10/10/23 07:16:26
>>37
>>27-28は印欧比較言語学的観点からの「語源」解釈であって、「文法」解釈ではない。
M.ミュラーや榊の読みを(中村が示唆するように)誤訳とする点では同意。
勿論常に文脈を考えることが一番重要だが、各語の基本的語義を無視したら、それは
科学じゃなくなる。
その辺の緻密さを求めると、度々パーニニの文法では辻褄が合わないことが生じるから、
その辺の研究素材として「仏典ハイブリッド・サンスクリット」なる概念が提起されてる訳だろ。
まあ文意の解釈においては二人とも一致していることは間違いないが。
俺は仏典の解釈においてはパーニニにも辻にも全幅の信頼は置けないな。
>>18の二番目のリンクの論文は、余りにもそれらに頼り過ぎている嫌いがある。
>>19でも述べたように、注57、73、74などは全く賛成出来ない。