11/02/08 03:22:56
ただ、こう書いてしまうと朝吹の作品がまるで「ジョイス的」であるかのような印象を与えるけど、
たぶん、まったくジョイス的はないよ(シモン的ではありうる)。少なくとも「きことわ」に関していえば
明らかに近い試みをしているのは(さっき出た古井を引き合いにだすと)「山躁賦」とか「楽天記」
あたりの文体で、両者ともに(1)明晰かつ的確な対象の描写と、(2)連想的に導かれてくる記憶の表象、
(3)さらにふたつの要素が息のながいセンテンスのなかで複合するという点において共通している。
(ただし、古井のほうが現実をより現実らしく示すだけの描写力があることは言うまでもない)
本人は、文語の力を引き継ぎたいと言っていたよね。これはべつになにもあたらしい試みではないし、
だからといってくだらない努力でもない。日本の近代文学のひとつの伝統のなかにほそぼそと流れつづけ、
おそらくこれからも定期的にあらわれるだろう職人たちのひとりとして、その作品を楽しめばいい。
ジョイスだとかプルーストとか言われれば、本人も苦笑するだろうね