11/02/12 17:56:05
しつこいようですが、最後に補足しておきます。
591に引用した文章は、単なる感覚的な風景描写ではないんですね。
夾竹桃は文子の象徴でもあるんですよ。つまり、菊治の心理描写もこの
文章のなかには宿っているというわけです。
後で出てくる次の文章と関連しているんですね。
風景のなかに溶け込んでいる匂いと音と色を感じるってことは、それを描くという
ことは、心理の動き、揺れを描くってことでもあるんですよ。直に描かないから、深層の心理
までも描けるし、叙情的だし、深みがある。余韻を生むんです。川端文学とは、そうした
ものだと理解しています。
文子がかけた石も、裾の方は濡れているように見えた。厚い青の葉に赤い花だと、
咲きあふれた夾竹桃は炎天の花のようだが、それが白だと、豊かに涼しい。花の群が
やわらかく揺れて、文子の姿をつつんでいた。文子も白い木綿の服で、折り返した
襟やポケットの口を、濃い紺の布で細い線に縁取っていた。
西日は文子のうしろの夾竹桃の上から、菊治の前にさして来た。
川端康成『千羽鶴』より