11/08/10 22:32:50.31
問題の作家の返信ですが、この返信の主意は「堕落論」同様、堕ちるところまで堕ちろということだというように思います。
というのもこれらの部分。
>十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。
>真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。
これらの部分が意味するのは、人の目など気にせずに一握りの勇気をもって、退廃的生活をおくれということだと思います。
「いかなる弁明も成立しない醜態」を退廃することだととったわけです。
酒に溺れ、異性への欲望に忠実になることで、真に生きることができるのだ、と。
太宰は自ら実践する退廃生活を奨励しているのです。
そしてこの引用、
>マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」
正直言って私はこの引用と退廃の関連を見出だせないでいます。
太宰はここで、魂の抜けたような手紙の主を、鼓舞しているのだと私は読みました。
また、さきほどトカトントンは主観から客観への転換と書きましたが、絶対から相対とも言えるでしょう。
そう考えると、聖書からの引用は絶対的なものを提示するという役割をももつと思います。