アートのぎりぎりを探求したいスレat GALLERY
アートのぎりぎりを探求したいスレ - 暇つぶし2ch30:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/20 09:09:49.09
>>28
まあ、いいですよ。おかげで英語文献に触れるいいきっかけになりました。


31:とある美術館の学芸員
11/07/20 09:11:31.88
 
>>30
ほんとうにごめんなさい。
しかし糖質さんの翻訳はたいへん勉強になります。
>>29などは、現在の美学のやってる様式分析の簡潔で的確な定義ですし。
 

32:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/20 09:20:45.36
美の評論と価値の評価の手法を詳細に展開したのは21世紀に入ってからフランク・シブレー
が著書で明らかにしてからである。
かなり詳細な著書があるようだ。


33:わたしはダリ?名無しさん?
11/07/21 20:22:10.11
>>1
スレ立て乙です!
目まぐるしくスレが立ったり落ちたり削除されたりで
ちょっと迷子になってしまいましたw
また楽しいお話よろしくお願いします!

34:とある美術館の学芸員
11/07/28 20:05:16.55
 
レイハラカミが亡くなりました。
日本を代表する電子音楽家のひとりでした。
残念です。

Rei Harakami - Come Here Go There
URLリンク(www.youtube.com)
 

35:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/28 21:45:36.39
フランク・シブレーに関しては、「シブレイ」と表記する人もいるようです。
英語表記は"Frank Sibley"となっています。


36:とある美術館の学芸員
11/07/28 22:57:52.13
 
>>35
Frank Sibleyですね。
そのひとはあんまり日本では知られていなんじゃないかな。
美学やってるひとでも知ってる人は少ないと思う。
分析哲学の流れで「美とは何か」を研究してたひとです。
60年代から70年代くらいでしょうか。もう亡くなってるかな?

分析哲学の流れで美学をやるってのは、日本では少ないですねぇ。
観念史とか解釈学から美学へ、というルートはあるんだけど。
ちょっとボクにもよくわかりません。
たぶん「言語ゲームの対象としての美」とかって感じなんだと思うけど。
 

37:道化
11/07/28 23:28:39.19
こんばんは、お邪魔します。
先ほど、クソバカラピスの乱立スレでやりとりをさせて頂きましたが、
あのスレッドの削除依頼が先ほどどなたかによって提出されました。
ですのでボケナスラピスの乱立スレが、さっくりと消される可能性が出ましたので、
先ほどの学芸員氏とのやりとりを、こちらのスレの方に再度貼らせて頂いても良いでしょうか?
学芸員氏の先ほどの書き込みを惜しむ声が、オカ板でも聞かれました。
自分も同意見です。
ラピスの阿呆の残滓と共に消すには、全く持って惜しいです。

というわけで、学芸員氏さえよければ、先ほどのレスをこちらに転載させて下さいませ。
よろしくお願いします。


38:とある美術館の学芸員
11/07/29 00:20:51.39
 
69 :とある美術館の学芸員:2011/07/28(木) 20:06:43.04
 
なんでラピスみたいなやつが死なんのか。
才能のある人間が先に死んでいくのか。
つまらん。
 

70 :道化:2011/07/28(木) 20:18:07.59
>>69
アーティストというのは、大衆あってのアートでしょう?
ラピスのような無能者は、大衆に飲み込まれる、その他大勢の一人です。
こんなクズバカだって、大きな目線で見れば、立派なアートの支えとなっているように思います。

つってもまあ、ラピスのような新興宗教の信奉者は往々にしてアートの迫害者ですけどね。
岡田茂吉なんて黴の生えた骨董品を持ち出して、偉そうにふんぞり返ってますから、
こういう輩が自分に理解の無いアートを殺そうとするのでしょうね。
まあ、そういう意味ではラピスは死んでも良いかもw

あれ?
擁護できなかったw


71 :道化:2011/07/28(木) 20:18:54.19
×自分に理解の無いアートを殺そうとするのでしょうね
○自分が理解できないアートを殺そうとするのでしょうね
 

39:とある美術館の学芸員
11/07/29 00:23:26.15
 
77 :とある美術館の学芸員:2011/07/28(木) 20:57:18.53
 
>>70
ボク個人は「大衆」という言葉は好みません(もう大衆は存在しないと思っているので)。
しかし、いまでは良くも悪くもアートは、社会を構成する「個」が綜体として支えるものであり、
それを自明として成り立っていることはまず間違いないです。

しかし、ボクは、ボクの師ともどもに、もう少し自立/自律した表現を夢想してきました。
レイハラカミなどは、その自立/自律を果たしえた芸術家だったと思う。
ボクらがいなくたって、彼は、美しい音楽を生み出せたはずなのです。
(それは彼が学生時代に作っていたというデモテープを聴いたときに確信しました。)

こんなうんこスレだけど、ひっそりリンクを貼っておきませう。
魂だけでも遠くまで行けるでせう。

yanokami - 終りの季節
URLリンク(www.youtube.com)

yanokami - 気球にのって
URLリンク(www.youtube.com)

小松左京さんも残念でした。
梅原猛せんせいより、よっぽどリアリスティックな文明批判をされていたんだけど。
『首都消失』も好きだった。
 

40:とある美術館の学芸員
11/07/29 00:25:19.91
 
78 :道化:2011/07/28(木) 21:01:32.55
>>77

>ボクらがいなくたって、彼は、美しい音楽を生み出せたはずなのです。

んー。。。
聴衆無くして、音楽が成り立つとは思えないですが・・・
経済的な意味では無く、根源的な部分で、全くの他者は必要では無いかなあと。
赤の他人がいなくて、音楽が成り立つんでしょうか?



79 :道化:2011/07/28(木) 21:05:55.68
作家が特にそうなんですが。
職業作家を成り立たせるという経済的意味では無く、
読者がというのは作家にとって無くては成らない存在だと思います。
読者が存在しない物語って、作家にとってどれほどの意味があるのかな、と。
って、此処まで来ると哲学的ですね。

ああ、なるほど。
こうしてスレの中で話題が広がり、他板への派生スレが生じるのもノなのかな。
ラピスの場合、騎士団ひとりという孤独な胸の中で、次々と話題が広がったようだけれどw
 

41:とある美術館の学芸員
11/07/29 00:27:19.46
 
80 :とある美術館の学芸員:2011/07/28(木) 21:09:58.29
 
>>78
そうですね、それは「音楽」ではないかもしれません。
金の鉱脈のようなもので、誰かに見出されないとそれは「商品としての音楽」にはなりません。

アートはいつしかロジスティクス(物流)の上にしか成立しなくなった。
むかしはそうじゃなかったんですけどね。
それが誰かの眼に触れようが触れまいが、そんなこととは関係ないアートも存在した。
たとえば、多くの仏像なんかはそうですね。
衆目に浴するのはごく一部の仏さまで、ほかは秘仏とされていた。
ではそれが人目に触れないからアートではなかったのかというと、ボクはそうは思わない。
そこになにがしかの機能が存在すれば、それでいいのです。

アートをロジ(つまり「大衆」への商品化)だけで論じるのは、
ボクはアートの可能性を狭めるように思います。
村上隆てんてーなどは、ボクのような意見は徹底的に反駁するでしょうがw
 

42:とある美術館の学芸員
11/07/29 00:28:48.57
 
81 :道化:2011/07/28(木) 21:13:06.68
>>80
ああ、なるほど。
誰の目にも触れられる事を目的としたわけでも無く、
自分の中から吹き出したモノを形にしたモノがアートであると。
とすれば、アートってその人の魂の具象化そのものですね。

そうなってくると、他者との比較って微妙な話になりますね。
その人だけが出せるユニークやオリジナリティに評価をつける事と、
アートの価値ってのは違うっていうか。

って、脱線、脱線w。


82 :とある美術館の学芸員:2011/07/28(木) 21:13:54.64
 
>>79
アートが他者を必要とするというのはたしかなことです。
しかし、それはなにも具体的に生身の他者である必要はない。
1000年前、100年前、100年後、1000年後の、まだ見ぬ誰かにあてたものであってもいい。
ということは、それは仮想上の、決して出現しない他者へ向けたものでもいい。
アウシュビッツのガス室で死んでいった無辜の人々への芸術は存在しうる。
しかもそれはきちんとこの世界で一定の機能を果たす。

他者とは誰のことか。
すぐれたアートはいつでもそれを問いかける。
目の前にいる誰かに向けたものだけがアートとは限らないのです。
アールブリュットなどはそのようなアートですね。
 

43:とある美術館の学芸員
11/07/29 00:30:32.02
 
83 :とある美術館の学芸員:2011/07/28(木) 21:17:07.12
 
だからね、レイハラカミの無垢な電子音が、
これからこのしょうもない世界にどう響くのかを知りたかった。
フクシマでのライヴ配信をほんとに楽しみにしていたのに。
 

84 :道化:2011/07/28(木) 21:17:26.69
>>82
無名の仏師達の話じゃありませんが、
彼らが向き合った他者とはその心の内にある「仏」であったり、
その仏に手を合わせようとする、誰ともしれぬ人々であったのかもしれないですね。


85 :とある美術館の学芸員:2011/07/28(木) 21:25:38.54
 
>>84
そう。
アートが必要としている他者を、目の前にいる誰かに限定する必要はない。
カフカなどは、自身の創作の動機についておそらく書いた奇妙な短編のなかで、
それを「〈誰でもない者〉とのピクニック」と喩えています。
〈誰でもない者〉という他者をカフカはあの時代にすでに想定していた。
それが大戦後の、つまり「アウシュビッツ後の」文学者たちに衝撃を与えたんです。

もちろん目の前にいる他者も大事です。
でもアートは、いつもそれを超えようとする。
アートである条件はいつでもそこに「拡張」があるかだと思っています。
いろんなものを超えて超えて、その先でどんな他者と出会うか、アートは問いかける術です。
 

44:とある美術館の学芸員
11/07/29 00:32:12.17
 
86 :道化:2011/07/28(木) 21:34:21.48
>>85
時代を超えてゆく術、ですか。
それがアートなのか。凄いなあ。

てか「見いだされることすら必要としていない」ってのが、凄い。
完成されたモノとしてただ存在し続ける有様は、超越者みたいだわ。
一種の悟り?
 

45:とある美術館の学芸員
11/07/29 00:33:46.34
 
87 :とある美術館の学芸員:2011/07/28(木) 21:47:09.48
 
>>86
悟りではないかもしれないなあ・・・(悟りというものをよく知らないんですけどw)

人間はいろんなところにボーダーを引くでしょう?
時間を区切ったり、自然と人工を区別したり、国境線を引いたり、観念を厳密化させたり、
男/女・子ども/大人を区別したり、善いことと悪いことを分別して裁いたり、
野菜やお肉やお魚を陳列して、本は本棚に並べて、CDやレコードをアーティスト順に並べてみたりする。

アートはそういうボーダーを越えてようとする意志を表現する術です。
むかし秘仏で20年に一度しか御開帳されなかったけど、いまは美術展で全国を巡回する。
それは仏さまもアートだからです(その機能が変わったのです)。

資本主義も拡張という点では同じ運動なのですが、その運動原理が違う。
資本主義は本質的に倫理的です。
しかしアートは反倫理すら含む点でアナーキーだし自由な運動です。
資本主義は生身の他者を相手とし、そこに干渉しますが、
アートは生身の他者を超えていく。

こういうことを考えながら、音楽聴いたり映画を観たり本を読んだり美術館に行ったりすると
すごく楽しいかもしれませんw

スレリンク(gallery板:69-87番)
 

46:道化
11/07/29 00:34:39.65
移植ありがとうございました!!m(__)m


47:とある美術館の学芸員
11/07/29 00:41:22.37
 
どういたまして!
あの逆上具合だと、ここもバカに爆撃されるかもしれません。
が、いつでもお越しくだしあ。
お待ちしておりましあ。
 

48:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/07/29 07:56:01.40
絵画も結局は形而上学よりもスポーツに近いと思うね。
道化は難しく考えすぎなんだよ。
ピアノを弾いてみればアルゲリッチの速度についていけないことは分かる。
絵画だってこのレベルにはついていけないというのがあるだろう。
スポーツ以外の何物でもない。
法律学だってスポーツだからな。


49:とある美術館の学芸員
11/07/29 11:12:47.91
 
>>48
芸術と技巧の問題はいろいろと複雑なんですが、
スポーツと同じ部分はあるにしろ、スポーツとまったく同じものではないと思っています。
社会的機能の根っこが異なりますから。
でもおもしろい観点だと思いますw
 

50:また始めちゃったんだね
11/07/31 12:29:09.27
専修大学文学部の伊吹克己教授って、松戸に詳しすぎ。

51:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/08/02 08:13:21.43
「ジャック・デリダ」
ワケわからないけど殺し文句として使われる著名な哲学者だと思うだろう。
実際に、戦後のフランスでは哲学の猛者が8人ぐらいいて、そのモンスターたちの
洗礼を受けているのがデリダなのだ。
彼は、人々が同じ出来事に同じリアクションをするのは「機械とどう違うのだろう」と
考えたり、以前経験したことの蓄積から今後が予測できるのはなぜだろうなどと
探求した。また、秘密を共有するというのは仲間の証であり、宇多田ヒカルの
"Can you keep a secret."もデリダの聞きかじりから作品ができている。
俺は、民主制は広がりをもつことを志向していて、情報の共有から始まり、
決定するのに時間がかかるが、君主制は、秘密裏に事が運び、判断が非常に速い
というデリダの指摘を受けて、俺の行動方針を決定したくらいだ。
君主ファクターがおのずと定まるのだ。

デリダについて日本のわけのわからん議論をスルーしたい人はスタンフォード哲学を読みましょう。
「ジャック・デリダ」スタンフォード哲学百科事典
URLリンク(plato.stanford.edu)


52:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/08/02 08:14:10.62
デリダにとって「最悪」とは、他人が自分の示した方向を見ている、自分の考え以上のことを
言わない、満足いく答えしか返ってこないことである、とする。
つまり、「大勢」であることを抹殺する「単一性」を「暴力」と呼んだのだ。
デリダの言う「最悪」とは「純粋な現実」であり、神であり、地球であり、とにかく「一つ」であることだった。
デリダは2004年に亡くなっているが、2001年の9・11テロは目撃していた。
彼は「グローバリゼーション」というものが「単一性」を志向していて、これ自体が
暴力であるとし、テロリズムはこの文脈で起こったものだと説明したのだ。
デリダは「グローバリゼーションには人々は、まるで機械のように、遺伝子が自動的に
拒絶するだろう」と言ったのだ。


53:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/08/02 08:14:54.34
彼は「自分自身」に大勢の他人をも含めてしまうことを「単なる自分だけの自殺にとどまらない
集団自殺」と呼んだのだ。
現在の国際情勢を最近まで注視していた哲学者だった。
デリダは、「忠誠心や知識」「宗教」といったものを、この「最悪」である単一性から
どのように解決したらいいのかを探求した。人はもっと他人と距離を置いて対話を
すべきであり、神とすら距離を適切に置くべきであるとしたのだ。
そのうえで、彼は他者とのかかわりは「手厚いもてなし」(ホスピタリティー)によって
行うべきではないかとした。
デリダは、プラトンを徹底攻撃することから「脱構築」の議論を始めている。
プラトンは「見えないものや記述されたもの」を「見えるものや感じるもの」よりも
すぐれたものとして「対になっている」としたのだが、同様に「本質と外見」「霊魂と魂」
「生き生きとした記憶とうすれゆく記憶」「声と文字」「究極の善と悪」などと「1対1」で
対置している。
一つのものに対して「一つのもの」しか対置できなかったプラトンを攻撃したのだ。
デリダは、法に正義を求めるうえでも、あくまでも「今」の正義か正義でないかしか
判断できないとした。その判断も批判にさらされて新たな正義を探求しなければならないとしたのだ。
人間は判断できないことを判断しなければならない。そもそも「地平」というものが
夜明けを待つものであり、まだ夜明けの来ない暗い中で限られた知識で判断をせかされている。
それが人間の「判断」であるとするのだ。
法律の世界にデリダはそれを見出している。
それはあらゆる分野に広がりをもつ考えだったのだ。

54:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/08/02 14:32:22.67
ブログにまとめておきました。
「ジャック・デリダ~フランス哲学のモンスター」
URLリンク(hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com)


55:とある美術館の学芸員
11/08/04 17:37:10.53
 
ラピスくんの狂気がなにげにおそろしいわけですが、
あんなのとはとりあえずえんがちょして
しばらく放置していたこのスレに、ひっそりレスを残しておきます。

Martin Beckaという写真家がカロタイプで撮影した現代ドバイの写真です。
たいへんすばらしい。
レトロフューチャーというのはこういうものをいうのであります。

  Martin Becka photographies
  URLリンク(martin.becka.pagesperso-orange.fr)

カロタイプというのは、いまではほとんど忘れ去られた19世紀半ばの写真技術で、
ダゲレオタイプと湿版写真の過渡期に現れたものです。
よく炎熱のドバイで撮影できたな、とか思います。
薬剤的に問題はなかったんだろうか。

古いテクノロジーを用いることで、この特殊な美が生まれたということは示唆的ではありますね。
 

56:わたしはダリ?名無しさん?
11/08/04 21:14:36.97
>>55
かっこいいな。
ドバイがかっこいいのか、写真がかっこいいのかw

57:道化
11/08/04 22:57:51.34
>>55
ほわー
すごいねえ。
昔の写真みたいだ。
だけど、これ、現代のドバイなんでしょう?
すげえな。

58:わたしはダリ?名無しさん?
11/08/05 05:49:50.48
 
>>56-57
ある意味「昔の写真」です。
18世紀半ばのカロタイプというカメラの一種で撮影したものです。
フィルム(にあたるもの)も印画紙(にあたるもの)も、
Martin Becka氏の手作りだと思います。
(市販されてないし。)
 
まるで地球の光景に見えませんね、異星の街を撮った写真のような・・・
「目」を変えると、普段の光景が変わって見えてくる。
カメラというのはそういう技術でありますね。
 

59: 忍法帖【Lv=3,xxxP】
11/08/05 22:09:53.66
a

60: 忍法帖【Lv=3,xxxP】
11/08/06 14:46:17.41
uuu

61: 忍法帖【Lv=32,xxxPT】
11/08/07 07:17:38.34


62: 忍法帖【Lv=4,xxxP】
11/08/07 21:38:12.99
asd

63: 忍法帖【Lv=5,xxxP】
11/08/09 11:41:09.53
ty

64: 忍法帖【Lv=34,xxxPT】
11/08/10 15:11:58.50


65: 忍法帖【Lv=6,xxxP】
11/08/10 15:12:20.79


66: 忍法帖【Lv=7,xxxP】
11/08/12 17:46:38.99


67: 忍法帖【Lv=7,xxxP】
11/08/13 08:46:26.94


68: 忍法帖【Lv=8,xxxP】
11/08/14 14:16:14.74
s

69: 忍法帖【Lv=8,xxxP】
11/08/14 17:51:29.90
df

70: 忍法帖【Lv=9,xxxP】
11/08/16 12:51:04.09


71: 忍法帖【Lv=35,xxxPT】
11/08/20 13:08:50.93


72: 忍法帖【Lv=12,xxxPT】
11/08/20 13:09:34.53


73:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/08/21 09:58:58.02
>>36
姉さん。フランク・シブレイの洋書を注文しました。そもそも「美は言葉で説明可能か」
ということは、「言語学は心理学を基盤にしているのか」という議論ともかかわってきます。
フッサールは、人間の心は「言語学の三段論法のように明確ではない」として、
人間の心が抽象的である以上、言語学は心理学を基盤にはしていないとしています。
いろいろ議論のある論争ですが、「美をどこまで言語化できるのか」という評論集
みたいなものでしょうか。
とにかく、シブレイの本が届いたら読んでみようと思います。
あと、ギャラリーの方に「水彩画」に関する資料集を送らせていただきました。


74:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/08/23 14:46:00.66
シブレイの本が届きました。目次と序文だけ読みましたが、彼が残した論文集を
本にしたもののようです。「色について」「独創性と価値について」「形容詞の研究」
などが議論されていますが、シブレイの「モナリザ論」を簡単に書きたいと思う。
作品というのは、やはり誰が書いたか、いつの時代か、どういう背景があったか、
を論じなければならないという視点が重要だ。モナリザはいろんな意味で時代に
新しいものをもたらしている。
色の配置や奥行、形、ラインだけでなく、背景にはダヴィンチの修練や技術が
詰まっているのだ。たとえば、彼は、ブラシやパレットナイフというものをこの作品で
絵画の世界に持ち込んでいる。
そういう歴史的意義を研究するからこそ、模写とはエックス線を使ってまで
区別しなければならないとするのだ。


75:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/08/23 16:10:04.04
シブレイは「色」についても詳細に論じている。まず、「あれは緑色だ」という証言が
あるとする。多くの哺乳類は色を認識しないとされているが、人間は「色」という
パラダイムをもっており、これが重要な情報として扱われている。
自然に存在するものとしては「エメラルド」があるが、人間はあくまでも「色」という
パラダイムで「緑」という概念をもっているのだ。
これが彼の議論の出発点だ。


76:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/08/23 16:26:13.59
「色」に関しては、人類をさかのぼれば、最初はグレースケールで世界を認識していたと思われる。
明るい、暗いなどだ。しかし、人間は光が当たると色を認識する。他の人が同じ色を見ているかは
分からないだろう。しかし「赤」はルビー、「緑」はエメラルド、というように、いろんなものを
識別する必要性から「色」というパラダイムが生じたのだろう。
たとえば「グループAの経験」「グループBの経験」というものが「色」によってジャンル分け
されたとされる。こうやってパラダイムは生まれた。若い女性がピンク色を好むというのも、
そういう「グループ分けされた経験」で何らかの位置づけがなされるからだと思われる。


77:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/08/23 16:43:48.83
興味のある方は"Frank Sibley""Approach to Aesthetics"をアマゾンで注文すると
いいですよ。オックスフォードが出している本です。


78:わたしはダリ?名無しさん?
11/08/24 13:09:04.49




79:わたしはダリ?名無しさん?
11/08/24 21:25:10.19
(´・ω・)去年、東京都現代美術館でやったマシュー・バーニーのクレマスターシリーズがええな

80:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/08/26 13:17:10.24
カントは「ファインアートは天才がつくるものだ」としたが、「オリジナリティ(独創性)」に
関しては、シブレイは「今の時代においては価値の一つの判断要素となっているに過ぎない」
としているようだ。


81:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/08/26 14:17:33.16
絵画の評論に関しては、その感受性やたくみな表現力でその深度を深めたのは
モンロー・ビアズリー(Monroe Beardsley)だとされる。
評論の手法に関してはシブレイの本の第八章に書かれている。


82:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/08/27 11:44:39.71
ビアズリーは、評論をするうえで3つの観点の重要性を指摘した。
「作品の統一性」「複雑性」「その業界の価値が凝縮されていること」
この3つを常に頭に入れていたとされる。


83:糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y
11/08/27 11:53:23.62
シブレイはこれに対して「ドラマティックさの凝縮」も存在するのではないかとした。
たとえ単純なモチーフを描いたとしても、その業界での「誠実さ」「良心」「幅広い見識」
を示すことは「ドラマティックさの凝縮」であり、なにも歴史的瞬間などを
描くことのみを意味するのではないとしたのだ。


84: 忍法帖【Lv=6,xxxP】
11/08/30 21:25:32.40
.

85:わたしはダリ?名無しさん?
11/08/31 01:33:13.69
川田ギャラリーにいってみそ

86: 忍法帖【Lv=8,xxxP】
11/09/01 16:35:05.02
1

87: 忍法帖【Lv=9,xxxP】
11/09/03 13:35:04.57
p

88: 忍法帖【Lv=9,xxxP】
11/09/03 16:00:53.35


89: 忍法帖【Lv=10,xxxPT】
11/09/03 17:36:28.70


90:わたしはダリ?名無しさん?
11/09/05 02:54:26.29
>>83
はじめてこのスレッドに来ましたが、たいへん参考になります。
今日からあなたの書き込みを楽しみにしています。

91: 忍法帖【Lv=12,xxxPT】
11/09/08 19:33:36.23
i


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