10/10/23 19:52:24
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私には、彼の発想は会談の題名にあるように、「教育のからくり」を利用するだけのものに過ぎないと思う。
その「からくり」の矛盾を正そうとすることなく、逆に利用して個々人の私利私欲を満足させるためだけのものに終わっているように思う。
そこに決定的に欠けているのは、教育に携わるものとして、良心の呵責の欠如である。個人のことだけに関心が集中して、全体を見渡す視点がないのである。
彼の文部省批判は、単に自分が今まで出版してきた受験指導の方法を弁護するためのものに過ぎなかったのである。
彼は国家のことも国民のことも考えていない。そういう意味では文部科学省と同じである。国の機関自らが国の教育権を手放そうとしていることに歩調を合わせている。
彼の教育論は、決定的にまた絶望的に個人主義的である。公教育の意味というものを考えようとしていない。
「からくり」を利用することは簡単である。その矛盾を突くことができれば、個人的な利益が生まれるということも、多くの社会と同じである。
しかし教育に携わるものとして、果たしてそれだけでいいのかという、良心の呵責の一点がない。