☆★   大分県の政治と選挙 11  ★☆at GIIN
☆★   大分県の政治と選挙 11  ★☆ - 暇つぶし2ch233:Isogawa Takuji ◆.GEUF45Sqk
11/04/07 11:16:18.69 lVl39Ej0
2011年4月7日 北海道新聞

URLリンク(www.hokkaido-np.co.jp)

巨大防潮堤/石碑「ここより下に家建てるな」
先人の知恵 住民守る 岩手の2地域 津波 集落に届かず

 東日本大震災の大津波に襲われた三陸沿岸の自治体で、先人が
残した防災の知恵を受け継ぎ、被害を免れた地域があった。19
33年(昭和8年)の昭和三陸大津波の後、高さ15メートルを
超える巨大水門を建造した岩手県普代(ふだい)村と、石碑に刻
まれた教えを守り、住居を高台に移した同県宮古市姉吉(あねよ
し)地区。壊滅的な被害に見舞われた沿岸部の中で、両地域では
住民の命が守られ、住宅被害もなかった。

 普代村で津波被害を防いだのは、普代川の河口と市街地を隔て
る全長205メートルの「普代水門」と、漁業者の集落と港の間
に建つ全長155メートルの「太田名部(おおたなべ)防潮堤」。
高さは、いずれも海抜15・5メートルある。

 「命があるのは防潮堤を造った先々代の村長のおかげだ」。防
潮堤近くに住む漁業太田文吾さん(78)は感謝する。津波は防
潮堤の8割程度の高さに達したが、集落には「海水が一滴も流れ
なかった」(村災害対策本部)。普代水門を襲った津波は水門を
越えたが、約1キロ離れた市街地まで届かなかった。

 防潮堤の外側にあった漁船や港湾施設など漁業被害は大きく、
船の様子を見に防潮堤の外に出た住民1人が行方不明となった。
しかし、村内にいたそのほかの村民3千人余りは全員無事で、1
118世帯には浸水もなかった。

 水門と防潮堤の総工費は合わせて約36億円。それぞれ84年、
67年に完成した。県の事業で総工費の1割程度が村の負担。周
辺自治体は「まちの景観を損ねる」などとして同じような防潮堤
の建造を見送り、村民からも「そんなに大きなものが必要なのか
」と反対の声が上がった。

 だが、村では1896年(明治29年)、1933年の三陸大
津波で計439人の死者を出した。先々代の故和村幸得(わむら
こうとく)村長(在任47~87年)は「いつか理解してもらえ
る」と意志を貫いた。当時、建設課職員だった深渡(ふかわたり
)宏・村長(70)は「和村村長は正しかった。たいへんな財産
を残してくれた」と話す。


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