11/11/27 21:46:55.68 uU3Msbx+
愛犬家が犬を愛でることが許されて、少年を愛でることが許されないことを
論理的に説明できる者はいるのか、いやいない
犬を個人的嗜好から金銭で売買取引を行い、自宅に軟禁、もしくは拘束具を用い拘束し
衣食住の自由を奪い、時には去勢を行い、子孫繁栄という生物本来の存在意義をも
奪っているのは愛犬家だ
誠心誠意、犬の為に尽くすことが犬の幸せに繋がるという考えはあまりに利己的かつ非道徳的だ
本来の生活環境を奪われ、肉体的・精神的に家畜にされることが幸せというならば失笑に値する。
しかし、現代社会においてはそれは個人の「趣味」で片づけられてしまうのだ
それでは少年愛者はどうであろうか
少年愛者の中には、少年に対し、利己的な感情と行為から
心に傷を負わせてしまう者もいるが、それは許されないことだ
しかしながら、愛することまでなぜ迫害・禁止されなければならないのか
少年を家畜化しようなんて思っていない
ただ愛しているだけなのだ
そこには性的感情が含まれていないとは言えない
しかし、人が近親者以外の者を愛す以上、性的な感情を覚えてしまうのは
至極当然のことである
また、性的感情を抱くことがあるにせよ、少年の気持ちを考えない利己的行動は多くの少年愛者はしない
少年愛者も他の人間と同様に倫理観を持っているのである
異なるのは少年を愛することができるという点のみだ
少年の健全な育成を目的にした条例や法律が現代社会には存在するが
それらの多くは確かに少年たちを守ることに繋がるから否定はしない
ただ、少年を愛することまで否定することの根拠はあるのか
それでは家畜化されている犬はいいのか
人間でない家畜に対しては現代社会的倫理観の枠内ならば何をしてもいいのか
現代社会倫理観が利己的であって、なおかつ普遍と化している状態に俺は違和感を覚える
成人同士が愛を育むように
成人と少年であっても愛を育むことは可能なのだ
なぜ、それを否定できようか・・・