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需要を巡る闘い ポール・クルーグマン
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(抜粋)
大不況とその余波を受けて、何とも奇妙なことが経済政策の議論に起きた。
あるいは、今回の出来事が幾ばくかの幻想を取り払い、議論の本質を曝け出した、というのが本当のところかも知れぬ。
それは個々の論点―たとえば乗数の大きさや量的緩和の効果―が示唆するよりも、もっと大きな話である。
本質的な話は、私に言わせれば明らかに大きな総需要不足であるところの状況を目の前にして、需要側が問題になるという考え自体に対する総攻撃を我々は目撃しているのである。
さらに言えば、需要が重要であるという考えに同意しない以前に、その考えを忌まわしいもの、理解不能なもの、あるいはその両者であると見做している人々が多いことが明らかになりつつある。
私が数多く受け取るコメントの言うことには、私は金融財政政策についての自分の発言を自身で信じているはずが無い、
分別ある人間ならば紙幣を刷ることや財政赤字による支出が生産と雇用を増加させるなどということを信じるはずが無い、とのことだ。
これほど多くの人々が需要不足の概念を忌まわしいものと考える理由は、部分的には、道徳の概念と結び付いている。この話は単なる政策論議に留まらない。
私の見たところでは、経済論説を書く人々のうちのかなりの割合が、人々が倹約をし過ぎて十分な支出を行なおうとしないために経済が苦境に陥る、
という概念そのものを非常に不快に感じていることが明らかになりつつある。
そうした概念をとにかく良くないことと考える人が世の中には明らかに多いようだ。
世界はそのようにあるべきでは無い―従ってそうなっていない、というわけだ。
こうして考えてみると、これは衝撃的な問題であることが分かる。
我々の手元には、苦労して手に入れた偉大な知的業績がある。
それは我々が実際に目にする世界を非常に良く説明しているにも関わらず、イデオロギー的な先入観と相容れないがために打ち捨てられようとしている。