10/12/18 07:59:44
>>474
いわゆる「純文学」の崩壊は、春樹も含む米系のポップ文学が行ってきた業だ。
龍や詠美ら芥川賞の審査員側に立つ者がすべからくポップ文学の担い手となった今では、純文学は事実上存在していない。
芸能小説がつぎつぎ出現するのは石原がその主導者として文壇体制に根を張っているから。
水嶋氏もこの体制に、もし今後も文学に関わるならくみこまれるだろう。例えば現に綿谷とくらべればましなレベルにあるのだから。
例えば目を覆いたくなる下賤下劣な性描写の連発、といった綿金二人の特徴は、水嶋氏にはまったくないらしい。
この点でも芸能小説の上位層に入る「疑似マジックリアリズム(疑似仮想主義)」のポストモダン期の作品と位置付けていい。
童話が主要のポプラ社を射止めたのもスマートだ。
綿谷は当時から未成年の書き手ごっこを芸能化しようとしていた文藝社から出たし、
金原は親のコネであたかも純文学の風体を装った官能風俗小説をすべりこませたのだから、
さほど違ってもいないし、どちらかといえばより上品だ。