/22 10:36:02


134:日本@名無史さん
09/01/31 16:46:01


135:日本@名無史さん
09/01/31 17:50:11
じゃあ新郎は熨斗目裃がいいのか?
裃は髷がないと似合わなそうだが・・・
それとも本格的に侍烏帽子に直垂か大紋?

136:日本@名無史さん
09/01/31 19:48:04
>>131
男子の正装は束帯姿。
女子の正装は十二単。

歴代徳川将軍は肖像画を描かせるとき武家でありながら束帯姿で書かせたし。
武家の女子はなかなか十二単を着ることはなかっただろうが、それでも
宮中に参内し、従三位を受けた春日局は武家の出でありながら
白い単衣に真紅の袴をつけた公家の装束姿で肖像画が描かれてある。

137:日本@名無史さん
09/01/31 20:13:06
>>136
真紅の袴?なんだそりゃ?
あれこそ特別に許された緋袴だよ

138:日本@名無史さん
09/01/31 20:16:06
>>136
無位無冠の武士で束帯はねーだろ

139:日本@名無史さん
09/01/31 21:00:42
>>138
無位無冠の庶民が武家の格好で結婚式を挙げる時代ですが?

140:日本@名無史さん
09/01/31 21:27:56
武家の婚礼衣装の話だろ

141:日本@名無史さん
09/01/31 23:05:45
男子の正装は出鮫合口拵の腰刀、白帷子に無紋の直垂に烏帽子で決まりだな!

142:日本@名無史さん
09/01/31 23:32:00
その場合は袴は切り放しがベスト

143:日本@名無史さん
09/02/01 00:25:55
>>136
>春日局は武家の出でありながら
だからこそお福は三条西実条の猷妹ということにしたんじゃん。

144:日本@名無史さん
09/02/01 01:54:23
袴は切り放しってなんですか?

145:日本@名無史さん
09/02/01 02:52:51
裾を縫わない袴

146:日本@名無史さん
09/04/17 22:35:04


147:日本@名無史さん
09/05/09 01:13:16
花は桜木 人は武士

148:日本@名無史さん
09/08/01 16:04:24


149:日本@名無史さん
09/08/11 07:46:43
当時、大名や旗本の奥様は、家臣と不義密通をしてた割合はどのくらいだろうか?

150:日本@名無史さん
09/08/11 09:49:35
バレてないだけど結構あったと思う

151:日本@名無史さん
09/08/11 18:00:43
そうだよな

152:日本@名無史さん
09/11/03 02:05:32
スレ落ち防止age

153:日本@名無史さん
09/12/04 01:20:25
250年前の日本(大阪、京都、名古屋、東京)を見た朝鮮通信使、金仁謙の著書『日東壮遊歌』より抜粋
――――
1764年1月22日 大阪
100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、銅の屋根で、黄金の内装である。
この贅沢さは異常だ。
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。信じられない。
中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソウルの繁華街の10000倍の発展だ。
北京を見た通訳が通信使にいるが、
「北京の繁栄も大阪には負ける」と言っている。
嘆かわしく、恨めしい。
―――
1764年1月28日 京都
街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、
肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。
悔しい。
◆この犬のような倭人を全て掃討したい。
◆この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。
―――


154:日本@名無史さん
09/12/04 01:21:54
1764年2月3日 名古屋
街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。凄い。
自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、
家屋の贅沢さ…この旅で最高だ。
中原(中国の中心地)にも無い風景だ。
朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べると、とても寂しい。
人々の美しさも最高だ。
特に女性が美しい。美しすぎる。
あれが人間だろうか?
「楊貴妃が最高の美人だ」と言われているが、
名古屋の女性と比べれば、美しさを失うだろう。
(帰路にて)
名古屋の美人が道を歩く我々を見ている。
我々の一員は、名古屋の美人を一人も見逃さないように、
頭を左右に必死に動かしている。
―――
1764年2月16日 江戸(東京)
左側には家が連なり、右側には海が広がっている。
山は全く見えず、肥沃な土地が無限に広がっている。
楼閣や屋敷の贅沢さ、、人々の賑わい、
男女の華やかさ、城壁の美しさ、橋や船…。
全てが大阪や京都より三倍は優っている。
この素晴らしさを文章で表現する事は、私の才能では不可能だ。
女性の美しさと華やかさは名古屋と同じだ。
〓〓〓〓〓〓〓
江戸時代には江戸の人口は最盛期の1721年に130万人といわれ、
1800年頃のロンドン86万人、パリ54万人と推計される他の都市と比べても
多くの人々が暮らしており、江戸は当時世界最大規模の都市であった。
URLリンク(s02.megalodon.jp)


155:日本@名無史さん
10/02/15 00:06:46
へえ

156:日本@名無史さん
10/03/13 00:00:59
C57

157:日本@名無史さん
10/03/16 16:37:16
椎茸髱ができたのは
江戸初期くらいでしょうか、中期でしょうか、後期でしょうか。
すいません教えてください。

158:日本@名無史さん
10/03/24 01:14:21
さあ。

159:日本@名無史さん
10/03/24 02:51:12
江戸時代って結った日本髪のイメージだけど、垂髪の伝統を汲む髪型(御台所とか)が
意外と長く残っているんだよね。

160:日本@名無史さん
10/03/24 19:07:42
>>157
いろいろな資料を見てみたが、椎茸髱(正式な名前は葵髱)が出来たのは、
大体江戸後期頃、現在の「おすべらかし」が出来て以降の感じ。

広まった流れは、
宮中→公家女性→将軍・大名家に嫁ぐか奥入りした公家女性から上流の武家女性・奥女中へ伝播
という感じかな。

>>159
宮中・公家・将軍家・大名家とかの成人上流女性だと、大体礼装の髪型である垂髪とそのアレンジ
(基本的に自室にいる時とかに垂髪を仮にまとめておいた形が元になっている。いわゆる「お局様」の
髪型として有名な「片外し」もその系統の一つ)が主体になっている傾向があるね。

161:160
10/03/24 22:56:01
追記というか訂正

押さえ髱(公家方の呼び名)
葵髱  (京風の呼び名、一般名称?)
椎茸髱 (江戸方の呼び名)

162:日本@名無史さん
10/03/24 23:23:55
椎茸髱って最初は馬鹿にした言い方だったんでしょ。
使い方
町人「おい向こうから椎茸が歩いてくるぞww」
みたいな。
最初読んだときワロタ

163:日本@名無史さん
10/04/06 02:12:13
つぶし島田

164:日本@名無史さん
10/04/07 22:50:50
つぶし島田は芸者さんや庶民の髪型ですよ。

165:日本@名無史さん
10/04/07 23:26:11
江戸初期の風俗ってまんま安土桃山時代だよね。

166:日本@名無史さん
10/04/11 01:59:40
つぶしたぼ

167:日本@名無史さん
10/04/14 11:52:19
江戸城大奥は家光時代はまだまだ垂れ髪の時代だけど、
もう髷を結い上げてるのが時代劇の普通になっちゃってるからな。

168:日本@名無史さん
10/04/14 12:12:24
あれ変だと思ってたんだよね。
やっぱりそうだったんか。

169:日本@名無史さん
10/04/17 01:41:26
URLリンク(www.nicovideo.jp)

170:日本@名無史さん
10/04/17 08:13:37
大坂の陣が終わって家康が逝った直後あたりで、
いきなり日本髪の時代劇スタイルになったんじゃないのか?

171:日本@名無史さん
10/04/17 13:23:23
>>170
それは大河ドラマの「春日局」の話では?

172:日本@名無史さん
10/04/19 03:28:15
「春日局」では、大原麗子が垂れ髪を嫌っていた模様。
ソースは時代考証の二木何とかサンの書いた新書より(たぶん)。


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