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10月1日のストックホルムからの記事を載せた「毎日新聞」では、三島の顔写真入りの記事が出た。
「ノーベル賞選考委員会は、六七年度の文学、医学、物理学など各章受賞者の選考を解し、十八日に最初に
受賞者(医学)発表を行う予定だが、文学賞(十九日発表)候補者の中に日本の作家三島由紀夫(四二)の
名がのぼっているもようである。
スウェーデン文学アカデミー常任事務局のギーロウ博士は、ことしは八十人から九十人の候補がいると
語っている。三島氏のほかにチリの詩人パブロ・ネルダ、仏文化相で作家のアンドレ・マルロー、ドイツの
劇作家サミュエル・ベケットなど有望視されている。」
しかし1967年のノーベル文学賞はグアテマラの小説家ミゲル・アンへル・アストゥリアスが受けた。
1967年のインド旅行からの帰国の日を、ストックホルムでノーベル文学賞の受賞者が発表される当日に
三島は合わせたという。それは英雄の帰還になるはずの演出だった。
三島は羽田空港にVIPルームを予約していた。飛行機が着陸すると、彼は一等のドアから真っ先に降りて
きた。しかし数人を覗いては、誰も迎えるものがいなかった。予約しておいた部屋はがらんとして、
新聞記者の姿はなく、三島はひどく落胆した。