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「ヨーロッパの商店街と姉妹提携を結び、外国製品をダイレクトに輸入することで顧客サービスを充実させ、『世界の元町』を目指します」
昭和42年(1967年)、ヨーロッパ行脚をスタートさせた元町SS会。昭和44年(1969年)まで4回にわたって世界を一周。
ヨーロッパではパリ、ローマ、ロンドン、アムステルダム、ハンブルグなどの7つの商店街と姉妹提携をしました。
外国旅行は、まだまだ庶民の手に届かないところにあった1ドル=360円の時代。「外国」は人々 の憧れでした。
ヨーロッパの商店街と姉妹提携した狙いは、海外の商店街を視察し、情報交換を通じて親睦を深めることが一つ。
同時に、個々の商店が外国製品を直輸入する流通経路を確立するのも、大きな目的でした。
今でこそ外国製品の直輸入は珍しくないですが、街の小売店が直輸入を試みるのは、30年以上も前は「画期的」なことだったのです。
日本という「殻」を破った、横浜・元町のヨーロッパデビュー。元町は世界の商店街の仲間入りを目指しました。
姉妹提携したのは、いずれも各国の一流商店街ばかり。しかも日本からのヨーロッパ視察は稀な時代。現地のマスコミもこぞって報道しました。
ヨーロッパ視察はテレビ、新聞などマスコミで大々的に取り上げられ、「横浜・元町」の名は一気に全国を駆け巡ることとなったのです
元町
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横浜最初の年表『横浜沿革誌』の明治15年(1882)2月の項に、
「伊勢佐木町通に芝居小屋賑座・勇座、其他大弓場、観世物場、勧工場、飲食店等建設、数月を出ずして、繁華の市街となれり」と見えます。
また、グラフ雑誌のさきがけである『風俗画報』は、明治35年に臨時増刊号『横浜名所図会』を発刊、伊勢佐木町の夜景がグラビアを飾りました。
さらに、明治36年の案内記『横浜繁昌記』は、「横浜と云ふ以上伊勢佐木町は是非とも知らねばならぬ処である。
伊勢佐木町の賑ひは蓋し日本第一で流石に東京の浅草でも、大阪の千日前でも、京都の京極でも遙かに此処には及ばないのである。」と記します。