10/05/25 22:01:33
人生で20度目の6月15日が来て、僕は大人になった。
三歳年上の恋人は0時ジャストに「社会の歯車に一歩前進おめでとう」とメールをくれた。僕の恋人は、いつだって素直じゃないのだ。実家から電話が来たのは、そのメールの返信に親指があたふたしている時だった。
キリストの誕生日にはてんでばらばらの生活を送る僕の家の人達は、家族の誕生日には必ずお祝いの言葉を捧げるのだ。それは我が家で獣の寝息のように息づく、数少ない習慣でもあった。
母は大学での生活を、二人の姉は揃って恋人の有無を気にかけていた。父は寡黙に「おめでとう」「ガンバレ」と言い、チビのえみは眠たげで舌足らずな声で
「おにいちゃんは何になったの?」
と訊ねてきた。後ろで、母が「何才に、でしょと」と窘め、二人の姉がくすくすと笑う声が微かに聞こえてきた。「大人に」と言いかけていた僕は、咄嗟に「ハタチに」と言葉を挿げ替えた。
恋人が僕のアパートに来たのは、僕が大人になって19時間が過ぎた頃だった。ビジネススーツ姿の恋人の両手には、おすし屋さんの丸いプラスチックケースと、近所のスーパーのビニール袋がそれぞれぶら下がっていた。
恋人は僕のためにジントニックを作ってくれた。テーブルには、合成樹脂の円に納まった特上のおすしが置かれ、恋人は氷の入ったグラスにドライジンとカクテルライムを注ぎ込んでいた。僕はカクテルライムのビンを持つ恋人の指先を見つめながら
「大人の定義って何だと思う?」
と訊ねた。恋人は、ビンをテーブルの隅に置き、代わりにトニックウォーターのペットボトルを手に取りながら
「そういう疑問を持たない事」と答えた。
「それは、大人としての答え?」
「私としての答え。不満?」
僕は首を横に振った。恋人は柄の長いスプーンで、グラスの底からすくい上げるように、出来上がったジントニックをかき回した。
恋人の作ってくれたジントニックは、舌の上にさわやかな苦味を残して体の奥に流れ込んでいった。
その後、僕はいつものように恋人と大人のキスをした。ベランダへと続く夜のガラス戸には、昨日と変わらない僕の姿が映っていた。