10/12/17 11:29:20
>>132
> しかし avocat を plongeur 「レストランの皿洗い」にでも変えれば、もう「彼女は彼が
> 嫌い」であることは 動かし難くなる。
こういう柔軟性のない頭には言語研究は向いていません(他の分野でも同様でしょうが)。
自らの愛や感情にまで、他人の理屈を押しつけられてはたまりません。
世の中の皿洗いの皆さん、
あなたに彼女がでできないのは132のせいですよ。
何を否定しているのかの問題は前にも言ったとおり非常におもしろい問題です。
前回のGrevisse の例文が難しかったのなら、以下のBonnardの例の方が
よりわかりやすいかもしれません。
Bonnardは彼の文法書(”code du francais courant")で、
肯定文 Paul a achete ce tableau en Italieと
その否定文 Paul n'a pas achete ce tableau en Italieをあげて、
この問題を指摘しています。
この否定文で否定されているのは何でしょうか?
色々考えられます。
1)acheter:買ったのではなく、もらった。
2)ce tableau:買ったけれども、この絵ではなく、別の絵。
3)en Italie:この絵を買ったけれども、それはイタリアではなく、(たとえば)フランス
4)買ったのはpoul ではなく pierre。
前回のgrevisseの例で愛する理由が否定されているのがぴんと来ない人には、
上記の例の方がわかりやすいかもしれません。
なお付け加えておけば、このような否定の曖昧さは上記の文などでは、
日本語ははっきり区別できます:助詞”は”の存在です。
1は”ポールはイタリアでこの絵を買い”は”しなかった(もらったんだ)”
2は”ポールはイタリアでこの絵”は”買わなかった(他の絵だ)”
3は”ポールはこの絵をイタリアで”は”買わなかった(他の国でだ)”
4は多少他の説明が必要となるのでや割愛しますが、この日本語の”は”の問題は、
有名な文”象は鼻が長い”で象徴される2重主語の問題と関わってきていることだけ指摘しておきます。