11/04/23 22:18:05.98
>>201
>美術館が啓蒙施設であって…
>むしろ啓蒙施設で無かった場合の方が大変なことになる
啓蒙とは、「無知蒙昧な状態を啓発して教え導くこと」です
啓蒙専制君主などの用語でお馴染みです
美術館は、上記のような施設であると断定できるでしょうか?
そう言えても、「そのような側面もある」という程度でしょう
私が啓蒙という言葉に拘ったのは、物事を一面的にしか理解せず、
自己の見解と相違する他者の存在を決して認めようとしないRAIDEN氏が用いたからです
ハッキリ言ってしまうと、私は支持しないが、美術館を啓蒙施設と理解する見解があって良い
ただ、美術館に展示されている作品を「どのように理解するか?」「どう解釈するか?」、
これは、観覧者に委ねられる領域の問題であり、観覧者の自由ですし、作者もそういうスタンスでしょう(もちろん伝えたいことはあるだろうが)
「こう理解しなければならない」「こう理解せよ」と啓蒙する類のものではない
その点で、「啓蒙施設」と主張する見解は、美術館や芸術の果たす役割・意義
という観点から、やや疑問を持ちます(あくまで私の視点。批判はあろう)
同様に、「美術館とは何か?」「芸術とは何か?」を理解する上で、
カワウソとイタチの事例を出したこと自体、失当であるという事も分かるでしょう
無礼で恐縮ですが、RAIDEN氏を含めて、少しこの点を考察してみることを薦めます
なお、「こう理解をするべきである」という啓蒙的アプローチが妥当するならば、
我々は、2007年に開催された空前絶後の機会であった「狩野永徳展」の眼福に与ることはできなかったでしょう
あの展覧会は、従来の永徳研究をひっくり返して実現したものです
固定観念に囚われない多様で自由であるべき学問の本来の姿を我々に提示して頂いた幸福な機会でした
啓蒙施設で無かった場合の方が大変なことになる一例をお示し下さると、議論が深まると思います
是非、お願い致します