10/12/20 11:42:25
沖縄戦<日本軍による殺害の証言>
石原昌家によると沖縄戦で日本軍は住民を守るという考え方はなかった。
戦闘開始以前から「軍官民共生共死の一体化」が指揮官から唱えられ、
日本軍の劣勢が明確になった時点でも住民も共に死ぬまで最後まで抵抗するという方針が与えられたとする
(1945年3月日本軍資料「秘密戦に関する書類」および5月5日の牛島司令官の命令、石原昌家の記述による)(例えば証言URLリンク(www.csmonitor.com))。
加えて住民が米軍に投降するのはスパイ行為だとして、投降者、投降を進める者、なんらかの形で接触した者を殺害することがあった。
また壕追い出しや食料を奪うこと、悪性マラリア地帯に強制疎開させることで死に追いやる多くの例がある。それぞれの被害者数は住民が死亡しているためあくまで推定だが、
大田昌秀は多くの証言を調べ、壕追い出しで100人以上、食料強奪で60人以上、住民虐殺が290人という数字をだしている(総史・沖縄戦および家永教科書裁判での証言)。