ゼネコン・テーマパーク 2at DOBOKU
          ゼネコン・テーマパーク 2 - 暇つぶし2ch2:名無し組
10/12/18 11:39:38 84KvXDzV
小沢征爾さん、ウィーン・フィル「名誉団員」に
読売新聞 11月2日(火)18時39分配信

日本公演中のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は2日、東京・赤坂のサントリーホールで、
指揮者の小沢征爾さん(75)と、来日中のジョルジュ・プレートルさん(86)に「名誉団員」の称号を贈呈した。

日本人初の名誉団員称号に小沢さんは「仲間から贈られた、というのが、どんな勲章よりもとにかくうれしい」と感極まり、目を潤ませていた。

名誉団員は、同楽団168年の歴史で、ウィルヘルム・フルトベングラー、現役ではニコラウス・アーノンクールら50人の指揮者、作曲家、ソリストらに贈られている。

小沢さんは、2002~10年まで、同楽団の母体であるウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、楽団との絆(きずな)の印として、称号が贈られた。
贈呈式では、祝福に訪れた楽団員1人ひとりと抱擁し握手を交わし、「死ぬまで友達だ」と感謝の気持ちを表現した。
最終更新:11月2日(火)18時39分

3:名無し組
10/12/18 11:41:14 84KvXDzV
がけにせり出す空中茶室 石清水八幡宮で遺構確認
2010年11月5日 朝刊

石清水八幡宮(京都府八幡市)で、江戸前期に茶人小堀遠州が手掛け、山腹のがけ面にせり出した「懸(かけ)造り」と呼ばれる構造の茶室跡が見つかり、八幡市教育委員会が4日、発表した。

懸造りは清水寺(京都市)本堂の舞台に代表される建築様式。
地面から床までの高さは最高で約6・5メートルあったとみられ、同市教委は「これほどの高さがある茶室が確認されたのは初めてではないか」としている。

茶室は、松花堂弁当の名前の由来となった同八幡宮の僧、松花堂昭乗が暮らした宿坊「滝本坊(たきのもとぼう)」の一角。1630年ごろ完成し、「閑雲軒(かんうんけん)」として名高かったが1773年に焼失した。

調査では同八幡宮がある男山の東側山腹で、閑雲軒の床を支えていたとみられる柱の礎石3基が出土。
北側に併設された書院の縁側を支えていたとみられる礎石も16基確認した。茶室はがけ面から約8メートルせり出し、書院を含めた懸造り全体の幅は南北約26メートルにわたることが判明。
がけ最上部の平面部では滝本坊の客殿や庭の遺構も見つかった。

閑雲軒は、親交があった昭乗から相談を受けた遠州が設計したとされる。
立体的な間取り図の「起こし絵図」や茶会記が残され、広島県内のリゾート施設に復元されている。現地説明会は6日午前10時から。

小堀遠州
1579~1647年。
滋賀県長浜市出身の茶人。
京都の伏見奉行となり徳川家康、秀忠、家光に仕えた武将で、茶人大名だった古田織部に茶を学び、茶道遠州流を確立した。作庭家としても知られる。

4:名無し組
10/12/18 15:22:31 YFGQVIwt
金堂初の一般入堂 奈良・唐招提寺
2010年11月4日 朝刊

“天平の甍(いらか)”で知られる奈良市の唐招提寺金堂(国宝)への一般の入堂が3日、奈良時代の創建以来初めて認められた。
10年に及ぶ解体修理を経て行われた昨年11月の落慶法要から1年を記念しての特別拝観。

入堂できるのは1日限りで、大勢の参拝客が本尊の盧舎那仏(るしゃなぶつ)坐像(ざぞう)(同)などの荘厳な姿にため息を漏らしていた。

奈良時代後半の建立とされる金堂は、優美な屋根の曲線と壮大な鴟尾(しび)で有名。
本尊をはじめ計9体の国宝仏像が安置されているが、仏像を納める「厨子(ずし)」として扱われているため、僧侶による法要も堂外で営まれる。

岡山市の会社社長小嶋光信さん(65)は「千手観音立像の柔らかな表情などを間近で見て、1300年の時を超えた思いが伝わり、心が洗われた」と笑顔で感想を述べた。

5:名無し組
10/12/18 15:23:25 YFGQVIwt
白い秋揺れる 奈良・曽爾高原でススキ見ごろ
2010年11月4日 朝刊

三重県境近くにある奈良県曽爾(そに)村の曽爾高原でススキが見ごろを迎え、38ヘクタールの斜面を白い穂で覆い尽くしている。

標高約900メートルの高原はススキの名所として知られ、中部、関西方面から毎年40万人の観光客が訪れる。
曽爾村観光振興公社によると、ことしは猛暑の影響で見ごろが2週間ほど遅れた。
白い穂が風にそよぐ姿は今月末まで楽しめそうだという。

周辺の山々の山頂付近では、紅葉も始まり、訪れた人たちが高原を散策しながら自然の大パノラマを満喫していた。

6:名無し組
10/12/18 15:24:29 YFGQVIwt
細部も精巧 古民家模型 小松の村上さん再現
2010年11月6日

小松市江指町の元大工・村上勇さん(76)が、昭和三十年代までにほとんど見られなくなった古民家を再現しようと、かやぶき屋根の民家の模型作りに取り組んでいる。
昔、自分が住んでいた記憶を頼りにミニチュアで復元。集落の人たちが共同でしていたふき替え作業が日常だった当時に思いをはせながら、作業に取り組んでいる。(斎藤雄介)

模型では市内の山で刈り取ったカヤを重ね、雪深い北陸の気候に耐えるよう仕上げた重厚な屋根を再現した。
外観だけでなく、内部にも仕事場に残った木材を使って作ったいろりや井戸などを設けてある。
五年ほど前に製作を始め、これまでに“六軒”を完成させた。

きっかけは、本業を断念せざるを得なくなった相次ぐけがだった。
数え年七十歳の古希を迎えたころ、作業中の転落事故で肩の筋を断裂し、復帰直後に椎間板(ついかんばん)ヘルニアに。
手術後のリハビリを兼ねて、手始めに新聞小説の挿絵にあった宿坊の再現に取り掛かった。

続いて、五十年ほど前に住んでいた家を二十三分の一のサイズで復元。
江戸後期に建てられた住宅は設計から完成まで半年を要した。
「住んでいたころは、集落総出で屋根のふき替えをしたもんだ」と話す。

建築規制や山間地の過疎化などでかやぶき屋根も姿を消した今は、農家の田植えや稲刈りでの共同作業もほとんどなくなった。
「近所の人とのつながりが密接だったころが懐かしいね」。
そう思い出に浸りながら、村上さんは今後も製作を続けて、当時の集落を忠実に再現するつもりだ。


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