11/11/28 23:59:35.32 PwIUEGSy
まず、該当ページの抜粋
>弱い自分を掘り起こす:逃げたい、避けたい、楽をしたい、さぼりたい、先送りしたい自分。
>そんな自分を否認したまま放置せず、掘り起こす。ただし、掘り起こして弱い自分を「克服する」ということではない。
>逆に弱い自分を大切にするという意味→下記。
>迷う自分・悩む自分に安心する。迷うということは複数の選択肢が見えていることを意味するし、
>悩むということは思考停止に陥っていないことを意味するから。
上記内容は、心に悩みを抱えている人向けに、その解決となる手助けとして書かれたものだと思われる。
このページだけで完結しているといえるものであるから、
上記内容から「正義」とか「悪」のような当為が出てくるのは唐突であり、飛躍している。
だが、僧正氏は下記のような当為を当てはめてしまった。
>自分のために自分がしたいことをするのは正義。
>他人のために生きて、他人がそれに応えてくれないと嘆き恨みながら生きるのは悪。
はっきりいって不自然だ。
しかし、僧正氏だけはこれを不自然だと全く思っていない。なぜか。
それは、僧正氏が、「あること(結果)を先に立て、それを正当化するための材料」として持ってきたから。
「結果と材料を繋げる要素」として、当為を当てはめたのだ。
「あること」とはもちろん「非婚」である。
僧正氏の考えは>>320の内容に表れている。
>誰かのためにと言うきれい事は、だから危ういのです。
>その意味では「妻となる女のために結婚を決意した」というのは、美しい決断なのですが危うさも秘めています。
>サイコパス的な人が言っていた、自分で決めたのだから自分が責任を取るというのは、
>他者が言うと周囲の責任逃れでしかありませんが、自分で決断し、自分がそれをしたかったのだと思い切ることは
>心を落ち着け、腹が据わり、周囲を恨むことなく生きることが出来るから正義なのです。
>他人のためで結婚するから、貧乏や妻の豹変でこんなはずではなかったと嘆くのであって、自分の感情や違和感を優先し、
>誰のためでなく自分が結婚したいなら結婚し、結婚したくないなら結婚しないのがいいという当たり前の話なのです。