10/08/19 02:02:35
死というものを意識したのは中学の頃であったと思う。今から二十数年前の事。当時は世紀末を前にして、ノストラダムスの大予
言がテレビや雑誌で特集されたりしていたのである。1999年七の月、空から恐怖の大魔王が降りて来るというヤツである。指折り
数えてみれば、自分の人生というのは27歳で終わりであった。その先はないのである。まあいいかと、諦めが早いのは私の長所で
あったと思う。自転車に乗った二人組の白人に「アナタハカミヲシンジマスカ?」と聞かれた時、「神様なんてしんじません。自分
には必要ない存在です」と答えた時の白人二人の失望の顔を見たときは、勝ったと非常に痛快な気分になったのだった。
神などはいなくとも、いつか終わりは訪れるという思いはあったのである。なんせ、宇宙誕生から永遠な時間が流れてきたのであ
る。そろそろ終わりが来てもおかしくないのではないかと思っていたのだった。そして月日は流れ、私は成人し、勤めた会社は倒産
し1999年は過ぎてしまったのである。終わらなかったのであった。それは嬉しい誤算というヤツであったのかは解らない。むし
ろ、綺麗さっぱり世界というものが終わってしまった方が良かったのではないかと思ったほどだ。
だからといって自らの人生に終止符を討とうなどという考えは全くなかったのである。なぜならば私は流れるままに身を任せた方
が楽だという考えに達していたからであった。しかし、その間替えでは現状維持すら難しく、むしろ落ちていく方が確実であるとい
う事思い知らされるのであった。