11/05/12 13:42:11.35 0
>>674
> 或る事態 (言葉で表現されていない場合もある) を、話者と聞き手がともに知っていて、その事態を「しんみりさせちゃった」という言葉で表している。
> そういうときでないと「…ね」とは言わない。
「しんみりさせちゃった」こと自体を情報としてこの歌の登場人物たちは共有しているはずだけど、
きみはそういう場合はダメなんだね、きみは。ふーんあっそ、としか言えないな。
> もう知っているので、想像することはどだいできない。
歌の登場人物たちと、ここで議論している我々とを混同しないどくれなw
登場人物たちが「もう知ってる」ことは、例の3行だけで我々は「想像すること」ができる。
この議論に関してはそれだけで十分。
> 詩歌はそんなとりとめのないものではないはず。
きみは詩や散文をあんまり読み解いたことが無いんじゃないかな。色んなのがあるんだから。
きみは自分の文法の枠に嵌めたがってるみたいだし、行間を読むのも不慣れなようだけど。
> 結局関係があり、引用する必要があると認めれば済む。
それは反論でも何でもない、ただの駄々。
「○○を認めろ」→「××だから認める必要が無い」→「○○を認めれば済む」(いまココ)
> 「?『そんなに簡単に僕は死なない』と約束する」というのは、やはりおかしい表現だと思う。
> 実現したかしなかったかが客観的にわかる事柄でないと、約束できない。
約束が意味を持つのは基本的に約束を交わした2者だけだから、客観性が必須とは言えないし、
そもそも実現しない約束だって腐るほど世の中にはある。
そもそも歌の受け止め方だって主観的なもんさ。だからこんなに様々な意見が出る。
ただ、自分の主観を他人に発表するときに、自分の信じる文法をあたかも確固たる規範のように
語るのだけは止めたほうがいい。それすらも所詮は一主観にすぎないのだからね。