11/06/22 15:00:05.68
レトリック・修辞に優れた作品・作家を挙げていこう!
可能なら例文も引用どうぞ。
2:名無し物書き@推敲中?
11/06/22 15:23:58.61
私は長文を書くこともできます、コピペではなく長文を書くことができます。
しかしながら、長文を書くということはν速的ではないのです。
ν速において長文を書くということは、読むなと言っているに等しいのです。
読まれないレスなど何の意味がありましょうか?
たとえその文章が森の奥に咲く花のように美しくとも
読まれなければ価値がないのです。
あなたは長文を書き、スルーされたときの悲しさをしっていますか?
私は知っています。一生懸命書いて、なんどもなんども推敲して
やっと書きこみ、誰かレスをしてくれるだろうと思ったら、誰もレスを返してくれない、
悲しいじゃありませんか。私はニ時間かけて必死に書いたレスでそのような経験をしました。
私は年甲斐もなくパソコンの前で泣きました。私のニ時間はなんだったのだと。
私の思いは誰にも届かなかったのだと。
それから私は長文を書くことをやめました。私は学んだのです。
しかし、今回に限り長文を書くことにします。しかしながら、おそらくこの文も読まれることは少ないでしょう。
ν速において文章力というものは必要ないのです。
必要なのは文のセンスであり、ユーモアであり、エスプリなのです。
文章力など何の意味もありません。
3:名無し物書き@推敲中?
11/06/22 18:25:36.96
<これは一体何なのだろう?子供染みた疑念が、意識の腋をくすぐっているような
奇妙な感覚だった。金属線を巻きつけられて目一杯引っ張られた羊の腸が、
指で弾かれたり、馬の尻から伸びた毛で摩擦されたりして、世にも美しく鳴り響いている。
そして、それに合わせて繰り返されるのは、「聖なるかな、聖なるかな、……」という言葉!
少年の若い声帯が、大人の男にはもう決して届かない高みの音を、
失われた無垢そのもののように響かせてみせる。------死を嘆き、悲しむというのは、
人間特有の崇高な感情なのだという。しかし、その感情は、こんな馬鹿な道化じみた遊びで
、慰められるように出来ているのだろうか?こんな、ちんどん屋に毛の生えたようなのに、
涙ながらに聞き入って、心静かに死んだ人間のことを思うのが、美しい人間というわけか!
清らかだ!……ああ、いかにも浄らか!……>(決壊 下巻 p. 377)
4:名無し物書き@推敲中?
11/06/26 22:48:10.80
>>3
それ、うまいか?
5:名無し物書き@推敲中?
11/06/27 00:12:10.89
>>4
そんなことどうでもいいよ
おまえが上手いと思う文章を
ここに書けよ
6:名無し物書き@推敲中?
11/06/28 07:18:47.82
ガチャリ
その時だった。裸生門の楼から一人の男が降りてきた。
この雨の夜に、この裸生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。
その者、筋骨隆々とし遠野は咄嗟に逃走しようとした。
「おのれ、どこへ行く。」
どこへ行くつもりもない。遠野は行くあてがないのだ。
ならばいっそのこと、一か八かこの男に賭けてみようと思い、遠野は一歩出た足を戻した。
「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」
その男はいきなり、水着の鞘を払って、黒い鋼の筋肉をその眼の前へつきつけた。
「己は検非違使の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。
だからお前に縄をかけて、どうしようと云うような事はない。
ただ、今時分この門の下で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」
遠野は事情を話した。
「うちさぁ・・・屋上あるんだけど・・・泊まってかない?」
遠野の話が完ると、男は嘲るような声で念を押した。
男は名を田所と言った。行くあてもない遠野は、その男の好意に甘える他なかった。
ギッギッギッ
梯子を登ると、そこには玄関のような入口があった。
「入って、どうぞ!(迫真)」
「はぇ~広いっすね・・・」
裸生門の中は思ったよりもずっと広かった。
屋上へ案内された遠野はそこで冷茶を田所に出してもらった。
いつの間にか遠野は、饑死をするか男優になるかに、迷う以前に、ほとんど何も考える事さえ出来ないほど、意識が外に追い出されていた。
7:名無し物書き@推敲中?
11/06/28 07:19:13.54
裸生門
ある日のくれ方のことである。遠野が裸生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円に、セミ兄貴が一匹とまっている。
羅生門が、下北沢にある以上は、この男のほかにも、雨やみをするTNOKやTDNが、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
作者はさっき、「遠野が雨やみを待っていた」と書いた。
しかし、遠野は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。
ふだんなら、勿論、主人の元へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。
前にも書いたように、当時下北沢の町は一通りならず衰微していた。
今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。
だから「遠野が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた遠野が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。
どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない。
選んでいれば、築土の下か、道ばたの土の上で、饑死をするばかりである。
そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。
選ばないとすれば―遠野の考えは、何度も同じ道を低徊した揚句に、やっとこの局所へ逢着した。
しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。
下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、
当然、その後に来る可き「男優になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。
8:名無し物書き@推敲中?
11/06/28 07:19:30.14
気がつくと、そこは薄暗い楼の中だった。
さきほどの田所とかいう男が自分の体の上に乗り、遠野の髪を愛でていた。
遠野は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。
「お、気がついたか。」
「田所さん、何やってんすか!」
「お前のことが好きだったんだよ!」
「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」
遠野は、すばやく、田所の着物を剥ぎとった。
そうして二人は交わりに交わった。
それには京の華やかさはなかったが、衰微とはかけ離れた激しいものがあった。
行為後、しばらく、死んだように倒れていた田所が、でかい枕の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。
田所はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。
そうして、そこから、短い禿頭を倒にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
遠野の行方は、誰も知らない。
9:名無し物書き@推敲中?
11/06/28 09:08:25.80
さすがコネデビュー作家ひらのさんはへたくそな比喩ですね。(笑)