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続き>>233
一方、宮古市姉吉地区では、港から約700メートル内陸にあ
る石碑が、12世帯約40人の住民の命を守った。「此処(ここ
)より下に家を建てるな」。石碑に刻まれた教えに従い、住民た
ちは全員そこよりも高台に居を構えていた。
同地区の住民はかつて海岸沿いで暮らし、過去の大津波で大き
な被害を受けた。生存者は明治の津波でわずか2人、昭和の時は
4人だったという。石碑は昭和の大津波後に住民が建立し、以後、
住民は石碑の教えに従ってきた。
東日本大震災後に同地区の現地調査を行った岩手県立博物館の
大石雅之・首席専門学芸員によると、今回の津波は同地区の最も
高い所で海抜約40メートルにも達したとみられる。波は漁船や
作業小屋をのみ込みながら集落へと続く坂道を駆け上ったが、海
抜約60メートルにある石碑の手前50メートルほどの地点で止
まった。
石碑には「幾歳(いくとし)経るとも要心(ようじん)なされ
」とも刻まれている。同地区の漁業川端隆さん(70)は「石碑
がなかったら、津波の怖さを忘れてしまっていたかもしれない」
と話した。(東京報道 水野富仁、報道本部 徳永仁)