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無理難題かね?↓
岡山からですが、急いで被災地に向かっています。単刀直入に、被災者の遺骨が欲しいのです。その遺骨は、ビッグビジネスのチャンスなのです。高齢化社会を迎えるに当たり、市場は超新星爆発の様に伸びて行く業界です。
しかし、静岡を境に東へ進めないとニュースで散々言われていますが、それが遺骨蒐集家としての確たる情熱を、よりヒートアップさせます。障害は勃起が大きい程、得られる達成感(エクスタスィ)が大きいのです。
その遺骨が生前どの様なストーリーを歩んできたのか、遠い時代に思いを馳せながら、私は遺骨を愛おしく衣で包み、唐揚げにします。命を戴くからこその「戴きます」という食前の儀式を、そのまま具現化し、実行しているのです。
鳥の軟骨の唐揚げは許されて、何故遺骨の唐揚げは禁忌(タヴー)とするのでしょうか?否、人間の命も鳥の命も、皆平等であるべきではないでしょうか?それを人間だけは特別と神聖視(異端的)に捉えるのは愚の骨頂であり、神の意思を愚弄していると私は考えます。
遺骨を噛み砕き、
「私は今日も遺骨を通して、魂を共有(ユニズン)しているんだ!」
と実感し、それが真の供養であり、それが正気を保つ秘訣なのです。
供養に失敗した遺骨は、骨粉にして焼酎に漬け込めば、魂のエキスが染み出て長寿の第一歩に。
共に遺骨を拾いましょう。そして、いつの日かビジネスで成功して勝ち鬨を挙げましょう。